古田新太と劇団鹿殺しが本気で語る、演劇と「お金」のリアルな話

一度耳にしたら忘れられない「劇団鹿殺し」というオドロオドロしい名前……。これまで、ハチャメチャな舞台を作るイキのいい若手劇団というイメージをもって受け入れられてきた彼らも、来年には結成15周年を迎える。10年前に大阪から上京し、劇場公演だけでなく路上パフォーマンスやライブハウスなど、他の劇団が真似できない活動でも話題を呼んできた彼ら。その新作『キルミーアゲイン』は、劇場を舞台にして、舞台の喜劇と楽屋の悲劇とが織り交ぜられたものとなっており、15年間の活動と重ね合わせられる作品となりそうだ。

そして、彼らのヒストリーを語るにあたって、欠かすことのできない存在が劇団☆新感線に所属する俳優の古田新太。古田は、鹿殺しにとって、もっとも尊敬する大先輩である。そんな先輩・後輩による対談は、東京とはまったく異なる地元・関西の演劇シーンの話、劇団を運営していくためのお金の話など、赤裸々で熱い話が繰り広げられる温度の高い内容となった。

「知的な演劇」が増えはじめたとき、もっと身体張る奴が出てこねえかなって思っていたら、「お、バカが来た」って(笑)。(古田)

―古田さんと劇団鹿殺しのお二人(菜月チョビ、丸尾丸一郎)は、同じ関西出身ですが、いつから交流がはじまったんでしょうか?

古田:「鹿殺し」っていう奴らが、大阪から東京に進出してきたとは聞いていて、実際に知り合ったのは10年くらい前。ライブハウスでエアバンドのパフォーマンスをやっているのを観ました。鹿の頭をかぶった裸の男がロビーに立っていて、(菜月)チョビがボーカル、他のメンバーがエアドラム、エアベース、エアギター。男性メンバーは上半身裸で、乳首ベースとチンコギターだった(笑)。

古田新太
古田新太

菜月:当時、新宿の路上でやっていたパフォーマンスのライブハウスバージョンで、途中でジャンプしたりせず、ひたすら真摯にリアルなエア演奏に努めていました。

古田:乳首が取れんばかりにエアベースを演奏していたから大笑いしたんですよ。そんなデタラメなライブをしているから、バランスを取って芝居はちゃんとしているのかと思ったら、それもデタラメ(笑)。「そんなこと続けていたら、1週間でボロボロに壊れちゃうよ」っていう身体の使い方をしていたよね。

劇団鹿殺しRJP レコ発全国ツアー『猫まんまツアー』ファイナル 下北沢SHELTER 2011年
劇団鹿殺しRJP レコ発全国ツアー『猫まんまツアー』ファイナル 下北沢SHELTER 2011年

―当時の鹿殺しの舞台は、どんなことをしていたんですか?

菜月:はじめて歌舞伎を観て、「かっこいい!」と惚れ込んだばかりに、むちゃくちゃな早替えをしたり、宙返りを失敗したり、「できないこと」すらもお笑いにしていましたね。元気よく身体を打ちつける、っていう……(笑)。

菜月チョビ
菜月チョビ

古田:「あのね、やりたいことはわかる。でも、怪我だけはしないようにしよう」って、そのとき言ったよね? ちょうど静かで知的な演劇が確立されはじめた時期で、東京にやってくる関西の劇団も台詞劇が多かったんです。もっと身体張る奴が出てこねえかなって思っていたら、ついに「お、バカが来た」って(笑)。

―鹿殺しは、結成から5年は関西を中心に活動をしていたんですよね。

丸尾:関西では、まったく知られていませんでした。売れる気もまったくしなかった……。つかこうへいさん原作の舞台を3本やったけど、お客さんは全然増えず、オリジナルをやりはじめても鳴かず飛ばず。ヨーロッパ企画なんかは、当時から関西の人気者でしたが、僕らは1回の公演トータルで500人くらいの規模で、公演していることすらも知られていない。そんな状態で上京したから、「なんで東京行ったの?」ってびっくりされて、逆に大阪で有名になったんですよ(笑)。

