よりよい社会をデザインするためには、どうすればいいか。
そうした大きな問いを考えるのは政治や社会運動の担い手だと決めつけて、どこか遠ざけて捉えていないだろうか。実は、テクノロジーはもちろん、アートやエンターテイメントも社会の先行きに強く影響を与えている。たとえばハリウッドの大作映画が、人々の思い描く未来像のキーになったりもする。
初の著書『KEEP MOVING 限界を作らない生き方』を刊行したコミュニケーションクリエイター、武藤将胤は、大手広告会社に勤務していた27歳のときに、全身の筋肉が次第に動かせなくなる難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」と宣告された。しかし、その後も活動を続ける彼は、最先端のテクノロジーを活用しさまざまなデバイスやサービスの開発に携わるほか、目の動きだけで音楽と映像を操作する「EYE VDJ」のパフォーマンスを行っている。
今回の記事では、武藤と、数々の著書やラジオ番組を通して日々社会問題に向き合い、発信を続けている評論家、荻上チキとの対談が実現。2人が目指す社会のあり方について、語り合ってもらった。
『マイノリティ・リポート』から「こういうものを作らない?」と会話が生まれたりする。SF映画が共通言語になるんです。(武藤)
—荻上さんは、ラジオ番組『荻上チキ Session-22』や著書で、生きづらさを感じる人たちが社会に適応するのではなく、社会が変わっていくように設計していかなければいけないと発信をされていますよね。そのために、言葉を使って人々の認識を変えていくと考えるに至った出発点は、どういうところにあったんでしょうか。
荻上:僕の場合は学問だったと思います。大学時代に学んだ文学理論や、見てきた数々の映画だと思いますね。
—文学や映画評論の手捌きが、社会を見通すための素養になった。
荻上:文学論や映画論というものは、細部に宿っている、普段は読み取ることが難しいストーリーを、より何重にも読み解くリテラシーを身に付ける学問なんです。たとえば、この映画は面白かったけど、よく考えたら白人しか出演していないじゃん、という批判意識を持つとか。
—2018年3月に公開された『ブラックパンサー』は、黒人が主要キャストの作品が大ヒットしたことでハリウッドの常識を覆したと言われました。あの映画を見てそのことに改めて気付いた人は多いかもしれないですね。
荻上:まさにそうですね。また、今までの映画と同じように見えても、主人公の設定を変えることによって逆転させられることもある。『アナと雪の女王』のハンス王子は、最初に出てきたときは誰もがいいやつだと思ったけれど、それを裏切った。なぜかというと、動物に優しいキャラはいいやつのはずだ、というディズニー映画の目に見えないルールがあるからなんです。
あるいは『スパイダーマン:ホームカミング』でも、スパイダーマンの往年の彼女がMJ(『スパイダーマン』シリーズのヒロイン役)だと誰もわからなかったのは、彼女がヒスパニックだったから。MJといったらブロンドか赤毛の白人という先入観があるんです。
—映画を読み解くリテラシーを身につけることで、自分がいつの間にか持ってしまっている先入観や固定観念に気付くことができる。
荻上:大学ではそうやって細部まで読み解くことを学んで、見落とされがちな人を常に考える訓練を受けてきました。でも、マジョリティの社会では誰もそんなこと考えない。フェミニズムなんて過去のものだとか、「#MeToo」(性的ハラスメントを告白する際にSNS上で用いられるハッシュタグ)なんて冤罪拡大装置だとか、とにかくすべてを踏みにじっていくような状況があるんです。そうした、現実にある課題を浮き彫りにする理論のうちの1つに、障害学というものがあったんです。
—武藤さんはどうですか? 自分自身の発想として、音楽やエンターテイメントから受け取ったものは大きいですか?
