「思い出す」というのは、とても人間的な行為だ。「記録する」ことは機械のほうが精密にできるだろうが、「思い出す」ことは、きっとこの先も人間の仕事だろう。甘い初恋の記憶だろうが、苦手な人間と対峙したときの嫌にざわつく記憶だろうが、美味しいご飯を食べた、そんな素朴な記憶だろうが、時間が経つにつれて思い出は色づいていく。その心のなかの色彩を絵具にして使うことができるのは自分自身だけだ。それはきっと、機械には生み出せない色だ。
シンガーソングライターのeddaが、新作となる2ndアルバム『いつか夢のゆくところ』を2月19日にリリースした。本作のテーマについてeddaは、「夢とは記憶であり、記憶こそが人間をその人たらしめる」ということを、このインタビューでは語っている。
記憶と、それを「思い出す」という行為について。eddaは、この作品でそこに真っ向から向かい合ったのではないだろうか。だからこそ、この『いつか夢のゆくところ』というアルバムは、ファンタジックな音楽とストーリーテリングで聴き手を幻想的な物語の内部に誘いながら、その実、とても人間的な温もりを聴き手に与えるのではないか。本作について、本人にじっくりと話を聞いた。
「忘れない限り、夢も決して架空のものではない」。夢そのものに思いを巡らせ、創作の糸を紡ぐedda
―新作『いつか夢のゆくところ』は、eddaさんの物語的な世界観をこれまで以上に濃密に感じさせる作品だなと思いました。まず去年の段階でアルバムから4曲の短編アニメーションが公開されたことが、このアルバムの導入になっていますよね?
edda:そうですね。私、NHKでやっている『ニャッキ!』みたいな『プチプチ・アニメ』というのが大好きで。ああいう5分くらいで終わるアニメーションって、意味はわからないけど、すごく記憶に残ったりするじゃないですか。
私自身、2~3歳くらいの頃に見たアニメを、大人になってから調べたりするんだけど、結局、意味はわからないものが結構あるんですよね。きっと「わからない」からこそ、本人が描く筋が強烈に残るんだろうなって思うんですけど、そういう子どものトラウマになるような(笑)、記憶にいたく刻まれるようなアニメーションがあることは、すごくedda的だなと思ったんですよね。
―アルバムタイトルや歌詞などを読むと、恐らく新作の全体的なモチーフになっているのは「夢」だと思うのですが、ご自身として、今作のテーマはどのようにして作られていったんですか?
edda:そもそも「夢」というものがすごく好きで、ずっと、夢日記もつけているんです。夢って、要するに、記憶じゃないですか。私たちが現実の生活で経験してきたことも、記憶として私たちの体に残るわけで。だとしたら、夢と現実って、覚えている限りは、あまり変わらないところにあるんじゃないかと思うんです。
忘れない限り、夢も決して架空のものではない。そういうふうに夢に自我を与えながら、いろんな形の夢を集めたら面白いんじゃないかと思って。それが、「夢の館」という軸となるモチーフにつながっていきました。「夢の館」という場所に、忘れられた夢や、いろんな形の夢が集まってきている……そんなテーマをもとに、楽曲を作っていったんです。
―eddaさんはなぜ、夢日記をつけるようになったんですか?
edda:夢日記って、ずっと書いていると頭がおかしくなるっていう話があるじゃないですか。忘れていい記憶を無理に保持した状態にしてしまうから、「これってリアルだっけ? 夢だっけ?」って、グチャグチャになってしまうのかなって思うんですけど。じゃあ、本当に頭がおかしくなるかどうか試してみようと思って、2012年くらいからつけ続けていて(笑)。
―(笑)。
edda:結局、頭がおかしくはならなかったんですけど(笑)。
―ははは(笑)。夢日記って、持続可能なものなんですか? 僕はまったく想像がつかないんですけど。
edda:私も最初は全然、夢を覚えていられなかったんですけど、「お母さんがいた」とか「赤い信号が見えた」とか、断片的なものでもいいから覚えていたことだけを記録するようにしていたんです。そうしたらだんだんと、景色や色、その夢のなかでどういう気持ちだったのかっていうことも、リアルに覚えることができるようになってきて。今では、メモしなくても忘れないくらいにはなりました。
だからどうなったっていうことでもないんですけど(笑)。……でも、不思議な感覚なんですよね、夢日記って。廃墟を見に行ったときのような気分というか。行ったけど行っていない、みたいな。本当に、現実と夢の中間のような感覚になります。
人が「夢を見る」という行為に対して、eddaが託しているもの
―アルバムの2曲目に入っている“夢日記”という曲は、そうしたeddaさんの体験がもとになっている?
