今年1月にリリースされた『Sukoshi Fushigi』から約半年、早くもクウチュウ戦から3枚目のミニアルバム『超能力セレナーデ』が届いた。素晴らしい作品だ。これまでの彼らを特徴づけていたプログレッシブロック的なフリーキーな曲展開は、皆無。むしろ、端正なソングライティング、美しいメロディー、幻想的でロマンチックな歌詞世界……そんな、バンドが本質的に持つクラシカルな魅力で聴かせる名曲集に仕上がっている。
そして何より、この作品には、失われていく記憶を閉じ込めようとする――そんな刹那と普遍が入り混じった甘美な質感がある。人も、文明も、すべてが死滅し破壊しつくされたディストピアのなか、たったひとり生き残った男が、恋人の写真を見つめながら最後の眠りにつく瞬間のような、悲しみと安堵に彩られた世界。過去最高に綿密に作り込まれた、1音1音が密度高く重なり合ったバンドのサウンドプロダクションが、そんな美しい世界を見事に描き出している。
前回の取材では、大学でドラッグカルチャーを学び、SFを愛し、唐突に単身インドへ向かうフロントマン・リヨの「外」への志向性に着目したが、今回は、むしろ「内側」へと向かうマインドトリップ的志向性を追求すべく、取材はメンバーが「アジト」と呼ぶ、リヨの自宅で行った。
切ない場所ですよね。人の思い出が沁みついている。(リヨ)
―今日はリヨさんのご自宅にお邪魔しているんですが、一軒家に一人暮らしなんですね。
リヨ(Vo,Gt):元々はじーちゃん家だったんですよ。3年前くらいにじーちゃんが茨城の実家に引っ越したから空いたんだけど、住まないと家ってダメになっちゃうじゃないですか。だから、家族に「お前、住め」って言われて。
―今は2階にお邪魔しているんですけど、バンドの機材が見事にセッティングされていますね。
リヨ:ここで曲を作ったり、リハをやったりしています。せっかく、こういうスペースがあるのでね。前のドラマーが買ったエレドラも置いたままだし。
―前回の取材(クウチュウ戦の警告。左脳ばかりを動かす現代日本人を刺激する)で、リヨさんは「東京には、物事と物事の間や、人と人との間など、至るところに境界線がある」という話をしてくれたじゃないですか。家って、人間が持つ根源的な境界線のひとつだと思うんですけど、リヨさんにとって「家」とは、どんな場所ですか?
リヨ:切ない場所ですよね。ここに貼ってあるカレンダーも、1997年で止まっているし……人の思い出が沁みついている場所。とにかく切ない。
―どうして、カレンダーは剥がさないんですか?
リヨ:なんか、剥がせないんですよね。「じじいがここにいた」っていう感じが残っているものには、なるべく手はつけていないんです。1階に行くと、俺が幼稚園の頃に書いて渡した「おじいちゃん、長生きしてね」という紙もいまだに貼ってありますから。
この家は、ちょっと特殊かもしれないですね。俺がこの家に住み始めたときに、ゼロから始まったわけじゃなくて、元々じいちゃんが生きてきた家に俺が住んでいるわけだから。変に変えたくないんですよ。俺の色で染め上げたくない。
―カオルさんにとって、この家はどんな場所ですか?
カオル(Key):曲を作りながらダラダラ過ごす、めっちゃ遠い場所です。とにかく、僕の家からは遠いんですよね。なので、ここに来ると交通費と移動時間が憂鬱なんですけど、逆に、「ここに来るからには曲を形にしないと」という意識を強く持てる。
リヨ:嘘だろ、『ボンバーマン』ばっかりやってるじゃん!
カオル:いやまぁ……そりゃ、『ボンバーマン』はやりたいじゃん。
―ははは(笑)。曲作りの空間としてこの家があることは、クウチュウ戦にとっていい要素になっていますか?
リヨ:そうですね。チルできるので。スタジオだと時間が決まっているから、どうしても体育会系になるじゃないですか。それに比べて、ここではダラッとできるのがいいなって思います。『コンパクト』(2015年5月発売、1stミニアルバム)以降はここで作っていて、曲も段々とキャッチーになっているんですよね。
カオル:『コンパクト』以降っていうと、僕がクウチュウ戦のために曲を作ったり、曲作りに積極的に口出しするようになったタイミングでもありますね。
もし「自分はいらないのでは?」と思ってしまったら、その瞬間に、そのバンドではやっていけなくなる。(カオル)
―ここは、バンドとしてのターニングポイントが刻まれている場所と言えそうですね。リヨさんが言うように体育会系ではなく、チルしていくように音楽を作ることは、クウチュウ戦にとって重要なことですか?
