2020年の『東京オリンピック』『東京パラリンピック』に向け、障がい者理解や、多言語コミュニケーション能力の強化など、他者との協働を目指す声が日本国内で高まっている。だが、実際のところその内実がともなっているとは言い難いのが現状ではないだろうか? 行政主導のかけ声は威勢がよいが、人手不足、リテラシー不足を嘆く声があらゆる現場から聞こえてくる。「その場しのぎの他者理解になってはいないか?」。それは芸術・文化・福祉に関わる人ならば、一度は考える問題に違いない。
あるケーススタディーとして紹介したい映画がある。韓国のドキュメンタリー作品『きらめく拍手の音』だ。ろう者の両親から生まれた聴者である映像作家が、自らの家族との生活、歴史に目を向けた同作。ろう者同士が結婚し、子どもを持つことの苦難を伝えもするが、けっして暗い思考には陥らない。むしろ、ごく当たり前にある家族や日常との寄り添い方と、その普遍性が描かれている。
今回、同作の日本公開に際して来日中のイギル・ボラ監督と、2016年に全編無音の映画『LISTEN リッスン』を制作した、自身もろう者である牧原依里監督の対談を行なった。韓国語から日本語、そして日本語から日本手話へと、二人の通訳者を介して行われた異例の対話は、それ自体がコミュニケーションと協働について熟考する時間ともなった。「私」と「あなた」が交わることで結ばれる「私たち」の社会、その行く先を考える。
両親のことをかわいそうだとは思ってない。ただ単に、聴者と使っている言葉が違うだけなんだけど。(ボラ)
―お二人とも映画監督ですが、作品を作ろうと思った理由からお聞きしたいと思います。
牧原:その前に確認してもいいですか? ボラさんの名前は手話でどう示したらよいでしょう?
ボラ:(手話で自身の名前を表す)
牧原:難しい。この手の形は日本の手話にはないですね。日本手話と韓国手話では音韻が違うんですよ。
―そうか。日韓の手話は似ているそうですが、五十音とハングルは違いますもんね。
ボラ:私の名前は、(小指を立てて)こうします。韓国の手話は、男性と女性の名前で区別があって、顔にほくろがあるとか、髪が長い、とかで女性であることを表現したり、(顎をさするような身振りで)こんなふうにヒゲを触る仕草をして、男性であることを示すんです。
牧原:おお、興味深いですね。
ボラ:では、映画を作ろうと思った理由ですよね。私は、子どもの頃から、両親の世界について説明したいと思っていたんです。なぜかと言うと、ろう者である両親に代わって「こんにちは。私の両親はろう者です。何かあれば私が通訳します」と、あらゆる人に説明するのが役割だったからです。
多くの人のリアクションはおおむね共通していて、障がい者を恐れたり、同情してポケットから500ウォン硬貨を出そうとしたり……。そのたびに、私は「両親のことをかわいそうだとは思ってない。ただ単に、聴者と使っている言葉が違うだけなんだけど」と感じてきました。それを説明したいと思ったことが、両親と私たち家族を主題にしたドキュメンタリー映画を作ろうと思った理由です。
牧原:韓国では、CODA(Children of Deaf Adultsの略。ろう者の両親を持つ子どものこと)を扱った映画とかドラマはなかったのですか? あるいは、CODAのことを学習できるような学術的な本は?
ボラ:ないですね。私自身、初めてCODAという単語を知ったのは、21歳くらいのときなんです。大学の友人で、手話の講座をとっている人から「CODAっていう言葉があるんだって」と聞いたのが最初でした。
牧原:そうなんですか。CODAというのは単に両親がろう者である子どもを示す言葉だそうです。うちの家族は両親がろう者なので、ろう者である私もCODAに当てはまる。実は私も最近CODAの本来の定義を知ったばかりなんです。でも、日本では両親がろう者で、子どもは聴者という組み合わせの場合のみをCODAとする定義が浸透していますね。国の大学ではろう文化に関する講座は多いのですか?