edda:そうですね。今回のアルバムは新しく作った曲がほとんどなんですけど、この“夢日記”に関しては、2013~2014年くらいに原型があって。もともとは夢日記をつけていくなかで、主人公の頭がおかしくなっていくっていう曲だったんですけど、今回、そこからリメイクしたんです。
最初にこの曲を作った頃から時間が経って、自分が夢日記をつける理由が変わったんですよね。「夢日記をつけることによって、明晰夢が見たい」っていう気持ちが出てきたんです。
edda“夢日記”を聴く(Apple Musicはこちら)
―明晰夢というのは、「これは夢である」と自覚しながら見る夢のことなんですよね。
edda:はい。明晰夢を見ることで、夢でしか会えない人……もう会えなくなってしまった人や、架空の人に会って、おしゃべりができたらいいなっていう気持ちが出てきたんです。そこから、この“夢日記”っていう曲の内容も変わっていって。
もともとは現象を書いていた曲だったところから、夢日記を書いている本人がどういう気持ちで書いているのか、書いた先にどうなってほしいと願っているのか……そういう希望に注目した曲になったような気がします。
―すごく大きな変化ですよね。より人間的になっているというか、未来へ向けた意思のある曲になっている。
edda:そうですね。夢は結局、自分で作り出したものでしかないんだけど、それでもいいから、もう会えなくなってしまった人に接して、なにかを伝えたい……そういう気持ちが込められたらいいなと思いました。趣味として夢日記をつけている人の曲というよりは、もっと、主人公のアイデンティティーに入っていくような曲になったと思います。
―アルバムのコンセプト的にも“夢日記”は重要な位置を占めていると思うんですけど、1曲目“こもりうた”からはじまって11曲目“バク”で終わるというアルバム全体の流れもかなりコンセプチュアルにまとめられている印象を受けました。この、はじまりから終わりへと至る流れは、どのように考えて作られたんですか?
edda:流れとしては、「夢の館」にすべての夢が集まってくるようにしたいと思っていたので、“こもりうた”という夢の導入からはじまって、すべての夢が最終的に“バク”のもとに集まって、そこで温かく保管されているっていう流れにしたかったんです。私はどうしても“こもりうた”からアルバムをはじめたかったので、映像も「自分で作るから、アニメを作らせてほしい」と提案しました。
「人を『その人』たらしめるものって、記憶しかないと思う」。eddaの創作の根幹にある、記憶というものに対する執着
―バクは、「夢を食べる動物」と言われていますよね。バクのもとに辿り着いたとき、夢は食べられて失われたりはしないんですか?
edda:そうですね……『人喰いの大鷲トリコ』(PS4、2016年発表)ってご存知ですか?
―ゲームですよね。名前は聞いたことあるんですけど、内容は知らないです。
edda:私、あのゲームがすごく好きなんですけど、あのゲームの「トリコ」って、実は人喰いではないんですよ。でも、なぜ「人喰いの大鷲」と呼ばれているかというと、食べているように「見えた」からなんです。
このアルバムにおける「バク」も、そういうものであればいいなと思ったんですよね。「忘れた夢を思い出せない」とか、「なくした夢を取り戻せない」という経験をした人たちが「夢の館」を遠くから見て、「あそこにいるバクが夢を食べたんだ」と言っている。でも本当は、夢は食べられていなくて、そこにいるのは、夢を保管している化け物なんだっていう……そういう終わらせ方をできたらいいなと思ったんですよね。
―なるほど、あくまでも夢は失われていない。すごく温かい着地点ですね。
edda:私、バッドエンドは大嫌いなので。物語は、ちょっとでもいいから、最後には光のほうに向いていないとイヤなんですよね。
―夢や記憶というのは、多くの人が、遅かれ早かれ「失ってしまう」として認識しているもののような気もするんですけど、今までの話を聞いていると、eddaさんはそれをすごく大切なものとして保管しようとしていますよね。なぜ、eddaさんは夢や記憶というものに執着するのだと思いますか?
