東京在住の3ピースバンド「été(エテ)」が、3rdミニアルバム『episode』をリリースした。確かなプレイヤビリティーと構築力にもとづく、激しく饒舌なバンドアンサンブル、そしてそこに乗る、圧倒的な量の言葉、言葉、言葉……。étéの音楽をなにより特別なものにしているのは、その異常なほどの量の言葉たち、そしてそれを紡いでいるのが、ギターボーカルのオキタユウキだ。不可思議/wonderboyやTHA BLUE HERBに影響を受けてきたという彼の紡ぐ研ぎ澄まされた言葉、その1語1語、一節一節が持つフラジャイルな輝きが曲の中で連鎖し合い、影響を与え合うことによって、この音楽に、他にはない内省の深さと豊かさを与えている。
新作『episode』は、「わからない、わからない、わからない……」と同じ場所を歩き続けているような「状態」そのものを閉じ込めることに成功した作品といえるだろう。人は「わかったこと」を書いたり歌ったりして発表するのではない。「わからない」から書いたり歌ったりするのだ。この音楽は、他人を自分と同じ気持ちに扇動してやろうなどとは思っていない。他者とのディスコミュニケーション、社会と個人の不和を前提として、その軋轢から生まれる「実感」と「問い」を、ただひたすらに刻み込んでいる。人を丸め込むための言葉は持っていないが、自分を知ろうとするための言葉は数多に持っている。こういう表現こそが世界に問えるものはあるのだと強く思う。
オキタユウキ単独インタビューにて、その言葉が、詩が生まれる源泉に迫った。
「伝える」ということに関しては、ほとんど諦めているといっていいと思います。
―étéの表現は、バンドサウンドとポエトリーリーディングの融合が大きな特徴になっていますが、このスタイルはどのようにして培われ、自分たちのものとなっていったのでしょうか?
オキタ:元々、僕はヒップホップが好きだったので、歌を歌うこととポエトリーリーディングをすることを、あまり区切って考えていなかったんですよ。自分が曲を作るとなったとき、昔から自然と、ポエトリーが入り込んできていたんですよね。
―ヒップホップでは、どんな人たちがお好きだったんですか?
オキタ:LOW HIGH WHO? PRODUCTIONの不可思議/wonderboyとか、THA BLUE HARBをよく聴いていました。不可思議/wonderboyって、いっていることがかっこよくはないんですよね。ただひたすら、自分の焦りのようなものをつらつらと喋っている感じなんだけど、そこから希望を見出そうとしているところに惹かれました。それに対して、THA BLUE HARBは真逆というか、ひたすらかっこいい。「自分対その他」っていう構図のうえで、「自分」をひたすら説いていく。そこに惹かれましたね。トラックもかっこいいし。
不可思議/wonderboy“Pellicule”を聴く(Spotifyを開く)THA BLUE HARB『TOTAL』を聴く(Spotifyを開く)
―ラッパーになろうとは思わなかったんですか?
オキタ:音楽の入りはバンドだったんですよ。生まれて初めて買ったアルバムはBUMP OF CHICKENの『jupiter』(2002年)だったし、僕らが小学生くらいの頃からYouTubeが普及し始めたので、そこでthe band apartの映像を見たり、ネットでインディーズバンドを掘っていったりして。もう少し時間が経ったら、ハヌマーンのようなJ-ROCKを聴いていた時期もあったし。あと、僕はtoeが大好きなんですけど、彼らにどハマリしたきっかけもネットでした。そういった音楽と並行してメタルコアを聴いていたり、幅広く聴いていく中のひとつに、ヒップホップがあった感じだったんですよね。
BUMP OF CHICKEN『jupiter』を聴く(Spotifyを開く)
―ネットとともに育った世代だからこその雑多な聴き方ができていたんですね。
オキタ:なので、バンドをやり始めた最初の頃は、ポエトリーをやることは考えていなかったんですよ。でも、バンドを続けていくうちに、最初の全国流通盤に入っている“眠れる街の中で”という曲ができたんです。この曲は、ポエトリーのリリックが先にできたことで生まれたんですけど、この“眠れる街の中で”ができた事によって、これだったら、バンドでポエトリーをやってもハマるなと思ったんです。
―そこから一貫して、ポエトリーがバンドの大きな軸になっていったのは、なにが大きかったのだと思いますか?