丸尾丸一郎
丸尾丸一郎

―鹿殺しのように元気でハチャメチャな作品は関西で受けそうですが、まったくの無名だったんですね。

菜月:当時は、関西でも社会性のある会話劇が主流だったから、私たちのような劇団が気に入られるはずがないと思っていました。他の劇団はみんな頭がよさそうに見えるし、「私たちは社会的な主張もないから無理だ……」と、近寄ることもできなかった(笑)。けれど、ちょうどそのころ、唐組(1960年代に勃発したアングラ演劇の旗手の一人、唐十郎が主宰する劇団)の舞台を観に行ったんです。そしたら、舞台美術もすごくハチャメチャで、お客さんもワンカップ大関を持ったお爺ちゃんからオシャレな美大生までいろいろ。なにより、その作品で唐さんが自転車で遠くから自信満々に走ってくるだけの姿がとてもかっこよくて。「唐さんのようになりたい!」と思って、路上パフォーマンスをはじめたんです。

―鹿殺しの路上パフォーマンスは、唐十郎が原点だった。

菜月:唐組を観て、演劇ファンではないお客さんを劇場に連れてこないとダメだと思ったんです。そこで、週末に路上でパフォーマンスをやってみたところ、思った以上に物販も売れるし、カンパももらえた。「東京はもっとたくさん人がいる。これを週6でやれば生活できるかも?」っていう雑な計算で、上京への踏ん切りをつけたんです。

「こいつらバカなんだ、おもしろいんだ」って、いろんな人に言っていたら、「じゃあ行ってみるか」っていう人がたくさんいたんです。(古田)

―関西で演劇活動をすることは、東京にはない苦労もあるのでしょうか?

古田:俳優はテレビの仕事がほとんどないから、京都で時代劇をやるか、ラジオのパーソナリティーをするしかない。生活していこうと思ったら、東京に出て行かなきゃしょうがないもんね。新感線も最初は大阪でも人気がなかったんですが、オイラは25歳で早々と東京に引っ越して、2年くらい東京と大阪の二重生活をしていました。第三舞台(鴻上尚史が主宰した劇団。2012年解散)とか、夢の遊眠社(野田秀樹が主宰した劇団。1992年解散)とか、東京で人気のある劇団に出演して、そこの客を新感線に持って帰ってくる作戦だった(笑)。

左から:菜月チョビ、古田新太、丸尾丸一郎

菜月:(笑)。そもそも演劇畑で、大阪で俳優として食べてる人ってほとんどいなかったんですよ。鹿殺しには、古田さんみたいに人気劇団に出演できる俳優もいなかったし、つながりもなかった。だから劇団メンバーで一致団結して上京するしかなかったんです。

―東京の外れに一軒家を借りて、劇団員全員で共同生活していたそうですね。

古田:その結束がおもしろかったんだよ。劇団ごと引っ越すなんて無謀にもほどがあるだろうと(笑)。鹿殺しと同世代の関西出身の劇団はいくつかいて、同じように応援していたんだけど、贔屓していると思われるのが嫌だったから、推薦文を頼まれても断っていたんです。でも、この二人に頼まれて、はじめて推薦文を書いた。

菜月:私たちは、それまで本当に演劇界につながりがなかったので、そんな事情もまったく知らず、ライブを観にきてくれた古田さんしか頼れる先輩がいなくて、震える手で必死に電話をかけたんです(笑)。

―シーンから隔絶していたからこそ、そんな大胆な行動もとれたということですね(笑)。どんな内容の推薦文だったんですか?

丸尾:「元気があってよろしい」っていうタイトルで、「賞狙いとかは他のやつに任せておけ。こんな元気のいいやつらはなかなかいないぞ」「自信を持ってオススメできるバカ」って書いてくださったんです(笑)。東京に来て1年目だったんですが、その公演には、古田さんの推薦文を見て、松竹の偉い人や、劇団☆新感線のいのうえひでのりさん、演出家の河原雅彦さん、阿佐ヶ谷スパイダースの長塚圭史さんのような人たちが観にきてくれたんです。

古田:「こいつらバカなんだ、おもしろいんだ」って、いろんな人に言っていたら、「じゃあ行ってみるか」っていう人がたくさんいたんですよ。やっぱり、応援する先輩がいるのといないのとじゃ、周囲の受け取り方も全然違うから。新感線も最初は、東京でお世話になったいろんな先輩たちが「新感線っていうバカな劇団がいるよ」って、演劇界の人たちをいっぱい連れてきてくれるようになって、それを聞いた大阪の人たちが「へー」って観に来るようになったから。

古田さんほど、お客さんをどう呼ぶのか、劇団をどうやって大きくするのかを真剣に考えている人ってなかなかいない。(菜月)

