ナナ(Vo)と篠原良彰(Vo,Gt)による男女二人組、ラッキーオールドサンの2ndアルバム『Belle Époque』がリリースされた。余計なギミックなど一切ない素直でシンプルなメロディーと、儚くも芯のあるナナのボーカル、そしてはっぴいえんどやティン・パン・アレーら、1970年代の日本語ロックを彷彿とさせるような、アコースティックかつオーガニックなバンドサウンドが胸を打つ。
アルバムタイトルの『Belle Époque』は、華やかりしきころのパリを「佳き時代」と回顧する意味で使われることの多いフレーズだが、それを二人は「今という時代を肯定するために」つけたという。今この瞬間を生きる大切さを教えてくれるような言葉たちには、どのような想いが寄せられているのだろうか。テクノロジーの発展や制作環境の変化によって複雑な楽曲が数多く生まれる一方、あくまでも「歌心の溢れる楽曲」にこだわり続けるわけは? ナナと篠原の二人に話を訊いた。
(メイン画像撮影:木村和平)
「もし、未来の僕がこのテープを聴いていたら、僕に言いたい。『まだやれる』」(篠原)
―アルバムとしておよそ2年ぶりのリリースとなりますが、まずは制作に至るまでの経緯を教えてもらえますか?
篠原(Vo,Gt):実を言うと、今回のアルバムを出すまでの間に、ちょっとわからなくなってしまった時期がありました。ミニアルバム(『Caballero』、2016年4月)を出した直後くらいかな、結構つらくなってしまって……。風を感じないというか、無風状態のなかで、どっちにいけばいいのか、なにをすればいいのかもわからなくなってしまったんです。
ナナ(Vo):その時期はちょうど大学を卒業したころで、私もすごく悩んでいました。あれはなんだったんだろう。
ラッキーオールドサン(左から:篠原良彰、ナナ) 撮影:木村和平
―活動に手応えを感じられないなかで、迷いのような時期があったと。それをどうやって乗り越えたのですか?
篠原:ちょっと恥ずかしい話をしていいですか? 去年の夏ごろに実家に帰ったのですが、特にやることもなく自室の整理をしていたら、高校のころに自分で録ったデモ音源のカセットテープがたくさん出てきたんですよ。それを片っ端から聴いていったら、1本だけタイトルの書いていないカセットがあって。「なにかな?」と思って聴いてみたら、高校を卒業する2010年の年明けくらいに、自分がそのときに思っていたことを延々とテレコに向かって吹き込んでいるという、非常にエモいものだったんですよ(笑)。
―曲ではなく、語りですか?
篠原:はい。ただ延々と30分くらい喋っているんですよ。「東京に出て、僕のロックを……!」みたいな、恥ずかしいことばっかり(笑)。それでもずっと聴き進んでいったら、最後の最後、テープが切れそうになるときに「もし、未来の僕がこのテープを聴いていたら、僕に言いたい。『まだやれる』」って。
篠原:「まだやれるから、最後の悪あがきをずっと続けてください」って、自分に向けてメッセージを送っていて。聴き始めたときはすごく恥ずかしかったんだけど、それを聴いた瞬間、昔の自分と目が合った気がしたんです。それで書いた曲が、『Belle Époque』に収録されている“Railway”で。そのあと東京に戻ってライブをしたころから、ようやく自分は風を感じることができたんですよね。
ナナ:戻ってきた篠原さんにその話を聞かせてもらって、私も元気が出ました(笑)。
―前回のインタビュー(自分の暮らしが少し好きになる。ラッキーオールドサンの生活の歌)のときに、「いつかの自分や、いつかのナナさんが、今の自分にすごい勇気をくれる」とおっしゃっていますけど、まさに過去の自分に勇気をもらったんですね。
篠原:ああ、そうですね。
1970年代のサウンドのパワーを借りながら、新しいことをやりたいと思ったんです。(篠原)
―アルバムタイトルの『Belle Époque』は、一般的には「佳き時代」という回顧的な意味ですよね。実際、パリの華やかりしき時代、文化を回顧するフレーズとして生まれたものです。
ラッキーオールドサン『Belle Époque』ジャケット(Amazonで見る)
篠原:実は、回顧主義とは逆で。当初、「平成」と書いて「ベルエポック」と読ませようとしていたくらい(笑)。自分たちは、ユーミンの『COBALT HOUR』(1975年)のようなサウンドに憧れているけれど、結局その時代にはいけないし、「今」を生きていなければいけない。だったら1970年代のサウンドのパワーを借りながら、新しいことをやりたいと思ったんです。
―なるほど。70年代の「佳き時代」のサウンドを、回顧主義にならないように鳴らすための工夫って、なにかありましたか?