オキタ:そもそも僕は、言葉を選ぶタイプなんですよ。誤解を与えたくないというか、自分の気持ちを伝えるために一番適切な言葉を使いたいっていう気持ちが常にあるし、そのために、歌よりもポエトリーリーディングというスタイルが合っていた、という部分はあると思います。
―「言葉を選ぶ」というのは、「伝わってほしい」という欲求からですか?
オキタ:伝わらないとイヤ、というわけではないんです。むしろ、話す、書く……そういうことをやっていても、自分の思っていることが100パーセント伝わることはないんだと僕は思っていて。基本的に人間関係って上手くいかないものだと思っているし、他者とはわかり合えないと思っている。そのくらい、「伝える」ということに関しては、ほとんど諦めているといっていいと思います。
ただ、自分の思ったことを、自分の思った通りに言葉にできていないとイヤなんです。人前で歌うっていうことは、言葉に身体性を伴うんですよね。言葉が、自分自身に肉薄していくっていう感覚がすごくある。だからこそ、自分が読んだときに、自分が納得できる言葉を書いていたいという気持ちが強くて。
オキタ:なので、僕にとって「書く」という行為は、自分を納得させたい、自分が頷けるかどうか、そこのみに執着しながらやっている感じなんですよね。
―今、ステージに立って言葉を紡いでいるのは、どういう感覚を持つものなのでしょうか。自分を納得させるための言葉を紡ぎながら、でも目の前にはそれを聴いている他者がいるわけですよね。
オキタ:明確な立場に立つというより、常に示唆的でありたいんです。自分の考えや思っていることが伝わるとは思っていないけど、ただ、聴いている人が僕の本音に触れて、今まで考えていなかったことを考えるようになってくれたら面白いのにな、と思っています。
なので、僕は今、歌詞に自分の内面を描きながら、他者への違和感や、社会に対してなんとなく感じていることを書いていますけど、聴いている人に対して「こう思ってくれ」と思っているわけではないんですよね。ただ、「みんな、もっと疑ってもいいんじゃない?」と思いながら言葉を発している感じというか。
été『I am』を聴く(Spotifyを開く)
自分の主張を持つことって、自分が賛同できるものを見つけて、それをそのまま自分のものにすることではないと思います。
―新作『episode』の2曲目に“skepticism”という曲がありますけど、これはまさに「懐疑」という意味の言葉ですよね。「疑う」というのは、オキタさんが社会や他者と接するにあたって大事にされていることですか?
オキタ:そうですね。そこにあるものを「それ」としてそのまま受け取るのは簡単なことなんですけど、僕は、「それは本当か?」と思ってしまうタチで。自分が抱いた感情に対しても、「自分は本当にそう思っているのだろうか?」と常に疑っている感じがします。それを突き詰めるためにも、言葉はすごく重要なものなんですよね。この曲の歌詞の中に<きみは頷く 僕は疑う>と書いたんですけど、周りはなにも疑問に思っていないんだけど、僕は疑っている、みたいな感覚が常にあるというか……。
été『episode』を聴く(Spotifyを開く)
―それは具体的に、どんなことで感じますか?
