演者と観客以外を排除したシンプルで無機質な舞台。揃いのグレーのスーツをまとった裸足のデヴィッド・バーンとダンサー、バンドたちが踊り、動き、音を奏でる。同名ブロードウェイ公演を映像作品化した映画『アメリカン・ユートピア』は、緊張感と自由な遊び心に満ちた素晴らしいエンターテイメント作品だ。スパイク・リーによって記録された満員のニューヨーク・ハドソン劇場の熱気は、この1年でスクリーン越しのライブ鑑賞に慣れてしまった身体が失いかけていた感覚を瞬時に思い起こさせた。
ユートピアとは程遠い悲惨な世界の状況に対峙しながらも、人と人がつながることでもたらされる希望の可能性を諦めない──そんな前向きなムードをたたえる本作は、アメリカでは配信のみの公開だったそう。日本では公開直前の延期に見舞われたものの、ついに劇場で観られることとなった。本作の日本公開に際し、デヴィッド・バーンにリモートインタビューを敢行し、スパイク・リーとのコラボレーションや、ダンスの持つ重要性、Talking Heads時代の曲も交えた選曲の背景、そして芸術表現と政治の関わりなどについて語ってもらった。
デヴィッド・バーンのブロードウェイ公演をスパイク・リーが記録
ステージに立つ一人の男。片手に人間の脳を持って、おもむろに歌い始める。「脳のこの部分にはディテールが詰まっている この部分はほとんど使われていない」。そんな歌を聴きながら、その男=デヴィッド・バーンの脳はどんな風になっているのだろう、と思った。映画『アメリカン・ユートピア』の冒頭のシーンでのことだ。
バーンがTalking Headsのフロントマンとして、ニューヨークのパンクシーンに登場したのは1970年代後半。バンドが拠点としていたライブハウス、CBGBではRamonesやBlondieと度々共演したが、アメリカ屈指の美大出身のバーンは、ワイルドなパンクスのなかで異彩を放っていた。
デビューアルバム『Talking Heads '77』(1977年)を発表後、Talking Headsはいち早くアフロビートを取り入れるなど先鋭的なサウンドで人気を集め、人気絶頂期にライブ映画『ストップ・メイキング・センス』(1984年)を制作する。のちに『羊たちの沈黙』(1991年)で『アカデミー賞』を受賞するジョナサン・デミを監督に迎えた本作は、従来のロックコンサートのイメージを覆す、アートパフォーマンス色の強い演出で当時のクリエイターに大きな影響を与えた。そしてバンド解散後、バーンは、映画、写真、インスタレーションなど、様々な領域で、まるでアートと戯れるように、ウィットに富んだ創造力を発揮してきた。そんななか、久しぶりの映画作品として大きな話題を呼んだのが『アメリカン・ユートピア』(2020年)だ。
バーンは2018年にソロ名義としては14年ぶりのオリジナルアルバム『American Utopia』を発表。それに伴って行われたコンサートを、ブロードウェイのショウとして再構成して2019年に上演する。そして、ショウが評判を呼ぶなかで、バーンはさらに映画として記録することを構想。そこでバーンが監督に指名したのがスパイク・リーだ。
「撮影中、スパイクは観客席で天を仰いでジョナサン(・デミ)に『うまくいってるかな? どう思う?』って問いかけてた」
意外な組み合わせなようにも思えるが、2人は1980年代から交流があったという。
バーン:僕もスパイクも1980年代の同じ頃に注目を集めるようになったから、いろんなところで顔をあわせることがあって自然に挨拶するようになったんだ。それに2人の共通の友人がジョナサン・デミでね。撮影中、スパイクはホールの観客席で天を仰いでジョナサンに「うまくいってるかな? どう思う?」って問いかけてた(デミは2017年に死去している)。その姿はとてもスウィートだったよ。
彼は歳を重ねるごとに腕を上げて素晴らしい映画監督になったと思う。『アメリカン・ユートピア』を映画化しようと考えた時、彼ならテーマや音楽のことを理解してくれると思って声をかけたんだ。
音楽と言葉に身体感覚が加わる。デヴィッド・バーンにとっての、リズムとダンスの重要性
『アメリカン・ユートピア』は普通のロック・コンサートとは少し趣が違っている。まず、バンド形態がユニークで、バーンをサポートするのは2人のダンサーと9人編成のバンド。バンドメンバーの半数以上はパーカッションで、彼らはハーネスで楽器を身体に固定。ギタリストやベーシストは楽器にコードをつけず、全員で様々なフォーメーションを組んでステージ上を動き回る。そんなバンドの演奏スタイルは、ニューオーリンズのセカンドライン(ニューオーリンズの伝統的なブラスバンドパレード)やサンバなど、様々なマーチングバンドからインスパイアされたという。