―古田さんは、鹿殺しに変化をもたらした先輩だったんですね。

菜月:私と丸尾の母校は演劇が盛んじゃなかったから、上のつながりもないし、関西の演劇シーンとの横のつながりも希薄だったんです。だから芝居の基礎も作り方もまったく知らないような状態で、古田さんに出会ったころに、舞台監督という存在をはじめて知ったくらい。

古田:はじめてチョビや丸尾に会ったころ、「できないことは人に習え」って言ったよね。

菜月丸尾:はい(笑)。

古田:殺陣師を入れたり、振付家を入れたり、「できないことは人に教えてもらうんだよ」っていう、初歩中の初歩を教えていました(笑)。でも、そんな彼らの姿勢は共感した部分でもあるんです。新感線の振付や殺陣も、ずっといのうえ(ひでのり)さんとか僕がやっていたしね。

丸尾:青山円形劇場ではじめてやらせてもらったとき、新感線の公演と同じ劇場担当の方だったんです。そしたら「新感線の最初のころもひどかった」っておっしゃっていて。ボロボロのリハーサルを終えたときにそう言われたので、すごく勇気をもらった(笑)。

―そういう意味では、鹿殺しと古田さんは考え方も似ていた?

菜月:そうですね。古田さんは、上京した理由が「お客さんがいるところに行って取ってくる」だったり、破天荒なように見えて、すごく分析的で着実なんです。古田さんくらい、お客さんをどうやって呼ぶのか、劇団をどうやって大きくするのかを真剣に考えている人ってなかなかいないので、その意味でもすごく共感しました。

お客さんに千円でも出してもらえるってすごいことじゃないですか。(菜月)

古田:役者って、「劇団」ではなく「役者をやっている」っていう頭になりがちなんですよ。だから、俳優でご飯を食べていくために、劇団を辞める人が多くなってしまう。でも、オイラは役者であると同時に劇団で作品が作りたい。だから、演劇でいかにお金を得るかっていう、プロデューサー的な面もあるんです。「あそこをスポンサーにつけたら、チラシが無料で作れるぞ」とかね(笑)。

菜月:演劇界でそういう話ができる人は少ないですもんね。私たちは大学を卒業してから一度サラリーマンになって、それを辞めて東京に来たので、お金にがめついというか、費用対効果をすぐ求めてしまう(笑)。だからスタッフさんを雇うという発想がなくて、頑張れば自分たちでやれるという感覚だったから危なかった。でも、路上パフォーマンスをやったのも計算あってのことで、そこでお客さんを増やして、チケットがいくらで何枚売れて、それをみんなで割ったら何人は食べていけるぞ、とか。何歳くらいにはこんな感じになって家も建てたい、っていう先の計画も考えてお芝居という仕事を選んだので、お金の計算とか、プロデュース脳がどうしても消えないタイプなんです(笑)。

―鹿殺しも古田さんも、破天荒なイメージだったのに、お金のことをきっちり考えているのは意外です(笑)。

菜月:古田さんは魔法のように売れたわけではなく、ちゃんと考えて着実に積み上げながら売れた。だから、私たちも古田さんのお話を聞いて、「自分は芸術家肌じゃない」っていうコンプレックスが和らぎました(笑)。

―演劇に限らず、アートの世界で、お金の話はあまり好まれませんよね。

古田:昔の新感線なんて、鹿殺しみたいにちゃんとしてなかったから、劇団員にギャラを払うなんて考え方すらなかった。劇団員なんて無償で当たり前、逆に劇団費を払えっていう(笑)。それが、次の世代からはちゃんとギャラを払うようになった。オイラたちは持ったら持っただけ使う。だから誰もお客さんが入っていなかったときは、借金が数千万単位でした。

一同:えええっ!(驚愕)

菜月:誰の名義で借りるんですか? 「みんなで借りてこい!」みたいな?

古田:ううん、違う。制作の人が実家を担保にして。

一同:(爆笑)。

古田:いのうえ(ひでのり)さんが「次の公演、800人入らなかったら俺たち本当に解散だからな」ってなって、ぎりぎり800人でセーフだった(笑)。

菜月:それもすごい話ですね……。

古田:いまではだいぶ変わってきたけど、昔はテレビに出たら「魂売った」って言われましたからね(笑)。オイラと生瀬(勝久)さんは「あいつら魂売ったな」って言われ続けていたんですよ。ビジネスやお金との関係っていうのは、基本的にあまり考えない世界なんだよね。

劇団鹿殺し10周年記念公演・第一弾『スーパースター』 青山円形劇場 2010年 写真:和田咲子
劇団鹿殺し10周年記念公演・第一弾『スーパースター』 青山円形劇場 2010年 写真:和田咲子

