なんでもない街の風景を魅力的に輝かせる人たちがいる。彼らは、ふだん歩いている通りや見慣れた住宅街の景色を、ちょっとした想像力をきっかけにして、ガラリと変えてしまうのだ。
日本随一の郊外都市であり、世間では自虐的なイメージで注目を集めてもいるさいたまは、2020年に『さいたま国際芸術祭2020』の開催を控えている。本芸術祭のディレクターに就任した遠山昇司は、映画監督として活動しながら、アートプロジェクトや舞台作品などの企画、プロデュースも行う人物。今回、その芸術祭ディレクターである遠山と、前回「新しい骨董」のメンバーの一人として『さいたまトリエンナーレ2016』に参加した編集者、影山裕樹との対談機会を得た。
映画や演劇、フェイクシンポジウム、街あるき小説など、「アート作品以外」の領域で地域発のアートプロジェクトを数多く実践し、時に協働もしてきた2人は、どのように街を変化させてきたのだろうか。『さいたま国際芸術祭2020』が地域にもたらすものの輪郭を辿りながら、「街に魔法をかける」方法を聞いた。
さいたまを「東京との関係」でしか考えていなかったけれど、さいたまの中だけでも充分遊べることに気づいた。(影山)
―まず率直に、お2人はさいたまをどのように捉えていますか?
遠山:僕は映画監督でもあるので、まずはロケハンの感覚でさいたまをしっかり見ることから始めようと、芸術祭のディレクターに就任してから、この1年でいろんな場所やそこに住む人たちに出会ってきました。
そこで感じたのは、「さいたまはグレーのバリエーションだ」ということです。いろんな色の絵の具をどんなに混ぜても完全な黒にはならないように、グレーは様々な色を内包しています。さいたまは一言では言い表せないんですよ。
―一口に「さいたま」といっても、いろいろな場所と要素がありますよね。
遠山:多くのコミュニティーや地域性がミックスされ重層的になっていて、土地利用に関してもパッチワーク的です。たとえば芸術祭のメインエリアである大宮駅周辺も、駅を出るとカオティックな商店街があるかと思えば、そのすぐ側に氷川神社の参道がある。そういった街の佇まいこそが、素晴らしいと思うんです。
影山:僕が前回の『さいたまトリエンナーレ2016』に新しい骨董のメンバーとともに参加した際、主に滞在していたのは浦和でした。浦和にはいい飲み屋がいっぱいあって飲み歩いていた(笑)。その時に知り合った友達から、たとえば浦和には他にこんな店があるから行こうとか、次は武蔵浦和に遊びに行こうとか、さいたま市内だけでハレ(非日常)とケ(日常)を完結させてしまうのが面白かった。
みんな、さいたまを「東京との関係」でしか考えていなかったけれど、さいたまの中だけでも充分遊べることに気づいたんです。その経験から、ステレオタイプではない「さいたまらしさ」をもっと発信していく必要があると感じました。
―前回の『さいたまトリエンナーレ2016』を経て、今回はどんな内容を考えているのでしょうか?
