「ホームドラマ」と聞いてあなたが思い浮かべるものは? 名画好きなら小津安二郎の『東京物語』、テレビっ子ならアニメ版が今年で50周年になる『サザエさん』、海外ドラマファンなら往年の人気作『フルハウス』など、何を連想するかは人それぞれだろう。
三上亮と遠藤幹大は、東京・千住の街に残る日本家屋「仲町の家」で、彼ら流のホームドラマを作りあげた。主役は俳優ではなく、この情緒深い家そのもの。「私は家」という独白で始まる不思議な映像や、スピーカーから聞こえる誰かの暮らしの音、そして謎めいた半透明の革靴。そこから、フィクションでもノンフィクションでもない、異なる時空の交わる「ドラマ」が始まる。
これは、アートプロジェクト「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」から生まれた映像とサウンドのインスタレーション『Under Her Skin』の展覧会。展示会場でもある「仲町の家」で、2人に話を聞いた。
知らない町をさまようときの迷子の感覚。その感覚は、映像を作りながら意識していましたね。(三上)
—この日本家屋「仲町の家」は、もともと江戸時代に千住を宿場町として開発した方のもので、ご子孫が代々継承してきたそうですね。今回の展示『Under Her Skin』は、この「家」を主人公にした「ホームドラマ」をインスタレーションにしたものだという説明が、とても面白いと思いました。
三上:ここは2018年から、アートプロジェクト「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」の一環で、文化サロンとして開放されています。ここで最初のアート展ということで声をかけてもらったとき、「ホームドラマ」というキーワードが、僕と遠藤のあいだでどちらからともなく交わされたんです。
遠藤:うん、そうでしたね。
三上:僕のなかでは『岸辺のアルバム』(1970年代の名作ホームドラマ。原作、脚本は山田太一)みたいなイメージもあったし、長らく同じ家族が受け継いできた家屋の佇まいからは『サザエさん』も連想しました。ちなみにここで最後に暮らしていたのは4人の姉妹だったそうで、ご近所付き合いはさほどなかったようですが、この家のなかで彼女たちが仲よく、楽しく暮らす姿を想像したりもしました。
—2人は『さいたまトリエンナーレ2016』でも、一軒の住宅を使ったインスタレーション『家と出来事 1971-2006年の会話』(劇作家の松田正隆との協働)を発表していますね。その作品は家でのさまざまな人生を思わせる断片的なシーンを、録音された声で体験するものでした。
ただ、今回の主人公は人ではなく、この家そのものですね。奥の部屋で上映される2画面の映像作品『Under Her Skin』は、まさに「私は家……」という、女性の声による独白からはじまります。外界からは見えない家族の歴史を連想させる一方で、この家の視線が時空を超えて街へさまよい出るようなシーンもあります。
三上:映像は、この家が過去から現在まで見てきた半径数kmの風景をめぐるようなもので、家が語り、ドラマを紡いでいくようなものになっています。僕自身は記憶や無意識、モニュメンタルなものがもつ記憶のようなものにずっと関心があります。でも遠藤と2人でやるときは、互いにリアクションしながら作る感じで、今回はホームドラマの他にも、「境界」というキーワードがありました。
遠藤:カメラは、かつて千住で発展した軍靴の製造工場の歴史や、現在はマンションや公園が整備された街の風景をとらえながら、移動していきます。この家がもつポテンシャルに加えて、異なる時空を交差させ、そこに交通を作っていくようなことができたらと考えました。
三上:第二次世界大戦のときには周囲がほとんど空襲で焼けてしまった中、この家はギリギリ焼失を免れたと聞きました。そうしたことの一方で、最後にここで実際に暮らしていた4姉妹は自分たちの暮らしを楽しんでいたのではないかと思うんです。おそらく裕福な家系の方々でしょうし、姉妹は麻雀が趣味だったという話も聞くと、この家の内側ではちょっと浮世離れした暮らしもあったのかな、などと想像します。
—映像作品は、そうした歴史的事実や、私=家による私的で詩的な断片が左右の画面に入れ替わり現れます。完全なフィクションともノンフィクションとも言えないし、鑑賞者はその声の主であるはずの「家」の中でこの映像を体験するので、とても不思議な感覚になります。
三上:たとえば僕らが普段、道を歩いているときは、本当にいろんなことを同時に考えていると思うんです。目の前のお店でもめているオジサンがいればそちらに気をとられるし、一方で今日の夕飯の買い物は何にしようか、などと考えている。ある意味では分裂症的とも言えるくらい、風景と自分との対峙みたいなものは常にとりとめなく起きているんですよね。
