竹内唯人が10代最後に歌ったこと 過去と自分自身を見つめて語る

ABEMA『オオカミちゃんには騙されない』にも出演していた竹内唯人が、音楽活動を開始して1年を迎え、1st EP『THE FIRST』をリリースした。竹内本人と共に、Matt Cab、BBY NABE、MATZ、UTAなど、多彩なミュージシャンが詞曲にクレジットされた本作は、様々なミュージシャンの才能や技術にまみれ、彼らに導かれることにより結果として、竹内唯人という表現者の個性……そこにある身体性やポエジーをハッキリとした輪郭で聴き手に提示することに成功した作品に仕上がっている。

歌とラップの狭間をいくフロウにはヒップホップを自然と消化してきた世代のシンガーとしての強固な表現力を感じるし、軽快な言葉遣いのなかに物事の両犠牲を捉える本質を忍ばせた歌詞には、彼の「観察者」としての眼差しが垣間見える。洗練されたポップスとして楽しめると同時に、作品が持つ、その「奥行き」も深く堪能できる一作だ。

以下のインタビューでは、そんな記念すべき第一作『THE FIRST』の話や音楽活動をはじめてから1年間での変化について、竹内唯人の根っこにある人間性、このコロナ禍に彼が抱いた想いなどを語ってもらった。取材現場で直接対峙した竹内唯人は、嘘偽りのない、正直で、真摯で、チャーミングな青年だった。

竹内唯人(たけうち ゆいと)
2001年1月9日生まれの19歳。ABEMA『オオカミちゃんには騙されない』に出演し、スタイリッシュなビジュアルと気さくなキャラクターとのギャップが同世代から人気を集める。2019年10月にLINEの音楽レーベル「LINE RECORDS」よりアーティストデビューを果たし、活躍の場を広げている。2020年12月10日、1st EP『THE FIRST』をリリースした。

やんちゃな学生時代を経て、家族に見守られながら一歩ずつ前に進んできた音楽活動1年目を振り返る

―唯人さんが音楽活動を始められて1年が経ちましたが、1年前の自分と今の自分を比べて、変化は感じていますか?

竹内:やっぱり、仕事が音楽になったのが一番大きいです。やりたいことが仕事になったってことなので。

―音楽はずっとやりたかったんですか?

竹内:小さい頃から音楽を超やりたかったというわけではないんですけど、歌番組に出ている人を「いいなあ」と思って見てはいましたね。

あと、お父さんにも「音楽をやれ」と言われていたんです。でも、周りの子から外れて音楽教室に通いたくなくて、自分から音楽を選ぶことはなくて。でも、高校生くらいの頃にちょっとだけ音楽と触れる機会があったんですけど、その頃くらいから、「音楽やりたいな」と思いはじめました。

竹内唯人『THE FIRST』を聴く(LINE MUSICで聴く

―お父さんはなぜ唯人さんに音楽を勧められていたんですかね?

竹内:それがわかんないんですよね。昔から、お父さんは細かいし、ウザいんですよ(笑)。

―ははは(笑)。

竹内:でも、結局お父さんの言うことって全部当たるんですよね。一人暮らしをはじめるときも「そこは家賃が高いからやめとけ」と言われたんですけど、それもそのとおりだったし(笑)。きっと、お父さんの言うことに根拠はないんでしょうけど、僕の性格とかを見越して「やれ」とか「やめろ」と言ってくる。そして、結局はそれが全部当たるっていう。

―唯人さんが作った曲も、お父さんは聴かれているんですか?

竹内:新曲を出したら毎回、「聴いたよ」ってLINEで連絡がきますね。「ここはどういう気持ちで歌ったの?」とか、「ここはもっと気持ちを込めて歌うべきだったんじゃない?」とか、「この曲、生で歌えるの?」とか言ってくるんです。ウザいから、話を終わらせるために「はーい」とか返すんですけど、そうしたらすぐに電話がかかってくる。で、同じことを直接言われるっていう(笑)。

―(笑)。唯人さんの活動をすごく応援してらっしゃるんですね。

竹内:新曲が出るたびに、家族のグループLINEのプロフィールに設定するBGMをその曲に変えてくれているみたいです(笑)。聴いてくれてありがたいです。

―高校生の頃に音楽に触れたというのは、具体的にどういった形だったんですか?

