アイヌ音楽の可能性を広げ続けるミュージシャン・プロデューサーのOKIと、沖縄民謡界の女王として知られる大城美佐子。この距離的にも、音楽性においても、大きく隔たりのある2人の音楽家が、お互いへのリスペクトと理解によって作り上げた『北と南』。この作品はOKIにとって、沖縄音楽へのチャレンジであっただけでなく、「3月11日以降、初めて発表される作品」という点において、非常に重要な作品となった。
我々は社会に属している以上、巨大な経済のシステムに関わらざるを得ない。原発事故の問題も、アイヌの先住民族の問題も、その根本にあるのはこのシステムの問題であることを、OKIは語気を強くして語ってくれた。そして、恐怖に屈せず、意識を高く持つことが重要であると。もちろん、このシステムの問題は、とてもとてもすぐに解決できるような問題ではない。しかし、『北と南』という作品が示している「相互理解」と、OKIがアイヌ音楽を自らに取り戻すために行った「自らのシステムを作る」ということは、現状のシステムの中でよりよく生きるために、非常に重要なことなのではないだろうか。
今回費やした時間の半分以上は、曲を理解することに使いましたね。沖縄マナーっていうものが、すごく新鮮だったので。
―これまでOKIさんと沖縄の接点はどの程度あったのですか?
OKI:前から結構行ってはいて、しばらくブランクがあったんだけど、一昨年ぐらいからまた少しずつ縁ができてて。
―ライブをしに行ってたんですか?
OKI:いや、友達に会いに行ったりとか、そういうプライベートなことなんだけど、それでまた沖縄が近くなってきたなって思ってたときに今回の作品の話が来たんです。
―じゃあ、タイミング的にはちょうどよかったと。実際、レコーディングも沖縄で行われたんですよね?
OKI:沖縄には行ったんですけど、そのときは大城さんが風邪をひいちゃって、1曲も録れなかったんですよ。そのとき録ったやつで行くっていう考えもあったんだけど、「仕切り直して、録り直そうよ」って話をして。結局、その後で大城さんが別でスタジオに入って、もう一度録音したんです。
―段階を踏んだ、大変な作業だったんですね。
OKI:まあCD1枚作るのなんて、どっちにしろ大変なんで、どうってことないんですけどね。そういうのが全部あって、今の結果があるんで、無駄にはなってないんです。
―制作にあたって、大城さんとはどんな話をされたのですか?
OKI:特にしてないです。今回は「どうアプローチしよう」とかも全然なくて、それ以前に曲を僕が理解しなきゃいけなくて、今回費やした時間の半分以上は、曲を理解することに使いましたね。沖縄マナーっていうものが、すごく新鮮だったので。
OKI
―OKIさんは今回に限らず様々な文化の音楽と接していらっしゃると思いますが、まずは「理解する」ということが何より重要になるわけですよね。
OKI:そうですね。それをどう作品に発展させていくかっていうのは、感覚とか感情だと思うんです。今回一番大事だったのは、大城さんをどれだけ生かせるかなので、それを目標にやりました。
―本作の主役は、あくまで大城さんだと。
OKI:そう、“北と南”っていう僕の曲はオマケ(笑)。僕は大城さんのアルバムを1枚プロデュースしたっていうつもりなんですけど、しゃしゃり出てしまってるんです(笑)。
これで沖縄の扉が開いた感じ。大城さんが紹介してくれたわけですよ、「沖縄来てもいいよ」って(笑)。
―アイヌと沖縄の文化には、共通点・相違点があると思うんですけど、それぞれどんな部分に感じられましたか?
OKI:今回のは大城さんと僕の個人的な付き合いで生まれたアルバムだと思ってるから、その背後の僕たちの文化をわかり合えたりするのは、これからのような気がしてます。これを作る前と作った後では僕の沖縄に対する感覚が変わってて、より近い感じになっているので、次にまた行くのが楽しみなんですよね。
―逆に言うと、以前まではまだ少し距離がありました?
OKI:気にはなってたんですよ。だって、僕名前がOKIでしょ? しかも苗字じゃなくて、名前が漢字で「沖」だから、「何かあるな」とは思ってて(笑)。それがこういう形で、トップランキングの歌手と一緒にできたっていうのは、ホント光栄ですね。これで沖縄の扉が開いた感じ。大城さんが紹介してくれたわけですよ、「沖縄来てもいいよ」って(笑)。
―やっと沖縄の上陸許可が出たと(笑)。
OKI:まあ、北と南でいじめられっぱなしな俺たちだからさ、そういう歴史的な共通点はあるけど、それをことさらに強調するような作品は作ってないから。
―音楽的な面ではどうですか? 沖縄マナーはすごく新鮮だったとのことでしたが。
OKI:バックグラウンドからして全然違うんですよね。ただ、沖縄のリズム、三線とか太鼓の絡み方を注意深く聴いていくと、中国大陸も越えちゃって、アフリカぐらいまでたどり着く感じがして。トンコリ(アイヌの伝統弦楽器)も、リズムを突き詰めるとアフリカ的な要素が構造の中心にあるんです。逆に言うと、それぐらいさかのぼらないと共通点がないんですよね。
―アフリカっていうのが興味深いですね。
OKI:人類が生まれたところだからさ、音楽も全部あそこで生まれてるんだよね。まあ、アイヌと沖縄って人権問題とかではお互いリンクした取り組みをしてて、交流もあるんだけど、そういうのはあくまで音楽以外の話で、今回これがアイヌ人と沖縄の人が一緒に取り組んだ初のアルバムだってことは間違いないでしょうね。マイナス20度ぐらいの真夜中に、この曲(沖縄民謡)を何万回も聴いたわけですよ(笑)。
一番の問題は金持ちが作ったシステム、俺たちが単なるATMみたいになっちゃってるってことなんですよ。
―本作の主役はあくまで大城さんというお話がありましたが、OKIさん自身は今回の作品にどんな感情を抱いていらっしゃいますか?
