放送コードぎりぎりの笑い(という名の狂気?)でお茶の間の視聴者を戦慄させる鳥居みゆき。マジなのかネタなのかメタなのか判別しないその独自の世界観は、全国デビューから約10年が経ったいまも他の追随を許さず、演劇、ドラマ、小説、絵本と、多種多彩なジャンルへ活動の場を侵食し続けている。
そんな鳥居が、東京都写真美術館で開催中の『内藤正敏 異界出現』展に降臨した。青森県恐山のイタコ、1970~80年代の東京の闇、東北に伝わる山岳信仰、そして顕微鏡で覗くことのできるミクロの世界。日常の向こう側にある「異界」とカメラを通じて交信するような内藤の作品は、これまでその全貌を広く知られる機会をほとんど持たなかった。
そんなミステリアスな世界と、現代の巫女とも呼ぶべき鳥居みゆきの遭遇は、どんな反応となって現れるのだろうか? 誰も予想できない展覧会ツアーの幕が上がる……。
蝶々はパッと見るだけだと美しいけど、胴体は超絶グロい。それを隠しながら生きているのが好き。(鳥居)
鳥居みゆきに『内藤正敏 異界出現』展を案内するのは、同展を担当した石田哲朗学芸員。これまでにも、CINRA.NETの紹介記事ではたびたび著名人を案内してきた石田学芸員だが、リアクションの予想がつかない鳥居にいささかビビり気味に見える。
石田:内藤さんは、今年80歳の写真家なんですね。
鳥居:おじいちゃん!? おばあちゃん!?
石田:えっと……内藤さんは男性ですね。
鳥居:そうなんだ! だいぶ、おじいちゃんなわけですね!
アップダウンの激しい鳥居のリアクションにたじろぎながら、石田学芸員はこの展覧会についての説明を始めた。
1938年生まれの内藤正敏は、早稲田大学理工学部で応用化学を専攻し、一時期は化学製品会社に就職した。だが、高校時代から続けていたカメラ雑誌への応募をきっかけに本格的に写真家に転身。SF的な世界観の作品や、東北の信仰や習慣に基づく民俗学的なドキュメンタリー写真のシリーズを制作してきた。
現在は療養中のため撮影を休止しているが、本展には50年を超える活動の全貌が収められている。そして最初のコーナーには、内藤の最初期のシリーズが展示されている。
鳥居:これって写真なんですか? 骨みたいに見えるけど……絵なのかな?
首をかしげて凝視するのは、「トキドロレン」という1962年~63年にかけて作ったシリーズ。気泡の混ざったような有機的な質感と、漫画チックな手足が特徴的だ。
『トキドロレン』1962-63年 ゼラチン・シルバー・プリント 清里フォトアートミュージアム蔵
『トキドロレン』1962-63年 ゼラチン・シルバー・プリント 清里フォトアートミュージアム蔵
石田:「トキドロレン」は、内藤さんが考えた造語で「時間泥棒連合」という架空の生物群を造形化したものです。高分子物質(ハイポリマー)と有機溶剤などをガラス板の上で混合して化学反応を起こし、それを接写したもので……。
鳥居:よくわかんないな!
石田:うーんと、化学反応しつつある物質を人型に整えて撮ったものなんです。
鳥居:……つまり絵なんですか?
石田:絵というわけではなくて……。
鳥居ワールドの独特なバイブスに「たじたじ」な石田学芸員だが、その後の説明を要約すると、内藤は応用化学の知識とSF的な興味を持っていて、地球から時間を消滅させる架空の生命体を創造し、このシリーズをカメラ雑誌に投稿していたのだという。
展示室には、作品が掲載された当時の雑誌も出品されている。「キメラ」と題された連作では、実父の目を撮影して素材にした巨大な一つ目の生き物を作った。
鳥居:あ、可愛い目玉! 大きさを変えたり反転したりしてるのが面白いですね。私もよく反転させてるんですよ、目玉。左目が気に入ってるので、反転させて右に移したり!