武藤:僕のスタート地点も映画ですね。今もテクノロジストと僕との共通言語になるのがSF映画で、たとえば『マイノリティ・リポート』の仮想ホログラムから、「じゃあこういうものを作ってみない?」という会話が生まれたりする。そういった意味では、映画が僕のクリエイティブのルーツです。
荻上:最初に「WHILL」という電動車椅子を見たときに「わあ、『プロフェッサーX』(マーベル作品の『X-MEN』に登場するキャラクター。車椅子に乗っている)だ!」って思ったのを覚えています。
武藤:まさにその通り。「プロフェッサーX」にだいぶ近づいたなって。
—自分が子どもの頃は、エンターテイメントは政治や社会と関係ない余暇や娯楽の世界だと思っていた。けれど、そこから数十年たった今の自分が思うカルチャーやエンターテイメントはなによりも社会的で、特にハリウッド映画はストレートに次の社会のあり方を提示しているという実感があります。
荻上:そうですよね。評論家ってスイッチャーの役割があるんです。今までなんとなく楽しんでいたものに対して、「こんな作品もあるよ」ってリコメンドしていくタイプもいれば、僕みたいに社会の構図を切り取りながら「こうしたメッセージも読み取れる」と提示するタイプもいる。映画も「こういう見方をしたら面白くない?」と言うことで、見方を変えることができます。
トップアーティストたるクリエイターは、私たちよりも社会のことを考えてるし、いろんな刺激を受けている。「どうやってあの現象のことをさりげなく言ってやろうか」って一生懸命考えて映画の中に埋め込んでいるから、作品から適切にメッセージを引き出すこともとても重要なんですよね。
社会的マイノリティは、必然的にアナーキーな場所でもがかなきゃいけないんです。(荻上)
—武藤さんがデバイスの使い方をデザインしたり、プロダクトを作ってきた中で、気付いてきたことはたくさんあると思います。そのきっかけはどういうところにありますか。
武藤:身体的、社会的な制約が、新たなプロダクトの改良やテクノロジーの進化につながるということが多いです。たとえば視線入力のデバイスにしても、こういう使い方もあるというのは当事者じゃないとなかなか気付かない。それは、僕が身体的な制約に直面させられなければ生まれなかったものだと思います。
—荻上さんは、いわゆる社会的な制約は、今の日本でも大きなものであり続けているという感覚はお持ちでしょうか。
荻上:そればかり感じて仕事をしているタイプです。「必要は発明の母」という言葉がありますけど、社会的マイノリティと位置付けられるような人々は、必要性に気付いてもらえないような状況に投げ出されている。別にパンクとして振舞いたいわけではなくて、必然的にアナーキーな場所でもがかなきゃいけないんです。そこから、「社会を拡張してくれ、私の身体を認識してくれ」という権利の要求につながるんですね。
その中で、権利を主張して異議申し立てをしていく社会運動家たちもいれば、具体的な技術を開発してみんなが使えるものにしていくという人たちもいます。まずは最初の段階として、そういう存在がいるということを知ってもらい、解決策をすでに持っている技術者にリソースを割こうと思ってもらうことが大事ですよね。でも、社会にはそうした投資をする意識がなかったり、当事者がいないとされている問題があったりする。
—当事者がいないとされている問題というと?
荻上:ALSはここ十数年で非常に目立つ象徴的な存在にはなりましたが、それ以前のさまざまな障がい者は、子どもの頃から分離教育を受けて、社会の中で労働する当事者として見られていないところがあるんですよね。それを変えていかないといけない。ALSの方々は健常者時代のコネクションをフルに活用して訴えていくことができるけど、他の障がい者はそれができないこともあるんです。
—だからこそ、存在に気づき解決策を提供することが大切だと。
荻上:どんな状況にある人でも、一人暮らしでそれ相応の暮らしができるというのが、次の社会が向かうステップだと思います。ただ、それを阻害する要因として、政治マインドやシステムマインド、社会制度などいろんなことがある。それは言論と表現と行動で、人々の意識と認知を変えていくしかないと感じています。
寝たきりの人でも、もしストレッチャーが空飛ぶ絨毯みたいだったら、移動においては健常者と同じになりますよね。(荻上)
—さきほど荻上さんは「評論家はスイッチャーの役割を持つ」とおっしゃいましたが、武藤さんの表現活動も、人々の認識を変えることができると感じますか?