劇団鹿殺しロックオペラ『彼女の起源』 CBGKシブゲキ!! 2015年 写真:和田咲子
劇団鹿殺しロックオペラ『彼女の起源』 CBGKシブゲキ!! 2015年 写真:和田咲子

菜月:役者さんで、お金の話をできるのは古田さんだけなんですよ。私たちは、路上パフォーマンスや公演の収入を等分して劇団員の月給にしていました。1万3千円とかですけどね(笑)。でも、自分たちでなんとかしてお金を稼がなければいけないから、公演に絶対お客さんを入れて利益を出すぞ! っていう気合が劇団員全員にみなぎっていたんです。千円でも出してもらえるってすごいことじゃないですか。それを実感できたのもよかったと思いますね。

テレビですら衰退していて、演劇全体の動員が伸びていないいま、演劇を広げようと思ったら、どんなに小さい劇団でもまずは動員しなきゃダメ。(古田)

―新感線はもちろん、鹿殺しもいまでは動員数もすごく多いですし、そこに対して意識的な劇団だと思うのですが、一方で、たとえば公的な機関から助成を受けて、動員は少なくてもアーティスティックな作品を展開する劇団もいますよね。そういった方向性に興味はないのでしょうか?

古田:オイラは考えたことはないですね。助成金を受けるよりも、日銭で稼ぐほうがいい。だいたい審査しているやつを信用できないんです。お前らはいったいオイラたちのなにを知っているんだ? と(笑)。もちろん、助成金というシステムはありがたいし、受ける人がいていいのは当然だけど、タダで見られるテレビですら衰退していて、演劇界全体の動員が伸びていないいま、演劇を広げようと思ったら、どんなに小さい劇団でもまずは動員しなきゃダメ。観られなきゃ、ケチすらもつけてもらえないでしょう。お客さんに観てもらうことを前提にやらないといけないんです。

―演劇自体を広げることが大事、ということですね。

古田:かと言って、ファンだけが集まればいいわけでもないし、わざわざお金を払って観に来てくれたお客さんに、「なんだこりゃ!?」っていう体験を提供しなきゃならないのが演劇なんです。そのための努力をしないといけない。作品のクオリティーを高くして、お客さんが喜ぶようなことをして、評判になって、演劇を観ないお客さんに来てもらえるようにしないといけない。

自分の役だけを「一生懸命やりきった!」って言ってるやつは、ぶっとばせばいいんですよ!(古田)

―古田さんのなかには、劇団だけではなく演劇界として動員をしなきゃならないという責任感があるんですね。

古田:演劇界っていうのを念頭に置いておかないと、お客さんが入らないことや興行的な失敗に対してなんとも思わなくなるんだよね。興行的な成功っていうのは、自分たちが設定した客席をいっぱいにすること。それに見合うだけの作品を作るのがオイラたちの仕事。自分の役だけを「一生懸命やりきった!」って言ってるやつは、ぶっとばせばいいんですよ!

一同:(爆笑)。

古田新太

―鹿殺しのお二人はいかがでしょうか?

菜月:めっちゃ同意します。助成をいただくこともありますが、路上パフォーマンスをやっていたときも、劇場でも変わらず、「私たちを観るつもりのなかった人を何人振り向かせられるか」が大事だと思っているんです。劇場のなかでは人気者でも、路上でストリートミュージシャンの横に立ったら演劇人ってかっこ悪いと思ってました(笑)。路上でも、ライブハウスでも、そこで一番かっこいい存在であるのが私たちの目標だし、ストリートライブのお客さんをみんなこっちに振り向かせたいと思っています。そういう影響力を持てないなら、いくら演劇としての完成度が高くてもダメ。だから客席にお一人様のサラリーマンや年配の方、小学生が来てくれていたりするとすごく嬉しいんです。

振り返ると、おもしろい作品を作ろうとしたときに、劇団員が退団してしまったり、人間関係がギクシャクしてしまったり、いろんな痛みを伴ってきた。(丸尾)

―下北沢の本多劇場と、大阪のABCホールで上演される劇団鹿殺しの新作『キルミーアゲイン』は15周年公演となりますが、どのような作品になりそうですか?

