演劇は最も危険な芸術である 三浦基インタビュー

「地点語」と形容される独特の音楽的な発話方法で、これまでチェーホフやシェイクスピア、ブレヒトなどの古典作品や、アルトー、イェリネク、太田省吾など前衛作家の言葉を現代演劇に作り変えてきた40歳の演出家、三浦基。彼は、今日本で最も注目されている演出家の一人だ。

そんな三浦が今年3月、KAAT神奈川芸術劇場で上演するのが、ドストエフスキー原作の『悪霊』。ここ数年、太宰治、芥川龍之介と、日本文学を次々と舞台作品に立ち上げてきた三浦は、今なぜ巨匠ドストエフスキーに挑もうとしているのか。それをアクチュアルな問題として、どのように現在へと接続しようとしているのか。その理由を辿るインタビューは、ドストエフスキーの魅力だけでなく、演劇という芸術の持つ可能性、地点独自の「音楽的」と言われる発語法、さらには日本における現代演劇のあり方、未来にまで話が及ぶものとなった。

ドストエフスキーは人間観察が執拗で、俯瞰した目線で世界を描きます。いろんな読み方が許されると思いますし、敵として不足はないですね。

―地点は、ここ3年、芥川龍之介原作の『Kappa/或小説』、太宰治原作の『トカトントンと』『駈込ミ訴ヘ』という三作品を「日本文学シリーズ」としてKAAT神奈川芸術劇場で制作してきました。今年4年目にして、なぜドストエフスキーの『悪霊』を制作されることになったのでしょうか?

三浦:日本文学であれば、戯曲でも小説でもなんでもいいというオーダーが劇場からあって、「日本文学シリーズ」を作ってきました。太宰と芥川を選び、小説を演劇に作り直すということにこだわり、徹底的に考えた3年間でしたね。それで、4年目からは日本文学という枠組みも外して考えることになったんです。

『トカトントンと』KAAT神奈川芸術劇場 2012年 撮影:青木司
『トカトントンと』KAAT神奈川芸術劇場 2012年 撮影:青木司

―「世界中の文学」という幅広い選択肢になって、迷うことはなかったですか。

三浦:ぶっちゃけ何をやったらいいのか、わからなくなりました(笑)。いくつか候補作は出たのですが、最後の一押しとなるものがありませんでした。候補の中には、同じドストエフスキーの『地下室の手記』もあったんですが、なんとなく物足りなかった。『地下室の手記』は、太宰の『駈込ミ訴ヘ』と同じモノローグ(一人語り)形式の作品なので、同じ手法を使えば、あっさりできてしまうんですよね。

―結果的に三浦さんはドストエフスキー、そして『悪霊』という作品を選びました。「最後の一押し」となったのはどういう部分でしたか?

三浦:今までやっていないことに挑戦したかったので、長編をやりたいと思っていました。あと『悪霊』には、神や政治、革命といったテーマが出てきます。『駈込ミ訴ヘ』でもキリスト教というテーマを扱いましたが、もっとそれを掘り下げてみたかった。それに、革命に挫折したという内容にも興味を惹かれました。

『駈込ミ訴ヘ』KAAT神奈川芸術劇場 2013年 撮影:橋本武彦
『駈込ミ訴ヘ』KAAT神奈川芸術劇場 2013年 撮影:橋本武彦

―今さらあらためてですが、ドストエフスキーは非常に語るべきところの多い作家ですよね。まさに巨匠というか。

三浦:誤解を恐れずに言えば、どんな人でもドストエフスキーは好き。読んでみて、くだらないという人はまずいない。やっぱり偉大な作家だと思います。亀山郁夫(ロシア文学者)さんの言っていた「ドストエフスキーを読むか読まないかで人生が変わる。読んだことがあるかどうかで世界は変わる」は大袈裟だけど一理あって、そういう意味では僕にとっても1つのターニングポイントにできるかなと。あと、そろそろ大きな文学作品を上演していかないと、自分自身が手慣れた演出手法に頼ってしまうようになる怖さもあります。少しオーバーな言い方になりますが、今ドストエフスキーの作品を上演することで、人類の英知を演劇がどのように考えているのかを表したいと思っています。

三浦基
三浦基

―小説を演劇にするということは、戯曲を演劇にすることとは全く違う作業だと思います。三浦さんはどのように小説を演劇にしているのでしょうか?