オキタ:これは別に、「昔がいい」「今がよくない」みたいな話ではないんですけど、平成って、もっとヒリヒリしていたと思うんですよ。誰もが、周りにあるものが本当なのかどうか疑っていたような気がするんです。人とのやり取りがデジタル化されていくことにもまだ慣れていなかったと思うし、そのぶん、もっとみんなヒリヒリしていたし、憔悴していたと思うんですよね。
でも今、僕の周りにいる若い世代の人たちの一部は、「みんなで生き抜いていこう」みたいな感じなんです。「みんなで、WIN-WINでやっていこう」みたいな。もちろん、「僕らの世代」といえるくらいには、僕らの世代は上の世代とは感覚が違うと思うんです。上の世代の人たちから、僕らのような若い世代は「若くて変わった子たち」と一括りにされてしまうこともあるし、そもそも若い世代は前提として貧困層が多いと思うし。だからこそ「僕ら」という連帯を作り、それに見合う主義主張を作り、ムーブメントを作っていかなきゃいけないというのは僕もわかるんですけど……。でも、そこにある種の停滞感があるというか。
―停滞感ですか。
オキタ:幸福や結論って、僕はひとつの停滞だとも思うので。それに対して、僕は疑問視していると思います。「僕らの世代で生き抜いていこう」というマインドも、なにかに対しての疑問の声から生まれているものだとは思うんですけど、「それ一辺倒でいいのかな?」と思ってしまうんですよね。
―よくわかります。僕は今30代なので24歳のオキタさんとは世代が違いますけど、「上の世代とは価値観が違う」とか「時代が違う」とか、そういうスローガンのもとに人が集まっていく様子を見ると、そこに切実さは感じつつも、その奥にある個々人の顔が見えづらくなってしまう感じがして、怖くなるときもあるんですよね。
オキタ:「僕ら」というものができてしまった以上、その先頭に立つ人の意見を、自分の意見にしてしまう人が多いんですよね。「個」が薄れてしまっていく感覚があるんです。自分の主張を持つことって、自分が賛同できるものを見つけて、それをそのまま自分のものにすることではないじゃないですか。賛同できるものを見つけたら、それを自分の中で何度も反芻して、自分が本当にどう考えているかを疑いながら、世の中に提示していく。それが、自分の主張を持つことだと思うんです。
―今のお話、すごく面白いです。
オキタ:ほんとですか? ダルくないっすか、こんなこと語るやつ(笑)。
自分の不安を解消するために自分で反芻しながら考え抜くしかないんです。
―そんなことないです(笑)。ただ、今の話を聞いたうえで訊きたいのは、オキタさんの書かれる歌詞には<ぼくたち>という複数形の主語が多いですよね。「僕ら」という世代感を疑いながらも、こうした歌詞の書き方になっているのは、なぜなのだと思いますか?
オキタ:これは、僕のエゴイズムでもあると思います。自分の気持ちが伝わると思っていないんだけど、それでも、「君もそう思うだろ?」ということもいいたいエゴイズム。それが<ぼくたち>という主語になっているんだと思います。
―そういうエゴに対しても実直に書かれている、ということですよね。なぜ、オキタさんの中には「人と人はわかり合えない」という感覚が根づいているのだと思いますか?
オキタ:(インタビュアーの目を真っ直ぐ見ながら)なんでなんでしょうね?(笑) そこが、自分でも一番わからないことかもしれないです。
―では、「疑う」ということに関していうと、なぜオキタさんは疑うことができるのでしょうね?
オキタ:不安なんだと思います、なにに対しても。だから、自分の中に確からしいものがほしいんだと思う。でも、探したところで、みんなに共通する「確からしいもの」や、答えのようなものなんて、あるはずはなくて。本当に自分が欲しいものは、自分で見出すしかないと思うので、自分の不安を解消するために自分で考えて、考えて、考える。そうやって反芻してなにかに辿り着いたときに、自分で頷けるかどうか。それを問い続けることで、自分を安心させようとしているのかもしれないです。
―「反芻」という言葉をよく使われますけど、反芻することはオキタさんのなかで大事なことですか?
オキタ:そうですね。やっぱり、自分の気持ちに対して自分の言葉が適切かどうかを見極めるには、何度も何度も反芻するしかないんですよね。逆に、「書いて消して」では辿り着けないものもあると思うんです。反芻して反芻して、結論が出るまで書かないという作り方をすることによって、自分の底を見て、それをさらっていく感覚があって。前作のリード曲は“ruminator”というタイトルだったんですけど、「ruminate」は「反芻する」とか「熟考する」という意味なんです。「反芻」は自分にとっての大きなテーマかもしれないですね。
―歌詞を書かれるときは、書き直しながら書くというよりは、ものすごく考え込んでから書く、という感じなんですね。
オキタ:そうですね。考えて考えて、途中で躓いて、また考えて……という感じで。戻って消して、みたいなことはあまりないです。
自分の中に相反することがある、そのグチャグチャの状態をそのまま言葉にしたいんですよね。
―歌詞を書くうえで、「この言葉は誰かを不快にさせるかもしれない」というようなことは考慮されたりしますか?
