水戸芸術館現代美術ギャラリーでは2019年3月から長期企画『アートセンターをひらく』が開催されてきた。奇しくも、2019年の国内アートシーンは、『あいちトリエンナーレ2019』での『表現の不自由展』に端を発した衝突や断絶が各所でクローズアップされ、たくさんの言葉が飛び交い、意見を異にする者が理解し合う難しさを考えさせる出来事となった。『アートセンターをひらく』では、いまの時代に異なるもの同士が共生を考えるうえで大切なものを探ろうとする「練習」が続いている。
第1期は作家たちの滞在制作と無料カフェ、第2期は滞在制作から生まれた作品による展覧会をそれぞれ軸としつつ、対話にフォーカスした関連イベントが随時行われている。その現場ではどんなことが起き、何が目指されているのか。第1期から第2期をまたいで参加者たちと作品を作り続けている振付家・ダンサーの砂連尾理と、本展覧会キュレーターの竹久侑に話を聞いた。
今の社会は思っている以上に、色々なことが世代や関心ごとに分けられていないでしょうか?(竹久)
―水戸芸術館現代美術センターでは以前から市民参加の試みがあり、15~18歳の若者のための展覧会無料招待企画「高校生ウィーク」や、そこから派生して、高校生を含む若い世代がスタッフを務める期間限定のカフェを毎年開いてきた実績があります。すでに市民に開かれた場の印象がありますが、なぜいま改めて『アートセンターをひらく』なのですか?
竹久:当館はまもなく開館30周年を迎えます。そこでこの機に、当館現代美術センターの独自性を改めて掘り下げつつ、社会におけるアートセンターのありようを問い直したいと考えました。当センターの大きな特徴として、作品の収集や保管よりも、新たな作品を生み出すことを含めた企画展に重点を置いているところがあります。そのため、いわば「アートが生まれる場」とも言える。そこをより前面に打ち出したいと考えました。
―それがよくわかるのは、『アートセンターをひらく 第Ⅰ期』に行われたアーティストの滞在制作ですね。通常の展覧会では作品と鑑賞者が出会う場となる展示室を、作家にスタジオとして長期使用してもらうユニークな試みでした。同時に、最初の展示室を誰もが使えるカフェとして開放したのはなぜでしょう?
竹久:第1期でこだわったのは、アーティストもそうですが来場者にとっても創造的な場であること。そして「創作と対話のプログラム」と掲げているように、色々な人が対話できる場にすることでした。そこで、ギャラリーの中でも大きな第1室を、入場無料の「ひらくカフェ」にしました。
これは「高校生ウィーク」でのカフェを拡張し、多世代が多目的に使える場として開く実験でした。赤ちゃんや小さなお子さん連れでも過ごしやすい家族のエリア、素材を自由に使ってもの作りができる場などを作り、ギャラリー内で工作する、即興で音楽を奏でる、絵を描くなど様々なワークショップも開催しました。
―こうした発想のきっかけとは?
竹久:自宅や職場、学校とも違う「第3の場所」が、アートセンターの中にできないかという想いです。私自身いま子育てをしていて、多世代が集える場が、街には意外と少ないと感じていました。今の社会は思っている以上に、色々なことが世代や関心ごとに分けられていないでしょうか。
例えば、子連れ家族のためのスペースは各所の公的施設に生まれていますが、その多くは「子供が主役」で大人は付き添い。子供も大人も含めた様々な人々が楽しめる場があればよいなと思っていました。
―対して開催中の第2期は、滞在制作による新作を軸にした「展示と対話のプログラム」ですね。毛利悠子が大きな配管やブランコを使って生み出す奇妙な作品空間は、どこか社会基盤的なものを連想させます。
また、呉夏枝が空間全体を織物のように構成した作品では、戦後に国際結婚で日本を離れた女性たちの言葉が聞こえてきます(読み手は水戸在住の女性たち)。どちらも有形無形の「つながり」を示唆するようにも感じました。ここでは作品展示を介して対話を促すということでしょうか?
