「断面の世代」の作家 束芋インタビュー

横浜美術館の開館20周年記念展として、12月11日(金)より約3ヶ月にわたって開催される『束芋 断面の世代』展。国際的な活躍も目覚ましく、まさに若手美術作家のトップランナーと呼ぶにふさわしいアーティスト、束芋による展覧会だ。折しも活動10年目となる今年は、彼女にとって大きなターニングポイントを迎える時期でもある。想像を超える、驚きにあふれた作品を生み出しつづける彼女の挑戦について、じっくりとお伺いした。

(インタビュー・テキスト:小林宏彰 撮影:ノダ)

「断面の世代」はペラッペラ?

「断面の世代」の作家 束芋インタビュー

─束芋さんの横浜美術館での個展が、いよいよ12月11日(金)からスタートしますね。現在、制作も佳境でしょうか?(注:取材日は9月29日)

束芋:大変な時期ですね〜。作業の方向性が決まってくると気持ちも楽になるので、作業量が多くても苦にならないんですが、方向性が決まらずに何もできないときが本当にしんどくって。それから、長野の山奥に住んでいるので、制作もそこでやっているんですが、ものすごく睡魔が襲ってくるんですよ(笑)。夜になると、家の周りに灯りが全然なくなって。おかげで制作が困難になっています(笑)。

─展覧会のテーマとして掲げられたのは、「断面の世代」という言葉です。1975年生まれの束芋さんが属する世代を、その上の「団塊の世代」と比較して出てきたというこのキーワード。いつ頃から構想があったのでしょうか?

束芋:「断面の世代」というタイトルを付けたのは、2008年の7月くらいです。私が思い描く展覧会のイメージを、姉に話したところ、とても的確な言葉で表現してくれたので、このタイトルをつけました。

─「断面」って、どういう意味なんでしょうか?

束芋:私が言う「断面」は、三次元のものを切断したときに出てくる、二次元を指しているんです。例えば、ここに太巻きがあるとします。太巻きじたいはとても分厚いですけど、切断面だけ取り出せば、すごくペラペラです。でも、そのペラペラな二次元を見ると、三次元の情報、つまり太巻きの中身を全て知ることができる。私たちの世代の特徴って、そういう「ペラペラなんだけど、全ての要素が詰まっている」ようなところだと思っているんです。

束芋《団断》(イメージ)2009年、映像インスタレーション
Courtesy the Artist and Gallery Koyanagi

─「断面の世代」は、ペラペラの世代…。

束芋:例えば、今のライターさんって、インタビューをして原稿を書くだけじゃなくて、カメラで撮影もするし、音声も書き起こすし、デザインをすることもありますよね。昔なら、それぞれのパートを分業していたと思うんです。でも今は1から10まで全てのパートをこなさなきゃいけないことが多い。こういうことで、「断面の世代」は、自分は何でもできると思えてしまう。

その反面、「団塊の世代」の方々は、細かく分業だった分、しっかりとプロフェッショナルだったかもしれない。たとえばそれぞれが太巻きのネタで言えば「お米」「海苔」「かんぴょう」「きゅうり」である、というように、キャラクターとしての特色をハッキリと持っているのが特徴だと思うんです。

─なるほど。それと比較すると「断面の世代」の方々は、そうしたネタを少量ずつ含んだ「太巻きの薄切り」だと。

束芋:そうなんです。こうした違いから、それぞれの世代で行動の仕方にも差が出ると思うんですよ。「断面の世代」は、集団よりも個を尊重します。集団で行動していても、気に入らないパートナーがいると「私抜けるわ」という選択をする。自分でなんでもできると思っているだけに、「ひとりでもやっていける」と思ってしまう。そういう「甘さ」が、私たちの世代にはあるんじゃないかなと。無理に太巻きになろうとして個をないがしろにするのではなくて、自分という個にとってよりよいと思える方向を選び取るのも特徴のように思います。

でも「団塊の世代」は、個よりも集団です。例えば「海苔」キャラのような、太巻きをまとめるリーダー的な存在がいないと、すぐにバラバラになってしまう集団ではあるのですが、まとまったときの瞬発力や力強さはすごい。常に集団という単位の中で、自分はどういう行動をすべきかを考えるんです。そういう違いがあるような気がしますね。

2/4ページ:私、腹が立ったときの方が前進できるんです。

腹が立ったときの方が前進できるんです

─作品をつくっていて、「団塊の世代」には自分の表現が伝わりにくいな、と思うことはありますか?

