この男は、誰だ? この記事で初めて見た人は「ちょっと怖そう」「ギャングっぽい……」などと一瞬思うかもしれない。もちろん、SANABAGUN.やTHE THROTTLEのボーカリストとしてすでに知っている人も多くいるだろう。彼の名は、高岩遼。
これまでもキマった格好で飾りながら表舞台に出てきた高岩だが、10月17日にリリースされたソロデビューアルバム『10』では、自身の内面の奥深くが赤裸々に表現されている。
今回のロングインタビューのなかで高岩は、「ビッグバンドを率いたアルバムでソロデビューしてスターになる」という夢を抱えた18歳の頃から実際に夢が叶う28歳までの心境変化や、父親との関係、そして強がりの奥にある真実などを、少しずつ明かしてくれた。「弱さ」と「強さ」——それらは表裏一体であり、自分の弱さを自覚して克服しようとしたときに、人は強さを手に入れることができる。その両面の濃さこそが、人間の魅力へと繋がっていくのだろう。
自分が歌手として死んだときに、「コイツいい男だったな」って言われるようなフロントマンを目指していますね。
『高岩遼、おまえは誰だ?』。そんなタイトルの映像が公開されたのは、7月13日のこと。OKAMOTO’S、Suchmos、CHAIなどのメンバーや業界関係者ら計30人が高岩遼について語るために登場し、オカモトショウ(OKAMOTO’S)は「暑苦しくて鬱陶しいショーマン」と表現、R-指定(Creepy Nuts)は「オスとして強烈な劣等感にかられる」などと明かしている。
ジャズエンターテイメント界のフロントマンとしての大先輩である、社長(SOIL&"PIMP"SESSIONS)の「暑苦しいぐらいの存在感。本当鬱陶しいですよね」という言葉に対して高岩は「クソ嬉しかったなあ、あの褒め言葉」と本取材で言っていたが、以前のCINRA.NETのインタビューでも社長は「ああいうレベルのフロントマンはしばらくいなかったなと思います」とベタ褒め。後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)はTwitterで「(SANABAGUN.の)ボーカルの子は日本で一番かっこいいと思う。小林旭みたい」と発信するなど、あらゆるジャンルのボーカリストやフロントマンたちが、そのスター性を語らずにはいられない状況となっている。高岩遼、一体おまえは誰だ? なぜ、みんながおまえのことを語りたがるのだ?
—映像『高岩遼、おまえは誰だ?』では、いろんな人たちが遼さんの存在感、スター性を語っていましたね。
高岩:あれは嬉しかったですね。
—そのうえで「あいつの才能はこんなもんじゃない」と、遼さんに対する期待や、まだ世に知れ渡っていないことへのもどかしさが語られる場面もありました。それはどう受け止めましたか?
高岩:まず最初に「本当にありがとうございます」という気持ち。で、次にやってくる気持ちが「そりゃそうなんだけど。こんなもんじゃないのは俺が一番分かってるんだよ」っていう。自分からみなさんに電話して、出演をお願いして、スケジュールをもらって動かしたというのは……自分へのプレッシャーですよね。
—私も出演させてもらいましたが、レコード会社や映像制作のスタッフとかではなく、遼さん自身が直接電話をくれたのは驚きました。
高岩:そうしたのは、自分へのプレッシャーでしかないですね、本当に。しかも、ああいうふうに言っていただいていることを回収するには、俺が売れて、本当にスターになるしかないんで。
—遼さんが考える、理想のフロントマン / ボーカリストとは、どういうものですか?
高岩:技術の部分はもちろんなんですけど、自分が歌手として死んだときに、今の仲間たちも含め多くの人から、「コイツいい男だったな」って言われるような、そういうフロントマンを目指していますね。そのためには、ただ歌が上手いとか、ダンスが踊れるとかだけではいけない。もっとメンタルというか、肝っ玉の話で。
—いい男には、どういうメンタルが必要だと思います?
高岩:どんなに小さい人間だったりミュージシャンだったりしても、優しい男でありたい。俺はこれから「富と名声ドーン!」っていうような、億万長者のスターになるつもりでいるんですけど、そうなっても驕らずに人に優しくありたいんですよね。
—遼さんは、リスペクトするスターとしてフランク・シナトラを挙げていて、アルバム『10』でもシナトラのレパートリーを4曲収録していますが、日本人で憧れる人って誰かいますか?
