爆音で鳴り響くテクノミュージック、焚き付けられるストロボの嵐、サングラスに短パンの登場人物、ポンポンを激しく振り乱すジャージ姿のダンサー。わずかでも「歌舞伎」をイメージして観た人は面食らうようなステージで話題を呼び続けている京都の劇団・木ノ下歌舞伎が『フェスティバル/トーキョー13』に登場する。
歌舞伎や文楽などの伝統芸能は、代々続く家系に生まれたり、相当の修行を積んだ人しか手を出せないジャンルだと考える人は少なくない。だが、本当の古典芸能とはとてつもなく自由で、戯曲や美術や音楽は果てしないポテンシャルを秘めているということを、木ノ下歌舞伎は作品で証明してきた。主宰の木ノ下裕一は、膨大な古典の知識と愛情、江戸時代との共鳴体質をフルに使い、古典を下敷きにしたグルーヴィーな現代劇を生み出し続けている。
『フェスティバル/トーキョー13』では、現代社会への危機感をベースに、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』をなんと6時間(!)かけて全幕上演するという。今一番ラディカルな現代劇・木ノ下歌舞伎の稽古場にお邪魔させていただき、主宰・木ノ下裕一に思いの丈を聞かせてもらった。
自国の古典より、外国の古典のほうが身近に感じるというのは、やっぱり少しいびつなことだと思うんです。
―京都を本拠地に独自の活動を続けている劇団・木ノ下歌舞伎ですが、主宰者である木ノ下さんの口から、どのような団体なのかまずご説明いただけますか?
木ノ下:2つ特徴があると思ってまして、1つは、歌舞伎や文楽など日本の伝統演目を現代劇に作り変えて上演していること。僕らの世代ってシェイクスピアのほうが、近松門左衛門(江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎作家)より身近に感じられてしまうという変な距離感になっていて……。『ロミオとジュリエット』や『ハムレット』はイメージできるけど、『国性爺合戦(こくせんやがっせん)』と言われても「なにそれ?」になってしまう。
―そうですよね。なぜか欧米文化のほうが身近に感じてしまう。
木ノ下:自国の古典より、外国の古典のほうが身近に感じるというのは、やっぱり少しいびつなことだと思うんです。ただもちろん理由もある。たとえば、シェイクスピアなどの翻訳劇の新演出は盛んに行なわれているけど、同じような方法論で日本の古典を扱うのは難しい。なぜなら歌舞伎や文楽はテキストだけでなく、語りの手法や様式、身体性の問題など、あれこれひっくるめた上で初めて歌舞伎、文楽を扱ったと言えると思うんです。でも、そこをきちんと踏まえつつ現代劇の作品として作っていきたいというのがあります。
―なるほど。2つ目の理由はなんでしょうか。
木ノ下:もう1つは演出家を固定しないということです。日本のスタンダードな劇団っていうと、1人の劇作家や演出家がいて、その人の作品をコンスタントに上演していくという形があると思いますが、木ノ下歌舞伎の場合は僕が歌舞伎の演目を選んで、それに合いそうな演出家を招いて作品を作ってもらうという、プロデュース団体のようなスタイルになっています。
―面白いですね。どうしてそういうスタイルになったんですか?
