世界最高峰のアニメーションスタジオ、ピクサーで長年にわたってアートディレクターとして研鑽を積み、『トイ・ストーリー3』『モンスターズ・ユニバーシティ』などの制作に携わってきたアートディレクター、堤大介。ピクサーの将来を支えるリーダーの一人として期待されながらも2014年に退社し、ピクサー時代の盟友・ロバート・コンドウとともにアニメーションスタジオ・トンコハウスを設立。はじめて監督した短編アニメーション『ダム・キーパー』が『アカデミー賞短編アニメーション部門』にノミネートされたことでその名を知った人も多いだろう。
そんなトンコハウスのこれまでの活動、そしてこれからを身近に感じられる展覧会が、銀座のクリエイションギャラリーG8で開催中の『トンコハウス展 「ダム・キーパー」の旅』だ。ピクサーという世界最高のアニメ制作環境に身を置いていた日本人は、いったいどのように仕事をしながら成長を遂げてきたのだろうか? そして、なぜピクサーを後にし、新たな挑戦へと向かっていったのか? 堤の言葉は、アニメーションという枠を超え、すべてのもの作り、いや社会で働く人々の心に響き渡るだろう。
ピクサーは素晴らしいスタジオですが、自分が成長し続けるためには、居続けてはいけなかった。
―堤さんはピクサーに7年間在籍し、アートディレクターとして『トイ・ストーリー3』『モンスターズ・ユニバーシティ』などの大ヒット作品を手がけました。ピクサーは、CEOのエド・キャットマルをはじめ、監督のジョン・ラセター、故スティーブ・ジョブズなど、天才たちが集まって生まれた誰もが憧れるスタジオというイメージがあります。
堤:やっぱり天才がいるからこそ、ああいう作品が作れるというのは100パーセント事実です。けれども、天才の周囲には彼らを支える人間が必ずいる。その働きは天才以上に貢献しているものだとも思います。
―天才は、周囲の支えがあってはじめて実力を発揮できる。
堤:はい。だからピクサーはすごい作品を作るだけでなく、クリエイターにとって幸せな環境を整え、次の世代にチャンスを与えることに熱心なんです。実力を発揮すれば、素晴らしい作品を生み出せると心から信じられる環境があるからこそ、たとえばジョン・ラセター以外の人が監督をしても、『ファインディング・ニモ』や『モンスターズ・インク』『Mr.インクレディブル』といった名作が、どんどん生まれてくる。
―つまり、ピクサーはコンテンツメーカーだけではなく、クリエイションのプラットフォームとしても機能しているんですね。
堤:エドやジョンはピクサーを立ち上げたときから、そういう理想を掲げていたみたいです。一般的にハリウッドのアニメーション映画制作には百億円以上のお金が動くので、監督やクリエイターの権限は限られ、ビジネスとして失敗できないモデルが優先されがちです。本当はもっとおもしろいことができるはずなのに、挑戦させてもらえないことが少なくないんです。そんななかピクサーは、クリエイターがやりたいことを妥協なく追究できて、さらにヒット作品につながっていく。すごく珍しいスタジオだと思います。
―まさにクリエイターにとっての理想郷ですね。では、どうして堤さんはそこから離れ、独立の道を選んだのでしょうか?
堤:大きくは3つあるのですが、1つは『ダム・キーパー』を作ったこと。ピクサー在籍中に自主制作として作っていたんですが、この作品ではじめて経験した監督という立場はとても大変なものでした。もちろん、それまでピクサーでいろんな監督と仕事をさせてもらい、ある程度はわかっているつもりだったんですが、いざ自分でやってみると、映画を作るってこんなに大変なんだ、と思い知らされました。
―世界最高峰のアニメーションスタジオでお仕事をされていたからこその、生みの苦しみですね。
堤:いい映画が作られるのを身近に見てきただけに、自分たちの実力不足に愕然としましたし、あらゆる意味で苦労しました(苦笑)。ただ、『ダム・キーパー』を完成させたとき、自分がものすごく成長できたことに気づいたんです。ピクサーのアートディレクターという仕事のなかで、いつの間にか守りに入ってしまって、足踏みをしていたことを思い知らされた。ピクサーは大好きだったけど、このままずっと続けていいのか……と考えるようになりました。
ぶたくんときつねくん『ダム・キーパー』最終フレーム 2013年
―自分の成長のために、あえてピクサーを離れるという選択肢が生まれた。
堤:はい。もう1つは、ちょうど同じ時期、CEOのエド(・キャットマル)から8か月のメンターシップを受ける機会があったんです。それはピクサーの次世代のリーダーを育てるためのプログラムでもあったのですが、そこで彼と接しているうちに、エドは本当の意味でのリーダーだと感じたんです。エドはスティーブ・ジョブスやジョン・ラセターのような天才肌を縁の下で支えた、「人を活かす」という意味での最高のリーダーでした。彼やジョンがピクサーというスタジオを作り、リスクを冒しながらこれまでのアニメ制作会社とは違う環境を整えてくれたおかげで、ぼくらの世代はものすごい恩恵を受け、おもしろい仕事、作品作りに関わらせてもらっている。だけど、ぼくらが次の世代になにを残せるのかというと、なにもしていないんじゃないかと思ったんです。
―エドやピクサーへの強いリスペクトがあるんですね。
堤:3つ目の理由にもつながるのですが、自分に子どもが生まれたこともそれを考える機会になりました。このままピクサーに「おんぶにだっこ」ではなく、自分たちもリスクを取って、アニメーションを超えて、人間として、親として、次の世代に「なにか」を残していかなければいけない。自分の息子が大人になったときのために、いまの自分はなにもしてあげれていない、と感じたんです。
人に作品を見せて、意見をもらい、悔しい思いをしながら続けていくしかない。
―制作の話をお伺いしたいのですが、堤さんがピクサーでされていたアートディレクターとは、どのようなお仕事なのでしょうか?