ボラ:一般大学の教養科目に手話の授業がある場合もありますが、まだまだ認知度は低いですね。去年、ようやく「手話言語法」が制定されて、韓国人が使っている言語には、口語の韓国語の他に、韓国手話があるということを広く伝える活動が本格化しました。手話研究に助成が出るようになり、観光地などでの手話案内を充実させることが推奨され始めたばかりです。
牧原:そうなんですね。日本だと、1995年に「ろう文化宣言」というのが発表されたりしました。ろう者は障がい者ではなくある種の少数民族であって、ろう文化という独特の文化を持つ人たちだという宣言です。つまり手話は少数言語の一種と言えるんですね。
手話のできないCODAもたくさんいる。(牧原)
―でも、欧米では、ろう者に対する教育姿勢として、口語と読唇によるコミュニケーションが推奨される傾向が強いと聞きました。言ってみれば、英語をしゃべらない人に英語を強制するようなもので、本来その人たちが持っている言語や文化を尊重するのとは逆の姿勢ですよね。
ボラ:そうですね。韓国も以前は学校でも口話が推進されていました。ようやく手話の扱いが向上して、対等に扱われるようになった、という感じです。
―ボラさん自身は、ろう者が両親であることをどのように受け止めていますか?
ボラ:私にとっては韓国語ではなく手話が第一言語なので、ネガティブには感じていないんですよ。むしろ、ろう者と聴者の2つの文化に接して豊かな経験ができています。
もしも手話を知らず、ろう者やその文化を知らなかったなら、世の中を狭く見ていたはずで、私は何かを語る人にはなっていなかったんじゃないかな。とはいえ、社会で、ろう者が聴者と対等に扱われてこなかったのは事実ですし、この2つの文化がうまく混ざり合ってくれれば、もっとよかったと思います。
牧原:私の場合、CODAに複雑な心境を抱いています。例えば両親がろう者、子どもが聴者である場合、子どもは親に対して葛藤を抱き、それがなかなか解消されないケースが多くあるんです。
愛情がお互いにあるのは間違いないけれど、越えられない壁のようなものをCODAは感じて育つ。そこから生まれるディスコミュニケーションは非常に難しい問題で根深いです。じつは手話のできないCODAもたくさんいます。
父と祖母ができる会話は「ごはん食べた?」「お金ある?」「元気?」「ストレスはない?」くらい。(ボラ)
―手話ができないと不便じゃないですか?
牧原:CODAの家庭の中には、子どもが生まれてくると手話を使うことを禁止して、口話だけで育てるケースも多いんです。手話をパブリックに使うことを「恥ずかしい」と思う意識、その時代背景がそうさせるんですよね。
その方法では、どこかで心が通じ合わなくなってしまう。でも、『きらめく拍手の音』ではボラさんも弟さんも手話を使って、とても自然に家族のコミュニケーションをされていて、ご両親の生き方が反映されているなと思いました。
ボラ:韓国でも同様のケースはたくさんあって、ろうの両親から聴者が生まれた場合、祖父母が孫を引き取って育てるということがよくあります。
―映画では、ボラさんのおばあさんも登場します。ご両親とはどんな関わり方をしていますか?
ボラ:祖母は手話ができなくて、父と祖母が共通してできる会話は「ごはん食べた?」「お金ある?」「元気?」「ストレスはない?」くらい。だから他人だけでなく、親族に対して両親の意思を代弁することがずっと私の役割だったんですよ。今もそうで、昨日も母から「おばあちゃんに、おじいちゃんのお墓参りに行くか聞いて」ってメールがきて。それで私が祖母に電話したんです(苦笑)。
―そういう役割がある種のプレッシャーだったのかもしれませんが、ボラさんは高校を中退して、アジアの国々を旅して回ったそうですね。
ボラ:将来はドキュメンタリーのプロデューサーか、NGOの活動家になりたかったんです。でも学校が教えてくれたのは、試験問題をパスして、英語を覚えて、大学に入って、マスコミ業界に就職しなさい、という程度のこと。
真っ先にやりたかったのは、東南アジアの人たちがどんな生活をしていて、どんな困難に直面しているのかを、自分の目と耳で知って、触れてみることだったので、高校をやめて旅に出たんです。もちろん、両親との世界から少し離れてみたい、という思いもありました。
―家族を離れてアジアを放浪し、韓国に戻ったボラさんは再び両親へとカメラを向けたわけですが、そこには心境の変化があった?
