人が通り過ぎてしまいそうな身近なモチーフや風景を丹念に表現することで、世界の見え方をゆるやかに変えてしまう人たちがいる。アーティストのMr.と著述家のpha。一風変わった名前を持つこの二人は、これまでの「アートらしさ」や「普通の生活」を相対化することで、社会のなかにそんな新しい視点を作ってきた実践者だ。
アーティスト・村上隆の一番弟子でもあるMr.は、美大受験失敗後の葛藤のなか、まだアートの対象と認知されていなかったアニメキャラクターや、雑然とした自室を作品に昇華。いまや世界的な表現者となった。一方phaは、京都大学卒業後に就職するも、型通りの就業生活に馴染めず退職。シェアハウス「ギークハウス」を立ち上げつつ、収入にも場所にも常識にもとらわれない、新たな生き方を綴ったエッセイで人気を得ている。
今回、現在開催中の『ヨコハマトリエンナーレ2017』へのMr.の参加を機に、そんな両者の対談を行った。「島と星座とガラパゴス」がテーマの同祭では、現代の「孤立」と「接続性」が見せる想像力に焦点が当てられている。身辺の世界から未知の価値観を築いてきた二人は、どのようにいまに至ったのか。彼らの歩みから見えるものとは?
アート観光で有名な直島に行ったこともあるんですけど、美術館は見なかった(笑)。(pha)
―はじめに、phaさんが現在どんな生活を送られているのか、お聞きできますか?
pha:シェアハウスに住み、毎日、好きな時間に好きなことをしている生活です。最近は執筆などでけっこう忙しいんですが、基本的には同居人とゲームしたり、漫画を読んだり、そんな感じでウダウダしています。
28歳まで会社に勤めていたんですが、毎日、同じ場所に通う生活ができず、退職して上京して、この生活ももう10年です。世間的には認められないかもしれないけど、僕にはこれが「普通」の生活なんです。
―普段はあまり、アートを見られないそうですね。
pha:そうですね。島そのものに興味があって、アート観光で有名な直島に行ったこともあるんですけど、美術館は見なかった(笑)。でも、誘われて見に行くと、好きな作品もあるんです。実際、Mr.さんは好きで、知っていました。
というのも、一度ギークハウスで「カオス*ラウンジ」というグループの展示に誘ってもらったことがあって。それは会場で、みんなでいつも通り寝転んでパソコンをいじるものだったのですが、見た人からMr.さんの名前を聞いたんです。それで調べてみると、「なるほどな」と。
Mr.:僕もそのころですよ、ギークハウスの存在を知ったのは。
『「誰も死なない」の世界展』カイカイキキギャラリー 2008年 撮影:Mie Morimoto ©2008 Mr. / Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.
pha:いまの家もそうですけど、僕はごちゃごちゃした部屋が好きなんです。むしろ綺麗な部屋は落ち着かない。散らかった部屋がかっこよくて、Mr.さんの作品もいいなと思いました。
10代のころはヤンキーとオタクのハイブリッドでした。(Mr.)
―Mr.さんが自室をモチーフにされたきっかけは、なんだったのでしょうか?
Mr.:なんでしょう、自分大好きなのかも、結局は(笑)。昔はオタクであることがすごく恥ずかしかったんです。でも、アートをやりだしてから、「待てよ、逆にかっこいいかもしれない」と考えはじめて。恥ずかしい部分を出していこうと思った。もともと、実家がゴミ屋敷みたいでしたから。床から30センチくらいまでゴミ、という環境で。
―10代のころはヤンキーだったそうですが、そのころからオタクの性質はあったんですか?
