踊ってばかりの国が前作『光の中に』(2019年)から8か月という短いスパンで完成させた新作『私は月には行かないだろう』。このインパクトのあるタイトルは、ZOZO創業者の前澤友作を巡る一連の騒動を皮肉ったものでありつつ、1960年代から活躍するフォークシンガーで、「フォーライフ・レコード」の初代社長としても知られる小室等の同名作へのオマージュでもあり、彼らが日本のフォーク / ポップスの系譜に連なる存在であることを改めて印象づけている。
小室等は1978年に『プロテストソング』というアルバムを発表。この作品は、数多くの作品を共作した谷川俊太郎の詞を用いた、彼らなりの「プロテスト」であり、2017年には続編もリリースされている。
下津光史は谷川俊太郎に特別な想い入れはないそうだが、「空」「海」「宇宙」といった言葉を多用し、「自由」や「可能性」を歌った『私は月には行かないだろう』は、現代における「プロテストソング」として響き、マヒトゥ・ザ・ピーポー(GEZAN)や小山田壮平(AL、ex.andymori)、あるいは復活したJAGATARAの江戸アケミとの連帯を示すかのように聴こえる。下津は今日も、自由に踊り続けるために歌う。
「時代も時代だし、大人に飼われてる時間はなさそうだなと」
―前作から8か月という速いペースでの新作リリースは、バンドの状態のよさの表れと言えますか?
下津:このアルバム、今のメンバーになって3作目なんです。それぞれ自分のポジションがわかりはじめたというか、曲に対して自分が何をしなければならないのか、サッと察知してくれるようになったこともあって、このペースで出せるようになりました。
前作で今のメンバーでのスタイルを形にできて、今回はそのフォーマットに当て込んで作った1作目のアルバムという感じで。
―前作から自主レーベル(「FIVELATER」)を立ち上げて、フットワークも軽くなった?
下津:というより、時代も時代だし、大人に飼われてる時間はなさそうだなと。決別を経て、2019年は自分たちがやりたかった活動が初めてできた1年だったなと思います。
前作のリリースツアーは完全に自分らだけで回ったんですけど、お客さんの顔をちゃんと見れるようになったんですよね。「こんな顔でこの曲聴いてんのや」とか思って。だから、今回の歌詞は他人のことも書いた内容になってるかも。
―たしかに、前回取材した『君のために生きていくね』(2017年)のときはメンバーや家族だったり、自分たちの周りにいる人のことをメインに書いていて(参考記事:踊ってばかりの国は10年かけて理想の姿へ。下津&谷山が語る)。今回もそういった側面はありつつ、より外側を向いてるような印象を受けました。
下津:隣人は守れたから、ちょっと手を広げて、目線を広くしようぜって感じっすね。
踊ってばかりの国『君のために生きていくね』を聴く(Apple Musicはこちら)
ロックバンドに強いこだわりを持つからこそ思うことーー「人間が生身でやったって、音楽をきちんと伝えるのはすごく難しい」
―自主レーベル名の「FIVELATER」というのは「時代遅れの5人」という意味なんですよね。もちろん冗談半分ではあると思うけど、実際に「パソコンを使って何でもひとりで作れる時代に、ロックバンドはもう時代遅れだ」という声もあるじゃないですか? もちろん制作スタイルだけで、一概には言えない部分はありますが、そういう意見に関して、下津さんはどんなスタンスでいますか?