ボラ:旅から戻ってきたときに「自分とは何者だろう?」「私の家族は何?」「ろう者、ろう文化ってどんなものなのか?」についてしっかりと認識できた気がしました。
それは旅の過程でも確認したことでもあって、旅をしていて道端でろう者に出会うと嬉しくなって、手話で話しかけたり、挨拶したりしちゃうんです(笑)。あるいは聴者の人と話しているときも手話のように大きな身振りを伴って会話していることに気づきました。そうやって、「私はCODAであり、両親抜きにしては私の存在は語れない」と理解したんです。
聴者は笑いに求めるレベルが低い気がする。私たちは笑いに対して厳しいんです(笑)。(牧原)
―牧原さんは映画『きらめく拍手の音』からどんな印象を受けましたか?
牧原:ろう者と聴者の観客で反応が大きく違うことに驚きました。なぜか聴者は笑いながら見ているんですけど、私たちにとっては当たり前の風景でしかなくて「こういう人いるよね」って感じでした。
ボラ:韓国でも近い反応でした。
牧原:ろう者の生活が面白いというよりも、普通の韓国文化の生活が知れたのが面白かったです。自家製キムチを作るために、家のバスタブに大量の白菜を入れるシーンがあるでしょう。あれは日本ではできない!(笑) 総じて興味深かったのは観客の反応。聴者は笑いに求めるレベルが低い気がする。私たちは笑いに対して厳しいんです(笑)。
映画『きらめく拍手の音』より。バスタブを使いながら自家製キムチを作るボラの両親
ボラ:それはろう者と聴者のコミュニケーションの違いのせいかもしれないですよね。ろう者は、手元だけじゃなくて表情も含めて意思を伝えるので、表情豊かじゃないですか。その表情の変化や大きい身振りが聴者の人からすると、ちょっと笑えるのかもしれない。
牧原:あ! 良い例の場面がありました。ボラさんのお母さんが「(ボラさんの弟は)親離れしないと」って言うところがありますよね?
ボラ:ありますね。
牧原:あそこで、お母さんが胸元で指をちょきちょきするじゃないですか。つまり「乳首をカットする」身振りが、親離れ、乳離れって意味。ダイレクトすぎて面白かったです。というよりも、うまい表現だなあ、って感心しました。
なぜかというと、日本の手話で「ミルク」は、胸元で乳搾りをする身振りなんですね。私たちからすると当たり前なんですけど、聴者にとっては直接的すぎて「なにそれ!」とびっくりされる。だから聴者が「ミルク」を手話で表したいときは話すときは、頭に指を立てる、牛のようなしぐさでミルクを表現するんです。合理的配慮ですね(笑)。
―僕たち聴者は配慮されてるんですね。
ボラ:そうなんですよ。遠回しに言う音声言語に比べて、手話って本当に表現がストレート。韓国でも、あのシーンは大笑いされてました。他にも、韓国では、中指を3回突き立てるのが「山」の意味なんです。でも、これって「ファックユー」に見えますよね。
牧原:日本も、中指を突き立てるのは「兄」の意味です(笑)。
芸術というのは言葉の外にある何かを打ち破って、取り出して見せてくれるものですよね。(ボラ)
―手話での会話のストレートさは、なんとなく欧米の人の感情豊かなオーバーアクションに通じる気がします。迂遠な表現が多くなりがちな日本語と比べて、なんてわかりやすいんだろうと、羨ましく感じます。
牧原:手話のストレートさはあるとはいえ、ボラさんの映画は、ろう者の文化と聴者の文化がはっきり二分化されてないところが面白いです。2つの世界が混ざり合っているからこそ、ろう者と聴者で反応が変わってくる。
