日本最大級の国際舞台芸術フェスティバルとして知られている『フェスティバル/トーキョー(F/T)』。約2か月間にわたって国際色豊かな演劇・舞台が繰り広げられるこのフェスティバルでは、アジア地域から1か国を選定し、その国の舞台芸術を中心とするアートの特集を組む「アジアシリーズ」が毎年企画されている。韓国、ミャンマーに続く第三弾として今年選出されたのは、マレーシア。インスタントカフェ・シアターカンパニーが、母と娘の宗教対立を軽やかな笑いを交えて描く『NADIRAH』を上演する。
知っているようで知らないマレーシアの現状。そこで今回は、近年アジア各国で積極的に映画製作を行ない、今年の『東京国際映画祭』で上映されるオムニバス映画『アジア三面鏡2016:リフレクションズ』のうちの一本である『鳩 Pigeon』の撮影をマレーシアで敢行した行定勲監督にご登場いただき、マレーシアの文化はもちろん、アジアの芸術に触れることの意義、そして彼自身が現在やろうとしていることなど、さまざまなトピックについて語ってもらうことにした。アジアにいながらアジアに目を向けないのは日本人だけ。その言葉の裏には、監督のどんな思いがあるのだろうか。
答えがなんとなくわかっているような日本映画を見るよりも、どこかの国の全然知らない映画を見たほうが、新しいものに触れた感じがするじゃないですか。
―行定監督は、『カメリア』(2010年)を韓国で、『真夜中の五分前』(2014年)を中国で、そして現在『東京国際映画祭』に出品中の『鳩 Pigeon』(2016年)をマレーシアで撮るなど、近年アジア各国で積極的に映画を撮られています。そこには、何か理由があるのでしょうか?
行定:僕は日本で映画監督をやっているので、日本の観客に対して表現するというのは今まで通りなんですけど、やっぱりこの国の人たちは何事も消費されていくものが好きなんですよね。そこに映画の標準を合わせてしまうと、非常につまらないというか、消費されるだけの映画を作り続けなければならないわけです。
―消費されるだけの映画というと?
行定:たとえば、豪華キャストが勢ぞろいする映画とか。映画というのは、有名無名にかかわらず、その役者と出会ったからこそ生まれるものだって全然あるわけです。その役者だけを見つめる映画と言ったらいいのかな。なのに、隅から隅まで知っている役者たちが出演して、彼らが全員で熱演するとなると……もちろん、そのときはそれでいいんですよ。「すごい迫力だった」「面白かったね」ってなるから。ただ、数年経ったときに、自分の心に本当に触れてくる作品って案外少ないような気がするんですよね。
―なんとなく、おっしゃっていることはわかります。
行定:そこで、なぜアジアに興味があるかというと、そもそも僕自身、アジアの映画を見ながら育っていて、すごくリスペクトしているんです。とりわけ、台湾の映画――ホウ・シャオシェン、エドワード・ヤンをはじめとする台湾ニューウェイブの映画に、ものすごく影響を受けていて。で、そうしているうちに、チェン・カイコーら中国第五世代と呼ばれる監督たちが世界的に評価され始めて、そのあと今度は韓国の映画監督たちが評価されるようになっていき、僕が監督デビューした頃は、韓国映画が絶頂を迎えた頃でした。
―ポン・ジュノやパク・チャヌクが一時代を築いていた頃ですね。
行定:そういったアジア映画をなぜ僕は見るのかと言ったら、彼らのことを「知らない」からなんです。アジアの監督たちは、素人を平気で起用して演技をやらせたりするから、キャストも全然知らないですし。
そういう映画に出会うと自分の価値観が崩壊するんですよ。つまり、本当に伝えたい心情とかテーマを描くのに、役者や作り手の有名無名は本来関係ないということがわかる。もちろん日本に限らず、どの国にも消費されるだけの作品はありますよ。ただ、それはどの国の作品を見ても大体同じような内容なんですよ。
―興行成績の上位を占める、いわゆるブロックバスター映画というか。
行定:そう。ただ、そういうものばかりを見ていても、何かつまらないし、自分がそういうものを撮り続けている状況――まあ、この国で、職業監督としてやっていく以上、それを完全に否定することはできないんだけど――アジアに行ってしまうと、そういう価値観が全部崩壊するんです(笑)。だから、極端な話、アジアの文化に触れるというのは、自分の価値観を崩壊させるためにやっているようなところはあるかもしれないですよね。
―いざ映画を見ようというときに「自分の価値観を崩壊させるために」作品を選ぶ、という動機は今あまり一般的ではないかもしれませんね。
行定:でも、答えがなんとなくわかっているような日本映画を見るよりも、どこかの国の全然知らない映画を見たほうが、何か新しいものに触れた感じがするじゃないですか。そういう瞬間がたくさんあったほうが、人生豊かになるというか、いろいろ広がっていくと思うんですよね。
―だったら、そっちを選ぶべきなんじゃないかと。
行定:そうですね。あとは実際に海外の人と作品を作ってみてわかったのですが、お互いの考えがまったく違うから、相手に失望したり絶望したり、思い通りにならなくて怒ったりして、大変なんですよ。ただ、そういうものを乗り越えたときに、本当の意味での理解が生まれる。大半の日本人は、いつも日本が正しいと思っているかもしれないけど、それは単に世界の文化に触れていないだけですよね。
―なるほど。対立や摩擦があった上で、初めて理解があると。
行定:自分たちと相手が違うことをまず知って、ぶつかり合いながらも乗り越えたときに、相手の気持ちや立場を理解するわけです。ジョン・レノンの『Imagine』がすごいのは、「相手のことを想像してごらん」って言っていて、そうすれば世界は絶対平和になるからって歌っているところで。
ただ、それを今の日本でやろうとしても、みんな決まり切った秩序や常識、前例みたいなものの中で窮屈に生きているから、何かがヒットすれば、みんなそればっかりに食らいつこうとする。そうじゃないものをこっちが提案しても、誰も食いつきません。
国を越境して公の場で発表される作品はすべてある水準を超えている。だったら、そういうものに触れない手はないと僕は思います。
―行定監督は、実際にマレーシアに行って、現地の役者やスタッフを交えながら、『鳩 Pigeon』という映画を撮られたわけですが、なぜマレーシアだったのでしょう?