「断面の世代」の作家 束芋インタビュー

束芋:それは思いますが、これではいけない、とは必ずしも思わないんです。伝わりにくいということには、いい部分も悪い部分もあるので。ただ、自分の表現を理解してもらうために、「団塊の世代」の方々との共通言語を用いないといけないな、とは考えています。

今回の展覧会を行うきっかけになった『GOTH -ゴス-』展(2007-2008年、横浜美術館)に出品したとき、ある年配の記者の方からいい加減な質問をされて腹が立ったことがあるんですよ。でもそのとき、私自身も彼にはっきりと反論できなかった。どうにかして、自分の怒りを言葉にできないかなと思ったことが、今回の個展につながりました。なので、ある意味でその人の存在って大きかったのかなって。

─それはどんな質問だったんですか?

束芋:展覧会の出品者は、私と同じ30代前半のアーティストがメインだったんですね。彼らに共通していたのが、自分の肉体だとか手の届く範囲の事象を通して、広い世界につながろうとする感覚でした。でも、それによって表現しているテーマは、生や死といった、非常に普遍的なテーマだったんです。その記者の方は、表現方法は新奇に見えても、昔と変わらないことをやっているだけなのに、なぜこんなに大々的な展覧会をやる必要があるんだ?という質問をしまして。私はその言葉にすごく違和感を感じたんですよ。私たちのアプローチの仕方はこんなにも違っているのに、なぜ一緒だと感じるんだろうって。

「断面の世代」の作家 束芋インタビュー

そして、しばらく考えて出した結論は、私たちの世代は、そのアプローチの仕方を重視するということなんです。「団塊の世代」の方が「結果」を重視しているとすると、私たちはその「過程」を重視しているということが重要かもしれない。同じような目的を掲げているので同じに見えてしまうかもしれないけれど、見せたいのはそこではない。

─自分といろいろなことを共有している人と話すのは楽ですが、そうじゃない人と話して気づかされることもありますよね。

束芋:そうですよね。私はどちらかと言えば腹が立ったときの方が前進できるんです。なので、ムカつく経験をすることも重要だなと。

先日も、姉から送られてきたメールに、「あなたは自分の思い込みで物事を決めつけて、勝手に怒ったりしてるんじゃない」って書いてあったんですよ。それを読んだときは「そんなことない!」って思ったんですが、よく考えてみると、今回のテーマってそれなんだな、と気づいたんです。私が思い込みによって突き進んでいることが重要で、それが「断面の世代」の特徴なのかもしれない。ムカっとはしたんですが、そのおかげでテーマがまとまってきた。自分の持っている負の部分って、じつは重要な要素を含んでいるんです。人から指摘されたり気づいたりすれば、それを反映させることで、作品をより手触り感のあるものにできるんですよ。

3/4ページ:最初に思い描いていたビジュアルは、ほとんど残らないんです

今後の人生でも、こんなに難しい経験はそうそうない

─横浜美術館って、写真ではそんなに伝わってこないんですが、実際に足を運ぶと本当に広いんですよね。

束芋:そうなんですよ。たぶん、日本一使いにくい美術館じゃないでしょうか。この空間の広がりを、きっちり把握して制作しなきゃいけない。でも、そのやりにくさがむしろヒントになって、作品の形態につながってきているんです。今後の人生でもこんなに難しい経験はそうそうないだろうけど、クリアしたらかなり強くなれるんじゃないかと思います。

─空間のあり方って、お客さんの体験の仕方にもかなり影響してきますよね。

束芋:まず、美術館を入ったところにあるホールが、すごく広がりがありますよね。あそこをしっかり演出しないと、展示の世界に入り込んでもらえないんです。自分の作品を単に観てもらえればいいというのではなく、例えば待ち時間が長過ぎても問題だし、逆に長時間並んでから見てもらった方がいい作品もある。そうしたお客さんの状態なんかを想像しつつ、自分が見たいと思える形態を探しているところです。

最初に思い描いていたビジュアルは、ほとんど残らないんです

─束芋さんの作品を拝見していると、よくハッとしたり、ドキっとしたりすることがあるんです。それは言葉で説明できないような驚きです。例えばこの『油断髪』であるとか。作品はどんなふうに発想をされているのでしょう?

