「検閲」は国をつまらなくする。ミャンマーのアーティスト事情

かつて「ビルマ」と呼ばれていた国・ミャンマーでは、軍事政権のもとさまざまな表現活動が厳しく制限されていたが、そんな過酷な状況のなかでも、自由な表現を諦めないアーティストたちがわずかながら現れていた。

この11月に開催される『フェスティバル/トーキョー15』のアジアシリーズ vol.2 ミャンマー特集『ラウンドアバウト・イン・ヤンゴン』では、そんなミャンマーのシーンから三人のアーティストが来日する。映画監督として国際的評価を獲得し、詩人およびパフォーマーとしても活動するティーモーナイン。産声を上げたばかりのミャンマーのパフォーミングアーツの世界で活動し、現代演劇グループ「Theatre of the Disturbed」を主宰するニャンリンテッ。そしてミャンマー伝統音楽とエレクトロハウスを融合するミャンマー音楽界の鬼才中の鬼才、ターソー。

そもそも文化的には鎖国状態だったとも言える1990年代のミャンマーにおいて、彼らはどのようにして芸術文化やポップカルチャーに興味を持ち、それぞれの活動をはじめることになったのだろうか? ミャンマーのアートシーンの過去と現在を巡る三人の話からは、いままさに歴史的転換期の真っ只なかにあるミャンマーの「知られざる姿」が見えてきた。

※本記事は、ティーモーナインとニャンリンテッの二人、ターソー一人に対して来日取材した2本のインタビューをもとに再編集しています。

メイン画像:ターソー(撮影:ケイコ・K・オオイシ)

10代のころ、「検閲」が行なわれていることに気づき、さまざまな芸術表現がつまらないものになっていることを知ってしまった。(ティーモーナイン)

―今回来日される三人のアーティストのなかでは、ティーモーナインさんが1971年生まれで、1番キャリアがありますね。映画に興味を持たれたきっかけは?

ティーモーナイン:子どものころからハリウッド映画が好きだったんですが、20歳を過ぎてからは、ジャン=リュック・ゴダールなど、フランスのヌーヴェルバーグの映画に関心を持つようになりました。

ティーモーナイン
ティーモーナイン

―当時のミャンマー(ビルマ)で、ハリウッド映画を観ることはできたんですか?

ティーモーナイン:劇場で観ることはできませんでしたが、タイから持ち込まれた海賊版のビデオテープを手に入れて見ていました。ミャンマーで観られるような検閲された映画には興味を持てず、たくさんのハリウッド映画を海賊版で見ましたが、監督やタイトルを気にしていなかったので、何を見たのかまではあまり覚えてないですね。

ニャンリンテッ:『ランボー』や『ダイ・ハード』とか?

ティーモーナイン:そういう類いのものです(笑)。

ニャンリンテッ
ニャンリンテッ

―ゴダールも海賊版で見たんですか?

ティーモーナイン:いえ。21歳のころ、ミャンマー最大の都市であるヤンゴンに移ったんですけど、住んでいた部屋の近くに「アリアンス・フランセーズ」(現在は「アンスティチュ・フランセ・ミャンマー」)という、フランス政府運営の文化センターがあって、毎週金曜にフランス映画の上映会をやっていました。そのときも監督の名前は把握してなかったんですが、それまで自分が知っていたハリウッド映画とはまた違った面白さがあって毎週通っていたんです。さらに10年後、それがジャン=リュック・ゴダールという監督の作品だということを知りました(笑)。

―ターソーさん、ニャンリンテッさんは、そのヤンゴンで1980年代に生まれていますよね。それぞれ、音楽やアートに興味を持たれたきっかけは?

ターソー:Vanilla Ice(1990年代のアメリカで活躍したアイドルラッパー)の“Ice Ice Baby”が好きでした(笑)。11、12歳のころだったと思うけど、そのぐらいからヒップホップやレゲエに関心を持つようになったんです。Dr.Dre、N.W.A.、Snoop Dogg……。

ターソー、来日中のカット 撮影:ケイコ・K・オオイシ
ターソー、来日中のカット 撮影:ケイコ・K・オオイシ

―当時のヤンゴンでは、そうしたアメリカの音楽を聴くことはできた?