―牧原さんが監督した映画『LISTEN リッスン』も、ご自身の視点を強く反映した内容ですね。
牧原:『LISTEN リッスン』は、聴者とろう者の違いを強調するよりも、むしろ、これまで命名されることのなかった、新しいコミュニケーション、音楽のようなものを差し出そうとしたんです。
―全編が無音で、手話のようなダンスのような身振りを繰り返しますよね。前半は言語的な身振りが多いですが、後半は舞踊やコンテンポラリーダンスを思わせる身振りの比重が大きくなる。
牧原:皆さんはどうしても知っている概念での言葉で説明したくなっちゃうみたいですね(笑)。たしかに踊りみたいな部分もあるし、「あの動きはどういう意味なんですか?」という質問もたくさんいただきました。でも、私が捉えたかったのは言葉になる以前の、かたちや定型で分類・整理される以前の「何か」だったんです。
ろう者は、世界を目で見て把握する人々です。その固有性——すなわち身体性や生活などの中から生まれてくる「何か」があり、それは言葉なのか、踊りなのかはいまだにわからない。あえて近い言葉で言えば、私にとっては「音楽」なのですが、それを観客のみなさんに差し出して、問いかけた。
ボラ:すごく興味深かったです。言葉の世界にいると、どうしても言葉にこだわってしまうところがありますけど、牧原さんは『LISTEN リッスン』で、言語化される前の何か、言語になる前の何かを視覚的に見せてくれようと努力されていて。それは私にはできないことだなと思いました。でも、そもそも芸術というのは言葉の外にある何かを打ち破って、取り出して見せてくれるものですよね。
―再びボラさんに質問です。10代で様々な文化圏を旅して、様々な価値観に触れたことは、その後のご自身になんらかの影響を与えていると思いますか?
ボラ:私にとっての第一言語が手話だというのは先ほど話したとおりですが、手話から始まった自分にとっては、韓国語も英語も自分のルーツと当然異なっている。だから、旅で様々な文化に触れて、違和感を感じることはありませんでした。
また、ろう者である両親と暮らす中で、言葉だけでなく身振りや表情から得られる情報に対する感覚が発達したようなところがあるので、私の勘はかなり鋭いんです。だから新しい文化圏にもすっと入っていける。というか、ろう者の人たちって本当に勘が鋭いんですよ。状況を読んだり、言葉を理解する能力がすごく発達していると思います。それと比較しちゃうと聴者はちょっと鈍いというか……。
牧原:たしかにそうですね! 新しい人と会うときに、ろう者はその人の特徴や性質をかなり素早く、的確に把握しますよ。聴者は、それよりもだいぶ時間がかかる印象があって「なんでわからないんだろうね?」とろう者同士で話したりすることはしょっちゅう(笑)。
逆に、名前を覚えるのは苦手なので、私たちは相手の癖や見た目から連想するサインネームをつけて呼んだりします。一種のあだ名として。それもコミュニケーションのスピーディーさの理由かもしれません。
―僕だったらどんなサインネームにされるんでしょうね? ドキドキします。
牧原:そうですね、どんなあだ名になるでしょう(笑)。
社会において説明する役割を課せられるのはマイノリティーなんです。(ボラ)
―率直にお聞きしたいのですが、ろう者の人たちが、もっとも聴者に求めていること、言いたいことはなんでしょうか?