竹内:文化祭でバンドをやることになって。Green Dayの“Basket Case”をやったんですけど、そのときにドラムを頼まれたんです。それまで音楽はやったことなかったけど、リズム感はあったので、ドラムはすぐに叩けたんですよね。

授業は嫌いだったし、音楽の授業も真剣に受けていなかったので、ちゃんと楽器に触れたのは、そのときが初めてでした。ただ、僕は昔から目立ちたがり屋で。バンドでも人の後ろでドラムを叩いているのが、当時の自分にとっては、どこか脇役みたいでイヤで。「音楽でも前に出たいなあ」と思うようになって、そのときから「歌をやりたい」と思うようになりました。

―すぐにドラムが叩けたというのも、すごい話ですよね。

竹内:お父さんとお母さんに「勉強をしろ」と言われ続けてストレスが溜まって、ずっと音楽を聴きながら床を叩いていたんです。そうしたら、いつの間にか叩けるようになっていました(笑)。

竹内唯人の音楽は、カラオケでBAD HOPを歌い、Rude-αらとフリースタイルをする日常の延長にある

―今の唯人さんのボーカルスタイルがどのようにして培われたのかも知りたいんですけど、プロフィールには、「趣味:カラオケ」と書かれていますね 。

竹内:ああ、その「趣味:カラオケ」って言うのは結構前のことで。最近は行ってないんですよ。趣味の欄、変えたいです(笑)。

―(笑)。ちなみに、カラオケではどんな歌を歌われていたんですか?

竹内:そうだな……普段よく聴くのは、自分では出せない音域を出せる女性ボーカルの人たちだったりするんですけど、友達とカラオケに行ってよく歌っていたのは、BAD HOPとかですね。ラップも大好きなので。

竹内:歌いながらラップする、みたいな、あのスタイルを初めて見たときは「なんだこれ?」って衝撃を受けたし、あと、BAD HOPは生き様を歌っているのが好きですね。悪いことをしていたとしても、なにも隠さず、そこにある生き様を正直に歌に出せば、みんなが聴いてくれる時代なんだと思って。

―カラオケでBAD HOPって、難しくないですか?

竹内:まあ、カラオケはノリで友達とワイワイやってただけなので(笑)、上手く歌おうとかは思っていなかったです。それより、ラップは「楽しむもの」として身近にあった感じでしたね。高校生の頃に『高校生ラップ選手権』が流行っていたので、それに“From Now On”を一緒に作ったNovel Coreが出ているのも見ていたし(関連記事:竹内唯人×Novel Coreの19歳対談 これから社会を背負う世代として)、BAD HOPも『高校生ラップ選手権』の流れで知ったんです。

竹内唯人“From Now On feat. Novel Core”を聴く(LINE MUSICで聴く

竹内:あと、Rudeくん(Rude-α)も『オオカミちゃんには騙されない』で直接会う前から超ファンだったんですよ。今思い出したんですけど、Rudeくんに突然、電話で公園に呼び出されたことがあって。行ったらデカい音でビートを流していて、近づいたら突然フリースタイルがはじまる、みたいなこともありましたね(笑)。

―本当に、身近にラップがあったんですね。

竹内:Rudeくんにはいろいろ音楽の話を教えてもらったりしました。それで「自分も音楽がやりたい」と思うようになったので……ああ、そう思うと、自分が「音楽をやりたい!」と思った完全な決め手は、Rudeくんだったのかもしれないです。

ターニングポイントとなった1曲と、自覚した「低い声がいい」という強み

―今の唯人さんのフロウは、どういうふうに自分のものにしてきたのだと思いますか?