荻上:そうですね。実は武藤さんもある種のスイッチャーの役割を持っているんです。
—というと?
荻上:技術と人権の問題は日本だと分離されているけれど、武藤さんは具体的な当事者として、技術者には「実は技術で解決できるんだ」と、あるいは権利の活動をしている人に対して「こういった技術によってまかなえますよ」と提示している。双方向におけるスイッチャーの役割を果たしているんですね。
最近、障がい学では「インペアメント(具体的な症状)」と「ディスアビリティ(能力がないこと)」を分けて考えているんです。
—どういうことでしょうか。
荻上:たとえば、足が切断されたり、身体が思うように動かせないことが移動障がい者とイコールではないんです。そういった人でも、電動車椅子さえあれば自由に移動できる。寝たきりの人でも、もしストレッチャーが空飛ぶ絨毯みたいだったら、移動においては健常者と同じになりますよね。
道路工学だったり、物理的な技術工学、電気工学だったりの限界が、その人を障がい者にしている。病気がその人を障がい者にしているんじゃなく、社会がその人を障がい者にしている。その隔たりをちゃんと切り分けて、インペアメントだけど能力はあるという状況に変えていく。それが、武藤さんがスイッチャーとして担っている役割の一つであると思います。
—武藤さんは、そうした症状と能力を同一視された経験はありますか?
武藤:そうですね。健常者の視点と僕らの視点で、限界と言われるラインにずれを感じることがあって。周囲から「限界ですよね」って言われても、電動車椅子では限界のラインではないことって、多々あるんです。そういう風に限界のレッテルを貼られてしまうのは、可能性を拡張するための壁になると思います。
荻上:ローレンス・レッシグの『CODE』という本では、人の行動を変えたり縛ることができる力は4つあるという概念が使われています。法の力、市場や経済の力、規範や道徳の力、そして技術の力です。今までは「助け合いましょう」という規範の力で障がい者をサポートしていたり、法律で人権を整備したり、再分配や保険という経済で支えることをひとつずつやってきたんです。
その一方で義足や車椅子の歴史から技術の力が発達し、移動できるようになったら、今度は社会の制度や道路の設計がダメです、だから法律ですべてバリアフリーにしましょう、そのためにお金を作った方が経済が回りますよと、人々の考えを変える評論家が活動したりする。そういう着目の仕方は評論の世界では積み重なってきているので、あとは社会にどう実装していくかという段階だと思います。
今までにないものを発見したときこそ、新しいものを作るチャンスだと思うんです。(武藤)
—武藤さんは「EYE VDJ」という、目の動きだけで音楽と映像を操作するパフォーマンスをされています。そこに力を入れているのはなぜでしょうか。
武藤:4年前にALSの宣告を受けてから、テクノロジーを活用されているALSの患者さんとたくさんお会いしてきました。みなさん共通して、最低限の意思伝達だけできればいいとは思わず、「テクノロジーを使ってどれだけ人生を豊かにできるか」ということを考えている。僕はすべての方に表現の自由があるべきだと思い、視線入力系のデバイスを使った表現活動をしています。
武藤:僕自身、健常者時代はDJとして音楽だけのパフォーマンスしかできなかったのが、今はVDJとして音楽と映像の両方を表現できるようになった。これは健常者時代から進化、拡張できたポイントだと思うんですね。
—JINSが開発した眼鏡型ウェアラブルデバイス「JINS MEME(ジンズ・ミーム)」と、武藤さんの開発したアプリ「JINS MEME BRIDGE」のシステムを活用してそれを行っているわけですね。
武藤:眼球の動きをとらえる眼電位技術を使って、目の動きの情報を取得しています。すべてのテクノロジーをゼロから作るのではなく、ソフトウェアやアプリケーションを開発することによって、この眼鏡型デバイスの使い方をデザインする。そうしてイノベーションを起こすことができるという事例です。
—こうした表現活動については、荻上さんはどう捉えていますか?
