黒沢清×前川知大 映画と演劇『散歩する侵略者』の演出手法を語る

映画監督・黒沢清と劇作家・演出家の前川知大。手掛けた数々の作品で様々な「死」や「恐怖」を描いてきたクリエイター二人の協働が、今回映画の世界でついに実現する。黒沢監督が見出したのは、前川の劇団イキウメで2005年に初演され、小説にもなった代表作『散歩する侵略者』だった。

映画化に当たっては、長澤まさみ、松田龍平、長谷川博己らの実力派俳優が集結。「自由」や「家族」、「愛」などの人間特有の概念を理解するため相手から奪い、侵略を進める宇宙人と人類の攻防を描く。映画の完成を機に、メディアを越えて同調する二人が交わしたのは、映画と演劇それぞれの魅力と「死」を表現することの意味だった。語り合うほどに深まる対話をお届けする。

映画の具体性にはかないませんが、そのぶん演劇は見えているもの以上の奥行きを観客に想像させるように演出します。(前川)

―黒沢監督は、はじめ『散歩する侵略者』を小説版(2007年)で知ったそうですね。

黒沢:ええ、人から勧められて読んだんです。当時は前川さんはもちろん、イキウメのことも全く知りませんでした。読みはじめたらグイグイ引き込まれて、途中から頭のどこかで「映画になりそうだ」と思いはじめていたんです。実際、実現するまでには10年近い時間がかかりましたけど。

黒沢清
黒沢清

前川:『散歩する侵略者』は僕にとって初めての小説でした。イキウメの旗揚げから4年、『散歩する侵略者』の初演から2年で執筆の機会を得たのは恵まれています。

戯曲を書いた直後は「面白いアイデアを出せたな」くらいの気持ちでいたんですが、俳優や関わってくれたスタッフ、観客からも良い反応がもらえて、だんだんと特別な作品なんだと気づかされた感じです。自作のなかでも一番再演を重ねていますし。

前川知大
前川知大

前川知大『散歩する侵略者』(角川文庫)
前川知大『散歩する侵略者』(角川文庫) (Amazonで見る

黒沢:僕は2011年の再々演で舞台を拝見して、そのとき稽古場にもお邪魔させていただいたんですよね。

前川:『散歩する侵略者』の戯曲の出版にあたって、巻末の対談に監督が応じてくださったんです。そのとき、稽古場の最初の本読みにも立ち会ってもらいました。2011年の3月の震災直後、スタッフ全員がまだ集まれない中、イキウメと監督だけという不思議な稽古場で、感想をいただきました。俳優たちが「なぜ、ここに黒沢監督が?」って、挙動不審になっていたのが面白かったです(笑)。

イキウメ『散歩する侵略者』(2011年)メインビジュアル
イキウメ『散歩する侵略者』(2011年)メインビジュアル

前川:僕がはじめて観た黒沢監督の映画は『CURE』(1997年)で、その後、上京してから『カリスマ』(1999年)、『回路』(2000年)、『アカルイミライ』(2002年)などを立て続けに観て衝撃を受けました。

黒沢作品はほかの映画とは全然雰囲気が違ったんですよね。正直最初は「ワケわかんないものを観てしまった……」という感じでしたが(笑)、それくらい強烈に自分のなかに残っていた。大学に入って自主映画の脚本を書きはじめた時期に、黒沢作品からすごく影響を受けているなと、あとから気づいたんです。

黒沢:僕は映画以外は演劇も文学も不勉強な人間ですし、そもそも映画の歴史は100年かそこらですよね。有史以前から続く演劇に比べたら、インチキみたいなものだと思ってます(笑)。

―黒沢さんが『散歩する侵略者』が映画になりそうだと思ったのは、どうしてですか?

