山口百恵と昭和歌謡とハッカ飴をこよなく愛する「ハッカドロップス」ことマイが、この世でもうひとつ愛しているものは「本」。古本屋で一度に何冊も大人買いし、気に入った本は友達にあげるのも趣味だという彼女が、今気になっている場所は、新宿ゴールデン街にある「The OPEN BOOK」だ。
日本初のレモンサワー専門店として、今年3月にオープンした「The OPEN BOOK」だが、もうひとつ、大切な顔がある。昭和の文学と文壇の香り、ゴールデン街らしさを今に伝え、残す店だ。店主の田中開は、新宿ゴールデン街をこよなく愛した直木賞作家、故・田中小実昌の孫。店内には、田中小実昌の全著作を筆頭に、彼の蔵書が所狭しと並んでいる。本の貸し出しだけでなく、寄贈も受け付けている「The OPEN BOOK」に、ハッカドロップスは選びに選び抜いた3冊を抱えてやってきた。
ホントは図書館にしようと思ったんですけど、図書館じゃお金にならないし、ギャルも来ない(笑)。(田中)
―そもそも、田中さんが「The OPEN BOOK」始められたのは、なぜですか?
田中:今から4年くらい前なんですが、僕が22歳のときに母親が亡くなり、実家の遺品を整理しているときに、おじいちゃんの蔵書がたくさん残っていたんですね。
―おじいちゃんとは、作家の田中小実昌さんですね。
田中:そうです。その蔵書をどうしようかな? と思ったのが、The OPEN BOOKを始めたきっかけでした。ホントは図書館にしようと思ったんですけど、図書館じゃお金にならないし、ギャルも来ない(笑)。
マイ:ギャルですか!(笑)
田中:女子が来ないと、文化って根付かないじゃないですか。何事も、ギャルに理解されないものは流行らないので、ギャルに来てもらえる図書館というと、ブックカフェのようなものかなと。幸い、親の遺産も豊かだったし、おじいちゃんの蔵書を置くならゴールデン街がいいなと思って、この場所の土地を買い、お店を開いたんです。
―小実昌さんは、文化人が多数集っていた新宿ゴールデン街でも、色川武大、殿山泰司と並んでカリスマと呼ばれていた。その思い出の街で、蔵書をみなさんに見てほしい、読んでほしいという気持ちがあったと。
田中:はい、価値の分かる人に見てほしくて。蔵書も面白いんですよ。昔のミステリーがあったり、なぜか司馬遼太郎が全巻あったり。おじいちゃんが何を読んできたのかが分かるし、田中小実昌の著作は全部置いてあるので、「田中小実昌ファンクラブ」のような役割も果たせますから。
マイ:私もエッセイ読みました、おじいさまの『かぶりつき人生』(1964年発行、三一新書)。
田中:ありがとうございます。おじいちゃんのファンは年配の方が多いから、若い女性に読んでもらえるのは嬉しいですね。あと、蔵書だと、面白いのは1階のカウンター後ろの棚。あそこ、全部著者のサイン本なんですよ。
マイ:たくさんありますよね。
カウンターの奥の本棚に、田中小実昌に寄贈された本が並んでいる
田中:作家本人からおじいちゃんに寄贈された本なので、あの棚がそのまま田中小実昌交遊録になっているんです。例えば……おじいちゃんが柄谷行人(1941年生まれ、哲学者・文芸評論家)と仲が良かったなんて、僕も意外でビックリしました。有名な作家もいれば、埋もれた才能もいるし、寄贈本を通じて時代がそのまま切り取られているから、ここが広いスパンで昭和文学をとらえられる場所にもなれたらいいなと思います。
古き良きゴールデン街を完全再現したいわけでもない。「昔」をいかしながら、「今」をどうするかですよね。(田中)
マイ:実際、(田中)開さんは、小実昌さんといくつくらいまでの思い出があるんですか?(田中小実昌は2000年に逝去している)
田中:小2までなので、あまりちゃんと話をした記憶はないんですけど、母親からはいろいろ聞いています。あと、僕自身も母親の顔なじみがたくさんいるゴールデン街には、高校時代から通っていたので……もちろん、お酒は飲まずに(笑)、そこでおじいちゃんの話もよく聞きましたね。おじいちゃんの知り合いは、みなさん俺に優しくしてくれるんですよ。
