年齢を重ねること。それは、「表現」に関わる人間には、複雑なテーマだ。若き日にあった初期衝動と、経験を積むことで成熟していくスタイル。どちらも表現には大切なもので、どちらか一方だけを選ぶことは難しいだろう。11月27日に公開された映画『佐々木、イン、マイマイン』からは、20代の内山拓也監督が持つエネルギーが溢れている。
そんな彼が、自身にとってのヒーローと会って、人生や表現について話をしたいという一心で実った対談企画。ゲストは、俳優の窪塚洋介。内山からのラブコールに応えた窪塚が、内山に対して20代の頃の表現との向き合い方や、これまでどう生きようとしてきたかを明らかにする。
※本記事は作品のネタバレを含む内容となっております。あらかじめご了承下さい。
俳優・窪塚が20代の内山と語る、「若さと成熟」
窪塚:『佐々木、イン、マイマイン』(以下、『佐々木~』)、すごくいい映画だった。
内山:ありがとうございます。
窪塚:特にあの赤ちゃんにもらい泣きするシーン、すごくよかったな。
内山:台本だと赤ちゃんは泣かない予定だったんですよ。でも赤ちゃんをコントロールしきれない藤原季節(悠二役)を見て、主人公のままならない切実さがそこにあると思い、その姿をきちんと捉えるように現場で急遽ワンカット長回しと決めて撮影しました。
窪塚:へえ、いいね。それは功を奏していたと思う。飯を食って泣けてくるとか、そういう人間の本能や欲求に沿った泣き方ってあると思うんだけど、赤ちゃんにもらい泣きするのもその1つじゃない? それでいて、これまでありそうでなかったんじゃないかな。新鮮だった。
内山:そうですね。全体的に、「ありそうでなかった」とか、「わからなそうでわかる」という……みんな経験しているけど、言語化や可視化されていないことをなるべく描こうと思っていました。
窪塚:うんうん。音楽の使い方も成熟している感じがしたし、時間軸が微妙に前後していく感じのさじ加減もよかった。そういうもので重力を作っていって、大胆な仕掛けは特にないのに赤ちゃんのシーンあたりからスパークしちゃうみたいな。しかも観客に優しくないじゃん。
内山:そうですね。テロップも出ないし、現在も過去も色味は全部一緒ですし。
窪塚:それも作品に合ってるなと思った。役者もよかったし。(取材に同席している佐々木役の細川岳を見て)「佐々木いるやーん」ってなったもん(笑)。
内山:ありがとうございます。役者を褒められるのはうれしいですね。
窪塚:映画を観てけっこう年上の人が作ったのかなと思っていたから、さっき内山くんの年齢を聞いてビックリした。でも成熟したものを見せられた気もする一方で、10代のフレッシュな思いや匂い、痛みは、10代からそんなに時間が経ってない年齢の内山くんだからこそ焼きつけられたんだろうね。
内山:「若者」と呼ばれる限りは、なるべく若者代表として、批判も称賛も全部矢面に立って受けたいと思っているんです。10代のフレッシュな経験がまだ自分の中に残っているうちは、ものづくりをしている人間として、その意識だけはなくしちゃいけないなと。
窪塚:『佐々木~』を見たとき、ちょっと危機感があったんだよ。なにに対する危機感かはわからないんだけど……。俺は自称18歳なんだけど、それでも昔あった無駄な時間とか、そのときに感じていた匂いや経験を、いつの間にか忘れていて。サンクチュアリみたいな、誰も踏み込めない自分だけの不可侵の場所があると思っていたけど、10代のときよりその場所はちょっと小さくなってるかもって、この映画から思わされた。
内山:時間の流れとともに、忘れていくことには抗えないですもんね。
窪塚:うん。でも別にそれが心地悪いわけじゃないんだよ。一番大事な形は残ったまんま成熟していってる感じだから。木で例えたら、年輪は増えていくけど、その木の名前も、生えている場所も変わってないということだからね。
窪塚が一度、どん底に落ちて身につけた、逆境をチャンス変える姿勢
内山:仕事に対する向き合い方はどう変化していきましたか? そもそも『佐々木~』はヒーローの物語なので、せっかくだから僕にとってのスーパースターと話してみたいということで今回の対談をお願いしたんですね。
窪塚:(泣くふり)
内山:僕らにとってかっこいい先輩にも、当たり前ですけど20代があって、30代があって……と思うと、純粋にそんなヒーローにはどんな景色が見えていたんだろうと思って。
窪塚:俺、20代はジェットコースターみたいだった。さっそうと駆け抜けようと思ってたんだけど、24歳のときにマンションから落っこっちゃって。だから20歳から24歳くらいまでは今思えば、「この世の春」だったんだよね。テレビから出てきたくせに散々テレビに文句も言ってたし、好き放題中指も立ててた割に、有名になっていってる途中で金も持ち出して、友達もいっぱいいて、結婚もして子どももできて、めっちゃ自由で楽しかった。
窪塚:そこから、今も忘れない、平成16年6月6日。アメリカに行く予定だった日にマンションから落っこって。そこからはどん底。文字通り、地に落ちた。そのときは「これはやべーな、どうしようかな」って思ってたんだけど。でもくすぶってる時間がもったいないから、自分の気持ちだけはくすぶらせたくないなと思って、好きだったレゲエミュージックの歌い手になろうと思って始めたのが卍LINE。
「そこに山があったから登りました」じゃなくて、「その山を登って向こう側に行かないと道がない」みたいな状況だったんだよね。そうやって音楽にのめり込んでいったのが24、25歳から30歳くらいまで。そのあとマーティン・スコセッシと仕事ができたとき(2017年公開の映画『Silence-沈黙-』)に「この世の春」だと思ってたあの時期を越えた感覚があって。そこからは日々、最高記録を更新していってる。
内山:今も更新していますか?
