挫折した元ボクサーが富士山を激写 写真家・井賀孝インタビュー

井賀孝は、写真家でありながらグレイシー柔術(ブラジリアン柔術)の指導を行う格闘家でもある。さらに、山伏修行を経験し、冬山登山を行うなど、自身の身体を酷使しながら写真を撮影してきた人物だ。

彼が富士山を撮影した展覧会『不二之山_新』が、東京ミッドタウンにある富士フイルムフォトサロンで開幕する。冬場の人を寄せ付けない厳しい富士山の姿のみならず、まるで東京のど真ん中のような人混みに溢れた夏の山頂もまた、富士山の一面である。そこに映し出される二面性に戸惑いながらも、私たちは「富士山」という日本を象徴する最高峰への想像を膨らませる。

自ら何十回と富士山に登り、凍傷に襲われながらもその様々な姿を写真に収めてきた井賀。過去にはグレイシー柔術の本場ブラジルでジムの門戸を叩き、そこに集う格闘家たちを撮影した彼はなぜ、被写体を変えても常に自分の身体を追い込みながら写真を撮り続けるのだろうか? そこに見えたのは少年時代からの「強さ」への渇望と、それをストイックに追い求め続けた先の、悟りとも言える万物への畏敬の念だった。

日常的に闘い続ける格闘家には、存在として無視できない強さがあるんです。

―まずはおめでとうございます。先日、ブラジリアン柔術の黒帯を取得されたそうですね。

井賀:ありがとうございます。写真家なのにそこからですか(笑)。ブラジリアン柔術の黒帯は取るのが難しくて10年くらいかかるので、日本でも持っている人は少ないんです。僕も10年かかってようやく黒帯になりました。

井賀孝
井賀孝

―指導者として後進の育成にあたるなど、本気で柔術に取り組んでいらっしゃるそうですが、写真と格闘技、どちらの出会いが早かったんでしょうか。

井賀:格闘技が先ですね。高校生のときにボクシングを始めたのが格闘技にのめり込んだきっかけです。その頃は、写真を見ることも撮ることもなかったので、昔の友人とFacebookでつながるとびっくりされますね(笑)。当時はヤンチャで、文化芸術には一切興味がなかったんです。

―井賀さんの名前を世に知らしめたのも、ブラジルでヴァンダレイ・シウバやアレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラなどの格闘家を密着撮影した『ブラジリアン バーリトゥード』(情報センター出版局、2002年)でした。

井賀:これを撮影したときは、自分にとっても本当に「抜けた」という感じがありました。ブラジリアン柔術を始めてから、いつかはブラジルに行きたいという思いがあり、30歳で実現したんですが、当時はブラジルの写真集も、ブラジリアン柔術の写真もほとんどなかった。この写真は自分にしか撮れないと思ったし、写真家としてのスタイルを見つけることができました。かばんに道着とカメラを入れて「練習させてくれ」と門をたたき、練習を共にする。格闘技も写真もノンバーバル(非言語的)だから、即興でコミュニケーションを取りながら信頼を深めなければなりません。一緒に練習をして、写真を撮らせてもらう、そんな撮り方が自分のスタイルになっていったんです。

『ブラジリアン バーリトゥード』(情報センター出版局)より

『ブラジリアン バーリトゥード』(情報センター出版局)より
『ブラジリアン バーリトゥード』(情報センター出版局)より

―格闘家は、他の被写体とは何が異なるのでしょうか?

井賀:やっぱり彼らは味のあるいい顔をしているし、日常的に闘っているから身体もいびつで傷だらけ、個々に違いがあって、存在として無視できない強さがあるんです。格闘家を撮り続けると、他の人が物足りなくて撮影できなくなってしまいますね(笑)。

―格闘家を捉える視点も独特のものを感じます。

井賀:ストロボを焚いて一瞬を切り取るというより、自然光でシャッタースピードを遅めにして時間止めないようにしています。動きが出てきて連続性がイメージさせられるし、ブラジル自体もそういうイメージに合っている。熱いし、躍動感のある国だから。

―格闘技と写真の共通点は?