三浦:一般的に、戯曲というのは「私は◯◯だと思う」という台詞によって成り立っています。でも小説は、「彼は◯◯した」という三人称なんです。それは一般的に台詞になり得ません。これまで「日本文学シリーズ」の作品で、色々な角度からその三人称を台詞として発語しようと挑戦してきましたが、演劇における三人称は「ト書き」のようになってしまうので、どうしても制作現場ではそれを排除する方向に向かってしまう。「彼は◯◯した」と言われても、ただ説明的なだけだし、「じゃあ、それを喋っている俳優はどう思っているんだ?」という疑問が残ってしまうんです。とは言え、戯曲に立ち戻っても普通だしつまらない。「お前の話なんか聞きたくない」と思ってしまう(笑)。

―悩ましいところですね。

三浦:ドストエフスキーの場合は人間観察が執拗で、長台詞を多用しつつも俯瞰した目線で世界を描きます。そのト書き部分と長台詞のバランスが絶妙なので、何度読んでも印象が違うんです。だから、あえて戯曲として読み込んだとしても、いろんな読み方が許されると思いますし、敵として不足はないですね。これだけの長編作品だしドラマも多い。短縮版を作っても、おそらく5時間くらいのドラマになるエピソードは詰まっています。今回はドストエフスキーの『悪霊』を読んで、自分がどういう気持ちになったか、その読後感を1時間30分ほどの上演時間の中で立ち上げたいと思っています。

3月11日に行なわれた、「KAAT舞台芸術講座 舞台演出家と映画監督が読み解く ドストエフスキー『悪霊』」 青山真治(映画監督)×三浦基のトーク風景
3月11日に行なわれた、「KAAT舞台芸術講座 舞台演出家と映画監督が読み解く ドストエフスキー『悪霊』」青山真治(映画監督)×三浦基のトーク風景

職業作家というジャンルを開拓し、小説だけでなくジャーナリズムやメディアの起源となった人がドストエフスキーだと思います。

―三浦さんご自身にとって、ドストエフスキーという作家の魅力とは、どの部分にあるのでしょうか?

三浦:個人的に面白いと思うのは、彼はおそらく歴史的にも職業作家の第一号だったということです。もちろん、先代の作家たちはたくさんいますが、貴族や学者とかじゃなく、文学だけで生計を立てようとした初めての人物と言ってもいい。そんな時代に、職業作家として生きようとした態度というのは、ある種、宗教的とも言えるし、その覚悟を決めた人。そこが一番信頼できるし尊敬できる部分です。

―当時は職業作家だけでなく、まだマスメディアもなかったような時代ですよね。

三浦:今では当たり前になっていますが、職業作家なんていう存在はそもそも不要だった。社会の状況を知るために取材で現場に出て行ったり、それをもとに小説を書いたり、すごく面白い人種だと思う。そのジャンルを開拓し、近代小説だけでなくジャーナリズムやメディアの起源となった人がドストエフスキーなのではないかと思います。

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演劇は人を動かす力を持っている。だから、ヨーロッパやロシアでは最も尊敬を集めている芸術であり、最も危険な芸術として弾圧を受けてきたわけです。

―先日下北沢B&Bで開催された、映画『ドストエフスキーと愛に生きる』トークイベントでの、森達也監督との対話がとても印象的でした。森監督は現代社会を切り取って解釈を加え、観客に疑問を投げかける社会的なドキュメンタリー作品を撮られていますが、三浦さんはそういう作品はとてもじゃないけど作れないと。作品で自分の考えを提示するのはなるべく避けたい。だけど、そういうやり方のほうが個人や世界を変えていく力を持っているのではないか、というお話でした。

三浦:芸術家というのは、大きく作家タイプであるか、そうでないかという2種類に分けられると思っているんです。ここでいう作家とは、自分が世界の中心にいる人、確固とした自分の世界や視点を持っている人のことです。現場に飛び込んで、自分の視点で作品を切り取ってくる森さんは作家タイプですが、僕はそうではない。当然、自分の世界を強く持っているドストエフスキーも作家です。一方、作家タイプではない芸術家の代表が俳優。彼らは媒介、つまりメディアなんです。