リヨ:そのほうが合っていますね。楽しくなきゃ、あんまり意味がないと思っているから。頑張りすぎて疲れちゃうのも嫌だし。ちゃんとやっているけど、ストイックじゃなく、「ゆる~くちゃんとしている」というか。この家でも、遊んだりダラダラしている時間のほうが長いですからね(笑)。飲み始めちゃって、「今日はもういいや」みたいな。
カオル:「この時間が、人間同士のグルーヴを形成するうえで重要なんだ」って理由をつけてね(笑)。まぁ単純に、リラックスしていたほうがいいものが出てくる気もするし。お仕事っぽくなったらダメですから。うちらは、根を詰めていい結果がでたことはない気がするんです。ダラダラすることを前提としてやるのが、クウチュウ戦にとってのある種のルールになっている気はします。
―一緒にダラダラできる相手って、特別な存在だと思うんですよ。お二人はソロでのアウトプットも持っていますけど、改めて、クウチュウ戦ってどんな共同体なんだと思いますか?
リヨ:ストイックではないけど、ちゃんと「バンド」をやっているというか……やっぱり、四人いると頼れるんですよね。ソロだと、「今日、アバシリのせいで台無しだよ!」みたいなことが言えないじゃないですか(笑)。ソロは独り言だけど、バンドには会話があって、それがいい方向に転がっていくのは面白いかな。
カオル:単純に、「クウチュウ戦」という集合体として出すものが、すごいものだって思えるんですよね。僕はソロにもプライオリティーを置いているけど、自分がやりたいことを犠牲にしてまでやる価値があると思えるのがクウチュウ戦。
それに、ここには自分の役割みたいなものもあるから。もし「自分はいらないのでは?」と思ってしまったら、その瞬間に、そのバンドではやっていけなくなるんです。だから、たくさんバンドをやっていた時期もあったけど、正式メンバーとしてこれだけコンスタントに活動を続けているのは、クウチュウ戦しかなくて。
リヨ:クウチュウ戦でカオルが必要なくなることなんて、ないけどね。カオルがいなかったら、俺は自殺しているから。カオルがいなかったら、俺が全部やらなきゃいけない。だから、すごく助かっているんですよ。いい曲を作ってきてくれるし……ありがとう。
カオル:……何? メンバーにいきなり感謝し始めて。死ぬの?
―ははは(笑)。
どれだけ人が集まっても、マジックが起こらなかったら、それはもう「バンド」とは呼べない。(カオル)
―アジトという場所もあって、カオルさんも曲作りをするようになって、バンド感は作品を経るごとに強まっていると思いますか?
カオル:そうですね。強まっているし、録音物にライブバンドらしくない要素を入れても、それが不自然じゃなくなってきていて。たとえば、前作ではシタールを入れていたり、今作では一部で打ち込みにしたりしているけど、異物感はないんですよね。それをバンドの血肉としてやっているから。
あと、「変なことをしようぜ」っていう意図的なものは、完全にゼロになってきたかな。ミスっているところも、「これはいいズレでしょ」って思うところは活かしているし、「説明できない部分」を大事にしようとする意識は強くなってきているかもしれないですね。
リヨ:そうだね。単純にいい作品にしよう、キャッチーにしようと思って、音を重ねたり実験的なことをしたりはしているけど、無理やり変なことをしようとしている感じはない。そして、そのためには、偶発的に起こったビューティフルミステイクは大事にしたいよねって。全部決め打ちして、その通りやるのでは面白味がなくなっちゃうから。
―クウチュウ戦のなかで、そういったビューティフルミステイクが生まれる確率は上がってきているんですか?
カオル:そもそも、バンドという形態の醍醐味は、マジックが起こしやすいことだと思うんですよ。どれだけ人が集まっても、マジックが起こらなかったり、起こっても拾えなかったりすると、それはもう「バンド」とは呼べないかもしれない。うちはそういうマジックをどんどんと拾っていくし、今回も、それでいろいろ変えたんです。
―具体的に、どんなマジックがありました?
