近年、スマートフォンや携帯プレイヤーの普及、そしてハイレゾのカジュアル化により、イヤホンが空前のブームを呼んでいる。音楽ファンにとって、よりいい音で楽曲を楽しみたいのは当然の欲求だ。しかし、家電量販店のオーディオコーナーには、1,000円台のリーズナブルなイヤホンから10万円、20万円する高級品までずらりと並ぶ。本当に「いい音」とはなんだろう? 高価なイヤホンと低価格のイヤホンは、どこが違うのだろう? 音楽好きならそんな素朴な疑問を1度は抱いたことがあると思う。
今人気を高めているのが、使う人一人ひとりの耳型を採って作るテーラーメイドの高級イヤホンだ。長年ソニーのヘッドホン設計を手掛ける「五代目耳型職人」の松尾伴大が立ち上げたオーダーメイドヘッドホンブランド「Just ear」は、耳型だけでなく好みの音質まで細かく調整し、世界にひとつだけのイヤホンを製作してくれる。この製品に深い関心を示したのが、オーディオにこだわるミュージシャン、クラムボンのベーシスト・ミト。今回は実際にミトが自分の耳型を採り、好みの音質をオーダーする現場に密着し、最高のフィット感を追求するイヤホンの製作過程を拝見しながら、「音のプロ」であるミトと松尾に「いい音」と「いいイヤホンの鳴り方」について話してもらった。
(フラットな音に行き着くまで)ベンツの中古車が2台ほど買えるくらいのお金は費やしたかも知れません(笑)。(ミト)
―ミトさんはお仕事として毎日「いい音」に接していらっしゃると思います。当然、オーディオにもかなりこだわられているそうですが。
ミト:そうですね、こだわるというか……それも仕事の一部なので、一般的なオーディオファンの方ともまた接し方は違うと思いますが、オーディオにはかなりのめりこんでいます。最初は楽器のシールドとか電源ケーブルを替えるところから始まったんです。ケーブル類を替えるだけでも、ワイドレンジが広がったり、超タイトになったりする。
松尾:そうですね。
ミト:そうするうちに、次はプロのサウンドエンジニアさんたちが言う、いわゆる「フラットな音」を追求することに奔走するようになったんですよ。いろいろ試してみた結果、例えばモニター環境ならレコーディングスタジオの定番であるBrystonのアンプ、スピーカーはYAMAHA NS-10Mで、スピーカーケーブルはWestern Electricにするとか、いわゆる「王道」に行き着いて、「なるほど、フラットな音というのはこういうことなんだ」と納得した。期間にすれば十数年間のことなんですが、そのあいだにベンツの中古車が2台ほど買えるくらいのお金は費やしたかも知れません(笑)。
―そんなミトさんですから、イヤホンにもさぞこだわられるのではと思うのですが。
ミト:そうですね、それもいろいろ仕事として試していった結果、今はヘッドホンを4種類、イヤホンも5種類ほど持っています。
大切にしなければならないのが、音楽制作者が出したいほんのちょっとの細かいニュアンスを再現できるかどうか。(松尾)
―最近はイヤホンにこだわる一般の音楽ファンもすごく増えていますよね。以前では考えられないほど商品のバリエーションも多様化し、性能も向上していると感じます。
ミト:うん、たしかに。イヤホンが発達したのは、プロの人たちがライブモニターとして使っていたインイヤーモニター(外部の音を遮断するため、外耳に差し込んで装着するタイプ。以下、イヤモ二)の存在が、どんどん一般のオーディオユーザーに広がっていったからだと思いますね。加えて昨今、音源のハイレゾ化が進んだことも大きい。ハイレゾは世界的規模のブームですが、とくに日本はカジュアル化が進んでいます。スマートフォンや携帯プレイヤーのメモリーが増えて、ファイルサイズの大きな音源がダウンロードできるようになったので、誰でも簡単にいい音質で音楽が楽しめる。そうなると、よりいい音を体験しようと、いい音のイヤホンを求めるようになりますからね。
松尾:そうですね。その通りだと思います。
ミト:そうして、パーソナルな音楽視聴環境が整ってくると、今度は「自分が求める音」を追求したくなるのは当然で。それは私も同様ですね。でも私の場合は、一つひとつ確かめながら進んできたので、その域に達したのは今年くらいの話ですけど(笑)。
松尾:今年でしたか!
―音の世界は奥が深いですね……。素人な質問になってしまいますが、先ほどミトさんはオーディオを追求する過程に「フラットな音」を極めることがあったとおっしゃいました。「フラットな音」とはどういうものですか?