高岩:永ちゃん(矢沢永吉)。大好きなんで。シナトラも、歌が上手いのはもちろん、伊達男っていうのが一番大きい。俺はまだ28歳ですからね、ペーペーっすよ、マジで。
自分の弱さを出さないと歌手として大成しないって気づいた。ただツッパってるだけだと、レベルが低い。
28歳を「まだペーペー」と言うのは、なぜか? 高岩遼のソロデビューアルバム『10』は、構想10年。18歳のときに「ビッグバンドを率いたアルバムでソロデビューしてスターになる」と宣言し、親戚・仲間に反対されるなか、母親から「頑張ってこい」と背中を押されて地元・岩手県宮古市を飛び出してきた。18歳から、28歳へ。その10年とは、ミュージシャンに限らずどんな人にとっても、考え方や心のあり方が大きく変化する時間だろう。高岩は、18歳から28歳のあいだに芽生えた「ツッパり方」の変化を語り始めた。
—『10』は、ジャズスタンダードもある一方で、その他の楽曲の多くは遼さんのライフストーリーや内面が生々しく出ているものになっていますね。シナトラは、自分自身をさらけだして感情を素直に表現したスターのパイオニアとも言われていますが、彼の影響もあるのでしょうか?
高岩:いや、それは、SANABAGUN.やTHE THROTTLEのメンバーのおかげさんって感じですね。
—バンドメンバーのおかげ?
高岩:はい、この10年がそうさせたというか。もし5年前にソロアルバムを出すチャンスがあっても、多分書けなかったんじゃないですかね。要するに、ツッパり方の方向性が変わってきたんです。
—どういうふうに変わったのでしょう?
高岩:昔は、「東京、マジでぶっ潰してやる」とか、会う奴に「見てんじゃねえぞ、コノヤロー」みたいな、別にケンカをふっかけるわけじゃないですけど、ただただ赤い炎を燃やしていたんですよね。「俺は絶対スターになるんだよ、見てろ!」って、これは覚悟だなんだとか言いながら刺青を入れたりして。でも、28歳になって、自分の弱さを出さないと歌手として大成しないって気づけるようになってきました。ただツッパってるだけだと、レベルが低い。
『10』の1曲目“Black Eyes”から、俺の弱さを出す内容になってますからね。日本人としての葛藤を描きながら、自分に対して「おまえは本当にスターになれるのか?」って。Yaffle(Tokyo Recordings / 『10』のプロデューサー)から、「僕は、高岩遼の真実をもっと見たいんだよね」「あなたのその弱さがいいんじゃない」っていう話をずっとされていて。
—ツッパるだけだと人に伝わりきらないという感覚があったのでしょうか?
高岩:それはあるかもしれないです。もともとの人間が、昔はおデブで、インタールード(アルバム7曲目“10”interlude #3”)にもあったけど、お母ちゃんの服のなかに入っているような奴だったんで。
—お母さんが<飛び回って、やんちゃして、恥ずかしがり屋で、人が来ると私の割烹着のなかに隠れる。全然今と違うね>としゃべっているトラックですね。
高岩遼“10”interlude #3”(Apple Musicはこちら)
高岩:そう、マジ母です。「悔しいもの、悲しみとかを抱えて生きてるよね」ってよく言われていました。それが爆発する方向を間違ったらおっかないね、って。
幼稚園とか小学校の初めの頃は、甘えん坊だったし、人形に囲まれないと寝られない、そういうキャラだったんですよ。俺は本来、そういうナイーブな部分が大きい男で、それを出せる余裕のあるほうがかっこいいなっていうふうに思い始めたんですよね。それがこの10年で違いますね、絶対的に。
—アルバムのリード曲のタイトルは“ROMANTIC”ですけど、アルバム全体を通して自分の弱さを見せつつ、遼さんはやっぱり「愛」を歌う人なんだなとも思いました。
高岩:めちゃくちゃ嬉しいです。そうでありたかったですね。人を踏んづけたり貶したりするより、母ちゃんやおじいちゃんおばあちゃんの教えでもある「隣人を愛せ」「傷ついた人がいたら助けてやれ」ということを大事にしたかったです。
親父に対して「てめぇがいなかったらもっと幸せになれたかも」みたいに思う局面がすごくあって。
映像『高岩遼、おまえは誰だ?』のなかで、オカモトレイジ(OKAMOTO’S)は「弱点を知らない男」と言っていたし、実際、この記事の写真の風貌からも高岩の「弱さ」なんて微塵も見えないかもしれない。
高岩は、「どういう人生を歩んできたかって、あんまり口に出すほうじゃない」と言いながらも、自身の生い立ちやお母さん、おじいちゃんおばあちゃんの話を通して、その強そうな姿の奥にある弱さの正体を少しずつ明かしてくれた。
—子どもの頃は、なにに対して悔しさや悲しみを持っていたのでしょう?
