いま、落語が楽しい。これまでにも何年かに一度は大小の落語ブームが起こってきたけれど、ドラマや映画、漫画や小説などで培われてきた蓄積によって、ここ数年でもっと太い流れになってきたように思う。実際、新宿末廣亭や、上野の鈴本演芸場などの寄席に足を運ぶと、若いファンの姿が目立つ。
そんな落語の勢いを支える人気落語家の一人が、柳家喬太郎だ。喬太郎師匠の落語は、とにかく楽しい。古典落語も創作落語も、異常なくらいに枕(本筋に入る前のフリートーク部分のこと)が長く、それが抜群に笑える。「いま最もチケットのとれない落語家」と呼ばれるのも納得である。
そんな師匠が、ここ数年取り組んでいるのが『ウルトラマン落語』である。有名特撮シリーズをモチーフにした落語は、マニアックでありながら、なぜか万人が笑えてしまう普遍性を持っている。今回、そのDVD化を記念してインタビューする機会を得た。『ウルトラマン』シリーズへの愛のみならず、落語の芸のことから観客についてまで。多彩に広がる話芸の熱をお届けする。
『ウルトラマン落語』からは、落語家としての腹の据え方、覚悟っていう精神的に非常に大事な発見をもらいました。
―喬太郎師匠が『ウルトラマン落語』を始めたきっかけはなんでしょうか?
喬太郎:20年前くらいですかねえ。特にこれといった理由はなくて、新作落語でウルトラマンを題材にしたものがあったら面白いかな、くらいの軽い気持ちで作ったのが『ふたりのウルトラ』という作品でした。
―DVDでは弟弟子の柳家喬之助さんがやっていますね。
喬太郎:そうです。まあ、そのくらい軽い動機で作ったものだし、落語ファンでウルトラマンも好きという人も少ないから、私もそんなにしょっちゅう披露する噺ではなかったんです。
それが一昨年、仲間うちで「ウルトラマンをテーマに落語会をやろう」っていう半分遊びみたいな企画が立ち上がって。なんでそんな酔狂をやろうと思ったかっていうと、川崎に「怪獣酒場」という円谷プロ経営の楽しい飲み屋があるんです。みんなそこに飲みに行きたいから「じゃあ新作作って、打ち上げの飲み代稼ぐぞ!」っていう本末転倒にも程がある動機。
―そうなのですね。その動機を発端にできた作品というのは?
喬太郎:『抜けガヴァドン』という作品です。そいつがけっこうウケて、他にもウルトラものはあったんですが、ちょうど今年がウルトラマン放送開始50年のタイミングだった。そこで円谷プロさんから寄席の企画を提案していただいて、本格的に『ウルトラマン落語』と言えるシリーズが固まりました。
柳家喬太郎・柳家喬之助『ウルトラマン落語』ジャケット(Amazonで見る)
―喬太郎師匠のウルトラマン好きは有名ですし、DVDの中でも「もう古典はやらねえ! 柳家を破門になったら円谷になる!」と豪語されていましたよね。20年前に『ふたりのウルトラ』を作ってみて、お客さんの反応はどうでした?
喬太郎:普通の落語ファンの反応はそりゃあ薄かったですよ。自分の数少ない趣味がウルトラマンや特撮で、好きだから作ったくらいのものですからね。ただウルトラマンのいいところは、番組を見たことがなくても、なんとなくみんなその存在を知っていて、「正義のヒーローで怪獣と戦う」くらいの認識はある。
だから、例えばウルトラマンタロウについて説明する時も「歌舞伎で言ったら中村勘九郎」と喩えればウルトラ兄弟を知らなくても笑える、みたいなギャグの組み立て方をしているわけです。『抜けガヴァドン』は古典落語の『抜け雀』をもとにしていて、話が進むと突然ウルトラマンの話が始まるところに面白味がある。だから最近は、普通の高座でかけてもそれなりにウケますね。そのかわり休憩時間にみなさん、ものすごい検索するらしいですよ、ガヴァドンを!
―実際、DVDを見ながら私も怪獣名を検索しまくりでした。それもまた楽しい体験なんですよね。
喬太郎:『抜けガヴァドン』を作ったときには気を遣いましたが、究極的には「俺が楽しければいい!」と思ったんです。そうすると迷いがないから堂々とやれる。ウケようがウケまいが、ネットで叩かれようが、「はじめからそう思ってますけど、何か?」ってくらいには腹が据わっていた。
そうすると不思議なもので、お客さんの反応もよくなるし、私も次第に喋ることが面白くなってくる。だから『ウルトラマン落語』からは、落語家としての腹の据え方、覚悟っていう精神的に非常に大事な発見をもらいました。これは非常にありがたいことです。
自分が面白いと思うことを信じて、その面白さを相手に伝えて喜ばせたい、という想いの強さがないとね。
―『ウルトラマン落語』に限らずとも、古典落語自体が現代とはだいぶ距離のある内容ですよね。例えば「かまど」のことを「へっつい」と言われても、素人からすれば「それって何のこと?」となる。
喬太郎:そうですね。
―でも、師匠の落語は、たとえ落語を知らない人であっても楽しませよう、という意志に満ち溢れています。それが「いま最もチケットが入手できない落語家」と呼ばれる人気につながっているのではないでしょうか?