マイ:そうですよね。
田中:そういう店に友達を連れていくと喜ぶし、やたら裏事情に詳しいジャーナリストからスクープの裏側が聞けたり、謎な人もたくさんいて面白いんですよ。今でもサンクチュアリなんです、ゴールデン街は。他人の職業を詮索しないし、聞いちゃいけない雰囲気がある。
マイ:でも最近は、外国人のお客さんがすごく多いですよね。
田中:はい。だからそのなかでうちは、居場所を失ってしまった日本人向けの店でありたいなと思っています。といっても、古き良きゴールデン街を完全再現したいわけでもない。「昔」をいかしながら、「今」をどうするかですよね。だから店の内装も新しくはしているんですけど……古っぽさは残しておきたい。店の上の階には、昔のゴールデン街が「青線」と呼ばれた非合法の売春地帯だった名残の「ちょんの間」を、元・宮大工の人に作ってもらいました。
―そのコンセプトは、まさにマイさんがハッカドロップスでやっている音楽と同じですね。昭和歌謡の世界に、今の音楽シーンの新たな息吹を加えて展開する。
マイ:そうですね。今、田中さんがおっしゃった、昔のものをそのままやるんじゃない、今に繋げていくんだというお話は、ハッカドロップスとして私が思っていることなので、すごく共感します。
田中:そう、僕もハッカドロップスの方向性はすごく好きですね。
今までのレモンサワーって、つまりは「回転寿司」なんです。だったら僕らは、「銀座の鮨」を提供したい。(田中)
―田中さんにとっての小実昌さんが残された本、交遊録、ゴールデン街の思い出は、マイさんにとってお母さまが家でずっと歌っていたThe Folk Crusadersの“帰って来たヨッパライ”(1967年)であり、敬愛する山口百恵さんの曲と同じですよね(ハッカドロップスのルーツについてはこちらの記事にて。「歌謡ポップス好きのハッカドロップスが推薦する、愛する歌BEST5」)。そこで、The OPEN BOOKが新しさとして提示するひとつが、「レモンサワー専門店」という切り口だったのかなと。
田中:実際は、ビールやワインもあるんですけど、看板メニューはそうですね。
マイ:でも、なぜレモンサワーだったんですか?
田中:最初は日本酒とかジントニックも考えましたけど、昭和の文化を新しい時代に……というコンセプトなので、飲み物も庶民的だけど、今まで美味しさが語られてこなかったものがいいと思ったんです。レモンサワーは通称「キンミヤ焼酎」とハイサワーをブレンドするのが普通なんですが、焼酎や作り方にこだわったものは、じつは誰も飲んだことがないんじゃないかなと。今までのレモンサワーって、つまりは「回転寿司」なんです。だったら僕らは、「銀座の鮨」を提供したい。
―そこで、厳選された黒糖焼酎と、ビール専門店などで樽生ビール出すときにホップや果実などのフレーバーを加える「ランドル」という器具を使って、生レモンの豊かな風味にこだわったレモンサワーを作った。
田中:そうですね。「ランドル」を使うことは、うちのアドバイザーをしてくれている森枝幹くん(代沢にあるレストラン&バー『サーモン&トラウト』のオーナーシェフ)に薦められました。
マイ:面白いですよね。レモンの入った見た目もかわいいから、InstagramとかSNSに写真を上げたくなります。
田中:そう、Instagram効果、すごいですよ。今はお客さんも、大部分はInstagramを見て来た若い女性。だから女性がもてはやしてくれる店という、当初の目的は果たせてはいるんですけど、彼女たちはまだ本や文学のほうに興味を向けてくれない。そこはこれから頑張っていきたいところですね。
初めて買った本って、ずっと手放せない。でも、古い思い出ばかりを取っておくのも違うから、そういう本を置いておくのもいいんじゃないかと思いました。(マイ)
―そんな本とお客さんを結ぶシステムとして、The OPEN BOOKは店内の本を借りることができ、お客さんも本を自由に寄贈できる。今日はマイさんにも、3冊本を置いてもらおうと。
マイ:みなさん、置いていきます?