荻上:「自分たちも同じことができる」というものと、「自分たちだからこそ、こういうことができる」という両方の側面がありますよね。人々の普段の暮らしを拡張する面もあれば、アートや音楽という概念そのものを拡張する面もある。だから、障がい者はかわいそうなイメージを消費させられる対象じゃないよ、という、パンキッシュなスタイルを感じます。
武藤:障がい者だから評価されるのではなく、どのようにしてみんながワクワクする体験を作るかということを目指しています。音楽は開かれたもので、健常者だけのものじゃないと思うんです。テクノロジーの力を人と融合することで、今まで誰も聴いたことがない音楽を作ることだってできる。そう考えると、パンクとちょっと似てるかもしれないですね。
—武藤さんは「ゼロワン(01)」というファッションブランドを立ち上げていますよね。かっこいい服がないなら自分で作ろうという発想も、DIYという意味でパンクマインドに通じるところを感じます。
武藤:今までにないものを発見したときこそ、新しいものを作るチャンスだと思うんです。このボーダレスウェアも同じ概念だと思います。このウェアは右袖にICカードが入るポケットを付けていて、改札機や自販機でキャッシュレスに対応することができる。健常者の方でそこを気に入って着られている方も多いですね。
若い世代の感度を活かして、テクノロジーの活用方法をデザインしていくことが僕らのミッションだと思っています。(武藤)
—荻上さんは武藤さんの本『KEEP MOVING 限界を作らない生き方』を読まれて、どんな印象を抱きましたか。
荻上:最初の印象は、すごくフューチャリストだと感じました。未来に向けて、自分の身体をどう拡張できるのか、どういう風に社会のあり方をよくできるのかということを、ALSの当事者性を活用して、自分の身体を実験台にしながらトライアンドエラーされている。それも、どちらかというと医療や介護といったケアの目線ではなく、技術やアーキテクチャの目線から語られている。
しかも、本の作り方、フォントや色使いが、1980年代のサブカルチャー雑誌をイメージさせるような、一つひとつのページを楽しませようとするものになっている。中身とコンセプトが一貫していて、本自体にも、モノとしての面白さやこだわりが盛り込まれてると思いました。
『KEEP MOVING 限界を作らない生き方』(2018年、誠文堂新光社 / Amazonで購入する)
武藤:ありがとうございます。闘病記という性格の本には絶対にしたくないところからスタートしているので、デザインも細部までこだわって作っています。
荻上:私も多くのALSの方々とお会いしたり関わったりしているんですけど、武藤さんはある種のスタイリッシュさ、格好よさというものを追求していますよね。
武藤:僕たちは、ALSの患者さんやハンディキャップを抱えた方たちの可能性を、補完ではなくいかに拡張できるかということをテーマにしています。ALSは、今までは60代や70代といった比較的高齢の方が多かったんです。若い世代だからこその感度を活かして、テクノロジーの活用方法をデザインしていくことが僕らのミッションだと思っています。
どんな状態になっても、モードを変えるだけで「人生が終わった」という感覚を味わわなくてすむ「なんとかなる世界」がゴールです。(荻上)
荻上:ALSの方々は未来に対して貪欲ですよね。今の社会で自分たちが受け入れられることが難しいのならば、1秒でも早く未来を体現しようという感覚を持った方がたくさんいる。その中に、イノベーティブなマインドを持った仲間作りが得意な武藤さんがコミットしてきたという印象があります。
—未来に貪欲だからこそ、テクノロジーを積極的に活用されているんですね。
武藤:まさにそうですね。分身ロボットの「OriHime」を活用されるALSの患者さんも増えていて、視線入力で分身ロボットを動かしている。僕らも、たとえば地方で講演や打ち合わせをするときに、ロボットを現場に送って日常的に遠隔でコミュニケーションを行っています。テクノロジーが可能性を広げてくれているという印象はすごくありますね。
荻上:ロボットスーツの「HAL」を活用されている方もいますよね。作った側は、必ずしもALSのサポートアイテムとして開発したわけではない。でも、そこに当事者がコミットして自分の身体を提示することで、新しい可能性を開いていく。そうやっていろんなヒントを与えているような活動だと思います。
—武藤さんも荻上さんも、それぞれの立場で社会をデザインできる、人々の価値観を変えることのできる立場にいらっしゃると思います。それを踏まえて、10年後、20年後に向けてどんな社会をデザインしていきたいと考えてらっしゃいますか。
武藤:障がい者のイメージやレッテルがとても強いので、ボーダレスな社会にしていくためのソーシャルアクションを続けていきたいですね。やっぱり、車椅子ひとつとっても、障がい者の乗り物だというイメージが今はまだある。でも、概念としてはオープンカーに近い感覚の乗り物なんです。
僕は決して、障がい者に限定されたプロダクトやサービスを作るつもりも、障がい者だからと言って評価されるエンターテイメントを目指すつもりもありません。健常者と障がい者の垣根を越えたバリューを創造し、ボーダレスなものを作り続けていきたいと思います。
—荻上さんはどうでしょう?
