活況をなす東京のシンガーソングライターシーン界隈で、重鎮として後進に多大な影響を与え続けている豊田道倫。その豊田とも交流のある若手の1人であり、いまや独自の歌世界を花開かせつつある大森靖子。シンガーソングライターという人種は2人も集まれば、たいてい辛口で本音をつかませないのがフォーク世代からのお約束だが、それぞれ『m t v』(豊田道倫)、『魔法が使えないなら死にたい』(大森靖子)という充実した新譜をモノにしたことで、ミュージシャンとしてのあり方や歌の行方についてストレートな言葉を交わし合ってもらった。
加地等くんの死が、音楽誌の端っこにも載らなかったことは、疑問に思ってますよ。(豊田)
―今日は2人ともちょうどアルバムが出たということで。
豊田:(『魔法が使えないなら死にたい』の)ジャケットある? ぜんぜん覚えてへんからさ。
大森:ウソつき。あれだけ否定してたんだから、覚えとるでしょ?
―豊田さんからジャケットにダメ出しがあったんですか?
豊田:特にないよ。
大森:デザインを見せたら「オマージュみたいなジャケは良くない」って言われた。
―『勝訴ストリップ』(椎名林檎)と構図が似ている件ですね。
大森:「あ、そうなんだ」と思ってたら、豊田さんのアルバムなんて、『m t v』ってタイトルからしてオマージュだし(苦笑)。
―My Bloody Valentineの『m b v』に倣ってますからね(笑)。2人が知り合ってから、けっこう経ちますよね?
豊田:もともとは2007年か。当時、大阪に住んでた加地等くん(豊田と同じ歳のシンガーソングライター。2011年逝去)が、ぼくの東京のライブにふらっと遊びに来てくれて。そのとき彼の表情がすごく明るかったんですよね。聞いたら、高円寺に引っ越してきて、もう1回青春みたいなことになってると。それから無力無善寺でツーマンライブをやったりすると、加地くん周りの若い連中もちょこちょこ来るようになって。ケバブレコードの岡(敬士)くんとか。その中に大森さんもいたんですよね。
豊田道倫
大森:最初は、岡くんから「加地さんっていうすごい好きな人を大阪から呼んできたから、一緒に遊んであげて」みたいなことを言われて。一緒に加地さんの家に行ったら、ビールの空き缶だらけで、布団の下にエロ本が隠してあったりして……(笑)。
―たしかに当時、豊田さんや加地さんの周りに急にフォーキーな若者が増えた記憶があるんですよね。それこそケバブの岡くんを始め、大森さん、カミイショータくん、水野寝地くん……。
豊田:あと、前野(健太)くんも加地くんのことをすごく好きだったよね。そう思うと、局地的だけど、東京に出てきたことでちゃんと加地くんの音楽を聴く力を持った人たちが周りにできていたと思うんです。大阪じゃ、加地くんのことを話すやつは誰もおらんかったからね。「ああ、あいつか」みたいな感じで。実はぼくも、彼の音楽をいまだに把握できていないところがある。それが東京には、前野くんとか大森さんみたいに、加地くんの表現のキモを感じとって、ビビッと反応してくれる人たちがいた。しかもここにきて、そうした人たちがすごく充実した音楽活動をしているのを感じますね。
大森:当時、豊田さんは「加地くんは若い子と仲良くしていてうらやましい」ってよく言ってましたよね。
豊田:言ってたかも。あの頃のぼくは子どもが生まれた頃で、あまり外に出歩かなかった時期だったから。
―今回アルバムを出すにあたって、2人とも長文のセルフライナーノーツを書いてますけど、両方に「加地等」の名前が出てくるのが印象的だったんです。そこに2011年をまたぐ時間の流れや、加地さんの遺したものの大きさも感じて。
豊田:(加地等の死については)音楽誌の端っこにも載らなかったけどね。そのことに関しては、音楽ライターたちはアホやと思ってますよ。
だって聴いてほしいですもん。ファミマのゴミ箱の前に座っているギャルとかにも。(大森)
―大森さんは、豊田さんの『m t v』はどんなふうに聴きましたか?
