富士山の麓、地方都市の静岡にありながら、専用の劇場や稽古場を拠点として世界と直結した舞台芸術作品を発信し続けているSPAC-静岡県舞台芸術センター。今年は『マハーバーラタ~ナラ王の冒険~』が、世界最高峰の舞台芸術祭『アヴィニョン演劇祭』のメイン会場に招聘されるなど、その活動はさらに注目を集めている。
そして、SPAC芸術総監督を務める宮城聰が、2015年最初の作品として選んだのが、日本の「国民的作家」と考える宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』だ。小説家の山崎ナオコーラが初めて舞台脚本を手がけることでも注目されている今作品、稽古の始まった静岡芸術劇場を訪れて、二人の出会いから脚本を依頼した経緯、宮沢賢治の作品を今舞台化することの意味を聞いた。
(メイン画像:絵:清川あさみ(絵本『グスコーブドリの伝記』リトルモア刊より))
若い作家は自意識過剰な人が多いっていう先入観があったんですけど、山崎さんは全然そういうこともなくて、とても話がしやすいんです。(宮城)
―『グスコーブドリの伝記』は、お二人にとって初めてのコラボレーション作品になりますが、そもそも知り合ったきっかけから教えていただけますか。
宮城:初めてお会いしたのは、富山県の利賀村で行なわれた『利賀演劇人コンクール2013』でしたね。二人とも審査員として呼んでいただき、他には平田オリザさんや、写真家の石川直樹さんもいました。若手演出家たちの作品を10本以上観ながら批評したり、演出家本人を交えてディスカッションするんです。
山崎:小説の仕事では、作家同士で厳しい話し合いをしたり、自分の作品が目の前で誰かに批評されたりといったことがほとんどないので、貴重な経験をさせてもらえてありがたいのと同時に、演劇って怖いなとびびりもしました(笑)。宮城さんの第一印象は、とにかく話が面白い人。若手の作品を批評するときも、比喩を交えて、とてもわかりやすく説明されていました。審査員は10日間くらい合宿みたいに、利賀村に泊まり込んで過ごすんですが、ご飯食べながら話すような、ちょっとした雑談も、エッセイみたいにものすごく面白いんですよ。
宮城:若い作家というと、どうしても自意識過剰になってしまいがちな人が多いという勝手な先入観があったんですけど、山崎さんはそういうことも全然なくて、とても話がしやすかったですね。こんなにすんなり話ができる作家の人もいるんだなって思ったのを覚えています。
―実際に『グスコーブドリの伝記』を上演しようと思い始めたのは、いつぐらいだったんですか。
宮城:そのコンクールの1か月後くらいに、鈴木忠志さん(静岡県舞台芸術センター前芸術監督)の芝居を観に、また利賀村へ行ったんですけど、ちょうど同じ日に山崎さんも観に来られていて再会したんです。その頃、静岡県舞台芸術センター(以下SPAC)の2014年度公演プログラムを考えていて、その中の1つとして、宮沢賢治の作品をやろうかなと考えていました。
山崎:そういった年間のプログラムは、どういった基準で選ばれるのですか?
宮城:今度はどこの国の劇団を呼ぼうかとか、年代とか、シェイクスピアの何をやろうとか、全体のバランスを考えて作るんですけど、自分でも上演できずにたまっている作品リストがあって、今ならできるかもしれないと思ったり。それで新作をやるには何がいいかな? と考えたとき、宮沢賢治だと思ったんですね。たしか山崎さんに再会したとき、『グスコーブドリの伝記』って面白いかなぁ? って聞いたんだよね。
『グスコーブドリの伝記』稽古場風景 提供:SPAC-静岡県舞台芸術センター
山崎:偶然でしたが、私はその少し前に岩手県の花巻に行って、宮沢賢治の足跡をたどるような旅をしてきたばかりで。いろんな作品を読み返していた時期だったんです。
宮城:『グスコーブドリの伝記』は童話で、わりと地の文が多いので、脚本化するには脚色が必要になるんです。で、どういう人が向いているのかなって考えていたんですけど、いわゆる賢治の言葉を脚色しているようで、結局自分のことを書いちゃうタイプの人ではないほうがいいかなと。有名な原作をやるときって、あえて内容をひねったり、どこかに「『私』がやりました」っていう刻印を残したくなる欲望が、作家に沸き起こりやすいと思うんですけど、そういうスタンスの人じゃないほうがいいと。
―たしかに「自分がやるからには」って、独自のカラーを出すことが現代演劇なんだという風潮もありますよね。
宮城:『グスコーブドリの伝記』って、あらためて読むと問題のある作品というか、すべての点ですっきりしてなくて、火山を爆発させて気候を暖かくするという結末からして、「それって正しいの!?」って思いますよね。でも、そういった原作が持っている問題性をそのまま、観客が受け取れるほうがいいと思ったんです。で、そういう脚本を書ける人は誰だろう? って考えていたときに、鈴木さんの芝居を観ながら、ふと「あれ? 山崎ナオコーラさんがすごくいいかもしれない!」って思ったんです。
山崎:じゃあ、オファーをいただく直前に思いつかれたんですね(笑)。
宮城:そう(笑)。それで、次の演目を観る前の休憩時間にお蕎麦を食べながらオファーしたんですよね。
子どもの頃に絵本で読んだり、哲学者がえらい熱を込めて研究していたり、宮沢賢治ってものすごく幅があって、しかも子どもの頃に読んでから、卒業するっていうことがない。(宮城)
―宮城さんからオファーがあったとき、先ほどおっしゃったような脚色に関するお話は聞かれたんですか?
