「やっぱりキセルは特別だ」――辻村豪文と辻村友晴による兄弟ユニット、キセルのニューアルバム『The Blue Hour』の帯には、こんな一文が添えられている。もうすぐ結成19年、「カクバリズム」に移籍してからも11年が経過し、「音楽シーンの良心」ばかり所属する同レーベルにおいても、存在感を放ってきた。
3年ぶりとなる本作は、「最新作こそが最高傑作」という安易なクリシェで片づけるべきではない、実り多き変化を遂げた一枚だ。代名詞であるリズムボックスの代わりに「ヒップホップ的」とも言える生ドラムを導入し、フルートやサックスが奏でる茫洋としたトーンが兄弟の歌にメロウな新味を添えている。音はこれまでになくサイケデリックとはいえ、感傷的な気分にさせられる歌詞もあいまって、やっぱりキセルの音楽だと思い知らされる。
そもそも、「キセルらしさ」とはなんだろうか? その説明しづらい魅力を掘り下げるため、結成時から近年までのルーツを二人にたっぷり語ってもらうことにした。国内外の音楽や書籍にラジオと、一見バラバラにも映る参照点を結ぶことで、キセルという不思議なバンドの実像と現在進行形を浮かび上がらせてみたい。
自分が思う「すごい人たち」として、細野晴臣さんや大瀧詠一さんの世代の人たちがいて、世代は違うけど同じような感じで山本精一さんや坂本慎太郎さんが星座みたいにいてはる感じです(豪文)。
—『近未来』(2002年)のリリース時に細野晴臣さんが「この世に音楽は溢れてるけど、キセルは特別だ!」とコメントを寄せていらっしゃっていて、たしかにキセルは、ずっと「特別」な存在として捉えられ続けていると思うんです。今回は、その「特別さ」や「キセルらしさ」の正体を探るためにお話を伺いたいのですが、そもそもキセル結成時には、どういう音楽をやろうと思っていたんですか?
豪文:最初は僕のソロの延長だったんです。友晴くんも高校の文化祭とかで歌ったりしていて、当時はなんかモテてて。デモテープ作るの手伝ったりして。もともと一人でやっていくつもりはなかったし、一緒にやろうかって。「弟が歌ったら売れるかなぁ」くらいにしかその頃は考えてなかったんですけどね(笑)。
—当時のキセルにとって大きかった音楽というと?
豪文:やっぱり僕は、はっぴいえんどですね。友晴くんはサニーデイ・サービスとか。あと一緒にロン・セクスミスはよく聴いていて、そのせいもあってMitchell Froom & Tchad Blakeのような、歌モノなんだけど生ドラムをブレイクビーツっぽく加工したものとか、そういう音楽を参考にしつつ日本語でしっくり来る感じをやりたいと漠然とですが思ってました。
—はっぴいえんどというと、カバーアルバム『Songs Are On My Side』(2015年発表のライブ会場限定作品)でも、細野晴臣さんの“終わりの季節”(1973年)を取り上げていましたよね。この作品は、カクバリズムのサイト上でも「キセルの真髄が見える」というふうに評されていましたけど、選曲はどのようにされたんですか?
豪文:もともとライブとかでカバーさせてもらっていた曲と、この機会にやりたいと思った曲が半々くらいですね。ついつい普通に弾き語りっぽくなりがちなので、どういう形にすれば意味のあるカバーになるかなと模索してました。
—たしかにザ・フォーク・クルセダーズの“悲しくてやりきれない”(1968年)のカバーは、フィールドレコーディングされた鳥の鳴き声が入っていたり、原曲よりも悲しいムードが強調されている印象です。
豪文:悲しさを増強したら明るくならないかなと思ったんですけど、ますます悲しくなりましたね(笑)。
—ゆらゆら帝国の“ひとりぼっちの人工衛星”(2007年)は、どうして取り上げようと思ったんですか?