束芋《油断髪》(イメージ)2009年、映像インスタレーション
Courtesy the Artist and Gallery Koyanagi

束芋:私自身、出来上がっていくのが楽しみなんですよ。作品を組み上げるまで、ひとつひとつの要素は別物として存在しています。髪の毛は髪の毛、家具は家具、手は手というようにバラバラに描いていって、画面上でどんな大きさで使うのか、どんなふうに色をつけるのか、行きあたりばったりで決めていきます。今回は5点の映像がありますが、似たような印象を与えたくないので、まず色の付け方や空間構成、展開についてさまざまなタイプをピックアップし、個々の作品にルールを設定するんです。そこに私自身が新たなルールを付加していきます。最後の最後までどんどん変化させるので、最初に思い描いていたビジュアルは、ほとんど残らないんです。それが私にとって驚きがあり、楽しめる作り方なんですよ。

─そうして出来上がる束芋さんの作品には、どれもご自身が「ねっとり感」と表現されるような、独特のナマっぽい手触り感がありますよね。これはどうしてなんでしょう?

束芋:私には、「ねっとり感」のある作品しかつくれないんです(笑)。テレビで放映されているアニメ、例えば『ドラえもん』を観ても、今はいかにもコンピューターでつけたような色をしていますが、そうした表現には全然興味が無くて。学生のときに講義で来てくださった、グラフィックデザイナーの粟津潔さんが、「今の人たちは、光の色しか見ていない。光の色と、印刷の色は違うんだ」とおっしゃっていたんです。それを聞いたとき、私たちは粟津さんの言う印刷の色のような、実際に触れることができる手触り感のある色に飢えているんだって気づいたんですよ。

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束芋《油断髪》(イメージ)2009年、映像インスタレーション
Courtesy the Artist and Gallery Koyanagi

─ただ、制作にはコンピューターを使われていますね。

束芋:制作をする上で、コンピューターは必要になってくるんですが、アナログ的な使い方からは離れたくない。「団塊の世代」くらいの方々が、若い頃イマジネーションを広げるのにドラッグに頼っていた人がいるように、私はドラッグをコンピューターに置き換えて、自分の世界をどこまで広げられるのか、実験している部分があります。できあがったルールを自分の意志ではなく、コンピューターによって壊す。それによって、頭の中では絶対に組み合わせられないイメージを提示することができるんです。今回の展示作品に、足の親指から花が咲くという映像が出てくるのですが、その作品にしても、自分の想像の中だけではつくれなかった部分ばかりです。花は花で描き、足は足で筋肉や骨を緻密に描いて、コンピューターの画面上でさまざまな組み合わせ方をじゃんじゃん出しながら作っていくことで可能になる表現もあるのです。

4/4ページ:身の周りに目を凝らすことで、オリジナリティを出せる

身の周りに目を凝らすことで、オリジナリティを出せる

─展覧会では、芝居や音楽、ダンサーとのコラボレーションもありますね。

束芋:そういったことは以前からやりたいと思っていたんですが、正直、アーティストのやるパフォーマンスって嫌いなんですよ。面白いと思えたことがこれまでなくて。やるなら、それぞれのジャンルで活動するプロフェッショナルな人たちと、クオリティはもちろん、エンターテイメント性を重視したものをやりたいと思っていました。アーティスティックであり、なおかつエンターテイメント性を内包することは、難しいとは思いますが、為し得ると思います。観ていてワクワクするような作品だということは私にとって重要で、それが今回できそうな気がするんです。

ダンスパフォーマンスに関しては、ダンサーの康本雅子さんや、音楽をやってくれるTuckerさん、そして私にとっても新境地になるものをつくれたら、と思っています。舞台のほうは、数年前から興味をもって観させていただいていたWandering Partyという劇団の方が、私の心にずっとへばりついて離れない作品『total eclipse -トータル・エクリプス-』を上演してくれます。今回の展示コンセプトを練り上げる上で、とても重要なきっかけを作ってくれた作品です。舞台と展覧会を両方観ていただくことで、私の作品の印象も、より厚みを増したものになると思います。