大森:すごく気合いが入ってる、みたいなことを聞いてたから、とんでもないのがくるかと思ってたら、意外と抑制が効いてて、それが逆にすごいと思いました。発売日を3月21日にずらしたのは、「20日が仏滅だったから大安の21日にした」って言ってたけど、ホントそれだけの理由なんですか?
豊田:うん、ゲン担ぎね。あと、大瀧詠一の『A LONG VACATION』の発売日でもある。
大森:マスタリングはアビーロードスタジオでやるって言うから、「お土産ください」って頼んだら、「オレは日本にいる」って(笑)。
―ファイルのやりとりはメールで済んでしまったそうですね(笑)。
豊田:これまでずっとマスタリングは大森さんも手がけているピースミュージックに頼んでたんですけど、今回は「ちょっと違うな」と思ったんですよね。自分が日本にいるという意識がなかったんで。
大森:どういうことですか?
豊田:いや、普段聴いているのも洋楽ばっかりやし、ちょっと青春時代に戻ったというか。「オレ、ケヴィン・シールズと普通に付き合えるな」みたいな、そういう錯覚があった。制作中はひたすら籠もって、マイブラばっかり聴いてたし。
―『m t v』が出るまで、ライブ出演も控えめにしてましたよね。
豊田:それもあって、いい声になったと思う。ぼくの場合、あまりライブをしないほうが録音では良く聴こえるんですよ。EPの『The End Of The Tour』も、最初にフォークギターで歌って、その一発目のボーカルテイクに、後からバッキングを被せてるんです。あのときも全然ライブしてなかったらから声の調子は良くなかったんだけど、音源だと意外に良く聴こえる。
―一方で、同じ時期、大森さんはライブをやりまくってましたよね。
大森:ライブのオファーを、厳選するか、全部受けるかのどっちかにしようと思って。わりと周りのミュージシャンは、月イチくらいでいいイベントにだけ出て名を上げていくみたいな感じが多いんですけど、みんなと一緒はイヤだなと思って、「じゃ、全部出よう」と。月に20本とかライブを演って。
大森靖子
―ただ、前作の『PINK』はライブの勢いをそのまま活かした音源でしたけど、『魔法が使えないなら死にたい』はもう少し録音物として意識された音作りになってますね。
大森:そこは意識しました。録音の最初のほうの段階でエンジニアの馬場(友美)ちゃんに「ライブ音源みたい」って指摘されて、これじゃダメだと。もっと「知らない人の部屋で流れる」ってことを想像しなきゃって、考え直したんです。
―豊田さんは『魔法が使えないなら死にたい』はいかがでした?
豊田:そうね、たしかにいっぱいライブをやって、いろんなタイプのバンドやシンガー、たぶんヒップホップの人もいたと思うし、そうした人たちとやってきた中から、自分の武器をつかんだレコードだと思いましたね。正直、ゲストの演奏はアマちゃんばっかやし、最後の電子音とか、個人的には聴いてられない音ですよ。でも、そのゆるい音と大森さんの存在感のコントラストがいい。
―「脱法ハーブ」とか「きゃりーぱみゅぱみゅ」とか、歌詞に積極的に固有名詞を取り込んでいるのも面白いですね。
大森:その言葉を言いたいがために、曲を作っているみたいな感じもありますからね。
―しかも、そうした言葉を速射砲のように矢継ぎ早に詰め込んで。
豊田:いま、いそうでいない感じかもしれないね。
―豊田さんの固有名詞の使い方も独特ですけどね。「スーパー玉出」とか。
大森:玉出は大阪の人じゃないと分かんないですからね(笑)。
豊田:分かんないからいいの。いつか行ったときに「これか」って気づくと妙な感動があるらしいですよ。
大森:たしかにある。「あ、これが玉出か!」って(笑)。
―大森さんはアイドルも好きですけど、いまのアイドルソングって曲も歌詞も相当ユニークじゃないですか。それらと自分の作る歌は違うものですか? それとも同じ?
