「沖縄の芸人たちによる生の舞台、生の笑いをつくりたい」と、ガレッジセールのゴリが「おきなわ新喜劇」を立ち上げたのは2014年3月。その1年後の2015年3月には、那覇市の国際通り沿いに「よしもと沖縄花月」が誕生した。
相方・川田広樹とともに座長をつとめ、ゴリがその総合演出までもつとめる「おきなわ新喜劇」は、いまの沖縄でしか観ることができないエネルギー溢れる舞台となっている。沖縄の歴史や文化を入れ込み、「沖縄とは何か」を 「笑い」とともに伝えていくストーリー、そして、唄と踊りの島・沖縄らしく、リズミカルなテンポでつくりだされる、あたたかい笑い。まさに沖縄でしかつくることのできない、まったく新しい「新喜劇」だと言える。
沖縄出身の芸人として、「おきなわ新喜劇」の発案者として、そして総合演出家として、いま沖縄のために自分ができること。ガレッジセールのゴリに話を訊いた。
※本記事は『HereNow』にて過去に掲載された記事です。
沖縄独自の文化を、僕自身が勉強して伝えなくてはいけない
―まず、ゴリさんが「おきなわ新喜劇」を立ち上げようとしたきっかけを教えてください。
ゴリ:沖縄という場所は特殊で、基地もありますし、米兵もあちこち闊歩しています。それどころか、もともとは日本ではなくて、琉球王国だったわけで、中国文化の影響もかなり受けています。いわゆる「ザ・日本」とは、言葉使いや文化も風習も違うんです。そういう沖縄独自の文化を、僕自身が勉強しなくてはいけないという想いがある。今の若い子たちも、沖縄の大切な文化を知らずに育っていることが多いんです。
―それはご自身もそうでしたか?
ゴリ:はい。人間って自分のルーツを知らないと、根本的には自分に自信が持てないんですよね。自分はどうやって生かされて、いまの命がつながってきたのか、この命をどうやって伝えていくべきなのかということを、歳をとるごとに考えるようになりました。そういった意味でも、僕も40歳を超えて、人生の折り返し地点になった時に、これまで頑張ってきたものを沖縄に何か残せたらと思ったんです。それが「おきなわ新喜劇」につながりました。
―もともと「吉本新喜劇」に惹かれていたそうですが、どういうところが魅力だと思っていたのですか。
ゴリ:「吉本新喜劇」は、子どもからお年寄りまでが腹抱えて笑うんですよ。笑いに嫌みがないし、人も傷つけない。そういう笑いを沖縄に根づかせられたらといいなと思っていたんです。それって、「ガレッジセールが毎週沖縄でライブをやる」というのではない、僕らがいなくなっても「続いていくもの」。その「続いていくもの」を残したいと思いました。
―それは沖縄の民謡や舞踊など、沖縄で受け継がれている文化と同じように、ということですか?
ゴリ:そうです。ただ「吉本新喜劇」そのままだと、沖縄でやる意味はないんです。沖縄に来る観光客は、そのほとんどが「沖縄旅行に行ってきた、海キレイだった、ごはん美味しかった、美ら海水族館のジンベイザメ大きかった」という感想ばかりなんですね。そうではなく、沖縄の風習、文化を知識のお土産として持って帰ってほしいんです。そういう意味で「笑って学べる沖縄」をテーマとした「おきなわ新喜劇」の構想が生まれました。
沖縄出身の人じゃなくても笑えるものでありたい
―その構想はどのくらいからお持ちでした?
ゴリ:沖縄で沖縄の芸人さんを集めて「おきなわ新喜劇」をやりたいという想いは、もう5、6年以上前からですね。
―今では、沖縄本島と離島を含めた全国ツアーをはじめ、昨年からはワールドツアーもスタートしています。台湾での公演も大成功だったと聞いていますが、沖縄独自の内容を入れ込みながら、全国でも台湾でも通じる笑いを提供しているのは素晴らしいですね。
ゴリ:台本づくりで僕がすごく気にしているのは、沖縄の歴史、文化を伝えたいからといって、「勉強会」にしないことなんです。知識を入れすぎるとうざくなってくるんですよ。その加減はすごく気にしています。例えば米兵問題だとか、毛深い人が多いとか沖縄独特の笑いのネタも入れますが、沖縄出身の人じゃなくても笑えるものでありたい。よく芸人たちが身内ネタを入れてくることがあるんですが、それは全部カットしますね。
―あくまで沖縄を舞台として、外に発信していくんだ、と。
ゴリ:沖縄の人は笑うけれど観光客はわからないってことにはしたくないんです。僕が意識しているのは、沖縄のことを伝えることも大事なんですけど、結局、日本本土だろうが、台湾だろうが海外だろうが、人間が根本的に面白いことって共通なんだということ。そういう笑いを入れるように努力しています。
僕も芸人を21年やっていますけど、いまだに「笑い」の完璧がわからないです
―シーミー、ユタ、泡盛、沖縄そば、カンカラ三線など、沖縄にしかない言葉が舞台演目のテーマとなっていますが、脚本はどのようにつくられているのですか?
