生涯をとおして3万点以上の作品を残したとされる伝説の浮世絵師・葛飾北斎。平均寿命40歳といわれた江戸時代に90歳まで生き伸びたという「画狂老人」の存在は、米『LIFE』誌で「この1000年で偉大な業績を残した100人」に唯一の日本人として選ばれるなど、世界中にその名を轟かせている。しかし意外にも、北斎の人生に関する資料はあまり残されていないという。
そんななか、歴史的資料を徹底的に調べあげ、数少ない史実に独自の視点と解釈を加えることで「人間・北斎」を描きあげた映画が誕生した。ずばり『HOKUSAI』と名づけられた同作では、柳楽優弥と田中泯がダブル主演を務め、ほとんど語られることのなかった青年時代の北斎と、老年期の北斎をそれぞれ熱演。すでに日本をはじめ約30か国で、劇場、配信公開、テレビ放送が決まっているという意欲作だ。
今回はそんな『HOKUSAI』の公開にあわせ、建築家・作家・ミュージシャンなど多彩な顔を持ちながら、北斎と同じく風景画を描くことでも知られる表現者・坂口恭平にインタビューを実施。インタビュアーは伝統芸能などにも造詣が深く、坂口と旧知の仲であり、坂口の最新刊『躁鬱大学』の担当編集者でもある九龍ジョーが務めた。
「北斎が天才として描かれていないのが良かった」と話す坂口にその理由を訊いていくと、北斎の長生きの理由や、現世を生き抜くための実践的な方法が浮かびあがってきた。
天才ではなく地道な科学者タイプ。葛飾北斎の意外な人物像
坂口:北斎のライフヒストリーってじつはあまり知らなかったんです。だから映画を観て、「ああ、こんな感じだったのか」と。ちなみにこの映画、どのぐらい史実に忠実なんですかね。
九龍:北斎は青年期までの資料がほとんど残っていないので脚色もあるんだろうけど、世に出て以降は基本的に史実がベースになってますね。
坂口:北斎を演じる俳優が、若い頃は柳楽(優弥)くんで、晩年が(田中)泯さんでしょ。泯さん、最初はちょっとキャラが濃すぎなんじゃないかと思ったんだけど、80歳の北斎の自画像を見たら、ソックリだった(笑)。さすが、泯さん。
九龍:北斎は当時としては長生きなんですよね。
坂口:しかも、北斎は代表作が完成したのも歳をとってからでしょう。有名な『北斎漫画』は50代の作品だし、『冨嶽三十六景』や『冨嶽百景』に至っては70代。僕は自分のことを、北斎と同じく晩成型の人間だと思っています。というか、そう思うと安心する(笑)。
九龍:まだまだこれからだぞと(笑)。
坂口:いまって、例えばミュージシャンなら、30歳でも若手と呼ばれたりするわけでしょ。経済状況とかもリンクしてくる話ですけど、そういう時代に、ある年齢にピークがくるような創作スタイルって難しいと思うんです。
それよりもずっと何かをプラクティス(練習)していったほうがいい。この映画でも、喜多川歌麿(玉木宏)や東洲斎写楽(浦上晟周)がセンスと直感で絵を描いて、若い頃から活躍しているのに対して、北斎は銅版画や遠近法をコツコツ研究したのちに自分のやり方を見つけていましたよね。ああいう部分に共感するし、北斎が「天才」として描かれていないのがよかったな。
九龍:坂口恭平も、わりと「天才」タイプに括られがちなところがありますからね。
坂口:そう。でも誤解なんだよね、毎日やってるだけなの、原稿も絵も(笑)。毎日やっているから、そこそこ上手くなる。北斎だって、毎日絵を描いていたわけでしょ。
九龍:しかも、これは江戸の浮世絵師全般にいえることでもあるけど、北斎の場合、版元とか戯作者とか、相手のある仕事をしていたことも大きいと思う。つねにビジネスや流行とのダイナミズムがあるというか。
坂口:そこもうまくやってるよね。北斎は貧しかったといわれているけど、おそらくライフマネーみたいなものはうまく運用してたんじゃないかな。映画を観て「現代的な人だな」と思った。
九龍:坂口恭平がかつて、近代小説のなかの空間をドローイングで再現する「立体読書」や、レーモン・ルーセルの『アフリカの印象』の挿絵を手掛けたように、北斎も挿絵を描いていましたね。
坂口:挿絵って、テキストを読み込まないとできないんですよ。仕事としてさらっと流すこともできるんだろうけど、少なくとも北斎は精読しているよね。絵の技法もつねに研究しているし、科学者っぽくもあるのかなとも思った。
色も言葉も単一ではない。現実を観察することで見えてくるグラデーション
九龍:北斎が科学者っぽいということに関連すると、有名な『冨嶽三十六景』の『神奈川沖浪裏』も、高速シャッタースピードで波を撮影したらこの絵とそっくりになる、なんていわれていますよね。かなり精密に描かれている。
坂口:ちゃんと遠近も出しているし、直線は一つもなく、すべて曲線で構成されている。つまり頭のなかの妄想じゃなくて、北斎の見ている「現実」なんですよね。