大森:そこは別物だと思ってますね。アイドルは、本人と与えられた曲との関係が面白かったりするから。私の場合は、曲がもう少し自分に寄っているので。
豊田:大森さんの歌の情報量や感情の強さって、雑誌やネットにはないものでしょ。そこがいいよね。シンガーの大森靖子というよりは、もっとパッケージアーティストって感じがする。
大森:音楽ファンじゃない人にも聴いてほしいですからね。
―たしかにコンビニで<B.L.Tみたいな CanCamみたいな ジャンプ spring smartなうた>って歌詞が流れてきたら、音楽ファンじゃなくても「何だこの曲?」ってなりますからね。
大森:だって聴いてほしいですもん。ファミマのゴミ箱の前に座っているギャルとかにも。
30歳まで、ライブのギャラは最高5,000円でした。どんなビッグなミュージシャンの前座をやっても、「お前、5,000円やるわ」で終わり。ライブでカネを稼げるなんてことが、まずなかった。(豊田)
豊田:ぼくが一番最初に作った音源が95年の『ROCK'N'ROLL 1500』で、25歳だったんですよ。いまの大森さんたちを見ていると、あの頃は自分もイケイケだったな、とか思い出しますね(笑)。
大森:でも、私は23歳ぐらいのときはすごく焦っていた。周りのミュージシャンもどんどん売れていくし、「ダメだ、どうしよう……」みたいなメールを豊田さんに送ったこともあって。そしたら「オレが初めてライブしたのは23歳だから大丈夫」ってメールが返ってきて、ちょっと助かったことがあったんです。ただ、「でも、私は女だし……」っていうのもあって。男性ミュージシャンとはやっぱりちょっと違うんですよね。
豊田:ま、たしかに80年代、90年代の女性ミュージシャンって、あるキャリアの道筋があったとは思いますね。最初にピークがきて、あとはどっか行っちゃって、いまは地方でちっこいスクールやってる、みたいな。でもそれとは違った流れで、ずっと歌っていくことのできる人たちがこれからは増えていくんじゃない?
大森:誰かいますか? 女性のミュージシャンで。
豊田:いや、具体的にはわからないけど、男女問わず、昔はメジャーで使われてポイッと捨てられるような人が多かったけど、そうじゃなくなってきてるでしょ。自分の状況をもっとしっかり把握してるっていうか。CDが何枚売れてるとか、今日は何人お客が入ったからチャージバックはいくらとか。
―豊田さんは一時期メジャーレーベルに在籍してましたけど、そのへんの感覚は違いましたか。
豊田:全然違いますね。ぼくなんて30歳まで、ライブのギャラは最高5,000円でしたよ。どんなビッグなミュージシャンの前座をやっても、「お前、5,000円やるわ」で終わり。ライブでカネを稼げるなんてことが、まずなかった。CDだって、メジャーで最高5,000枚売りましたけど、印税は30万円ぐらいでしたよ。だから、いまの若い子たちがインディペンデントでカネを回して自活しているのはすごいと思う。ただその反面、それでいいのかな? ってふと思ったりもしますね。
大森:豊田さんは理想がロックスターだから(笑)。わたしは「スターでありたい」みたいなものが全然ないんです。それに90年代のメジャーと現在のメジャーでもずいぶん違うじゃないですか。アイドルですらCDを手売りして頑張っている時代ですよ。そうじゃないとCDは売れないし、それで当たり前っていう感覚がありますね。