雑誌の横には、同じく参考資料として内藤が表紙写真を提供したSF小説も並んでいる。レイ・ブラッドベリ『華氏451度』(1953年)、ロバート・A・ハインライン『夏への扉』(1956年)、小松左京『復活の日』(1964年)など、古典SFの名作ばかりで、1960年代当時の内藤とSF界の距離の近さがわかる。
小松左京『復活の日』早川書房刊「ハヤカワ・SF・シリーズ」の表紙(写真:内藤正敏) 1963-64年 作家蔵
1962年発行の『カメラ芸術』では、内藤の写真にSF作家の巨匠・星新一が文章を寄せるというコラボレーションも行なっている。
鳥居:このセミと日蝕みたいな『黒い太陽』は美しいですね。私、昆虫の内側や裏側が好きなんです。蝶々はパッと見るだけだと美しいけど、胴体は超絶グロい。それを隠しながら生きているのが好き。オモテと裏があったら、裏の部分を私は見たいんです。それに、イモリとか見た目が負け組のやつほど内側は綺麗なんですよ!
支離滅裂かと思えば、哲学的な深みも感じさせる鳥居のコメント。内藤の作品と同じくらいの「謎」をはらんだ彼女を先頭に、一同は次の章へと歩みを進める。
人が人を救えるって考えは、人間の傲慢だって気もする。(鳥居)
デザイン的な素養を感じさせる最初のコーナーから一転し、ここに並ぶのは即身仏、つまり仏僧のミイラ写真だ。
『鉄門海上人 注連寺』「即身仏」より 1964年 ゼラチン・シルバー・プリント
石田:現在の山形県に暮らした仏僧の即身仏(苦行の末に自らをミイラ化させる)を撮影したシリーズをきっかけに、内藤さんはそれまでの作品とネガの大半を焼き捨て、新しい表現へと挑み始めます。
「私が即身仏の撮影で受けたいちばんの衝撃は『死者から視つめられている』という感覚でした。(略)生きている自分が即身仏に視つめられる。化学を学んできた私にとって、生と死が逆転していることは大変な驚きでした」(『アサヒカメラ』2015年12月号)。
これは、内藤さんがインタビューの中で答えた言葉ですが、即身仏との出会いは、深い歴史の重さと死生観を彼に自覚させ、それまでの技術的な創作を断念させたんです。前の章で展示されているのは、たまたま焼却されなかったネガなどから再プリントした幻の作品なんですね。
鳥居:私も単独ライブのテーマに「死と生」を扱っているので、わかる気がします。「死と生」への意識は気持ちをガラリと変える。でもちょっとだけ疑問に思うのは、即身仏になろうとした人たちの気持ち。人が人を救えるって考えは、人間の傲慢だという気もする。
内藤の研究によると、即身仏の慣習は弥勒菩薩と関連があるのだという。56億7000万年後の未来に人々を救うために降臨する菩薩をアシストするために、仏僧たちは自らの身体をミイラ化させて、未来で蘇ろうとしたらしい。
鳥居:そっかー。でも死んでからの自分を大勢に見られるのは私は無理。「死んだら終わり」がいいです!
