vol.233 えうそまじで(2009/07/06)
明らかに、これからの話題が「恋」になります、という瞬間があって、その度にこれは参ったなどうしようかなと思いあぐねひとまずトイレに逃げ込んだりしてみるんだけども当然おしっこはチョロチョロしか出ないのですぐに戻ると、やっぱり「恋」の話に花が咲きはじめている。最近どうなのよ、という呼びかけが、「恋」にまつわることに限定しているらしいと分かりつつも「そうだね、洗濯機の調子がいまいちでさ、ものすんごい音をたてて止まったりするんだよ」と逃げるのだけども即座に鎮圧、恋、恋、恋と、話が踊っていく。
えっ、そんなオトコさいあくだよ今すぐ別れなよ、というアドバイス、あいつおまえの話よくしてるけどね、という思わせぶりな垂れ込み、達観した「ウンウンそうだろうね」を繰り返す恋愛マスター的な立ち位置、「恋」の話が始まった途端に、各人の役割が定まっていく。この、「恋」の話がもたらす唐突な結束力とはいかに。へえふぅんほぉそれでそれで、問いかけは止みそうにもない。実は。えっ、実は、何。実は。うんだから実は何よ。実は、別れた。えうそまじで。本当。えだってこないだきいたときは。そう。えなにがあったの、まだいいたくないならいいけど。体は前のめり。前のめりな体が4体か5体、この体を退けることなんて、もう出来ないだろう。いやなんか。えっ、いやなんか、何。いやなんか。うんだからいやなんか何よ。いやなんか、別にオンナがいたみたい。えうそまじで。本当。えだってこないだきいたときは。そう。そっかあのあとの話か。そう。えどうしてきづいたの。携帯見ちゃった。あでも気持ち分かる。
もう一回、おしっこに行こうかな。でもまだ一滴も出ないなこれはさすがに。カシスオレンジをもう一杯頼む。「恋」の話は小堺一機。そう、順番に回ってくるのですよ。前の人の話が皆を惹き付けたのならば、次の人はその話以上を目指しにかからなければならない。うんうんそれで。次に。視線が集中。いや別に僕はそんな。そんなじゃねーだろ。あらまいきなり口調が荒くなって。そうだそうだと合唱。負けない。いや別に僕はそんな。まだ繰り返す。よし、視線が半分になった。もう一度繰り返して小堺さんのチャイムを待とう。いや別に僕はそんな。どうだ。減るか。なにそれ逆に怪しいと誰かが。やばい。視線が倍増元通り。「恋」の議題は加熱機能に優れている。いやそれ教えてよマジで、と鳴り止まない。
いつの間にか何か伝えるべきことがキッチリと生じていて、聴衆と化した皆は、その伝えるべきことを聞いてからじゃないと小堺さんは許してくれないよ、という顔のまま固まっている。カシスオレンジを届けにきた不衛生なロン毛男子は、空気を読んでちょこんとテーブルの墨にグラスを置いていく。なぜならば、カシスオレンジを頼んだアイツは今、「恋」の話をしなければならないタイミングにあるから。どうしよう。おしっこと新たなカシスオレンジ。この2つの切り札が使い物にならない。視線はこっちに来たまんま。どうしよう。だから「恋」の話は嫌なんだ。報告義務が生じていやがる。
いやちょっとまだ言える段階に無いんだよ。と、僕は言った。こわばった顔から無意識に。何も無いと言えない余りに、むしろ大きくしてそれ故にまだ言えないとした。そしたらみんながそうかそうかそしたらまた次の機会だねという期待感たっぷりに、前のめりの体を戻した。ホッとしたがこれは単なる持ち越しだと、その瞬間に気付いて焦る。次の招集時はどうするんだ。どういう段階って報告すればいいんだ。次は、ほくそ笑んだりして、また次回に繰り越すか。
vol.234 Stairway to Hayashi(2009/07/13)
僕が迷わずにハヤシライスを注文すると、向かいの2人はカレーライスを頼んだ。ハヤシライスはいつだって「あえて」ハヤシライスである。カレーライスではない、という所からハヤシライスがお出ましとなる。だから、先制攻撃によってしか、自主的なハヤシライスはあり得ない気がしたのである。カレー、カレー、ハヤシライス、という頼み方では、「カレーではない」というアンチテーゼが先立ってしまう。先制攻撃によるハヤシライスは、ハヤシライスの尊厳を見せつけると思ったのである。でも実際に、カレー、カレーと続けられると、ハヤシライスという選択を真っ先に宣言した自分の即断を問いつめたくなってくる。やはりカレーが中心にあって、そこから逸れた所にハヤシライスがいる。ここのカレーやっぱり美味しいよねなどと隣り合った2人が首をタテに頷き合っている。ソロでハヤシなワタシは、ハヤシライスだって負けていないぜと澄まし顔を必死に。しかし、形勢は逆転している。先制攻撃の事実はもはや消えていたのだ。