堤:スタジオによってまちまちですが、ピクサーの場合、一作品に2、3百人のスタッフが関わるので、キャラクター担当、背景担当というように、数人のアートディレクターが専門的な部分を担当しています。ぼくの専門は光と色。監督とともにストーリーを効果的に伝えていくため、照明や色の見せ方を考えていく仕事です。ピクサーではCGであっても実写映画のように「照明」でストーリーを伝えることにこだわりを持っているんです。
―世界中から選りすぐりの才能が集まるピクサーで、数百人ものクリエイターと一つの作品を作り上げていくのは、至難の業ではなかったですか?
堤:世界レベルの才能あるスタッフに「アートディレクターだから言うことを聞いてくれ」なんて言っても、誰も聞かないですからね(笑)。ピクサーで7年間働かせてもらってようやくわかったのは、監督やスーパーバイザーがすべての答えを持っているのではなく、クリエイターそれぞれが考えて、アイデアを出し合いながら、納得してもの作りができる環境を構築すること。それが本当の意味でのリーダーの仕事だったんです。
―「俺についてこい」ではなく、クリエイターそれぞれが工夫を凝らし、実力以上の力を発揮することでピクサーの傑作たちは生まれた。
堤:もちろん、自分のエゴをぶつけてしまうこともありましたが、それでうまくいった試しなんて一度もないんですよ。こちらのやりたいことも納得してくれたら、彼らは工夫をして想像以上のものを生み出してくれます。やっぱりチームによって生まれたアニメーション映画が、スクリーンに映し出される感動って何物にも代えられないんですよね。そういう意味では、人と一緒に仕事をする力に長けていないとできないし、監督やアートディレクターは「リーダーとはなにか?」を常に問われている立場といえます。
―『ダム・キーパー』は初監督だけでなく、トンコハウスとしてもはじめての作品でしたが、また違ったプレッシャーや苦しみがあったのでないでしょうか。
堤:アートディレクターの場合、あえて悪い言い方をすれば、作品が失敗しても、脚本や予算のせいにすることもできるんです。けれども、今回は作品がダメだったら、すべて自分たちで責任を取らなければならない。ゼロからストーリーを生み出すことの難しさ、スタッフに指示を出すことの難しさ。監督として自分が未熟だとわかりながら、それがどうしたら改善するかもわからないままでの制作はとても恐ろしいものでしたね。
―特に最初の作品は、納得のいくものを作りたいという「思い」が強くあって当然ですし、その思いと現実の差というのには、制作中かなり苦しまれたのではないかと想像します。
堤:ぼくもロバート(・コンドウ)も、こだわりにこだわる完璧主義者なので、いいものを見せなければという気持ちは人一倍強いですからね(苦笑)。
―完璧を目指せば目指すほど、終わりが見えなくなってしまいますね。
堤:「終わり」がないほうがじつは楽なんです。いつか絶対にベターになるって思い続けられることが「保険」にもなりますからね。でも、作品は99パーセント完成していても、100パーセントの完成品を見てもらえなければゼロでしかありません。だから、『ダム・キーパー』を作るにあたって、ぼくとロバートは「期限内に終わらせる」ということを、なによりも優先させようと決めました。どんなに恥ずかしい部分があっても、期限内に発表することを一番の優先事項に据えたんです。
―クリエイターとしては、心苦しい選択ではなかったでしょうか?
堤:ちょうどその頃、読んでいた本から学んだことでもあったのですが、ある陶器制作の授業での実験で、「質」を追究するチームと「量」を追究するチームの2つに分けて制作を行ったところ、トライ&エラーを数多くこなした「量」チームのほうが、結果的に「質」も高かったという話があって。
―なるほど……!