喬太郎:それは噺家をやっている人間なら全員が持っている意志です。もしそれがないとしたら、どんなに技術があってもその人はアマチュアですよ。生活様式や時代設定が違うから「落語は取っ付きにくい」なんてことは、ずーっと昔から延々と言われています。でも、それぞれの作品の中で動いている人物や事物は、どんな時代であってもやっぱり面白い。
だから噺家は、わからないものを伝えるためにいろんな工夫をするんです。噺のなかで説明する人もいるし、それだと野暮だから説明せず、さりげなく忍ばせる人もいる。だからウルトラマンを知らない人でも笑わせるというのは、普段からやっていることの延長にあります。
―なるほど。
喬太郎:あともう一つ大事なのは、一生懸命に演じること。みなさんが当たり前に使っている横文字もよくわからないような52歳のおじさんがね、ウルトラマンに夢中になって喋っているということ自体が面白いと思うんです。だから逆に手を抜けない。こういう構成で、このくらいの技量があれば、まあ伝わるだろう、なんて考えてやってはいけなくて、対象への思い入れや愛がなければ伝わらないんです。
―そういうことはよくありますよね。中学のときの担任のモノマネをする友人が死ぬほど面白かったりだとか。その担任と自分はまったく会ったこともないのに。
喬太郎:そうそう。自分が面白いと思うことを信じて、その面白さを相手に伝えて喜ばせたい、という想いの強さがないとね。例えば、テレビの『笑点』に出ている林家たい平師匠なんかは、「とにかく楽しんでもらおう!」というサービス精神の塊なんです。そういう人だから、『24時間テレビ』のチャリティーマラソンも完走できた。
好きである、憧れている、という気持ちが落語としての説得力を強くしてくれる。
―愛や心意気が大切である一方、やはり技術もあるのでは? 『ウルトラマン落語』では怪獣の鳴き声とか身振りとか「うまいなあ!」と思っていました。かなりの知識と研究がなければできない。
喬太郎:いやいや、あれはむしろ落語家としての生理がそうさせているだけです。だってガヴァドンの鳴き声、アレじゃないもの。というか、私はそこまではウルトラマンに詳しくないです。
―衝撃の発言です!
喬太郎:もちろん大好きですよ。でもウルトラマンマニアと言える程の知識はさほどない。でもね、それでいいと思うんですよ。さっきも言ったように、好きである、憧れている、という気持ちが落語としての説得力を強くしてくれる。
―喬太郎師匠は、ウルトラマン放送開始からちょうど50年目にあたる2016年7月10日に、杉並公会堂(50年前に同会場で行なわれたPRイベントの公開録画中継で、お茶の間に初めてウルトラマンが紹介された)で高座に上がられていましたが、いかがでしたか?
喬太郎:杉並公会堂は聖地ですからね、むちゃくちゃ緊張しましたよ。来ているのはウルトラマンファンばかりで、落語会なのに噺家と落語ファンはアウェーという状況だった。そりゃあみなさん「どうせ落語家が付け焼き刃にウルトラマンをネタにしてるんだろ?」って警戒しますよね。
―でも、噺の枕で「寄席でこんなにわかり合えることないよ。いくらでもウルトラマンの話ができるんだから!」と、おっしゃっていましたね。客席の反応もとても温かくて。
喬太郎:ありがたいです。私の噺を受け入れてくださったってことですからね。たしかな愛があるから、ファン同士で理解しあえた。実際そういうコミュニケーションってあるじゃないですか。杉並は、そういう交流ができた幸せな時間でした。
「アマチュアの人の落語はお父さんの料理。僕らがやっているのはお母さんの料理」という、昇太兄さんの名言があるんです。
―噺家と観客が同じ時間、同じ場所を共有して、一緒にある世界観を立ち上げていく共犯的な関係は、落語、特に寄席の特徴ではないかと思います。
喬太郎:必ずしも同じ風景を共有する必要はないと思うんです。例えば100人のお客さんに向けて私はひとつの落語を投げかけるけれど、その先に見える風景は100人違っていてもいい。重要なのは、固定したイメージを作ることではなくて、それを客席まで届けるということ。もちろんテクニックに溺れると自己満足になってしまうから、必要なのは「腹」と「技」の両方ですね。
―「腹」と「技」?
