FACEでグランプリを受賞した青木恵美子が、美術家になるまで

新人アーティストの評価と発表の場として2012年度に創設され、今回で5回目を迎える『FACE 2017(損保ジャパン日本興亜美術賞)』。数あるコンペティションの中で注目が集まっていることは、今回だけで902名にも及ぶ作家が出品しているという事実からも窺い知ることができるだろう。

これだけの応募作品が集まる理由は、この賞が「作品本位」の方針をはっきりと打ち立てて運営されているからだろう。毎年1000点前後の作品が集められる本展の審査では、約70点まで絞る複数回の入選審査とその約70点からさらに9点を選ぶ賞審査の機会が設けられている。審査中は作者名、年齢、性別などの情報が伏せられるので、審査員にとって評価の手がかりになる情報はまさしく「作品」のみだ。

そうした厳正な審査プロセスを経て、今回、栄えあるグランプリに選ばれたのは、幽玄とした無限の広がりを感じさせる抽象画を描く青木恵美子だった。青木に今回の受賞の喜びを聞いた。

自分がやりたいことと合っているものなのかを考えるためには、寝かせる時間がたくさん必要なんです。

―まずはグランプリの受賞、おめでとうございます。

青木:ありがとうございます。普段は手探り状態で制作を続けているので、今回のようなことがあると、挫けたり行き詰ったりしたときの心の支えになりますね。今後も日々精進して制作のモチベーションにしていきたいと思います。

青木恵美子
青木恵美子

―青木さんは普段どのように制作に向き合われているのでしょう?

青木:特別に何かを取材して、それを元に作品を作るようなことはしていなくて、日々思ったことや感じたことだったり、美術の文脈に関わりなく興味を持ったことについて調べたりして、少しずつ作品のイメージに繋げていくようにしています。なので、たとえばお花をデッサンするようなことはしていないんです。

結果的に積み重なったイメージが一つのビジョンを形づくるようになればと思って日常を過ごしてます。その時々で感じたことを大切にしていて、映画をみているときでも仕事をしているときでも、ふとしたときに思ったことや感じたことが制作に繋がっていく感覚がありますね。

青木恵美子

―日常生活の全てが制作に結びつくんですね。

青木:そうですね。だから普段クロッキー帳に何かを描くときも、形をデッサンするよりもふと出会った言葉を書くことが多いです。そのときに思ったことだったり、ある人が言っていたことや、日常生活の中で面白いなと思ったことを言葉にして書いているんです。そうした蓄積が制作に活きてくることがあるんですよ。

―言葉をある種の足がかりにして制作された作品と、その作品を言葉として表した作品タイトルは、それぞれどんな関係なんでしょうか?

青木:タイトルとコンセプトはだいたい同時に考えています。私の場合は勢いで作品を作ることはあまりなくて、じっくり考えてから作品にすることの方が多いですね。それが自分にとって本当に作品として発表すべきものなのか、自分がやりたいことと合っているものなのかを考えるためには、寝かせる時間がたくさん必要なんです。

実は正直、出品するかしないか、とても迷いました。でも自分の中の節目として、どうしてもこの作品を発表したいと思ったんです。

―青木さんの制作全体の中で、今回の受賞作品はどのように位置付けられるのでしょうか?

青木:私は今3つのシリーズの制作に取り組んでいます。自分の原点であり今も継続している「EPIPHANY(顕現)」シリーズ、反射するアクリル板を使ってその場の光や時間や空間を取り込む「PRESENCE(現前)」シリーズ、生命の無限の繋がりを表現するべく一筆一筆の集積から画面を形づくっていく「INFINITY(無限)」シリーズの3つです。

「EPIPHANY」シリーズ 『包まれて』(2010年) 970×1120mm アクリル、油彩、パステル、キャンバス
「EPIPHANY」シリーズ 『包まれて』(2010年) 970×1120mm アクリル、油彩、パステル、キャンバス

「PRESENCE」シリーズ 『PRESENCE』(2015年) 210×297mm アクリル、アクリル板、パネル
「PRESENCE」シリーズ 『PRESENCE』(2015年) 210×297mm アクリル、アクリル板、パネル

「INFINITY」シリーズ 『INFINITYBlueNo2』(2016年)100×100mm アクリル、キャンバス
「INFINITY」シリーズ 『INFINITYBlueNo2』(2016年)100×100mm アクリル、キャンバス

青木:今回の受賞作『INFINITY Red』は「INFINITY」シリーズになりますが、今までこのシリーズでは10センチ四方の小さな作品しか作っていなかったので、こんなに大きなサイズ(130.9×162.6cm)で描いたのは今回が初めてでした。「INFINITY」の原型になった過去の作品がありますが、それは花の表面的な形ではなく奥にあるものを表現しようと描いていた作品で、そこから現在の作品まではまっすぐに繋がっています。

画面に使用している赤は生命を象徴しています。この画面からは生命の繋がりを想わせるイメージを作りたいと思っていて、最終的な完成形がみえているというよりは漠然としたイメージを手がかりに制作していくような感じでしたね。実際に作ってみないとわからない部分が大きくて、手探りのあまり気力も体力も使い果たしてしまいました(笑)。

『INFINITY Red』(2017年)
『INFINITY Red』(2017年)

―制作にはどれくらいの時間がかかるのでしょうか?