OKI:2011年3月11日以降、オフィシャルで発表される初の作品なので、下手なのは作れないっていうのはすごくありました。下手なの作ると、東電とかああいうシステムの連中に負けちゃうと思って、その気持ちが一番強かったですね。「絶対いいものを作るんだ」って、自分の中でハードルをどんどん上げていったんで。
―原発事故以降の社会状況に対するリアクションとして、パワーの強い作品を作ろうというモチベーションがあったわけですね。
OKI:1曲目の“固み節”は祝いの席でやるような、2人の男女の強い愛情を意思表明する曲なんですけど、ひとつひとつかみしめて歌うような大城さんの言葉の裏に、ゆるがない強さがあったんです。アレンジが固まってくるに従って、そこにもうひとつのストーリーが生まれてきて。
―つまり、曲本来の愛情を表明する強い気持ちが、現在の社会に対する強い気持ちにもつながったと。ちなみに、そういったことについて、大城さんと話したりは…
OKI:しないよ(笑)。俺たちミュージシャンだから、言語化はしない。特に大城さんは心と体が一体化して歌になってる人なんで、僕の仕事は大城さんがリラックスしてレコーディングに向かえて、満足できる声を出す雰囲気を作ることだったの。で、休憩の合間にTwitterを見て怒りに体を震わせながら、またレコーディングに向かうっていう繰り返しでしたね(笑)。
―原発問題を含む今の社会状況に対して、アイヌの視点も交えた、OKIさんなりの見方をお伺いしたいのですが。
OKI:国連で先住民族のパーマネントフォーラムっていうのが毎年開催されるんだけど、去年そこで今の日本の状況についてのステートメントを提出したのね。結局先住民族と非先住民族の摩擦点って何かって言ったら、「金持ちの、金持ちによる、金持ちのための地球」っていうのが、今のコンセプトなんですよ。それは18世紀よりもっともっと前から始まってることなんだけど、今その総仕上げをしようと金持ちたちが焦ってると思う。そういう巨大なシステムの犠牲は、僕らから始まったんですよ。それで、他の先住民族のブラザー&シスターズに「日本こんなことやってるんだぜ」って言いつけたんです(笑)。
―つまり、先住民族への弾圧の構図も、今の日本で起こっている強い者と弱い者の構図も、どちらも同じだということですよね。
OKI:そう、もはやアイヌ民族の問題っていうのは存在しないというか、1番の問題は金持ちが作ったシステム、俺たちが単なるATMみたいになっちゃってるってことなんですよ。それはアイヌも沖縄も、みんな共通した問題に直面してるので、今はアイヌの問題をことさらに強調する時期ではないと思ってるんです。
―なるほど。
OKI:ステートメントには、発電所がぶっ壊れたことによって、日本はやっと目覚めることができたってことを書いた気がしますね。ただ、目覚めたときに感じた怖さは、終わりの始まりだったっていう。ボブ・マーリーが“Time Will Tell”って曲で言ってたよ。「天国に住んでると思ってるかもしれないけど、ホントはそこは地獄なんだぜ、いつかわかるさ」って。
3月11日以降、1年以内に出たアルバムがダサかったら終わりだと思ってた。
―巨大なシステムに誰もが関与せざるを得ない非常に困難な時代の中で、それでも「目覚めた」という事実は大きな一歩ではありましたよね。
OKI:あとはどれだけそういう人が増えるかだと思うけど、残念ながらまだ日本人のかなりの数の人が無関心ですよね。
―OKIさんは音楽を通じて若い人と接する機会も多いと思うんですけど、彼らに意識の高まりは感じますか?
OKI:一言では言えないなあ…もちろん若いやつの中には熱心なやつもいれば、そうじゃないやつもいると思うけど、でも電話代払うのに一生懸命な子が多いんじゃないかな…。バカなテレビ見て、Yahoo!ニュースぐらいが情報源だったりすると、もうアウトだよね。
―二極化してることは間違いないですよね。能動的な人と、受け身な人と。
OKI:さっき無関心って言ったけど、それって恐怖に屈した姿でもあるんだよね。「安全だ」「心配ない」「あれはデマだ」って、政府が奨励してるわけで、それって「一番楽なのは何か、君たちは知ってる? この薬飲んじゃえばいいんだよ」みたいのに近いのかもしれない。それは「恐怖に屈する薬を飲みなさい」ってことで。
―ああ、なるほど。
OKI:それを飲んだ人がたくさんいるわけですよ。だって怖いもん、こんな話してたって。だから、無関心なんじゃなくて、大部分の人は恐怖に屈して、何事もなかったように平然と生きてるんだと思う。
―そういった状況を前にして、OKIさんは音楽活動を通じてどういったアクションをお考えですか?