牧原:え~……。言いたいことは山ほどありますが、そう簡単にはまとめられません、ここでは言えないこともいくつか(苦笑)。
―例えば手話やろう文化について勉強して身につけてほしい、とか。
牧原:それはもちろん勉強してくれたら嬉しいですが、それだったら、国のトップにいる人、特に政治に関わっている人たちに、手話は言語であり、ろう文化は固有の文化であることをもっと理解してほしいですね。
―欠けた何かを補うための、補助的な代替物ではなく。
牧原:はい。私たちの世界もあなたたちの世界と同じように深層的に満ちていて、あなたたちと同じ人間なのだということを知ってほしい。特に国を動かせる立場の彼らの中にそのような見方をする人がいるだけで、この国はひょっとしたら変わるのではないかと考えたりもします。
実際には手話そのものを表面的に捉え、自己PRとして利用している人たちも多く、またそんな人たちのFacebookに「いいね!」と簡単に押すろう者たちも多くてうんざりしているのですが。特に政治家の動向に関して、私たちはもっと注意深く観察していくべきです。これは日本だけでなく世界全体についても言えることで、日本の一部や韓国で「手話言語法」が成立したのは喜ぶべき一歩ですが、そこに中身が伴って、どんどん広がっていっていくことを期待しています。国自体が、コミュニケーションの一形態として手話を認知してほしいです。
―ボラさんいかがでしょうか?
ボラ:牧原さんがおっしゃったように、私も手話は美しくて素晴らしいものだと思っています。だから、すべての人が音声言語と手話ができればとっても豊かになるはず。そして、個人的な願いを言えば、ろう者について説明するのはこの映画で終わりにしたい。
―なぜ終わりにしたいのですか?
ボラ:私は子どもの頃からずっと説明をし続けてきたからです。社会において説明する役割を課せられるのはマイノリティーなんです。私は女性ですから、なぜ社会において女性が生きにくいのかを説明しなければいけない。私の両親はろう者であり障害を持っているということになりますから、なぜ障害を持っている人が苦労しているのかを説明しなければいけない。
あるいは、私はアジア人ですから、他の国で差別されたときに、どうして差別されたのかってことも説明しなければいけない。これは2017年に突然現れた問題ではなく、歴史上ずっとマイノリティーに課せられた役割なんです。だから、もうこれ以上「フェミニズムって何? 障がい者って何なの?」と聞かれない状態になってほしい。
―なるほど……。
ボラ:相手にそんなことを聞くよりも、自ら勉強して知ったり、受け入れたりすることが大事なんです。そうは言っても、私はいつも中間の立場にいたから、これからも説明する役割は背負っていくと思います。
ひとつ私が体験したことを話すと、父と一緒にアメリカに行ったときに、父と手話を使いながら道を歩いていたのですが、誰も私たちを奇異な目で見なかった。すごく自由だと感じました。それでいいと思うんです。そういうふうに、マイノリティーの人たちが自らの状況を説明する必要がなくなればいいなと思っています。
- 作品情報
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- 『きらめく拍手の音』
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2017年6月10日(土)からポレポレ東中野ほか全国で公開
監督:イギル・ボラ
出演:
イ・サングク
キル・ギュンヒ
イ・グァンヒ
イギル・ボラ
上映時間:80分
配給:ノンデライコ
- プロフィール
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- イギル・ボラ
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映画監督。18歳で高校を退学し、東南アジアを旅しながら、彼女自身の旅の過程を描いた中篇映画『Road-Schooler』(2009年)を制作。2009年、韓国国立芸術大学に入学し、ドキュメンタリーの製作を学ぶ。その後、ろう者の両親にもとに生まれたことを最良のプレゼントと感じて『きらめく拍手の音』の制作を開始。完成後は国内外の映画祭で上映され、日本では『山形国際ドキュメンタリー映画祭2015』『アジア千波万波部門』で特別賞を受賞。2015年に韓国での劇場公開も果たした。現在はベトナムを舞台に次回作を撮影中。
- 牧原依里 (まきはら えり)
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映画監督。1986年生まれ。聾の両親を持つ。小学2年まで聾学校に通い、小学3年から普通学校に通う。大正大学で臨床心理学を専攻。会社に勤めながら映画制作を行っている。2013年ニューシネマワークショップ受講。2014年Movie-High14『今、僕は死ぬことにした』(短編映画)上映。2016年に全編無音の中編映画『LISTEN リッスン』を公開。『東京ろう映画祭』のディレクターも務める。
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