高岩:やっぱり、離婚。小2のときに親父とお袋が離婚して、それまで横浜に住んでいたんですけど、宮古に帰って。宮古ではお袋と姉、お袋のお父ちゃんお母ちゃんと暮らしていたんですけど、おじいちゃんおばあちゃんも歳だったから、高校を卒業する頃にはお別れがやってきてしまって。そういう寂しさもあったし。貧困ではなかったし、いじめられていたわけでもないけど、没頭する先が、自分を強く見せるという方向だったんだと思います。
要するに、家族構成がほとんど女系なんですよ。だから「俺が守るしかねえ」って、エアガンとか刀を枕元に置いたり、「鍛えるしかねえ」と思って柔道部に入ったりして。小3くらいから合気道をやってたんですけど、それくらいからジャイアニズムみたいなものが育ったのかな。体が人よりデカかったから、外では子分を集めて「おいスネ夫」みたいなノリで悪ふざけしてたけど、家に帰ると「ねえ抱っこしてよ」みたいな。ゾウさんのぬいぐるみ抱いたり、スティーヴィー・ワンダーを流して一人で泣いたりしていましたね。
—振り幅がデカかったんですね。めっちゃ弱い部分があって、それを隠すために外では強がって、でも強がるのって無理することでもあるから、家に帰るとしんどさや弱さが溢れ出ちゃう、みたいな。
高岩:本当にそうですね。裏表がハンパないというか。性格的なものではなく、表現としての裏表がハンパなかったです。中学校では柔道部の主将、高校ではラグビー部のバイスキャプテンをやって、でも家に帰るとひたすら音楽聴いて泣いてました。
—その傾向は、上京してからも?
高岩:ずっとですね。これまで付き合った彼女にも、「あなたは一人じゃ生きていけないね」ってよく言われてました。でも、いつからか、SANABAGUN.やTHE THROTTLEで「よろしく」って振舞っている感じも、本当の自分になってきたところがあって。そんな28歳になった気がします。
—お父さんとは、小2以降、会ってないですか?
高岩:えっと……高2のときに1回会いました。そのときも、相当酷い男でしたね。横浜のジャズクラブに連れて行ってくれたんですけど、店内での態度は酷いし、結局ベロベロになって俺を中華街に置いてけぼりにするし。
—そうだったんですね。
高岩:親父の話は“Black Eyes”でしていますね。恥ずかしいんですけど、<一時停止 雨のフィルムノワール 蓋した殺意とドラマ>という一節。
高岩遼“Black Eyes”(Apple Musicはこちら)
高岩:俺、映画が大好きなんですけど、中学生の頃からギャングものとか人殺すやつが好きで。母ちゃんもかなり心配してたし、なんでだろう? って自分でも考えたときに、「ぶっ殺してやりてえ」みたい気持ちがそこにいくんだなって思ったんですよね。親父に対して「てめぇがいなかったらもっと幸せになれたかも」みたいに思う局面がすごくあって、それを映画見て解消するというか。でも28歳になって、このアルバムで、そういう気持ちとか過去に俺は蓋できたぜって。それをこの一節に収めておきました。
—遼さんの、男気をちゃんと持った男でありたい、優しい男でありたい、という気持ちって、お父さんを反面教師にしてる部分もあるんですかね?
高岩:それもあるかもしれないですね。親父は悪い意味でプレイボーイでしたから。高岩も残念ながらその素質は持ち合わせているんですけど、親父の場合は情が移っちまって女性に迷惑をかけてしまう。やっぱり浮気とか、女の子とバリバリ遊ぶってことは、性に合ってないかもしれないですね。健やかな、本当にいい家庭を築いていきたいと思うここ最近です。
しかも親父のお袋は、どうやらジャズのボーカリストだったらしいんですよ。でも、このババアも相当酷いやつで、僕の母ちゃんもだいぶ苦労したみたいですね。
—去年の夏、9年ぶりに宮古に帰ったそうですね。その経験は遼さんにとって、なにか大きい気づきを与えたりしました?