窪塚:うん。このストリームに乗っておけば一番いい未来にたどり着くと思ってるよ。それがどこかは知らないけど、今を信じてる。当時はわからなかったけど、今振り返ると20代では大事な潮目がきていたんだと思う。落っこって、金も地位も名誉も全部なくなっちゃったそのときに他の人から「これはチャンスなんだよ」って言われても「うるせーな」としか思わなかっただろうけど、今は本気で「あのときがチャンスだったな」って思ってるのね。あれがあったから今の俺がいる。「あのとき落っこってなかったら、最高な今はないんじゃん」って思ったら、落っこったことが最高の思い出なんだよね。
今だって「コロナで大変だ」って言って、もちろん実際に大変なこともあるけど、それはチャンスでもあるんだと思える。そうやってキツイことを逆手に取ってチャンスにしちゃうっていう癖がついてきたかな。
内山:今の話で言うと、僕は18歳まで新潟に住んでいたんですが、家庭環境、特に経済的にですがとても苦しかったんです。もっと貧しい国があるのは子どもながらにわかりつつも「自分が世界で一番苦しい」と思いながら、でも学校では目立ちたがり屋で、勝手に悲劇のヒロイン気分だったんです。
でもあのときの気持ちがなかったら今の自分はないと思っていて。逆境を変える力をもらったという点で、親に感謝しています。でもまだ僕はピンチをチャンスに変えるというのが癖にまではなっていないので、癖になるといいなとお話を聞きながら思いました。
表層だけでは捉えられないものを映したい。内山監督の世界を見る視点
窪塚:「若い頃の苦労は買ってでもしろ」って言うもんね。俺はそれがなかったから、20代に苦難の時期がやってきたんだろうけど。内山くんの20代の話も聞きたいな。どういう流れで映画を撮るようになったの?
内山:僕はもともとファッションの専門学校に通っていたのですが、そのときにスタイリストとして行った映画の現場がすごく楽しそうで。その現場でアイロンがけをしている自分に対して「自分が望んで本当にしたいことはこれなのかな」と突然締めつけられるような思いに駆られて。
そこから、映画の現場に行きたいと思って、1日1本映画を見るようになって。もともと学校の課題も多くて時間に追われていたのですが、映画を1日1本見ると、1日に2時間くらいしか眠れないんですけど、そのうちにすっかり映画にのめり込んで年間1200本くらい見ていました。
窪塚:すごい! 世の中にある映画、全部見たんじゃない?(笑)
内山:いやいや! 映画ってそれでも沢山あるし、一生追いつかないなと思いましたね。映画をちゃんと見始めたのが19歳なので、映画を撮る人間としては遅い目覚めで。で、晴れてフリーターになって時々制作スタッフとして映画の現場に入るようになったのですが、「思っていた世界と違った」と感じていました。
そこで「自分は単に映画の現場にいたいんじゃなくて、自分の思うことを映画で表現したいんだ」と気づいて、『ヴァニタス』(2016年)という自主映画を撮りました。その映画が『PFF(ぴあフィルムフェスティバル)』という映画祭に入選して。そこから映画の仕事増えるかなと思ったのですが、状況はそんなに好転しなくて。King Gnuの“The hole”のミュージックビデオを撮ってから少しずつですが状況が変わっていって、去年『佐々木~』を撮るところまできました。
窪塚:なるほどね。あのさ、『佐々木〜』での佐々木に起きるあの出来事ってけっこう悩んだ? 悩んだんじゃないかなって思って。
内山:多くの時間を費やして考えました。「理由はそれなの?」と思っている人は少なからずいるかもしれません。佐々木だから突拍子もないことにしたほうがいいんじゃないかとあるスタッフにも言われたんですけど、大事なのはそこじゃないんですよね。佐々木はそういうやつじゃないんですよ。
窪塚:そうだよね。バカなわけじゃないんだよね。