豊田:たしかに業界の構造が変わったのはあるかもね。あと、いまは地方のライブハウスの情報を交換したりするでしょ? 「自分、あそこ行ってるの? じゃ、オレも行こうかな」みたいな。そういう感じは昔はあまりなかったな。交通費もずいぶん安くなったし。そういう意味では、ウチらみたいなミュージシャンはどこへでもポンポン行けるようになったよね。
大森:ギター1本で、1人で行けますからね。
―大森さんもしょっちゅう地方でライブやってますもんね。
大森:新しい人に聴いてもらおうと思ったときに、東京だと別のシーンを探さなきゃいけないじゃないですか。だったら、地方で私みたいな音楽を好きな人が待っているところに行っちゃうほうが早いんですよね。
豊田さんの“散歩道”のカバーは、ファンの人にリクエストされたから演っただけです(笑)。(大森)
―豊田さんと大森さんのツーマンライブって、意外にも昨年K.Dハポンでやったのが初めてで、まだ1回しかないんですよね。
豊田:ま、いつでもできるからね。次は大森さんの人気のピークが落ちた頃にね(笑)。弱ってきたらいつでも電話して。
大森:弱んないですよ、ずっと(笑)。
―最近、ライブで大森さんが豊田さんの“散歩道”をカバーされたという話を小耳に挟んだんですが。
大森:何年か前にも一度演ったことがあるんです。そのとき観ていたファンの人に「また、あの曲を演ってほしい」とリクエストされたのでやりました。ファンの人に言われたから演っただけです(笑)。
―たまに豊田道倫のカバーアルバムを女性シンガー縛りで作るとしたら? って妄想することがあるんです。ダニエル・ジョンストンの『The Late Great Daniel Johnston』みたいな感じで。
豊田:そういう話、たまに出るのよ。去年、七尾(旅人)くんと飲んだときも、「カバーアルバム、出しましょうよ。今度レーベルの人間に会うから言います」って。その後、何の連絡もないけど(笑)。
―ちなみに大森さんが豊田道倫の曲をカバーするとしたら、どの曲にしますか?
大森:うーん……『m t v』だったら“抱っこ先生”ですね。
―それはぜひ聴いてみたいです。逆に、豊田さんが大森靖子の曲をカバーするとしたら?
豊田:いま一瞬考えたんだけどね。うーん……(笑)。
―豊田さんって、たまにライブで女性ミュージシャンの曲をカバーするじゃないですか。宇多田ヒカルの“traveling”とか、住所不定無職の“あの娘のaiko”とか。
豊田:フッとしたときに演りたくなるんですよね。ただ、大森さんはボーカルの芸があるから難しいね。
―そういえば以前、「大森さんは声色を使い分けたりして、声の内包する情報量が意外と多い。ライブではそれでもいいんだけど、録音物になるとどうだろう?」って指摘してましたよね。
豊田:今回のアルバムではそこをあまり使ってなかったから良かったね。そういう成長も含めて、大森さんのボーカルと、アマチュアっぽいバックのサウンドが絶妙な加減で成立しているレコードだった。だから、次はどうするのかなっていうのが気になる。バーン! っと行ってほしいけどね。
大森:もちろん行きたいですよ。
―豊田さんはどうですか?
豊田:今年後半は、音楽活動は控えめになるかも。機材はけっこう買っているけど、いまはもう1回音楽を聴くってほうにいっちゃってるからね。
大森:……とか言いながら、けっこうライブやってますよね? 豊田さんって大きいライブの前は、無力無善寺でのライブを絶対入れるんですよ。「あ、また練習しとる!」って(笑)。
豊田:あれは大事なの(笑)。大森さんってさ、ライブで客にさびしそうな表情で「ありがとう」って言うでしょ? あれでお客の心を掴んでるよね。ぼくはよう言わんもんな。
大森:スターだからですか?