高岩:デカかったですね、あれは。正月に帰ることはあったんですけど、結局海の街なので、みんな夏に帰ってくるんですよ。だから、夏に帰るのをあえて避けていたんです。錦を飾るという意味で、「俺、ここまでやったぜ。おまえら、どうだ」っていうふうに言えないのはダサいじゃないですか。だから、それができるようになるまで止めていて。
でも、俺がどんなことを東京でやろうと、どんなにSNSのフォロワーやYouTubeの再生回数が伸びたりしようと、俺は「ラグビー部の高岩」だし「柔道部の高岩」だし、結局「遼くん」なんですよ。それがすごく嬉しかったですね。ああ、故郷ってこういうことかって。
—名誉とか成功は関係なく、「遼くん」として接してくれる故郷があると気づけたことが、歌手として自分の弱い部分とか悲しみを出していこうと思えたことに繋がってるとも言える?
高岩:ああ、まさにその意識が発揮されてるかもしれないですね。
ジャズのスタンダードで東京ドームは無理だなって気がしたんですよね。
上京してからの10年間、高岩は、SANABAGUN.としてメジャーデビューしたほか、ロックンロールバンド「THE THROTTLE」や、表現者集団「SWINGERZ」としても活動してきた。ソロデビューしてスターになることを志してきた男にとって、そういった活動にはどういうモチベーションを向けているのだろうか?
—18歳で上京して、音楽大学でジャズを学びながらソロデビューを目指すことに専念するという選択もあったと思うんですけど、SANABAGUN.やTHE THROTTLEを組んだのは、なぜだったんですか?
高岩:大学に通っているあいだ、ジャズボーカルとして、ジャズのスタンダードを歌うようなライブをしていたんですけど、音楽業界というものが身近に感じられるようになってきたときに、俺が抱いていたスターダムのイメージはジャズボーカルだけだと無理じゃないかって思ったんですよね。
自分の才能をもっと広めなきゃダメだって思ったときに、僕はもともとヒップホップのダンスをやってたし、ストリートが大好きだったから、ジャズとヒップホップを合わせようって言って、2013年2月にSANABAGUN.が立ち上がるんです。
で、親父はブラックミュージックが好きだったけど、お袋はハードロックが好きで、家ではQUEENとかScorpionsが流れてたし、自分が体育会系だった分、身体能力を生かしたなにかを作ろうとして、それならロックンロールだと思って、2013年5月にTHE THROTTLEを立ち上げたんです。
—ジャズではイメージしてるスターになれないと思ったのは、なぜですか?
高岩:ジャズ歌謡祭みたいなやつには出られるかもしれないですけど、ジャズのスタンダードで東京ドームは無理だなって気がしたんですよね。シナトラとかが歌ってきたスタンダードは、アメリカでは「ポップス」じゃないですか。アメリカ人の心を歌っているものだし。それって、つまり日本で言えば歌謡曲とか演歌だと思うんですけど、まず日本だと、ジャズを知ってる人の分母が違う。ジャズを日本でやることの難しさを感じて、すごく歯がゆかったし、ダメージくらいました。
—今回のソロアルバム『10』は、ジャズスタンダードも入ってるけど、オカモトショウ(OKAMOTO’S)さんとカバーしている“Strangers In The Night feat. Sho Okamoto”のサウンドの作り方は決して懐古主義ではなく現代のものとして仕上がっているし、オリジナル曲の音作りもチャレンジングですよね。
高岩:ポップスを作りたかったし、オリジナルでありたかったですね。「これが高岩遼のジャズの最先端だ」って出したかった。今回、自分のプロジェクトで初めてプロデューサーがついたんですけど、Tokyo Recordingsには「ポップス」というものがある気がしたからで。
僕のエゴで、ジャズのスタンダードをやりたいって言っても、それはただの焼き回しだし、アメリカのモノマネになる。そうじゃなくて、ブルーノートやヴァーヴなど名門ジャズレーベルを扱う「ユニバーサル ミュージック」(『10』がリリースされるレコード会社)という伝統あるところから、爆発的ななにかを出したかったんです。ロバート・グラスパーだとか、ニュージャズの流れをさらに超えたものを作りたかった。
高岩遼“Strangers In The Night feat. Sho Okamoto”(Apple Musicはこちら)
高岩遼『10』ジャケット(Amazonで見る)
常にもっと断崖絶壁で生きていきたいんです。
「俺はスターになる」。高岩は、家族や地元の仲間たち、オーディエンスや関係者に限らず、会う人すべてに、相手の目をまっすぐ見ながらそう語りかける。「実はこれは俺へのプレッシャーなので」とも話すように、そういった冗談抜きのビッグマウスは、自分の肩に自ら重荷を乗せる行為であるとも言えるだろう。正直私は、そんなことやりたくないし、できもしない。最後に、これからさらにビッグなスターになる男の「苦労を買ってでもしたい」というタフな生き方について聞いた。
—“Black Eyes”では<海を跨いで 叫び続けたい 君を背負って>という意思表明のようなラインがあるし、SANABAGUN.としてもNFLスーパーボールのハーフタイムショーで歌いたいと公言してきたけれど、世界で戦いたいという意思は強いですか?