黒沢:言葉にするのは難しいんですが……登場人物の人数や場面の数など、演劇の場合は絞り込んで考えられていますよね? 日本の映画も状況は近いので、そんな低コストの構造が僕に映画化を見通させたのかもしれません。

『散歩する侵略者』場面写真 ©2017『散歩する侵略者』製作委員会
『散歩する侵略者』場面写真 ©2017『散歩する侵略者』製作委員会

―確かに日頃からコンパクトな規模で創作していることは、演劇の武器と言えるかもしれません。

前川:でも、『散歩する侵略者』を含めた劇団初期の作品は、僕がまだ「演劇のルール」をよくわかっていなかったので、人の出入りや場面数がいまよりずっと多いんです。それは、映画で学んだシーン構成の感覚で書いていたからだと思います。

左から:前川知大、黒沢清

黒沢:それは読んでいてもわかりました。ひとりの主人公で話が進むのではなくて、舞台となる街の複数の場所で同時に別の物語が進行していく構造は確かに映像にしやすかったです。映画はどんなに会話が面白くても、2~3分で絵が変わらないと観る人が退屈してくるんですよ。2時間の映画を成立させるには、僕の感覚では80~90シーンは必要。それは演劇だと多すぎますよね?

前川:ええ、そこまでの場面数はまずありませんね。多いとは言え、映画のように次々シーンを変えることはできないから、ある程度は抽象化しています。映画の具体性にはかないませんが、そのぶん演劇は見えているもの以上の奥行きを観客に想像させるように演出します。

生身の俳優が目の前にいるというのも強みで、演劇ならではの説得力を生みますね。映画の場合、どんなヨリのカットでも距離があるというか、遠くにあって、人を巻き込みきれない感じがします。

前川知大

黒沢:そうかも知れませんね。逆に僕は演劇を観ながら、俳優と目が合うんじゃないかっていう緊張感に苛まれ、オドオドしてしまうんです(苦笑)。俳優側にはそんな意識はないんだろうけれど。

この映画をイキウメっぽくしたいっていう、かつてない欲求に見舞われたんです。(黒沢)

―撮影中は、そういう感覚はないんですか?

黒沢:撮影中も実際に目が合うのはイヤですが、スクリーンのなかの俳優と目が合うことには、皆さん抵抗ないじゃないですか。それが前川さんの言う「遠さ」かも知れない。すべての映画はライブでそこに人が居るわけではなく、過去に撮った映像を観せられているだけなので、いくら目があったとしても平気というか。

―個人的には黒沢監督の映画は、それが生者か死者かに関係なくスクリーンのなかの人物と目が合いがちに思えますが。

黒沢:そうですか? 演劇の公演で、劇中の人物に「見られてしまった」というような緊張感に近いものを、映画の観客も味わってくれたらなぁと夢見ることはありますが、なかなか難しいですね。

黒沢清

―演劇作品の映画化に、これまでと異なる感触はあったのでしょうか。

黒沢:どんな作品もある種の葛藤はあって、それなりの時間を経て実現するものですが、今回は小説と出会ったあとでイキウメを知ったんです。しかも、そのあとも色々な作品を観せていただくなかで、僕がイキウメのファンになった。当初の小説のなかに見つけた映画的要素の具現化というよりは、この映画をイキウメっぽくしたいっていう、かつてない欲求に見舞われたんです。

人を食ったような「そんなことあるわけねえよ」というところからスタートしつつ、最終的にはハードな現実社会と向き合わせてくれる作品世界。イキウメの「世界はこんなふうにできているのかも」と気づかせてくれるような感覚を少しでも映画で表現できないか、という方向にシフトしていきました。

『散歩する侵略者』場面写真 ©2017『散歩する侵略者』製作委員会
『散歩する侵略者』場面写真 ©2017『散歩する侵略者』製作委員会

前川:できあがった映画のストーリーがほぼ原作通りなのは、黒沢作品では珍しいはずなんです。非常に原作を大事にして下さっていると思いました。

でもストーリーは同じなのに、ディテールは全然違うんですよ。演劇はどうしても色々なものを抽象化して描きますが、映画は「こんな風に具体化するんだ!」っていう新鮮な描写があちこちに見られて、監督が意図された「イキウメっぽさ」に僕もとても共感しました。

『散歩する侵略者』の設定に近いことが現実に起きていますね。(前川)

―前川さん自身が原作に込めた「イキウメっぽさ」とはどんなことだったのでしょうか?