edda:なんでなんだろう……。答えになっているかはわからないですけど、「結局、すべては記憶なんだ」と思うんです。人を「その人」たらしめるものって、記憶しかないと思う。「私の記憶を全部抜き去ってしまったら、私なのかな?」とか、そういうことをよく考えるんです。
―きっと、「ものを作る」というのも、時間や記憶を保存していく作業に近いですよね。夢や記憶に対する執着と、もの作りに対する原動力は、もしかしたら近い場所にあるのかなと思うんですけど、どうでしょう。
edda:そうかもしれない。でも、結局はトリップというか、別の世界に行けるのが、ものを作ることの楽しさだなと思います。音楽だけじゃなくて、絵を描いたりジオラマを作ったりすることででも、トリップできるのはすごく楽しいです。でも、それも記憶として貯蓄していきたいっていうことなのかもしれないですよね。
空想の友人=イマジナリーフレンドに着想を得た楽曲で、現実を生き抜くための強さが描き出される
―トリップするような感覚って、人によっては現実逃避的なものとして、ネガティブに捉えられることもあると思うんですよ。
edda:たしかに……そう思われてもおかしくないですよね。今まで、周りの人にそんなこと言われたことなかったですけど、みんな気を遣っているのかな(笑)。
―そんなことはないと思いますけど(笑)、でも、「それは逃避なんじゃないか?」と問われたとき、eddaさんならなんと答えますか?
edda:「たしかにね」って言うかも(笑)。ぐうの音も出ないかもしれないです(笑)。
―(笑)。たとえば6曲目の“イマジナリーフレンド”を聴いたとき、僕はすごく感動したんです。それはなぜかというと、この曲では空想の存在を示唆しながら、それによって現実を生き抜くための強さが描かれているように感じたからなんですよね。ここにあるのは、決して「逃避的」という言葉だけで括ることができない、空想と現実の関わり合いだと思ったんですけど、この曲はどのようにして生まれたのでしょう?
edda:「イマジナリーフレンド」って、ここ最近で一番気に入っているワードで。私にはイマジナリーフレンドがいないし、いる人を羨ましく思っていたんですけど、この曲を作るにあたって、イマジナリーフレンドがいる人の意見が聞きたいと思って、Yahoo!知恵袋で調べたんです(笑)。
そうしたら、すごくいっぱいイマジナリーフレンドを持っている人がいて、「イマジナリーフレンドとケンカしました」みたいな悩みがたくさん書きこまれていたんですよね。
―へえ!
edda:そこで書きこまれているのって、「イマジナリーフレンドはこう言っているんですけど、私の言い分はおかしくないですよね?」みたいな感じで、本当に人間と人間との間の問題としての悩みなんです。「出先でイマジナリーフレンドとばったり会うんです」って書いている人がいれば、「私もそうです」と答えている人がいたり。
みんな、イマジナリーフレンドがいることを決してネガティブに思っていないし、むしろ尊重している。イマジナリーフレンドはひとつの存在として、ちゃんと自我があって、ちゃんと大事に扱われているんだなと思って。そこで得たモチーフをもとに、この曲は構築していっていったんです。
―なぜ、イマジナリーフレンドは必要とされるんでしょうね。
edda:誰でもきっと、心の会議ってするじゃないですか。子どもの頃って「こうしたい」「でも、こうしちゃダメ」みたいに、頭のなかで対話させて考えを整理させてきたと思うんです。きっとイマジナリーフレンドって、心を整理するために必要な存在が残り続けているということなのかなって思うんですよね。
もちろん、「お人形遊びの延長だ」っていう人もいるし、人それぞれなんでしょうけど。私はどちらかというと、あんまり脳みそを通らずに言葉が出てきてしまうタイプで(笑)、「整理する」ということをあんまりしないんですよね。だから、イマジナリーフレンドがいないんだろうなと思うんです。
―なるほど……すごく面白いです。イマジナリーフレンドを持つことは、どこかで、夢を保管しようとするeddaさんの態度と近いような気がします。パーソナルスペースにそういう存在を持つことで、現実を生きる力になっている場合があるということですよね。
edda:そういうことだと思います。
ストーリーテラーとしての真髄がここに。ひとつの楽曲を通じて、個人の喪失感と環境問題や戦争を同時に描く
―あと、アニメーションも含めてインパクトがあったのが9曲目“雨の街”なんですけど、この曲はどのようなモチーフから生まれてきた曲なんですか?
