yuleインタビュー 早耳リスナーの心を掴んでいる、6人編成音楽団

結成は2015年。しかし、誕生から2年足らずのバンドが作り上げたとは思えないほどに、すさまじいクオリティーである。東京を拠点に活動する男女混成6人組バンド、yuleの1stアルバム『Symbol』。6~7分台の長尺曲もあれば、インタールード的インスト曲も配置された、全13曲から成る大作。しかし、ここには大作を大作と思わせない楽曲のポップさとバリエーションの豊かさがあり、同時に、楽曲と楽曲が連なることで生まれる深淵な物語がある。ファンタジーが現実を凌駕する瞬間が何度も訪れるが、その先では、ファンタジーが現実を愛するための力を与えてくれる。

既に耳の早い音楽リスナーたちには届き始めているが、yuleの音楽は、きっと彼ら自身が想像もしていなかった遠くの場所まで浸透していくだろう。だって、しがらみだらけのこの時代において、聴き手の心を、そして「表現」そのものを自由へと解放させる力がここにはあるから。

バンドの中心人物である二人、ReiとAnnaに話を聞いた。凛とした才気と素直な理想を持った若者たちの言葉を受け止めてほしい。

単純な楽器構成ではない、6人編成バンドの始まりには「行き止まり」があった

新人バンドの1stアルバムとしては圧倒的とも言うべき完成度をもつ、yuleの1stアルバム『Symbol』。しかし、もちろんバンドが最初からここに到達していたわけではない。6人という大所帯が織りなす壮大なシンフォニーの根源には、バンドが擁する二人のボーカリスト――ギタリストでありコンポーザーでもあるReiと、紅一点メンバー・Annaとの出会いがあった。

Anna(Vo):Reiくんに出会うまで、私はユニットを組んでいたんですけど、ひとりでボーカルを担当していて。でも、どこかで物足りなさを感じていたんですよね。私はずっと自分の声が好きではなかったんです。たとえばYUKIさんとか、チャットモンチーとか、ラブリーサマーちゃんとか、ああいう女の子らしくて可愛らしい声に憧れているのに、自分からそんな声は出ない。それが面白くなかったし、でも歌が好きだからやめたくないし……。

その葛藤のなかで、「男性ボーカルと自分の声って、合うんじゃないか?」と思い立って。それから、いろんな人とスタジオに入って歌ってみたんですけど、どうしても混ざり合わなくて。「もう音楽をやめなきゃいけないのかな?」っていう絶望まできたときに、Reiくんに出会ったんです。

Rei(Gt,Vo):僕はその時期、宅録をやっていて。1年半ぐらいかけて大体100曲ぐらい作って、「もう、一人でできることは大体やったかな」っていうところにきたんですよね。そこから先に進むために、他の人にコーラスを入れてもらったり、自分以外のプレイヤーに音を入れてもらいたいなって思い始めていたんです。

左から:Rei、Anna
左から:Rei、Anna

Annaはボーカリストとして、Reiはコンポーザーとして、「一人」という枠組みの限界を感じ、その外側へと手を伸ばそうとした。ちょうどそのときに、AnnaとReiは、差し伸べられたお互いの手を掴み合う。つまりyuleの始まりは、「一人」と「一人」が出会う場所――「二人」という、人間の関係性のなかで最もミニマルな場所だったのだ。この出会いが、二人の間にとても深い共鳴を生んだことが、以下の発言からもわかる。

Anna:当時、Reiくんのデモは全部、Reiくん自身が歌っていたんですけど、まずは声よりも曲にビビビっときました。自分の思い描いていた、言葉にならない部分を音にしてくれている人だと思って。

最初に聴いたのがアルバムにも入っている“Symbol”なんですけど、それを聴いたとき、「すごく晴れた日に、丘があって、1本の木が立っていて、男の子と女の子がいて……」っていう映像が、はっきりと私のなかに流れ込んできたんです。そこから1か月間くらいは“Symbol”しか聴かなかったぐらい(笑)、「この人はなんなんだ!?」みたいな感動があったんですよね。

Rei:「丘の上に木が立っていて、二人の人がいる」っていうイメージは、“Symbol”を作るとき、なんとなく考えていたことではあったんです。なので、そのイメージが共有できたことには、すごくびっくりしましたね。

それに、声質の相性もよかったんですよ。音源のミックスも自分でやっているんですけど、周波数のグラフを見たとき、Annaの声と僕の声は、ぴったりのバランスで、お互いの声域を補い合っていたんです。

yule
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なぜ、二人とも見たことのない景色を、偶然にも共有することができたのか?