ターソー:そう簡単には聴けませんでした。海外から帰ってきた船乗りたちの持っているカセットテープが頼りだったんです。船乗りから手に入れたオリジナルのカセットをラジカセでコピーして(苦笑)。音質はとても悪かったけど、そうしてまでアメリカのヒップホップやロックを聴きたいという「ミュージックラバー」が当時のヤンゴンにはわずかながらいたんです。あと、タイで海賊版のカセットテープを買ってきた友人から、そのコピーを手に入れるという方法もありました。

―ミャンマーの音楽はそんなに聴いてなかった?

ターソー:ええ、聴いていませんでした。ヤンゴンのローカルポップミュージックはどこかの国のコピーみたいなものばかりで、全然好きになれなかった。クソみたいなものばっかりだったし(笑)。

―ティーモーナインさんも、ミャンマーの映画は苦手だったと話されていましたね。

ティーモーナイン:私たち世代のアーティストの多くは、ミャンマー国内の詩人や画家、建築、音楽があまり好きじゃないと思います。私の場合、10代半ばのころ、軍事政権という存在に気づく瞬間があったんですね。子どものころは意識することもありませんでしたが、10代になって「どうやら彼らは検閲というものを行なっているらしい」と気づくわけです。そして、検閲によってさまざまな芸術表現がつまらないものになっていることを知ってしまった。いま考えると、そうした状況に対する嫌悪感や反発から、海外の文化により関心を持つようになったのかもしれません。

―ニャンリンテッさんはいかがでしょう?

ニャンリンテッ:私もヤンゴンの工科大学で建築を勉強していたんですけど、国内で学べることは全然楽しくなくて(笑)。ティーモーナインさんも通っていたアリアンス・フランセーズでフランス語を習いはじめて、そこを通じてアートに関心を持つようになったんです。

―1990年代のヤンゴンでアートや映画に触れようとしたとき、アリアンス・フランセーズは重要な場所だったわけですね。

ニャンリンテッ:当時のヤンゴンでアートに触れられる場所は3つあって、1つはアリアンス・フランセーズ、もう1つはブリティッシュ・カウンシル(イギリスの国際文化交流機関)、それとアメリカン・センター(アメリカ大使館の広報機関)。ブリティッシュ・カウンシルとアメリカン・センターは警察の監視が厳しくて、そこで行われる表現にも制限がありました。でも、アリアンス・フランセーズは政治的にニュートラルな場所だったので、監視のない状態で作品を観ることができたんです。

10年前の僕は、社会に対して怒れる悪ガキでしかなかったけど、いまはフェスティバルを通じて社会に貢献すること、人を巻き込むことはできると思う。(ニャンリンテッ)

―ニャンリンテッさんは日本の劇団Annees Follesに参加していた経験もあるほか、フランスでも活動されていますよね。また、ティーモーナインさんは2008年からチェコ共和国のプラハ芸術アカデミー映像学部で映画制作を、ターソーさんは2001年から2004年まで、ロンドンで音響エンジニアリングや音楽制作について学ばれています。ミャンマーのアーティストにとって「海外に出る」という選択肢は有効だったと思いますか?

ニャンリンテッ:僕の個人的な体験でいえば「Yes」ですね。外に出たほうが、数多くのことを早く学べますし。

左手前:ニャンリンテッ、右奥:ティーモーナイン

ティーモーナイン:映画の世界でいえば、2000年くらいまで、ミャンマーには映画を学べる環境がなかったんですよ。本格的に映画を学ぶためには、海外に行くしかなったので、プラハに留学することにしたんです。

ターソー:僕の場合はヒップホップがどうやって作られているのかを知りたかったし、もっと音楽のこと全般も知りたかった。なにせ当時のミャンマーにはドラムマシンもなければサンプラーも簡単には手に入らなかったから。アメリカのビザを取るのは難しくて諦めたけど、ロンドンに移り住んでいた友人たちがいたので、僕も行くことにしたんです。

―ロンドンはクラブミュージックの本場ともいえますよね。ヒップホップとはまた別にカルチャーショックを受ける部分もあったのではないでしょうか?