井賀:僕にとって写真で大事なことは、一瞬のスピードと身体性の高さ。それは格闘技と同じです。動体視力で被写体を捉え、その動きに瞬時に反応してカメラを操る。あらゆる表現の中でも、ダンサーと同じくらい身体性の高さを求められる芸術なんじゃないかと思っています。

『ブラジリアン バーリトゥード』(情報センター出版局)より
『ブラジリアン バーリトゥード』(情報センター出版局)より

―その他にも、修験道(山籠りの修行で悟りを開く、日本古来の山岳信仰と仏教が合わさった思想)や富士登山など、井賀さんの写真にはフィジカルな要素が常に関わっています。高校生で始めたボクシングもかなり真剣に続けられていたんですか?

井賀:真剣でしたね。でも結局は挫折したんです。理由は親の反対だったり色々ですが、最終的には18歳のときに自分の判断で辞めて、格闘技からも遠ざかっていた時期がありました。そのときはボクシングの代わりに打ち込めるものを……と模索しつつ、ずっと引きずっていましたね。

―そこで出会ったのが写真だった?

井賀:当初は文字で何かを伝え、表現するジャーナリストになろうと養成講座に通い始めたんです。でも、今考えれば当たり前の話ですが、ジャーナリストといえど、新聞社や出版社から求められるものを書くわけで、何でも自由に書けるわけじゃない。だったら写真は撮ってしまえば「リアリティー」の強さがあるし、自由に表現できる余地があるのではと、突然写真家になろうと決めて、カメラを買いに行きました。24歳の頃です。

親の説得を振り切れずにボクシングを辞めたことをずっと後悔していました。だから絶対に諦めてはいけないと、カメラマンを続けることを選びました。

―ボクシングに明け暮れた10代を経て、何の基礎もなく突然24歳でカメラマンを志す……不安はなかったのでしょうか?

井賀:ありましたよ。独学で写真の勉強を始め、最初のうちはただ楽しく友人のスナップ写真を撮っていたのですが、それも最初の1年くらい。次第にどうにもならないことに焦りを覚えました。それからは肉体労働のアルバイトをしながら情報を集めて写真展に行ったり、美術館の図書室で写真集を見まくったり……。そこで衝撃を受けたのが、ダイアン・アーバス(フリークスと呼ばれる人々を撮影したアメリカの写真家)、セバスチャン・サルガド(写真家集団マグナム・フォトに在籍し、社会問題を撮影した写真家)、リチャード・アヴェドン(アメリカのファッション写真家)といった写真家たち。日本人だとアラーキー(荒木経惟)ですね。

『ブラジリアン バーリトゥード』(情報センター出版局)より
『ブラジリアン バーリトゥード』(情報センター出版局)より

―フリークスから社会問題、ファッションと、かなり幅広い写真家たちですが、そこに惹かれたポイントとは何だったのでしょう?

井賀:やっぱり「強さ」です。たとえば、アヴェドンはポートレート写真において、被写体の佇まいだけで強い写真を作っているし、アラーキーの写真も物語性や訴求力があり、強いと感じます。1枚だけで成り立つような「強さ」のある写真に惹かれるんです。

―そういったレジェンドたちの「強い写真」に憧れつつ、当時はどのような写真を撮られていたんですか?

井賀:なかなか出口は見えず、完全に迷走状態でしたね(苦笑)。それで27歳の頃、ニューヨークに約1年間滞在したこともありました。環境を変えれば、何か見つけられるんじゃないかって。でも当然ですが、撮る場所を変えたところで、写真家としての自分は見つけられない。むしろ世界中から面白い人々が集まるニューヨークで、写真を撮る意義すらも見失い始めました。