こうして生まれた「二人」の化学反応はさらに外側へと拡散していき、yuleは6人編成の「バンド」として生まれる。曲によってはマンドリンやグロッケンシュピールといった楽器を使用したチェンバーポップサウンドで有機的な世界観を演出するが、随所に散りばめられるエレクトロニックなアレンジは、楽曲にパーソナルな質感をも与える。

名前の大きな例になるが、くるりで言えば『ワルツを踊れ』と『THE WORLD IS MINE』が同時に鳴らされている感じ、とでも言おうか。まるで、遠い異国で長い歴史と共に語り継がれた伝統音楽と、都会の片隅で生まれた現代っ子の、孤独で実験的な電子音楽が直結するような、そんな不思議な質感がyuleの楽曲にはある。

Anna:私がやりたかったのはいわゆるロックバンドではなくて、マラカスやカスタネットのような小さい楽器から、大きな管楽器まで使って作る盛大な音楽だったんです。森のなかにガーランドがあって、緑に囲まれながらのんびりとできるような、そういうイメージの音楽を作りたいと思っていて。私は映画が好きなんですけど、「こういう映像を、音楽にたとえたらどういうふうになるんだろう?」とか、そういう妄想ばかりをしていた時期があって。

Rei:僕も、テレビや映画を見たり、本を読んだりするなかで、心に響く景色や雰囲気だったりが自然と溜まっていって、「こういう景色の場所に行ってみたいな」って思ったりするんです。それが曲になっていくんですよね。

Rei

―具体的に、どんな景色に惹かれるんですか?

Rei:土着的というか、民族的というか。現代って、どこの国に行っても、おおむね街は近代化されていますよね。もちろん、そうでない場所もあるけど、日本にいてもマクドナルドはあるし、インドに行ってもマクドナルドはある。そういう、世界に共通した「現代の姿」ってあると思うんですけど、そうなる以前の、その土地に根づいてきた昔からの風景に惹かれるんです。これはきっと、六人に共通する感覚だと思うんですけど。

Anna:そうだね。日常生活のなかで触れることのない、古きよき姿に惹かれるというか。みんな現代の街のなかに生きているからこそ、そういうものに憧れを求めているのかなって思います。

Reiが言葉をこぼす「街の姿が時間をかけて変わっていく様は、人の心に似ている」

Annaの発言から出た「妄想」や「憧れ」という言葉こそが、前述したyuleの音楽が持つ「不思議な質感」の正体のひとつだろう。yuleの音楽の根底にあるのは、あくまでも思考や心の内側から生まれた、手の届かないなにかに対する渇望――つまり、「理想」だ。だからこそ、そこには切実な希望と、それが現実には簡単に存在しないことによる悲しみと孤独感が両立する。

Anna:Reiくんから曲が送られてくるときは、「曲がくる」というよりも、絵本や映画が飛んでくる感覚なんです。Aメロから最後のサビまで聴いてみると、必ず物語になっている。曲それぞれに違う風景がありつつ、でも、共通点もある。そんな、とても面白くて不思議なものを作ってくるんですよね。

Anna

そうAnnaが語るように、Reiが生み出す楽曲には一貫した物語を感じることができる。特に今作『Symbol』には、「街」「旅」「眠り」といった言葉がキーワードのようにして歌詞や曲タイトルの随所に登場し、楽曲のなかに一連のストーリーを浮かび上がらせるようだ。しかし驚くべきことに、Reiにしてみればこうしたストーリー性は、当初は意図せずに生み出されたものだという。

Rei:音や楽器の構成にはかなり時間をかけるんですけど、歌詞は30分くらいでバッと書くことが多くて。考えすぎないようにしているんですよね。なので、自分が書く言葉がファンタジーなのか、もっとパーソナルなものなのかって聞かれても、よくわからなくて。

もちろん、改めて自分で聴いていると、なんとなくですけど、「自分の気持ちが出ているな」って思うこともあります。でも、明確な指針があるわけではないんです。

―では、なぜ今作には「旅」や「街」というモチーフが頻出するのか、改めて考えてみて、わかることはありますか?