行定:まず、ひとたびアジアに目を向けると、自分と作品を作りたいと言ってくれる人たちがいるから、じゃあ撮りましょうという発想ですね。マレーシアに関しては、残念ながらもう亡くなってしまったんですけど、ヤスミン・アフマドという素晴らしい映画監督がいて。
―今回、『フェスティバル/トーキョー』で上演される『NADIRAH』も、ヤスミンの映画『ムアラフ 改心』がもとになっていますね。
『フェスティバル/トーキョー』で上演される『NADIRAH』は、行定が影響を受けたというマレーシアのヤスミン・アフマドの映画がもとになっている(Photo: Sesha Kalimuthu)
行定:彼女が作る映画は、マレーシアという国の社会構造だけに頼るのではなく、たとえばひとりの女性の恋心や成長、家族関係をテーマにして、世界は同じであるということを描きながら、一方でマレーシアならではの情緒をちゃんと宿している。僕は彼女の映画にすごくシンパシーを感じていたんです。
―普遍性がありながら独自性も持っている。
行定:なおかつ、どこか日本映画に近いものを、僕は彼女の映画に感じていました。この人は、日本で映画を撮っても、全然遜色ないものを作るだろうなと思ったというか。実際、彼女は亡くなる直前に、『ワスレナグサ』という映画を日本で撮ろうとしていたわけですけど。
―はい。
行定:ただ、そうやって何がしかのシンパシーを感じながらも、彼女の映画に登場する役者たちの独自性というのは、明らかに日本人とは違っていて、それが非常に刺激になりました。韓国映画などは、もうだいぶ知られてきたから、「ああ、韓国っぽいね」みたいなものが予想できるけど、マレーシアをはじめ、いわゆる第三世界の作品というのは、まだまだいろんな発見があるんです。これから作り上げられていくもの、これから作り上げようとしているものが持っている勢いや、前衛性みたいなものはやっぱりすごく面白い。
―これからの国だからこそ、活気があるというか。
行定:さっきも言ったように、マレーシアにも大衆に支持される国内向けの作品というのはあります。でもそれは日本も他の国も同じで、国内ランキングの上位に入っている映画なんて、世界の誰も知らないし、見ませんよね。だけど、インディーズでやっている人たちや、作家主義的なものをちゃんと作っている人たちの作品というのは、他の国にちゃんとやってきます。
今回の『フェスティバル/トーキョー』に来ているお芝居もみんなそうですけど、他の国に越境してやってきて公の場で発表されるものというのは、すべてある水準を超えているし、そういうものだけが世界に出てきている。だったら、そういうものに触れない手はないと僕は思います。
―日本にやってくる時点で、ある程度クオリティーが保証されているわけですね。
行定:そう。だからいつも思うのは、たとえば国際映画祭とかがあったとき、多くの人は、1か月くらい待てば日本で公開する映画をいち早く見ようとするじゃないですか。でも、本当はそうじゃなくて、その映画祭でしか見られないものこそ、見るべきなんですよね。
そういう意味では、今回『フェスティバル/トーキョー』で上演されるマレーシアの演劇なんて、なかなか日本で簡単に見られるものではないですよね。それに触れない手はないし、そういうものを見ることが、世界を知るひとつの鍵になったりすると思います。
―行定監督は、今回『鳩 Pigeon』の撮影で、実際マレーシアを訪れたわけですが、マレーシアは、どんな国でしたか?