関連して、例えると「迷子」の感覚とも近いと思います。迷子の状態って普通、できればなりたくない状態ですよね。でも、知らない町をさまようときって、感覚が鋭敏になりませんか? そういう中で、昔と今という時代の隔たりや、外見は似ているけど違うもの同士の境目があやふやになって、「とりとめのなさ」が鋭敏になる感じ。その感覚は、映像を作りながら意識していましたね。
身体で感じて、知識を使って組み立てて、最初に得た身体的な感覚を表現する。(三上)
—三上さんから、さまよいの中で「鋭敏になる感じ」というお話がありましたが、たしかに、映像の中には、穏やかで美しい情景でも静かな緊張感のようなものを感じるシーンもあります。パッと見には変哲のない風景だけど、そこに何かがありそうで、はっきりとはわからないけど、そのまま近づいていくような。
遠藤:前作の『家と出来事 1971-2006年の会話』のときと同じように、今回も対象となる家の周囲をかなり歩き回りました。その中で、思わぬような過去の出来事にふれることが、何度もありました。たとえば、事件としても大きく報道された、すでに亡くなった父親が生きているように装って年金を受け取り続けていた家族が逮捕された年金不正受給事件(2010年)も、ここから割と近い場所で起こった出来事だった。
こうした事件性のある例も、麻雀を楽しむ4姉妹のどこかユートピア的な逸話も含めて、家は家族を社会から隠しておくものでもあるな、と思わせられました。
三上:このエリアの川向こうには、歴史的にも死のイメージにつながる側面がありますよね。江戸時代の仕置場(処刑場)跡地があったり。そうすると、あちらとこちらが接するのは「三途の河」なのかなとか。
—そうしたお話を聞くと、『Under Her Skin』というタイトルから改めてすごく色々なイメージがふくらみます。
三上:かつてこの近くにあった靴の工場って、皮を扱っていたんです。皮というのは、身体の内側と外界をへだてる境界でもある。そこから「内臓感覚」っていうキーワードも2人の間ではありましたね。これは僕ら2人以外には、あまりピンときてもらえていない気もするけれど(苦笑)。
遠藤:たしかに(笑)。でも、内臓感覚という言葉は、この地域が川に囲まれていることから始まって、人間も全体的に水でできているし、生まれるまでいる胎内は水風船のようなかたちでもある、という連想がありました。
—なるほど……。2人は、かなりロジカルに作品を組み立てていく印象もある一方で、出てくる表現は直感的な感覚が強いのも面白いですね。
三上:先に身体のほうで感じて、後から知識も使って組み立てていくことで、最初に得た身体的な感覚を表現する。そんなことができたら自分たちの作品として成立するな、という感覚はあります。
—そういえば、会場に展示している半透明のオブジェ作品『コラーゲンの革靴』は、映像にも登場していました。その靴の工場はコラーゲンも扱っていたそうですね。『さいたまトリエンナーレ2016』のディレクターだった芹沢高志さんによるテキスト(「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」の広報誌に掲載)にある、この家があの靴を履き、街の今の様子を見るために外をさまよい歩いたのだろう、という解釈はとても素敵でした。これもひとつの、境界の行き来ですね。
三上:小津安二郎の『東京物語』で、老夫婦が訪ねた息子たちの家もこのあたりだったんですよね。夫婦の会話で「ここは東京のどのあたり?」「東京の端の方だよ」みたいなやりとりがある。
じつは『東京物語』の存在って、僕の中では今回の展示の通奏低音のようなものでもあるんです。これはネタバレ的になってしまうけれど、今回、会場にはもうひとつ『Fragments of Invisible』という作品があります。これはスピーカーから、この家にあった「暮らし」を連想させる音が流れるものですが、実際はこの家の中で『東京物語』の家屋内のシーンの動きを再現しながら録音したものです。
—それは気づきませんでした! ここにもホームドラマの要素があった。
三上:はい、言われないと絶対に気づかないと思います(笑)。小津映画の登場人物の動きって、不思議ですよね。誤解を恐れずに言うと、無駄な動きが多い。無為の行動というか、はっきりした理由がある動きには見えないものが多くて、ただ「その行為がある」。そしてその行為がやたらと長い(笑)。
この家を知り、近辺を歩き回る中で、自分の身体や価値判断が変容していく感覚がありました。(遠藤)
—この日本家屋に配された3つの作品が、多様な「境界」を行き来していることがわかってきました。2人がこうした表現を通してやりたかったことは、何でしょうか?