バーン:大勢の人が同時に叩くドラムのサウンドには特別なフィーリングがある。それをショウに取り入れたいと思ったんだ。それに大勢のミュージシャンが一緒に演奏している姿は、ひとつのコミュニティのようでもあり、そんな彼らがステージを動き回る様子は、すごくエキサイティングだと思ったんだ。
Talking Heads時代から、バーンはアフリカや中南米など様々な国のリズムを積極的に取り入れてきた。『アメリカン・ユートピア』ではリズムが一体感を感じさせ、人と人の絆を象徴する音として力強く鳴り響いている。
さらにそこに高揚感を生み出しているのがダンスだ。バーンとダンサーだけではなく、時にはバンドメンバーもダンスする。モダンダンスのような洗練された、それでいてどこかユーモアを感じさせる振り付けは『ストップ・メイキング・センス』に通じるところもあるが、ダンスはバーンのパフォーマンスの重要な要素だ。
バーン:音楽が何かを伝え、その言葉(歌詞)も何かを伝える。さらにそこにダンスを加えることで、3つの違う観点で観客にメッセージを伝えることができる。それにダンスというのは、見ているだけで身体的な感覚が伝わってくる。ダンサーの動きを観客も感じることができるんだ。
例えばダンサーが空を飛ぶような動きをしたら、観客は自分も飛んでいるような感覚が味わえる。たとえダンサーみたいな身体能力がなかったとしてもね。それがダンスのすごいところだと思う。でも、ダンスがトゥーマッチになると、その共感するフィーリングが感じられなくなってしまう。音楽や言葉と繋がりを持ちながらダンスをする。そのバランスが重要なんだ。
人種差別的暴力の犠牲者たちの名前を叫ぶ。ジャネール・モネイのプロテストソングに、スパイク・リーがオリジナルの演出を加えた
ステージ上をパレードするバンド。そして、ユニークなダンス。そうした様々な動きをスパイク・リーが見事なカメラワークでフォローして、音楽やパフォーマンスが生み出すパワーをスクリーンに記録する。なかでも圧巻は、ジャネール・モネイが人種差別の被害者に捧げたプロテスト・ソング“Hell You Talmbout”をカバーするシーンだ。映画では被害者の遺族が登場するというオリジナルの演出が加えられていて、そこにバーンがスパイクとコラボレートした理由のひとつが垣間見える。
バーン:スパイクが「映画に犠牲者の写真を入れたい」と提案してきた時は、ちょっとヘビーになってしまうかもしれないと一瞬思ったよ。でも、観客は写真を見ることで、亡くなった人のことをリアルに感じることができる。それはとてもパワフルなことだと思ってやることにしたんだ。結果的にとても心を揺さぶるシーンになったと思う。
政治的メッセージをどう表現するか? バーンは自分の経験を観客に語りかける
『アメリカン・ユートピア』の重要な点は、そんな風に様々な社会問題をショウに織り込んでいることだ。これまでバーンはひねりを効かせた歌詞で、アメリカ社会の抱える歪みや違和感を音楽にしてきた。しかし、『アメリカン・ユートピア』のメッセージは明快だ。
バーンはバンドが南米やヨーロッパ出身の多国籍なメンバーで構成されていて、自分もスコットランド出身だということを伝えて移民問題に触れたり、選挙の投票率の少なさを紹介したりもする(ショウが行われたのはアメリカ大統領選挙の前年)。さらにダンサーが女性とクイアの2人なのは性の多様性を伝えているのだろう。これほどストレートにバーンが社会問題について語る姿に驚かされるが、そこには「何か行動を起こさなくてはいけない」というバーンの切実な思いが伝わってくる。ただ、そこで声だかにメッセージを訴えるのではなく、親しみやすく、ユーモアを交えた語り口で観客に語りかけることで、説教臭くなることを回避している。
日本では政治的発言をするミュージシャンが非難されたりするような状況もあるが、表現と社会的メッセージの関わりについてバーンはどんな風に考えていたのだろう。
バーン:アーティストがステージの上から「こうしろ」と言うのは違うと思う。誰かにそんな風にとやかく言われるのはいい気がしないからね。だから僕は自分の経験を語ろうと思った。携帯のこととか、バンドのことなんかをね。それを聞いて観客がどう思うかは自由。観客自身が決めてくれたらいい。
でも、確かにトリッキーな状況だね。政治的なことを喋りながら、上から目線にならない立ち位置を見つけなければいけないのは難しいことだった。
観客に語りかけること。それはこのショウにおいて、演奏やダンスと同じくらい重要なパフォーマンスだ。知的で芸術家肌、というイメージが持たれがちなバーンだが、ここでは親しみやすい一面を見せて観客とリラックスした関係を結び、上から目線にならない場所を作り出している。