山崎:オファーをいただけた理由の、大体のところは理解できていたと思います。私は何かを伝えるために小説を書くことはしたくなくて、ただ文章のために小説を書きたいんです。作品を発表したあとに、「この作者はこう思っている」など、性別や経歴などから読解されるのがつらくて、「テキストだけをちゃんと見て欲しいのに」って思っていました。『利賀演劇人コンクール2013』の審査でも、作家論の話になったことが何度もあったんですが、「作家論ばかりするのはどうかと思います」って言ってしまって(笑)。そのあたりを宮城さんが見てくださっていたのでは、という気がしました。
―宮城さんにとって、『グスコーブドリの伝記』に挑戦しようと思った理由はどのあたりにあったんでしょうか。
宮城:『グスコーブドリの伝記』というか、宮沢賢治はいつかやってみたいと思っていたんです。変な言い方ですけど、たとえばイギリスの演出家でシェイクスピアを一度もやったことがないのはおかしいですよね。「国民的作家」と言われる人は、自国の演出家だったら一度は挑戦すると思うんです。じゃあ、日本の国民的作家って誰だろう? って考えたときに、夏目漱石や森鴎外は文豪と言われるけど、今の人たちにどれだけ読まれているのかわからない。そういう意味では、子どもの頃から絵本で読んだり、哲学者がえらい熱を込めて研究していたりとか、賢治はものすごく幅があって、一番そこに近い存在なんじゃないかと思ったんです。しかも子どもの頃に読んでから、卒業するっていうことがないですよね。
宮沢賢治は本当に天然の才能を持っていて、努力して近づけるようなものじゃない感じがあります。(山崎)
―ナオコーラさんにとって、宮沢賢治はどういうイメージでしたか?
山崎:小学校の教科書に載っていて、「いい人」(笑)。宮城さんからオファーをいただいたときに「日本の国民的作家って誰だろうね?」って話をされて、そううかがうと、賢治ってそうかもしれないな、って思いました。
『グスコーブドリの伝記』稽古場風景 提供:SPAC-静岡県舞台芸術センター
宮城:でも変な話ですけど、僕は賢治の何がそんなにすごいのか、じつはよくわからなかったんです(笑)。たとえば何か問題に直面したとき、「漱石だったらどう考えるだろう?」って考えられる。でも賢治の場合、「賢治だったらどう考えるだろう?」という以前に、そもそも賢治がどんな人なのかつかまえられない。本当に不思議なんですよ。
山崎:夏目漱石はインテリだから、頑張れば何とか少しは真似できるんじゃないかっていうのはありますよね。でも、宮沢賢治は本当に天然の才能を持っていて、努力して近づけるようなものじゃない感じはあります。
宮城:そういえば、吉本隆明も「若い頃は賢治のようになりたかったけど、だんだん自分なんかとはケタ違いのすごい人で、ああいう風になろうと思うこと自体がおこがましかった」みたいなことを書いているんですよね。
山崎:10代のときに『雨ニモマケズ』をトイレに張って暗記した覚えがありますけど、ゆくゆく考えるとリズム感とか、言語センスがすごいのかもしれません。口に出して言いたくなるリズムで、研ぎ澄まされていますね。
『グスコーブドリの伝記』稽古場風景 提供:SPAC-静岡県舞台芸術センター
宮城:ある文庫本の解説に「日本人に最も親しまれている詩は、間違いなく『雨ニモマケズ』だ」って書いてあって、たしかにそうだなって。そもそも日本人は詩の暗唱なんてしないのに、これほど知られている詩も珍しい。でも、あの詩のどこがスゴイのかと考えてみても、よくわからないんです。役者がアドリブで、「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ」と言いながら、「玄米食べ過ぎ!」って突っ込んでたけど(笑)。
山崎:実際にどれくらい食べているのかっていうよりも、リズムで考えているのかもしれませんね。「玄米二合」より「四合」(笑)。
グスコーブドリは偉い人なんだ、っていうんじゃなくて、なんか可愛い人だなって感じてもらえたら成功だと思います。(宮城)
―脚本化する上で、ナオコーラさんはどんな点に注意して取り組みましたか?