遠山:前回から引き継いでいるキーワードは「生活都市における祝祭」です。影山さんが言ったように、さいたまは生活圏の中で循環できる。僕の映画は、いわゆる観光地では撮らずに、何気ない地域から美しさを見出したり、物語を生み出したりしてきました。その感覚を大事にしたいと思っています。
あと重要なのは、その土地に住む人が何を美しいと思えるか。今回の芸術祭のテーマを「花 / flower」としたのも、既に「花」という存在が重層的な意味合いを持っているが故に生み出せる新たな視点、そして開催期間中はまさに花が咲き誇る時期でもあるということからです。駅から自転車でちょっと10分移動するだけで、田園地帯が広がっていて、菜の花畑や桜並木があったり、全然違うものが見えてくる。純粋に美しい風景があるこの街の奥深さを伝えたいですね。
影山:やっぱり遠山さんは映画監督ですよね。一緒にアートプロジェクトをやっていても、風景や画角で街を見ていく。この芸術祭の英語表記も「Saitama」ではなく「Sightama」ですしね。映画的な目を持って、何気ない風景を美しく見る思考回路があるんだと思います。
アーティストが作品を一定期間だけ展示して、お客さんはそれを観に行く。もうそういう関係は社会に必要とされなくなってきている。(影山)
―お2人はこれまで様々なアートプロジェクトに携わってきたと思うのですが、どのように地域と関わってきたのか、その方法を伺いたいと思います。
影山:たとえば遠山さんのような映画監督という職業の人がアートプロジェクトをやることは、全く別のことに挑戦している、というわけじゃないんです。映画って共同作業の賜物ですよね。カメラマンとか役者、いろんな関係者がいる中でそれをどう束ねていくか。そのスキルをアートプロジェクトに拡張しているんです。
遠山さんが茨城県水戸市で行った、公衆電話を通して物語を鑑賞者自らが紡ぎ出す体験型のアートプロジェクト「ポイントホープ」もそうです。僕たちはそれらを全部「映画だ」って言ってしまっていいと思うんです。
遠山:監督、プロデューサー、脚本と、現実的な資金調達も含めて色々やってきました。今回の芸術祭で重要だと思っていることは、「キャスティング」なんです。映画でもキャスティングが大切で、誰に何をやってもらうかでほとんど決まってしまう。
今回の『さいたま国際芸術祭2020』のキュレーターは、アートの世界で活躍されている方も含め、横断的な人材をキャスティングして、内1名は公募しました。芸術祭を作り上げる人材を発掘することも新しい試みだと思っています。
―芸術祭とアートプロジェクトの関係については、どのように考えていますか?
影山:今、地域で時間をかけて展開されるアートプロジェクトが重要視されてきていますが、「芸術祭やります」「観光として芸術祭に行きましょう」「開催地のマップを作りました」「周辺に美味しいお店もあります」。そういういっとき人を呼び込むだけのやり方では、アートプロジェクトのインパクトを社会に残せないことに、みんな気づき始めている。
アーティストが作品を一定期間だけ展示する、お客さんはそれを観に行く。そういう一方通行の非対称的な関係は、もはや社会に必要とされなくなってきていると思うんです。
影山:たしかにアートプロジェクトは、アーティストがその地域でどんなコミュニティーを作って、どんな価値を地域に生み出してきたかということが、観光客として作品を見ただけではわからない。でも、即効性の期待される街作りにおいて、アートプロジェクトが提案するような多様な価値観は役に立つと思っています。
アートプロジェクトは、実施する側が社会や生活に必要とされている感覚を持てないと、継続できない。(遠山)
―作品として見えづらいことが、アートプロジェクトが広まるためのボトルネックになっている。
影山:なので、今は批評家もメディアも変わっていかなきゃいけない時です。ただ一時だけ作品を見るのではなくて、「体感する」「関係を作っていく」「継続的に通う」という関わり方がこれから重要になっていくでしょう。作品を見る人と作る人の非対称な関係ではなく、ともに関わりあう「関係人口」を増やしたり自らがなっていくことこそ、アートと社会の接点だと思うんです。
遠山:プロジェクトを実施する側は、生活に必要とされている実感を持たないといけないと思います。個人的には熊本でやった手紙を交換するアートプロジェクト「赤崎水曜日郵便局」を手がけたのが大きな分岐点でした。
遠山:「赤崎水曜日郵便局」が社会における新しいインフラとしての側面とセーフティネットの機能を持ったことで、初めて社会に必要とされている実感を得られた。それが全国規模で盛り上がって、第2弾の「鮫ヶ浦水曜日郵便局」に繋がっていった。実施する側が社会や生活に必要とされているという感覚を持てないと、良い形で継続することは難しいと思います。