Mr.:ヤンキーとオタクのハイブリッドでした。当時はヤンキー文化の最盛期で、弱々しいといじめられる小さな社会があった。それで暴走族の下っ端をしていたけど、一方で放送中のアニメは片っ端から見ていました。
あと、大きかったのは受験の失敗かもしれない。周囲が東京藝術大学などに受かって、自分だけ置いていかれたような挫折感がすごかった。それで専門学校に通い、しばらくして村上隆さんの手伝いをはじめたんですが、同時に趣味に突き進んで、コミケでエロ漫画を買うようにもなった。
ある日、村上さんに「エロ漫画ばかり見ている」とその束を持って行くと、「よくわからんけど、これでいけばいいんじゃない?」と。そこから、いまにつながる作品をはじめました。
pha:村上さんは厳しそうですが、居場所を見つけたような気持ちだったんでしょうか?
Mr.:まだ村上さんも貧乏で、スタッフも1人や2人でした。まさかここまで有名になるとは思っていなかったけど、僕には「これからの人だ」という直感があった。だからなんとか手伝えていたし、この場所でひたすら続けてみようという気持ちになりました。初期のころは、レシートの裏に小さくロリコンキャラを水彩画で描いていたんです。
pha:レシートですか?
『大江戸くノ一忍法帳帖』シリーズより 1997年 ©1997 Mr./Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.
Mr.:綺麗な紙ではなく、どんどん蓄積される自分の足跡みたいで、日にちも刻まれるのがすごくいいなと思ったんです。当時僕は、アニメキャラの一方で、ゴミを拾ってきて作品を作ってもいた。これは、自分のなかでブームだった「アルテ・ポーヴェラ」というイタリアの芸術運動の影響でもあります。
この運動は、「貧しい芸術」という意味のとおり、芸術の素材とは思われていなかったその辺の鉄板や新聞紙、馬、石なんかで作品を作るものだった。作家たちが実際に貧しかったという理由もあるけど、僕にはそこに日本とイタリアが同じ「敗戦国」だという背景もある気がして、身近に感じたんです。アニメやゴミといったものが絡み合って、徐々に自分の表現のかたちが見えてきました。
やっていることは、表現というより生きるための行動なんです。(pha)
―他方でphaさんの文章には、身近な風景や行為の記述を文学にもつながるような良質な読み物に変えてしまう、視点の圧倒的な面白さがあります。単に新しい生き方を探すだけではなく、それを文章にしたい欲望があったんでしょうか?
pha:それはありますね。僕は飽きっぽくて、書くとひと段落して次に進める感覚があるんです。たとえば牛丼屋の楽しみ方だったり、散歩のときに履いている靴によって風景が変わるとか、日々の行為のなかで気になることが出てくる。
それを誰かにも教えたくなるし、書いて自分で納得したくなる。アートもそうですが、日常を外化したいという欲望は面白いですよね。それは表現というより、生きるための行動なんです。
―社会学者の見田宗介がお好きだそうですが、分析癖にはその影響もありますか? たとえば著書『ひきこもらない』では、チェーン店が並ぶ「どこにでもあるような街」を好んで旅する過程も描かれていますが、語り口にはそう感じさせるところがあります。
pha:見田さんの影響はあるかもしれないですね。交換可能な街に行って、「どこも同じだ」と思うのが好きなんです。こういう特徴のない、システム化された街にみんな住んでいるんだと。そこで自分を客観的に、メタ的に見るのが好きですね。
見田さんも、認識を変えれば世界が変わることを書いてきた人ですが、僕も近い世界観で生きている。メタな視点の大切さは、それによって心が少し楽になることもあると思う。僕はよく「全部どうでもいい」みたいな書き方をしますが、そうやって現実との距離ができると、むしろお金がなくても面白いものはいっぱい見えてくる。「働いている場合じゃないな」と思いますね(笑)。