山崎:私の仕事は、言語センスを生かして原作を浮き彫りにするような台詞を考えることだと思っていました。ひらがなや漢字の組み合わせによる「文字」から感じるのと、声に出された言葉から感じるのは違うので、その部分を想像するのが大変でしたね。
宮城:面白いのが、稽古が始まって台本を何度も読んでいると、全部賢治が書いていることのように思えてきちゃうんです。このあいだ久しぶりに原作を読んだら、こんなに書いてなかったんだって気づきました。第1幕なんて原作にはまったく会話がないのに、オノマトペ(擬声語)とかも賢治らしくて、台本には、麦を蒔く音を「ぽろろん」って書いてあるけど、これも山崎さんの創作ですよね?
山崎:あ、そうですね。この「ぽろろん、ぽろん」の箇所は私が考えたと思います。
宮城:役者に「これは麦の穂を本当に撒いた人間にしかわからない感覚なんだよ!」とか、的はずれなことを言っちゃってた(笑)。でも本当に、まったく狙い通りに書いてくださった感じです。
山崎:さっき宮城さんがおっしゃった通り、「宮沢賢治論」だとか「解釈」だとかは入れないように、ただ、賢治の面白さがまっすぐ出るようにしたい、と思っていました。それと、「よく演劇を勉強したな」というより、むしろ「無茶な脚本を書きやがったな、どう演出すればいいんだ?」みたいな脚本のほうが、宮城さんは喜んでくれるだろうと思って書いたんです。
宮城:実際その通りで、脚本の第1稿を読んだときは、「これ、どうやって上演するの?」っていうシーンが結構あったんですよ。でもそのほうが演出家としては面白いわけです。それから山崎さんは「グスコーブドリの人物像はあまりにも立派すぎて、ちょっと引いてしまう。もう少し可愛い人に書けたらいい」って、言ってましたよね。すごく「なるほど」と思ったところで、お客さんも舞台を観て、グスコーブドリは偉い人なんだ、っていうんじゃなくて、なんか可愛い人だなって感じてくれたら成功だと思います。
自分の芸術的才能が世の中に少しでも役に立つとしたらどういうことができるのか? と宮沢賢治が考えて書いたのが『グスコーブドリの伝記』ではないかと思うんです。(宮城)
山崎:宮城さんは、グスコーブドリというキャラクターをどう捉えているんですか?
宮城:僕は、自分の仕事に引きつけて考えてしまうのかもしれないけれど、「1人の近代的自我を持ってしまった芸術家の苦悩」として原作を読んでしまうんです。どういうことかというと、賢治は生前に発表した作品こそ少ないけれど、やっぱり若い頃から自分には詩や文章を書く才能があることを薄々感じていて、それと同時に、世の中の役に立ちたいという気持ちがあって、その2つをくっつけようとしたと思うんですね。
『グスコーブドリの伝記』稽古場風景 提供:SPAC-静岡県舞台芸術センター
山崎:賢治のレベルとはまったく違いますが、私も少しわかる気がします。若いときは、自分が書いた文章が活字になったり、本になったりするというだけですごく嬉しくなったのですが、30代になってからは、作家の社会的役割は何なのか、作品が社会の中でどういう働きをするのか、ということが気になって仕方がないんです。
宮城:僕の想像ですが、賢治は農民芸術運動みたいなことを始めようと、農民たちと一緒に劇を作ったり、文章を書かせてみたり、いろいろやってみたんだけど、やっぱり「あるクオリティー」を超えているものは自分以外には作れないし、芸術によって農民たちの生きる意欲が沸いたり、農業の収穫量が上がったりすることもなかった。結局、賢治が心酔していた法華経にもあるように、「芸術的才能なんてものは世の中にとって何の役にも立たない」という思いがだんだん増していったと思うんです。それでも最後の最後に、自分の芸術的才能が世の中の少しでも役に立つとしたらどういうことができるのか? と考えて書いたのが『グスコーブドリの伝記』ではないかと思うんです。
―『グスコーブドリの伝記』は、賢治が亡くなる前年に発表された作品です。