バーン:コンサートでも観客に語りかけることはあるけど、このショウでは話す量がかなり多かった。僕が喋っているだけではなく、僕の発言に観客がリアクションをすることもある。ときには意外なところでウケたりしてね。それに対して僕が反応する。そうすることで、僕が観客のことを大事に思っていることが伝わる。ただ、脚本を読んでるだけじゃないってことがね。そんな風に観客が思ってくれることが、このショウでは重要だったんだ。
世界と対峙し、自問する若きバーンがバンドに加わり、社会や文化に関わっていく「旅」の物語
バーンのMCで「つながる」という言葉が何度か登場するが、バンドという結びつきや、アーティストと観客との結びつきを、バーンは音楽や言葉で観客に伝えていく。そして、さらにショウに物語性を取り入れることで、観客自身がショウに秘められたテーマを発見していくような演出になっている。ショウではアルバム『アメリカン・ユートピア』の収録曲を中心に、“I Zimbra”“Once In A Lifetime”“Burning Down The House”などTalking Heads時代の代表曲も演奏しているが、ショウの一環として、ひとつの物語のなかで曲を聴くことで、新しい読み取り方ができる。そんな選曲も見事だ。
バーン:(2018年の)コンサートの時から、「何か物語のようなものを感じる」と観客に言われていたんだ。それは一体何かを考えたうえで、その内容を観客がキャッチできるように選曲を考えた。
冒頭で一人の男が歌っているけど、それは若い頃の僕なんだ。「自分は誰なんだ? 世界はどんな風に動いていて、自分は世界とどんな風にフィットしたらいいんだろう?」って自問している。ショウの中盤になると、男はバンドに参加して家族ができたような状態になる。そして、最後に男は社会に参加して、文化や政治に関わるようになる。そういう流れに沿って、その時々の男のエモーションに近い曲を選んでいったんだ。
そして、バーンはそうした男の変化を「旅」と例えた。過去のヒット曲から新作までをちりばめたブロードウェイ版『アメリカン・ユートピア』は、自伝的な旅の記録なのかもしれない。そういう、キャリアを総括するような作品はバーンくらいのベテランになると珍しくはないが、そこに現代的な問題意識を反映させて、アートとしてもエンターテイメントとしても成立させているのがバーンのすごいところ。
Talking Headsを結成する前、美大生の頃からバーンは演劇と音楽を融合させる試みをしていた。そのようなクリエイティブな試みを作品を通じてバージョンアップさせていき、その最新形として映画版『アメリカン・ユートピア』を完成させた。破壊と創造を同時に行うニューウェイブ精神を失わず、68歳の今も衰えない艶やかな歌声やダンスといった身体的な表現を通じて、血の通ったアートを生み出したのだ。
この映画が収録された後、世界中で新型コロナウイルスが猛威を振るい始めるが、そんな厳しい状況のなかでも、バーンは創造することを諦めていない。
バーン:今、いろんな人たちが演劇や音楽をスムースにやろうと試みているんだけど、なかなかうまくいかないみたいだ。僕も以前のようにはショウができなくなってしまった。でも最近、友人たちと進めているプロジェクトがあって、それは『ソーシャル・ディスタンス・ダンスクラブ』というんだ(笑)。みんなで一緒に踊るんだけど、それぞれが自分の円みたいなものを持っていて、他の人たちと距離を置きながら、その円のなかで踊る。これが僕にとってひとつの始まりになるんじゃないかな。
映画版『アメリカン・ユートピア』のラストナンバー“Road To Nowhere”でバーンはバンドを引き連れて高らかに歌う。「あてのない旅の途中さ」「一緒に来て歌うのを手伝ってくれないか?」。映画の開放感溢れるエンディングが象徴するように、バーンの旅はまだ終わらない。脳の「ほとんど使っていない部分」を探検して、新しい地図を描き続けること。それがバーンにとっての旅なのかもしれない。
- 作品情報
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- 『アメリカン・ユートピア』
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2021年5月28日(金)から全国公開
監督:スパイク・リー
出演:
デヴィッド・バーン
ジャクリーン・アセヴェド
グスタヴォ・ディ・ダルヴァ
ダニエル・フリードマン
クリス・ジャルモ
ティム・ケイパー
テンダイ・クンバ
カール・マンスフィールド
マウロ・レフォスコ
ステファン・サンフアン
アンジー・スワン
ボビー・ウーテン3世
上映時間:107分
配給:パルコ ユニバーサル映画
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