Mr.:(笑)。僕のスタジオは埼玉にあるんですが、振り返ると、制作において環境から積極的に受けている影響はあまりない気がします。埼玉に住んでいる理由はない。というか例外もありますけど、本当に海も特産品も特徴もない場所なんですよ、埼玉って。
pha:僕からすると、理想ですけど(笑)。
Mr.:結果的にコンビニとか、どこにでもあるものを描くことになる。日本を売り出そうという気持ちはあまりないんですけど、商品を丁寧に描き込んだコンビニの絵などは、海外で人気が高いです。
近年、とくに東アジアだと、どの国でもコンビニはあるので、風景が均一化してますが、アニメだけはまだ日本のオリジナリティーだと思う。僕がPVを作らせていただいたファレル・ウィリアムスさんにも、そうした面を面白がってもらった。
Mr.:住む環境について言うと、むしろ最近は、地元の関西に戻りたいという気持ちがあります。兵庫県の加東市が地元なんですが、懐かしいなと。それで最近は、国内の旅番組ばかり見ています(笑)。埼玉で特別なことというと、村上さんのスタッフが来てよく飲み会をやるんで、それに参加するくらいで。基本的に、僕はひとりでいたいんです。
pha:でも、なんとなく集まれる機会があるのはいいですね。僕がシェアハウスを作ったのも、そんなゆるい場所が欲しかったから。いま台東区に住んでいるんですが、近所に家をいっぱい作り、ひとつの街というか拠点を作りたいと考えていて。それが生活の豊かさや、なにかが生まれることにつながる気はする。それはけっこう意識しています。
ある種の縛りから、わかり合えることもあると思うんです。(Mr.)
―「つながっていたい」と「ひきこもっていたい」という気分の同居は、phaさんの活動に特徴的なものだと思います。そこに、SNS文化からの刺激はありますか?
pha:いまの活動は、ネットなしではできなかったと思います。つながろうと思えばいつでもつながれるし、ただ見ていることもできる。だいぶ生きやすくなりました。
そもそも会社を辞めたとき、大して不安はなかったけど、「普通」とは呼ばれない生き方をしている人がこんなにいると可視化してくれたのがSNSだった。古本のせどりだけで生活している人がいるんだとか(笑)、そんなことが見えて勇気づけられた。でもオンラインだけでは満足できなくて、それがシェアハウスを作った動機でもありますね。
―最近では、アート界隈でもネットを介した運動体が多く見られます。
pha:僕にとってシェアハウスは表現ではなく、むしろ学生時代に経験した寮文化の再現のようなものですが、それが結果的にアートの文脈と似てくるのは面白いですよね。
Mr.:僕もネット上の若いアーティストの交流はチラチラ見ますが、善かれ悪しかれ、同じコミュニティーでも、村上さんの組織とは違うなと感じます。というのも、最近の若い人は横のつながりを大事にする。その重要性はよくわかるんですが、村上さんの場合は縦の関係が強固にあって、そこでしかきちんとしたものは成立しないとされていた。いまの環境からは、村上さんのような人はなかなか出てこないのでは、と思います。
pha:ギークハウスの住人もフラットな関係なのですが、たしかに縦の関係というか、集まるときの目的意識はあった方がいいなと思うこともあります。そちらの方がコミュニケーションはとりやすいし、一緒にやることがないと結局バラバラになってしまう。
Mr.:ある種の縛りから、わかり合えることもあると思うんです。でも、それを自分でできるかというと別の話で……。4人スタッフを雇っているんですが、「家じゃないと寝られない」という子や、「展覧会のオープニングに行くのは仕事ですか?」と聞いてくる子たちなんです(笑)。
僕はそれに無理強いすることができないし、したら誰もついてこないでしょう。その意味で、若い人の性質も変わって来ているし、僕自身は昔わりとガツガツしたタイプでしたが、最近は少しずつ考え方が変わってきましたね。
「成功」とか「売れる」とか、アートにとって正しいことではないと思うんです。(Mr.)
―Mr.さんの近年の考え方の変化とは、どのようなものですか?