松尾:まず前提として、ミトさんのようなミュージシャンの方を筆頭に、音を作る人はいろんな環境で音源が再生されることを想定するんですよ。どんな環境で楽曲が再生されるかはユーザー次第なので。
―ミトさんのように、ケーブルひとつにもこだわったオーディオシステムで聴く人もいれば、手軽にスマホで聴く人もいる。
松尾:はい。その際に、ひとつ基準となる音を目指して作っておけば、どんな環境で聴いたとしても再生音の振れ幅は、想定範囲内に収まるんです。なので、「フラットな音」=「クセのない状態の音」と言い換えると分かりやすいかも知れませんね。クセは聴く人の環境によってのみ発生するものにしたい。最初からクセのある音を作ってしまうと、個人が聴く際にさらにクセの幅が広がってしまいますからね。
―その「フラットな音」を再現する性能というのが、われわれがユーザーとして使用するヘッドホンやイヤホンのひとつの指針になるわけですね?
松尾:性能上の指針になりますね。フラットな音を追求するヘッドホンを作る場合に大切にしなければならないのが、音楽制作者が出したいほんのちょっとの細かいニュアンスを再現できるかどうか。以前、乃木坂スタジオのレコーディングエンジニアと一緒にソニーのインイヤーヘッドホンを開発した時は、自分が意図したリバーブのかかり方になっているかどうかが聴き分けられないとダメだと言われました。
ミト:はい、分かります分かります。
松尾:ボーカリストの方の口元とマイクの距離感の違いを再現できるかどうかも大切です。作り手の意図する違いをちゃんと再現する性能は大事ですね。
ミト:そういう基準をもとに作られた高性能なヘッドホンやイヤホンによって、私たちはプライベートな素晴らしい音楽再生の環境を手に入れることができるようになった。しかも選択肢も多い。幸せな時代だと思うんですよ。
ちょっとした素材の差で、値段が驚くほどグンと跳ね上がります。(松尾)
―とはいえ、現在売られているイヤホンは種類も多いし、価格帯の幅が広すぎて選ぶのに悩みます。これも素朴な疑問なんですが、高いイヤホンと安いイヤホンのいちばんの違いはなんですか?
松尾:分かりやすく挙げるとすれば、まずは使っている素材の違いですね。音を良くするための素材は、一般的に出回っていない物が多いので、原価がとても高いんです。例えば、スピーカーの原理でいうと、いい音を鳴らすためには磁石がとても重要です。ヘッドホンやイヤホンに使う磁石は、もともとかなりいい磁石を作っているんですが、より音を良くするためには、研究所で作られるくらいのレアな磁石を必要とする場合もあります。
ミト:部品の一つひとつが、高価なんですよね。
松尾:しかも、ちょっとした素材の差で、値段が驚くほどグンと跳ね上がります。当然、音の特性値を上げるために、部品の種類を多くしたり、複数の部品を組み合わせるために構造が複雑になったりしますが、特にイヤホンはそれを小さな耳の中に収めなくてはならない。しかも軽量で、なおかつ丈夫であってほしい。そうなると、素材もより厳選しなくてはならないんです。
ミト:イヤホンを形成する要素は複雑なんですよね。松尾さんが開発された「Just ear」は、もちろん内部性能のこだわりもすごいと伺っているんですが、目に見える外の部分だけでもすごくこだわりがある。そもそも耳の孔に収まる部分に、使う人の体温によって形が変わる素材を使っているそうですね?
松尾:はい、体温で柔らかくなる樹脂材料を使っています。
ミト:そのこだわりだけでも、いい音がするだろうな! と想像ができる(笑)。実際、私も人づてに「Just ear」の噂を聞いて、以前試聴させてもらったんですが、ちょっと驚きました。だから自分だけのカスタマイズモデルを作ってみたいと思ったんですよ。
耳型採取が重要なのは、同じ人でも左右でまったく形が違ったりするからですよね。(ミト)
―というわけで、ここからは「Just ear」の「XJE-MH1」を、実際にミトさんに製作していただきます。まずは耳型を採取するんですね。
松尾:はい。採取は、これまで多くのアーティストさんの耳型を取られてきた専門家、東京ヒアリングケアセンターの菅野聡店長が担当されます。ミトさんは、今まで何度もプロユースのイヤモニをお作りなので慣れていらっしゃると思いますが……。
ミト:はい。耳の奥に栓をして、耳の穴の中にシリコン溶剤を流し込んで固まるまで待つわけですよね?