木ノ下:1つ目の話とも関係するんですが、やっぱり日本の古典を新演出することは大変ややこしいし、奥が深い。テキストの新解釈という視点もあれば、語りや身体、空間の問題もある。だからいろんな演出家に、それぞれの得意分野で古典と向き合ってもらい、古典が内包する多様な要素を現代劇が摂取していくことができればと思っているんです。
―確かに、1つの劇団の活動というよりも、日本の古典を現代に蘇らせるためのプロデューサーという感じですね。
木ノ下:特に僕と同世代の演出家は、圧倒的に日本の古典戯曲に触れる機会が少ないと思うので、木ノ下歌舞伎が演出家にとって、古典と幸せな出会い方のできる一種のサロンみたいな場所になれたらいいなと思っています。そして、おこがましいようですが、日本の古典を新演出できる演出家を輩出していきたいという夢もあって、ゆくゆくは木ノ下歌舞伎で得た経験を活かしながら、演出家が独自に日本の古典を上演してくれたら、こんなに嬉しいことはないし、そのためにどんどん仲間を増やしていきたい。だから木ノ下歌舞伎が団体として今後どうなっていきたいかとは別に、古典を新演出、新解釈することが当たり前になっていくための運動体になれればいいな、ということが活動目的の1つだったりもします。
京都×横浜プロジェクト2012『義経千本桜』より「鮓屋」の場面 2012年7月京都芸術劇場 春秋座 ©清水俊洋
―木ノ下さんの、主宰者兼監修という立場は、ちょっとイメージしづらいのですが、具体的にはどういうことをされているんですか。
木ノ下:僕は「権力を持ったドラマトゥルク(作品の資料的なリサーチやアドバイス担当)」だと勝手に言ってるんですけど(笑)。もちろん、作品は演出家のものだと思っていますし、できるだけ演出家の意図を汲み取ろうと心がけてますが、たとえば極端な話、出来上がった作品に対して「この作品は面白くないのでこのままでは上演できません」と言えてしまう立場だということですね。同時に、上演した作品に対する批判や責任は全て負う覚悟でいます。自分から声を掛けた以上、最後まで演出家の味方でいたいですから。
―なるほど。
木ノ下:まず主宰者として「この演目をこの演出家で」という組み合わせを考えて演出家にオファーします。そして、歌舞伎作品の映像を演出家に見てもらいながら「この作品はこう解釈されてるけど、こういう考え方もできる。かたやあなたの演出はここがこう面白い。だからうまく合えばきっとすごい作品になります!」というようなプレゼンをするんです。その後も演出家に対して古典に魅力を感じてもらえるように、「古典のココが面白い」みたいな話をよくします。ときには演出家が興味を持ってくれそうな古典の資料を用意したり、あの手この手で知恵を絞りながらやっています。
―先ほど稽古の様子を拝見させていただきましたが、ずっと演出家の近くにいらっしゃいましたね。
木ノ下:稽古場では、ほとんど演出家と一緒に行動していて「その演出は面白いけど必然性がないですね」とか「こういう方法はどうでしょう」「こういう解釈もできます」とかいろいろ言いながら、できるだけ対話に時間を割きつつ、演出家と歌舞伎がある点で繋がれるように動くのが、監修の仕事です。いわば「歌舞伎」と「演出家」の橋渡しでしょうか。
最近の日本は、世論が1つの方向に流れがちなのが、すごく気持ち悪い。そういう状況にものを言える作品はないだろうかと話をしていて、『東海道四谷怪談』が挙がったんです。
―『フェスティバル/トーキョー13』(以下『F/T』)で上演される『東海道四谷怪談―通し上演―』(以下『四谷怪談』)では、演出を杉原邦生さんが担当されています。フリーの演出家やディレクターとして活躍しながら、木ノ下歌舞伎のメンバーとしても演出されている方ですが、今作で、杉原さんを演出に選ばれた理由は何でしょうか?
木ノ下:今回、『四谷怪談』を全幕ほぼ通しで6時間近くかけて上演するのですが、木ノ下歌舞伎が何か新しいことにチャレンジするときは、邦生さんと一緒にやることが多いですね。これまで何作品も一緒にやってきて、その中で構築してきた信頼関係やノウハウもある。だから、やっぱり邦生さんとのタッグが1番作品に斬り込んでいけるし、1番大胆に実験できるんです。
―杉原さんは、明るくお祭り好きという作風の演出家ですよね。
木ノ下:今回、僕が「いいな」と思ったのは、『四谷怪談』って、話の内容や雰囲気がわりと暗い。対して、杉原邦生の作風はポップで祝祭的だと言われている。だから、一見組み合わせとしてはミスマッチなんです。でも、邦生さんの演出は単純に「楽しい、ハッピー」だけじゃなくて、ちゃんとその中に、戯曲や同時代への鋭い批評性も持ち合わせているし、人間や社会のもっと深いものを描こうとしているように僕は感じていて。それが『四谷怪談』と合わさることでより如実に出てくるんじゃないかと。
―逆に「怖い、暗い」というイメージの『四谷怪談』にも、それだけではない発見があるかもしれませんね。
木ノ下:そうです、そうです。
―そもそも、通しで約6時間という上演形態を選んだ理由は?