九龍:坂口さんのパステル画も、風景をかなり高い解像度で描いていますよね。
坂口:パステル画はまさに、「現実をちゃんと見る」ための実験ですね。実際、パステル画を描くようになって、現実の見方が完全に変化してきました。
僕の絵の空の色は、一枚一枚すべて違うんです。ブルーだけでも7、8種類あるし、さらにそこにパープルや赤も入れて、奥行きを出してる。
坂口によるパステル画
九龍:北斎が当時の日本では入手しづらかった顔料「ベロ藍」(プルシアンブルー)を用いて、青の表現を深めていったこととも通ずるところがありますね。
坂口:なるほど、北斎もそういう顔料を使ってあの波の色を出してたのか。ほんと、空ひとつとってもいろんな色や奥行きがあるんですよ。しかも場所や時間によっても刻々と変化している。
この話って、絵だけじゃなく、言葉にもいえるんですよね。「いのっちの電話」(坂口が自らの電話番号を公開し、死にたい人からのメッセージを受けつけるシステム。番号は090-8106-4666)で、よく「死にたい」ってフレーズを聞くんですけど、ちゃんと聞くと、同じ「死にたい」のなかにもその人なりの要素がいろいろと入ってて。
九龍:厳密には「死にたい」じゃない場合もあるわけですね。
坂口:そう。でもそのグラデーションに気づけないから、ちょっと苦しいとすぐ「死にたい」になっちゃう。
あと、そもそも「死にたい」の前に、まずほとんどの場合が修行不足だったりもしますからね。「毎日、何か訓練してる?」って聞くと、「いえ、何も……」って。
これ、少林寺拳法の世界とかに置き換えてみてほしいんです。「死にたい」なんてつぶやいたら、師匠に言われますよ。「お前、まだ白帯じゃろが!」って(笑)。
坂口:いまの社会って、人が「生育」しにくい状態なんですよね。「二十歳になったら自立」みたいな意識だけが植えつけられて、実際に「自立」する方法がわからない。体だけが大人になっちゃってる。
だから、生育できてないことに対して落ち込み過ぎず、「ちょっとずつプラクティスする」っていう文化を、もっと思い出すべきなんだと思います。
九龍:そうすれば北斎のように、90歳近くまで生きのびる余地があるぞと。
坂口:プラクティスの対象として「現実」があるのはありがたいことなんです。だって、死ぬまで空は永遠に変わり続けますから(笑)。その先で、世界をひっくり返すような見方ができるようになるんじゃないかな。
「アーティスト」は弾圧の産物。北斎から学ぶべきは「しなり方」
坂口:あと、やっぱり映画を見て気になったのは、幕府による版元や戯作者たちへの弾圧ですよね。北斎と仕事で組んでいた柳亭種彦(武士の家系に生まれ、芸術を取り締まる立場でありながら、身分を隠して執筆を続けた戯作者)は、幕府の弾圧の余波に苦しめられていくじゃないですか。
でも北斎は、そうした状況が変わってほしいと強く願いつつも、なかなか変わらない社会のなかで、上手く「アート」のほうへ逃げていくようにも見える。
九龍:「アート」がエクスキューズになるということですか。
坂口:そう。例えば、千利休も、北大路魯山人も、出口王仁三郎も弾圧されますよね。その結果、みんな北斎と同じように「アーティスト」という枠で後世に残るしかなかった。これってつまるところ、「日本の芸術とは何か?」という問題でもあると思う。
でも僕からしたら、彼らを「アーティスト」で終わらせてはダメだと思うんですよ。だって、本当は社会を変えることが目的だったはずなんだから。
九龍:なるほど。より大きな運動としてあったはずの可能性が、「アーティスト」としてくくられることで損なわれてしまう、と。
坂口:だから僕は「アーティスト」で終わるつもりはないんです。社会を変えたいんだから。あと「弾圧」って、言葉の問題でもあって。けっきょく言葉を牛耳ってるのは権力なんですよね。
九龍:まさに江戸幕府という、いま以上に強大な権力は言葉さえも支配していましたよね。階級によって使う言葉が違ったりだとか。柳亭種彦(瑛太)は、「武家言葉」を話す武士階級でありながら、「江戸言葉」を話す庶民向けの読本を書いて言葉を脱臼させる戯作者でもあるという、ある意味ダブルスパイのような存在だった。
坂口:映画のなかで、言葉を扱う種彦は追い詰められていくのに、北斎は「アート」で生きながらえるっていう描き方も象徴的に思えますよね。本来は弾圧される対象のものを「アートの領域でやるなら、いちおうオッケーです」っていうでたらめな判断基準が、いまの社会とも通じるのかなって。
だから北斎が生きのびるために選んだ「アート」がどういうものかを考えることは、僕にとっても、一つのお手本にはなる。いま描いているパステル画だって、北斎と同じ「現実の観察」がベースにあるわけで。
九龍:受動的に「アーティスト」に安住してはいけないけど、生き伸びるための手段として能動的に「アート」を選ぶことはできると?