暗闇の中ではみんなが平等って世界観は素晴らしいです。(鳥居)
同じ部屋にはもうひとつ、内藤の代表作「婆バクハツ!」シリーズが展示されている。これは青森県恐山のイタコの女性たちを撮影したシリーズ。夜の闇の中、ストロボの閃光で浮かび上がるイタコたちの姿は呪術めいた異界感を放つが、同時にエネルギッシュでもある。
『お籠もりする老婆 高山稲荷』「婆バクハツ!」より 1969年 ゼラチン・シルバー・プリント
石田:即身仏の撮影を経た内藤さんは、故人の霊と交信し、「口寄せ」として近親者にメッセージを伝えるイタコの撮影に取り組みます。当初はすごく怖い場所を想像していたのですが、実際には女性たちの陽気さ、楽しさに衝撃を受けたと言います。それが「婆バクハツ!」という、ポジティブなタイトルにつながっているんです。
鳥居:お墓の真ん中で宴会してるじゃないですか! きっとこのバアちゃんたちは、生者と死者を区別せず、一緒に混ざり合って楽しもうとしてるんだね。私、なにかとなにかを線引きして考えるのが大っ嫌いなんです。暗闇の中ではみんなが平等って世界観は素晴らしいです。
『お堂に泊りこむ老婆 恐山』「婆バクハツ!」より 1969年 ゼラチン・シルバー・プリント
いまも、お祭りに見世物小屋が建ったり、喧嘩して流血してる人にも出くわしますけど、こんなにエネルギーはないですよね。(鳥居)
「婆バクハツ!」と同時期に撮影されていたのが、「東京 都市の闇を幻視する」シリーズ。東北に向かった内藤の関心は、身近な東京の闇へも向けられていたのだ。
『酒を飲む浮浪者 新宿』「東京 都市の闇を幻視する」より 1970年 ゼラチン・シルバー・プリント
石田:1970~80年代の新宿、銀座、浅草など、人の集まる猥雑な場所に目を向けたのがこのシリーズです。事故で大きくひしゃげた自動車の横に、子どもがぽつんと立っている写真や、鼻から口に蛇を通してみせる芸人をとらえた見世物小屋の光景は、時代のカオスを伝えています。
『キャバレーの看板 銀座』「東京 都市の闇を幻視する」より 1971年 ゼラチン・シルバー・プリント
石田:一見地味なのですが、ここには奇跡の1枚があります。銀座の路地裏のゴミ捨て場を撮影した写真には、内藤さん曰く7匹のネズミが写っているそうです。ネズミはすばしっこいですから、こんなに集まっている瞬間を撮れることはまずない。この1枚をモノにするために、内藤さんは自宅でネズミを撮る訓練にいそしんだそうですよ。
『残飯をあさるネズミの群 銀座』1977年 ゼラチン・シルバー・プリント
鳥居:私、こないだネズミ撮りましたよ! あ、でもそれは死んだネズミだから逃げないやつだった(笑)。いまも、神社のお祭りに見世物小屋が建ったり、歌舞伎町で喧嘩して流血して倒れている人にも出くわしますけど、こんなにエネルギーはないですよね。
都会で生きている人の仮面を剥ぐのが好き。嘘が暴かれた瞬間を垣間見たいんです。(鳥居)
人間臭さが充満していた約40年前の東京に続いて登場するのは、岩手県を取材した「遠野物語」だ。このシリーズで内藤は、カッパが生息していたと伝わるカッパ淵をはじめ、伝説やおとぎ話が伝わる場所を訪ねている。
『カッパ淵 土淵』「遠野物語」より1972年 ゼラチン・シルバー・プリント
茅葺屋根の古めかしい日本家屋や、夜のとばりが降りる黄昏どきの夕景には、秋田で生まれた鳥居にも覚えがあるかもしれない。
鳥居:生まれたのは秋田だけど、育ったのは埼玉なので、これはけっこう心理的な距離を感じる風景ですね。