オキタ:僕が読んでいて不快に思う文章って、品がない文章なんです。今、ちょっとそういう歌が人気な印象があるんですよ。「バイトが終わって、アパートに帰って、彼女と喧嘩して……」みたいな(笑)。よくいえばリアルなんだけど、悪くいえば詩的ではない。もちろん、竹原ピストルさんみたいにリアルな歌詞でもいいものはいいし、文学性を感じるものはあるんです。でも、彼のようにロマンチシズムを感じさせるものと、そうでないものの差は明確にあるんですよ。品がないものって、あるような気がして。
―オキタさんにとって、詩とは、あるいは「詩的である」ということは、どういうことですか。
オキタ:「言葉にできないもの」が「書いてある」のが詩だと思います。僕が大好きな小川洋子という作家さんがよく書いていることがあって。「言葉にできないほど悲しい」とか、「言葉にできないほど嬉しい」ということを言葉にするのが作家だと。自分もそういうことをやっているんだという意識は大切にしています。
―「言葉にできない」ものの存在を信じることが詩を書くことの前提だとしたら、オキタさんの「疑う」という姿勢も、すごくポジティブなことなんだと納得できますね。なにかを疑うことは、それ以外の可能性を信じることだと思うので。
オキタ:やっぱり、自分が書いているものに対して肯定的でいられないと、やっていけないので。そのために芯は必要だし、自分にはそれがあると思っています。それこそ、今回のアルバム1曲目の“Bipolar”は「両極端」とか「双極」という意味で。自分の中に相反するものがあるのは苦しいことだし、どこかで結論を出したり、他のなにかのせいにして自分を守ろうとしてしまうと思うんですけど、僕は自分の中に相反することがある、そのグチャグチャの状態をそのまま言葉にしたいんですよね。それはまさに、言葉にできないものを言葉にしていく感覚なんです。
僕は作詞を通じて、自分自身のことをもっと知ろうと思うんです。
―ここまで歌詞の話をしていただきましたけど、「この歌詞を、どう曲にしていくんだろう?」というところが、まったく想像できない部分でもあって(笑)。
オキタ:これだけ歌詞の話をしておいてなんですけど、実は歌詞は最後に書くんです(笑)。étéの音楽は、構造美や構築美……要は「構成」の面白みによって成り立っているものだと思っていて。なので、「ここはこういうアプローチをしたら面白いんじゃないか?」というようなところから考えて、最初にデモを作り、そこから曲を作っていくんですよね。
―なるほど、曲が先なんですね。では、曲のムードに引っ張られて歌詞の内容が変わっていくこともありますか?
オキタ:もちろん、優しい曲調だったら、言葉の面でも自分の優しい部分が抽出される、みたいなことはありますけど、結局どの曲でもずっと同じことを書いている感覚があるんですよね。それは相互不理解についてであったり、他者に対して懐疑的である自分自身についてであったり、自分を取り囲む漠然とした雰囲気に対して思うことであったり……そういうことは、どの曲でも一貫していると思います。なにより、感情が見える音楽が作りたいんです。そこは一貫していますね。
―新作のタイトルは『episode』と名づけられていますけど、2019年リリースされた作品のタイトルは『Apathy』でしたよね。『Apathy』から『episode』で、ご自分のモードの変化のようなものはあったと思いますか?
オキタ:『Apathy』は、さっきいったような、自分の周りの同世代の人たちに感じる思考停止というか、自分に合うようにパッケージングされたものを手に取り、身に着けていく感覚に対してつけたタイトルで。「僕らで生き抜こう」に賛同していくということも、ある種の無関心を生み出しているし、本当の問題から目を背けるきっかけになってしまっていると思うので。
あと、「アパシー」というのは、心に波が立たなくなってしまう病気の症状でもあるんですよね。自分の心が疲弊してしまって、なにを受け取っても心が動かなくなってしまう。特に今は、受け取るものが多すぎて、みんながみんなそうなってしまう……すごく病的な時代だと思って。あのアルバムは結果として、他者に向いたものになったと思うんです。それは、自分を書き切ることによって、一層、他人のことがわかっていくという意味では、自分にとっては理想的なものだったんですよね。
été『Apathy』を聴く(Spotifyを開く)
―そこから『episode』へと至ることで、なにが変化したと思いますか?
