クリエイティブの力でがん患者を支援。「LAVENDER RING」とは

乳がんに関する知識を広め、早期検診や予防をうながすマークとして「ピンクリボン」はよく知られている。では「ラベンダー」は、どんな意味を持っているかご存知だろうか? 正解は、あらゆる種類のがんと、その支援・啓発だ。このラベンダーにちなんだ「LAVENDER RING」(ラベンダーリング)」という活動を、資生堂と電通が推進している。

同プロジェクトは、がん患者を資生堂がその人らしくメイクし、そのいきいきとした姿を写真に収めて発信しようという活動だ。撮影した写真はその場でプリントアウトされ、被写体が打ち込んでいる趣味や活動を象徴する言葉を添えて、掲示される。そこには、がんに苦しむ困難さではなく、がんとともに生きることが普通の生活の延長としてあることと、そのような環境だからこそ際立つ個人のパワーやアイデンティティーのきらめきが示されている。

この活動に関わる電通の月村寛之、資生堂の金澤正人と小林重郷、そしてがんサバイバーとして撮影に参加した浜田勲に話を聞いた。

「がん=すぐ死に至る病」というイメージが残っていて、孤立感や疎外感に苦しむ患者さんが多い。(月村)

—「LAVENDER RING」の取り組みについて、ご説明お願いできますか?

月村:きっかけは、僕の個人的な経験です。2015年秋に会社の部下の御園生(みそのう)さんから「がんになった」という電話をもらったんです。肺腺がんのステージ3Bという状態で、今後の働き方について相談を受けました。

がんは日本人の2人に1人がなる病気と言われていて、統計では男性の発症率が60数%、女性で40数%。誰もが当たり前になりうるものです。しかし、実際にがんと診断された人のうち約3割が仕事を辞めてしまい、さらに精神的な不安をかかえる方もいらっしゃいます。未だにがん=すぐ死に至る病というイメージが残っており、本来は共存していけるにもかかわらず、疎外感や孤立感に苦しむ患者さんが多くいるのが現状なんです。

左から:小林重郷、月村寛之、浜田勲、金澤正人

月村:しかし、そうやって御園生さんと距離を作るような状況に僕はしたくなかった。そこで、会社のみんなにがんのことを話して協力してもらうことにしたんです。部員でカレンダーを共有していたので彼の通院状況からみんなで仕事の按分を考えるとか、「FIGHT TOGETHER」というスローガンを入れたステッカーを作ってみたりだとか。

—月村さんのPCに貼ってあるものですね。

「FIGHT TOGETHER」ステッカー

月村:この活動が、僕らのまわりで広く浸透していったんです。それから約2年後、御園生さんから「この活動で自分は精神的に楽になった。もっと多くの人に広めていきたい」という話があり、本格的に考えることになりました。それで調べてみると、「がんサバイバー」にまつわる活動というのはけっこうあるんですよ。

—がんサバイバーとは、ガンを一度でも経験した人、つまり治療中の人だけでなくがんを克服した人のことも指すのですね。

月村:例えば、湘南ベルマーレのフットサル選手・久光重貴さんも肺腺がんがわかった時はステージ3Bだったそうですが、レギュラーで活躍なさっています。元気にフィールドを走っている写真を御園生さんが見つけて、「こんなに元気な人がいるんだから、どんどん写真に撮って発信できるじゃないか!」と思いついたんです。

僕ら電通の職場は東京・汐留にあるんですけど、道路1本挟んだむこうに資生堂さんの社屋があって、資生堂といえば、人の美しさや生き生きとした姿にかかわる仕事をずっと続けてきた会社ですよね。そこで思い立って、相談しに出向いたわけです。

月村寛之(電通/「LAVENDER RING」運営)

がん患者の人の元気な姿を撮ってポスターにするというのは、なかなか難易度が高い。(金澤)

—それが「LAVENDER RING」の実現につながったわけですから結果は明白ですが、最初の印象はいかがでしたか?