松尾:基本的にはそうなんですが、「Just ear」の場合はまず、私どもが試行錯誤しながら開発したオリジナルのヘッドゲージをつけていただき、より緻密に耳の型を採っていきます。最初は耳の中の状態を細かくチェックします。中に耳垢がないかなど、衛生面も含めて。
ミト:やはり、人によって耳の形は違うものですか?
松尾:まったく違いますね、構造も大きさも。10代のアイドル歌手の方は、やはり耳の中も狭かったりします。体型の変化によって耳の形も変わりますので、2~3年ごとに耳型を採るのが理想です。ミトさんの耳はキレイですね。
ミト:耳を褒められるって嬉しいですね(笑)。耳型採取が重要なのは、同じ人でも左右でまったく形が違ったりするからですよね。自分が使っているイヤモニを見ても、全然違いますから。
松尾:そうなんです、そこが私たちも非常に悩ましいところですね。両耳の形の違いはもちろんですが、口を開いた時、閉じた時でも耳の穴の中の形は変化するんですよ。試しに、小指を耳に入れて口を開閉してもらうと……。
―本当ですね、アゴの開け閉めに対してちょっと変化しますね。
松尾:そのちょっとが、密閉感を出す上で大事になるんです。「Just ear」の完成型のイヤーパッドは、その方の体温に応じて柔らかくなり、フィット感が変化する素材を使っているんですが、やはり基本的にはもとの耳型に準じて作ります。なので、歌いながら使うボーカリストの場合は、口を大きめに開けていただいた状態で測定しますし、普段聴きされる方なら、ほんの少し開けた状態で測定します。ミトさんの場合は……。
ミト:閉じ目で大丈夫ですね(笑)。
硬い発泡スチロールのようなものを噛み、アゴを開いた状態で耳を計測する
松尾:また、菅野さんの耳型採取のこだわりとしてあるのが、見た目のデザインだけでなく、鼓膜に対してどういう角度、どういう位置に音を鳴らすドライバーを配置すればいいか? という内部構造のデザイン。それも耳型採取の段階で決めていきます。
―単純に、耳型だけを採ればいいというものではないんですね。
松尾:はい。「Just ear」は、ドライバー構造も低音部を「ダイナミック型」、ミドルとハイを「バランスド・アーマチュア型」という、ふたつの異なるドライバーを組み合わせているので、ドライバー部の構造も複雑だし、大きさも出てしまうんです。それをどう調整して形に収めるかも、腕の見せ所ですね。
想像以上に細かい作業ですね。自分だけのモノを作っている感じがいいですよね。(ミト)
ミト:今、僕が装着させていただいているヘッドゲージもかなり特別ですよね? こんなに耳の周りに細かい調節具が取り付けられているのは初めてです。
松尾:はい、その調整が大事なんですね。それも私どものエンジニアの手作りでして、毎回、微調整を重ねてバージョンアップ中。なので詳しい使い方は企業秘密です!
ミト:企業秘密! 装着した感じもSF映画のようで、ワクワクしますね(笑)。
松尾:そうして、ようやく耳の測定が定まったら、耳の穴の中にシリコン溶剤を流し込んでいきます。
―というわけで、たっぷり数十分ほどかけての耳型採取が終わりました。
ミト:想像以上に細かい作業ですね。自分だけのモノを作っている感じがいいですよね。
音像が崩れるストレスがない。ベーシストとしてもありがたいです。(ミト)
松尾:では次にオリジナルのシミュレーションソフトを使って、音質の好みを伺って調整します。まだ新しい耳型は完成していないので、お客様にはこちらで用意した「Just ear」、同時に私も自分の「Just ear」を使って、一緒に曲を聴きながらチューニングを。調整用の音源は、お客様がふだんよく聴かれるものをご用意いただきます。今日は、まずはミトさんがいちばん音を知っていらっしゃるクラムボンさんの楽曲を使わせていただきますね。まずは“呼び声”をスタンダードな音質で流してみます。
ミト:はい、なるほどいい感じです。
松尾:では次は、意図的にベースの量感を出した音を聴いてください。
ミト:うん、これもいいですね。
松尾:といった具合に、低域を徐々に上げていったり、高域の鳴り方をナチュラルにしたり、もっとパキッとさせたりなど、いろいろなパターンを想定して音質を変化させていきます。その中で、お客様が「もうちょっとこうだと気持ちがいい、聴きやすい」という要望を反映させた、その方の好みの音を製品に反映します。
ミト:完成したイヤホンでも、同じようにリファレンスを行うんですよね? おそらく自分の耳の形に合ったイヤホンを使えば、それに応じてロー感などもまた変わってくると思うんです。今のユニバーサルな状態でも、思った以上に音の密度が濃いというのはすごく実感できますから、私はこれだけでも不満はないですよ。「Just ear」は、2種類のドライバーを組み合わせているからでしょうか、すごく音が音を包んでいる感覚がある。普通はベースの音域を上げると、真ん中に配置されているメインボーカルの音が潰れたり、後ろのほうに沈んだりするんですが、これは音像が崩れるストレスがない。囁き系のボーカルでも、ちゃんと引き立つようにロー域が寄り添って聴こえるのは、ベーシストとしてもありがたいです。やっぱり僕は歌が好きで音楽をやっているので、ベースはきちんと歌を引き立たせるものであってほしいんですよ。
―音に立体感があるということですか?