ターソー:ヤンゴンでは触れることのできなかったドラムンベースなどのエレクトロニックミュージックには大きな衝撃を受けました。The ProdigyやThe Chemical Brothersも好きになったし、音楽の趣向もヒップホップだけでなく、一気にエレクトロニックミュージック寄りになりました。すべてが刺激的でしたね。

ターソー、来日中のカット
ターソー、来日中のカット

―一方では、海外に出たからこそ見えるミャンマーの魅力があるとも思うんですが。

ニャンリンテッ:おそらく海外のどこであろうと、一度ミャンマーの外に出てみるとよくわかるものなんですよ。ミャンマーの状況が想像以上にどれだけ酷いものだったかということが(笑)。もちろんある程度予想していたとはいえ、それも衝撃的な発見でした。

ティーモーナイン:(深く同意しつつ、笑う)。

―それは機材や教育環境の不備という問題だけでなく、「検閲」がもたらす萎縮した雰囲気というところも大きかったわけですね。ただ、それでもみなさんは現在ミャンマーを拠点に活動しています。それはどうしてなのでしょうか?

ニャンリンテッ:たしかにフランスに残っていれば、そこそこの生活はできたと思いますが、結局帰国することを選びました。自分が1つ誇りに思っていることがあって、2008年に妻と演劇のフェスティバルをミャンマーで立ち上げたんです。2年ごとに開催していて、2018年まで続けようと思っています。そうした活動を通じて、ミャンマー国内に芸術文化の種を蒔きたいと思っているんです。僕らはアーティストであると同時に、「文化的労働者(Cultural Worker)」だと思っていますし、そうした活動はミャンマーでしかできないものです。10年前の僕は単に社会に対して怒っている悪ガキでしかなかったけど、フェスティバルを通じて社会に貢献することはできる。人そのものを変えることはできないかもしれないけど、人を巻き込むことはできると思うんです。

左から:ニャンリンテッ、ティーモーナイン

―当初のニャンリンテッさんのパフォーマンスは「怒り」に溢れた、すごくエモーショナルなものだったそうですね。

ニャンリンテッ:大学を卒業した後の自分の道程に対して、あまりにも不安があったんでしょうね。たとえミャンマー国内でアートをやっても生活できないだろうし、覚悟を決めて海外で活動するべきか迷っていたし……自分は何者なのか、それを探るためにパフォーマンスをやっていたんです。他の国だったら、自分のなかに溜まった怒りやフラストレーションを、パンクロックなどを通じて表現したかもしれないけど、僕はそれを自分の身体を使ったパフォーマンスで外へ吐き出していたんです。

―2005年には「Theatre Of The Disturbed」という現代演劇のグループをヤンゴンで設立されますね。

ニャンリンテッ:「Theatre Of The Disturbed」は、劇団というよりもコミュニティーの形成を目的に設立しました。ミャンマーにおいてはいまだアートに対して多くの制限があり、さまざまな障壁があります。それを乗り越えるべく、創造的かつオープンマインドで実験的なコミュニティーを作ろうとしたんです。「Theatre Of The Disturbed」以前、現代演劇のグループは1つもなかったんですが、現在では2、3の興味深いグループが活動をはじめています。小さな動きですが、僕らにとっては重要な変化なんです。

軍事政権に対する嫌悪感はもちろんありますが、それでも私はミャンマーから離れることはできない。(ティーモーナイン)

―ティーモーナインさんは2014年にミャンマーの僧侶を主人公とする『The Monk』という長篇フィクション作品を撮り、国際的な注目を集めましたが、あの作品は海外経験のあるティーモーナインさんだからこそ撮ることのできたミャンマー映画でもあったと思うんです。