豪文:こんなことを言うのもおこがましいんですけど、最初にこの曲を聴いたときに、ただ好きっていうのもありつつ他人事じゃないっていう感じが勝手にして、いつかカバーしたいって思ってたんです。
—この曲は豪文さんにとって、音楽のひとつの理想形だと。
豪文:当時やりたいなって思ってた感じが目の前にあるって感じでした。でも自分がやれることより次元が全然上やなぁとも思ったり。
—今回の『The Blue Hour』を聴きながら、個人的に連想した音楽のひとつが坂本慎太郎さんによる一連のソロ作でした。
豪文:真似事になってないといいですけど。絶対真似できひんし。坂本慎太郎さんのソロはすごく好きです。ゆらゆら帝国もずっと好きで、ああいう音楽を、日本語の余白の情報量がめっちゃ豊かな感じで聴けるのがありがたいし、ほんま楽しいなぁって思いながら聴いていました。自分が思う「すごい人たち」として、細野晴臣さんや大瀧詠一さんの世代の人たちがいて、世代は違うけど同じような感じで、山本精一さんや坂本さんが星座みたいにいてはるって感じなんです。
グユン・イ・ス・グルーポの陰がありつつもメロウな感じがすごく好きで。(友晴)
—取材にあたって『明るい幻』(2014年)と『The Blue Hour』の制作時に、お二人が入れ込んでいた作品を選んできてもらいました。まず、『明るい幻』のほうから話を聞かせてください。
豪文:ずっと聴いているから『明るい幻』のときだけというわけではないですけど、カエターノ・ヴェローゾ(ブラジリアンポピュラーミュージックの代表的アーティスト)がBanda Cêっていう自分の息子世代のミュージシャンたちとバンド組んで作った3部作はどれも好きです。あえて1枚に絞るなら『Abraçaço』(2011年)かな。『明るい幻』のなかだと特に“そこにいる”は影響を受けています。
—具体的にはどんなところがお好きですか?
豪文:ペドロ・サーのギターが高校でメタルやってたときくらい、ギターキッズ的な感じで「うわーっ」てなるんです。あとは弾き語りで成り立つものをバンドで解体して、仕上がりは変なオルタナティブロックっぽくなってるその感じにもグッときます。
70歳くらいのカエターノと(ギタリストの)ベドロ・サーが40歳過ぎで、他のメンバーはもっと若くて、そういうメンバーでブラジル音楽の伝統的な部分とオルタナティブな部分が合わさったハイブリッドな新しいものを作っているところもすごいと思います。
—次は友晴さんからお願いします。
友晴:二人で共通して聴いていたものなんですけど、フランシス・ベベイというカメルーンのシンガーソングライターの『African Electronic Music 1975-1982』(2011年)ですね。
友晴:あと、個人的によく聴いていたのは、「フィーリン」というキューバ音楽の創始者のグユン・イ・ス・グルーポ。陰がありつつもメロウな感じがすごく好きで、コードとかは全然わかんないんですけど、曲のテンションを参考にしたりしました。
豪文:僕からもうひとつ。Milton Nascimento & Lo Borgesの『Clube Da Esquina』(1972年)は、『明るい幻』の曲を作っているときにずっと聴いていました。“声だけ聴こえる”はそこからコードを取ってできた曲ですね。
—『Clube Da Esquina』は「街角クラブ」という邦題で、当時のブラジル・ミナス地方の音楽シーンを象徴する名盤ですよね。『明るい幻』には“ミナスの夢”という曲もありましたし、カエターノ然り、近年のキセルはブラジル音楽の影響がやっぱり大きいんですね。
豪文:もともと好きだったんですけど、これま全然消化できていなかったんです。でも昔から影響は受けている音楽ですね。
意見が180度違ったとしても、話せない限り人と人の溝が深まるだけじゃないですか?(豪文)
—歌詞や言葉の面で影響を受けたものはありますか?