木ノ下:それも邦生さんとの話から出てきたことなんですけど、お互い最近の日本に危機感を感じてまして……。たとえば世論がわりと1つの方向に流れがちな気がしているんです。「アベノミクスだ!」となったら、些細な経済のニュースでみんなが一喜一憂するとか、「オリンピックが決まった!」となればみんなで飛びつくとか。「原発はどうなったんだろう?」ということは二の次で、ある種、上っ面な感じでバッと全体がなびいてしまうのがすごく気持ち悪い。で、そういう状況にものを言える演目はないだろうか、って話をしていて『四谷怪談』が挙がってきたんです。
―『東海道四谷怪談』は、『忠臣蔵』のパロディーというか、スピンオフですよね。
木ノ下:そうなんです。「敵討ちが美談だ、正義だ」という世論が大勢を占める中、それとはまったく違う生き方をする人々の話を提示した作品です。だから登場人物は、いろんな価値観を持っています。家族が大事と言う人もいれば、いや敵討ちだと言う人もいるし、出世が大事だと言う人もいれば、敵討ちを利用して個人的な欲望を満たそうとする人もいる。いろんな価値観の人々が入り乱れて、価値観が違うからぶつかってしまう。そこで悲劇が起こるんですけど、多様な価値観を提示した上で「で、あなたはどうですか?」とお客さんに問いかける感じがあるような気が僕はすごくしていまして。
―ええ。
木ノ下:多様な価値観があることや、大勢の世論とは違うレベルで生きている人々がきちんと描かれている作品ということで、今こういうものを上演する、それも、お岩さんと伊右衛門の愛憎劇ではなく、ちゃんと群衆劇として描くことで、現代に対して物申せるんじゃないかと思ったんです。そのためには結果的に、やっぱり6時間は必要なんですね(笑)。
「伝統芸能は国の宝だから重要」なんて乱暴なロジックはもはや通用しないのだから、もっと具体的、かつ伝統芸能に興味のない人にも届くような、自分の言葉と実感を持たなければいけない。
―伝統芸能というと、何となく保守的な香りがしてしまいますが、お話を聞いていると、木ノ下さんたちがされていることはその真逆で、ものすごくラディカルですよね(笑)。
木ノ下:話は少しそれますが、去年の大阪市の文楽補助金問題もショックを受けました。補助金が削られるかどうかは別として、行政の長からいきなりおかしなロジックが突き付けられましたよね。
―大阪市長の橋下徹さんが、「文楽はわかりにくい、昔のままのやり方で工夫がない」と一刀両断した件ですね。
木ノ下:同時に、それに対する賛否の意見を聞いていて「このままでは伝統芸能は危ない」と本気で思いました。市長の主張に対して古典芸能がどんな可能性を持っているのかをきちんと反論できる人が少なかった。「伝統芸能は国の宝なのだから重要」なんていう乱暴なロジックはもはや通用しないのだから、もっと具体的、かつ伝統芸能に興味のない人にも届くような、自分の言葉と実感を持って反論しなきゃいけないのに……。私たち現代人がいかに「伝統」というものについて日々考えていなかったかということが見事に露呈しましたし、現代における古典への期待というか、認識はそこまで下がってしまったんだと……。
京都×横浜プロジェクト2012『義経千本桜』より「鮓屋」の場面 2012年7月京都芸術劇場 春秋座 ©清水俊洋
―文楽もその他の伝統芸能も、古典という「繭」に守られ慣れていて、時代の流れや、多様な視点に対応する言葉を磨いてこなかったのかもしれません。
木ノ下:そういうことも含めて、最終的に古典を支えて守っていくのは僕たちなんだって。そういう気がしました。
僕たちは歌舞伎を受け継ごうと思ってやっているわけじゃない。正しくは「現代劇を作っている」というスタンスでやっています。だから完全に部外者だと認識しているんですね。
―伝統芸能の世界は厳然と世襲制が残っていたり、一部の人たちが受け継いでいくものという流れがありますよね。でも木ノ下さんは完全にアウトサイダーという立場から取り組まれています。たとえば、興行会社に就職するなど、内側に入って活動しようと思ったことはなかったんですか?
木ノ下:べつに僕たちは伝統劇としての「歌舞伎」を受け継ごうと思ってやっているわけじゃないんです。「歌舞伎を作っている人」と紹介されたりもするんですけど、正しくは「歌舞伎をもとにした現代劇を作っている」というスタンスでやっています。だから完全に部外者だと認識しているんですね。
―実際の木ノ下歌舞伎を拝見すると、現代劇だということはよくわかります。
木ノ下:ただ、じゃあなぜここにいるのかってことなんですけど。いつかは、歌舞伎俳優で歌舞伎を上演、演出してみたいという夢はあります。だけど今は、古典や伝統芸能と現代を繋げるツールが圧倒的に足りていないと思うんです。過去を振り返ってみれば、そういうのってけっこうあったんですよ。
京都×横浜プロジェクト2010『勧進帳』 2010年5月アトリエ劇研 ©東直子
―今よりも、もっと古典芸能が近い位置にあったということでしょうか?