前川:小説を書くときに気を遣ったのが、日本の日常で「宇宙人」などと言うと、多くの人に半笑いでやり過ごされてしまうという現実の扱いです。そこに嘘があると、自分たちの日常と関係ない話になってしまう。

ハリウッド映画のように「宇宙人の来襲を認めて、それらを相手に真剣に闘う」という展開にはいかない国民性というか。そういう前提を監督は映画で大事にして下さっているなと思いました。

前川知大

黒沢:「宇宙人」問題は確かに処理が難しかったです。バカバカしくなく「宇宙人」と呼ぶには結構な抵抗があるけれど、それこそが『散歩する侵略者』の要なんですよね。半分冗談みたいな「宇宙人」という単語に、「どこまで向き合って真剣になれるか」というのが作品の肝だと、イキウメの作品世界を知るにつれてわかってきました。

―確かに映画のラストへ向かうほど、「宇宙人」という言葉の重みや説得力が増していきますね。日常の水面下で思いもよらぬ危機が進行していくという設定は、2005年の初演以来、現実とシンクロする割合があがっているように思えます。

前川:北朝鮮のミサイル実験が報道されていますが、「気づかないうちに国が戦争状態に陥っていく」という作品の設定に近いことが現実に起きていますね。

黒沢:小説を読んだ段階から「宇宙人の侵略」が戦争のメタファーであることは分かっていたので、そこは重要なテーマでした。ただ、どう扱うかが問題で。「戦争」を漠然と描くのは映画では難しいんですよ。ニュース画面に戦場を映すだけでも、「どこの国がどう闘っているか」を具体的に描写しないと成立しないんです。

でも、だからといっていまの日本を取り巻く現実の国際情勢を鵜呑みにして取り入れたくもなかった。今回はギリギリ「漠然とした戦争」を、映画の芯で描くことができたんじゃないかとは思います。

生者が演じても「この人は死者です」と言った途端、観る人がそれを飲み込んでくれるのが演劇。(前川)

―10月にはイキウメで4度目となる『散歩する侵略者』の公演が控えています。きな臭さを増している日本と近隣国の関係は、上演内容にも影響することがあったりするのでしょうか?

前川:そのことに、あまり気負いは感じていません。むしろ前回、東日本大震災直後の2011年5月の公演よりはやりやすいんじゃないかと思います。劇中に「目の前の現実をちゃんと見つめないと、当たり前の日常が壊れる」というメッセージがあるんですが、その「当たり前の日常」が壊れた直後で、当時日本の多くの人が非日常を生きていた。どう上演すべきか悩ましくて、劇団員とも随分話し合いました。

でもいま、共謀罪の制定だったり改憲を巡る動きがあって、「日本が戦争をする国になるかもしれない」という状況では、よりメッセージが届きやすいだろうと思います。作品そのものをぶつければ、観客に自然に多くのことを問いかけられると思うので、シンプルに提示したいですね。

前川知大

10月に4度目の公演となる『散歩する侵略者』メインビジュアル サイトで見る
10月に4度目の公演となる『散歩する侵略者』メインビジュアル(サイトで見る

―「目に見えぬまま進行する危機が日常を浸食する」という設定は、『散歩する侵略者』に限らず、お二人の創作に共通するものだと思います。もうひとつ、「生死の境界」や「死者の在りよう」といったものが作品のなかに多く描かれていることも共通項かと思うのですが。

前川:僕が黒沢監督の映画に惹かれて影響を受けたのは、死や死者の描き方、独特の「死者表現」によるところが大きいと思います。演劇は過去や死者を描きながらも、いままさに上演が進行しているので、結果的に過去(死者)を甦らせることができるんです。