ティーモーナイン:プラハ芸術アカデミーの卒業制作として自分の映画を撮ることになったんですけど、そのとき直面したのは「自分はフランス人のように映画を撮ることはできない」という問題だったんです。フレームとしての「ヨーロッパ」を知ることはできても、そのうえで自分の作品を撮っていかなければいけないし、自分にはそれしかできない。結局どこに行こうと自分のルーツがミャンマーにあることは変わらないし、そのことをテーマにせざるを得ない。軍事政権に対する嫌悪感はもちろんありますが、それでも私はミャンマーから離れることはできないんです。おっしゃるとおり、私はヨーロッパを経由してミャンマーを発見したし、『The Monk』はそういう作品だと思います。

―ターソーさんもまた、ロンドンでミャンマーの伝統音楽を研究するようになったそうですね。

ターソー:ミャンマーのミュージシャンは数組を除いてオリジナリティーの一切ないアーティストばかりだったし、僕自身、そういう状況を恥ずかしく思っていました。そのなかで僕はロンドンのシーンを経験し、次に何をやるべきかを考えて、大英図書館でミャンマーの伝統音楽をリサーチすることにしたんです。そこでスピリチュアルでアップテンポのミャンマー伝統音楽とはじめて出会って、僕にはまるでそれがエレクトロハウスみたいに聴こえた。もしもその2つを融合できたなら、素晴らしい音楽が生まれるんじゃないかと思えるようになったんです。


昔に比べたら状況は良くなったと思うけど、みんなまだまだ萎縮しているし、歌詞に対する検閲も厳しい。(ターソー)

―2011年に新政府が発足し、軍事政権が事実上の終わりを向かえましたが、その後ミャンマー国内での活動はやりやすくなりましたか?

ティーモーナイン:表現に対する検閲を緩めていく動きにはなりつつありますが、実際のところ映画に対してはいまでも厳しい検閲があります。検閲緩和の動きはとてもいいことだと思いますが、新政権の下には軍部が控えているわけで、民主化しつつあるようで変わっていないところもある。私は政治家でも革命家でもないので現実をいますぐ変えられるわけではないですが、一人のドキュメンタリー映像作家として、自国のそうした状況を映像に収める義務はあると思っています。

ニャンリンテッ:現在のミャンマーは経済優先の社会になり、物質主義が幅を効かせるようになっていて、それはとても残念なことです。また、文化や芸術、教育などに関するリテラシーの世代間ギャップもどんどん広がっています。ただし、すべてを政府のせいにするべきではないと思うんですよ。「ミャンマーがこういう国だからあれもこれもできないんだ」と嘆いていても仕方がないし、自分たちの認識が変わらないとミャンマーは本当の意味では変われない。国外から見れば、ミャンマーの民主化が順調に進んでいると思われているでしょうが、まだドアが開いたばかり。もっときちんとそのドアを開けないといけないし、その点において芸術家が担う役割は大きいと思っています。

―ターソーさんはいかがですか。

ターソー:本当にゆっくり一歩ずつ進化している状況です。昔に比べたらだいぶ状況は良くなったと思うけど、みんなまだまだ萎縮しているし、歌詞に対する検閲も厳しい。そういうこともあって、僕自身、歌詞をあまり必要としないエレクトロニックミュージックのスタイルに移行してきたというのもあります。1990年代にラッパーとして活動していたときは、常に検閲の対象になっていたしね。検閲というのはアートのクリエイティビティーを制限するものだし、そのために現在のミャンマーでは、いまだにくだらないラブソングばかりが幅を効かせている。悲しいことです。

―最後に今回の『フェスティバル/トーキョー15』でパフォーマンスされる作品について解説していただけますか。

『フェスティバル/トーキョー15』アジアシリーズ vol.2 ミャンマー特集『ラウンドアバウト・イン・ヤンゴン』
『フェスティバル/トーキョー15』アジアシリーズ vol.2 ミャンマー特集『ラウンドアバウト・イン・ヤンゴン』