木ノ下:そうだと思います。たとえば、若者の中で歌舞伎が一般常識ではなくなり始めた戦後まもなくに、戸板康二(演劇・歌舞伎評論家)が「外国人に歌舞伎を説明するには、どういう語り口があるのか?」という切り口で入門書を書いていたり、安藤鶴夫(小説家、評論家)が、タレントみたいにラジオやテレビに出演して、古典芸能を普及しようとしたり、そういうアクの強い名物水先案内人がたくさんいた。そういう人がいるときは、新しい観客層を引っ張り込もうと手を変え品を変え工夫していたから、古典芸能も元気だったんですよね。
―ええ。
木ノ下:でも今は、そういう人、そういう場所がほとんどなくなっている。相当貧弱になってしまっている気がします。そこで何か自分たちにできることはないかと思って、現代劇と歌舞伎の中間に位置するような劇団を作ったということなんです。木ノ下歌舞伎を観にきてくれたお客さんが、その後、本物の歌舞伎を観に行ってくれたら嬉しいし、逆に歌舞伎通のお客さんがたとえば杉原演出の現代劇を観に行くとかね。双方向に行き来できるようなトンネルになれれば、と思っているんです。
―木ノ下歌舞伎が、トンネルのような役割だけじゃなく、歌舞伎自体にも影響を与えられたら、というのはありますか?
木ノ下:ゆくゆくはそうなっていきたいです。しかしながら、これから僕らが歌舞伎俳優さんと接点持っていったとして、そこで「新しい歌舞伎を作りましょう」となることだけが、歌舞伎に影響を与えることなのか? という問題はあると思う。それは一見近道かもしれませんが、お客さんの側から変えていく方法だってある気がするんですよね。
―たとえば?
木ノ下:木ノ下歌舞伎を観てくれた歌舞伎のお客さんが、現行歌舞伎と比べてみることで、本来歌舞伎が持っているポテンシャルに気づくことだってあるかもしれない。公演以外にもトークイベントをやるとか、フリーペーパーを発行するとか、微々たることですけどそういうことでお客さんを育てていく、って言うと偉そうだけど、一緒に巻き込んでいく。お客さんの側から変わっていけば歌舞伎も変わると思うんですよね。草の根運動なんですけど、そういうことも重要な気がしています。
京都×横浜プロジェクト2012『義経千本桜』より「鮓屋」の場面 2012年7月京都芸術劇場 春秋座 ©清水俊洋
あの祝祭的な劇場空間に入っていくと、何か巨大な仏壇の中に自分が入ってくみたいな感じになって、ゾッとするぐらい興奮するんです。
―木ノ下さんがここまで惹き込まれた歌舞伎の魅力とは何なんでしょうか?
木ノ下:それ、言えたほうがいいですよね……。でも「なぜビーフシチューが好きなんですか?」「美味しいから」というレベルの話で、もう理屈じゃないんです。それでも、あえて言葉にするならば、まず非常に演出が新鮮。現代演劇では絶対にあり得ないような演出が歌舞伎の中にはたくさんあるわけです。大体、「黒衣(くろご)って何?」でしょう?(笑) あれが成立しちゃうって、やっぱりすごい。
―あの人たちは「私達はお客さんから見えていません」という前提で作業していますけど、はっきり見えていますからね(笑)。
木ノ下:はい、前に歌舞伎座で隣に座っていた外国人が黒衣を見て「忍者! 忍者!」って興奮してましたから、無理もないなと(笑)。あとは歌舞伎座や京都南座のような劇場空間の魅力です。明治以降、様式はすっかり西洋的な大劇場に変わってしまったとはいえ、まだ芝居小屋の面影があちこちに残っていますよね。あの祝祭的な空間に入っていくこと自体が、他には例えられない高揚感があって格別なんです。そこからもう演劇が始まっている。京都南座では年末に顔見世興行というのがあるんですけど、入口の上に「招き」という、役者の名前を書いた大きな木の看板がバーッと並ぶんですね。その看板を見上げながら入っていくと、「招き」が位牌のようにも見えるんですよ。だって襲名制だからその名前には死んでいる人間も含まれているでしょう? 何か巨大な仏壇の中に自分が入ってくみたいな感じになって、ゾッとするぐらい興奮するんです。そういうことも含めて、あの超ヘンテコな演劇がリアルに見えてくるためのさまざまなムード作りがあり、見えるもの、見えないものも含めていくつかの門をくぐって客席に辿り着くっていう、その感じもよくできてるし、大好きですね。
舞踊公演『三番叟/娘道成寺』より「三番叟」 2012年2月横浜にぎわい座 のげシャーレ ©鈴木竜一朗
お手軽にわかるものが良いという雰囲気がはびこっている気がしますが、僕はそういうのが嫌いなんです。長い時間だからこそ表現できることは絶対にあると思います。