ゴリ:「吉本新喜劇」の脚本家と一緒につくっています。最初に僕が「今回のお題は『カンカラ三線』で、こういう歴史の問題を入れてください」とお題を投げるんです。それを元に基本の台本が来て、その細かいところを僕が足し引きして、完成版にして芸人に渡します。そこからまたどんどん変わっていく感じです。
―公演が終わるごとに出演者を集めてミーティングをされたり、台本を書き直したりされているそうですが、より良くなるために改良を重ねていくんですね。
ゴリ:ちょっとでも良くなる方向に毎回持っていきますね。少しでも笑いが広がりそうなら足しますし、少しでも良くなかったらカットします。演目は2ヵ月ごとに変わるのですが、同じ舞台でも会期の前半と後半では内容の1/3は確実に変わります。前半は前半で芸人が緊張感もってやっているので初々しい面白さがありますけど、後半は無駄のない洗練された笑いになる。
―それが「舞台」を踏む面白さですね。
ゴリ:台本だけだとわからないところがあって、これウケるだろうなと思ってもウケなかったり、逆もしかりです。僕も芸人を21年やっていますけど、いまだに「笑い」の完璧がわからないです。こう打ったら絶対に二塁打になるとかホームランになるとかわからない。だから舞台は面白いんです。お客さんの年齢層によっても違いますし。
―こういう舞台があることは、沖縄の若手芸人にとっても経験を積む素晴らしい場所になりますね。
ゴリ:スポーツでも何でもそうですが、試合の「数」が大事なんです。よしもとの芸人がなぜ強いのか、なぜアドリブに対応できるのかというのは、僕はやっぱりよしもとには常設の劇場があるからだと思うんです。その意味でも、沖縄にも劇場ができたことはとても意味があると思います。
沖縄の人は、東京で沖縄の人ががんばっているということが嬉しいんです
―「沖縄の人だけが笑うのがイヤだ」とおっしゃいましたが、確かにローカルネタばかりになると観光客には伝わりません。「誰もが楽しめるものを」というところに「おきなわ新喜劇」の目指す場所があるんですね。
ゴリ:沖縄だけでやっていきたいのなら、僕はそこにこだわることもすごく大切だと思います。ただ僕は、沖縄でもちろんやっていきたいんですけど、求めているのは観光客なんです。沖縄の観光の収入源のひとつとして、役に立ちたい。それと沖縄の若者たちの雇用をつくりたいんです。
―「おきなわ新喜劇」は、出演者だけでなく、舞台のスタッフも沖縄の方々を起用されているそうですね。
ゴリ:そうです。同時にいま、作家も育てています。最終的に沖縄の芸人だけの、沖縄の作家さんによる、沖縄のスタッフによる「おきなわ新喜劇」を当たり前にしたい。そして観光客も「沖縄に来たら美ら海水族館に行く」というのが「沖縄に来たら『おきなわ新喜劇」を見る」というふうになってほしい。子どもたちも大人になったら新喜劇の俳優になりたいとか、作家になりたいとか、そういうふうにしたいんです。大阪の新喜劇が文化として根づいているように。
―「一過性のもの」ではなく、「続いていくもの」をつくるというのはそういうことですね。
ゴリ:一過性のものでいいと考えたら、僕が目立つことしか考えないですよ。ガレッジセールで出て行けばいいし、後輩を育てる必要もない。後輩にも「お前はこういうキャラだから、こういう持ちギャグを持った方がいいよ」とか言う必要ない。でも、後輩も育ってもらわないと、その後輩が次はその下を教えていかなくてはいけないので。
―ゴリさんはいまも東京を拠点とされていますが、毎週末、「おきなわ新喜劇」の公演のために沖縄に戻っていらっしゃるんですよね。
ゴリ:沖縄の人は「東京で沖縄の人が頑張っている」ということが嬉しいんです。だから僕が沖縄に引き上げてくるわけにはいかない。僕が東京で頑張っているからこそ説得力も出てくるし、後輩たちにも教えられることもある。おばあちゃんたちと町で会ったりすると、「東京で沖縄の人が頑張っているのは誇りだよ!」って言ってくれるんですよ。やっぱり沖縄の人って、昔アメリカの統治下だったり、いろいろ差別されたりした時代もあったので、本土に対してコンプレックスがあったんです。だから「おきなわ新喜劇」を続けるためにも、僕たちは僕たちで(東京で)頑張らなくてはというのは実感していますね。
―それはゴリさんが若い頃に考える東京と、今の東京は違うんですね。