竹内:う~ん……最初から適当にやってましたよ?(笑)

―ははは(笑)。

竹内:いろんなプロデューサーの人たちと、いろんな楽曲を作り続けてきたことで、自分の出しやすい声のことがわかってきたり、できることが増えていった感じだと思います。そもそも、音楽は好きだったけど、歌のこととか、音楽制作に関しては何もわかっていなかったんですよね。3曲目に出した“ニビイロ”くらいまでは、トラックのこととか、スタッフの人たちがなにを喋っているのかもわっていなくて。

竹内唯人“ニビイロ”を聴く(LINE MUSICで聴く

―“ニビイロ”は、ターニングポイントとして大きかったですか?

竹内:そうですね。自分の歌に関しても、“ニビイロ”は大きくて。あの曲はUTAくんっていうプロデューサーと作ったんですけど、UTAくんは、僕の声の一番いいところ……高いところも低いところも、完璧にストライクで当ててきてくれて。自分の声の出し方を、UTAくんが引き出してくれたなっていう感じでした。そこから、自分のできる曲の幅も広がっていった感じがします。

“Silence”もUTAくんに作ってもらったんですけど、“ニビイロ”のときよりも、声が太くなってるんですよ。きっとUTAくんも竹内唯人の変化を見越して作ってくれたんだと思うんですけど、“ニビイロ”はまだ卵のなかにいたものが、“Silence”で頑張って卵の外に出てきた感じがしますね。

竹内唯人“Silence”を聴く(LINE MUSICで聴く

―自分の「声」については、どのように感じていますか?

竹内:友達やファンの人に聴いてもらったときに、「低い声がいい」と言ってもらうことが多くて。今、ボイトレに通っているんですけど、低い声って、練習しても出せないものがあるらしいんですよね。

俺は男だからか、「高音が出る人が、歌が上手い人なんだ」って意識が昔からあったんですけど、それこそ“ニビイロ”を歌ったとき、低いところからどんどんと上がっていくことを意識したんです。そこから、「低い声は強みになるんだ」ということを自覚するようになりました。

「自分が感じたものをそのまま歌詞にしてしまうと、共感する人もいれば、ただの俺の感情を出しただけの歌だと捉える人もいると思うんです」

―歌詞についてはどうでしょう。唯人さんは歌詞クレジットがご自身の名前のみの場合もあれば、共作の場合もあるし、完全に委ねている場合もあると思うんですけど、曲を重ねる毎に、自分の歌詞の書き方が見えてきていますか?

竹内:歌詞については、最初に自分でちゃんと書いたのは“CINDERELLA”だったんですけど、あの曲のときに、自分が経験してきた恋の話をそのままぶつけて書いたんです。あの曲もいい曲だと思うんですけど、自分が感じたものをそのまま歌詞にしてしまうと、共感する人もいれば、ただの俺の感情を出しただけの歌だと捉える人もいると思うんですよね。

竹内唯人“CINDERELLA”を聴く(LINE MUSICで聴く

竹内:これまで完全に人に任せたり、他の誰かと一緒に作るっていうことも試したんですけど、今回のEPを作っていて思ったのは、自分が思うままに一度バーッと書いて、それを他の人に推敲してもらう。そうやってワンクッション置いたあとでもう一度、自分で見直すっていう書き方をしたほうが、いろんな人に伝わりやすい歌詞になるような気がするんですよね。

―あえて一度、客観的な視点を入れるというか。

竹内:自分の意見もあるし、他の人の意見もあるってほうがいいような気がしていて。もちろん、自分で書き切ることが一番いいのかもしれないけど、俺にはまだ、自分で書き切ったうえでいろんな人に共感してもらえるだけの知識や言葉がないんですよね。だからこそ、今はいろんな人と一緒に書くことで、いろんな刺激を受けて歌詞を書いていますね。