カオル:たとえば2曲目の“インドのタクシー”は、最初にリヨが作ってきたデモが、シンセ付属のソフトで打ち込んだものだったんです。そのベースとドラムのあまりのチープさがかっこよすぎて、本番のレコーディングも一部その音でいったんですよね。もともとは生演奏でやろうと思っていたBメロパートのリズム隊を、全会一致で、「これが絶対かっこいい!」って言って、笑いながらそのチープな打ち込みに差し変えて。そういういい笑いがあるのは、いいバンドなんじゃないかな。
リヨ:そうだよね。楽しいもんね。
荒涼たる砂漠みたいなところが現実にはあって、それを面白おかしくするために音楽を作っているから。(リヨ)
―“インドのタクシー”に関していうと、サウンド的にはこの曲が本作では一番狂っているんだけど、歌詞は一番現実的ですよね。
リヨ:それはその通りですね(笑)。
―<よけろよけろよけろ 牛だ / ぶつけたら神様に怒られる>とか、前回のインタビューで語ってもらった、インドで牛に突かれた話がそのまま歌詞になっている(笑)。
カオル:ドキュメンタリーですよね(笑)。
―他の妄想的な世界を描いている楽曲は美しくて端正な曲調なのに、現実を描こうと思うとフリーキーな曲調になっているのはなぜでしょう?
カオル:現実が滅茶苦茶だから。
リヨ:うん、それに尽きるね。
カオル:「社会が」というよりは「現実が」ね。社会もわりと滅茶苦茶だと思うんだけど。リヨの私生活とか、生活習慣とか……滅茶苦茶でしょ?
リヨ:そうだね。荒涼たる砂漠みたいなところが現実にはあって、それを面白おかしくするために音楽を作っているから。で、それとは逆に、突飛な妄想から曲を作ったときって、やっぱりディストピアに生きている感覚が自分のなかで強いからこそ、ユートピアを求めてしまうんだと思います。
夢で曲が聴こえてきたんですよ。だから、曲を自分で作った感覚すらない。(リヨ)
―今回は、“インドのタクシー”以外はユートピアを求める意志が強いと言えますか? 歌詞もロマンチックだし、サウンドも、今までのようなプログレ的な過剰な展開で聴かせるのではなく、端正なメロディーで聴かせる曲ばかりですよね。
リヨ:あんまり意識してはないんですけど……ただ、曲を作っていた当時、恋愛していたんですよね。今はこの家で、ひとり寂しく暮らしていますけど、その辺のガラスとか、割れていますからね(笑)。
―あ、ほんとだ。
リヨ:この家にストームブリンガー(マイケル・ムアコックの小説『エルリック・サーガ』に登場する架空の剣)みたいな女性が出入りしていて、二人で暴れたりしていたから、リアルな感情の起伏が曲に出ていると思います。フルート奏者の女の子だったんですけど、フルートの音が迷惑だったから、「川に捨ててやろう」とか「土に埋めてやろう」っていう気持ちで曲を書いたし(笑)。
―4曲目の“フルート”って、そういう曲なんですね(笑)。<フルートなんてこの世に必要ない>と歌っていますね。
リヨ:“お願いUFO”も、二人の関係がもう「勘弁してくれよ」っていう状態になっていたときに、「誰か迎えに来てくれないかな」っていう逃げ出したい気持ちを書いたし。
“ぼくのことすき”は、去年の夏にその子と滅茶苦茶喧嘩したときに書いたんですよ。家中ぐちゃぐちゃになるぐらいの大喧嘩をして。そしたら外から花火の音が聴こえてきて。「ちょっと、花火見に行こうよ」みたいになって……。
―喧嘩の途中に。いいですね。
リヨ:二人で少年と少女のように家を飛び出して、花火に向かって駆け出していったんです。そうしたら、その辺の雑居ビルからおじさんが顔を出して、「家からだとよく見えるよ~」とか言ってきて(笑)。それで、そのおじさんと一緒に花火見て。しっちゃかめっちゃかだけど、ちょっとロマンチックな夜があったんです。
で、その夜ここで寝ていたら、夢のなかでこの曲が聴こえてきたんですよ。だから、この曲は僕が作っていないんです。自分で作った感覚すらない曲だから、<ぼくのことすき>っていう言葉の意味が何なのかわからない。<ぼくのことすき>の後に続くのが「!」なのか「?」なのかもわからないんです。
地球上の歴史を振り返ったとき、僕たちの先祖が途絶えたことがなかったから、俺はここにいるわけですよね。それは、俺で途絶えさせちゃいけない。(リヨ)
―話を聞くと、この『超能力セレナーデ』は、ある意味では、リヨさんの過ぎ去った恋愛の記憶が閉じ込められた作品でもあるということですよね。この家も、リヨさんのおじいさんの記憶が閉じ込められていると言えますけど、ノスタルジーとか、何かが終わることに魅了される感覚って、リヨさんにはありますか?