もちろん親戚を訪ねて行くことはたびたびあったから、昔のよいところを切り取って、そのまま静止したような時間のありようはすごく好きです。でも、住む場所としては東京が好きだな。
鳥居:私ね、東京って嘘で作られた世界だと思ってるんです。でも、秋田とか田舎のほうになると、みんな自分の素の姿で歩いてる。私みたいな芸人のように「仮面」をつけてない。私が新宿を好きなのは、都会で生きている人の仮面を剥ぐのが好きだから。嘘が暴かれた瞬間を垣間見たいんです。
なんとも意味深で、彼女なりの「芸論」を感じさせる発言だ。「内藤さんは、生と死に想いが深い人なんですな……」と、誰に言うでもなくぶつぶつと言葉を漏らしながら、次の章へと鳥居は進む。
白黒写真だってことに全然気付かなかった。光と闇に没入していて、意識から色が抜けていたのかも。(鳥居)
展覧会の後半は、それまでとは一転して鮮やかな色彩の世界が広がっている。山形県庄内地方の名峰・出羽三山に根付く修験道や、そこで信仰される神仏を題材にしたカラー写真を前にして、鳥居は突然叫んだ。
鳥居:あ、たしかにカラーだ! というかこれまでの前半が白黒だってことに全然気付かなかったよ。光と闇に没入していて、意識から色が抜けていたのかも。もしくは、私の脳の中で勝手に色が想像されていたのかも。
『お沢仏 梵天帝釈両部大日大霊権現像 大日坊』「出羽三山」より1982年 銀色素漂白方式印画 作家蔵
石田:時代が進み、カラーフィルムの技術が向上したことで、内藤さんは制作に色彩を持ち込むようになりました。ここから続くシリーズの特徴として顕著なのは、被写体が人間から離れ、山や現象へとシフトしていくことです。
じつは内藤さんは写真家としてだけでなく、民俗学の研究者としても高い知名度を誇る人なんです。遠野地方の伝承に現れる、山中で生きた「山人(やまびと)」たちの文化圏に異界や主流からのアジール(避難所)を見出した内藤さんは、自ら山伏の修行にも打ち込み、やがて独自の「東北学」を形成していきました。
実践的研究者としての内藤正敏像が際立つほどに、初期の即興的な偶然性や前衛性を打ち出した作品傾向は影をひそめ、重厚で正攻法な写真表現が確立していく。それは例えば、富士山から臨む山梨県・七面山の夜明けの写真に見ることができる。
山頂から登る太陽の軌跡を長時間撮影でとらえたこの1枚は、1年に一度、春分の日にだけ見られる風景で、古来からの宗教行事と密接なものだという。
鳥居:山のてっぺんにペンライトが挿さってるみたい(笑)。「推しメン黄色!」みたいな。
内藤さん、なんでこの部分で撮影をやめたんでしょうね。だって1年に一度しか見られない景色でしょう。もっと撮りたいって思わなかったのかな。夜に見たいテレビドラマとかあったのかしら?
さすがにテレビが理由ではないだろうが、この構図にも、民俗学者としての内藤なりの確信が込められているのかもしれない。
内藤さんは「内藤さんの作品が嫌いだ!」っていう人のことも好きなんじゃないかな。そういう人生観を感じました。(鳥居)
山や神仏の写真を見ながら、鳥居はいよいよ展覧会最後のコーナーへ。ずらりと並ぶのは、これまでに登場した写真から厳選された数々の代表作だ。大きく引き伸ばされた写真が所狭しと並ぶ様子は、あたかも曼荼羅のようだ。
そして鳥居は、ある1枚の写真の前でぴたりと静止して、動かなくなってしまった。
鳥居:……これいい。かっけえ……!