―自分が撮る必然性がどこにあるのかと。

井賀:ええ。そこで精神的にも落ちてしまって、悶々としながら道端に座り込んでいたときに、ブラジリアン柔術のチラシを渡されたんです。

―そこで転機が。

井賀:いや、そのときは撮るものなんて何にもないし、暇つぶしに覗いてみようくらいの気持ちで。実際やってもみても最初は全然面白くない。ボクシングよりスピード感もないし、寝技も地味だし。でも、やり続けているうちに面白さがわかってきたんです。

―18歳でボクシングを辞めてから、久しぶりの格闘技だったんですか。

井賀:そうですね。ボクシングを諦めてカメラマンを目指したのに、それすらも挫折しそうになっている。結局帰国してからも上手く行かず、身体を壊して一度実家に帰ったんです。そこで親に「もう辞めろ」と説得されて。僕は一人っ子なので色々心配もかけてきたし、ボクシングを辞めたのもそんな理由があったのですが、親の説得を振り切れずにボクシングを辞めたことをずっと後悔していました。だから、今度は絶対に諦めてはいけないと感じて、カメラマンを続けることを選んだんです。

井賀孝

―そのあたりから本格的なキャリアが始まるわけですね。

井賀:ニューヨークで撮影した写真で作品集を作って、『ROCKIN'ON JAPAN』や『Number』などの雑誌に持ち込み、ようやくプロカメラマンとしてのキャリアがスタートしました。一応、ニューヨークで格闘家の写真も撮っていたから、面白い奴だと思ってもらえたのかもしれません。でも、本当に「抜けた」と思えたのは、その数年後にブラジルに行ってからですね。

―アメリカとブラジルは違う?

井賀:心の問題もあるけど、ニューヨークは集まっている人たちの数も多く、ほとんどの表現がすでに行なわれていて、そこから抜け出せる感じがしませんでした。ヒエラルキー社会の感じもすごすぎて、そこで黄色人種が上がっていけるとは到底思えない。ブラジルは貧富の差もひどくて、危険なところもあったけど、まっ平らで開放的な感じがした。今思えば、未知の写真を開拓していくようなワクワク感もあったかもしれない。地球の反対側から来たからと、格闘家たちもバンバン撮らしてくれたんです。

山伏の世界は衝撃的な超タテ社会で想像以上に厳しかった。

―その後、『ブラジリアン バーリトゥード』が刊行され、格闘技の写真家として知名度を得たにも関わらず、井賀さんは修験道を始め、2012年には『山をはしる―1200日間山伏の旅』(亜紀書房)を上梓しています。

井賀:30代はブラジルやアメリカ、オランダなど、外国での撮影をたくさんしていましたが、あるとき日本を撮影していないことに気付いたんです。多くの人が言うことですが、外国に行くと日本の素晴らしさを実感します。「次は日本を撮ろう」と思い、山というモチーフが浮かびました。日本の国土の76%は山ですから、山を撮ることは日本を撮ることにつながるのではないかと思ったんです。

『山をはしる――1200日間山伏の旅』(亜紀書房)より

『山をはしる――1200日間山伏の旅』(亜紀書房)より
『山をはしる――1200日間山伏の旅』(亜紀書房)より

―山を撮るといっても普通の山岳写真ではなく、『山をはしる』では、山伏という存在にフォーカスしていますね。

井賀:和歌山出身なので、高野山や熊野などの山々に馴染みはありましたが、その山中で厳しい修行をする修験道の存在を知り、こんな文化が日本にあったのかと驚きました。調べてみたら、紀伊半島の山々を縦断する「奥駈」という修行があって、それを体験せずして日本の山を撮っているとは言えないだろうと。で、実際の修行に参加してみたら、写真だけでは伝えきれないところもある衝撃的な世界でした。

―どのような修行を経験したのでしょうか?