豪文:それでいうと、赤坂真理さんの『愛と暴力の戦後とその後』(2014年)っていう本ですね。『明るい幻』は歌詞を書くのに時間がかかった作品なんですけど、この本を徹夜で読んだのがいいきっかけになって。読んだあとにスポンと栓が抜けたような気がしたんですよ。
—たしか、前回のCINRA.NETのインタビューでは、世の中の動きを意識する割合が大きかったとおっしゃっていましたよね(キセルインタビュー 「明るい場所」はどこにある?)。
豪文:そうですね。赤坂さんは1960年代生まれの方なんですけど、確か中学・高校とずっとアメリカにいらっしゃった経験もあって、今の日本という国のアイデンティティーをちょっと引いた視点から、ロジカルかつ、すごく情緒的に書かれていて。その感じが、そのときの自分がモヤモヤしていたところにかなりハマったんです。曲にしたいけど、どう歌詞に落としこめばいいかわからなかった自分に、ヒントみたいなものをくれたような気がします。
—そのときはどういった部分でモヤモヤしていたんですか?
豪文:僕らが生まれ育った京都の宇治市は、今やと「自虐史観」(太平洋戦争後の日本の社会や歴史学界、教育界における特定の歴史観を批判・否定的に評価する言葉)とか言われるようなものに基づいた教育に割と熱心だった土地柄で。戦争に関する話を絵本で読んだり、親に連れられてそういう映画を見たりしたのと物心つくタイミングが重なっていて。とにかく怖かったですけど(笑)。
でも、今はそういう普通に学校で習ったはずの歴史を覆そうとする動きがテレビとか電車の中吊りとかに普通にあるのが信じられなくて。高校生のときに、初めてそういう論旨の本をたまたま読んだんですけど、ものすごく違和感があったんです。自分の幼少期を否定されているような感じがして。個人的な情緒の部分で反応してしまうというか。たとえ上辺だけでも、過去の教訓から日本は民主、平和主義ですって物語は子供心にめちゃ馴染んでたので。戦後、「はい、今日からはデモクラシーです!」ってやったみたいに、「また変えんの?」って。
—前回の記事では、2011年の東日本大震災以降、自分たちの「足場」となるようなものがグラグラしてくる感覚があったとおっしゃっていました。
豪文:そうですね。意見が180度違ったとして、問題をもっと自分に近づけて、自分のこととして考えることが大事だと思うんです。実際どっちに転ぶかわからないことでもあるし、話せない限りは人と人の溝が深まるだけじゃないですか? 自分一人でどうこうできる話ではないんですけど、ただ一個人としては「自分のこととして考えないとな」とすごく思います。
J Dillaに、箱庭感というか盆栽感を感じるんです。(豪文)
—次は、新作『The Blue Hour』の制作中に入れ込んでいた作品について伺おうと思うんですけど、その前にこのアルバムタイトルにはどんな由来があるのでしょう?
豪文: 1曲目の“富士と夕闇”のイメージもありつつ、アルバム全体も包めるようなタイトルがいいなと思っていて。夜明け前や日没後の境界的な時間帯で、かつ「Blue」には憂鬱って意味もあるし。北欧のほうでは極夜のときの一番明るい時間帯の意味らしいんです。
豪文:この曲は夕闇と富士山をモチーフにしていますけど、アルバム全体としては一日のなかで来し方、行く末をなるべく長いタイムスパンで重ねてくような作品にしたくて。だからタイトルには時間を入れたかったんです。
キセル『The Blue Hour』ジャケット(Amazonで見る)
—なるほど。ではまた一作ずつ挙げてもらえますか。
豪文:野坂昭如さんの『鬱と躁』(1972年)をよく聴いていました。めちゃくちゃいいアルバムで、曲間の話も面白いし、曲も歌もすごくよくて。
—『鬱と躁』というタイトルもそうですけど、収録曲の“マリリン・モンロー・ノー・リターン”にある、<この世はもうじき おしまいだ 歩き疲れて西のはて まっかなまっかな 陽が沈む>というサビの一節は、『The Blue Hour』のムードと重なるところがある気がします。
豪文:よくわからないところから、謎の開き直ったような元気が出てくるので、気分に合っていてよく聴いてました。あと『明るい幻』を作ったときに(エンジニアの)内田直之さんに教えてもらったJ Dillaの『Welcome 2 Detroit』。あとラップのないやつ(『The King Of Beats』)もよく聴いていました。
—J Dillaはここ数年、ceroの『Obscure Ride』や現代ジャズへの影響などもあって、日本でも再評価されてきた印象ですが、キセルの音楽とは直接結びつかないので少し意外です。
豪文:自分のなかでは、勝手に箱庭感というか盆栽感を感じるんですよね。今、長野の松本に住んでいるんですけど、向こうに引っ越してからも畦道とかで聴いていて、稲穂が揺れる感じと合ってたりしていて楽しいです。
—面白いですね。松本に引っ越してどれくらいになるんですか?