Mr.:僕には1歳上の兄貴がいるんですが、ほぼ働いたことがなくて、初代ニートみたいな人なんです。その兄貴が昔は好きじゃなかった。働かない意味がわからんと。でも、当時は時代が成長期だったから、そう思ったんじゃないか。
逆にいまの環境で、若い人は大きな目的をなかなか持ちにくい。彼らに対して、「でかい目標を持つべき」と言う筋合いはまるでないなと思いはじめて。すると兄貴の生き方も許せるようになったんですね。
pha:僕も若い人と触れる機会は多いですが、ガツガツしていない人が多いですね。でも僕もやりたいことはなかったし、みんなも好きに生きればいいのに、と思う。
Mr.:そうした姿勢から考えさせられることもあって。たとえば、Twitterなんかにアニメ絵とアートの中間みたいな個人的な絵を載せている人がたくさんいて、僕はそれをわりとフォローしているんです。彼らを年長者が見ると、ふと「10年後にそれで食っていけるのか」と思いがちだけど、僕は、辞めたら辞めたでいいと思う。
アートは本来、美術館に作品が収められるという理想があって、それが成功かどうかの基準だったと思うんですけど、じゃあ、若い人たちはそこに向けて売ることを目標にすべきなのか? 辞めてしまうのが悪いのか? 彼らを見ると、そんな価値観をすごく考えさせられる。
pha:Mr.さんが若いころにネットがあったら、絵をネットにあげていましたか?
Mr.:あげていたと思いますね。それにネットがあったら、当時あんな孤独じゃなかった気がする。孤立した環境で誰にも見てもらえないと、どんどんやる気がなくなるんです。
いまネットで絵を描いている子が数年後にお母さんになって、描くことをやめていてもぜんぜんいいなと。「成功」とか「売れる」とか、アートにとって正しいことではないと思うんです。
pha:僕も最近、シェアハウスに集まる若者にアルバイトを紹介することがあるんです。若い人の悩みはさまざまですけど、「会社に行けない=普通じゃない」みたいに思い込んで悩む人も多い。でも、そうじゃないよと。僕も先行世代に救われてきたので、自分も少しずつだけど、生きづらい若い人を受容できる場所が作れたら、と思いますね。
好きなことをやっていると、勝手に勇気づけられる人が出てくる。(pha)
―今回のMr.さんの出品作品について聞かせてください。Mr.さんは近年、シアトル・アジア美術館での個展や銀座の『GUCCI 4 ROOMS』の展示などで、震災の影響を思わせる黙示録的な作品を作られました。今回のインスタレーションもその延長にあるものですか?
Mr.:実害があったわけではないけど、震災後はだいぶ不安定でした。シアトルの展示にはその不安定な部分がわりと影響していて、またゴミ集めをはじめて、日本から送ったそれらだけを寄せ集めて10メートル近い「芋虫」を作った。この芋虫は、カフカの『変身』から着想を得たもので、成虫になれず、繭に閉じこもっている幼虫に日本を重ねるものでした。
『Live On: Mr.’s Japanese Neo-Pop』シアトル美術館 2014年 撮影:Joshua White ©2014 Mr. / Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.