KAAT×地点 共同制作作品第4弾『悪霊』 KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ 2014年3月10日~23日 撮影:松本久木 Photo:Hisaki Matsumoto
KAAT×地点 共同制作作品第4弾『悪霊』 KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ 2014年3月10日~23日 撮影:松本久木 Photo:Hisaki Matsumoto

―そういえば、三浦さんも俳優からキャリアをスタートさせていますね。

三浦:演劇という芸術の現場では、観客は作家ではなく、俳優の演技や美術、照明といった媒介に触れているわけです。おそらく作家タイプより媒介タイプのほうが舞台の現場では観客の支持を得やすい。なぜなら、自分の世界を持っている人は強いから、よっぽどのことがないと観客も耳を傾けない。媒介は作家と観客の間に入ってコミュニケーションを取ることが仕事です。もしそこで何らかのリアリティーを感じてもらえることができたなら、かけがえのない経験として観客の記憶に残ります。「演劇は生だからいい」というのはそういうことで、少なくともヨーロッパやロシアでは最も尊敬を集めている芸術であり、同時に最も危険な芸術とされ、中世には500年以上も教会から弾圧を受けたりしてきたわけです。

―演劇という表現手法はフィクション的で、一見直接的な表現ではないかもしれませんが、観客にアクチュアルな問題意識を喚起させたり、それによって人を動かすくらいの力を持っている可能性があるのでは、と。

三浦:ええ。だから、もし「え? まだ『悪霊』観ていないの!? 早く観たほうがいいよ!」という状況になれば、世界は変わるんじゃないかと思っています(笑)。

KAAT×地点 共同制作作品第4弾『悪霊』 KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ 2014年3月10日~23日 撮影:松本久木 Photo:Hisaki Matsumoto
KAAT×地点 共同制作作品第4弾『悪霊』 KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ 2014年3月10日~23日 撮影:松本久木 Photo:Hisaki Matsumoto

地点の台詞は変な喋り方だと言われますが、何で普通にやらないかというと、普通の台詞だと僕自身が飽きて寝てしまうからなんです(笑)。

―公演のチラシにも「多声性(ポリフォニー)」というキーワードが使われているように、文節や単語レベルで役者が声色を変えながら台詞を発語する地点の表現方法は、よく「多声性」という言葉で語られています。今回、地点が『悪霊』を上演するのは意外だった反面、ある意味これまでの活動とも親和性が高いのではないかと思いました。

三浦:(笑)。そう思われるだろうなと思って、あえて『悪霊』を選んだというのもあるんです。『悪霊』の解説を読んでいて「あ、ポリフォニーって書いてある! これを宣伝文句にしよう!」って。

―え?(笑)

三浦:いや本当に(笑)。ただ、「ポリフォニーって何だ?」と考えると単純ではありません。『悪霊』のポリフォニーとは、旧世代やセクトなどの問題が同時に進行していく「物語としてのポリフォニー」なんです。決して、地点の発語スタイルのようなポリフォニーを意味しているわけじゃない。

三浦基

―発語としてのポリフォニーと、物語としてのポリフォニーの違いということでしょうか。

三浦:昨年上演した『駈込ミ訴ヘ』の原作は、ユダの告白をテーマにした独白の小説です。それを舞台で上演するにあたって、僕は台詞を5人の役者に分散させ再構築させました。ある台詞は5人で喋ったり、あるところでは1人で喋ったり、1つの台詞を単語で区切って3人で喋ったり。そこへさらに、主題である裏切り、寝返り、嫉妬などのさまざまな感情が入り込む。あれはまさにポリフォニーだったと思います。ただ『悪霊』は、テキストの質が違うので、あの方法では上演できません。

―先ほど『悪霊』の稽古も拝見させていただきましたが、地点の作品はいわゆる「普通の」演劇の発話方法とは異なりますよね。

三浦:何で普通にやらないかというと、普通の台詞だと僕自身が飽きて寝てしまう(笑)。台詞には「感情」があります。どういう気持ちで発しているのか? イライラしているのか、悲しいのか、楽しいのか、そういう感情が発話にはともなっています。長台詞を例にすれば、1つの感情をもとに、言い回しや韻を意識する、あるいはブレスの方法などによってその台詞を言い切る。さらにそこに、俳優自身のちょっとした味付けが入ると、名優という評価が下されます。でも現代では、もっと短いスパンで感情は切り替わっているはず。だから、地点では台詞をときには単語のレベルまで細分化していって、別々の感情を乗せるということを俳優と取り組んでいます。台詞を細分化するときの引き出しが多ければ多いほど面白いと思うし、感情を切り替える能力が問われます。それらを積み重ねていけば、全体としてポリフォニー的な表現が生まれるんです。