豪文:半年強くらいです。今回の制作の後半の追い込みは松本に越してからでした。今住んでるところは市街地から歩いて1時間くらいのところで、周りは田んぼが多くて人の家も割とまばらだから音も気兼ねなく出せるし、越してまだ日は浅いけどいろいろ刺激も受けながら作業してた気がします。
山登りって先導する人だけではなく、その後ろでみんなの無事を見守る人のほうが大事やって話を聞いて。(豪文)
—友晴さんはいかがですか?
友晴:今、キセルで3年くらいラジオをやっているんですけど(α-STATION FM-KYOTOの『FLAG RADIO』で奇数月の火曜を担当)、ポール・マッカートニーの『McCartney II』(1980年)を兄さんがかけていたのがすごくよくて、今さら買ってよく聴いていますね。
—『McCartney II』はポールが当時のニューウェイブを意識して作った作品で、宅録ならではの質感や打ち込みの使い方が絶妙ですよね。それこそ坂本慎太郎さんも過去にお気に入りに挙げていた作品です。
友晴:アルバム全部を通して聴けるものってあんまりないんですけど、すごいバランス感覚ですよね。あと、エドゥアルド・マテオ(ウルグアイのポピュラー音楽を代表する音楽家)の『Cuerpo Y Alma』(1984年)も歌の抑揚のない感じが好きでよく聴いていました。
—今作にも音楽以外の影響源はありますか?
豪文:『ラジオデイズ』という平川克美さんがやっているダウンロードサイトがあって。『明るい幻』を作ったあとからから聴きだしたんですけど、内田樹さんや小田嶋隆さんとの毎月の対談とかいろんな企画があって、いつも楽しみにしています。大瀧詠一さんを囲む会みたいなのが無料で聴けたりして、めちゃくちゃ面白くておすすめです。
—『The Blue Hour』に影響を与えたという意味で、印象的だった回はありますか?
豪文:平川さんと鷲田清一さんという朝日新聞で「折々のことば」を連載している方との『しんがりの哲学』っていう対談はすごく印象に残ってます。“山をくだる”という曲はその印象を基にできた感じです。ただ山をくだってく曲とかあっても面白いんちゃうかなって。
ラジオデイズ『しんがりの哲学』を聴く(サイトを開く)
豪文:山登りって先導する人よりも、むしろその後ろでみんなの無事を見守る人のほうが大事やって話をされてて。これからの世の中にはそんな人こそが必要やって話だったんですけど、すごく面白くて。平川さんは人口動態や家族制度の見地から、少子化など明るい要素があまりなさそうなテーマでも希望ある提案をしていく話し方をされていて、なんていうかしっくりくることが多いです。
ストレートに表現するわけじゃないけど、なんか奥のほうで言ってるみたいなのが好きなんやと思います。(豪文)
—“君を待つあいだに”には、<季節が巡れば 忘れてしまうけど 起こってしまえば 二度とは戻せない>という一節もあるように、今回の『The Blue Hour』は世相を反映しつつ、これまでの作品よりもシリアスな部分もあるように感じました。実際のところはどうでしたか?