下津:今はライブシーンとクラブシーンがお互いリスペクトし合ってると感じますけどね。でも、たとえば音楽家を陶芸家だと置き換えて考えたら、今は自分で焼いたやつを自分で売り出せる世の中じゃないですか。
そう考えると、メルカリを主戦場にしてもやっていける陶芸家は増えたんだろうなって思います。でも、ロックバンドは生モノなんで……ロックバンドにこだわってやってるやつらは、いい有田焼を作ろうとしてる人なんじゃないかなって思うっすね。
踊ってばかりの国『光の中に』を聴く(Apple Musicはこちら)
―ロックバンドの音楽は携わるプレイヤーの数が多かったり、どうしてもアナログな作業がつきまとうから、制作・録音するのにも、ライブをするのにも少なくないコストがかかりますよね。一方でパソコンを使って作る音楽も、手間や労力は同じかそれ以上にかかるかもしれないけど、デジタルだからこそカットできるコストもある。制作からリリースまで、もっと言うとライブをするときだってひとりで完結できてしまう人もいるわけで。
下津:ホンマ偏った思想やし、それこそ時代遅れな発想ですけどね。でも、人間が生身でやったって、音楽をきちんと伝えるのはすごく難しいですから。
打ち込みの音楽やってる友達もいますけど、ソフトとか使ってる機材、制作手法や環境が似たり寄ったりになればなるほど、余計にセンスが問われると思うんです。そのなかでどういう組み合わせが一番いいのか……パズルゲームをやってるような制作の形になっていくんじゃないかとも思うんですけど、ロックバンドはある意味もっと専門職的というか。だからこそ、自分ができることをはっきりさせたいと思う。
―なるほど。
下津:思ってることをそのまま吐き出せることがブルースだと僕は思うんですけど、今みんな家で画面を見つめながらでしか、心のセブンスを鳴らせなくなってるんかなとも思うんすよね……だからこそ、今の若い子たちの間でDTMが流行ってて、そこにブルースをぶち込んでるんじゃないかって。トラップも文句でしかないですもん。悲しいことだと思いますね。
ジャンルの垣根が消え、手法も関係なく、ただセンスだけが問われる。音楽は、偽物の生き残れない実力主義の時代へ
―デジタル化が加速して人と人の交流がスマホ、あるいはSNSが主体になったことで生身のコミュニケーションが希薄になり、どんどん閉塞的なムードが生まれて……というような時代感や、CDからストリーミングへと音楽の聴かれ方が移り変わりつつあるのも関係あるかもしれないですよね。
下津:そうっすね。ただ1990年代の『AIR JAM』の時代から考えると、もう完全にノーボーダー化してるじゃないですか。今まではバンドはバンド、ヒップホップはヒップホップで固まっていたけど、もうそうじゃない。
昨日、アコースティックライブをやったんですけど、GEZANのマヒトゥ(・ザ・ピーポー)もいたし、かと思えばyayhelのメンバーとかDJの人もおったりして、「これ、どういう状況?」ってなって。だからやっぱり、垣根が消えてきた実感はすごくあります。
―去年、GEZANが主催した『全感覚祭』もそういう状況の表れと言えますよね。シーンの垣根が消えたということでもあるし、「個」としてかっこいいことをやっていれば、ラッパーでも、トラックメイカーでも、サイケなロックバンドでも、ちゃんと注目される時代になったということでもある。
下津:幾何学模様とか、ああいうバンドがサラッと出てこれるようになったのも、すごくいいことやなって思います。それって、さっき言ったメルカリを主戦場にしてやってる人らが増えている状況との摩擦の結果とも思うんですよ。今はちゃんとセンスがあって、かっこよくないと売れない。偽物がいなくなるってことだから、実力主義でいいことやと思います。
―実力主義の時代だからこそ、踊ってばかりの国としては「歌モノのロックバンド」という専門職を貫くことが大事になると。
下津:ここまできちゃったら、もう引き返せないっすもんね。そういう意味で、皮肉も込めて、今回『私は月には行かないだろう』ってタイトルをつけたんです。「月を目指すんじゃなくて、宇宙はもっと奥に広がってるから」っていうスタンス。「そんな一番近い星でワーワー騒いでんじゃねえ、サイケ舐めんな!」って(笑)。
―「音楽はもっと奥深い」というステイトメントでもあると。
下津:無限なんだぜって。でも、アルバムのリリースを発表した何日か後に、剛力さんのドラマ(剛力彩芽主演の『抱かれたい12人の女たち』)のニュースが出て、「持ってかれた!」ってなったんすよ(笑)。