宮城:そう考えると、賢治自身がこの作品を書いて発表したことは、物語の最後にグスコーブドリが火山を噴火させて死んでしまうのと重なって見えてきます。グスコーブドリは優れた人で他の人より能力がある。だけど、本当に自分が世の中の役に立っているのかは、彼自身よくわからないわけですね。そして、善を行うとか自己犠牲の精神とかではなく、自分と世界をつなぐための唯一の道をとって死んだだけにすぎない。そうしなければ、自分の存在自体が何の意味もないことになってしまう。普通の人は手帳にメモしたところで、あんなにいろんなことを覚えてできるようになるわけがなくて、クーボー博士の授業でも、本質を理解しているのはグスコーブドリだけだし、「俺なんて6年受けているけど(博士の言うこと)わかんないぜ」と話すキャラクターとか、ああいうところに一種の絶望って言うのかな、結局みんなはわからないんだ、みたいなことが表れているように思うんです。
―まさに宮沢賢治の置かれた状況がメタ的に表現されている。
宮城:つまり、賢治がこの作品を生前に発表したのも、文芸の力で世の中に「少しだけ」は良いことができるんじゃないかという最後の賭けだったことになります。これを読んだ岩手の農民が、将来苦しめられるかもしれない自然災害に関心を持って、何らかの対策を立てるようになるとか、それによって災いが「少しずつ」だけ小さくなっていくとか、そういうことを期待したのかもしれないと思うんです。
賢治の考え方に寄り添うならば、むしろ辛いことに関心を持ち続け、より曇りのない眼で見ていくことが、この先悲劇が減っていくことに少しでもつながるんじゃないかと思っています。(宮城)
―『グスコーブドリの伝記』は、火山や自然災害を描いた作品ですが、今のタイミングの日本で今作品を上演するということには、いろんな意味を考えてしまいます。
宮城:僕らは、非常に辛いことがあると自然と蓋をするというか、無意識にでも忘れようとしてしまうじゃないですか。もちろん……その直後は痛みを共有するけれど、あまりにも辛いと、本質に目を向けないですむように意識をズラしておくようになる。でも長い間それをしていると、本当に忘れてしまったかのようになってしまいますよね。自然災害だけじゃなく、戦争を経験した人も多くがそういう状態になったと思うんです。そしてまた悲惨な出来事が繰り返される。賢治はそう考えたから、この作品を書いたんじゃないかと思うんです。その賢治の考え方に寄り添うならば、むしろ辛いことに関心を持ち続けること、より曇りのない眼ではっきり目を向ける、あからさまに見ていくことを選んだほうが、この先、悲劇が減っていくことに少しでもつながるんじゃないか、そういう立場に立つべきだろうとは思っています。
―それは、今のわれわれ誰もが考えるべき問題ということですね。
宮城:こういう話はちょっと微妙だし、触るのは危険だよねっていう空気は、もちろん自分の中にも周囲にもあるわけなんですけど、賢治の遺言というか、彼が一生をかけて、唯一の可能性を賭けて発表した作品だと考えると、芸術に携わる人間として、やはりそこに僕らも賭けてみるべきじゃないかと思ったんです。
『グスコーブドリの伝記』稽古場風景 提供:SPAC-静岡県舞台芸術センター
―そんな『グスコーブドリの伝記』を舞台化するにあたって、演出では役者が等身大の人形を操って台詞を話すことになるそうですね。
宮城:シリアスな問題やテーマを孕みつつも、それだけの作品ではないし、すべてをファンタジーとして描いてしまうと、農民の現実や問題の切実さが感じられなくなって、グスコーブドリの抜き差しならぬ生き様みたいな本質も伝わらない感じがします。そこで人形を使えば、リアルな場面と空想みたいな場面を両立できるかもしれないと思ったんです。それでもグスコーブドリだけは、旅人というか、作品世界のページをめくっていく読者でもあるので、彼だけは生身の役者にしました。
山崎:何度か稽古を拝見させていただきましたが、「うわ~、言葉のプロだ!」って感じで(笑)、俳優が発語する台詞も自分で音読するのとはまったく違って、完全に自分の手から離れて、別物が育っていくような感じでした。宮城さんの演出も仕掛けがたくさんあって、絶対に面白い舞台になると思うので、ぜひ多くの皆さんに観ていただきたいです。
イベント情報
『グスコーブドリの伝記』一般公演