―特に歌詞に関しては、「他の誰かの手に触れさせたくない」と思う人も多いと思うんです。でも、唯人さんはそうではないんですね。

竹内:最初はそうでした。自分で書きたい気持ちもあるんですけど、自分の近くにいる作家さんやプロデューサーさんは、自分よりも長く生きている人たちだから、経験値は俺とは天と地ほどの差があるんですよね。だったら、任せるところは任せて、自分がどうしても書きたい部分は書くのがいいのかなって最近は思うようになりました。

―高校の文化祭で「目立ちたいからドラムはイヤだ」と思ったところから、かなりの変化ですよね。

竹内:あのときに、「俺が前に出たい!」じゃなくて、「ドラムがいてこそ1曲が生まれるんだ」ということにちゃんと気づけていたらよかったんだけど……まぁ、遅かれ早かれ気づいていたんだと思います。「竹内唯人は偉い!」っていうことです(笑)。

言葉を超えて海外でも聴かれる“ニビイロ”での経験を経て生まれた、音楽への理想

―初のEP作品となる『THE FIRST』は、どんなことを考えながら作っていったんですか?

竹内:デビューしてからいろいろ楽曲を作ってきましたけど、このEPでは統一感がほしくて。歌い回しとかフロウ、語尾の落とし方や上げ方に関しても、名前を隠しても、目を閉じても、「この歌い方は竹内唯人っぽいな」と思ってもらえる楽曲がこのなかには詰まっていると思います。それに新曲たちは、竹内唯人としての新しさもあるけど、今のトレンドも入っている新鮮さも感じてもらえるんじゃないかと思っていて。

たとえば、“MY FRIENDS”や“Good Time”、“At That Place and Time”なんかは、今までやったことがないタイプの音色の楽曲だし、一緒に作ってくれたMatt Cabさんが新しい部分を引き出してくれたと思うんですよね。

―今作は曲ごとに様々な方々と制作されていますけど、Matt CabさんやBBY NABEさん、MATZさんは特に多くの楽曲で共同制作されていますよね。

竹内:Matt CabチームとはZoomでいろいろ話し合いながら作っていったんですけど、いい意味で上下関係を作らずにやってくれて、すごくやりやすかったです。それにZoomで会議したときに決まった方向性も、実際のレコーディングの前日に「やっぱりこうしたい」と言ったら、「じゃあ、当日どっちも試してみよう」って柔軟に受け止めてくれたり。

このコロナの時期にレコーディングをするうえで、最小限の人数でスタジオに入らなきゃいけなかったりして、縛りもあったんですけど、それでも俺の意見を柔軟に受け入れてくれたのが嬉しかったですね。

―結果として、唯人さん自身の意思もしっかり反映したうえで、楽曲作りを行うことができたんですね。

竹内:そうですね。今回のEPを作っているときは、毎日毎日、「こういう曲を作ったほうがいいんじゃないか」とか、「ここはこうしてみよう」とか、そんなことを考えていましたね。「ああ、音楽作ってんなあ、幸せなだなあ」と思いました。

―最初の頃は、周りの人がなにを言っているのかもわからなかった、ということでしたけど、今はスムーズに制作とやり取りができているんですね。

竹内:(LINE RECORDSディレクター東に向かって)できてますか?

:できるようになっていますね。最初の頃は「言われたことをなんでもやる」という感じでしたけど、最近は欲が出てきていますよね。

竹内:だそうです(笑)。いい意味でわがままに、文句を言えるようになりましたね。それこそ“MY FRIENDS”は最初、全部日本語詞にしようって話だったんですよ。Mattくんは英語をあまり使わない方向で進めていたんです。

竹内:彼は「ライブでも俺の気持ちや表現がちゃんと出せるように、日本語でいこう」って話をしてくれていたんですけど、それだと“MY FRIENDS”はやる意味ないなと思っちゃって。この曲はトラックも洋楽寄りだし、EPの1曲目として、カッコいい曲にしたかったから。それで、レコーディングの2~3日前にガラッと歌詞も変えてもらったんです。