篠原:これは僕が個人的に信じていることなのですが、今の時代に生きているメンバーが集まって、古い音楽を奏でたとしても、それは新しい音楽になると思うんです。そこに宿るのは昔の空気ではなく、「今」の空気なんじゃないかと。
―私たちの、「今」を生きているパワーのようなものを信じているんですね。
篠原:そうですね。それと、当時の人たちの音楽に対する姿勢と、自分自身も同じ目線でいたいという想いが常にあって。
―というのは?
篠原:たとえば、THE BLUE HEARTSがそうですけど、人によって受け取るサウンドとか言葉とか表面的なことは違っても、気持ちをコピーするっていうか、核となる部分は変わらないというか。その純粋な部分は大切にしたい。そういうパワーを先輩方からお借りするつもりで。それが、古い音楽から「パワーを借りる」ということなのかもしれないですね。
ずっと転がっていたい。転がっていかないと、見たことない景色にも出会えないですから。(ナナ)
―THE BLUE HEARTSの音楽にある、変わらない「核となる部分」って言葉にすることはできますか?
篠原:単純に音楽が好きということなんだと思います。人生を棒に振ってしまうくらい(笑)、音楽に対する純粋な想いというか。
―古い世代から新しい世代へ、「バトンを引き継いでいる」という気持ちはありますか? 自分たちの音楽を通して、古い音楽が聴き直されたり、それこそユーミンの『COBALT HOUR』が、若い人たちに聴き直され、再評価されたりしたら……という想いとか。
篠原:おこがましいですけど、そうなったらうれしいですね。僕らもくるりやASIAN KUNG-FU GENERATIONを聴いて、同世代の洋楽を聴いたり、そのルーツとなる音楽を紐解いたりしてきたので、ラッキーオールドサンの音楽が、そんなふうに他の音楽への窓口になれたらなによりです。
―1stアルバムは、聖蹟桜ヶ丘の丘の上から街を見下ろしたような、そんな景色が視覚的イメージだとおっしゃっていました。平成を「ベルエポック」と読ませる予定だった本作は、どんな景色をイメージしながら作ったのでしょうか。
篠原:たとえば、歌詞のなかには「青梅駅」とか、福生の「ベースサイドストリート」とかそういう中央線沿いのフレーズが出てくるんです。“すずらん通り”は神保町の古本屋街のことですし、なので、東京を西から東に貫いている感じですかね。
あと、映像として浮かぶのは、御苑公園のような開かれた場所。そこで、小さい子とお父さんがサッカーしていたり、カップルが遊びに来ていたりしているイメージ。……ナナさんはどうですか?
ナナ:開かれた場所、というイメージは私もあって。具体的に言うと……自分の家族がいる場所かもしれない。今回のアルバムタイトルが『Belle Époque』となったときに、おばあちゃんの若いころのアルバムを見る機会があって。それで書いたのが、“写真”という曲なんです。私は当然、その時代には生まれてなくて、「いいなあ」と思う瞬間もあるけど、それでもやっぱり今自分たちがいる場所で生きていきたい、っていう気持ちがあって。
篠原:そうだね。それに『Belle Époque』という大きなタイトルを借りて、「今を生きているのが一番いい」と断言して覚悟を見せたつもりなんです。それと同時に、聴いている人に対しても「今の時代が一番いいって言えますか?」と、問いかけたい気持ちもありました。それは、とても怖いことでもあるけど、でも大事なことなんじゃないかなと。
―そうだったんですね。「本来は馴染めないはずのところに、今の僕は身を置いている」と前回おっしゃっていたじゃないですか。それで今回、タイトルが「佳き時代」だし、回顧主義というか、ラッキーオールドサンの夢見心地な音楽は、どこか現実逃避的なものなのかと思っていたのですが、全く逆だったのですね。
篠原:ええ。「逃げきれないなら、戦うしかない」というか。
―そんな日常を、“Railway”や“すずらん通り”の<転がる日々>というフレーズで表現しているのですね。
篠原:そうです。ひとたびも同じところにはいなくて、常に転がっているような気がします。自分たちは「穏やかに生きたい」と願えば願うほど、曲がり角が多くなっているような気がしていて。
決して、「流されている」つもりはないのだけど、かといって全てを自発的に、力強く切り拓いているか? というと、それも違う。いろんな流れに押されながら、問答しながらもがいて、走ろうとするけど足がもつれて転がっている……そういうイメージに近いですね。
ナナ:私も日々変化しているなと思っていて、それはそれでいいとも思っていますね。どういう方向に行くかはわからないけど、ずっと転がっていたい。転がっていかないと、見たことない景色にも出会えないですから。
音楽というのは、変わり続けるからこそ残っていくものでもあると思うし、「留まろう」と思って留まれるものはないと思う。(篠原)
―“さよならスカイライン”では、<なんとかなるさ これから 今まで どうにかやるさ>とも歌っていますね。転がる日々を肯定しているように聴こえます。
篠原:基本的に僕らは常にそういうことを歌っている気がしていて。それこそが、ラッキーオールドサンの最初期から、もしかしたらその前から、自分にとっての命題なんじゃないかと。人によっては、違う言葉や別のカタチだったりするのを、偶然僕らは「なんとかなるさ」と歌っているだけで。おそらくいろんな人たちが様々なカタチで、そういったことを伝えてきているような気がします。
―たとえば?