Mr.:その意味では、ヨコトリのテーマの「ガラパゴス」にも似ているかもしれないですね。ただ、今回はインスタレーションを見せるというより、ドローイングなどの単独作品も多く持ち込んで、一点ずつじっくり見られるような構成を目指しました。
Mr.(ミスター)『ごめんなさい』展示風景 Photo:TANAKA Yuichiro ©2017 Mr. / Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved. 写真提供:横浜トリエンナーレ組織委員会
『ヨコハマトリエンナーレ2017』でのMr.の展示作品を実際に観る二人
―会場では、それこそコンビニや公園、夕暮れの書き割りのような写真を背景に、初期作品も含むフィギュアやドローイングが並び、いくつもの風景が現れています。
pha:展示を拝見して、ふだん自分が散歩しているときの感覚も想起しました。あらためて感じたのは、風景のなかにいる女の子のキャラクターの面白さです。僕には、彼女たちがMr.さんの分身のようにも見える。Mr.さんの心のなかにも、この子たちがいるんだろうなと。彼女たちがいることで、なんでもない風景がとても魅力的に見えてくる。
Mr.:たしかに描いているとき、この子たちになりたいという気持ちがありますね。
pha:それはどこか、さっき言ったメタ的な主体のあり方ともつながっている気がして。風景のなかにキャラがいることで、その場所が現実でも架空でもあるような、独特の雰囲気を帯びていると感じたんです。それは自分が書くものとも共通している気がして。
つくづく思うのは、べつに誰かを勇気付けようとか、世界の見方を変えようとか思って活動していなくても、自分の好きなことをやっていると、勝手に勇気づけられる人が出てくるということ。Mr.さんの作品も同様で、今日はそれを体験できました。
Mr.:好きなことをやっているかどうか、まさにそうですよね。僕は、人間にとってヌルさやユルさはけっこう大事だと思っていて、孤立したとき、ほかのアーティストの自由な活動を見て、勇気付けられたり世界が広がったりすることがある。アーティストには「成功」とは別にそうした側面があるし、自分もそんな作品を作っていきたいですね。
- イベント情報
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- 『ヨコハマトリエンナーレ2017』
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2017年8月4日(金)~11月5日(日)
会場:神奈川県 横浜美術館、横浜赤レンガ倉庫1号館、横浜市開港記念会館 地下
時間:10:00~18:00(10月27日~10月29日、11月2日~11月4日は20:30まで、最終入場は閉場の30分前まで)
参加アーティスト:
アイ・ウェイウェイ
ブルームバーグ&チャナリン
マウリツィオ・カテラン
ドン・ユアン
サム・デュラント
オラファー・エリアソン
アレックス・ハートリー
畠山直哉
カールステン・ヘラー、トビアス・レーベルガー、アンリ・サラ&リクリット・ティラヴァーニャ
ジェニー・ホルツァー
クリスチャン・ヤンコフスキー
川久保ジョイ
風間サチコ
ラグナル・キャルタンソン
MAP Office
プラバヴァティ・メッパイル
小沢剛
ケイティ・パターソン
パオラ・ピヴィ
キャシー・プレンダーガスト
ロブ・プルイット
ワエル・シャウキー
シュシ・スライマン
The Propeller Group、トゥアン・アンドリュー・グエン
宇治野宗輝
柳幸典
青山悟
ジョコ・アヴィアント
イアン・チェン
マーク・フスティニアー二
木下晋
小西紀行
Mr.
アン・サマット
瀬尾夏美
照沼敦朗
タチアナ・トゥルヴェ
ザオ・ザオ
『Don't Follow the Wind』
- プロフィール
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- Mr. (みすたー)
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村上隆の弟子として約20年、共に歩んで来た作家。画風は今現在の日本の住宅地の中にいるかわいい少女をアニメ風、ゲームキャラクター風に描く事に集中し続けている。アニメっぽい絵でキャンヴァスや紙にペィンティングやドゥローイングを描いていいんだ、、、とMr.の存在自体が免罪符となって、pixiv等のソーシャルネットワークの中で、Mr.のフォロワー作家が急増中。Mr.以前にはこうした作家は存在しなかった。最近日本で出現したカオス*ラウンジの展示方法等Mr.が開発したフォーム、「汚い自分の部屋の中に作品が転がってる」に強い影響を受けている。マイナーな、存在だった彼が、いまや、メジャーシーンへと飛び出して来ている。
- プロフィール
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- pha (ふぁ)
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1978年生まれ。小さい頃から労働意欲に欠け、京都大学を卒業して適当な会社に入社するも3年で辞め、以降ふらふらと定職に就かずにシェアハウスで暮らしている。著書に『持たない幸福論』『しないことリスト』『ひきこもらない』などがある。
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