竹久:もともとこのギャラリーは「作品と対話する場」であり続けてきましたが、さらにそこに集った人々で対話ができる場としていくことも、今求められていると考えて、第1期、第2期ともに対話を重視しています。
最近はSNSを筆頭に、対面ではないコミュニケーションが増えていますよね。一方で、誰かと面と向かって話すこと、自分の発言が思わぬところで炎上しないという安心感のもとで対話できる場も、とくに地域社会にはもっとあるとよいのではないかという思いがありました。
竹久:カフェやワークショップを通じて始まる対話もそうですが、第1期では「いま、必要な場所」をテーマに座談会をしたり、介護や看取りを扱ったドキュメンタリー映画を観た後で話し合う場を持ったりもしました。週末には、滞在作家を囲む朝ごはん会を開いたり、第2期には作品展示を観たあとで、そこに示された様々な事柄を話し合う「午後のお茶会」なども開いています。
―アートセンターは、公的施設でありながら使われ方の拡張性や自由度が高いのでしょうか?
竹久:ここは新しい試みが受け入れられる場所だと思います。もちろん「高校生ウィーク」のカフェのように、土台となる実践があり、かつそれが人々に求められている実感があったことも大きいです。また、これはあとで改めてお話ししたいですが、東日本大震災で当館が臨時の避難所となった体験も、私にとっては今回の企画につながる大きな体験でした。
障害者や高齢者たちとの出会いで、ダンスの中に、どれだけ多くの人々と関われる可能性があるかを考え始めた。(砂連尾)
―参加作家のひとりに、振付家・ダンサーの砂連尾さんを招いた意図とは?
竹久:ひとつには、いわゆる「展示」を最終形態としない表現者にここを使ってもらうことも、アートセンターを「ひらく」意味のひとつだと思ったからです。砂連尾さんは身体表現をベースに、近年は高齢者や障害者を含む、さまざまな人々と協働しています。そこで今回は、公募で集まった参加者と、1年近い長期のワークショップを通じた作品作りをお願いしました。
砂連尾:僕はもともとコンテンポラリーダンスを軸に、バレエダンサーとのユニット(砂連尾理+寺田みさこ)で20年近く活動してきましたが、障害者との活動がきっかけで、この社会が健常者中心に設計されていると強く感じるようになりました。舞台の世界でも、日常の場でも、今こうして何気なく使っている「言語」ですらそうです。
砂連尾:その後、ベルリンに1年滞在しますが、ドイツ語がほとんどできなかったので、いわば言語障害を起こすわけです。その体験が、自分の中でさらに「健常」「障害」というフレームについて考える契機になりました。
―それが、プロのダンサーではない人々との協働にもつながっていった?
砂連尾:はい。ダンスの中に、どれだけ多くの人々と関われる可能性があるのかを考え始めたんです。帰国後は京都の特別養護老人ホームに毎月通い、振り付けを覚えるのが困難な認知症のお年寄りと「とつとつダンス」というものに取り組み始め、10年続けています。
砂連尾:もともとコンテンポラリーダンスは「どんなことも表現になり得る」という実験的な考え方がベースにあるものです。でもそれが知らぬ間にハイアートのような、構成の良さや出来の良さを志向する方向に向かっていってしまっているように感じます。そこから立ち止まって、自分が本当に求めていたのは「観るものとしてのダンス」というより、自分が「踊ることをいかに取り戻していくか」ではないか? と考え始めたんです。
―今回の連続ワークショップのテーマは「変身」ですね。展示室ではこれまで開催された回の映像記録も展示されています。参加者が変身をめぐって対話する様子もあって、加齢についてや大怪我をしたこと、または親になることで変化した人生への葛藤なども率直に語られていますね。
砂連尾:このワークショップの依頼があったちょうど1年前に私の父が癌になり、それが転移して失明する出来事がありました。それまで障害者や高齢者とダンスで関わってきた私にとって父の老いや障害は神様に「お前が今まで作品にしてきたのはこういうことだよ、本当に考えてやってきたか?」と問い詰められている気もしました。
砂連尾:ただその後、ふとしたときに目の見えなくなった父から「ありがとう」と言われたことがあったんです。その声はとても新鮮に僕の身体に響きました。単に老いや衰えではなく、むしろそうなったことで彼の中で何かが変わったのではないか、自分はそんな父と「再会」したことで私自身の中でも変身が起こったのではないか、と考えるようになったんですね。
このことをちゃんと見つめたいなと強く考えたのが「変身」をテーマにした出発点でした。病や老いに限らず、いま目の前の人だけに限らず物や風景、出来事をちゃんと見て、感じられているか。そのことを抜きに社会だとか、老いや障害について考えられるのか。公募で集まってくれた皆さんとこうしたことを考え直したい、という思いがあります。
―個人の身体を起点にしたお話だとは思いますが、アートセンターのあり方の問い直しということにもつながりそうなキーワードです。理想像があるのは良いことだと思うと同時に、変わり続けることをどうとらえることができるかという点で。
砂連尾:そこに、特定の指標のみで測る成長や前進にとらわれていると見えない、様々な変化の可能性があるかもしれません。たとえば、早く走れないけれど、ゆっくり歩くことでしか見えてこない景色があるとしたら、そういう世界も良いのではないか。
自分の身体やそれと関わる様々なレイヤー、世界の広さを、変身というキーワードからとらえて共有していく。そのことでもう一度この社会を考えたいと思っています。
震災のような非常時に、水戸芸術館のような公共施設が本来の在り方とは異なるかたちで、市民の拠り所として求められる。その現実をまざまざと体験しました(竹久)
―竹久さんからは先ほど、東日本大震災の話が少しありました。「アートセンターの役割を問い直す」ことには、あの震災も影響していますか?