KAAT×地点 共同制作作品第4弾『悪霊』 KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ 2014年3月10日~23日 撮影:松本久木 Photo:Hisaki Matsumoto
KAAT×地点 共同制作作品第4弾『悪霊』 KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ 2014年3月10日~23日 撮影:松本久木 Photo:Hisaki Matsumoto

―「音楽的」と評価されることが多い地点の発話方法は、明確な感情に基づいているんですね。

三浦:最終的には僕の手でコンポーズ(作曲)をしますが、うまくいくと、ある程度勝手にそうなってくれるんです。それに音楽を作っているわけじゃなくて、ある作家がいて、テキストがあって、作家の言いたいことを細分化して、結果としてこうなっている。変な喋り方って言われますけど、やっているほうは真面目なんですよ。

僕は10年後も絶対に演劇をやっている。けれども10年後、日本の公共劇場が俳優を雇用できていないという状態だったら……現代演劇に未来はないでしょうね。

―地点は昨年、稽古場兼アトリエ「アンダースロー」を京都にオープンしました。日本の小劇団で自分たちのアトリエを持つというのは、極めて稀なケースですよね。

三浦:僕は、こまばアゴラ劇場を持っている青年団演出部の出身だから、劇団が劇場を持っているということ自体は、比較的当たり前のこととして捉えているんです。文学座や俳優座といった新劇の劇団もアトリエを持っていますよね。9年前に京都に活動拠点を移した理由も、京都芸術センターという京都市の稽古場施設を使用できることがわかっていたからですし、自分たちのアトリエを持つつもりで京都に行ったんです。だから創作活動と並行しながら、アトリエとなる物件探しも進めていたんですよ。

「アンダースロー」内観 撮影:松本久木 photo:Hisaki Matsumoto
「アンダースロー」内観 撮影:松本久木 photo:Hisaki Matsumoto

―そうだったんですね。

三浦:一方で、舞台装置の保管場所という問題もあります。再演の機会があったときのため、これまでは貨物コンテナを借りて装置を保管していたけれど、演目がたまっていくにつれ、スペースが一杯になってしまうから、どれかを捨てなければいけないという選択を迫られる。劇団としてはアトリエを持つのが遅すぎたというくらいの認識です。

―現実的な意味で、作品を「捨てる」ということになってしまうんですね。

三浦:ただ、確かに日本の小劇団がアトリエを持つということは、かなりレアなケースであることも確かですね。これまでも地点は劇団を法人化し、所属俳優は給料制という形で今に至っています。他の劇団も法人化して融資を受けて、アトリエを構えればいいんです。地方に行けば物件も安くなりますよ。ただ、それがなかなかできないのは、日本の現代演劇の状況によるものです。結局、東京中心で、スタッフは公共劇場やアートマネジメント団体に所属して生き残ることができても、俳優や演出家たちは、継続的に活動するということ自体が難しい。そういう意味では、地点の活動はこれからのモデルケースになるという自覚はありますね。

「アンダースロー」内観 撮影:松本久木 photo:Hisaki Matsumoto
「アンダースロー」内観 撮影:松本久木 photo:Hisaki Matsumoto

―アトリエを持つことで、創作面に影響はありましたか?

三浦:フットワークがすごく軽くなって、たとえば海外から舞台関係者がたまたま来日したときなどに、いつでも作品を観せることができるようになりました。その結果、具体的に招聘が決まった作品もあります。もちろん観客を集めることは大変ですが、上演を行いながら作品に修正を加えていけるので、作品のクオリティーが上がることも間違いないです。

―以前、佐々木敦さんとの対談では、「地点の俳優が人から羨ましがられるようなギャランティーと名誉を獲得して初めて、『日本に現代演劇がある』ということになる」とおっしゃられていましたね。アトリエはそのための布石という意味もあるのでしょうか?