井賀:吉野から熊野までの山を9日間かけて歩く修行で、体力的にも厳しいけれど、山伏の超タテ社会がもっと厳しかった。格闘技をやってきた人間なので、そういうのは全然大丈夫だと思っていたけど、こんな世界があるのかって……。40代、50代のおじさんたちが平気で怒鳴られる世界です。もちろんただのいじめではなく、そこには「山に入ると俗世間での役職は関係ない」という思想があります。1年目はどんな修行が待っているのかもわからず、カメラを持たずに行ったんですが、終わってから大先達に、来年撮らしてくれないかと直談判しました。それで2年目から撮影をしています。

『山をはしる――1200日間山伏の旅』(亜紀書房)より
『山をはしる――1200日間山伏の旅』(亜紀書房)より

―修行を経験したことで、井賀さんの中で何か変化はありましたか?

井賀:写真家としては変わっていませんが、人間としては少し変わった気がします。あらゆる場所に神様が宿っているという思想や、大きなものに対する感謝の想いなどを自然と受け入れるようになりました。

―それはある意味、身体的な強さから精神的な強さへと興味の軸が移っていったということでしょうか?

井賀:そういう部分はあるかもしれません。格闘技も修験道も、どこかでつながっているような気がするんです。格闘家と山伏は、そう大きく違うものではないと思います。

富士山の写真集はいくらでもあるし、誰でも撮っている。他の写真家からは「富士山だけは手を出すな」というアドバイスを頂きました。

―2014年に刊行された『すべての山を登れ。』(淡交社)では、本格的に山々の写真へとシフトしていきました。

井賀:単純に、昔からゴジラやウルトラマンのようにデカくて強いものに惹かれるんです(笑)。どーんというわかりやすい直球勝負。ただ、あくまでも日本を撮影したいという思いから山を撮影しています。だから、外国の山を撮影することもないし、山岳写真家になったわけでもないんです。

『すべての山を登れ。』(淡交社)より

『すべての山を登れ。』(淡交社)より
『すべての山を登れ。』(淡交社)より

―「デカくてどーんとしている」中でも、究極の山が富士山です。

井賀:『すべての山を登れ。』で和歌山、北海道、鹿児島など全国の山を撮影し、たどり着いたのが富士山でした。これは『不二之山』という同年に出版した写真集にまとめていますが、そのタイトルがすべてを物語っています。日本で1番大きくて、1番登られていて、きれいな独立峰で、本州の真ん中にある。日本に2つとない山だと思います。

―ただ、富士山はプロの写真家だけでなくアマチュアカメラマンや素人の被写体ともなる、いわゆる「ベタ」な山ですよね。ブラジルの格闘家や山伏の世界とは真逆の被写体でもあります。

井賀:そのとおりです(笑)。富士山の写真集はいくらでもあるし、誰でも撮っている。山梨在住のプロカメラマンからは「富士山にだけは手を出すな」というアドバイスを頂きました。

―(笑)。それでも被写体にするにあたり、何か勝算はあったのでしょうか?

井賀:撮影を始めた頃、いつか発表したいと漠然と考えていましたが、1冊の写真集になるとは思っていませんでした。最初は冬の富士山の山頂に立ちたい、それを写真に収めたいという思いがあったんです。荒れた冬の富士山はヒマラヤ並みの暴風が吹き荒れ、体感温度はマイナス30度。死がすぐそこにある世界です。その冬の富士の頂上に立つと決めて、3年間のトレーニングを行いました。

『不二之山』(亜紀書房)より
『不二之山』(亜紀書房)より

―『不二之山』のページをめくっていくと、前半は人を寄せ付けない、厳しい冬の富士山の風景が広がっていますが、後半に行くにつれて多くの人々がご来光を待つ夏の富士山の様子も収められています。

井賀:そこは初めから狙っていました。富士山に登るとき、みんな「しんどいな」とか「腹減ったな」とか、俗っぽいことを考えながら登っていますよね。それなのに山頂では、まるで幕が上がるのを待つかのように、シーンと静かにご来光を待っています。その静けさが、ご来光が訪れた瞬間、歓喜に変わるんです。そのとき、普段は信仰心を持っていない人でも、自然と手を合わせたり、頭を垂れるような気持ちになります。そこに、八百万の神や太陽信仰など、自然を敬う日本人の原点を見る気がするんです。