「断面の世代」の作家 束芋インタビュー

─横浜美術館という空間に実際に来て体験することで、その魅力を理解できる展示になりそうですね。

束芋:今後、同時に新作5作品を展示するようなことはなかなか難しいと思うので、私にとって非常に重要な展示になるはずです。言葉で説明をしようとしてもできないような作品だし、ぜひ会場に足を運んでいただき、体験してみてほしいですね。

─束芋さんは、もともとデザイナーの道に進むことも考えていらっしゃったそうですが、アーティストになることを選択したのには、どんな理由があったのでしょう。

束芋:デザイナーとしてやっていくためには、経済的にも回っていかなきゃいけないし、商品を売ることに直結したデザインをしなきゃいけない。その上で、素晴らしいデザインとして目に留まるものをつくる必要があります。そこには、消費者とクライアントの間にいて、双方のオーダーを叶えるハードルの高さがあるんですが、アートならば、ただ私が納得できればいいんですよ。例え売れなくても、私が良いと思えるものならばそれでいい。デザイナーとアーティスト、どちらも自分の強い意志がカタチになるという点では同じだとすれば、この点だけとるとアートの世界の方が、断然ハードルが低いと思うんです。自分が良いと思えなくても売れるデザインが作れればそれでいいという方ならば、全くスタンスが違ってきますが、私にはアートの方がやりやすいんです。

─では最後に、束芋さんから、若いクリエイターの方にメッセージをいただければと思います。

束芋:最近、私は「当たり前」という言葉が嫌いなんだ、ということに気付いたんですよ。当たり前だと思い込んでいることをそう考えなかったら、もっともっと面白い世界が広がっているんじゃないかな、と。それは思い込みでしかないかもしれないけど、当たり前だと思ってきたことをもう一度考え直してみることで、些細なことが原動力になったり、作品のモチーフになったりするんです。世界平和や人権問題といった大きいテーマに取り組むのもいいですが、身近にいろいろなモチーフは転がっています。身の周りにもっと目を凝らしてみることで、オリジナリティを出していけるんじゃないかなと思いますね。

イベント情報
横浜美術館開館20周年記念展
『束芋 断面の世代』

2009年12月11日(金)〜2010年3月3日(水)
会場:横浜美術館
時間:10:00〜18:00まで(金曜は20:00まで、12月25日を除く)※入館は閉館の30分前まで
休館日:木曜日(2月11日(木・祝)は開館)、12月29日から1月1日、2月12日

関連イベント
康本雅子×Tucker×束芋 ダンス・ライブ『油断髪』

2009年12月25日(金)OPEN 18:30 / START 19:30
会場:横浜美術館グランドギャラリー
料金:前売3,000円 当日3,200円 ※残席がある場合のみ(全席自由、1ドリンク付き)
定員:280名
※開演前(18:30から19:30まで)に展覧会を鑑賞可能

演劇公演 WANDERING PARTY
『total eclipse -トータル・エクリプス-』

2010年1月16日(土)14:00 / 18:30
2010年1月17日(日)14:00
会場:横浜美術館レクチャーホール
料金:前売3,000円 当日3,200円(全席自由)
定員:240名
※展覧会チケット付

プロフィール
束芋

1975年兵庫県生まれ、長野県在住。1999年、京都造形芸術大学卒業。アーティスト名は、本名が田端で、さらに次女であったことから「田端の妹」、略して「タバイモ」と呼ばれていたことに由来する。1999年、大学の卒業制作として制作したアニメーションによる映像インスタレーション作品『にっぽんの台所』が、キリンコンテンポラリー・アワード1999最優秀作品賞を受賞。2001年には、第1回目の横浜トリエンナーレで最年少の作家として、『にっぽんの通勤快速』を出品。2002年、五島記念文化賞新人賞受賞により、翌年、ロンドンで一年間研修を行う。2002年、サンパウロ・ビエンナーレや、2006年、シドニー・ビエンナーレ、2007年、ヴェネチア・ビエンナーレ(イタリア館)など数々の国際展やグループ展に出品を続け、日本を代表する映像インスタレーション作家の一人として注目を集めている。2006年、原美術館やパリのカルティエ財団で個展を開催。2009年12月11日より、横浜美術館にて『束芋 断面の世代』を開催。束芋にとって初の国内公立美術館での個展となる。



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