ただ、“MY FRIENDS”は自分的にも気持ちが超ノっていて、レコーディング当日にすんなり歌えたんですけど、他の曲で英語を入れた曲はフロウが難しすぎて、「英語入れなきゃよかった」って思いました(笑)。

―ははは(笑)。

竹内:僕は、欲が強すぎるんです、たぶん(笑)。

―でも、そのくらい、音楽に理想があるわけですよね。

竹内:理想はあります。もちろん、日本で楽曲を作るのであれば、日本人に向けるのが最優先にはなるとは思うんですけど、今、海外でも自分の楽曲を聴いてくれている人が結構いるんです。“ニビイロ”がドラマ(『鈍色の箱の中で』)の主題歌になったんですけど、どうやら海外の人が原作の漫画を読んで、そこから僕の曲に辿り着く人もいるみたいで。

そういう海外の人たちが、新曲を出すたびに反応してくれたりするんですよね。わからない言語で感想が送られてくるんですけど、音符とハートの絵文字が入っているから、音楽について書いてくれているんだとわかる、みたいな。

竹内:言語がわからなくても音楽を聴いてくれるのって、すごいことだと思うんです。自分らも海外のアーティストの音楽を、言葉の意味がわからなくても聴くじゃないですか。

―そうですね。

竹内:それって、心から聴けるかどうかだなって思うんですよね。俺は、自己満にならず、心から聴ける音楽が作りたいですね。

「友達」や「恋愛」や「自然」など、リスナーが共感しやすい題材の裏に忍ばせたもの。そこに竹内唯人の人となりが色濃く滲んでいる

―唯人さんの音楽は、もちろん言葉の意味がわからなくても洗練されたポップスとして楽しめると思うんですけど、言葉の意味がわかると、より深みを増して理解できる部分もあると思うんです。唯人さんが書かれる歌詞は、両義的な意味合いを持つものが多いと思うんですよね。

たとえば、すごく楽しい時間を描いていると思えば、その背後には「この楽しい時間は永遠ではないんだ」という寂しさが見えてきたり、仲間といる喜びを歌うときには、その背後に、ひとりぼっちの風景が見えたりする。物事には常に、ふたつの側面が同時に存在していることを示唆している、というか。

竹内:歌詞はどれも、共感しやすいような大きなテーマの奥に、自分にとっての裏テーマをつけているような感じだと思います。それはたとえば、今言ってくれたような、「楽しい」っていう感情の裏にある「この楽しい時間がずっと続くとは限らない」っていう感覚とか。

竹内:何事も、紙一重じゃないですか。特に今はこのコロナで、当たり前だったことが当たり前じゃなくなって、当たり前じゃなかったことが当たり前になるような世の中ですよね。表と裏がずっと並行して存在している。

俺の歌詞もそれと同じで、適当に聴こえる歌詞にも裏テーマがあるし、その捉え方は、聴いてくれる人の感性でまったく違うものになると思うんですよね。なので、歌詞を書くときに一番考えるのって、大元になるテーマ、「なにについて書くか?」っていうことなんです。

「友達」であったり、「恋愛」であったり、「自然」であったり、いろんなテーマがあるんですけど、そのテーマを決めるまでに一番時間をかけているかもしれないです。

―そのテーマというのは、どのようにして決めるものですか?

竹内:「まだ自分が書いていないことってなんだろう?」って考えていくんです。「友達について書こう」とか、「恋愛について書こう」とか、いろいろ考えるんですけど……そう考えると、自分はもうひととおり、書きたいことは書いたような気もします(笑)。

―ははは(笑)。

竹内:もう書くことないっす。もう歌詞書くのやめようかな(笑)。

―いやいやいや(笑)。たとえば“MY FRIENDS”は「友達」というテーマがあると思うんですけど、これは唯人さんにとって重要なモチーフですか?