やっぱり美味しいよね、と言った。やっぱり、ということは、初めてではない。やっぱり美味しいよね、うんうん、ということは、2人で一緒にこのカレーを食すのも初めてではない。であれば、この3人で昼飯でも食べようよとなった段階で頭の中にはカレーだなという意思決定があったのだろう。その意思を読み取れなかった自分は、ハヤシライス宣言を急いだ。カレーでなくてハヤシライスで行くという指針表明は向かいの2名の出鼻をくじく強烈な一打になるはずだった。しかし、彼らは最初からカレーという選択を決め込んでいたのだった。突然ソロ活動を余儀なくされたハヤシライスが、ぽつんと取り残された。
ジミー・ペイジの気持ちが分かるよ、ハヤシライスをかっ込みながら、彼のことを思った。レッド・ツェッペリンの再結成を目論んだ彼は一昨年に一夜限りの再結成を実現させる。世界的な熱狂を前に、長期的なツアーもあると臭わせた。しかし、ヴォーカルのロバート・プラントは「いや実はもう来年の秋口までアリソン・クラウスとのジョイントツアーが決まってるんだ」とその熱意を瞬時に冷ましたのであった。だったら先に言ってくれればいいのに、ジミーと武田はハヤシライスを前に結ばれていた。
向こうの2人はペロリとカレーを平らげた。だって、心に決めてきたカレーだもの、そんな余裕が見えた。こちらはハヤシライスで良かったのかという疑問を抱きつつジミー・ペイジと交信しつつの昼食ゆえに、なかなかペロリとは進まない。あっちはもう食後のドリンクも半ばにさしかかっている。この遅れの責任をハヤシライスに押し付け始める。この控えめな甘味は何だ。おまえらさ、カレーの辛さから逃げるためにこの甘味に行き着いたんじゃねえのか。ハヤシライスもさすがに一言もの申したいようである。選んだのは貴方ではないですか、こちらからお願いしたつもりはありません。こうなると、ケンカしたカップルのように、何をやっても上手くいかない。責任の押し付け合いとなった僕とハヤシライスのすれ違いは、埋まること無く、僕は食後のジンジャエールを要求した。もう持ってきてくださいドリンクを、と。
あとは謝るタイミングだけなのに、それが出来ずに別れてしまうカップルが沢山いる。ジミー・ペイジはロバート・プラントのツアー終了を待たずにツェッペリンの本格再始動を凍結させてしまった。あの時謝っていれば、相談していれば……そんな後悔をジミーもロバートも持っているだろう。今、僕とハヤシライスの関係は、冷えきっている。別に後悔してねえしと、しばらくはツンツンするつもりだ。
vol.235 マジック・ジョーダン(2009/07/21)
突然、平仮名の「ぬ」が書けなくなる。「ね」に似た形だったはずと頭が覚えているものの、どこに線を足せばイイのかとか伸ばせばイイのかとか考えるだけで、本来の「ぬ」はなかなか近づいてこない。「あ」みたいに最初の線って要るっけと、「あ」と「ね」が混ざり合って、これはこれで新しい平仮名かもしれないと、落としどころの無い興奮に襲われていく。
例えば、書き終えた「殺」という字をじっと見ていて、こいつはどうやら4つのブロックに分かれている字のようだけれども、その組み合わせは正しかったのだろうかと疑問に思った途端、その4つを独立させて観察を始めてしまうことがある。「木」が「メ」を支える事の真意、「又」の上のアレは中に「、」を入れて「凡」のほうが何だかヤバイことのように見えるんじゃないか、などなど、「殺」を解体させて、どうすれば「コロす」を具象化させられると考えこむと、現状の「殺」の組み合わせを戻してみても、それは何だか本質を捉えていない気がして、無性に納得がいかなくなるのである。
死んだキング・オブ・ポップはマイケル・ジョーダンなのかマジック・ジャクソンなのかマイケル・ジョンソンなのかマイケル・ジャクソンなのかマジック・ジョーダンなのかマジック・ジョンソンなのか、どうにも分からなくなってしまったのだ。白昼、下高井戸を歩いているときのことだった。この中に正解はあるだろうし、バスケ選手と陸上選手が紛れ込んでいることも分かっている。問題は、どれがキング・オブ・ポップか、である。「マイケル・ジャクソン」が有力なのだが、「マジック・ジャクソン」も可能性を残す。でもテカテカの衣装で「ドンマイケル」とニッコリ手を広げていた芸人がいたよな、だから「マジック」ではないな。「マイケル何とか」だろう。「ジャクソン」か「ジョンソン」か「ジョーダン」か。決まってる、「マイケル・ジャクソン」に決まってる。が。ここにきて「ドンマイケル」の彼って、あれはキング・オブ・ポップを真似てるって前提だったんだっけと、頼みの判断材料に疑問が生じる。どうしよう、どうやって選択肢を絞っていこう。そうだ、みんな彼の事を「マイコー」って呼んでたじゃないか。「マジック」をどう変えても「マイコー」にはならない。マジックなら「マージー」だ。マージーなら、同じダンスの達人でも、あの、オッサンだ、マツケンサンバの。これにて「マイケル」を確定。