田中:けっこう置いていきますね。編集者の人が、自分の作った雑誌や単行本を置いていったり。
マイ:私、The OPEN BOOKを知ったとき、本を置いていけるシステムが面白いなと思ったんです。「みんなはどういう存在の本を置いていくんだろう?」って。すごく大事でずっと持っていたい本は手放したくないし、全く用のない本や面白くなかった本も置きにくい。
田中:ああ、たしかにそうかも知れない。
マイ:なので私は今日、置いていきたい理由の違う本を3冊持ってきました。
田中:違う理由があるって面白いですね。
マイ:はい。まず、『ゆるいカーブ』(加藤千恵著。2006年発行、スリーエーネットワーク)は、自分のお金で初めて買った本です。タイトルの『ゆるいカーブ』からいろんなことを想像して、何が書いてあるんだろう? と思って手に取ったんです。初めて買った本とか、そういうメモリアルなものって、ずっと手放せないじゃないですか。でも、あまり古い思い出ばかりを取っておくのも違う気がして、そういう本をここに置いておくのもいいんじゃないか、違う人の手に渡るのもいいんじゃないかと思いました。
田中:なるほど、「捨てられない本」なんだ。
―加藤千恵は、17歳で出版した処女短歌集『ハッピーアイスクリーム』(2001年発行、マーブルトロン)がベストセラーになった歌人であり小説家ですね。
マイ:じつは私の家に、お母さんが読んでいた『ハッピーアイスクリーム』があって、偶然私が『ゆるいカーブ』を買った後に、同じ作者だったんだと知りました。なので、母との感性の繋がりみたいなものも感じた本です。
田中:いい話ですね。
マイ:内容は、男女の濃い恋愛をテーマにしています。私が生々しい「女の人」の言葉に初めて触れた本でもありました。でも、今読むと、自分の恋愛にすごく合致する話もあるんです。この本に出てくるのはダメ男ばかりなんですけど、なかでも「あたしの好きな男」という話は、周りは彼氏のことを悪く言うけど、私にしか分からないいいところがある人なんだ、と主人公が語っていて。
田中:そういう恋愛観は、歌にも関係しますか?
マイ:しますね。私の“さよならテディー・ボーイ”という曲にはダメ男が出てきて、彼とお別れしたときの身軽な感覚を歌ってます。それは、私の好きな映画『月曜日のユカ』(中平康監督、1964年)のラストでパトロンに裏切られた主人公が、パトロンを海に投げ捨ててスキップして去って行く、そのシーンを重ねて歌詞にしました。
お店に置いてもらえたら、頭のいい人が読み解いてくれるんじゃないかなと思って。(マイ)
―次に選んでくれた『夜は暗くてはいけないか―暗さの文化論』(乾正雄著。1998年発行、朝日新聞社)は、小説ではないですね?
マイ:本って、「面白そうだな」と思って読み始めても、分からないところが多くて「あれ?」ってなることないですか?
田中:あぁ、ありますね。
マイ:この本が、それなんです。私、電気が明るいのが苦手なので、タイトルに惹かれて買いました。でも建築学者の方が書いたものなので、途中から専門用語が多すぎて、読み切れていないんです。いつか理解できるかな? と思いながらも、置きっ放しになっていました。なので、お店に置いてもらえたら、頭のいい人が読み解いてくれるんじゃないかなと思って。
『夜は暗くてはいけないか―暗さの文化論』。ハッカドロップスの私物
―マイさんは、プロフィールに「必携の書」として『陰影礼賛』(谷崎潤一郎著。昭和8~9年に、雑誌『経済往来』に掲載)を挙げています。『夜は暗くてはいけないか』も、日本と西洋の芸術や建築物の比較や照明の歴史を通して「暗さ」を考察する本。テーマが通じてますね。
マイ:はい、じつは『陰影礼賛』を知ったのは、『夜は暗くてはいけないか』のなかで引用されていたからなんです。『夜は暗くてはいけないか』も、頭のほうの章は、私が読んでもすごく面白いんですよ。1枚の絵(『雪中の狩人』ピーテル・ブリューゲル)で描かれている曇り空、色のトーンと地域ごとの天気の話から始まるんです。そこから建築、建物と採光の関係に繋がっていく。
―それぞれの土地の民族性や文化が、天候や気候から大きく影響を受けている例は、音楽でも感じますね。
マイ:そうですね。ハッカドロップスがテーマにする日本の歌謡曲は、マイナーな曲が多いんですけど、日本の気候や光の当たり方というのが、マイナーな歌謡曲にも関係しているのかな? と考えながら読んでました。
田中:たしかに、文化と灯りの関係は興味深いですね。そもそも照明って難しいんですよ。The OPEN BOOKを作るときも、照明計画を勉強したんですけどいちばん理解しづらかった。いや、この本は面白そう。まず僕が読ませてもらいますね。
マイ:わぁ、うれしい。持ってきて良かった!