月村:想像以上にウェルカムでした(笑)。資生堂さんには「資生堂ライフクオリティービューティーセンター」という施設があって、最初は戦禍によるやけど痕をメイクでカバーすることから始まり、傷痕やあざ・白斑・がん治療の副作用による外見変化をカバーする活動を続けてきていたんです。

そういう背景もあって、僕らが提案した構想に前向きに賛同してくださったし、撮影を担当するフォトグラファーとして資生堂トップの金澤さんが自ら志願してくださいました。

金澤:最初は「誰かアシスタントフォトグラファーを紹介してくれませんか?」という話だったんですよ。でも、がん患者の人の元気な姿を撮って、その場でポスターにする……というプランはなかなか難易度が高い。

金澤正人(資生堂フォトグラファー)

金澤:フォトグラファーの技術として、かっこよく、美しく撮ることはできても、その場の雰囲気作りや被写体とのコミュニケーションに関して気を配らないといけない部分も多い。そう考えると、若い人に任せるよりも、僕が出たほうが何かと利便性は高いし発信力も高められるだろうと考えたわけです。

「LAVENDER RING」での撮影中の様子

月村:2017年6月に話がまとまって、8月に『ジャパンキャンサーフォーラム』で最初のブースを出して、翌年2月4日の「世界がんデー」に合わせてクレディセゾンさん、Yahoo!さんの協力でイベントと撮影を行い、さらに8月と、あっという間に活動が広がっていきました。そこには、サバイバーの方たちの人間力、自己表現することへの熱い想いも不可欠で、浜田さんとの出会いも大きかったです。

左から:月村寛之、浜田勲

「撮られることで、僕は生まれ変わった」と思いました。(浜田)

浜田:僕が参加したのは、2月の「世界がんデー」でした。僕自身、がんサバイバーで5年前に顔にできるがんになったんです。腺様嚢胞(せんようのうほう)がんといって、右側の顔面神経、顎関節を半分切除しています。

略称をACC(Adenoid Cystic Carcinoma)というのですが、10万人に1~2件というかなりレアなケースなので、がんに悩む人たちのなかでも、さらに相談できる仲間が限られている。その状況を変えたいし、あと変に暗いイメージを持っているのもいやだったので、「TEAM ACC」というスポーツのクラブみたいなイメージの患者会を立ち上げたんです。僕はその代表なので、まあクラブの監督というかリーダーみたいなものですね(笑)。

浜田勲(TEAM ACC)

月村:がんの患者会というのはかなり前からあり様々な団体が活動をされているんですが、突如としてTEAM ACCというかっこいい集団が現れたんです。

浜田:希少がんは情報量が少ないですから、ブログを使って治療にかかわる情報を発信・共有する意味もありました。それで2018年2月の「LAVENDER RING」の撮影に参加したんです。じつは金澤さんが同じ大学の年の離れた後輩だったこともわかっていて、なんだか運命的なものを感じましたよ。

金澤:「先輩、よろしくお願いします!」って感じで、別の意味で緊張しちゃったり(笑)。

浜田:すごく気さくに、素晴らしい写真を撮っていただいて感激しました。もっと言うと「撮られることで、僕は生まれ変わった」と思いました。

顔面神経を切除したということは、つまり100%の笑顔で僕は笑うことはできない。なかば冗談のように「僕の笑顔は50%」というキャッチフレーズを使ってきたんだけれど、実際、全力の笑顔でも半分しか目には見えないんです。でも、気持ちのなかにある100%を金澤さんは写真に表現してくださった。それもあって、TEAM ACCは「LAVENDER RING」を全面的に応援し続けようと思っているんです。盛り上げ部隊のように(笑)。

金澤:それがありがたいんですよ。撮影の技術としてライティングやアングルで楽しく見せることはできます。それこそうまく笑えなければ、手を使って顔をちょっと上げてみせたっていい。でも、そこに至るまでのテンションを作るのが大事なので、浜田さんたちの協力で気持ちが解放されるサバイバーの被写体はとても多いです。

浜田:こちらこそですよ。

金澤:いい写真って、簡単に言えば被写体の「個性」次第なんです。誰だってネガティブになったり緊張しちゃうことは多いけれど、じつは自分が思っている以上に、みんなうまく笑えている。それは別の症例の人も同様で、例えば義手の人だったら、むしろそれをアピールすることで、ポジティブでかっこいい写真ができる。

左から:浜田勲、金澤正人

浜田:このイベントに応募した段階で、みんな心のどこかで「一歩先に進みたい」と考えているはずなんですよね。がんを受け入れられなくて気持ちを止めてしまう人はかなり多い。でも、その心の殻をなんとか破りたい、これからもどんどん生きていくんだ、って前向きな願いを持っているからこそ「LAVENDER RING」への応募者が増えているのだと思います。

月村:一度でも来ていただくとわかるんですが、「LAVENDER RING」のイベントはテンションが上がるんですよね。撮影する金澤さんのシャッター音が常に聞こえていて、メイクチームも声をかける。それが、どんな人でも持っている表現力をさらに解放するというか。

撮影に合わせて、15分くらいみなさんにインタビューもするんですが、Facebookで公開している映像を見返すと、がんっていう大きな出来事を経験したからこその人間の強さも伝わってきます。