このタイトルは、小室等さんのアルバムタイトルの引用でもあるんですけど、「月に行く / 行かへん」って現代っぽいじゃないですか? でも、月が限界って思ってるようじゃ、まだまだ人間、甘いっすね(笑)。
常に他人の目線にさらされ、同調圧力で息苦しい世の中だからこそ、下津は自由を歌う
―最初に「外向きな印象を受けた」っていう話をしたように、今回は隣人だけじゃなくて、今の社会と向き合って、自分たちが何を歌うべきか、何を鳴らすべきかを考えたアルバムだと思ったんですよね。今話してくれたように、『私は月には行かないだろう』というタイトルは「可能性」も意味しているわけだし、1曲目の“バナナフィッシュ”では<自由よ、あなたは自由よ / 誰も君を笑わないよ>と、ストレートに「自由」を歌っています。
下津:“バナナフィッシュ”の骨組みはほとんど自分一人で作っちゃったんですけど、この曲が今までで一番サイケなんじゃないかなって思いますね。
―ある時期のDeerhunter的な、シューゲイザー寄りのサイケじゃなくて、The Velvet Underground的なサイケ感だなと感じました。
下津:“バナナフィッシュ”って言葉遊びで、ヴェルヴェッツとフィッシュマンズのことなんですよ。
The Velvet Underground & Nico『The Velvet Underground & Nico』を聴く(Apple Musicはこちら)フィッシュマンズ『空中キャンプ』を聴く(Apple Musicはこちら)
―あー、なるほど!
下津:裸のラリーズとかが作ってきた日本の独特なサイケ感をギターのフィードバックで再現して、そこにヴェルヴェッツのあの波のないヘロイン感をぶちこんでみました。
―“サリンジャー”っていう曲もあるから、そのことだと思っていました(J.D.サリンジャーは『バナナフィッシュにうってつけの日』という短編小説を執筆している)。でも歌詞の背景としては、サリンジャー的な社会に対するフラストレーションがあるわけですよね?
下津:東京で生きていると、いつも薄っすら責められてる感覚になるというか……だからこそ、「自由やで」って1曲目に歌っておかないとって思って書きました。言葉尻は優しいですけど、なかの人は怒ってます。
―その怒りについて具体的に訊きたいです。
下津:「何に怒ってるんかな?」って、自分でも日頃考えるんですよ。「何に不満を持って生きているんやろうな?」って。でも、それがわかりづらくなってきていると感じるんです。「感情を出したら負け」「自分の踊り方で踊ったら恥ずかしい」みたいな、東京にはそういう空気がありますよね。
見えない柵(しがらみ)みたいなものをぶち壊すためにバンドやってるんで。「俺、こういう気持ちでバンドやってます」っていう曲です。幸運なことに、僕らはこれでやれているわけだから、遠慮せずにやったらんと意味ないって思ってます。
―そういうある種の同調圧力や集団心理の問題は、若い世代にはより深刻でしょうしね。だからこそ、ロックバンドとしてははっきり自由を歌うべきだと。
下津:江戸アケミ(JAGATARA)の言葉を借りれば、「自分の踊り方で踊ればいいんだよ」ってことですよね。こんな生き方させてもらっておいて、「そこを言っておかんと、何を言うねん」とも思うし。
―JAGATARAが復活したのも、自由に踊れていない現代のムードに対するカウンターのように映りますよね。
下津:ちょっと前に犬式(三宅洋平を中心とするバンド)も復活したし……大変やな。ホンマこの5年、いろんなことのあり方がガラッと変わるんちゃうかなって思うっすね。
ディスプレイに釘づけになり、目の前にある美しいものを見過ごさないために。下津の歌の真ん中にある感覚
―2011年に出た『世界が見たい』というアルバムは、震災の直後だったこともあって、カウンターミュージック的な色合いの強い作品で、当時のCINRA.NETの取材でもそういう話をしました。今回のアルバムは、あの作品にも似た印象を感じたんですよね。
下津:たしかに。タイトルの皮肉な感じも『世界が見たい』と通じますしね。人々が渇望する対象を間違えないように……自分でこんなこと言うのはダサいけど、そういうアルバムであってほしい。『世界が見たい』っぽいか……自分でも気づかんかったっすね。
踊ってばかりの国『世界が見たい』を聴く(Apple Musicはこちら) / 参考記事:今こそカウンター・ミュージック 踊ってばかりの国インタビュー(記事を読む)
―“バナナフィッシュ”と“サリンジャー”はどっちが先にできていたんですか?