内山:そうです。この映画で伝えたいのは派手な表向きの佐々木のことじゃないんです。佐々木以外のキャラクターに対してもそうなんですけど、「見えているものだけがすべてじゃない」ということを主題にしていて。1人の時間だったり、普段は明るい佐々木がみんなといるときにふと見えないように見せる裏の顔だったり、そういう瞬間を描きたい。作品作りにおいて、見えている景色の反対側、物事の裏側についてずっと試行錯誤しているのですが、今作ではその象徴が佐々木なんです。
窪塚:なるほどね。『寝ずの番』(マキノ雅彦監督 / 2006年)って映画見た? 演者が爆笑しているときにめっちゃ泣けるのよ。で、めっちゃ泣いてるときに爆笑しちゃうの。それが今まさに内山くんが言ったような、光と影、表と裏だと思うんだけど、映画でこんなにわかりやすく表現できるんだって衝撃を受けた映画で。
内山:そうなんですね。まだ観られていないので、観ます! 僕も、役者たちと話すときに「泣け」じゃなくて「泣きながら笑おう、泣いたあと笑おう」と常に言っているんです。『佐々木~』はそれが詰め込めた映画かなと思います。裏側を描きたいという思いは、自分が作品を作る上での原動力になっていて。
窪塚:うんうん。
内山:たとえばワイドショーでの話題1つとっても、みんなそれが本当かどうか確認しないで受け入れている感じがしていて。個人的な出来事でも、事実を確認しているわけでもない友人から一方的に怒られたときとかに思うんですけど。
窪塚:不条理なやつね。
内山:そうです。「もうちょっとみんなちゃんと物事を見ようよ」「間違ってるって思ったら声を上げて直そうよ」って思います。僕ら日本人は特におかしな状況に目を瞑ってしまうことによって、自分たちで自分たちの首を絞めているように見えるんですよね。そういうことに対してもっと声を上げていきたい。
特に映画は、国や政治の悪い部分を批判しながら、見守り、導くメディアの最たるものだと思っているのですが、そのような機能を自ら放棄している作品が多いように感じるんです。それじゃあ作る意味がない。今すぐには全ては変えられないけど、そのような精神で作品を作り続けて、死ぬまでにはこの世の中を変えられるようになりたいと思っています。そして次世代にちゃんと継承できる人間でありたいです。
感情だけでは作品にならない。それを変換して生まれるのが表現
窪塚:「世界を変えたい」っていう思い、すごく共感するな。むしろ自分は戦隊モノのヒーローなんじゃないかと思うくらい、世の中をよくしないといけないという使命感がある。
内山:そうですよね。でもだからといって怒りの感情だけで作品を作るのはよくないなとも最近思っていて。怒りの感情だけで作られたものを見て、共感しきれないことが多々ありました。作り手はそのバランスを取る必要がある。怒っていることをどう伝えるか、そのエネルギーをどう言葉や映像に変えるかが重要ですよね。
窪塚:うん、おっしゃる通りだと思う。今、話を聞いて思ったんだけど、『佐々木~』はすごく日本的な映画だよね。この心の機微……表と裏の間にあるフェーズや、白から黒、黒から白に行くまでの微妙な心情って実は日本の特産品だと思ってて。狙ってはなかったと思うんだけど、日本を象徴する作品になっていると思う。
内山:ありがとうございます。『佐々木~』はまとまらない感情を、まとまらないまま作品にしようと思ったんです。たとえば悠二は黒で、佐々木は白、もしくは逆でもあるという、白黒ある構造ですけど、言いたいことはグレーの気持ちの部分で。まとまらない感情を「簡単にはまとまりませんでした」と伝えたほうが、観た人に受け取ってもらえるものは多いのかなと。
窪塚:うんうん。でも映画としてはまとまっていたと思うよ。多少のまとまらなさは、芝居している役者がみんなよかったから、感情で超えられている気がした。
主観の自分と俯瞰から見る自分で、200%。人生の長さを巡って
内山:本当ですか。それならよかったです。最後に人生の距離についても聞いていいですか?
窪塚:人生の距離?