竹久:間接的に影響しています。当館には非常用電源があるので辺り一帯が停電のなかでも灯りがついていたこと、また建物が堅牢なこともあってか、近隣の方や帰宅できなくなった方が自然と集まってきたんです。結果として3日間、ここは臨時の避難所となりました。私の中にはその時の衝撃が強くあります。
竹久:水戸芸術館の5つの運営理念のひとつは「市民の芸術文化活動の拠点となる」というものです。でも震災のような非常時には、芸術文化を抜きに、突如ここが市民の拠り所として求められることがある。その現実を体験し、平常時における当館のあり方を改めて考える必要があると思いました。
砂連尾:僕にとっては、舞台芸術中心だった自分の活動が変化していく最中で起きたのが、あの震災でした。ダンスを通じて交流のある知人が宮城県に多くいて、舞台上でのフィクションよりも大変な状況にある人と大勢関わりました。そうしたなかで、舞台表現のあり方も問い直さねばいけない、それくらいのパラダイムチェンジが起こっていると感じました。
砂連尾:大勢の住民が避難所生活を余儀なくされたことは、非日常と出会う空間であるはずの劇場や美術館が避難所となり、予期せぬ事態にどんな役割を果たせるのかという問題意識を持つきっかけになりました。ベルリン滞在時に実感したのは、公共ホールが市民にすごく身近で、生活に溶け込んでいたことです。
これに比べると日本では、市民に身近なはずの公共ホールや公民館がとても「遠い」と思ったんですね。でも、そこで共に過ごすような事態も起こり得るなら、なおさら劇場のあり方や、ひいては公共ということを考え直したいと思うようになりました。
竹久:そこは私も同じ認識があると思います。今回「アートセンターをひらく」の英題は「Publicness of The Art Center」(アートセンターの公共性)としました。歴史をひも解くとヨーロッパの主要な近代美術館は、王侯貴族が所有していた品々が、国によっては革命まで経て、市民に対して公開されていった歴史があります。でも日本では、明治以後、欧米から持ち込まれた考えをもとに、近代国家たるもの美術館をもつものと考えた「お上」によって美術館が作られ、市民に与えられたという過程の違いがあります。
―その違いは、日本で「公共」(パブリック)という際のイメージにも表れていそうですね。
竹久:そうですね。「公共」を、与えられるものではなく、自分たちで作り、保つものだと考えたいと思います。ですので、今回の砂連尾さんのワークショップでも、参加者にとっての意味や成果はもちろん大切ですが、それを観る人たちが、目の前で展開されているものをいかに自分事としてとらえ、自身の日常と地続きのこととして受け取ることができるかどうかが大事だと思っています。そのこともあって、このワークショップは第2期を通して公開で行っています。
砂連尾:今回のワークショップで意図せずに起きたことですが、参加者の一人が途中からこの場に来られなくなりました。福島の浪江町(東日本大震災時の原発事故で大きな被害を受けた)から水戸近郊に移り住んだ方で、でもそのことを知ったのは、ワークショップに来なくなってから、詳しく話を聞いたときでした。
話を聞くと、実は地震とその後の避難以降、生活が一変してしまった経験をしていたことがわかりました。それを伺った上で、この人とは毎回ワークショップの前に僕と水戸芸術館の担当者の2人で会いにいってお話しし、それを他の参加者たちにつなげる試みをしています。「不在の参加者」として関わってもらう形です。
―先日のワークショップでは、その方による散文詩を皆で朗読し、短い問いかけに一人ひとりが答えていましたね。
砂連尾:結果的に、たまたまそういう機会をもらったわけですが、僕はこれを今回得られた発見のひとつだと感じています。つまりこの『アートセンターをひらく』を通じてつながる人たち以外のことを、我々はいかに想像できるかということ。それは、このアートセンターにアクセスすることもできない人々への応答を少しずつ「練習」することにもなるのでは、と思うのです。