喬太郎:芸論になっちゃいますけど、酔っぱらいの演技をするとき、6代目の三遊亭圓生師匠は、「酔っぱらいのときには少し顎を引いて、上目遣いにして、目をとろんとさして、呂律が回らないようにして……こういう形をすると酔っぱらいに見えるから」みたいな教え方をする。これは「技」、つまり型から入るんですね。
一方で、僕の大師匠の五代目柳家小さんは、「んなもん酔っぱらいの気持ちになりゃいいんだよ」と言うんです。こちらは「腹」。柳家は全般的に「狸をやるときは、狸の気持ちになれ」という教え方ですね。このふたつの目指すところは同じで、その両方をうまくできるのが理想的です。けれどもそれが本当に難しい。
―どちらかひとつではいけない、と。
喬太郎:テンポも話術も巧みだけれど、なぜかウケないなんてことはよくある話なんです。逆に、噺の最中に5回も6回も噛んでるのに客席は大爆笑で、むしろ「今日の喬太郎は噛んでたね~。春風亭昇太は滑舌悪いね~。三遊亭白鳥は何言ってるのかわかんなかったね~。あ~、今日来てよかった!」なんて喜ばれるわけですよ。……ここに二人がいたら怒られそうだな。「滑舌悪いのか俺は! 悪いよ!」って昇太兄さんは言うかな~。
―言いそうですね~。
喬太郎:昇太兄さんの名言で、「アマチュアの人の落語はお父さんの料理。僕らがやっているのはお母さんの料理」というのがあるんです。お父さんの料理って「さあ、今度の休みは美味しいもん作ってやるからな!」って意気込んで、高級スーパーで食材を買って、通販でいい鍋を揃えて、前日から煮込んでおいたりしがちじゃない。どこのシェフが作ったもんだよ、すげえな! って感じでしょ。でも洗い物や後片付けはしないんだよね。
お母さんの場合は、もう毎日の作業だから「今日はごぼうがあるから、きんぴら? あ、それは3日前にやっちゃったし。じゃあカレーかしら……それも5日前にやったじゃないの」なんて言いながら、あるもので美味しいものを作って家族を満足させる。そういうことなんですよね。テクニックに溺れると、大事なものが見えなくなる。
―芸としての落語のあり方そのものですよね。毎日寄席があって、とにかく高座に上がる。しかも毎日通ってくるお客さんもいたりして、その日常的な連続性のなかで芸を洗練させていくっていうのは、日々の料理や家事にも通じますね。
喬太郎:いまの私は、手を変え品を変え、新しいものを提示しなきゃって強迫観念もありますけどね。師匠の柳家さん喬にも言われましたよ、「目先の変わったものを出したい気持ちもわかるけども、この店のあのハンバーグが食べたいってお客さんは思って来てるのに、お前は『今日はソースを変えてみました、今日は焼き方を変えてみました』ってやってばかり。定番が欲しくて来ている人もいるんだぞ」って。たしかにその通りで、それはまだ私に定番の味を出せる自信がないからでもある。いま気づきましたけど、噺家ってなんでもかんでも料理に喩えますね。
知識がなければ面白くない落語なんて、単にその落語がつまらないだけです。
―喬太郎師匠が、古典と創作落語を両方続ける理由はなんでしょうか?
喬太郎:自分がやりたいからやっている以外のなにものでもないです。『ウルトラマン落語』だって、やりたいからやったんです。そうやって、自分がやりたいこと商売にできているんだから、本当にありがたい。だからこそ、辞めたいと悩んだことも、好きなことは商売にしないほうがいいと後悔したことも何度もあります。でもね、そこそこご飯が食えて、家族を養えて、2年にいっぺんぐらいちょっとした旅行に行けたら御の字じゃないですか。
―逆にそれがちょっとでも欠けたらやれない?
喬太郎:私は無理ですね。落語が上手くなりたいし、目の前のお客さんに満足して帰ってもらいたいとは当然思いますけど。でも「名人になりたい」とか「後世に名前を残したい」なんてのは、ひょっとしたら噺家にとって雑念なのかもしれないですよね。
―そうすると、一日一日、落語に打ち込んでいくことが喬太郎さんの人生?
喬太郎:そんなことはない。ここのところ忙しくて60日間オフがないので、そろそろ有給が欲しいです。
―落語家に有給ってあるんですか?