月村寛之

金澤:これまで4回やってきたけれど、最近はみなさんから挑戦されている感じがすごくあります。

月村:8月はハワイアンの衣装を着てくる人が何人もいらっしゃいましたね! コスプレする人もいるし、「LAVENDER RING」のイベントがある種の「祝祭」の場になっている。SNSを使った発信・拡散・共有という現代的な要素もありますが、メイクと写真という技術は、ずっと昔からあるものですよね。だからこそ、人間を解放する力があるように思います。

あと、男性の参加者が興味深いですね。いやだよ、メイクなんて」って躊躇していても、最終的にはノリノリ、なんてこともある。

女性と比べて男性は感情のバリアが厚いけれど、一度突き破ると女性以上に撮影されると喜ばれる方が多い気がします。

活動を通じて、同じ悩みを持つ友だちに出会えたことこそが大きい。(浜田)

—小林さんは、「LAVENDER RING」にプロデューサーとして参加しているそうですね。

小林:はい。僕は広報部出身で、資生堂が進めるサステナビリティー戦略の観点から「LAVENDER RING」に関わっています。さきほど月村さんから紹介があったように、弊社では戦禍による傷痕をカバーするメイクなど、長い時間をかけた活動に力を入れていますから、一過性で終わらせないことが重要なんですね。

営業や店頭で関わる仕事を長年していると「自分は何のために仕事をしているんだろう?」と、活動の本質を見失ってしまうことがあると聞きます。資生堂の本質は、ビューティーを通して人を幸せにすることですが、「LAVENDER RING」にはまさに弊社の原点があると思っています。だからこそ、個人の熱量にだけ頼らない大きな活動に育てていきたいんです。

小林重郷(資生堂プロデューサー)

小林:「LAVENDER RING」の冊子には、2018年4月の創立記念日に資生堂が発表した企業広告「LOVE THE DIFFERENCES. 違いを愛そう。」のビジュアルとコピーをアレンジしたものを掲載しています。

「LAVENDER RING」用にコピーをリライトした「LOVE THE DIFFERNCES.」ビジュアル

ここには「多様性を通じてイノベーションを起こし続けていく会社になる」という意思、何らかのハードルやバリアによって社会と接することが難しくなった人に、自分のありのままの気持ちを表に出して生きていくためのサポートを資生堂がしていくのだ、という気持ちが込められています。その意味で、「LAVENDER RING」の活動は弊社の原点と結びついたものであり、ここから自分たち自身も学びを得ていく必要があるんです。

—資生堂が、戦禍による傷痕をカバーするメイクを行なっていることを知りませんでした。かなり歴史のある活動なのでしょうか?

小林:1956年から始めていますから、もう半世紀以上続いています。化粧品作りというのは参入障壁の低い産業なのですが、傷痕や火傷などの深い肌悩みに関しては長い研究を要します。ユーザーの数も限定されますし、利益はほとんどないに等しいのですが、これも弊社の存在理由である「ビューティーを通して人を幸せにしてきたい」という想いと、深く結びついた活動なんです。

—広い意味での「美」が誰にとってもずっと続く大きな関心であるのと同じように、がんに代表される病気との共存も継続的な人生のテーマと言えます。そういう意味でも、「LAVENDER RING」の継続性には期待したいです。

月村:社会におけるLGBTQの人の割合は13人に1人と言われていますが、13人って言ったらちょっとした会議の参加人数くらいですよね。思わず発してしまった不容易な発言が、自分と性的志向の異なる人のあいだに壁を作ってしまう可能性は当たり前にあって、それはがんの場合も同様です。

その壁を最初から壊すことは難しいし、何の知識もないままに壊そうとすることには危うさが伴います。だからこそ、「LAVENDER RING」のような活動を通して、状況を共有すること、がんであることが決して特殊なことではないのだと伝えていきたいんですよ。

浜田:僕もまさか顔にがんができるとは思ってもみませんでしたからね。腺様嚢胞がんは抗がん剤が効きにくいと言われていて、他に転移する可能性があります。実際、僕も肺に転移していてレントゲンを撮ると、肺の1 / 3は真っ白な状態。でも進行がゆっくりなので、生活には支障はありません。

そういうことも知ってもらいたいし、何よりTEAM ACCや「LAVENDER RING」の活動を通じて、同じ悩みを持つ友だちに出会えたことこそが大きい。

—孤立しないというのは大きなメリットですね。

月村:コミュニティー意識ですよね。会社だってそうで、社員管理と考えるとドライにもなるけれど、20人くらいの規模の部署だと思えば、それはコミュニティーそのものですからね。御園生さんのがんが、僕たちの結束をさらに強めたようなところがあります。