堤:作品作りはどうしても完璧さを求めてしまいますが、アーティストの人間そのままが出るのがアートだとすれば、人間はパーフェクトじゃない。だから、パーフェクトを求めるのはアートではないんです。『ダム・キーパー』も、もちろん完璧に納得できた作品ではありません。たまたまいろんな賞をいただきましたが、批判もたくさん受けました。でも、それも含めてすごくいい勉強になりました。人に見せるためにぼくらはこの仕事をしています。人に見せて、意見をもらい、悔しい思いをしながら続けていくしかないんです。
未知の未来への一歩を踏み出すことが一番大事だと思っています。でなければ、ピクサーのような理想郷を去ってはいなかった。
―『トンコハウス展「ダム・キーパーの旅」』では、『モテキ』や『宇宙兄弟』のプロデューサーとして知られる川村元気さん原作の絵本『ムーム』アニメ版の関連資料も展示されています。この作品はトンコハウスがはじめて日本のアニメーターと共同制作するものになるそうですね。
堤:ぼく自身は高校を卒業してからアメリカに行ったんですが、アメリカにいると、日本という国にどうしたら貢献できるのだろうか、と考えるんです。アニメーションで世界最高の文化を持っている日本とアメリカがなにか一緒にやることで化学反応が起きれば、世界のアニメーションに次なるものが生まれるのではないかと期待しています。もちろん、簡単にうまくいくものではないと思いますが、いまのモチベーションの一つになっています。
―堤さんから見て、日本のクリエイターの特徴とは、どういった部分にあると思いますか?
堤:日本人のセンスって相当高いと思うんです。最低レベルのセンスを誰もが持っていて、文化レベルも高い。だから変なものは作らないんですが、それは同時に弱点でもあるわけです。
―小さくまとまって突出しない、ということでしょうか?
堤:そう。アメリカのすごいところって、全然ダメな人でもあり得ないようなアイデアを生み出して、認められてしまうところ。新しい人たちがどんどん登場して、どんどん失敗しているんですよ。そんなアメリカ文化と日本文化のいい部分が合わさって成長していけば、これまでにないアニメーションが生まれるのではないかと思います。
―展覧会の内容についても聞かせてください。
堤:今回の展覧会では、アニメーションの原画を見てもらうというよりも、トンコハウスの世界観を共有してもらえたらと考えています。ぼくらが仕事をしているオフィスの雰囲気を再現したり、未発表作品の資料展示も行います。トンコハウスは、DIYでアニメーションスタジオを作るつもりでやっているので、手作り感覚の部分を共有してほしいです。
―『ダム・キーパー』も、CGアニメーションでありながら手描きのような暖かさもあり、手作り感というのはトンコハウスの魅力の一つです。
堤:他にも、NHKのキャラクターの「どーもくん」や「こまねこ」を作っているコマ撮りアニメーションスタジオ「ドワーフ」さんや、世界的なジオラマアーティストの荒木智さんとのコラボレーション展示を行っています。アーティストと共に、お客さんもこの手作り感覚の旅に巻き込んでいけたら嬉しいですね。
―『ダム・キーパー』は現在、長編版の制作に向けて動き出しています。ピクサーから独立した堤さんにとって、初長編作品というのはかなり特別な意味を持つのではないでしょうか。
堤:まだ企画段階なので、本当にできるのか、いつできるのかなどまったく未知の状態ですが、長編映画というのはアニメーションの世界では誰もが求める究極のチャレンジです。ハリウッドではここでコケて帰ってくるパターンがほとんどで、もちろんぼくらもそうなるかもしれません。でもそこに挑戦したくてピクサーを辞めたんです。ピクサーが『トイ・ストーリー』で、アニメーションの世界を変えたときも、最初は誰もが彼らの成功を疑っていました。だから、未知の未来への一歩を踏み出すことが一番大事だと思ってます。でなければピクサーのような理想郷を去っていなかったので、できると信じてやるしかないですね。
- イベント情報
-
- 『トンコハウス展 「ダム・キーパー」の旅』
-
2016年3月25日(金)~4月28日(木)
会場:東京都 銀座 クリエイションギャラリーG8
時間:11:00~19:00
休館日:日曜・祝日休館(3月27日は開館)
- プロフィール
-
- 堤大介 (つつみ だいすけ)
-
東京都出身。School of Visual Arts卒業。Lucas Learning、Blue Sky Studioなどで『アイスエイジ』や『ロボッツ』などのコンセプトアートを担当。2007年ピクサー入社。アートディレクターとして『トイ・ストーリー3』や『モンスターズ・ユニバーシティ』などを手がけている。2014年7月ピクサーを去り、トンコハウスを設立した。71人のアーティストが1冊のスケッチブックに絵を描いて、世界中に回したプロジェクト「スケッチトラベル」の発案者でもある。
- フィードバック 1
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-