青木:通常最低でも3ヶ月はかかりますが、今回の受賞作はそれよりたくさん時間がかかりました。

―実際に完成してみて、印象はいかがでしたか?

青木:実は正直、出品するかしないか、とても迷いました。最後の最後まで葛藤していました。きっとこれから何作も作っていくうちに完成のタイミングがわかるようになるとは思うんですが、これで本当に完成なのか、これを本当に出すべきなのか、それすらも判断つかない状態だったんです。

青木恵美子

―そうした葛藤の中から出品を決意した決め手は何だったのでしょう?

青木:年齢的な節目と、自分の中の目標と、このシリーズで挑戦してみたかったからです。とくに年齢的には、2回目のハタチになるので(笑)。40歳って社会的に若手とはみなされない年齢ですし、だからといってベテランともみなされません。女性としても身体の変化があったり、周りの人の状況の変化もあったりする中で、自分の中の節目としてどうしてもこの作品を発表したいと思ったんです。

描けないからといって出品しないわけにはいきませんので、そこが現実と折り合いをつけていかないといけない部分です。

―今回のFACEは、青木さんの中でもかなり強い覚悟があっての出品だったんですね。

青木:はい。きっかけがあった方が漠然と制作しているよりも時間の使い方もよくなってモチベーションも上がりますし、こういう機会がなければこの作品を発表することもなかったので、今回グランプリを頂けていろいろな意味でありがたかったと思っています。

―普段はどんなサイクルで制作されているんでしょうか?

青木:生活するための資金が必要なので、普段は別の仕事もしています。なので家に帰ってから作ったり、休日に作ったりというサイクルですが、だいたい毎日制作していますね。

青木恵美子

―そういった暮らしと制作は相互に関係がありますか?

青木:ありますね。日中の仕事で自らの置かれている立場と、絵を描いている自らの立場の矛盾を抱えていますから、そこにどう折り合いを付けていくのかという葛藤は常にあります。でも、周りに理解のある方々がいてくださるので、両立は簡単ではありませんが助けられています。

―そういった葛藤の中で、どのようにして制作へのモチベーションを維持しているのでしょうか?

青木:自分でも不思議なんですけど、ごく自然に感覚が積もって一つのビジョンになったときに制作を始めるという感じなんです。逆にそれが全くなくなることもありますが、それでも手は動かしていないといけないので、そういうときは無理してでも何かを描くようにはしています。

でも、本当に無理なときは思いきって何日間かお休みをいただくこともありますね。理想としては、そういった感覚が自然に積もったときに制作して、作品を作り溜めて、その中から発表するのがいいのですが、現実問題仕事をしているとなかなか制作の時間を持てないので、それも簡単ではありませんね。

青木恵美子

―そんなときにご自身を鼓舞する秘訣は何でしょう?

青木:やっぱり締め切りの存在ですね(笑)。描けないからといって出品しないわけにはいきませんので、そこが現実と折り合いをつけていかないといけない部分です。

わざわざ美大に入り直した理由は、デザインではなく美術を追求したいと思ったからなんです。

―青木さんが美術を志すようになるまでの経緯はどういったものだったんでしょうか?

青木:小学校時代は、絵は得意だったんですが、とくに画家になろうとは考えていなかったんです。それよりも物心付いたころから音楽をやっていたので音楽での進学を考えてました。ただ、先生からは音楽で食べていくのは難しいと言われたり、親も安定した職を望んでいたので、「まずは手堅く」と高校3年の受験時に薬学部を志望していました。当時は「理系には職がある」という風潮もありましたので(笑)。

青木恵美子

―周囲の環境の影響が強かったんですね。

青木:「いざ受験するぞ」となったときに、「本当にこれでよかったのかな?」「やっぱり自分には向いていないかな?」と思うようになったのが今の道に進む最初のきっかけだったと思います。それから紆余曲折あって工学科のデザインコースに進学して、卒業後はゲーム会社でデザイナーとして働いていました。それでも美術を追求したいという思いを捨てきれなかったので多摩美術大学に入り直すことにしたんです。

―社会人を経験された後、再度美大に入学されたんですね。

青木:わざわざ美大に入り直した理由は、当時仕事としていたデザインではなく、美術を追求したいと思ったからなんです。デザインはクライアントありきですし、自分のやりたいことを純粋に出すことはできなかったこともあって、自分と向き合うことができる美術を追求したかったんですね。