ティーモーナイン:詩をもとにしたインスタレーションの展示、映像上映、パフォーマンスを上演します。そこでニャンリンテッによる演劇作品も上演されるようです。せっかくなので、作品を通じて日本のみなさんとコミュニケーションを取れればと思っています。作品を通して伝えたいこともあるし、みなさんの感想や意見も聞いてみたい。

ニャンリンテッ:僕はミャンマーから役者を連れてきて、『Kingdom Void』という演劇作品をやります。サミュエル・ベケット(20世紀フランスを代表する『ノーベル文学賞』受賞作家)の『ゴドーを待ちながら』から受けたインスピレーションを僕らなりの表現で作品にできればと考えています。動きとテキスト、それと断片的な音楽による演劇作品になるかと思います。

―ターソーさんは、ライブをやるわけですよね。

ターソー:そうですね。じつは日本の伝統音楽とエレクトロハウスをミックスしたものを作れないかと思っています。日本語のフレーズを混ぜ合わせたトラックも作ってみたいし、チャンスがあれば作った曲を日本でリリースできればとも思っています(笑)。

イベント情報
『フェスティバル/トーキョー15』アジアシリーズ vol.2 ミャンマー特集
『ラウンドアバウト・イン・ヤンゴン』

2015年11月13日(金)~11月15日(日)
会場:東京都 浅草 アサヒ・アートスクエア
構成・出演:ティーモーナイン
演出・出演:ニャンリンテッ
音楽・出演:ターソー

ミャンマー基礎知識トークセッション
2015年11月3日(火・祝)16:00~18:00(受付・開場は30分前) 会場:東京都 東池袋 ホテルグランドシティ レストランセゾン 出演: 田村克己(総合研究大学院大学理事、国立民族学博物館名誉教授) 五十嵐理奈(福岡アジア美術館 学芸員) 料金:500円(予約優先、ソフトドリンクつき)

映画『The Monk』上映・監督によるトーク
2015年11月11日(水)20:30
会場:東京都 中野 ポレポレ東中野
出演:ティーモーナイン(『The Monk』監督)
料金:1,500円

ミャンマー映画特集(1)映画『The Monk』上映会・トーク
2015年11月18日(水)18:00(受付・開場は15分前)
会場:東京都 池袋 東京芸術劇場 アトリエイースト
出演:ティーモーナイン(『The Monk』監督)、アウンミン(『The Monk』脚本)
料金:各回500円(予約優先)

ミャンマー映画特集(2)ミャンマー映画3作品上映
2015年11月20日(金)~11月23日(月・祝)
会場:東京都 池袋 東京芸術劇場 アトリエイースト
上映作品:
『The Monk』
『Beauty of Tradition -ミャンマー民族音楽への旅-』
『ナルギス – 時間が止まった時』
料金:各回500円(予約優先)

『フェスティバル/トーキョー15』

2015年10月31日(土)~12月6日(日)
会場:
東京都 東京芸術劇場、あうるすぽっと、にしすがも創造舎、アサヒ・アートスクエア、池袋西口公園、豊島区旧第十中学校
埼玉県 彩の国さいたま芸術劇場
ほか

『フェスティバルFUKUSHIMA!@池袋西口公園』
2015年10月31日(土)、11月1日(日)
会場:東京都 池袋西口公園
総合ディレクション:プロジェクトFUKUSHIMA!、山岸清之進

SPAC - 静岡県舞台芸術センター
『真夏の夜の夢』

2015年10月31日(土)~11月3日(火・祝)
会場:東京都 西巣鴨 にしすがも創造舎
演出:宮城聰
作:ウィリアム・シェイクスピア『夏の夜の夢』(小田島雄志訳)より
潤色:野田秀樹
音楽:棚川寛子

ゾンビオペラ『死の舞踏』
2015年11月12日(木)~11月15日(日)
会場:東京都 西巣鴨 にしすがも創造舎
コンセプト・作曲:安野太郎
ドラマトゥルク:渡邊未帆
美術:危口統之