2015年1月17日(土)、1月18日(日)、1月24日(土)、1月31日(土)、2月1日(日)全5公演
会場:静岡県 静岡芸術劇場
演出:宮城聰
作:宮沢賢治
脚本:山崎ナオコーラ
出演:
美加理
阿部一徳
池田真紀子
大内米治
木内琴子
大道無門優也
本多麻紀
森山冬子
山本実幸
吉植荘一郎
渡辺敬彦
主催:SPAC‐静岡県舞台芸術センター
料金:一般4,100円 SPACの会会員割引3,400円 大学生・専門学校生2,000円 高校生以下1,000円
※その他割引プランあり
『グスコーブドリの伝記』中高生鑑賞事業公演
2015年1月13日(火)、1月14日(水)、1月15日(木)、1月16日(金)、1月19日(月)、1月21日(水)、1月22日(木)、1月23日(金)、1月26日(月)、1月27日(火)、1月28日(水)、1月29日(木)、1月30日(金)全13公演
会場:静岡県 静岡芸術劇場
※鑑賞事業公演の一般販売は限定数のみ、取り扱いは電話と窓口のみ。
※1月13日、1月16日、1月23日、1月28日、1月29日は一般販売なし。
※一般公演初日の1月17日(土)は、片道1,000円の渋谷からの劇場往復バスを運行。
劇場往復バス 【変身】【グスコーブドリの伝記】【ハムレット】 | SPAC
- イベント情報
-
- 『グスコーブドリの伝記』一般公演
-
2015年1月17日(土)、1月18日(日)、1月24日(土)、1月31日(土)、2月1日(日)全5公演
会場:静岡県 静岡芸術劇場
演出:宮城聰
作:宮沢賢治
脚本:山崎ナオコーラ
出演:
美加理
阿部一徳
池田真紀子
大内米治
木内琴子
大道無門優也
本多麻紀
森山冬子
山本実幸
吉植荘一郎
渡辺敬彦
主催:SPAC‐静岡県舞台芸術センター
料金:一般4,100円 SPACの会会員割引3,400円 大学生・専門学校生2,000円 高校生以下1,000円
※その他割引プランあり - 『グスコーブドリの伝記』中高生鑑賞事業公演
-
2015年1月13日(火)、1月14日(水)、1月15日(木)、1月16日(金)、1月19日(月)、1月21日(水)、1月22日(木)、1月23日(金)、1月26日(月)、1月27日(火)、1月28日(水)、1月29日(木)、1月30日(金)全13公演
会場:静岡県 静岡芸術劇場
※鑑賞事業公演の一般販売は限定数のみ、取り扱いは電話と窓口のみ。
※1月13日、1月16日、1月23日、1月28日、1月29日は一般販売なし。
- プロフィール
-
- 宮城聰 (みやぎ さとし)
-
1959年東京生まれ。演出家。SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督。東京大学で小田島雄志・渡辺守章・日高八郎各師から演劇論を学び、1990年ク・ナウカ旗揚げ。国際的な公演活動を展開し、同時代的テキスト解釈とアジア演劇の身体技法や様式性を融合させた演出は国内外から高い評価を得ている。2007年4月SPAC芸術総監督に就任。自作の上演と並行して世界各地から現代社会を鋭く切り取った作品を次々と招聘、また、静岡の青少年に向けた新たな事業を展開し、「世界を見る窓」としての劇場づくりに力を注いでいる。2014年7月アヴィニョン演劇祭から招聘されブルボン石切場にて『マハーバーラタ』を上演し絶賛された。その他の代表作に『王女メデイア』『ペール・ギュント』など。2004年第3回朝日舞台芸術賞受賞。2005年第2回アサヒビール芸術賞受賞。
-
- 山崎ナオコーラ(やまざき なおこーら)
-
作家。1978年生まれ。2004年「人のセックスを笑うな」で第41回文藝賞を受賞してデビュー。他、著書に『浮世でランチ』『カツラ美容室別室』『論理と感性は相反しない』『男と点と線』『この世は二人組ではできあがらない』『ニキの屈辱』『昼田とハッコウ』などがある。最新作は『太陽がもったいない』。
- 山崎ナオコーラのオフィシャルサイト | 新刊情報や最新の執筆情報を発信。
- フィードバック 0
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-