オキタ:基本的なモードは変わっていないと思うんです。「episode」というのは、医学的に「あるひとつの症状が続いている期間」という意味合いがあるんですけど、今の時代は病的だなと思うし、僕はここまで周りを疑ったり、自分を掘るために言葉を重ねていく自分自身に対しても、「ここまでいくと病的だな」と思うこともあるし(苦笑)。ただ『Apathy』を経て、3枚目の全国流通盤を作るとなって考えたときに、「まだ自分のことを書けるな」と思ったんですよね。なので、より自分の方向性が定まった感覚が今回はありました。
―『Apathy』と『episode』では、歌詞の質感も微妙に異なっていると思うんですよ。でもいっていることは一貫している。その、「いい方」が変容していく道筋によって、この先のétéの表現はさらに奥深いものになっていくんでしょうね。
オキタ:……この間、新譜を聴いてくれた友達に「まだ、そんなにいいたいことがあるんだね」っていわれて、「僕もそう思う」と答えたんですけど(笑)。
―ははは(笑)。
オキタ:でも結局、人が背負うものは、その人が触れてきたものやその人が出会ってきた人じゃないですか。僕は、これは僕のための芸術だと思っているので、自分自身を掘り下げる行為をやり続けていくんだと思います。
―なぜ、オキタさんは他者や社会を疑い、ここまで言葉を積み重ねながら、「自分」という存在を突き詰めようと思うんでしょうね。
オキタ:自分でやろうとしない人は、それを他者や自分の外側に求めるんだと思うんです。他人のことをもっと知りたいと思ってコミュニケーションを取ったり、いろんなものを身につけたり。どちらが正しいというわけではないんですけど、僕はそうじゃなかったんですよね。諦めに近い気持ちで、「他人のことはわからないんだ」って思った。だって、みんな本当にいいたいこともいわないし、思っていることもいわないから。それなら、僕は自分自身のことをもっと知ろうと思うんです。自分が一生一緒にいる自分を言葉にしながら、自分に向き合っていこうと思います。
- リリース情報
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- été
『episode』(CD) -
2020年1月15日(水)発売
価格:1,650円(税込)
CMI-00751. Bipolar
2. skepticism
3. High Hopes
4. Over
5. 何者でもない
- été
- イベント情報
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- été
『été TOUR 2020 “Over”』 -
2020年3月14日(土)
会場:東京都 下北沢 MOSAiC2020年3月21日(土)
会場:長野県 松本 ALECX2020年3月22日(日)
会場:新潟県 CLUB RIVERST2020年3月28日(土)
会場:福井県 CHOP2020年4月4日(土)
会場:北海道 札幌 COLONY2020年4月11日(土)
会場:愛知県 名古屋 GROW2020年4月12日(日)
会場:京都府 GROWLY2020年4月19日(日)
会場:千葉県 LOOK2020年4月20日(月)
会場:静岡県 UMBER2020年4月26日(日)
会場:神奈川県 YOKOHAMA B.B.STREET2020年4月28日(火)
会場:香川県 高松 DIME2020年4月29日(水・祝)
会場:兵庫県 神戸 ART HOUSE2020年5月1日(金)
会場:山口県 LIVE rise SHUNAN2020年5月2日(土)
会場:岡山県 CRAZYMAMA 2ndRoom2020年5月5日(火・祝)
会場:宮城県 仙台 enn3rd2020年5月6日(水・祝)
会場:青森県 Quarter2020年5月9日(土)
会場:埼玉県 HEAVEN’S ROCK 熊谷 VJ-12020年5月10日(日)
会場:大阪府 北堀江 club Vijon2020年5月11日(月)
会場:広島県 CAVE-BE2020年5月16日(土)
会場:福岡県 Queblick2020年5月22日(金)
会場:茨城県 club SONIC mito2020年5月23日(土)
会場:群馬県 前橋 DYVER2020年6月14日(日)
会場:東京都 Shibuya Milky way料金:各公演 前売2,500円 当日3,000円(共にドリンク別)
- été
- プロフィール
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- オキタユウキ
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東京都出身のオルタナティブロックバンド、étéのギター、ボーカル。2015年1月にバンドを結成。当初はギターロックを軸としていたが、次第にポストロックやハードコアの要素にポエトリーリーディングの手法を融合させたスタイルへと変化。2018年に『404 AUDITION』で「グランプリ」を獲得し、初の全国流通盤となるミニアルバム『Burden』を発表。2019年3月に1stフルアルバム『Apathy』を、2020年1月に『episode』をリリースした。
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