そんなふうに舞台上で過去と現在を混在させられることが、演劇の面白さだと最近思うんです。それは650年近く前の、能楽の頃から続く舞台表現であって演劇の強みだと思います。生者が演じても「この人は死者です」と言った途端、観る人がそれを飲み込んでくれるのが演劇ですし。

前川知大

黒沢:確かにそれは映画では通用しませんね。

前川:その上で、最近は死者の描き方より、死者に対峙する生者をどう表現するかを考えることが多いです。でも監督の「死者表現」は、そんな暗黙の了解に一切頼らずに、それでいて「幽霊を見るとしたらこういう状況なのではないか」と思わせるような説得力を持っていて非常に怖いんです。

身近な死者は実際に幽霊として現れても、懐かしさや親しさが怖さに勝る気がするんです。(黒沢)

黒沢:世代観もあるかもしれませんが、そもそも僕にとって映画は「怖くて面白いもの」なんです。子供の頃に映画館で観た『大魔神』(1966年公開の特撮時代劇映画)などが典型ですが、家々が壊されて日常では見ることのないような大量の死者がスクリーンに映し出される。それを安全な所から観て楽しむことが、不謹慎ですが僕の映画体験のスタートです。

だから自分で映画を撮るようになったら、日常を撮るだけでは満足できずにごく自然に死や死者を撮る方向へシフトしていったんです。その過程で、「死や死者を描く」ことは映画だけでなく、物語を紡ぐうえで重要なことだと思うようになりました。

黒沢清

黒沢:ただ、年を取ってくると否が応でも、親族や友人など身近に死者が増えていきますよね。かといって目に見えて幽霊が増えるわけではないけれど(笑)。「あの人はいまどうしているんだろう」「この映画を観たらどう言うだろう」などと死者を思う時間は増えています。その点で、以前より死者を身近に感じながら映画を撮っているとは思います。

―意外です。黒沢監督の映画は、初期から一貫して死が近しいところにあると感じていたので。

黒沢:映画を作る過程では死者の描き方に試行錯誤しますが、若い頃は「死を感じる」なんてなかなかできません。それに恐ろしい幽霊や人が残酷に殺されるシーンを撮っているときの現場は、ほのぼのと楽しい雰囲気ですし(笑)。

左から:前川知大、黒沢清

前川:怖がらせるための試行錯誤が楽しいんですね。

黒沢:そうそう。「コレ死者っぽくない?」「怖い怖い、イイねぇ」みたいな会話をしてますから。ホラー映画の場合「幽霊は怖いもの」という大前提があるので、怖くない幽霊を出すのはなかなか認めてもらえない。能のように生者と死者の近しい交感が上手く機能しないんです。

身近な死者は実際に幽霊として現れても、懐かしさや親しさが怖さに勝る気がするんです。そのことを、演劇はもう何百年も前から表現してきたんじゃないでしょうか。映画はそこまで死者に対する理解が進んでいないから、怖さに特化した表現が多いのだと思います。きっと演劇のほうが幽霊や死者の描き方が自由ですよね。

映画は人を消すこと自体は簡単なので、そのぶん物語をどう構築するかが問われる。(黒沢)

前川:演劇の場合は逆に、いかにも幽霊っぽい怖い人が出てくると嘘っぽくなるんです。演劇で本当に観客を怖がらせるためには、死者が死者であることを一瞬忘れるような日常性にまで持ちあげたあと、フッと消す。そんな演出が必要です。消えたあとにはじめて「幽霊だったんだ」と気づいてゾッとするような。

左から:前川知大、黒沢清

黒沢:イキウメの作品で言うと、ドッペルゲンガーを描いた『聖地X』(2015年)ですね。なかで人が暴れている部屋のドアを開けたらそこには誰もいなかったという、トリックはシンプルなのに、本当に人がひとり消えたような生々しさが怖かった。