また、これは、舞台芸術のみを前提にしたプロジェクトではできなかったことだと思うんです。劇場で作るということに囚われず「ここが自分たちにとっての作る場所だ」と思えれば、そこで作っていい。そういうことを練習していった先に、今よりちょっと楽しい日常が起きるのではないか。そんなことも考えながらやっています。
「ひらく」とは、その際に何らかの暴力が入ってくる可能性もあるということ。(砂連尾)
―「ひらく」という際によく問われる課題のひとつは、どこまで開くべきかということですね。大勢を迎え入れるほど、異なる考えの衝突も増える。特に昨今はそうで、これは第2期のハロルド・オフェイによる展示作品『村のよそ者』にも通じそうです。同作は水戸芸術館で1997年に開かれた先駆的な展覧会『しなやかな共生』とのつながりを示しつつ、様々な断絶や衝突でゆれる現代に「共生」があり得るかを考えさせます。
砂連尾:僕は、それは暴力をどう考えるかということだと思います。以前、『バリエーションズ/Variations 「共生のヒント」』というトークイベントに参加した際、東京大学の熊谷晋一郎さんから「共生の反対語は暴力ではないか」という話がありました。
つまり「ひらく」とは、その際に何らかの暴力が入ってくる可能性もあるということです。だから、自身もその暴力性を持ち得ることを自覚しながら、どう開いていくかではないでしょうか。たとえばコミュニティーを作るというのもひとつの「力」で、それは他を排除する可能性を秘めていますよね。
砂連尾:考え方は色々かと思いますが、僕自身も絶対に受けたくないし認められないと思うものを含め、そうした暴力の存在を知った上で共生を考えることは、知らないまま素朴に共生を目指すよりも厚みはあると思います。たしかに、性善説などでは覆いきれない現実世界の複雑さはある。
でもだからといって「ひらく」ことを全てやめてしまうと、世界は断絶と分断でしか構成されなくなっていく。それは避けたい、という立ち位置でありたい。これが僕なりの答えになるかと思います。
竹久:この仕事をしていると、色々な意見を持つ方々から意見を頂くことがあります。企画意図とは異なる解釈や、不愉快に思われたということも起き得る。そのときはともかくお話を聞き、そのうえでこちらの意図をお伝えするということをなるべくしています。
竹久:本当に基本的なことですけれど、それしかない。数少ない実経験ですが、共感はしてもらえなくても、「そういうことなのか」と一定の理解を得られることがあります。
そこが一番重要だと思っていて、意見が同じでない人たちは、当然いますし、それが通常の社会です。そのとき、互いに同意や共感はできなくても、相手の考えていることそのものについては「わかった」と頷ける。そういう形を目指すしかないと思います。
―逆に、どこまで開けるのかという課題もあるでしょうか。全く接点のない人には関心さえ持ってもらいにくい、という。
竹久:その通りですね。ただ、おそらくすべての人がアートや美術館、アートセンターを求めているわけではいないと思うんです。ここは言い方が難しいですが、すべての人に来てもらうことを最終目標にする必要はないとも考えます。ただ、潜在的にでもこの場所を必要としている人たち、いつしか必要とするかもしれない人たちに向けて、こうした場があるということを発信していきたい。
その人にとっていつ必要になるのかはわからない。でも、あるとき、もしかしたらここはいまの自分が必要としている場かもしれない、と思ってもらえるように、こちら側はとにかく発信し続けるということが大切だと思います。この企画はそういう意味で行われたとも言えます。
理解し合える人同士だけで生きていくのは楽で安心かもしれません。でも今そこをもう一度考え直してみてもいいんじゃないか。(砂連尾)
―砂連尾さんがお話で何度か「練習」という言い方をしていたのが印象的でした。社会的に試行錯誤できる場というのは、実際は貴重ではないかと思うからです。なかには、もう練習している場合ではないというシビアな状況もあるとは思いますが。
砂連尾:今回、会場に「こんなアートセンターあったらいいな」という皆さんが思い思いに書き込める掲示板がありますよね。僕はアートセンターが、ときにお寺のようであったり、病院のようであったり、あるいは名付けようのない場所であったらいいなと考えます。