丸尾:15年やってきたことを振り返ると、すごく楽しめる作品を作ろうとしたときに、劇団員が退団してしまったり、人間関係がギクシャクしてしまったり、いろんな痛みを伴ってきたんです。そこから「ハチャメチャな喜劇を演じる背後で起こる悲劇」っていう構造が浮かんできました。今作の舞台は劇場なんですが、表ではすごくおもしろいバカな世界がありながら、裏では人間関係の悲喜こもごもや、悲劇が起こっていく作品になります。

劇団鹿殺し 活動15周年記念公演『キルミーアゲイン』 写真:江森康之
劇団鹿殺し 活動15周年記念公演『キルミーアゲイン』 写真:江森康之

―ある意味、鹿殺しのこれまでの活動に重なる部分も多い作品なんですね。古田さんは、鹿殺しの15周年によせてメッセージはありますか?

古田:15年続いてきて、途中で大好きだった劇団員がやめちゃったとか、いろいろあったと思うんだけど、そんななかでこれからも鹿殺しが存続して作品を作っていくためには、「頑張っているよ、お前ら」って言う人がいないといけないと思うんです。だからこれからも励ましていきたいと思いますね。実際、丸尾はすごくよく頑張って脚本を書いているし、チョビの演出も、作品のクオリティーも上がってきている。鹿殺しがもともと持っている暴力性を守りながら、ますますソリッドにしていると思いますよ。

―大先輩として、鹿殺しに対する愛が伝わってきますね。

古田:もちろん、バカなことも忘れていないしね(笑)。

菜月:東京に出てきてメンバーが変わるときとか、次は大きな劇場でやらなきゃってドキドキしているときとか、古田さんは、いつも節目に話を聞いてくださって。で、そのときに励まさなきゃいけないメンバーを捕まえて、お前が一番頑張れって言ってくれるのが、すごくありがたいですね。

―原点に立ち戻る感覚?

菜月:私たちのやり方が間違ってなかったんだって思えます。迷っているときも、「でも、古田さんも言ってたし!」って(笑)。実際にきちんとやるべきことをやっていて、お客さんもいっぱいいるし、かっこいい。劇団員にも「古田さんが、そう言ってるんだよ」って伝えています。「だって、みんなよりめっちゃうまくて、ファンがいっぱいいて、お家も建てているんだよ? 確実に正しい人でしょ」って(笑)。

イベント情報
劇団鹿殺し 活動15周年記念公演
『キルミーアゲイン』

作:丸尾丸一郎
演出:菜月チョビ
音楽:入交星士×オレノグラフィティ
出演:
菜月チョビ
丸尾丸一郎
オレノグラフィティ
橘輝
鷺沼恵美子
浅野康之
峰ゆとり
近藤茶
木村アヤナ
メガマスミ
椙山聡美
大東駿介
細貝圭
河野まさと(劇団☆新感線)
ほか

東京公演
2016年1月9日(土)~1月20日(水)
会場:東京都 下北沢 本多劇場

大阪公演
2016年1月28日(木)~1月31日(日)
会場:大阪府 ABCホール

プロフィール
古田新太 (ふるた あらた)

兵庫県出身。劇団☆新感線の看板役者。活躍の場は広く、バラエティー番組への出演や多くのCM出演、コラムニストとして雑誌連載を持つほか、著書に『気になちょるモノ』『ドンジュアンの口笛』『魏志痴人伝』『柳に風』がある。近年の劇団公演以外の出演作に、ドラマ『リスクの神様』『信長協奏曲』『ドクターX~外科医・大門未知子~』『隠蔽捜査』、映画『エイプリルフールズ』、舞台『いやおうなしに』『万獣こわい』などがある。現在、映画『パディントン』『信長協奏曲』『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』の公開が控え、1月3日放送のCX『坊ちゃん』にも出演。テレビ朝日『関ジャム』にレギュラー出演中。また、パルコ劇場にて舞台『ツインズ』に出演。1月は地方にて公演を行う。

劇団鹿殺し (げきだん しかごろし)

2000年、菜月チョビが関西学院大学のサークルの先輩であった丸尾丸一郎とともに旗揚げ。劇場では正統的演劇を行いながらも、イベントでは音楽劇的パフォーマンスを繰り広げる。上京後2年間の共同生活、週6日年間約1000回以上の路上パフォーマンスなど独自の活動スタイルで、演劇シーン以外からも話題を呼び、TV朝日『ストリートファイターズ』では人気投票全国2位となる。2013年、菜月チョビの文化庁新進芸術家海外派遣制度による1年間の海外留学を発表。同年、充電前最後の本公演『無休電車』を東京・伊丹で発表、6,000名を動員する。2015年6月には、シンガーソングライターの石崎ひゅーいを客演に招き、全編生演奏のロックオペラ『彼女の起源』を発表した。



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