―アートプロジェクトは継続性も重要な要素ですが、社会と密接に繋がっている分、実施するにあたっては、色々と難しい面も出てくるのではないかと思います。
影山:映画もアートも出版も、関係者内で褒め合っているだけでは産業自体がシュリンクしていくし、実際そうなってきている。作り手みんなが職業的役割を拡張して、新しいフィールドを開拓していかないといけない時代だと思います。
僕のようなメディアをディレクションしていく立場で言えば、「街を編集する」となったら、紙媒体などの平面ではなく、より立体的にやらなければならない。たとえば原発賛成派の地元企業の経営者と、反対派のオーガニックカフェの店主を繋げないといけないわけです。もちろん、話が合うわけがない。そこを繋げるには、絶対的な対立点を棚に上げて、別の側面でより人間的な、信頼関係を構築するスキルが必要だと思います。
―活動する場が異なる人同士を繋げる能力が必要になってくる。
影山:今、コンテンツのことばかり考えているだけではやっていけないんです。側(がわ)としてのメディアをどうデザインするか、というところまで考えないと生き残っていけない。価値観が合わない人と話すのを諦めたら終わりで、むしろ最も話が合わない人たちと、どう諦めずにコミュニケーションする機会やメディアを生み出せるかが大切です。
最近改めて気づいたのは、そもそもメディアとはコミュニティーを作るものだってこと。本やウェブ、映像、電話や手紙も含めて、メディアと呼ばれるものは情報を受発信するためのものではなく、コミュニケーションを通じてコミュニティーを作っていくものなんじゃないか。しかも、それはローカルと非常に相性がいいんです。
さいたまの風景を参加者の想像力によって変化させる。(遠山)
―お2人は京都の地域の課題を考えるプロジェクト「CIRCULATION KYOTO」で一緒にプロジェクトを実施されていますね。
遠山:プロジェクトでは、京都の洛外を舞台に「マジカル・ランドスケープ」という言葉を用いました。「洛外」という京都の郊外にあたるエリアから、東京から見たさいたまと同じ様な関係性を感じたのが始まりです。
その洛外を魅力的に見せるためには、物語の力と風景を見る感性が必要でした。同じように、さいたまの風景に「魔法をかける」ことでちょっと行きたくなるような視点が、『さいたま国際芸術祭』にも入ってくるんじゃないかなと思います。
―京都洛外のフィールドワークから生み出された2編の小説からは、たしかに物語の強さを感じました。
遠山:アートの力って想像力だと思うんです。「マジカル・ランドスケープ」もそうですが、さいたまの風景をダイナミックに変えるというより、目の前に広がっていた風景や現象を参加者の想像力によって変化させる。招聘アーティストの感性や視点から、どういうさいたまが浮かび上がってくるのか、私自身楽しみにしています。
同時に、芸術祭を開催期間中だけと捉えず、会期前から街の中で色々な交わりを生み出すようなプロジェクトを積極的にやっていきます。芸術祭が終わった後に何も残らないのではなくて、何を残せるか。単発的な芸術祭を打ち上げるというよりは、中長期的な土地に根付いたものを提示したいです。
影山:これまで様々な芸術祭に関わってきて思うのは、街に何かを残していくことが大事だということです。アートファンって、芸術祭にアート作品を観に行くという感覚ですよね。お客さんの視点しかないと、ただ観て終わってしまう。
でも、地元の人はそこで暮らし続けている。アート的発想には、ある地域に入って市民をエンパワーメントして、目に見えない地域のミーム(文化的遺伝子)を「見える化」する力がある。そういったものを残していくことを芸術祭がやらなきゃいけない。たとえば『瀬戸内国際芸術祭』は地域の人たちに根付いていますよね。さいたまはまだ2回目ですが、前回との連続性があるのでその点は期待できるんじゃないかと思います。
―街に何かを残していくことは、現在の影山さんの活動とも繋がっているように思います。
影山:僕はローカルメディアをテーマとしてずっとやってきたので、マスメディア的な視点に毒されずに、自分たちでミクロな価値を見出すにはどうしたらいいかを考えてきました。小さくても、各々の地域を自分たちで魅力的に思えるということを大事にしたいんです。
アートに関わってきたからこそ持てる視点を通じて、いろんな地域を掘り起こしミームを継承していく活動やプロジェクトを根付かせていきたい。とりあえずカフェやゲストハウスを作ればいいわけではなくて、それぞれの地域らしさを継承した事業や商売を始めて欲しいんですね。だから、芸術祭をきっかけにして色々な活動が残っていくというのが、地域と芸術祭の一番いい関わり方。街作りとアート、どっちかだけでもダメで、両方の視点を掛け合わさないと、どこの街も「コンビニ化」していっちゃう。
―振り返って、前回の芸術祭を契機に、さいたまに実際残っていると感じられるものはどういったものでしょうか?