下津:“サリンジャー”が先です。娘が「サリンジャー!」ってずっと言ってたんですよ(笑)。今、意味わからんことをずっと言い続ける時期で、「チンチンどこどこ!」とか、あと「ボブ!」とか、テレビで聞いたようなことをずっと叫んでるっすね。
この曲は子どもが大きくなったときのために、「世の中は捨てたもんじゃないから、頑張って生きてね」って、愛を全面に出してみました。絶望してるんだけど、サビで絶対救われる曲にしたかったんです。
―<種がいつか花になり / 飛び跳ねれば宇宙にだってなれるよ>と歌っていますね。
下津:やっぱり地球って美しいから、そこもちゃんと歌いたい。地球の美しさって、人間個人の美しさともリンクしてると思うんです。スピリチュアルな話やけど、「空みたいな人」とか「海みたいな人」って表現があるように、人間はそういう美しさに影響されて生きていて……だから、パソコンばっかり見てちゃダメだよって歌いたかった。
目の前にある美しいものを見過ごして、違う海を見ているような、「そんな大人にならないでね」って。そのへんにある空き缶とか、街の隅を走り回ってるねずみちゃんとか、そういうものに愛を注いで歌えなくなるのは嫌だなって思います。それが僕のブルースですから。
―心が荒みやすい時代だからこその、下津さんの優しさもすごく感じます。
下津:ありがとうございます。“青いピアス”は完全に奥さんへのラブレターです。
下津:「こういうことばっかり歌えていたら幸せなんやけど」って思うんですけど、逆にブチギレてるのが“Hell hole”っすね。全部言葉にしてやろうと思って、サビに書きました。
―<空飛ぶ車 / 死にゆく森 / 心の砂漠化 / 果ては地獄か / 今世界では>と書いていますね。
下津:前に“ジョン・ケイル”(『君のために生きていくね』収録)で歌ったことでもあるんですけど、人間は便利を突き詰めるとダメになる。車が空を飛んでしまったら、空のありがたみがなくなっちゃうって思うんです。そういうことをわからずに、突き進んでる今の状況がすごく怖い。だから、一度原始に戻ろうって……犬式みたいなこと言ってますけど(笑)、怒りたかったっすね。
不遇の20代を経て。音楽で一生生きていく覚悟を決めて得た自覚「生身でかっこいいのが一番かっこいい」
―2曲目がインストの“タイムワープ”で、そこから3曲目の“クロール”に入っていく構成も印象的でした。
下津:もともと“タイムワープ”は“クロール”の一部やったんですけど、かっこいいから分けちゃいました。僕、不遇の20代を過ごしたというか、ずっと満たされなくて。「誰かに名前を呼ばれる日がいつ来るんやろ?」って思ってたけど、「最近きてるんじゃねえの?」って思って“クロール”の歌詞は書きました(笑)。芸術をやる人には、こういう苦労はつきまとうんじゃないかなって思いますけど。
―その気持ちが、<やっと名前を貰えるわ / 泳ぎ続けて良かったよ>という歌詞に表れていると。話に乗っかるわけじゃないですけど、今、踊ってばかりの国が改めて評価されるには相応しいタイミングだと思っていて。Yogee New Wavesやnever young beachのような、直属の後輩のようなバンドが出てきたのはここ数年言われていたと思うけど、それに加えて海外の状況も変わってきて。