荻上:どんな社会を作りたいのかという話をするとき、昔から僕は「なんとかなる社会」と言ってます。どんな病気になっても、どんな状態になっても、モードを変えるだけで「人生が終わった」という感覚を味わわなくていい。今はそれこそ、生活保護の受給者でも、他の病気でも当事者は「終わった」って思ってしまうんです。いかに医療や技術やシステムがアップデートされようと、社会的な規範意識からステレオタイプな攻撃が蔓延してしまうことがある。
だから、広い意味で社会全体を「なんとかなるよ」って言えるものにしていくのがゴールです。「なんとかなる」というモードチェンジができるようにするためには、健康格差、経済格差、地方格差、さまざまな出生の問題とか、一つひとつのオプション格差を減らしていかなければいけない。そのゴールは100年、200年経ってもこないけど、その都度アップデートし続けて、ひとつずつ積み重ねていく感じですね。
武藤:正直、僕も4年前にALSを調べたら、暗くなるニュースしか出てこなかったんですね。この入り口のデザインを変えないとヤバい、ちゃんとポジティブなイメージも発信しないといけないと感じたのが、「WITH ALS」という団体を立ち上げたきっかけでした。
オプション格差をなくすことも大事だし、今あるオプションを提示することで、もっと自分らしいライフスタイルを送れる可能性があるということを発信していきたい。オプションが可視化されてないと、生きるか死ぬかを先に考えちゃうけど、本当は自分らしい選び方があるはずですよね。だいぶオプションは増えてきましたから。
荻上:そうですね。知られていないだけで。
- 書籍情報
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- 『KEEP MOVING 限界を作らない生き方』
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2018年6月6日(水)発売
著者:武藤将胤
仕様:46判、238ページ
ISBN:978-4-416-61839-4
発行:誠文堂新光社
定価:1,620円(税込)
- プロフィール
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- 武藤将胤 (むとう まさたね)
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1986年ロサンゼルス生まれ、東京育ち。難病ALS患者。一般社団法人WITH ALS代表理事、コミュニケーションクリエイター、EYE VDJ。また、(株)REBORNにて、広告コミュニケーション領域における、クリエイティブディレクターを兼務。過去、(株)博報堂で「メディア×クリエイティブ」を武器に、さまざまな大手クライアントのコミュニケーション・マーケティングのプラン立案に従事。2013年26歳のときにALSを発症し、2014年27歳のときにALSと宣告を受ける。現在は、世界中にALSの認知・理解を高めるため「WITH ALS」を立ち上げテクノロジー×コミュニケーションの力を駆使した啓発活動を行う。本書『KEEP MOVING 限界を作らない生き方』が初の著書となる。
- 荻上チキ (おぎうえ ちき)
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1981(昭和56)年生れ。評論家。著書に『セックスメディア30年史』『ウェブ炎上』『彼女たちの売春(ワリキリ)』『未来をつくる権利』『災害支援手帖』、共著に『社会運動の戸惑い』『夜の経済学』『新・犯罪論』など多数。ラジオ番組「荻上チキ・Session-22」(TBSラジオ)パーソナリティ。同番組にて、2015年度、2016年度とギャラクシー賞を受賞(DJパーソナリティ賞およびラジオ部門大賞)。
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