わけもなく、身体も心も疲弊する。現代に生きる多くの人々がそんな経験をしていることだろう。うまく休めない、仕事とプライベートのオンオフがない、環境にストレスを感じるなどなど、きっと理由はそれぞれのはず。
今回ミュージシャンで、日頃からフリーランスの働き方に苦慮しているという入江陽に、大分県別府の鉄輪エリアを巡ってもらった。鉄輪は、別府でも最も温泉が湧き出る地域で、もともと長期間滞在して温泉療養を行う「湯治」の文化が色濃く残る場所。この地域で、仕事の合間に温泉でリフレッシュする「湯ワーキング」という新しい働き方に出会った入江は、自身の働き方や休み方、そして生き方をどう捉え直したのだろうか。
大きな悩みのひとつに、休みの取り方がわからないというのがあります。
―今回、入江さんには別府の鉄輪エリアに行っていただきました。そもそも入江さんは地方出身ではないんですよね?
入江:そうですね。実家は新大久保です。ただ、実家から出て神楽坂・飯田橋に住んでいたこともあります。そのあと、また新大久保でも一人暮らしをしたタイミングで、ちょっと東京の人の数に疲れてしまって……。それで、現実的に東京にもすぐに足を運べるくらいの距離感で、郊外でもある場所をいくつか探して、千葉に引っ越したんです。
―それで、疲れが少しは収まりましたか?
入江:そうですね。自分の中に流れ込んでくる情報量を絞るというか。物理的な距離を置くと、どうしても行きたいっていう用事以外は足を運ばなくなるので、気楽になりました。
―仕事は主に千葉の自宅でされるんですか?
入江:仕事をする場所はかなりバラバラですね。シンガーソングライターとしてライブももちろんやるんですけど、最近は映画音楽など、裏方として制作の作業が多いので、ノートパソコンを持ち歩いて仕事をすることが多いです。
打ち合わせの場所も、時間帯も日によってバラバラ。だから、打ち合わせの合間、自分1人で作業するときは主に喫茶店でやることが多いですね。ただ、電源があるかないか、Wi-Fiがあるかないか、好きな席があっても混んでて座れないときもあって、使えない場所もあるので迷ったりしますよ。
―フリーランスならではの悩みですね。
入江:そうですね。あと、休みの取り方がわかんなくなるのもひとつの大きな悩みですね。知人からもよく聞くし、本とかでも書かれていることなんですけど、「休みの日は思い切り休んだほうがいい」というメソッドがあるじゃないですか。でも、本当になにもかも気にせずに、仕事のことを一切忘れてってのが難しい。どうしても、メールを見てないのが気になってきちゃうんですよ。「あの件、どうなったんだろう」って。
だから、そういうときにWi-Fiがない環境だとかなり心が落ち着かなくなります。ただ、それも東京から近い距離にいるからなのかなって。思い切り「休暇」を満喫する気持ちになれる場所で休みを取るっていうのはやりたいことではあるんですよ。
―そんな入江さんに今回、別府・鉄輪エリアに行っていただきました。思いきり休むというよりは、「湯ワーキング」という働き方を試してもらったんですが……。
入江:鉄輪ではコワーキングスペースで仕事をさせてもらったんですが、予想以上に仕事に打ち込めましたね。鉄輪地域で仕事の合間に温泉にさっと入るという「湯ワーキング」を提案されたときにも、なんか面白そうだなと思ったんですけど、実際に試してみるとやっぱり「お風呂」っていうのは大きいかもしれないと思いましたね。例えば、音楽を聴きながら仕事したりもできるけど、音楽に気を取られるじゃないですか。でも、お湯に入りながら仕事は難しい。一度、自ら仕事と強制的に遮断させるのがいいのかもしれないな、と。
ノウハウとかTIPSみたいなものって、体験として豊かなのか、疑問に思う。
―仕事との完全な断絶があるってことですね。
入江:そうですね。温泉なので、服を脱ぐのも大きいなと思いました。強制的にオン・オフが生まれますよね。しかも、旅行に行くとか大げさなリフレッシュとは違って、たばことかお茶みたいな感覚で、「ちょっとお茶しよう」くらいの感覚で温泉に入れるのが大きいんだろうなと。