坂口:まさにそこのしなり方を北斎に学びたいんですよね。頑固に突っ張っても、すぐ折れてしまったら元も子もないから。
心も体も死なせないために。まずは日課の徹底を
坂口:少なくとも僕は長寿が前提というか、何ごともわざと時間をかけてプラクティスしていく。それが、ここ数年で自分のなかに芽生えてきたやり方ですね。
九龍:長寿が前提(笑)。
坂口:勝ち負けでいってしまえば、僕にとっての勝ちは「死なない」ということなんです。しかも体だけじゃなく、魂も死なせてはいけない。
いまだって、コロナウイルスの感染拡大がきっかけとはいえ「ライブなんてやらなくていい」とか「映画館は閉めろ」とか、芸術文化が平気でおざなりにされているわけでしょう。そういうことを暗に感じながら、僕たちは死なないために長い時間をかけて創作を続けていかなければならない。
九龍:うまくしなりながら。
坂口:北斎も、「描き続けた」ってことが重要だから。
九龍:生涯で描いた作品数は3万点を越えるそうですね。
坂口:その数字って、描くことが日課になってないかぎり不可能だと思うもの。死ぬまでに、どんなしつらえのタイムスケジュールを組んで、どう投資するか。北斎の場合、それがこの世で生きのびることと直結していたんだと思う。
映画のなかで、娘のお栄が北斎の部屋の襖を開けるとき「お父さん、開けますよ」なんて言うシーンがあるじゃない? 襖を開けても開けなくても北斎が絵を描いているんだとしたら、そんなこと言わなくてもいいと思うんだよね(笑)。だけどわざわざ言うってことは、北斎のなかに時間割があるってことなんだろうなと思って。僕にとっては映画のそういう細かい描写がリアルだった。日常とは違う時間軸で立てられた「日課」という膜が、北斎を守ってる。
九龍:そこにリアリティーを感じるのは坂口恭平ならではですね。『家族の哲学』(2015年、毎日新聞出版)にもそんな場面があった気がする。
坂口:僕が大事にしているのは、「日課」を徹底するってことなんです。もちろん質も大事だけど、同時に量も大事。とにかく絵を1日に1枚描くってことを90歳まで続けたい。つまり、年間365枚描く。それを、あと47回繰り返そうと思っていて。
九龍:単純計算すると、約1万7,000点になりますね。そう考えると、3万点以上という北斎の数は、やはり日課の賜物にも思えてくる。
坂口:そういう数が、具体的な時間の厚みになっていくわけです。僕の活動なんて、ぜんぶそれ。「いのっちの電話」も1日に40から50件の電話に出てるけど、これをずっと続けていけば、最終的には、ほぼ日本の人口と同じぐらいの人数と喋ったことになる(笑)。
だから結論としては、会社の定年とか、世間体だとか、そういう枠を超えたところで「一生死ぬまで何をしていたいのか?」を決めることに尽きる。それを軸に24時間の時間割をつくったら、あとは始めるだけでしょ。それで人生なんて完成なんです。それが「生活」を見つけるってことだよね。みんな成功ばかり求めてるけど、大事なのは「生活」。
ポイントは、90歳になっても同じ時間割でいけるっていうくらいの、生きていける「生活」を見つけること。それができれば、きっとカネにはなるんでしょう。そのことは北斎が教えてくれてるよね。
- 作品情報
-
- 『HOKUSAI』
-
2020年5月28日(金)から全国公開
監督:橋本一
脚本:河原れん
出演:
柳楽優弥
田中泯
玉木宏
瀧本美織
津田寛治
青木崇高
辻本祐樹
浦上晟周
芋生悠
河原れん
城桧吏
永山瑛太
阿部寛
ほか
配給:S・D・P
- 書籍情報
-
- 『躁鬱大学―気分の波で悩んでいるのは、あなただけではありません―』
-
2021年4月28日(水)発売
著者:坂口恭平
価格:1,760円(税込)
発行:新潮社
- プロフィール
-
- 坂口恭平 (さかぐち きょうへい)
-
1978年、熊本県生まれ。2001年、早稲田大学理工学部卒業。作家、建築家、絵描き、音楽家、「いのっちの電話」相談員など多彩な顔を持ち、いずれの活動も国内外で高く評価される。『TOKYO 0円ハウス 0円生活』(河出文庫)、『独立国家のつくりかた』(講談社現代新書)、『幻年時代』(幻冬舎文庫/熊日出版文化賞受賞)、『坂口恭平 躁鬱日記』(医学書院)、『自分の薬をつくる』(晶文社)、『Pastel』(左右社)ほか著作多数。
- フィードバック 39
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-