Rei:単純に、旅が好きだからっていうのもあると思うんですけど(笑)。……街って、面白いですよね。たとえば2017年の渋谷と、30年前の渋谷はまったく違う姿だった。でも、ある日突然、1987年から2017年の渋谷になるわけではなくて、毎日毎日、ビルがなくなったり、お店ができたりして、ちょっとずつシームレスに今の姿に変わってきたんですよね。それって、人の心に似ているなって思うんです。

人の心も、5歳のときと20歳のときの気持ちって、まったく違うものじゃないですか。外部から与えられた刺激だったり、自分で経験したり発見したことが心に蓄積されていって、段々と姿を変えていく。「街」という言葉を歌詞のなかでたくさん使っているのは、「人の心」の比喩なのかもしれないです。

左から:Rei、Anna

街も人も移り変わるからこそ、いつまでも変わらない「シンボル」を心に

Reiのこの話を聞いて思い浮かべた作品がある。日本ロック史に残る名作、はっぴいえんどの『風街ろまん』(1971年)だ。高度経済成長期、1964年には最初の『東京オリンピック』も開催され、日本という国の景色がどんどんと変化していった時代。その時代においてはっぴいえんどは、「風街」という、失われた日本の景色を思わせる街並みや、そこに生きる人々の心象風景を描くことで、音のなかに理想を刻んだ。

世界中にマクドナルドがある――少しずつ世界の在り様は変わっているとはいえ、そんなグローバリゼーションの影響下で進んできた現在の世界において、いまだなににも侵されていない場所を探して夢想を重ねるReiの作家性も、かつてのはっぴいえんどに、少なからず通じている部分があるのかもしれない。しかしながら、「街は人の心の比喩だ」という、あくまでも「人」の内面性に作品の主題を向けるスタンスは、yuleならではのものと言えるだろう。

Rei:人や街が変わっていくことには、悲観も楽観もしていないです。変わっていくことを否定しようとも思わないですし。ただ、たとえば長い間東京タワーがこの街にはあって、いつだって東京タワーを見れば、「あそこが芝公園辺りだな」ってわかる。そういうものって、人の人生にも絶対にあると思うんですよ。時間が経つと共に心の状態も変わるけど、いつでも人の心のなかには「自分を自分にしているもの」がある。

それが、僕らが言う「シンボル」だし、そういう物を大事にしたいんだと思います。長い間大事に聴いてきた音楽も、人の心にとっての「シンボル」になり得ると思うんです。音楽って、自分が心動かされるものを、鏡のように映してくれるものだから。

左から:Rei、Anna

―ReiさんとAnnaさんのなかでシンボルになるようなものはありますか?

Rei:親がSimon & Garfunkelをよく聴いていたんですけど、彼らの“Scarborough Fair”っていう曲が大好きで。一見すると普通のフォークソングなんですけど、よく聴くと、どこか異国の情緒みたいなものがある。あの曲は、自分にとってシンボルかもしれないです。

Anna:私にとっては、子供の頃に歌ってきた童謡や、読んできた絵本かな。『ぐりとぐら』(中川李枝子・文 / 大村百合子・絵、1967年)、『わたしのワンピース』(にしまきかやこ、1969年)、『はらぺこあおむし』(エリック・カール、1969年)。子供の頃って、絵本は物語の内容以上に「色」で、喜びを感じていたと思っているんです。その「色」に出会ったときの感動……そういうものが、私にとってのシンボルかなって思います。

誰しもに、ナーバスに物事を考えてしまうときもあれば、「生きるのが楽しい!」と思えるときもある

街も、人の心も変わっていく。しかし、変わらないものもある。変わることを肯定しながら、その内側に変わらない、永遠なるものを見出そうとする意志が、『Symbol』というアルバムを貫いていると言える。

だからこそ、『Symbol』はとても両義的な性質を持ったアルバムだ。実際、このアルバムはAnnaがメインボーカルを務める、開放感と前向きさに満ち溢れた前半と、Reiがメインボーカルを務める、どこか内省的な後半部分とでは、歌詞で歌われる人格や場面設定に、明らかな違いが見て取れる。ReiとAnnaの「二人」という関係性から始まったyuleらしく、このアルバムにも「二人」の登場人物がいる。

Rei:僕が好きな小説って、章ごとに視点が切り替わったり、三人称と一人称が混ざっているものが多いんです。いろんな視点が切り替わっていって、最後に総合してみると、物語の筋が見えてくる、みたいな作品に感激するんですよね。たとえば、村上春樹の『海辺のカフカ』(2002年)みたいな。

それと同じで、自分で作った曲を聴いてみたとき、「この曲とこの曲は違う人が見えるなぁ」っていうことに気づいたら、アルバムに二人の主人公を設定するんです。そうすると、逆に、作品に1本筋の通った感じになるんですよね。

―それって言い方を変えれば、Reiさんのなかには、常にふたつの志向性や性格があって、それがいつの間にか言葉になっている、ということなんですかね?