OKI:「原発反対!」みたいな曲もありだと思うし、それが一番わかりやすいんだけど、今回はそういう形ではやってなくて。ただ、3月11日以降、1年以内に出たアルバムがダサかったら終わりだと思ってたから、音と音の行間に自分の感情、気持ちっていうのを滑り込ませるっていうのはやったつもりなんです。
今はアイヌの音楽を取り返したから、あとはいい作品を作り続けて、文句を言わせない。そのためにも、『北と南』を作ったわけですよ。
―では最後に改めて、『北と南』について聞かせてください。さきほど“北と南”はオマケという話がありましたが、アルバムタイトルにもなっていて、テーマ曲的な部分もあるのかなって思ったのですが。
OKI:いや、コンセプトを作ったのはディレクターだから(笑)。まあ、全然アイヌ的な曲ではなくて、ポップスなんだけど、1曲目から3曲目(3曲目が“北と南”)まで意外と違和感なくつながったので、それはよかったなって。今回作るにあたってTHE BEATLESの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』をよく聴いてたんだけど、あれいきなりインド音楽出てくるからね(笑)。全然それでいいのよ。
―資料にもありましたが、「誰もやってないことをやろう」っていうのはOKIさんの基本姿勢なわけですよね?
OKI:そうですね。それがすごく奇抜なものかっていうと全然そうじゃないんですけど、でも「このアプローチはなかった」っていうことはしてると思う。
―さらに言えば、それは伝統文化を継承しつつ、さらにそれを新しいものに更新していくということですよね。
OKI:世界中のミュージシャンがそれをやっているはずで、やらない方がおかしいんですけど、ただアイヌはやらないんだよ。トンコリはこういう弾き方で、こう持って、この曲でって、そればっかりやってるの。大きなレコード会社のプロデューサーが北海道に来て、トンコリのレコードを出したこともあるけど、タイトルが『滅びの五弦琴』だったから(笑)。
―ああ…、そうなってしまうわけですね。
OKI:「私が残してあげます」みたいな上から目線で、そこにはエンタテイメントがない。でも、沖縄は戦前からバイオリンが入っちゃってますからね。ミクスチャーなんですよ、やっぱり。だから、俺がやってることは普通のことで、アイヌ音楽をやってるやつは、アイヌ音楽以外を聴かなきゃダメだと思う。孤立しちゃうからさ。
―やっぱり、そういうプロデューサー的な視点が重要なんですね。
OKI:そう、レーベルを作って、配給も自分たちでやる。じゃないと、『滅びの五弦琴』を作られちゃうから。それが嫌だったから、俺はアイヌの音楽を取り返すつもりでやってたわけ。もう今は取り返したから、あとはいい作品を作り続けて、文句を言わせない。そのためにも、『北と南』を作ったわけですよ。
- リリース情報
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- OKI meets 大城美佐子
『北と南』 -
2012年3月14日発売
価格:2,800円(税込)
Tuff Beats / UBCA-10261. 固み節
2. 恋語れ
3. 北と南
4. 南洋浜千鳥
5. ヨー加那よー
6. レッドおじさん
7. ランク節
8. ヒンスー尾類小
9. ヤッチャー小〜泊高橋
10. 南と北
- OKI meets 大城美佐子
- プロフィール
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- OKI
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アサンカラ(旭川)アイヌの血を引く、カラフト・アイヌの伝統弦楽器「トンコリ」の奏者。アイヌの伝統を軸足に斬新なサウンド作りで独自の音楽スタイルを切り拓き、知られざるアイヌ音楽の魅力を国内外に知らしめてきたミュージシャン/プロデューサー。ここ数年オキが取り組んでいるプロジェクトの一つ「オキ ダブ アイヌ バンド」では2005年以降、アジア、アメリカ、ヨーロッパなど世界各地をツアーし、世界最大規模のワールドミュージック・フェスとして知られる WOMADや、日本国内でも数多くの夏フェスに出演。2012年には、OKIのドキュメンタリー映画『DUB AINU』(仮題/企画・製作 シネグリーオ)が公開される予定。
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- 大城美佐子
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大阪市大正区生まれ、名護市辺野古育ち。知名定男の父、知名定繁に弟子入りして民謡の道に進む。1962年シングル「片思い」でデビュー。やがて三線1本を抱えて東京、神奈川、大阪など内地を長らく彷徨の後、沖縄に戻り、民謡界の至宝、嘉手苅林昌とデュオを組む。林昌をして「コンビ唄はミサーに限る」と言わしめたほどの名コンビとして活躍。数々のライブやレコーディングに伝説を残す。2007年に芸能生活50周年を迎えるもなお、変わらず多方面での活動を続けている。
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