遠山:たとえば前回のサポーターの人たちは、自分たちで記録集を作ったりしていて、2020年の開催が決まる前から継続して活動を続けています。年齢もバラバラで個性的なサポーターのコミュニティーは、大きな遺産ですね。
影山:さいたまでの飲みコミュニティーが未だに残っていて、3年間継続しています。
遠山:サポーターの人たちもまだ居酒屋にボトルキープしている(笑)。
―それは分かりやすい継続ですね(笑)。サポーターの人たちの話が出ましたが、さいたま市民の方々はこの芸術祭にどう関わることができるのでしょう?
遠山:今回の芸術祭では、特に市民プロジェクトには力を入れていて、街中で地元に根ざした企画を詰めているところです。自分が住んでいる街を「ただの生活圏」としてしか捉えていない方が多いのも事実。その中で、この街が面白くなって興味が出てくるような、最近よく言われる言葉でいえば「シビックプライド」を持てるきっかけになって欲しいんです。
―芸術祭によって市民や参加者の想像力を喚起していく、ということですね。
遠山:上から押し付けがましく想像力を喚起させる、という気は全くありません。芸術祭ってある種、お祭りですよね。祭というのは催事や儀式でもあって、その場を一時的に変換させる行為です。
他人事ではなく「自分事」の祭として、通常の街のお祭りという感覚になってもらうのが理想です。その上でサポーターの方々のような、祭の神輿を一緒に担いでくれる人たちを増やしていきたいですね。
- イベント情報
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- プロフィール
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- 影山裕樹 (かげやま ゆうき)
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1982年、東京生まれ。編集者、合同会社千十一編集室代表。アート・カルチャー書の出版プロデュース・編集を行うほか、「十和田奥入瀬芸術祭」(2013)、「CIRCULATION KYOTO」(2017)など各地で様々な地域プロジェクトに編集者、ディレクターとして関わっている。著書に『大人が作る秘密基地』、『ローカルメディアのつくりかた』、編著に『ローカルメディアの仕事術』、『あたらしい「路上」のつくり方』など。2017年にウェブマガジン「EDIT LOCAL」を立ち上げ、ディレクターを務める。路上観察ユニット・新しい骨董、NPO法人芸術公社メンバー。一般社団法人地域デザイン学会参与。青山学院女子短期大学非常勤講師。
- 遠山昇司 (とおやま しょうじ)
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1984年熊本県生まれ。『さいたま国際芸術祭2020』ディレクター、映画監督、プロデューサー。早稲田大学大学院国際情報通信研究科修士課程修了。2012年、初の劇映画『NOT LONG, AT NIGHT -夜はながくない- 』が第25回東京国際映画祭<日本映画・ ある視点部門>に正式出品され、高い評価を得る。最新作『冬の蝶』 は第33 回テヘラン国際短編映画祭アジア・コンペティション部門にてグランプリを受賞するなど海外でも高い評価を得ている。アートプロジェクト『赤崎水曜日郵便局』では、局長・ ディレクターを務め、熊本県津奈木町にある海に浮かぶ旧赤崎小学校を再利用した本プロジェクトは全国で話題となる。同プロジェクトは2014 年度グッドデザイン賞を受賞。
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