喬太郎:そんなものないない(笑)。噺家に有給があったらいいなあと思って、そういうネタ考えたこともありました。出番なのに15分間誰も出て来ないまま、次の演者になっちゃう。「えっ、喬太郎出て来ないじゃん!」ってお客さんが言うと「今日、有給なんですよお」っていう。
それは冗談として、私は時々休まないとダメな人です。たまにごろっとさせてくれないと次の高座は頑張れないタイプ。でもそれも、この先もずっと喋っていたいからであって、連続性を保つための方法です。
―有給を落語のネタにするっていう発想が、喬太郎師匠の縦横無尽な落語観を反映していると思います。そこでお訊きしたいのですが、最近、カルチャー誌が落語を取り上げたり、落語を題材にした漫画やアニメが流行ったりと、取り巻く環境が変化していると思います。それについて師匠はどのように感じていますか?
喬太郎:ありがたいことだと思います。例えば漫画やアニメだと『昭和元禄落語心中』ですよね。そのファンの人が寄席に来てくれるようになって、客席が若返った。「たぶん『昭和元禄~』つながり寄席に来たんだろうな」って雰囲気の女の子2人組が寄席にいたりすると、試しに『死神』をやってみたりするんですよ。
―『死神』は『昭和元禄~』で特に重要な噺ですね。
喬太郎:そうすると「きゃあ、『死神』よ!」なんて感じでその一帯のテンションがポッと上がったりして、自分の勘が当たって嬉しくなっちゃう。本当にね、落語に興味を持つきっかけはなんだっていいんです。私らの仕事は来た人に喜んでもらうことですから。マニアみたいな人は、新参者にいい顔しないこともあるけれど、そういう雰囲気って敷居を高くするだけで、全然よろしくない。楽しい雰囲気でなくちゃ。
―マニアがジャンルを殺すってよく言いますよね。
喬太郎:おっしゃる通り。ちょっと前にさ、普通のチェーン店の定食屋に行ったんです。そしたら向こうのテーブルに、大企業の重役風の夫婦が座っていて、パートのおばちゃんに文句言ってるんですよ。「君の店では、これをヒレカツと呼ぶのかね?」って吐き捨てて帰っていったんです。お前らはどんな高級店に食事に来たつもりなんだよ、って話ですよ! それで「やな雰囲気になっちゃったなあ~」と思っていると、その脇で、もそもそメシ食ってた若い兄ちゃんが、店の人に「俺は旨いっすよ」って言ったんだよ。
―かっこいい。
喬太郎:金出せばもっと美味しいもの食えるだろうけど、その場の雰囲気や、それぞれに違う生活があるわけでしょ。全員が食通でなくていいし、落語だって、生まれた瞬間からいきなり落語通だったら気持ち悪いじゃない。みんなはじめは初心者で、少しずつ好きになっていくわけですよ。
コロムビアレコードで以前長く落語の担当をしてくれていた若い女性がいるんですけど、最初に落語担当にされて「えー!」って思ったそうです。でも、林家たい平兄さんの『文七元結』を聞いて落語の面白さに目覚めて、いまでは一番信頼できる人です。そういう、落語を好きになってくれる人の種を殺すようなことはしちゃいけないんですよ。
―それこそ『ウルトラマン落語』を、特撮ファンの人が受け入れてくれたように。
喬太郎:自分よりはるかに若い人に「生まれる前の作品ですけど、はまっちゃって」なんて言われたら「本当!? 俺が好きだったもの君も好きになっちゃったの?」って嬉しいじゃないですか。そりゃあ知識は少ないかもしれないけど、じゃあまだ見たことない作品について楽しく語ればいいだけの話。芸能ってそういうものです。娯楽ですよ。娯楽だから人生の糧になるわけでしょ。それが苦しみになってしまったら何にもならないです。
もちろんガツンとした人情噺もあるし、重苦しいストーリーもある。でも終わって「うわあ、何とも言えない気持ちになったけど充実した時間だったね」と思えたなら、それは娯楽なんです。知識がなければ面白くない落語なんて、単にその落語がつまらないだけです。
―なるほど!
喬太郎:いやあ、今日もいろいろ悪口言っちゃってますけど大丈夫ですかね? これってネットに載るインタビューでしょ。ネット系の悪口も言っちゃったね。
―いやあ、大丈夫ですよ。
喬太郎:もうね、俺、ネット大好き! 生まれ変わったら間違いなく漁師になるね~って、その網じゃねえよ! ってところで。
- リリース情報
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- 柳家喬太郎、柳家喬之助
『ウルトラマン落語』(DVD) -
2016年10月26日(水)発売
価格:3,240円(税込)
COBA-6910
- 柳家喬太郎、柳家喬之助
- プロフィール
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- 柳家喬太郎 (やなぎや きょうたろう)
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1963年生まれ。東京都出身。平成元年、柳家さん喬に入門。以来、一貫して自作の超爆笑新作、そして対極とも言える三遊亭円朝作品等の古典落語を演じ続け、それぞれに確固たる地位を築いている。過去数々の賞に輝き、平成18年には芸術選奨新人賞を受賞。
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