地点×空間現代
『ミステリヤ・ブッフ』

2015年11月20日(金)~11月28日(土)
会場:東京都 西巣鴨 にしすがも創造舎
作:ヴラジーミル・マヤコフスキー
演出:三浦基
音楽:空間現代

『ブルーシート』
2015年11月14日(土)、11月15日(日)、12月4日(金)~12月6日(日)
会場:東京都 江古田 豊島区旧第十中学校
作・演出:飴屋法水

『God Bless Baseball』
2015年11月19日(木)~11月29日(日)
会場:東京都 池袋 あうるすぽっと
作・演出:岡田利規

富士見市民文化会館 キラリふじみ『颱風奇譚』
2015年11月26日(木)~11月29日(日)
会場:東京都 池袋 東京芸術劇場 シアターイースト
作:ソン・ギウン
演出:多田淳之介

『地上に広がる大空(ウェンディ・シンドローム)』
2015年11月21日(土)~11月23日(月・祝)
会場:東京都 池袋 東京芸術劇場 プレイハウス
作・演出・美術・衣裳:アンジェリカ・リデル(アトラ・ビリス・テアトロ)

パリ市立劇場『犀(サイ)』
2015年11月21日(土)~11月23日(月・祝)
会場:埼玉県 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
作:ウジェーヌ・イヨネスコ
演出:エマニュエル・ドゥマルシー=モタ

ギンタースドルファー/クラーセン
『LOGOBI 06』
2015年11月26日(木)~11月29日(日)
会場:東京都 浅草 アサヒ・アートスクエア

ゲーテ・インスティトゥート韓国×NOLGONG
『Being Faust - Enter Mephisto』
2015年11月19日(木)~11月22日(日)
会場:東京都 池袋 東京芸術劇場 シアターイースト
構成:ピーター・リー

プロフィール
ティーモーナイン

映画監督、詩人、パフォーマー。1971年生まれ。ビルマ文学とITを研究する傍ら、Yangon Film SchoolとプラハのFAMU(プラハ芸術アカデミー映像学部)で映画製作を学ぶ。2004年、はじめての詩集を発表。詩をもとにしたインスタレーションやパフォーマンス、映画『Again and Again』(2008)も手がける。長編ドキュメンタリー映画『ナルギス–時間が止まった時』(2009)は数々の国際映画祭で上映されている。また、長編フィクション映画デビュー作となった『The Monk』(2014)は、『シンガポール国際映画祭』や『ロッテルダム映画祭』に出品されるなど、世界的に注目を集めている。『NIPAF』(2009年)、『福岡アジアトリエンナーレ』(2014年)にも出品している。

ニャンリンテッ

Theatre of the Disturbed主宰、演出家、パフォーマー。ミャンマーとフランスを拠点に活動。2000年代初頭にパフォーマンスアート作品を製作し、その後、キタムラアラタが演出をつとめる劇団「Annees Folles」にて演劇の訓練をうける。以後、今日に至るまで、積極的に世界のパフォーマンスアートや演劇シーンに携わっている。2005年にヤンゴンに拠点を置く「Theatre of the Disturbed」を設立してからはシェイクスピア、ベケット、イヨネスコ、カフカなどを翻案した作品で、演出も手掛けている。

ターソー

ミュージシャン、ラッパー、エレクトロヒップホッププロデューサー。1980年生まれ。中学生のころから音楽をはじめ、高校卒業後、アンダーグラウンドヒップホップシーンと関わるようになり、数々のグループでアルバムを発表。2001年よりロンドンにあるSAE Instituteでオーディオエンジニアリングを学びながら、ミャンマー音楽についての研究もはじめる。2004年に帰国し、2006年よりミャンマーの伝統音楽をミックスしたエレクトロミュージックの創作をはじめ、ファーストソロアルバムをリリースする。2015年までに7枚のソロアルバムを発表。



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