下津:まあ、ヨギーとネバヤンはマジで売り上げの1割入れろって思う(笑)。
―(笑)。マック・デマルコの細野晴臣さん好きはよく言われていましたけど、去年はデヴェンドラ・バンハートも細野さんのオマージュを曲にしていたじゃないですか(2019年発表の『MA』収録の“Kantori Ongaku”)。一方で踊ってばかりの国は、日本のフォーク / ポップスに2000年以降のアメリカのサウンドを組み合わせることをずっとやって来たわけで、今はその逆の動きが起きてるというか。
下津:たしかに、海外のお客さんは増えましたね。
―それこそ、初期の踊ってばかりの国はDeerhunterやデヴェンドラ・バンハートから借りてきている感じもあったと思うけど、今作で今の5人のシグネチャーサウンドを作り上げたと思うんですよね。
下津:今回はギターの丸ちゃん(丸山康太)との対話が増えて、ジャズのコードを使ったりしたことが、サウンド面では大きなポイントですね。丸ちゃんはもともとジャズの人なんで、めちゃくちゃコードを知ってるんですよ。で、(大久保)仁はずっと妖精みたいな状態でおる(笑)。
―それぞれの役割が明確になったことで、丸山さんがもともと持っていたジャズの要素が出てきたと。大久保さんのサウンドも、踊ってばかりの国の酩酊感には欠かせないですしね。
下津:やっぱり丸ちゃんが入って、別バンドになった感じがあるんですよね。
下津:“君が愛したあの空へ”は、今の5人全員で自然にビッグバンを起こせる曲がほしかったんです。しかも、速い曲じゃなくて、ゆっくりな曲でやりたくて、それがドンピシャにハマった曲。ワルツやし、ノリにくそうなんだけど、掴んじゃえば一番気持ちいい。歌詞は、今、目の前にある普通のことを並べて深みを持たせたというか、一番気に入ってる歌詞ですね。決意表明の歌だと思っています。
―今作のテーマソングのような印象を受けました。<こんなに宇宙は広いけど / 君の空だけは君のモノなのよ>というラインが特に心に残ります。
下津:「これを続けていくのはしんどいで」って、自分でも感じていたんですけど、音楽をやって生きていく決意が固まったんやろうなって思います。だからこそ、今回サウンドがふくよかになったんだと思う。意図してそれができたらいいんですけど、自然にぶち当たった結果でしか作れないんで……みんなには苦労させちゃうんですけど。
―意図しちゃうと、それこそ借りものになっちゃうだろうし。
下津:そうなんですよね。それだとファッションになりがちやし、生身でかっこいいのが一番かっこいいんで。そういうふうに音楽でやっていくんだって、今回自覚したのかもしれないっすね。
不穏な時代の変わり目に。知らず知らずのうちに社会が変わりつつあるからこそ、今、表現すべきことがある
下津:あとは……“アルビノのコウモリ”はGEZANとツアーを回ったときの歌で、3年前くらいに書いた曲ですね。一緒に旅をした仲間に歌を書きたくて。主人公目線の曲だなと思います。根本的な話ですけど、「やっぱり、楽しいからバンドやってるんやな」って、あのツアーで思ったんですよ……めっちゃケンカしましたけど。
―どういうことでぶつかったんですか?