ミト:そう、あまり今まで感じたことのない奥行き感があるんですよ。とくにリバーブの奥行き。リバーブは残響音なので、本来、生で聴くと遠くから聴き手に迫ってきて、反響する音であるはずなんです。でも、今みなさんが音源で感じるリバーブは、バッと広がって音が大きくなるイメージ。音の出所からの距離を感じるべきなのに、そう聴こえないエフェクトになっていることが多いです。それが、「Just ear」で聴くとちゃんと距離感がある。なぜそう聴こえるかというと、音の密度が高いので、音像に余裕があるからなんですよね。
松尾:はい、そこはエンジニアのこだわりですね。低音の出し方も、音圧を無理に上げるのではなく、音を鳴らす振動板を大きくすることで、音量を上げてもナチュラルな低音を引き出せる構造にしています。
ミト:だから、すごくライブ感を味わえる。音像に余裕のある感じが本当に衝撃的です。今までいくつも高級と呼ばれるイヤモニを使ってきましたけど、確実に、他にはないスペックを感じました。この衝撃は、実際に体験してみないと分からないと思うので、みなさんにも1度でいいから試聴してもらいたいですよ。
松尾:完成した際には、またしっかりと音質のチューニングをさせていただきますので、さらにミトさん好みの「Just ear」が出来上がると思います。
ミト:完成まで約1か月くらいでしたっけ? いやぁ、今から楽しみで仕方ないですね。
- 製品情報
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形式:密閉ハイブリッド
ドライバーユニット:ハイブリッド2ウェイ
・13.5mmダイナミック1基(ウーファー)
・バランスド・アーマチュア1基(ミッド、ハイ)
最大入力:100mW(IEC※)
※IEC(国際電気標準会議)規格による測定値
コード:約1.2mまたは約1.6m OFCリッツ線(着脱式、Y型)
プラグ:金メッキL型ステレオミニプラグ
付属品:キャリングケース、キャリングポーチ、クリーニングツール
希望小売価格:XJE-MH1 324,000円(税込) / XJE-MH2 216,000円(税込)
※耳型採取9,720円(税込)別途必要
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- イベント情報
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- クラムボン
『clammbon 20th Anniversary「tour triology」』 -
2015年11月6日(金)OPEN 17:00 / START 18:00
会場:東京都 九段下 日本武道館
料金:6,800円(税込)
- クラムボン
- プロフィール
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- クラムボン
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1993年、福岡出身の原田郁子(Vo,Pf)と東京で育ったミト(Ba)、そして札幌出身の伊藤大助(Dr)の三人が、同じ専門学校で出会う。95年にクラムボンを結成。99年、シングル『はなれ ばなれ』でメジャーデビュー。当初より、ライブバンドとして高い評価を得ながら、ライブやレコーディングなどにおいて他のアーティストとのコラボレーションや楽曲提供、プロデュースなど多岐に渡る活動を続けてきている。2015年3月25日には、8枚目のアルバム『2010』以来、5年ぶりとなるオリジナルアルバム『triology』をリリース。ミトとしては、2015年9月19日に公開された映画『心が叫びたがってるんだ』の音楽を担当。
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- 松尾伴大(まつお ともひろ)
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ソニーエンジニアリング株式会社所属。これまでMDR-EX800ST / EX1000 / MA900 / 1R / XBシリーズをはじめ、数多くのヘッドホン・イヤホンの音響設計を手掛ける。「五代目耳型職人」とも呼ばれている。ソニーエンジニアリング(株)が展開するテイラーメイドヘッドホンのブランド「Just ear」の開発責任者。
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