edda:“雨の街”は、ひとりの「少女」という神様みたいな存在と、「街」という存在がひとつの世界を作りだしているっていう設定なんですけど、結果として、自分たちが生み出したものによって蝕まれていくっていう……神様によって作られた私たちが地球を汚したり、戦争を起こしたりしている。まさに、いまの世界に近いような物語なんですよね。
edda:この曲は、言葉にするのがすごく難しくて、楽曲として落とし込むのが一番いい形だったんだろうなと思います。この曲をリリースしたときの反応を見ていると、「母を失った子どものお話だ」って言っている方もいて。「なにかを失った」という経験にフィットする、いろんな解釈ができる曲なのかもなと思うんですよね。
―「喪失」という点において、環境問題や戦争という大きな規模の話とも、すごく個人規模の話ともリンクしていくというのが、すごくリアルな点だなと思います。
edda:私としては、<鉄の音は止まらずに>というフレーズで戦争が起こっていることを示唆させたんですけど、「それを生んでいるのは自分たちなんだ」という創造者としての苦しみもそこにはある。これって、すごく個人レベルの話にも落とし込めるんだろうなと思うんです。
「なんで、こんなに嫌なことがあるんだろう」とか、「なんであんなこと言われるんだろう」なんて思っていても、きっと、それを生んでいるのは自分自身で。だからこそ、自分が変われば世界も変わっていくはずで……。そこは小さい世界の話にも、大きな世界の話にもフィットするだろうなと思います。
―大きな世界の話……それこそ環境問題や戦争については、いま、世界的にも大きな問題となっていますけど、そういった現実的な事象を物語に重ね合わせるというのは、意図的なことなんですか?
edda:書いているうちにそうなるんですよね。最初は、神様のような「少女」という存在が自分の欠片をばら撒くことで、人間のような小さな存在を作っていくんだけど、結果的に世界は蝕まれてしまう。それに対して、ばら撒かれた欠片を集めてもう一度、少女が完全体になることができれば、世界は再構築して、再び光を取り戻すことができるっていう物語にしようと思って書きはじめました。
でも、書いているうちに、「少女」が再び世界から欠片を集める物語よりは、欠片がばら撒かれた先でなにが起こったのか、それに対して「少女」がどういう気持ちになったのか、というところに重きを置いたほうがいいなと思うようになったんです。その結果、物語の筋がぼやけてしまったんですけど、ぼやけたおかげで、いろんな人の気持ちにもフィットするし、大きな世界の話にもフィットする物語になったのかなと思うんですけど。
「最終的に面白いのは『人間』なんですよね。人間を描くことが一番『動く』というか、物語に波が立つ」
―eddaさんの世界観はファンタジックであるがゆえに、そういった時事的な問題が物語に重なっているというのは、すごく大切な部分だなと思います。以前の作品でも、そういった部分はあったと思いますか?
edda:まったくそうじゃない場合もあるんですけど、自分が普段考えている、「こういうことってあるよね」みたいなことが、物語につながっていくことはあるんですよね。自分の考えと物語を見比べてみたときに、「これも同じことだな」と気づくというか。
―“戯曲”も、どこか“雨の街”に近い世界観を感じさせますよね。ざっくり言ってしまうと、神と人間がいる世界、というか。
edda:そうですね。“戯曲”は、みんながマシーンの作る戯曲どおりに生活している世界を舞台にしていて。犯罪を起こすこともなく、才能や能力に関わらず、安定した生活を送れる……そんな理想郷みたいな戯曲を生まれたときから配られて、みんながそのとおりに生きている世界がある。
でも、マシーンは、みんなが戯曲どおりに生きるだけでは理想郷にならないことを知っているから、世界を本当の理想郷に導くための適任が生まれたときに、その人に「救世主」という役割を与えると。救世主は、みんなが戯曲に縛られないように説得して回るんですけど、でも、結局はその救世主も、戯曲どおりに生きているんですよ。
―そうなりますよね。
edda:だから、なにが本当かわからない……“戯曲”はそういう曲ですね。
edda“戯曲”を聴く(Apple Musicはこちら)
―“雨の街”も“戯曲”もそうですけど、いくら物語と言えど、堂々巡りのなかで、決してすんなりと解決に向かうことはない。そういう矛盾がどうしようもなく内在している部分を考えてみても、eddaさんの表現は非常に「人間的なもの」というような気がします。どれだけ幻想的であっても、描かれているものは、とても生々しく人間的である、というか。
edda:そうかもしれないです。私自身がどこかで「edda」という存在を客観的に見ているし、eddaのことが大好きだからこそ、eddaに対する理想もあるんです。「eddaがこれを言ったらイヤだな」みたいなワードもあって。たとえば「LINE」とか「タピオカ」とか(笑)。そういうワードを削ぎ落としていった先で、最終的に面白いのは「人間」なんですよね。人間を描くことが一番「動く」というか、物語に波が立つんです。だから、人間的なものになっていくんでしょうね。
―ファンタジーであることが、自然と普遍的な表現へと導かれているというのは、面白いです。
edda:でも、最近は、eddaに対する理想が柔らかくなってきたような気もするんですよね。以前は、「edda」という存在に対する理想が高すぎて、「eddaにはこういう世界にいてほしい」とか「eddaにはこうさせてあげたい」みたいな願望がすごく強くあったんです。今でもそれはあるんですけど、どんどんと柔軟になっていっているような気がする。
―なぜ柔軟になれているんだと思いますか?