内山:昔から「人生は長いけど、なにかをやろうとするとあまりにも短い」って言うじゃないですか。つまり、「一つひとつに丁寧に、真面目に生きなさい」ということなんでしょうけど、僕は最近、人生がそれでも本当に長いなと思っていて。僕は今28歳なのですが、「まだ30歳にもなってない」と最近よく思うんです。だから窪塚さんは人生を長いと思うか、短いと思うかを聞きたくて。
窪塚:うーん、どうかな。点で見たら早くて短いけど、線で見たら長いかな。たとえば「『池袋ウエストゲートパーク』をやってた頃(2000年)」と言われると、その瞬間はあっという間。でもそこに至るまでの間を考えると「うわ、長!」って思う。
内山:死ぬときにどう思えると幸せなんでしょう。
窪塚:最後に役者っぽいことを言うと……自分にはのめり込んで前しか見えてない自分と、すごく俯瞰で見ている自分がいて。わかりやすく言うと、カメラ前でめちゃくちゃ叫ぶ芝居をしている俺と、「もうちょっと右に行かないと、カメラにかぶっちゃってるわ」と思っている冷め冷めの自分。二重人格ってことじゃなくて、視点を2つ持っちゃってるって感じかな。
叫んでいるほうの俺は時間がすごく短く感じて、俯瞰で見てるほうの俺はすごく長く感じる。どっちが幸せかはわからないけど、そもそも死ぬときにどっちで見るかだけの違いなのかもしれないし、実は2つの世界が両立しているのかもしれないと思うね。
内山:なるほど。2つの世界が存在しているのかもしれないですね。むしろ死ぬときにそう思えたら幸せなのかも。ちなみにその2つの視点は50:50が理想的なんですかね?
窪塚:いや、100:100だね。
内山:じゃあ200%なんですね。
窪塚:欲張りだから(笑)。
内山:どっちも純度100%の自分ってことなんですね。面白いなあ。今日は本当にありがとうございました。「僕が知っている窪塚さんはちゃんと存在していた! 人間だった」とわかってうれしかったです。
窪塚:存在はしてるよ。宇宙人かもしれないけど(笑)。
内山:そうですね(笑)。宇宙人かもしれないけど、とりあえず息をして、僕の目の前にいました。おこがましいですが、考えていることにも共感してもらえて幸せです。でも本当は「ありがとうございます!」なんて言わないくらいに成長しなきゃいけないなと再認識して。いつか一緒にものづくりをしたいなと思いました。
窪塚:しよう!
内山:ぜひ。よろしくお願いします。
窪塚:俺もすごく刺激をもらったよ。癒やされもしたけど、ケツも叩かれた。未来で一緒に仕事をする口実はできたね。伏線は張れたので、じゃあこれから回収していきましょうかという感じ(笑)。
内山:そうですね。一緒に回収しましょう。そのときはまたCINRA.NETで対談しましょう!
- 作品情報
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- 『佐々木、イン、マイマイン』
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2020年11月27日(金)から新宿武蔵野館ほか全国で公開中
監督:内山拓也
脚本:内山拓也、細川岳
出演:
藤原季節
細川岳
萩原みのり
遊屋慎太郎
森優作
小西桜子
河合優実
三河悠冴
井口理(King Gnu)
鈴木卓爾
村上虹郎
- プロフィール
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- 内山拓也 (うちやま たくや)
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1992年5月30日生まれ。新潟県出身。高校卒業後、文化服装学院に入学。在学当時から映像の現場でスタイリストとして携わるが、経験過程で映画に没頭し、学院卒業後スタイリスト業を辞する。その後、監督:中野量太(『浅田家!』『湯を沸かすほどの熱い愛』など)を師事。23歳で初監督作『ヴァニタス』を制作。同作品で初の長編にして『PFFアワード2016観客賞』を受賞。近年は、ミュージックビデオや広告の他に中編映画『青い、森』、長編映画『佐々木、イン、マイマイン』を監督。
- 窪塚洋介 (くぼづか ようすけ)
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1979年5月7日生まれ。神奈川県横須賀市出身。1995年『金田一少年の事件簿』で俳優デビュー。その後2000年『池袋ウエストゲートパーク』の怪演で注目される。2001年公開映画『GO』で第25回日本アカデミー賞新人賞と史上最年少での最優秀主演男優賞を受賞。その名前を一気に広める。2017年『Silence-沈黙-』(マーティン・スコセッシ監督)でハリウッドデビューを果たし、海外にも積極的に進出。現在Netflixにて『GIRI/HAJI』、Amazon Audibleで『アレク氏2120』(堤幸彦監督)が好評配信中のほか、2021年2月に『ファーストラヴ』(堤幸彦監督)の公開を控える。また、レゲエDeeJayの卍LINEとして音楽活動を行う一方で、モデル、執筆と多彩な才能を発揮。地球によい、体によいをテーマにした自身の番組『今をよくするTV』をYouTubeにて配信中。
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