―現地の方は、仕事の合間にひとっ風呂っていってましたもんね。
入江:あれはなかなか衝撃ですよね。たしかに昔、一緒に仕事をしたフリーランスのエンジニアさんの中に、「ちょっと疲れたんで、1回風呂入ってきていいですか?」っていって本当に入っちゃった人がいました。作業部屋は、そのエンジニアさんの自宅だったんですけど。
僕がいるのに、いきなり入るんだと思って、それも衝撃だったんですよね(笑)。だからサクッと風呂に入るのは、いい手なのかもしれないですね。でも、普通は仕事場にお風呂はないですからね。
―鉄輪は、温泉が余るほどそこかしこから湧き出てましたもんね。
入江:周囲一体、どこでも温泉に入れましたよね。しかも、100円とか場所によっては無料でも入れて。この鉄輪地域がもともと、長期的に滞在して、湯治をするっていう文化があるからなんでしょうね。別荘とか、観光名所みたいに、短期間のご褒美として温泉旅行に行ったり、非日常的な体験として温泉があるわけではない。もっと、湯ワーキングにとっての温泉は、仕事の合間に「いつでも行ける」距離感で、日常のものとしてあった気がします。
―無料の温泉があるのは驚きでした。
入江:そう。だから、無職になっても無料のお湯があるから清潔でいられますよね。それは、精神的に余裕が生まれると思います。図書館に行ったら、誰でも平等に本を読んだりできるように、せめて風呂ぐらいはって気持ちはありますけど、東京だとそれなりの料金になりますから。あと、びっくりしたのは、すべてを蒸すことですね。
―温泉で発生した蒸気で、素材を蒸して食べるんですよね。街のあちらこちらに、蒸すための「地獄釜」があって。
入江:ごはんを蒸して、蒸したものを身体の内部に取り込みますよね。あれを見て、街全体が精神的にすごい豊かな理由がわかった気がしました。海外旅行で1回だけイタリアに行ったことがあるんですけど、似たものを感じて。
―どこが似ていたんでしょう?
入江:イタリアは、太陽がカンカン照りで、トマトがめちゃくちゃおいしいんですよ。かつ、ローマの遺跡とか、歴史的な遺産もたくさんあって。それが、精神的な豊かさになっているんじゃないかなと。元から資源があるから、無理矢理がんばる必要がないんでしょうね。たくさんあるものは、みんなで分配できますし。
―イタリアならトマト、鉄輪ならお湯がたくさんありますよね。
入江:トマトがそのままでも美味しいから、そんなに凝った料理をしなくてもいいわけです。鉄輪も、海や山が近いから野菜や肉、魚介がどれもおいしい。しかも、地面からはスチームが出ている。だから、おいしい食材をただ蒸せばいいっていう発想になりますよね。それってすごく精神的にも豊かなだなと思いました。
―「地獄蒸し」と呼ばれてましたね。
入江:しかも、「蒸し湯」で自分自身の身体も蒸すという。僕はかなりのぼせやすいので入る前は不安だったんです。でも、香草がいい匂いだし、仰向けで寝転べるから、不思議とのぼせなかった。一緒に蒸し湯に入った人たちと、グリルされるみたいな連帯感が生まれるのもいいですね。
あと、8分間で外に出されるのもいい。サウナに行くと、こだわりの強すぎるラーメン屋さんとかと同じで、「マナー」が気になってしまうんですよね。サウナって、どのくらいの時間で出るかは自分に委ねられるじゃないですか。だから、早く出たらサウナ上級者の人から「もったいないな」とか思われるのかな、とか考えて集中できない。でも、蒸し湯は、入る時間が8分と決められてるから、とにかくその時間仰向けになることに集中できました。
―たしかに、サウナとかだと人の目やマナーって気になります。
入江:そういう意味で、ノウハウとかTIPSみたいなものって難しいですよね。ネットの時代ってすべてのノウハウが共有されていってしまうじゃないですか。自分がわからないことを詳しい人に聞くと、それはそれで楽しいし便利だと思うんですけど、体験として豊かなのかといえば、疑問に感じるんです。
誰にもいわない場所を持つことが、自分の救いになりました。
―ノウハウと照らして、正しいかどうかが気になって疲れてしまうということですかね?