edda:自分で言うのもなんですけど、大人になったんだと思います(笑)。これまでは、できないことを嘆いていたと思うんです。でも、そこから、できる範囲での最大限を発見する力が伸びてきた。最近はそんな感じがしています。
―2月19日からは作品展もはじまるんですよね。それはどんなものになりそうですか?
edda:今回、アニメーション作りで関わってくれたアニメーターさんや、スタッフ間だけでやり取りされていた設定資料だったり、私が過去に描いた絵、私が書いている夢日記も、挿絵込みで公開しようかなと思っています。
曲を聴くだけよりも、このアルバムの世界観にドブンッと浸かってもらえるものになると思うし、過去のミュージックビデオで使った道具なんかも展示されるので、データだけでは見ることができない、「来た意味があったな」と思ってもらえるような作品展になると思います。
- リリース情報
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- edda
『いつかの夢のゆくところ』初回限定盤(CD+DVD) -
2020年2月19日(水)発売
価格:3,960円(税込)
VIZL-1709[CD]
1. こもりうた
2. 夢日記
3. ポルターガイスト
4. 時をかけ飽きた少女
5. Alice in...
6. イマジナリーフレンド
7. ルンペル
8. 戯曲
9. 雨の街
10. リブート
11. バク[DVD]
【Short Movies】
・「雨の街」 Animation Director:しばたたかひろ
・「ポルターガイスト」 Animation Director:ギブミ~!トモタカ
・「イマジナリーフレンド」 Illustration:イケガミヨリユキ / Animation Director:田中涼子
【Music Video】
・「バク」 Animation Dircctor:若林萌
- edda
『いつかの夢のゆくところ』通常盤(CD) -
2020年2月19日(水)発売
価格:3,300円(税込)
VICL-653111. こもりうた
2. 夢日記
3. ポルターガイスト
4. 時をかけ飽きた少女
5. Alice in...
6. イマジナリーフレンド
7. ルンペル
8. 戯曲
9. 雨の街
10. リブート
11. バク
- edda
- イベント情報
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- 『edda 作品展 “いつかの夢のゆくところ”』
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2020年2月19日(水)~2月24日(月・祝)
会場:東京都 LUCKAND -Gallery Cafe&Bar-展示者:
edda参加クリエイター:
イケガミヨリユキ
ギブミ~!トモタカ
しばたたかひろ
若林萌
- プロフィール
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- edda (えっだ)
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1992年生まれ。福岡県出身。音楽塾ヴォイスにて軸となる音楽性を形成。音楽による表現だけに留まらず、イラストやジオラマなどを創作することで、独自の世界観を追求するアーティスト。2017年5月31日に地元である福岡限定シングル『半魚人』を自主レーベル・Erzähler RECORDSよりリリース。売り切れ店が続出したのを受けて、7月19日に初の全国流通盤となるミニアルバム『さんかく扉のむこうがわ』を同レーベルよりリリース。同年10月11日、ビクターカラフルレコーズよりシングル『チクタク』(日本テレビほかアニメ『Infini-T Force』エンディングテーマ)でデビュー。2018年5月には、Coccoからの提供曲やササノマリイとの共作曲などを収録したEP『ねごとの森のキマイラ』を、続いて8月22日に読売テレビ・日本テレビ系新ドラマ『探偵が早すぎる』主題歌の『フラワーステップ』、そして、11月に1stアルバム『からくり時計とタングの街』をリリース。2019年には、新進クリエイターとのコラボ企画で3か月連続配信リリースを行い、2020年2月19日に2ndアルバム『いつかの夢のゆくところ』をリリースした。
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