ゴリ:全然意識が違いますね。昔はただ、東京への憧れとか、東京でビッグになりたいなとかいう意味でしたけど、いまは本当にみんなが喜んでくれる面白いことを考え出していきたいし、沖縄に恩返しがしたいからこそ東京で頑張りたいと思うんです。
あと3年でおおよその形は見えると思うんです
―現在、「おきなわ新喜劇」の旗揚げから2年ですが、いまの手応えを教えてください。
ゴリ:正直、順調以上だと感じています。1年目は全国ツアーで成功して、2年目はワールドツアーもはじまり、沖縄でテレビのレギュラーもはじまったので、ひとつひとつ掴みたいものは掴んできているんですよ。
―それくらい、ゴリさんの中に進んでいきたい目標が明解に描かれていたということでしょうね。
ゴリ:もちろんいろんな人の協力があってこそだと思います。僕が夢物語を話すことを実現するために、いろんなスタッフが動いてくれますから。でもスタッフを動かすには、僕が熱を持ってやっていないと、「たいしてあいつ頑張っていないのに何言ってんだ!?」ってなる。僕も手を抜けないし、その頑張りを見てくれているので、周りも一緒に闘ってくれる。だから沖縄が幸せになるものを一個一個、掴んでいっているんだと思います。
―逆に今の「おきなわ新喜劇」の課題は何ですか?
ゴリ:今年の目標は完全なるキャラクター化ですね。例えば、池乃めだかさんの「ちっさいおっさん」いじりや、島木譲二さんの「パチパチパンチ」みたいな、子どもたちも学校でギャグを真似するようになるような、ひとりひとり芸人のキャラクターを際立てていきたいです。
―それができたら強いですね。
ゴリ:完璧です。どんな台本がきても絶対ウケますから。今年それができれば、次は唄や踊り、エイサーなどを取り入れて、沖縄色をさらに強化して、一気にミュージカル風にしてもっとショー的な要素を入れていきます。
―これまでのツアーなどでは、きいやま商店や古謝美佐子さんといった沖縄のミュージシャンとのコラボレーションも実現させたりと、音楽と笑いを結びつける試みも行っていらっしゃいますよね。
ゴリ:でもまだまだです。ひな鳥がちょっと翼を広げたくらいです。もっと、本当に、カンムリワシのように大きく翼を広げられるには……あと何年かかかるかな。でもあと3年でおおよその形は見えると思うんです。これまでの2年を含めて5年で形づくれれば、それの修正修正で細かく詰めていって10年で完成できると思います。あとはテレビもそうですし、全国に出ていって「こういう存在がある」ということを広めて、沖縄にいかに観光誘致するか。その10年が終わったら、僕の役割は終わりだと思っています。
―沖縄のため、未来のために、という使命感をゴリさんの中に感じます。
ゴリ:そういう意識でやっています。将来的には、テーブル席があって、お酒を飲みながらご飯を食べながら見られる夜のエンターテイメントショーにしたいんです。
―劇場ではなく?
ゴリ:開放感を求めて沖縄に遊びに来て、夜、お酒も飲めない、ぎゅうぎゅうの席で2時間座って、というのは、耐えられないと思うんです。「酒飲んで、飯食いながら、笑いを観られる」となったら観光客も来るはずなんです。その笑いの中で沖縄の文化も学べて、唄やエイサーも観れて、沖縄の総合的なエンターテイメントショーとして楽しんでもらえたらと思っています。まずは、劇場のイメージから変えていきたいですね。まだまだ時間もかかると思いますが、着実に進めていきたいと思っています。
- プロフィール
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- ゴリ(ガレッジセール)
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1972年沖縄県那覇市生まれ。1995年川田広樹とガレッジセールを結成し、東京を拠点に活動を続ける。2009年には初の長編映画『南の島のフリムン』の監督・脚本をつとめ、沖縄国際映画祭に出品。2014年には「おきなわ新喜劇」を旗揚げし、総合演出家、座長として、脚本の監修や舞台演出を行う。沖縄のこれからの笑いを担う重要な一人。また、ガレッジセールもその中心メンバーとなり毎年盛り上げている『島ぜんぶでおーきな祭 第8回沖縄国際映画祭』は4/21~24まで沖縄本島各地で開催される。
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