入江:そうですそうです。先ほどの休みの取り方の話にも通じるんですけど、「効果的なサウナの入り方」「上手な休み方」みたいにノウハウとしてまとめられちゃうじゃないですか。「うまく休みたいなら、こうすればいいんだよ」と。
―たしかに本当にそれで心が休まるのかって話ですね。
入江:「よし、休むぞ!」っていう気合で休むのは少し違って、なんか気づいたらリラックスしてたというのが本当に心から休めた状態だと思うんですよ。でも、今は休みさえも、「上手い」「下手」というノウハウに回収されてしまう。効率化がますます進む流れの中で、役に立たないものは意味がないみたいな雰囲気を感じますよね。だから、どんどん疲れてしまうんだろうなって。
―入江さんは普段どう休まれているんですか?
入江:東京にいたときは、ライブとか展示会に足を運んだりしてました。千葉に引っ越してからは自宅で寝てることも多いんですけど、やっぱり起きてる時間はインプットに使ってしまったり。結局、仕事につなげてしまうんですよ。
それでメンターでもある大学時代の先生に一度、相談したことがあるんです。「最近、なにも面白くないんですよね」ってふんわりとした不安をぶつけてみたら、「全部、仕事につなげてるから、多分よくないんだよ」っていわれたんですよ。仕事と関係のないことをやる、心のゆとりや余裕を持たないとつまらなくなっていっちゃうって。
それでいっとき、ゴルフに誘ってくれたりもしたんですけど、長続きしなくて。で、自分が至った結論としては、誰にもいわない場所を持とうということだったんです。
―どうしてその結論に至ったんですか?
入江:僕はやってないんですけど、たとえばホットヨガをやるとしても、本来は別に続けなくてもいいと思うんですよ。ちゃんとやる必要もないし、やっていることをSNSでシェアしなくてもいいし。でも、シェアすると「長続きさせなきゃ」とプレッシャーを感じますよね。ゴルフを始めたことを誰かにいったら、ゴルフクラブ買ったのに、もう使ってないの? とかいわれたり。
だから、今の時代は誰にもいわないし共有しないってことは、すごい豊かなことだなって。ゲームも誰にもいわないで1人で勝手にやっている分には気晴らしになったりするんですけど、同じゲームをやる知り合いが増えていくと、誰がレベルが高いのかとか気になって、途端にノイズが発生してしまう気がする。SNS時代になってからの、シェアする文化こそが疲れの原因なのかもしれないですよね。それで、自分しか知らない場所を持とうと思って、レンタルルームを借りたんです。
―誰にも知られない場所ならなんでもよかった。
入江:そう、だから仕事とは本当になにも関係ないし、誰も知らない自分だけの「秘密基地」を持つってことですね。自由への欲求っていうのは、一番の贅沢だと思います。本来は、自分の外側に拡張していくものだと思うんですよ。別荘とかもそうですし、友達と遊びに行くのもそうですけど、みんなと共有したり開放したりする方向に増設していく。でも、それが疲れることがわかったので、今度は自分だけのもの、閉じた方向に増設することにしたんです。誰にもいってなかったから、すぐにやめたところでとやかくいわれることもありません。
―そのレンタルルームはどう使ってるんですか?
入江:もう今は解約したんですけど、使ってたときもビニール傘をひとつ置いていただけでした。たった1畳の空間で、自分専用のロッカーみたいな感じだったんですけど、その「自分しか知らない、自分だけの空間」に救われるものがありましたね。
鉄輪は、そういった感覚を思い出させてくれたと思います。別府の中でも完全に観光地化してしまった場所だとまた違うと思うんです。結局、別府の有名な観光スポットだったらできるだけたくさん巡って「消化しないと」ってなってしまうし、「みんなの場所」になってしまう。でも、鉄輪はただただ温泉につかったり、仰向けで蒸されたり、仕事している間に時間が経過していて、自分のしたいことに集中できる。それは、秘密の時間を過ごしているような感覚になりました。
温泉もリッチではなくて、大衆温泉みたいなものが多いですし、思いきりインスタ映えする場所とかではない。だからSNSで拡散とかではないけど、自分の親しい人や大切な人にはこっそり教えたい。そういう魅力がありましたね。
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- 入江陽 (いりえ よう)
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1987年、東京都新宿区生まれ。現在は千葉市稲毛区在住。シンガーソングライター、映画音楽家、文筆家、プロデューサー、他。
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