リヨ:う~ん、あんまり考えたことなかったな……。でも、終わった出来事を思い出していることは多いかもしれない。最近、先のことを考えるより、ずっと昔のことを思い出しているんですよ。ただただ、老人のように昔起きたいいことを反芻して、切ない気持ちになってる。
―カオルさんも、6曲目の“魔法が解ける”で何かが終わっていく瞬間を描いていますよね。
カオル:“魔法が解ける”に関しては、自分のなかではまったく意味のない歌詞なんです。「魔法」とは何なのか、「解ける」とはどういう状態なのか……歌詞のなかで歌われる各シチュエーションは、明確に何かを思っていたわけではないんですよね。
ただ、何かしら感じているのは間違いないんです。これまでずっと続いていた何かが、もうなくなってしまうっていう……そういう切実でどうしようもない寂しさを、日常のなかで何の脈絡もなく感じることがあるから。
―なるほど。では、リヨさんもカオルさんも、「何かが終わってしまう」ことに切なさを感じ、思いを馳せる感覚があるわけですよね。それは、自分にとっては幸せなことだと思います?
リヨ:悲観的な気持ちではないんですよね。未来に希望を持っていないわけではないんですよ。
カオル:最近、よく「子どもが欲しい」って言っているもんね。
リヨ:ふふふ(笑)。この愛の連鎖を途絶えさせちゃいけないですからね。ちゃんとネクストジェネレーションに繋げていかないと、すべてが途絶えちゃうから。
―この家然り、今回の作品然り、リヨさんが「記憶」を形あるもののなかに閉じ込めようとするのは、ノスタルジーに浸るためというよりは、「過去と今は続いている」という感覚を持っているが故なのかもしれないですね。
リヨ:そうですね……そもそも、地球上の歴史を振り返ったとき、僕たちの先祖が途絶えたことがなかったから、俺はここにいるわけですよね。奇跡が積み重なって、今の僕たちがいる。 最初はプランクトンで、魚になって、魚が陸に上がって哺乳類になって、猿になって……どこを取っても、俺らの先祖はいたわけじゃないですか。途絶えたことなんてなかった。それは、俺で途絶えさせちゃいけないって思いますよね。
- リリース情報
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- クウチュウ戦
『超能力セレナーデ』(CD) -
2016年8月3日(水)発売
価格:1,000円(税込)
CTCJ-200441. ぼくのことすき
2. インドのタクシー
3. アーバン
4. フルート
5. お願いUFO
6. 魔法が解ける
- クウチュウ戦
- イベント情報
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- 『クウチュウ戦presents「クウヂュウの戦~ikusa~Vol.2」』
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2016年9月10日(土)OPEN 18:00 / START 18:30
会場:東京都 六本木Varit.
出演:
クウチュウ戦
曽我部恵一
haikarahakuti
料金:前売2,500円(ドリンク別)
- プロフィール
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- クウチュウ戦 (くうちゅうせん)
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1990年生まれのロックカルテット。2008年、大学1年のリヨ(Vo,Gt)とニシヒラユミコ(Ba)が原型バンドを結成。2011年1月、ベントラーカオル(Key)加入。同年7月にリヨが突然ペルーに飛び、アマゾンのジャングルの奥で行われる神秘的な儀式に参加。その後、2012年3月までイギリス/オランダなど、ヨーロッパを放浪。2014年5月、アバシリ(Dr)が正式加入。新体制のクウチュウ戦が誕生。その高度な演奏力、プログレッシブな音楽性が同世代の客/バンド/ライブハウス関係者などに絶賛されるが、そこにあった本当に重要なものは、夏のオリオンのように美しいメロディー、日常の風景を少し不思議な空間に異化させるリリック、そして光線のように天空を突き抜ける歌心だった。2015年5月に1stミニアルバム『コンパクト』、2016年1月に2ndミニアルバム『Sukoshi Fushigi』をリリース。そして8月3日に3rdミニアルバム『超能力セレナーデ』をリリースする。
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