当時、学生時代はテクノロジーの変遷期でもあって、巨大な箱みたいだったパソコンがあっという間に技術革新して薄型に変わっていくような時代の変化の中で、目まぐるしく環境が変わる状況に自分が冷めてしまったところがありました。たとえアナログであっても、人間的なものを感じられることをやりたいと思ったんですね。

美術は形をとどめておけるものが多いので静かに美しさや感動に浸れるというのが最大の魅力だと思います。

―そこでついに美術に目覚めたんですね。

青木:意外と遠回りしてきたので、少しずつ本当にやりたいことが明確になっていった感じがします。でも逆に遠回りしたからこそ、それらすべてが現状に結びついているようにも思うんです。

―すべてが必然的だったということですね。でもそんな中で、絶対に外すことのできない大切な経験や出来事があるとしたら、どんなことだったと思いますか?

青木:やはり小さかった頃から高校生まで続けていた音楽を通しての経験がとても大きいと思います。その頃に培った感性と、芸に対する厳しさは今に生きていますね。染みついていると言ったほうがいいかもしれません。

そんな中でも、音楽と美術を比較した場合、音楽はその時その瞬間の出来事で形が残らないものですよね。でもだからこそ、その瞬間が美しく、多くの人を一瞬にして共感させる力を持っていると思います。それに対して美術は形をとどめておけるものが多いので、静かに美しさや感動に浸れるというのが最大の魅力だと思います。作品と向き合いじっくりと時間をかけて、対話することができるんですよね。

青木恵美子

―幼い頃にすでに大きくは決まっていたのかもしれませんね。美術の道を選択されて、改めて美術でしか得ることのできない喜びや発見はどのようなところにあると思いますか?

青木:作品について、日常を離れて共感や感動を体感した時ですね。美しさや微笑ましいものだったり、自分が今までに気づかなかったことだったり、圧倒的な感覚として伝わってくるものを感じた時です。作品が醸し出す空気感がとても好きで、凛とした空気感が伝わってきたり、作品の佇まいが感じられたりするのが面白いと思っています。

―反面、逆に美術に向き合うからこそ生じる苦労や大変さもあるかと思います。

青木:苦労は自分の置かれた状況と制作活動との精神面のバランスですね。美術に対する信念を持ちつつ、自分の置かれた状況とどう折り合いをつけながら制作していくか。仕事もしているので、制作を続けるということも大変です。

制作時間の工面や、仕事から制作への気持ちの切り替えは未だに課題ですね。作品を作るまでの過程は苦労の連続ですが、形となってきた作品と心が共鳴した時は苦労の反面、とても充実感を感じます。

青木恵美子

―美術と真正面に向き合い、活動を続けてこられた秘訣はどんなところにあるのでしょう。

青木:とにかく自分の中で作品に対する信念を持って続けていくことだと思います。そこがブレてしまうと作家としては一番苦しくなってしまいます。私の場合、追求したいことは「純粋な絵画とはなにか?」という疑問から生じた理念を追求することです。日々生きていく中でいろんな葛藤があるわけですが、美術はそういったことを一つひとつ追求できる分野だと思うので、今もこうして続けているんだと思います。

―制作に対するまっすぐな姿勢、お聞かせいただきありがとうございました。最後に、今回のグランプリ受賞を踏まえて、今後の展望を教えていただければと思います。

青木:いつかは美術を通した経験を社会に還元していくことができたらいいなと思っていますが、今はまだ自分の制作の経験を積み重ねていくことが私のやるべきことだと思います。遠い未来のことは具体的に答えられませんが、とりあえず今やっていることが未来に繋がっていくことだけは確かなので、制作を続けていくことに尽きますね。

イベント情報
『FACE展 2017(損保ジャパン日本興亜美術賞展)』

2017年2月25日(土)~3月30日(木)
会場:東京都 新宿 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
時間:10:00~18:00(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜(3月20日は開館)
料金:一般600円 大学生400円
※高校生以下、身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳をご提示の方と付添の方1名、被爆者健康手帳をご提示の方は無料

プロフィール
青木恵美子 (あおき えみこ)

1976年生まれ。2008年、多摩美術大学造形表現学部造形学科油画専攻卒業。2010年、多摩美術大学大学院博士前期課程油画研究領域修了。2010年、個展 ANOTHER FUNCTION「青木恵美子展」(六本木)。2010年、個展「青木恵美子展 -静かな始まり-」(ガレリア・グラフィカbis)。2010年、シェル美術賞2010 本江邦夫審査員賞(代官山ヒルサイドフォーラム)。2010年、第29回損保ジャパン美術財団 選抜奨励展(損保ジャパン東郷青児美術館)。2012年、個展「沈黙の終わりに」(藍画廊)。2012年、アーツチャレンジ2012(愛知芸術文化センター)。



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