―最後にもう一度、今回『F/T』で上演される『四谷怪談』の6時間という上演時間についてお聞きします。私は個人的に、演劇でも映画でも、長時間の作品を一度は観るべきだと思っています。ポータビリティー化がこれだけ進んだ現代では、早送りも巻き戻しもできず、同じ場所に黙って座り続けていなければいけない体験って滅多にないですよね。逆に言えば、その強制力は演劇というメディアの誇るべき点だと考えます。もちろん作品が面白いという前提つきですが。それでも6時間という大作はなかなかお目にかかれないので、木ノ下さんたちの決断にはエールを送りたいです。
木ノ下:ありがとうございます。頑張ります(笑)。現代では何に限らず、お手軽にわかるものが良いという漠然とした雰囲気がはびこっている気がしていて、僕はそういうのが嫌いなんです。古典芸能は観ていくほどに面白さが増していくものですし、観る側がどのぐらい準備してるかによっても全然見え方が変わってくるわけで、手間がかかるんです。でも、その手間が楽しい。現代では、そういう楽しさがどんどん排除されているような気がします。長い時間だからこそ表現できることは絶対にありますし、劇場で芝居を観ること自体が娯楽になれば、それはそれで成立すると思います。そのへんが今の日本ではうまくいっていない感じがしますね。
―最近始まったことではありませんが、テレビのテロップなんかもそうですよね。簡単にまとめてわかりやすく「ここで笑ってください」と方向付けをしてしまう。
木ノ下:僕、少し前に入院していたんですけど、病室にテレビがあって10年ぶりくらいにじっくり観たんです。そうしたら、いちいちムカつくんですよ(笑)。ワイドショーを観てもバラエティーを観ても、その瞬間だけ面白ければいい、笑えればいいみたいな感じでしょ? 「今日すぐ使える情報、明日すぐ行ける店」みたいな、とにかく「すぐ、すぐ」って。新聞を読んだら、瞬間視聴率ランキング上位20位以内に教養番組が一切入っていない。「じっくり」とか「ゆったり」がどんどん追いやられている。忸怩たる思いがありましたね。
―そこに狼煙を上げるための6時間上演でもあるんでしょうか(笑)。
木ノ下:そうそう、反対声明を上げるための6時間ですよ(笑)。ぜひ観にいらしてくださいね。
- イベント情報
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- フェスティバル/トーキョー13 木ノ下歌舞伎
『東海道四谷怪談―通し上演―』 -
2013年11月21日(木)〜11月24日(日)全4公演
会場:東京都 東池袋 あうるすぽっと
時間:14:00〜、24日のみ11:00〜(受付開始は開演の1時間前、開場は開演の30分前)
料金:一般前売3,500円 幕見券1,500円
※幕見券は11月1日から発売
- フェスティバル/トーキョー13 木ノ下歌舞伎
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- 『フェスティバル/トーキョー13』
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2013年11月9日(土)〜12月8日(日)
会場:
東京都 池袋 東京芸術劇場
東京都 東池袋 あうるすぽっと
東京都 東池袋 シアターグリーン
東京都 西巣鴨 にしすがも創造舎
東京都 池袋 池袋西口公園
ほか
※実施プログラムはオフィシャルサイト参照
- プロフィール
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- 木ノ下裕一(きのした ゆういち)
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1985年和歌山市生まれ。小学校3年生の時、上方落語を聞き衝撃を受けると同時にその日から独学で落語を始め、その後、古典芸能への関心を広げつつ現代の舞台芸術を学び、古典演目上演の演出や監修を自らが行う団体・木ノ下歌舞伎を旗揚げ。2010年度から3か年継続プロジェクトとして『京都×横浜プロジェクト』を実施し2012年7月には『義経千本桜』の通し上演を成功させるなど、意欲的に活動を展開している。主な演出作品に2009年『伊達娘恋緋鹿子』(『F/T09』秋「演劇/大学09秋」)など。その他古典芸能に関する執筆、講座など多岐にわたって活動中。
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