高岩:戦いたいですね。グローバルな規模感で活躍していきたい。でもそのためにはまず、日本で大成しないとダメですね。日本人を味方につけて、「他の国でも戦ってこい」って送り出してもらわないと、意味がないような気がするから。世の中を振り向かせるためには、すべてを兼ね備えていないといけないですよね。それがすごいチャレンジだし、毎日楽しいんですよ。
—兼ね揃えないといけない「すべて」って、なんだと思いますか?
高岩:技術でもあるし、礼節を重んじること、驕らないこと、健康であること、妥協しないこと、寝る間を惜しむこと、つまりはタフでいること。そういうことですよね。苦労して、男としての年季をつけて、弱さを知る。そうするとさらにいい歌が歌えるようになる気がするんですよね。だから、常にもっと断崖絶壁で生きていきたいんです。
—11曲目“Someday Looking Back Today (Space Neon)”にちなんで聞くと、ものすごいスピードでいろんな物事が変わっている時代において、遼さんは、未来に対して楽しみか不安、どちらが大きいですか?
高岩:楽しみしかないですね。自分が生きてる年代、街、時間、すべてが最高でありたいですから。
高岩遼“Someday Looking Back Today(Space Neon)”(Apple Musicはこちら)
—シナトラは、『アカデミー賞』を受賞するほど役者としても活躍したし、ファッショニスタとしても支持を集めました。遼さんとしても、そういうあらゆるカルチャーの表現者でありたいという気持ちはありますか?
高岩:そうですね。スターになれるんだったらなんでもいいですもん。最終的に行き着くのは音楽なのかもしれないですけど、俳優もめっちゃやりたいですし。俺、北野武さんが超大好きなので、北野さんの映画に出たいです。「SWINGERZ」というジャズクラブを、将来原宿に出したいとも思ってるし。ファッションのほうでも店構えてみたいですね。
金稼ぎたいんですよね。以上です、っていう感じです。金稼いで、すべてをフックアップしたいし、すべての人に恩返ししたい。本当、それしかないですね。そのためには、スターになるだけ。必ずやってやります。
高岩遼『10』(Apple Musicはこちら)- リリース情報
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- 高岩遼
『10』(CD) -
2018年10月17日(水)発売
価格:2,808円(税込)
UCCJ-2160︎1. Black Eyes
2. Strangers In The Night feat. Sho Okamoto (OKAMOTO'S)
3. “10”interlude #1
4. Blame Me
5. “10” interlude #2
6. ROMANTIC
7. “10”interlude #3
8. Ol' Man River
9. Till I Die (Intro)
10. I'm Gonna Live Till I Die
11. Someday Looking Back Today (Space Neon)
12. Sofa
13. Try Again
14. “10”interlude #4
15. TROUBLE
16. My Blue Heaven
- 高岩遼
- イベント情報
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- 『リリース記念ライヴ「10」』
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2018年12月12日(水)
会場:東京都 渋谷CLUB QUATTRO
料金:前売4,000円(ドリンク別)
- プロフィール
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- 高岩遼 (たかいわ りょう)
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photo by Kiyotaka Hamamura
1990年8月27日生まれ、岩手県宮古市出身。平成生まれのヒップホップ・チームSANABAGUN.(サナバガン)、ニュー・サムライ・ロックンロールバンドTHE THROTTLE(ザ・スロットル)のフロントマンとして活躍。2つのバンドと並行して、13人のミュージシャン/アーティストがストリートを舞台にパフォーマンスを行う表現者集団SWINGERZ(スウィンガーズ)の座長としても活動。2013年から2016年12月までの約3年の間にSANABAGUN.、THE THROTTLE、SWINGERZのプロジェクトで行った路上ライブの回数は4000回を超える。2018年2月、New York Times紙発行のモード&ライフスタイル誌『THE NEW YORK TIMES STYLE MAGAZINE』のなかで「Tokyo’s Rising Musicians」(今、アツい東京のミュージシャン)として紹介される等、音楽とファッションの両面において国外からの注目を集めている。日本人離れした太く光沢のある声と、路上ライブで磨いたライブパフォーマンスが魅力。2018年10月17日、総勢20名以上のミュージシャンを従えてRed Bull Music Studios Tokyoでレコーディングされたソロ名義での待望のデビューアルバム『10』がユニバーサル ミュージックよりリリース。
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