『不二之山』(亜紀書房)より
『不二之山』(亜紀書房)より

―冬の人を寄せ付けない富士山だけでなく、人混みで混雑する「ベタ」で「俗」な富士山の姿から、日本人の根底にあるメンタリティーが見えてくる。

井賀:普通、登山家や写真家は、景色や山の様子は写真に収めても、山頂に集う人々の姿なんて当たり前すぎて写真に収めないんです。でも、世界的に見てもこれは珍しい光景であり、日本人の姿を表しているのではないかと思います。

格闘技も山伏も富士山も、自分の中ではブレていません。僕は本物が見たい。スゴイものを知りたいだけなんです。

―井賀さんのキャリアを追っていくと、「強さ」の質がどんどん変わっているように見えてきます。格闘家が持つ身体的な強さから、修験者の精神的な強さ、そして山が持つ自然の強さへ。「強さ」の本質を追求しているようです。

井賀:修験道の修行をした影響があるのかもしれませんね。若い頃は「世に出たい」「認めてもらわないと発言できない」という気持ちがありましたが、歳を重ねるにつれてそういった感情が小さくなっています。強さを追い求めるという気持ちも30代になるとだんだん薄れてきました。ただ「自分が撮れるもの」を目指し、問うていたら、こんなキャリアになっていた。格闘家も、山伏も、富士山も、自分の中ではブレていません。僕は本物が見たい、スゴイものを知りたいだけなんです。

―間もなく、富士フイルムフォトサロンで、個展『不二之山_新』が開催されますが、ここでは写真集に収められた作品だけでなく、新作も展示されるそうですね。

井賀:写真集の作品展示だけでもいいと言われたのですが、それでは自分があまり燃えません。昨秋以来、また富士山に登り続けてきたので、今回は日本としての富士山ではなく、宇宙や、地球、大地といった物質、エネルギーとしての富士山を実感できるような新作展示にしたいと考えています。フライヤーに使用している写真は、富士山特有の竜巻に巻き込まれながら撮影したときの1枚です。この写真を撮ったとき、富士山が生きているということを感じました。

井賀孝写真展『不二之山_新』より

井賀孝写真展『不二之山_新』より
井賀孝写真展『不二之山_新』より

―富士山の日本的な精神性と関連する「強さ」から、石や土、地面といった地球規模の「強さ」への欲求へとシフトしているのでしょうか?

井賀:そうですね。その一方で、山伏修行の経験から「たかが写真」「たかが人間」という感覚も持っています。自分の作品で富士山のすべてを表そうという傲慢さはありません。大いなるものに対する畏怖の感情は、常に持っています。

イベント情報
写真家たちの新しい物語 井賀孝写真展
『不二之山_新』

2015年5月1日(金)~5月14日(木)
会場:東京都 六本木 東京ミッドタウン内 FUJIFILM SQUARE(フジフイルムスクエア)
時間:10:00~19:00(入場は閉場の10分前まで、5月14日は16:00まで)
料金:無料

トークショー
『圧倒的に美しいものには意味がある』

2015年5月8日(金)
会場:東京都 六本木 東京ミッドタウン内特設会場
出演:井賀孝
ゲスト:井浦新

書籍情報
『不二之山』

2014年2月18日(火)発売
価格:3,888円(税込)
発行:亜紀書房

プロフィール
井賀孝 (いが たかし)

1970年、和歌山市生まれ。写真家。高校時代はボクシングに没頭し、大学卒業後、独学で写真を始める。27歳のときニューヨークで出会ったブラジリアン柔術がきっかけで「闘って撮る」写真家の道を志向。その後、ブラジルに何度となく通うなかで数多くの総合格闘家たちと交わり、『ブラジリアン バーリトゥード』(情報センター出版局)を刊行。2008年から、より根源的なものに魅せられて山に登り始める。現在、山伏修行をしながら、各種メディアにて格闘家やスポーツ選手、アーティスト等の撮影をこなす。トライフォース柔術アカデミー池袋本部にて指導者としても活躍中。



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