豪文:そこまで意識が変わったわけではないです。『近未来』(2002年)とか『窓に地球』(2004年)の頃もそういう曲は作っていたし、“エノラ・ゲイ”も今もライブでよくやってますが、大袈裟なのは苦手なので個人的な感じで。
—「エノラ・ゲイ」は、広島に原子爆弾を投下した爆撃機の機名で、歌詞もそれを思わせる内容になっています。
豪文:ストレートに表現するわけじゃないけど、なんか奥のほうで言ってるみたいなのが好きなんやと思います。そのあたりは昔と今でそんなに変わってない気がします。
ただ東日本大震災が起きてから、やっぱり今までどおりに行かないとこは少なからずあると思っていて。世の中的にも、震災以前は無視できた部分に否が応にも向き合わざるを得ない状況に、本当はなってるはずやと思うんですよね。
キセル『The Blue Hour』より“君を待つあいだに”を聴く(SoundCloudを開く)
—たしかに、政治や歴史だけじゃなく、これまで見て見ぬふりをしてきたことに向き合わされている感覚というのはわかる気がします。
豪文:だから『明るい幻』のときは、自分たちがどんな曲を楽しめるかやっぱり悩んだんですよね。『The Blue Hour』もそういう制作上の悩みの延長線上にありますけど、自分にとってはその状態がもう普通で。むしろ陽気な感じに捉えられたほうがいいなって思うところもあって、今作はサウンド自体は割とダンサブルでもあるし。
—近年のキセルは、ファンク色が強くなってきている印象です。
豪文:もともとリズムが好きで、歌やメロディーとうまく組み合わせたいというのは、初期の頃からずっと意識してたことでもあるんです。あと今作でファンキーさが増したのは、同じバンドメンバーでずっとやってきたのが大きいと思います。今回は曲の作り方を少し意識して変えたところもあったんですが。
豪文:今作では、メロディーを弾き語りだけでは物足りないと思うくらいで完結させて、なるべく吹き抜けある感じでサウンド的に楽しめるものにしようっていうのがあって。そんな感じで、最近のライブで一緒にやっているドラムの北山ゆうこさんと、フルート / サックスの加藤雄一郎さんにもレコーディングに参加してもらい、バンド編成で制作することにしたんです。
キセルのメンバーは二人ですけど、任せられるところは他の人に任せて、そうすることで風通しのよさを出ればいいなって。歌詞も明るい感じではないから、そこでバランスが取れればと。
「変わってないね」と言われるのは進化してるってことやと思う。(友晴)
—サウンド的には、どんなアルバムにしようと意識していました?
豪文:できた曲が割と似たような感じの曲が多かったこともあって、「アレンジで味づけしてデコボコさせていこう」と友晴くんとは話していました。いつもはそれぞれ毛色が違う曲をキセル風にまとめるやり方だったんですけど、今回は全曲ベーシックは同じメンバーでバンドっぽく録音するのが前提にあったので、サウンド的にも統一感のあるものになればなと思っていました。
友晴:あとは、もう少し掘り下げたものにしたいという話をしていましたね。キセルのライブで歌っているときの自分を客観的に受け入れたり、僕らの身の丈に合っているのかを考えつつ作ったつもりです。
キセル『The Blue Hour』より“一回お休み”を聴く(SoundCloudを開く)
—そういったところは最初の頃と比べて変化した部分だと言えますか?
豪文:そうですね。ライブをやってる感じでお任せしつつ、一緒に録るというのは今まであんまりなくて大きな変化だと思います。最初の頃はライブで再現することは考えていなかったし、技量や知識が足りなかったというのもありますが、カセットMTRのなかで成立していた音楽だったので。昔の音源を聴くと結局根本は変わってないなぁって思うんですけど、久しぶりに聴き返すと思ってたのと違ったりして面白いです。
—キセルはいつだって最高ですけど、いろいろな変化やインプットがあったことが今日の取材でわかった気がします。お二人のなかでは、初期の頃から『The Blue Hour』までの変化についてはどのように感じていますか?