下津:めちゃくちゃしょうもないことです。マヒトゥが喉枯れてたから、「マスクしときや」って言ったら、「何でお前にそんなん言われなあかんねん」って……あいつ頭おかしいっすよ(笑)。
―(笑)。それでも、一緒に旅をした仲間なわけですよね。あと個人的には、“君が愛したあの空へ”から小山田壮平さんを連想したんです。彼の作る曲には「空」の歌が多いんですよね。それは彼が自由を希求しているからだと思うし、やっぱり下津さんとも通じる部分があるなって感じて。
下津:あいつ、空ばっか見てますからね(笑)。壮平もいつもケンカしたりしちゃうんですけど、最初から最後まで先輩やってくれるんですよ。だから僕にとって、かけがえのない人ですね。
僕のなかで、歌うたいのお手本が常にいたのは大きくて。大阪時代は奇妙くん(奇妙礼太郎)がいたし、東京に来たら壮平がいたんですよね。キャリア的にもすごく助かったというか、活動はじめて最初の10年は対バンとかでも張り合いがなかったけど、壮平にはびっくりしたっすね。
―それこそ、下津さんや小山田さんが泳ぎ続けたことで、下の世代が出てくる土壌が作られたんだと思う。andymoriは解散しちゃったけど、小山田さんも今はALや弾き語り、自分のバンドと幅広く活動していて、この2人が音楽を続けてくれてることはすごく頼もしいなって思います。
下津:最近、Boredomsとかフィッシュマンズが出てきたときみたいな状況になってんのかなって思うんですよね。面白いキャラクターが揃ってきた。そういう意味では、このあとも明るい5年になるんちゃうかっていう予感がしつつ、パソコンに乗っ取られるんちゃうかって恐怖もありつつ……。
―音楽的に豊かで面白くなるのは、社会の不穏なムードの裏返しでもあるというか。
下津:そうです、そうです。そういうところに心のセブンスはあったりする。しかも今、気づかないうちに少しずつ世界が変化していってるのが怖い。世の中を断片ごとに見ると変化しているってわかるけど、そのなかにいると、気づかずに変わっていってしまっている。
何かに侵されてるような感覚になるというかね。今、表現者が血眼になって、声を大にして言っていることって、そういうことなんじゃないかなって思います。
―間違いなく、時代の変わり目にきている。今、表現しておかないと、あとで取り返しのつかないことになるかもしれない。
下津:そう。だからこそ、自分たちの居場所に、自分たちのやりたいことにフラグを立てとかないとなって思いますね。
- リリース情報
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- 踊ってばかりの国
『私は月には行かないだろう』初回限定盤 -
2020年1月22日(水)発売
価格:3,800円(税抜)
FL-1002[CD]
1. バナナフィッシュ
2. タイムワープ
3. クロール
4. サリンジャー
5. 群鳥
6. In your eyes
7. 青いピアス
8. Hell hole
9. ペット
10. 秋の黄昏
11. アルビノのコウモリ
12. Right now
13. 君が愛したあの空へ[DVD]
『「踊ってばかりの国がやって来る!サラダ!サラダ!サラダ!リターンズ」at 恵比寿リキッドルーム』
1. ghost
2. weekender
3. 光の中に
4. heaven
5. いややこやや
※DVDは初回限定盤に付属
- 踊ってばかりの国
『私は月には行かないだろう』通常盤(CD) -
2020年1月22日(水)発売
価格:3,000円(税抜)
FL-10041. バナナフィッシュ
2. タイムワープ
3. クロール
4. サリンジャー
5. 群鳥
6. In your eyes
7. 青いピアス
8. Hell hole
9. ペット
10. 秋の黄昏
11. アルビノのコウモリ
12. Right now
13. 君が愛したあの空へ
- 踊ってばかりの国
- イベント情報
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- 『踊ってばかりの国リリースワンマンツアー2020「潜伏」』
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2020年2月19日(水)
会場:宮城県 仙台LIVE HOUSE enn 2nd2020年2月22日(土)
会場:沖縄県 那覇output2020年3月14日(土)
会場:北海道 札幌SOUND CRUE2020年3月26日(木)
会場:広島県 広島4.142020年3月27日(金)
会場:大阪府 大阪Shangri-La2020年4月9日(木)
会場:福岡県 福岡voodoo lounge2020年4月11日(土)
会場:愛知県 名古屋TOKUZO2020年4月18日(土)
会場:東京都 恵比寿LIQUIDROOM
- プロフィール
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- 踊ってばかりの国 (おどってばかりのくに)
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うたと3本のギター、ベース、ドラムで構成された東京で活動する5人組のサイケデリックロックンロールバンド。幾度かのメンバーチェンジを挟みながらこれまでに7枚のフルアルバム、3枚のミニアルバムをリリースし、『FUJI ROCK FESTIVAL』などの大型フェスにも出演。音楽に愛されてしまった5人が奏でる爆音でかつ繊細な楽曲は、古い米国の田舎町や英国の路地裏、日本の四季の美しさをも想起させ、眩しいほどの光で聴くものを包み込む、正しくアップデートされたロックンロールの形。2018年より『大和言葉』という対バン形式の自主企画もスタートさせ、活動10年を超えた現在、最も理想郷に近い形で活動中。
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