豊田:違う、違う。お客はぼくにカネを払っているから、最後に1回言われれば充分というか。1曲ごとに言われても困るでしょ。
大森:私も曲ごとには言わないですよ(笑)。
―2人ともライブでの空気の掴み方が繊細ですよね。客との駆け引きがあるっていうか。
大森:そこが一番面白くなってきてますね、いまは。
豊田:大森さんはサービス精神があるからね。ぼくはそのへん、いまだにちょっとグジグジしてるからなぁ。
―豊田さんの場合、そのグジグジもまたすごかったりしますけど。
豊田:ま、がんばりますよ。
- イベント情報
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- 『豊田道倫「m t v」発売記念コンサート』
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2013年4月26日(金)OPEN 18:00 / START 19:00
会場:東京都 渋谷 O-nest
出演:豊田道倫(豊田道倫[Vo,Gt]、宇波拓[Ba,PC]、久下惠生[Dr]、冷牟田敬[Gt,Key]、じゅんじゅん[ゲストVo])
料金:前売2,800円 当日3,300円(共にドリンク別)
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- 『豊田道倫「m t v」発売記念ライブツアー』
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2013年5月10日(金)OPEN 18:00 / START 19:00
会場:愛知県 名古屋 K・D ハポン
出演:豊田道倫(豊田道倫[Vo,Gt]、宇波拓[Ba,PC]、久下惠生[Dr])
料金:前売2,500円 当日3,000円(共にドリンク別)2013年5月12日(日)OPEN 18:30 / START 19:00
会場:大阪府 難波 Namba BEARS
出演:豊田道倫(豊田道倫[Vo,Gt]、宇波拓[Ba,PC]、久下惠生[Dr]、冷牟田敬[Gt,Key])
料金:前売2,500円 当日3,000円『豊田道倫「m t v」&「たった一行だけの詩を、あのひとにほめられたい」発売記念ソロライブ』
2013年5月13日(月)OPEN 18:30 / START 19:30
会場:京都府 まほろば
料金:当日のみ 2,000円(ドリンク代別)
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- 『大森靖子「魔法が使えないなら死にたい」ツアーファイナル!〜つまらん夜はもうやめた〜』
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2013年5月13日(月)OPEN18:30 / START 19:30
会場:東京都 渋谷CLUB QUATTRO
出演:大森靖子
料金:前売2,800円 当日3,300円(共にドリンク別)
- リリース情報
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- 豊田道倫
『m t v』(CD) -
2013年3月21日発売
価格:2,500円(税込)
WEATHER 058 / HEADZ 1761. 少年はパンを買いに行く
2. 抱っこ先生
3. 桜空港
4. 赤いイヤフォン
5. 3丁目9番16号
6. ブルーチェア
7. 幻の水族館
8. あいつのキス
9. オートバイ
10. The End Of The Tour
11. City Lights 2039
12. m t v
13. 鈍行列車に乗って
- 豊田道倫
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- 大森靖子
『魔法が使えないなら死にたい』(CD) -
2013年3月20日発売
価格:2,200円(税込)
PINK-0021. KITTY'S BLUES
2. 音楽を捨てよ、そして音楽へ
3. 新宿
4. ハンドメイドホーム
5. あたし天使の堪忍袋
6. 夏果て
7. 鮪漁船のうた
8. 背中のジッパー
9. 最終公演
10. I love you
11. 歌謡曲
12. 高円寺
13. 秘めごと
14. 魔法が使えないなら
- 大森靖子
- プロフィール
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- 豊田道倫
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1970年生まれ。大阪出身。1995年『ROCK'N'ROLL 1500』(TIME BOMB)でデビュー。その後、メジャー、インディーで通算20枚のアルバムを発表。弾き語りソロ、バンド、セッションなど編成にこだわらず、強い歌をうたい続ける。最近では、東京はO-nestでのイベント、大阪では西成の難波屋という立ち飲み屋でのライブに注目が集まる。プロデュース作も三輪二郎『レモンサワー』、オクノ修『出会ったとき〜オクノ修、高田渡を歌う』など盛んに行う。新作は3年ぶりの『m t v』(WEATHER / HEADZ)。5月7日、単行本『たった一行だけの詩を、あのひとにほめられたい 歌詞とエッセイ集』(晶文社)を刊行予定。
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- 大森靖子
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1987年生まれ。はっきりと自我を自覚したとき、既に少女性を失っていた劣等感とそうさせた世の中への苛立ちにより、表現活動を始める。楽曲のポップさと世相を反映した不安定さ、老婆のような悟りと子どものような無邪気さがそれぞれ混在するライブが圧倒的であると口コミでひろがり、ヒリヒリするのにかわいい! と徐々に支持を得る。2013年3月20日1stアルバム『魔法が使えないなら死にたい』を発売。5月13日に渋谷クラブクアトロでワンマンライヴを行う。
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