三上:やっぱり、面白いものを作りたいのだと思います。そして僕自身は、その面白さというのは「発見」だと考えています。たとえば数学の問題で「この図形のここの角度を求めなさい」みたいなときに、そこへシンプルな補助線を1本引くだけで、答えが出るようなことがありますよね。
それまで見えていなかったことに気づくことができる、そういう瞬間に僕は感動します。自分たちの映像や音を通した投げかけが、この世界における補助線になりえたらいいなと考えています。
遠藤:今回の作劇は、いわゆる一般的なドラマの作り方とは明らかに違います。ただ、自分自身この街の外からやってきてこの家を知り、近辺を歩き回る中で、自分の身体や価値判断が変容していく感覚がありました。観てくれる人にもそういった感触が届けば嬉しいですね。
—オープニングの日には、足立区立郷土博物館の学芸員で、この地域の研究をなさっている多田文夫さんとのトークもありました。多田さんは今回の作品にとても興味を示していましたね。
三上:多田さんは、僕らから見ると探偵や刑事のようなんです。歴史について、「こうだったはずだ」とまず考えて、その裏付けを探していく。裏付けが見つからないうちは、自分の考えを公には発表できないというお立場で、そこは僕らと正反対かもしれません。
僕らにとっては、事実や状況はすでにあって、そこからどう表現につなげるかが主な仕事です。でも、アプローチは違っても常に「想像」している点では一緒で、まして多田さんがお持ちの、この街に対するリテラシーは僕らよりずっと豊かなので、面白がってもらえたのかなと思います。
—開催側の方に聞いたのですが、あるご老人がこの家の見学にきて、今回の展示に出会ったとき、ご自分の俳句の師匠の教えだった「モノが語る声を理解できないと、俳句は読み解けない」という言葉を思い出したそうです。とても興味深く思ったのと同時に、この展示が過去だけに向いているのではなく、今とこれからの話なのだろうと改めて感じました。
三上:家屋としてはとても古い歴史を持つ場所ですが、文化サロンとしての「仲町の家」は、まだ幼い存在とも言えると思います。そこでの最初のアート展なので、地域や場所に馴染ませすぎないというか、多少振り切った感があってもよいと思っていたのですが、そういうお話を聞くと嬉しいですね。
遠藤:この場所はコミュニティスペースとして、いろいろな人々や営みをつなぐ場所になると思います。その一方で、そういった直接的な関わりとは異なる過程で生まれる「つながり」も世界にはあると考えていて、今回の作品は、そうしたことがやれていたらいいなと思います。
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- アートアクセスあだち 音まち千住の縁(音まち)
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アートを通じた新たなコミュニケーション(縁)を生み出すことをめざす市民参加型のアートプロジェクトです。足立区千住地域を中心に、市民とアーティストが協働して、「音」をテーマにさまざまなまちなかプログラムを展開しています。日本家屋「仲町の家」も文化サロンとして土日月・祝日にオープン中。
- イベント情報
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- 『表現(Hyogen)|音の間(おとのま)
日本家屋の空間でうまれる音楽のかたち』 -
2019年2月2日(土)、3日(日)、9日(土)、10日(日)
会場:東京都 北千住 仲町の家
時間:13:30~16:00
料金:無料4日間の制作の成果と、表現(Hyogen)のオリジナルナンバーや即興演奏を交えたコンサートを開催
2019年2月10日(日)
時間:18:00開演(17:30開場)
出演:表現(Hyogen)
会場:東京都 北千住 仲町の家
料金:1500円
定員:20名(要予約)
- 『表現(Hyogen)|音の間(おとのま)
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- 『IMM|フィリパピポ!! ザ・ファイナル』
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2019年2月16日(土)
会場:東京都 千住 東京藝術大学 千住キャンパス 第7ホール
料金:無料 ※フード・ドリンクは有料
時間:17:00-20:00(ステージ開始 17:30)
定員:100名(先着順・事前申込優先)
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- 千住タウンレーベル presents「千住持ち寄りレコード鑑賞会」
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2019年2月17日(日)
10時30分~12時30分
会場:東京都 北千住 仲町の家
参加費:無料
持ち物:馴染み深い、思い出のある、かけてみたいレコード
レコードをお持ちでなくてもご参加いただけます
- プロフィール
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- 三上亮 (みかみ りょう)
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1983年、神奈川県生まれ。アーティスト。2008年、東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科卒業。2011年、東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修了。
- 遠藤幹大 (えんどう みきひろ)
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1985年、三重県生まれ。映像作家。2008年、京都造形芸術大学映像舞台芸術学科卒業。2013年、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻修了。
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