行定:マレーシアに行ってみて面白かったのは、マレー系と中華系、そしてインド系という、3つの民族が入り混じったまま成り立っているところでしたね。マレーシア語や英語を共通語としながら、それぞれの文化や宗教を守りながら、ちゃんと共存しているという。そういう意味で、彼らは非常に自由なんですよね。
マレーシアの映画関係の友だちは、アジアはもちろん、世界のいろんなところに軽々と行くんですよ。自分たちの文化の守り方が一つではないというか、マレーシアの中にいるということにこだわらずに、自分の居場所からそれぞれが世界を見ているような、そんな感じがあるんです。
簡単に消費されるだけで何も残らないものっていうのは、本当の意味で文化ではないと思うんです。
―ちなみに、監督の映画『鳩 Pigeon』にも出演されているマレーシアの女優シャリファ・アマニが『フェスティバル/トーキョー』で出演する舞台『NADIRAH』は、母と娘の宗教対立がテーマとなっているようです。
行定:マレーシアにはいろんな人が集まっているから、外から見ているだけではわからない、日常的な軋轢みたいなものがいっぱいあって、それを彼らは映画なり演劇なりで表現しているのだと思います。昔、僕は『GO』という映画を撮ったんですけど、あれも要するに、同じ日本で生活しているのに、それぞれに頑なな考え方や歴史認識があって、それが2人の男女の恋路を邪魔するという話でした。そういう中で、主人公が、「俺はもっと精神的に越境したいんだ」「越境するも何も、もっと世の中をひとつにしたいんだ」と言う。
―行定監督は、映画のほかに演劇の演出もされていますが、映画と演劇の一番の違いと言ったら何になるでしょう?
行定:演劇っていうのは、映画よりも簡単に時代や空間を超えることができるんですよね。たとえば、僕はやったことがないですけど、シェイクスピアの戯曲のように、国も時代も違うものを、今の日本の演出家が日本の役者を使って、その精神性に直接触れることができるというのは、これもひとつの越境ですよね。それが演劇の場合、非常に簡単にできる。
一方で映画はリアリティーが大事になってくるので、たとえシェイクスピアがいくら面白くても、それをそのままの形で日本の映画に持ち込むことは無理なわけです。なぜなら、今の日本にそういう状況はないから。だから、僕がときどき舞台の演出をするのは、外国で映画を撮影するのと同じで、何かを越境しようという気持ち――自分が映画でやっているのとは明らかに違う表現を、生身の人間がステージというひとつの空間の中でやっていることによって、何か新しいものを感じているのかもしれないですね。
―何か「越境」というのが、行定監督にとって、ひとつのキーワードとなっているようですね。
行定:そうですね。ただ、それは僕にとってだけではないと思うんですよね。映画や演劇っていうのは、そういう意味では、見ているほうにとっても、越境できるチャンスです。だって、実際に現地に行かずとも、そうやって作品を通じて、他の国の人々の感じ方や文化を感じられるわけだから。
僕は、若いときにアジアのいろんな映画を見て、日本人と似たような容姿をしているけど、やっぱり日本とは違う時間の流れや情緒、街並み、空気があるんだっていうことを感じたわけです。その感覚が今も僕の中に残っていて、それを監督として実践しようとしている。
―なるほど。
行定:やっぱりね、簡単に消費されるだけで何も残らないものっていうのは、本当の意味で文化ではないと思うんです。いつまでもその人の心に残り続けるものが、本当の意味で文化なんです。よく映画を見て「泣いた」とか「感動した」とか言いますけど、泣けたらいいのかっていう話ですよね(笑)。
それはつまり、感情を消費しているだけ。映画や演劇は、世界を知るための窓というか、その窓を開いて、実際外国に出ていくことは、お金もかかるし大変なことだけど、作品を見ている2時間だけは、その国の空気や文化に触れることができる。そういうものであってほしいと僕は思っています。
- イベント情報
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- 『フェスティバル/トーキョー16』
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2016年10月15日(土)~12月11日(日)
会場:東京都 東京芸術劇場、あうるすぽっと、にしすがも創造舎、池袋西口公園、森下スタジオ ほかアジアシリーズ vol.3 マレーシア特集 公演編 インスタントカフェ・シアターカンパニー『NADIRAH』
2016年11月11日(金)~11月13日(日)
会場:東京都 にしすがも創造舎
作:アルフィアン・サアット
演出:ジョー・クカサス
出演:シャリファ・アマニ
- プロフィール
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- 行定勲 (ゆきさだ いさお)
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1968年、熊本県出身。『ひまわり』(2000)で第5回釜山国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞。『GO』(2001)では第25回日本アカデミー賞最優秀監督賞を始め、数々の映画賞を受賞。『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004)は観客動員620万人、興行収入85億円の大ヒットを記録。以降、『北の零年』(2005)、『パレード』(2010、第60回ベルリン国際映画祭パノラマ部門・国際批評家連盟賞受賞)。釜山国際映画祭のプロジェクトで製作されたオムニバス映画『カメリア』(2011)の中の一作『kamome』を監督。近作に『ピンクとグレー』(2016年)、『ジムノペディに乱れる』(2016年11月公開予定)、『ナラタージュ』(2017年公開予定)など。
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