その次はどうだ。「ジャクソン」か「ジョンソン」か。ジャネットだ、あいつがいるじゃんか。妹のジャネットといえば、ジャクソンだ。「ジャネット・ジョーダン」なんて聞いたことないぜ、笑っちまう。ならば、キング・オブ・ポップは「マイケル・ジャクソン」であろうと、商店街を抜ききる直前に答えを見つけ出す。
折角だからと、「マジック・ジョーダン」って誰だっけ、「マイケル・ジョンソン」って誰だっけ、「マジック・ジョーダン」ってそもそもいたっけ、と各々の特定を急ぐ。急ぐ必要は一切ないんだけども。バスケ選手、陸上選手、あと何だ、プロサーファーとでもしておこうか、F1でもいいか。「ぬ」といい「殺」といい「キング・オブ・ポップ」といい、頭ん中で固定されているデータがこちらの制止を振り切ってどんどん外へ出ていってしまう。マジック・ジョーダンっているのか? 尋ねておきながら、別に答えは要らない。
vol.236 最近、男が分からなくて(2009/07/27)
独りで夜の観覧車の下に辿り着いた。その周辺、カップルしかいない。純度100%である。自分の登場によって純度がやや濁る。夜遅く、カップル達が観覧車への乗車を待ちこがれている。整列されたカップル達は、各々がそれなりにクネクネしながら、素直に順番待ちをしている。今お並びいただきますとお乗りになるまで約35分かかります、と係の兄ちゃんが繰り返し叫んでいる。35分待つのとアタシへの愛どっちが大きいのよ、という眼をした女子が、男子の腕にしがみついて観覧車の列へと引っ張る。男子は、おお勿論だよ、という顔を、動揺しながら作り上げている。その列を、観覧車脇の鉄柵に寄りかかって、しばしみておりました私。列の最後尾にまたカップル、またカップル。男の、「まんざらでもない顔」って冷静になるとどうにも痒い。子猫ちゃんキャラの女子に批判が集まりますが、自覚症状ありの戦略であってむしろ潔い。それより男子の、だらしないヨダレが口の脇から垂れそうな、あの顔が、脳裏に残る。
金曜の夜には、レイトショーに行った。15歳の少年が中年女子とデキる話だ。デキてから話はとことん重くなる。場内は、割と閑散としている。でも、その劇場は指定席制だから、一番見えやすいその列だけはギュウギュウに詰まっている。隣に主婦2名、逆サイドにはカップルが座っている。映画が終わる。隣の主婦は泣き崩れている。カップルの、男だけが涙を垂らしている。隣の主婦は、泣き崩れたくせにエンドロールが終わるとサッと立ち上がって劇場を出た。しかし、泣いた男は、泣き終えた余韻に浸って席を立とうとしない。彼女もそれに付き合っている。呆然と、もう何も写っていないスクリーンを見つめている。この映画は、とても悲しく、でも、考えさせる映画だった、というような、教科書通りの感想を背負って立ち上がれなくなっているに違いない。先に出て行った主婦達のほうから出て会場を後にした。
ああ最近もう鬱っぽくて大変なんだよ、と話かけてくる。口を開くとそんなことばっかり言ってくる。そんなことないっすよ、大丈夫っすよ、と繰り返すと、いや、そんなことない、これは鬱なんだよと、繰り返す。頼むオレのことを鬱と言ってくれ。愛してくれと言ってくれ、の前に、うん、やっぱり鬱ですよと言ってくれ、みたいな。これは鬱に違いないと言い始めてからかれこれ半年くらいだろうか。まだこれは鬱に違いないんだよと熱弁する。そう、熱弁。鬱と熱弁って同居できたんでしたっけ。疑問。
流行りの草食系男子、というのは、先に肉食系女子があってのこと。その上での草食系だ。それがなければ、男子はそれ以前に、食い方に迷いが生じている所なのだ。草食系を男性力の後退と考えるのが世の流れだが、それは違う。食い方がわかんなかった所に、食い方のジャンルを植え付けたのは前進である。そのくせ、男子だけの飲み会になったりすると、女なんて、が繰り返される。あれがどうも好きになれずに、その手の類いには出席しない。だって、最近、男が分からなくて。
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