『聖地X』(2015年)メインビジュアル
『聖地X』(2015年)メインビジュアル

前川:あれは2時間かけて観客に物語のルールを飲み込んでもらえたから、人が消えたことにハッとしてくれたという演劇らしい仕掛けなんです。

黒沢:映画は人を消すこと自体は簡単なので、そのぶん物語をどう構築するかが問われる。大事なのは人が消えたあとの喪失感を、そのあとのドラマでどう生かすか、ということでしょうか。

―8月に前川さんの戯曲を長塚圭史さんが演出する舞台『プレイヤー』では、さらに複雑な生と死の境い目が描かれます。

前川:能を知る遥か前の2006年に書いた『PLAYER』を大幅に改訂しました。俳優が戯曲を声にすることを、レコードを再生するイメージに重ねた「戯曲の言葉が演者を乗っ取る」という設定と、ある死者の記憶を複数の人が共有するネットワークができたときの「死者が現世に再生される」という二重の「再生」を描いています。

舞台『プレイヤー』メインビジュアル 撮影:細野晋司
舞台『プレイヤー』メインビジュアル 撮影:細野晋司

黒沢:面白い世界観ですね。

前川:この『PLAYER』は、明らかに黒沢監督の『回路』の影響下で書いているんですよ。コンピューターやテレビなどのネットワークを介して死者が現れるという『回路』の設定の変奏ですから。

監督に『散歩する侵略者』を撮っていただいたあと、黒沢作品の影響を受けた自分の過去作品をリライトして、自分でも『散歩する侵略者』に4度目に向き合う、という一連の経験は、今後の創作の大きな糧になると思います。

黒沢:映画がどう受け止められるか、僕はまだヒヤヒヤしている最中です(笑)。

左から:前川知大、黒沢清

作品情報
映画『散歩する侵略者』

2017年9月9日(土)から全国公開
監督:黒沢清
脚本:田中幸子、黒沢清
原作:前川知大『散歩する侵略者』(角川文庫)
出演:
長澤まさみ
松田龍平
高杉真宙
恒松祐里
長谷川博己
前田敦子
満島真之介
児嶋一哉
光石研
東出昌大
小泉今日子
笹野高史
ほか
配給:松竹、日活

書籍情報
『散歩する侵略者』文庫版

2017年7月25日(火)発売
著者:前川知大
価格:605円(税込)

発行:角川文庫
公演情報
イキウメ『散歩する侵略者』

作・演出:前川知大
出演:
浜田信也
安井順平
盛隆二
森下創
大窪人衛
内田慈
松岡依都美
栩原楽人
天野はな
板垣雄亮

東京公演
2017年10月27日(金)~11月19日(日)
会場:東京都 三軒茶屋 シアタートラム

大阪公演
2017年11月23日(木・祝)~11月26日(日)
会場:大阪府 ABCホール

福岡公演
2017年12月3日(日)
会場:福岡県 北九州芸術劇場 中劇場

『シアターコクーン・オンレパートリー2017「プレイヤー」』

作:前川知大
演出:長塚圭史
出演:
藤原竜也
仲村トオル
成海璃子
シルビア・グラブ
峯村リエ
高橋努
安井順平
村川絵梨
長井短
本折最強さとし
木場勝己
真飛聖
ほか

2017年8月4日(金)~8月27日(日)
会場:東京都 渋谷 Bunkamuraシアターコクーン

大阪公演
2017年8月31日(木)~9月5日(火)
会場:大阪府 森ノ宮ピロティホール

静岡公演
2017年9月9日(土)、9月10日(日)
会場:静岡県 静岡市民文化会館 中ホール

プロフィール
黒沢清 (くろさわ きよし)