壁やバリアはたしかにあるけれど、それはけっして大きなものではないということ。(小林)

小林:「LAVENDER RING」の活動で「がんのことを知れ」だなんて高圧的に言うつもりはないんです。言いたいのは、壁やバリアはたしかにあるけれど、それはけっして大きなものではないということ。目を逸らさなければ耐えられないようなものではなくて、普通の人が普通に付き合っていける仲間だということなんです。

小林重郷

—病気に限らず差別の問題で難しいのは、違いをなくそう、フラットにしようという意識が逆に排他的な空気を生んでしまうことかもしれません。でも、重要なのは「線」があったとしても、その線が一様に高くて超えることの困難な線ではないと知ることのような気がします。俯瞰して見れば同じ線でも、地面から見たらちょっとまたげば越せるくらいの高さの線かもしれないわけで。

小林:その発想は、たぶん日本だからこそできることだと思います。

日本は融合と蓄積を繰り返して成長してきた国ですよね。日本におけるダイバーシティー、多様性というのは「違いを知ると同時に、それをシェアして融合を目指しましょう」という色合いが強いんです。そこに「LAVENDER RING」の発展可能性もあると思います。

月村:スタートのきっかけはがんサバイバーの孤立をなくすことにありましたけれど、さらなる展開も考えていきたいと思っています。

サイト情報
『こちら、銀座 資生堂 センデン部』

『こちら、銀座 資生堂 センデン部』は、資生堂の「美」を世界に発信することを目的に、資生堂クリエイティブ本部が中心となり、運営しているサイトです。私たちはテレビや雑誌の広告だけでなく、世界各地で販売されている化粧品のパッケージから、お店の空間デザイン、商品のブランドサイトまで、さまざまな「美」のクリエイションを手がけています。アイデアからフィニッシュワークまで手がけるそのスタイルは、企業の中にありながら、まるで一つの工房のようでもあります。この連載では、私たちのサクヒンが世の中に誕生するまでのストーリーや、作り手の想いを語るハナシなどを、次々とご紹介しています。

「LAVENDER RING」

企業や人、行政や学校、病院など、活動の趣旨に賛同してくださる有志の方たちが自由に参加し、それぞれが「できること」を持ち寄りながらがんになっても笑顔で暮らせる社会の実現を目指して具体的なアクションを起こしていく場です。

プロフィール
金澤正人 (かなざわ まさと)

1967年東京生まれ。1988年東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。同年、株式会社資生堂宣伝部入社。現在同クリエイティブ本部所属。資生堂の広告写真の撮影に携わり、多くのブランドの撮影を行う。主な仕事として、マジョリカマジョルカ、マシェリ、Ag+、ウーノ、HAKU、モデルカレンダー等、多数担当。

小林重郷 (こばやし しげさと)

1977年東京生まれ。2001年慶応義塾大学法学部政治学科卒業。同年、株式会社資生堂入社。営業、国際広報、社内広報の仕事を経て現在同クリエイティブ本部所属。主にコーポレートコミュニケーションのプロジェクトにてプロデューサーを務める。

月村寛之 (つきむら ひろゆき)

電通CDCチーフプロデューサー。電通入社後、サントリーのクリエーティブ担当営業、ナカハタ(コピーライターの仲畑貴志と設立)社長などクリエーティブのプロデュース業に携わり、現職。LAVENDER RINGの他には、2025年大阪万博誘致(決定)のプロデュースやスタートアップのクリエーティブ面でのアクセラレータープログラム「GRASSHOPPER」を主宰し、クリエーティブ思考で社会にインパクトを与えることを仕事のテーマとしている。

浜田勲 (はまだ いさお)

腺様嚢胞癌(ACC)の仲間と共に生きるためのチームTEAM ACCチームリーダー。2013年秋、頭頸部の希少がんである耳下腺・腺様嚢胞癌(じかせん・せんようのうほうがん)がかなり進行したSTAGE・Ⅳで発覚。手術により顔右側の顎関節・頬骨等を切除すると同時に顔面神経全摘出。摂食に関する機能障害、アピアランス(容姿)の変化を余儀なくされるも希少な体験を世の中に広めるためブログで闘病記を発信。2015年7月に肺への多発転移が発覚したが治療法が無く現在まで無治療となる。2016年夏に同じ境遇で悩む腺様嚢胞癌(ACC)の仲間を励まし一緒に生きるためのチーム「TEAM ACC」を起ち上げ仲間を励まし勇気に繋がる活動を続けている。



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