竹内:そうですね。結局、人って、友達といる時間がすごく長いと思うし、家族に相談できないことでも、友達に相談できたりするじゃないですか。ファンの人や家族に自分の曲を聴いてもらうのはめちゃくちゃ嬉しいんですけど、昔からずっと仲よくしている友達に「今回の曲カッコいいね」って言ってもらえると、「よかった。もっと頑張ろう」って思えたりするんです。「友達」というのは、ずっと書きたいテーマでしたね。

当たり前が当たり前でなくなったコロナ禍に感じた、背伸びのない想いを歌に

―『THE FIRST』という作品は、すごく幸福な瞬間をいくつも音楽として描きながら、前提に、どこか寂しそうな表情を持った作品だと思うんです。「人はひとりでは生きられない」ということを伝えようとしている作品にも聴こえるというか。

竹内:そうかもしれないです。俺は寂しがり屋だと思います。それは恋愛に関しても、友人関係にしても、家族に対してもそう。それに、よくも悪くも、今はいろんな人が見ていると思うし。そういう部分は無意識的にですけど、出ているのかもしれないです。

―“MOMENT”をはじめとして、「時の流れ」を非常にセンシティブに捉えている歌詞も多いですよね。

竹内:そうですね。昔の話が好きだったり、過去のことを考えたりすることが多いんですよね。たとえば“From Now On”も「過去・現在・未来」っていう時間の流れをテーマにしていたし。

―“MOMENT”はどのようにして生まれた曲だったんですか?

竹内:“MOMENT”を作ってた頃は、それこそコロナがあって、夏はみんなで海やバーベキューに行けていたはずが、今年はそれができなくなったりして。それでも、今生きている瞬間にしか味わえないものがあることに変わりはないし、それは、この先もずっと続いていくことだから。だから、「いいことも悪いことも忘れずに前を向いていきたい」っていう気持ちで作ったんです。

竹内唯人“MOMENT”を聴く(LINE MUSICで聴く

竹内:この曲を作った頃から本当に、コロナで人と会えないような状況になってしまって。“MOMENT”からはじまって、その延長線上に“MY FRIENDS”のような曲も生まれてきたんです。「最近、友達に会えてないなあ」って。やっぱり、音楽を通してなら、普段言えないことも言えるんですよね。

―では、今回のEPは、この2020年のコロナ禍の生活状況も色濃く反映された作品なんですね。

竹内:そうですね。たとえば“Good Time”は「とにかく楽しい今を生きたい」っていう曲ですけど、それはやっぱり、「この状況はマイナスなことばかりではないよ」って言いたかったんですよね。

歌詞に<朝起きた / 目が覚めた / 横見たら / 鳴ってる電話>ってありますけど、こういうのって当たり前のようなことだけど、この当たり前の一つひとつが今の状況ではすごく大事なことだと思うんです。友達やお母さんから「元気?」って連絡がきたりする。そういう小さなこと、いつもだったらすぐに過ぎていってしまう小さなシーンでも、「当たり前のことじゃないよ」って言いたかったというか。

このEPの曲は、どの曲にも、「今を楽しんでほしい」という気持ちが込められているかもしれないです。こうやって今話している時間もどんどん過ぎていくし、後悔や悲しみは絶対にあると思うんですけど、それでも、「今この瞬間を生きようぜ」っていう。それは、“MOMENT”から続いている自分のテーマかもしれないです。

学校嫌いだった過去、やんちゃな自分を注意してくれた兄や姉の存在、心のよりどころになってくれたおばあちゃんへの想い……竹内唯人から出てくる言葉、眼差しの奥にあるもの

―乱暴な言い方になってしまいますけど、唯人さんって、端から見るとすごく華やかな存在なんですよね。ご自身だけじゃなくてお兄さんやお姉さんも有名な方ですし、非常に華やかで、満たされていそうに見える。でも、音楽を聴くと、人間の裏側にあるもの、悲しさや寂しさに向き合った表現をされていて、そこに、唯人さんの人間としての深みも感じるんです。