篠原:そうだな……『般若心経』の「ギャーテーギャーテー……」のところ(正式には「ギャーテーギャーテーハーラーギャーテーハラソーギャーテーボージーソワカ」、「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、幸あれ」と訳される)とか。僕はよく「It's gonna be alright」というフレーズも多用するんですけど、それも昔からいろんな人たちがずっと使っていて。
それにTHE BLUE HEARTSも、同じことを歌ってきたような気がします。改めて言葉で解きほぐそうとすると、すごく難解に思えてしまうんですけど、こういうわかりやすいフレーズで歌にすることによって、そこに含まれる意味もダイレクトに伝えられるんじゃないかと。そう信じているところはあります。
―なるほど。人が生きるということにおける、真理めいたものを1フレーズで切り取るというか。THE BLUE HEARTSが歌ってきた、変わらない「核となる部分」という意味では、先ほどの話にも通じるような気がします。
篠原:それに、音楽的に「常に新しいものを作らなくちゃいけない」というよりは、「ただ、いいものを作りたい」という想いでやっていて。自分たちが演奏していて楽しい音楽というのを大前提として考えているので、奇をてらったようなことをしたいとか、そういう気持ちは全くなくて。
―サウンド面でも、言葉の面でも、普遍的なものに対する憧れがあるんだろうなと、お話を聞いていてすごく感じます。
篠原:僕はイマイチ、「エバーグリーン」という言葉をまだ理解してはいないんですけど、もし普遍的なものがあるとしたら……うーん、でも難しいな。変な話、音楽というのは、変わり続けるからこそ残っていくものでもあると思うし、「留まろう」と思って留まれるものはないと思う。
ナナ:変わっていくほうが自然だと私は思います。
篠原:うーん、変わりたいんだけど、変われないところもある、みたいな感じなのかな。ちょっと矛盾したことを言ってますけど(笑)。
気持ちとしては「最小単位のバンド」をやっているつもりなんです。(篠原)
―お二人がやりたいことって、一致しているのでしょうか。意見の衝突などもある?
篠原:今のところ衝突はないですね。たまにナナさんは、「うるさい音楽がやりたい」と言っていて、困惑することはあります(笑)。
ナナ:ラッキーオールドサンに、「うるさい」というイメージはあんまりないかもしれないですけど、もともとパンクも好きだし、無性にやりたくなる。やったとしても、たぶん「あれ? ラッキーオールドサンらしくないなあ」というふうにはならないんじゃないかなと思っていて。
篠原:もともとの前身バンドがパンクだからね。たぶんそのときにやりたかったことを今やると、「うるさい音楽」になると思いますね。問題なくできると思います。
―サウンドこそ1970年代のシンガーソングライター然としていますけど、コアな部分はパンク / オルタナティブな魂が宿っているのですね。
篠原:オルタナはひと通り聴いていますし、二人とも「バンド」というものが好きで、僕らの形態も「男女デュオ」というのはちょっと気恥ずかしいところはあるんですよ。気持ちとしては「最小単位のバンド」をやっているつもりなんです。
―最小単位ということは、なんでもできるということでもあるわけですからね。“フューチュラマ”の、<こんなはずじゃなかったと 言いたいわけじゃない>と歌うところ。篠原さんの声がシャウト気味になって、なんていうか「男女デュオ」という枠組みをぶっ壊すパワーがありますよね。とても聴き流せない「イビツな魅力」があるというか。
篠原:あ、うれしいです(笑)。僕は、特別「歌を歌いたい」っていう気持ちはないんですけど、なにか発露したいという思いはある。あのときはマイクの向こう側にいる人たちへ、言葉を投げかけているテイクが録れたと思ったんですよね。なので、それを聴いてハッとしてもらえたなら本望です。
―このフレーズにも、今という時代を肯定したいという強い想いを感じます。覚悟を決めて「今」を肯定すれば、世界はもっとシンプルになるし、過去を後悔したり、未来を不安に思ったりする気持ちも減るんじゃないかと。それが、先ほどおっしゃっていた「It's gonna be alright」の精神なのかと思います。
篠原:確かにそうですね。
「歌」っていうのは、最も本質的なことを、最も簡素かつダイレクトに届けることができるし、歌うことで残すことも、自分で復唱することもできる。(篠原)
―今後の展望についてはいかがですか?