1955年生まれ、兵庫県出身。大学時代から8ミリ映画を撮りはじめ、1983年、『神田川淫乱戦争』で商業映画デビュー。その後、『CURE』(1997年)で世界的な注目を集め、『ニンゲン合格』(1998年)、『大いなる幻影』(1999年)、『カリスマ』(1999年)と話題作が続き、『回路』(2000年)では、第54回カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞。以降も、第56回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された『アカルイミライ』(2002年)、『ドッペルゲンガー』(2002年)、『LOFT ロフト』(2005)、第64回ヴェネチア国際映画祭に正式出品された『叫』(2006年)など国内外から高い評価を受ける。また、『トウキョウソナタ』(2008年)では、第61回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞と第3回アジア・フィルム・アワード作品賞を受賞。テレビドラマ「贖罪」(11/WOWOW)では、第69回ヴェネチア国際映画祭アウト・オブ・コンペティション部門にテレビドラマとして異例の出品を果たしたほか、多くの国際映画祭で上映された。近年の作品に、『リアル~完全なる首長竜の日~』(2012年)、第8回ローマ映画祭最優秀監督賞を受賞した『Seventh Code』(2013年)、第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門監督賞、第33回川喜多賞を受賞した『岸辺の旅』(2014年)、第66回ベルリン国際映画祭に正式出品された『クリーピー 偽りの隣人』(2015年)、オールフランスロケ、外国人キャスト、全編フランス語による海外初進出作品『ダゲレオタイプの女』(2016年)がある。

前川知大 (まえかわ ともひろ)

劇作家・演出家。1974年生まれ、新潟県出身。「イキウメ」を拠点に、脚本と演出を手掛ける。『散歩する侵略者』、『天の敵』、『太陽』、『関数ドミノ』、『プレイヤー』、『片鱗』、『獣の柱』、短篇集『図書館的人生』など、SFやホラー作品を発表。日常に潜む異界を、超常的な世界観で描く。2013年より「カタルシツ」を開始。ドストエフスキーの小説を、抱腹絶倒のひとり芝居に換骨奪胎した『地下室の手記』(2013年、2015年)や、江戸落語(柳家三三)とSF演劇(イキウメ)のコラボレーション『生きてる時間』(2017年)など、劇団の実験室として活動の両輪にしている。ほか、四代目市川猿之助によるスーパー歌舞伎Ⅱ『空ヲ刻ム者-若き仏師の物語-』(14)、『奇ッ怪~小泉八雲から聞いた話』(2009年)、『現代能楽集Ⅵ 奇ッ怪 其ノ弍』(2011年)、『遠野物語・奇ッ怪 其ノ参』(2016年)の脚本・演出、『太陽2068』(14/蜷川幸雄 演出)への脚本提供など。読売演劇大賞(大賞、最優秀演出家賞、作品賞)、芸術選奨新人賞、紀伊國屋演劇賞(個人賞)、読売文学賞(戯曲・シナリオ賞)、鶴屋南北戯曲賞などの演劇賞を受賞。演劇以外ではコミック『リヴィングストン』(片岡人生 漫画)、絵本『くらいところからやってくる』(小林系 絵)の原作、小説『太陽』。『散歩する侵略者』は2007年に、前川自身の手により小説化され、今年7月文庫化(角川文庫)。

イキウメ

作・演出の前川知大が主宰。「普段の生活の中で、不思議だな、と思うことのからくりや答えを、演劇でデッチ上げてみよう」と、2003年に結成。俳優は浜田信也、安井順平、盛隆二、森下創、大窪人衛。SFやホラーなどのジャンルものを舞台表現として取り扱う。『散歩する侵略者』(05、07、11、17)は、「見立てと時間軸の編集」という演劇の醍醐味を満載した、イキウメのエポックメーキングな作品。劇団が歩んでいく節目に改訂を重ね、上演されている。2008年『表と裏と、その向こう』で、第16回読売演劇大賞優秀作品賞。2012年『ミッション』『The Library of Life まとめ*図書館的人生(上)』で、浜田信也が第47回紀伊國屋演劇賞個人賞。2013年『地下室の手記』で安井順平が第21回読売演劇大賞優秀男優賞、前川が優秀演出家賞、優秀作品賞を『片鱗』が受賞する。2016年『太陽』が入江悠監督により映画化(原作・共同脚本 前川知大)されている。



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