ひとつの意味や価値におさまらない、「○○のようであったり」を並列して水平方向に広げていけるような場所。これは老人ホームという場所が老人たちとスタッフという人間関係だけでなくて、ときには僕のような人間も入っていけることの持つ可能性とも近いかもしれません。
―第1期の座談会「いま、必要な場所」で、アーティストの小山田徹さんが焚き火の話をしていましたね。大きな焚き火に皆が集まると大きな陶酔感を得られるけど、それはファシズムにも利用されてきたと。それよりも、小さな焚き火を囲む島がいくつもできて、その間を自由に行き来できる形がいいと話していて、今のお話と通じる気がしました。
砂連尾:たぶんそれは、一人の強力なリーダーシップによるのではなく、大勢の人が「こうあったらいいな」「それは好きじゃないけど、あってもいいよ」といったことを言い合える形でしょうね。僕もそういう方がいいと思っている。
確かに、理解し合える人同士だけで固まって生きていくのは楽で安心かもしれません。でも今そこをもう一度考え直してみてもいいんじゃないか。その点でも今回の展覧会が良い練習になればと思っていますし、ここでの試みは、ぜひ今後にもつなげていきたいと考えています。
- イベント情報
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- 水戸芸術館 現代美術ギャラリー
『アートセンターをひらく 第Ⅱ期』 -
2019年10月26日(土)~2020年1月26日(日)
会場:茨城県 水戸芸術館 現代美術ギャラリー
時間:9:30~18:00(入場は17:30まで)
参加作家:
呉夏枝
ハロルド・オフェイ
砂連尾理
末永史尚
潘逸舟
毛利悠子
エマニュエル・レネ休館日:月曜日、1月14日(火)
※ただし、1月13日(月・祝)は開館
- 砂連尾理「変身」ワークショップ
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1月10日(金)17:00~18:00
1月11日(土)、12日(日)各日13:30~16:30頃
※途中休憩・延長の可能性あり1月13日(月・祝)14:00~ 最終発表
※13:00~整理券を配布します
- 水戸芸術館 現代美術ギャラリー
- プロフィール
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- 砂連尾理 (じゃれお おさむ)
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1991年、寺田みさことダンスユニットを結成。2002年、「TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2002」にて「次代を担う振付家賞」(グランプリ)、「オーディエンス賞」をW受賞。2004年、京都市芸術文化特別奨励者。2008年度文化庁・在外研修員としてベルリンに1年滞在。近年はソロ活動を中心に、ドイツの障害者劇団ティクバとの「Thikwa+Junkan Project」、京都・舞鶴の高齢者との「とつとつダンス」、宮城・閖上の避難所生活者への取材が契機となった「猿とモルターレ」等を発表。2017年より、父親の老いと病をきっかけに生の揺らぎをテーマとした「変身プロジェクト」を展開。著書に『老人ホームで生まれた〈とつとつダンス〉―ダンスのような、介護のような―』(晶文社)。
- 竹久侑 (たけひさ ゆう)
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水戸芸術館現代美術センター主任学芸員。慶応義塾大学総合政策学部卒。ロンドン大学ゴールドスミス修士課程クリエイティブキュレーティング修了。主な展覧会として「リフレクション─映像が見せる“もうひとつの世界”」、「大友良英『アンサンブルズ2010──共振』」、「3.11とアーティスト:進行形の記録」、「田中功起 共にいることの可能性、その試み」ほか。「水と土の芸術祭2012」ディレクター。
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