Rei:そうですね。それは改めてアルバムを聴くと自分でも感じるところなんですけど、ただ、誰だってそうだと思うんですよ。ものすごくナーバスになってしまって、物事を暗く捉えてしまうタイミングもあれば、いろんなことが上手くいっていて、「生きるのが楽しい!」っていうモードのときもある。一人の人間でも、気分や環境によって、別人かと思えるくらい人格が変わることがあると思うんですよね。

左から:Rei、Anna

話のなかでReiは、幼い頃から音楽に慣れ親しんできた自分にとって、音楽を作ることは、寝ることや食べることと同じくらい習慣的な、当たり前のことなんだと語った。街の喧騒すら、彼にとっては表現すべき「音」なのだと。世界の在り方を、自分の思考を、音として受信し、音として発信する――Reiのそんなナチュラルボーンのミュージシャンな在り方が、yuleの大らかさと、そして深さを支えている。

最後に教えてくれる、すべては自分の「自由」の使い方次第

この『Symbol』というアルバムは、曲の並べ方によってはハリウッド映画のような、わかりやすいカタルシスをもたらす作品にもできただろう。ポジティブな導入、メロウな中盤、そこから大団円に向って尻上がりに盛り上げていく――そんな構成にもできたはず。

しかし、yuleはそれをしなかった。アルバムは次第に掴み所をなくしていき、どこまでも曖昧さを残したままで終わっていく。<誰も教えてくれない。 誰も知るはずないのさ。>と歌う12曲目“Ruler”、そして最後を飾る“居住区/Area”は、言葉を持たない楽曲だ。

Rei:“居住区/Area”には、あえて言葉を入れなかったんです。誰しも、心のなかの街の様子は変化していくけど、辿り着く場所は、生きている人の数だけあると思うので。長い間、大事にしてきたものを捨てて、新しい自分になる人もいると思うし、昔から一貫して同じものを大事にし続ける人もいると思う。それに対して、「どちらかでなければならない」ということは、僕は言いたくないんですよね。なので“居住区/Area”は、このアルバムを聴いてくれた人、それぞれの心の到達地点なんだと思います。

人生の不確かさや自分という存在の曖昧さを受け入れるのであれば、人はいつだって自由だ。yuleは、そしてアルバム『Symbol』は、そんな自由を肯定する。そう、「答え」なんて必要ない。ただ、次の街を目指してさまよい歩くあなたが、そこにいればいい。

イベント情報
『Eggs×CINRA presents exPoP!!!!! volume94』

2017年2月23日(木)
会場:東京都 渋谷 TSUTAYA O-nest
出演:
Lee&Small Mountains
TENDOUJI
Qaijff
yule
caino(オープニングアクト)
料金:無料(2ドリンク別)

リリース情報
yule
『Symbol』(CD)

2017年2月8日(水)発売
価格:2,500円(税込)
SPFC-0012

1. 大きな木/Childhood
2. Symbol
3. sleepless sleep
4. Call
5. starry song
6. hope.
7. 塔の街/tale
8. Morgenrot
9. ゴーストタウン
10. It's dark outside
11. 羊が眠る頃
12. Ruler
13. 居住区/Area

プロフィール
yule
yule (ゆーる)

yule(ユール)は、Rei(Gt,Vo)、Anna(Vo)、mag(Gt)、Iwao(Gt,Synth,Glockenspiel)、Tetsutaro(Ba)、fumi(Dr)からなる東京の男女混声6人編成バンド。2015年1月、ボーカルのRei、Annaを中心に結成。男女混声のボーカルを中心にアコースティックギター、マンドリン、グロッケンシュピール、シンセサイザーなど多彩な楽器を加えたサウンドが特徴。2016年7月、販売終了した1st EP『Sleep』を再生産しタワーレコード渋谷店で限定販売を開始しスマッシュヒット中。その後タワーレコード新宿店・タワーレコード梅田大阪丸ビル店でも取り扱い開始。早耳の音楽ファンの間で話題となりつつある2017年間違いなく注目されるバンド。



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