豪文:自分では変わったって思うことのほうが多いですね。昔の曲を演奏するときも、アレンジの方法がまだあるんじゃないかなと思って変えることもしばしばあって。リミックスみたいになることもあるし。新しく録ってみたい気もするんすけど。
友晴:「変わってないね」と言われるのは進化してるってことやと思う。
豪文:こっちとしては必死で、ずっとあがいているんですけどね。ずっと見てくれてる人に「相変わらずいい」って言われるのはすごく嬉しいです。でも、実際に変わってないままだったら、相変わらずいいなんて言ってもらえへんのちゃうかな。
—本人たちは変わらなくても、時代や状況は変化し続けていますし、「変わらない」と言われるにしても、少しずつ変わってきているんでしょうね。それに、「変わり続けるからこそ、変わらずに生きてきた」とニール・ヤングは言っていたそうですし、豪文さんがおっしゃるのも間違いではないのかなと思います。
豪文:ああ。でも、本当にその通りだと思います。
- リリース情報
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- キセル
『The Blue Hour』(CD) -
2017年12月6日(水)発売
価格:3,024円円
DDCK-10541. 富士と夕闇
2. 君を待つあいだに
3. 山をくだる
4. わかってたでしょう?
5. 二度も死ねない
6. うしろから来る
7. モノローグ
8. 来てけつかるべき新世界
9. 明日、船は出る
10. 一回お休み
11. きざす
12. ひとつだけ変えた
- キセル
- イベント情報
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- 『キセル「The Blue Hour」発売記念ワンマンTOUR 2018』
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2018年1月6日(土)
会場:大阪府 梅田CLUB QUATTRO2018年1月7日(日)
会場:愛知県 名古屋CLUB QUATTRO2018年1月13日(土)
会場:東京都 恵比寿 LIQUIDROOM2018年1月19日(金)
会場:宮城県 仙台 darwin2018年1月21日(日)
会場:北海道 札幌 BFHホール2018年1月27日(土)
会場:石川県 金沢GOLD CREEK2018年1月28日(日)
会場:長野県 まつもと市民芸術館 小ホール2018年2月3日(土)
会場:広島県 SECOND CRUTCH2018年2月4日(日)
会場:福岡県 イムズホール2018年2月12日(月・祝)
会場:沖縄県 那覇 桜坂劇場 ホールA2018年3月17日(土)
会場:京都府 磔磔
- プロフィール
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- キセル
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辻村豪文と辻村友晴による兄弟ユニット。カセットMTR、リズムボックス、サンプラー、ミュージカルソウ等を使用しつつ、浮遊感あふれる独自のファンタジックな音楽を展開中。これまで4枚のアルバムを「スピードスター」よりリリース。2006年12月に「カクバリズム」に移籍し、『magic hour』『凪』『SUKIMA MUSICS』のアルバムと10インチレコードやライブ会場限定のEPなど精力的にリリース。どの作品も多くの音楽好きを唸らす名盤となっており、ロングセラーを続けている。毎年の大型野外フェスへの出演や、フランス・韓国・台湾でのライブ、ジェシ・ハリスとの全国ツアー、年末恒例のワンマンライブをリキッドルームや赤坂ブリッツなどで行っている。2014年には結成15周年記念ライブを行い、同年12月3日に7枚目のアルバム『明るい幻』をリリース。昨年1月~2月にかけて行われた『明るい幻』のリリースツアー、本人たちにとって2年振り2度目となる日比谷野音でのワンマンライブ『野音でキセル 2015』も大成功させた素敵な2人組である。2015年4月より、京都α-STATINにてラジオ番組「FLAG RADIO」のレギュラーDJを担当。2017年12月、ニューアルバム『The Blue Hour』をリリース。
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