持ってきた3冊は、The OPEN BOOKの本棚へ。現在、お店で手に取ることができる(貸し出し中の場合は、お店にない可能性あり)
自分の考えが固まってきちゃったなと思ったときに、本を手放すんです。そうすると、新しい本がほしくなって、新しい考えに出会える。(マイ)
―そして3冊目は、デンマークの作家、ヘンリック・イプセンの『人形の家』。1800年後半から上演され続けている有名な戯曲で、主人公の主婦・ノラの自我の目覚めを描いた、フェミニズム視点からも語られることの多い作品です。これをThe OPEN BOOKに置いていきたい理由は?
マイ:「大好きだから、人に薦めたい本」です。私、友達によく本をあげるんですけど、この本も今まで何人かにあげました。
田中:わかる。僕も気に入った本はあげちゃいますね。この間も、殿山泰司の『三文役者あなあきい伝』(1971~1975年発行、講談社)を友達にあげました。殿山泰司はおじいちゃんのゴールデン街仲間で、本のなかにも過激な発言が平気で出てくる。超面白いんですよ。『人形の家』は、どういうところが好きなんですか?
マイ:このお話は、仲むつまじい夫婦や幸せそうな家庭の描写から始まるんですけど、それを読んでいてすごく違和感があったんです。で、途中からノラが、自分がいいと思ってしていた部屋の飾り付けは、じつは全部旦那さんの好みで、自分はそれを好きだと思い込んでいただけと気づくんですね。自分は知らないうちに、旦那さんに支配されていたんだって。そこで、物語で私が最初に感じていた違和感の正体が分かって、すごく感動したんです。
田中:そういう話なんだ。
マイ:私もふだん考えちゃうことがあるんですよ。好きだと思うものやことも、どこまでが本当に自分が好きなもので、どこまでが人の影響なんだろうって。その境界線が、自分のなかでもすごく曖昧になっている。そういうことに改めて気づかされた作品です。そして最後にノラは、自分が旦那さんに支配された人形として暮らしていた家をひとりで出て行くんですよ。
田中:なるほど。強い女性の話なんですね。そこに共感するということは……最初に紹介してくれた『ゆるいカーブ』のダメ男好きとは、正反対な気がする(笑)。マイさんのなかに、理想と現実や二面性が同居しているのかも知れないですね。
マイ:あぁ……うーん、どうなんだろう……(笑)。
―マイさんはいつもどのくらい本を買うんですか?
マイ:バラバラですね。私は古本屋でまとめ買いをするから、一度に10冊以上買うこともあります。でも、手元にずっと置いておく本は厳選していて、手放す本もけっこう多いです。
田中:それはなんでですか?
マイ:自分の考えが固まってきちゃったなと思ったときに、本を手放すんです。そうすると、新しい本がほしくなって、新しい考えに出会える。そのサイクルを、あえて自分で作るようにしています。
田中:じゃあ、手放したくなったらまたうちに持ってきてくださいよ。うちの蔵書で気になる本は、返却期限2週間で貸し出しもしてますから。今日、マイさんに提供いただいた3冊も、さっそく貸し出しカードを作るので、いろんな方に読みにきてもらいたいです。
マイ:私も、いろんな本が見られてワクワクできるので、またゆっくり遊びに来ます!
- リリース情報
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- ハッカドロップス
『衝撃リバイバル』(CD) -
2016年4月20日(水)発売
価格:1,200円(税込)
SRCL-90211. 衝撃リバイバル
2. 名古屋特急
3. 手紙(acoustic ver.)
- ハッカドロップス
- 店舗情報
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- 『The OPEN BOOK』
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東京都新宿区歌舞伎町1-1-6ゴールデン街五番街
営業時間:18:00~26:00
- プロフィール
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- ハッカドロップス
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ハッカ飴と歌謡曲をこよなく愛する“マイ”率いるソロプロジェクト“ハッカドロップス”。YAMAHA SG7を肩にかけ、懐かしさと新鮮さの共存するサウンドで平成の世にハッカ飴を投じるべく活動中。
- 田中開 (たなか かい)
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現役大学院生。祖父は、田中小実昌。2016年3月に、新宿ゴールデン街にて『The OPEN BOOK』をオープン。
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