篠原:もっと大きいところでやりたいです。今は外に向かって風が吹いているので、いろんな場所へ行って演奏したいし、いろんな人に会いに行きたい。
ナナ:私もいろんなところに行きたいです。全然違う音楽もやってみたい。レゲエとか……。
篠原:レゲエ!(笑) いいですね。最近思うのですが、僕は、「歌」を感じないものはあまりピンとこなくて。別に歌が入ってなかったとしても、歌心みたいなものが見え隠れする音楽が好きなんですけど、今はそういう歌心みたいなものが、ちょっと息を潜めているような感じもしていて。それがちょっと、個人的には寂しいんですよ。
―「歌は世につれ世は歌につれ」と言いますからね。ともあれ、ラッキーオールドサンの音楽は「歌心の塊」のようですし、「歌うこと」と「生きること」が密接につながっているように感じます。そこが最大の魅力と言えるかもしれません。
篠原:そう思ってもらえたらうれしいです。以前作った“ゴーギャン”という曲に、<生きることは絶やさない灯 歌うことは花を飾るように>という歌詞があるんですけど、「歌うこと」と「生きること」は、かなり密接なものだと自分も思っています。
篠原:「歌」っていうのは、最も本質的なことを、最も簡素かつダイレクトに届けることができるし、歌うことで残すことも、自分で復唱することもできる。お風呂で歌っていることも含めて、すごく大事なことだと思います。
―今、「届ける」っておっしゃいましたけど、歌を通じて聴き手になにかメッセージを伝えたいという想いはありますか?
篠原:僕らの歌が届いて、「明日も頑張れる」と言ってもらえることもあって、それはすごく嬉しいことだし、そういう言葉を聞いて僕らもまた頑張れる気もします。とはいえ、「人のために歌う」という気持ちはないかな。ただがむしゃらに曲を作り、歌い続けて、その熱量が相手に伝わったらいいなとは思う。でも、それをどんなふうに解釈するかは、受け取ってくれた人の自由で。それこそ、「歌は世につれ世は歌につれ」ということじゃないでしょうか。
- リリース情報
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- ラッキーオールドサン 『Belle Époque』(CD)
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2017年4月12日(水)発売
価格:2,268円(税込)
ARTKT-0141. さよならスカイライン
2. ベースサイドストリート
3. フューチュラマ
4. 写真
5. 夢でもし逢えたなら
6. ツバメ
7. I want you baby
8. すずらん通り
9. Railway
10. Tokyo City Brand New Day
- イベント情報
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- 『2nd full album『Belle Époque』Release Tour~佳き時代に生まれたね~』
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2017年5月5日(金・祝)
会場:京都府 Live House nano2017年5月6日(土)
会場:大阪府 HOPKEN2017年5月7日(日)
会場:愛知県 名古屋 K.Dハポン2017年6月3日(土)
会場:東京都 下北沢 SHELTER2017年6月24日(土)
会場:宮城県 SENDAI KOFFEE CO.
- プロフィール
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- ラッキーオールドサン
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ナナ(Vo)と篠原良彰(Vo,Gt)による男女二人組。ふたりともが作詞 / 作曲を手掛け、確かなソングライティングセンスに裏打ちされたタイムレスでエヴァーグリーンなポップスを奏でる。2014年12月にkitiより1stミニアルバム『I'm so sorry,mom』でデビューし、2015年7月には1stフルアルバム『ラッキーオールドサン』をリリース。詩と歌のシンプルなデュオ編成から、個性的なサポートメンバーを迎えたバンド編成まで、様々な演奏形態で活動を展開。輝きに満ちた楽曲の数々は多くのリスナーを魅了し、またその確かな音楽性が多くの同世代バンドからも熱烈な支持を得る。2016年4月にはカントリーやブルースといったルーツミュージックの匂いを纏った2ndミニアルバム『Caballero』をリリース。2010年代にポップスの復権を担うべくあらわれた、注目のポップデュオ。
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