三浦:その意味ではまだまだで、あと2ステップくらいが必要です。アトリエの開設は、もう少し目の前のビジネス的な側面が強いですね。たとえば、劇場からオファーを受けたとき、アトリエを持っていれば京都で制作できるので、宿泊滞在費もかかりません。つまり、劇場と交渉する際に劇団側の付加価値が上がるんです。劇場側も、ただ滞在制作を持ちかけるだけではなく、僕たちを滞在させる意味が求められるでしょう。それがお互いにとって良いプレッシャーとなって、対等な関係が築けると思うんです。

地点『ファッツァー』撮影:松本久木 photo:Hisaki Matsumoto
地点『ファッツァー』撮影:松本久木 photo:Hisaki Matsumoto

―たしかに拠点のない劇団は全面的に劇場側の条件を聞いて、場所を借りて制作する選択肢しか選べないわけですね。

三浦:そうですね。ただ、それだけでは「名誉」や「尊敬」には至りません。最終的には、僕が芸術監督などのきちんとした立場になって公共劇場で活動することが必要です。日本ではSPAC(静岡県舞台芸術センター)やピッコロシアター(兵庫県立尼崎青少年創造劇場)のような一部の例外を除いて、公共劇場が俳優を雇用することはありません。国立劇場が俳優を雇用し、国立大学が演劇科を設置するといったピラミッド構造が成立しないと、「尊敬」を集めるということは難しいでしょうね。平田オリザ(劇作家・演出家)さんには、「お前が生きているうちには、そこまでいかない」と言われていますが(苦笑)。

―三浦さんのビジョンは公共をも巻き込んだ壮大な話なんですね。

三浦:オリザさんが言うようにそれは夢なのかもしれませんが、それを見失うと、アトリエを構えている意味がない。「素敵な場所ですね」「アトリエがあっていいですね」とよく言われますが、そう言われるために設置しているんじゃないんです。実際にはもうしびれを切らしているし、このままでは地点も現代演劇そのものもマズいという危機感があります。

三浦基

―それを打破する未来のためへの第一歩として、アトリエを構えているわけですね。三浦さんは、次の10年の展望をどのように考えているのでしょうか?

三浦:まず、いい作品を作らなきゃ生き残れない。自分たちでやっていて刺激がなかったら続かないし、すぐに摩耗してしまいます。それは集客にも如実に影響すると思います。一つひとつの作品でしっかりと仕事をしていかないと、10年後はないでしょうね。それは偽らざる気持ちです。ただ、全然別のこともあえて言いますが、一方で僕はすでに巨匠なんです(笑)。なぜかと言うと、10年後も絶対に演劇をやっているし、もし必要であればオペラでも商業演劇でもやれる。そういう意味での心配はありません。けれども10年後、日本の公共劇場が俳優を雇用できていないという状態だったら……現代演劇に未来はないでしょうね。

―この危機感は、とても重要なお話だと思います。

三浦:巨匠なので、本当はあまり懸念をしてはいけないんですけどね(笑)。

イベント情報
KAAT×地点 共同制作作品第4弾
『悪霊』

2014年3月14日(金)~3月23日(日)
会場:神奈川県 横浜 KAAT神奈川芸術劇場大スタジオ
原作:F.ドストエフスキー(翻訳:江川卓)
演出・構成:三浦基
舞台美術:木津潤平
衣裳:コレット・ウシャール
出演:
安部聡子
石田大
小河原康二
岸本昌也
窪田史恵
河野早紀
小林洋平
永濱ゆう子
根本大介
料金:一般3,500円 24歳以下1,750円 高校生以下1,000円 65歳以上3,000円

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プロフィール
三浦基(みうら もとい)

1973年福岡生まれ。地点代表。演出家。桐朋学園大学演劇科・専攻科卒。1999年より2年間、文化庁派遣芸術家在外研修員としてパリに滞在する。2001年帰国、地点の活動を本格化。05年、京都に活動拠点を移転。07年より「地点によるチェーホフ四大戯曲連続上演」に取り組み、第三作『桜の園』にて『文化庁芸術祭』新人賞受賞。ほか、『2011年度京都市芸術新人賞』など受賞多数。著書に『おもしろければOKか? 現代演劇考』(五柳書院)。主な演出作品にイェリネク『光のない。』、シェイクスピア『コリオレイナス』、ブレヒト『ファッツァー』など。



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