『「内藤正敏の軌跡」展より』 2004年 インクジェット・プリント 作家蔵
鳥居が衝撃を受けた、脳内の電気信号を視覚化したような抽象的なカラー写真は、20代の内藤による焼却から逃れた初期作品の1枚。……長い沈黙を経て、ようやく鳥居は口を開いた。
鳥居:私、この写真に救われる感じがします。温かくもあり、冷たくもある、母なる宇宙みたい。人それぞれにいろんな解釈の仕方があるし、内藤さんも確固とした意思で撮ったのだと思います。でもこの写真は、人が抱える大小のモヤモヤ、私の中にあるぐちゃぐちゃした気持ちすら受け止めてくれる気がする。この写真は、これまでも人を救ってきたし、これからも救っていける。そんな写真だと思う。
石田:この部屋にある写真群は、内藤さんが教授を務めていた東北芸術工科大学での回顧展で制作されたものです。そのときのプリントを用いて今回、内藤さんははじめて20代の初期作品と、その後の40数年に及ぶ活動を同じ空間に並べることになりました。
石田:曼荼羅とは、密教の世界観を俯瞰した一種の世界地図と言えますが、当時の展覧会もまた、内藤さんの人生を俯瞰する曼荼羅と言えるでしょう。だから鳥居さんが感じた、人を救う、母なる宇宙というイメージは、決して遠いものではないと思います。
鳥居:なるほど。私がこれまで考えてきたことに似ている部分も、逆にまるで考えてこなかった部分も内藤さんの写真にはたくさんあって面白かったです。
「すごく趣味が偏った生き方をしてきたんだな」とも思うんだけど、それでいいと思うんですよね。好きなものだけを食べて死ねるって素晴らしい。嫌いなものを食べて太るのは虚しいけれど、好きなものならば後悔はないです。
鳥居:そして、内藤さんの世界観がすごく好きです。不完全な美の世界。そういうものって、不器用な生き方をしている人にだって生きる価値があると思わせてくれます。すごく前向きになれる。「救われる人がいる」っていうのはそういうこと。すべてを肯定してくれる。しかも内藤さんは「内藤さんの作品が嫌いだ!」っていう人のことも好きなんじゃないかな。そういう人生観を感じましたね。
展覧会のラストは、『聖地』という謎めいたタイトルで締めくくられる。石田学芸員曰く、これは内藤自身が排泄した大便なのだという。なぜこれが「聖地」なのかは、作家のみぞ知る。だが、1人の写真家=民俗学者=山伏の50年に及ぶ生々流転の人生を巡るこの展覧会そのものが、ひとつの曼荼羅=宇宙であるとすれば、このささやかな排泄物もまた、宇宙的なスケールの循環の帰結として見ることもできるはずだ。人体は小宇宙にも喩えられる。人も動物も、生ある存在が等しく生み出す「うんち」に人生の真理を見た気がした。
- イベント情報
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- 『内藤正敏 異界出現』
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2018年5月12日(土)~7月16日(月・祝)
会場:東京都 恵比寿 東京都写真美術館 2階展示室
時間:10:00~18:00(木、金曜は20:00まで、入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜(7月16日は開館)
料金:一般700円、学生600円、中高生・65歳以上500円
※小学生以下、都内在住・在学の中学生、障害をお持ちの方とその介護者は無料
※第3水曜は65歳以上無料
- トーク『内藤正敏の世界』
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2018年6月29日(金)
会場:東京都 東京都写真美術館 1階スタジオ
時間:18:00~19:30
登壇:
赤坂憲雄(民俗学者、学習院大学教授)
定員:各回50名
※当日午前10時より1階総合受付にて整理券配布
担当学芸員によるギャラリートーク 2018年6月22日(金) 14:00~
2018年7月13日(金) 14:00~
※要展覧会チケット(当日消印)
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- 鳥居みゆき単独ライブ狂宴封鎖的世界『Hotel La.Coffin』
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2018年9月14日(金)~16日(日)
会場:東京都 新宿村LIVE
2018年10月6日(土)、7日(日)
会場:大阪府 近鉄アート館
- プロフィール
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- 鳥居みゆき (とりい みゆき)
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お笑い芸人、女優、映像作家、小説家、絵本作家。1981年3月18日生。秋田県生まれ、埼玉県育ち。BSフジ『東北魂TV』でレギュラーを務めているほか、TBS『陸王』やANB『家政夫のミタゾノ』などにも出演。映画や舞台でも活躍している。絵本『やねの上の乳歯ちゃん』や小説『夜にはずっと深い夜を』『余った傘はありません』も話題を集める。趣味は般若心経、瞑想、被害妄想。
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