竹内:……最近、家族とたまに会うと「唯人、大人になったね」と言われるんです。そこから昔話になったりもするんですけど、よく家族に言われるのが、「唯人って、昔から優しかったし、人の感情が読める子だったよね」って。

末っ子って、人のことを観察している人が多いみたいなんですよね。小さい頃から、自分が食べたかったお菓子でもお姉ちゃんが食べたそうにしていたら「いらない」って言う、みたいな……そういう優しさが、自分には昔あったみたいなんです。あくまで「昔は」ですけど(笑)。

―(笑)。

竹内:きっと、人の気持ちを優先して考えることができる子どもだったんだろうなって思うんですけど(笑)、そういう「人の感情を読む」部分は、少なからず今の自分にもあると思います。人が今なにを考えているのか……たとえば「強がっているけど、悲しいんだろうな」とか、「本当は恥ずかしいけど、恥ずかしくないふりをしているな」とか、友達に「お前、本当はこう思っているんでしょ?」って言うと、当たることが多いんですよね。

竹内:俺、勉強はできないしバカだけど、人の感性って、たとえば景色を見たときに自分がどう思うか、みたいなことに対して意識的でいることで、研ぎ澄まされたりするじゃないですか。そういう部分をちゃんとやっていけば、歌詞は、勉強ができなくても書けるんだと思います(笑)。

―(笑)。唯人さんは、子どもの頃はどんな感じの少年だったんですか?

竹内:小学校の頃は授業に出ずにサッカーしていましたね(笑)。中学生になったら、自分が勉強できないのもイヤだったし、親にいろいろ言われるのもイヤになってしまって、家に帰らなくなっちゃって。帰るのは朝6時、みたいな。おばあちゃんちが近かったので、おばあちゃんちに泊まったりしていましたね。おばあちゃんには「学校疲れた~」って言ってたし、「筆箱壊れた」って嘘ついておばあちゃんにお金もらって、お菓子買って友達と遊んだり。

―やんちゃな子どもですね(笑)。

竹内:やんちゃでしたね。それで、中学を卒業する頃に、兄姉に一度怒られたんです。お父さんやお母さんに怒られるよりも、兄姉に怒られるって結構効くんですよね。それで、高校からはちゃんとしようと思って、3日間くらいはちゃんと行ったんですけど……結局ダメで(苦笑)。すぐに2時間目くらいから行くようになっちゃいました。友達といる時間は好きだったし、学校は楽しかったんですけどね。

竹内:最近、自分でお金を稼げるようになったので、おばあちゃんと会ったときにそっとお金を置いておいたんですよ。そうしたら電話がかかってきて、「お金忘れてるよー」って言われて、「いいよ、いいよ」って。そんなことをして、勝手にヒーローになった気分になっていました(笑)。そんな感じで、最近はおばあちゃんに恩返し中なんです。

おばあちゃんも、新曲を聴くと毎回電話をくれるんですよ。俺の曲を聴くためにスマホに変えてくれたみたいで。使い方がわかっていないみたいで、突然、スタンプが連打されてきたりするんですけど、そういうのも、かわいいなって……。そうだ、おばあちゃんの曲を作りたいっす!

―いいですね、聴いてみたいです。

竹内:おばあちゃん大好きなんで。最近はコロナが心配なので会えてないんですけどね。マジで、おばあちゃんの曲は作りたい。まだ、歌詞のテーマは出てきそうですね(笑)。

リリース情報
竹内唯人
『THE FIRST』

2020年12月10日(木)配信

1. MY FRIENDS
2. Good Time
3. MOMENT
4. Drive
5. ニビイロ
6. At That Place and Time
7. Silence

プロフィール
竹内唯人
竹内唯人 (たけうち ゆいと)

2001年1月9日生まれの19歳。ABEMA『オオカミちゃんには騙されない』に出演し、スタイリッシュなビジュアルと気さくなキャラクターとのギャップが同世代から人気を集める。2019年10月にアーティストデビューを果たし、活躍の場を広げている。2020年12月10日、1st EP『THE FIRST』をリリース。



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