デジタル、インターネット時代の人々のアイデンティティのあり方を、現代アート作品として昇華するアーティスト、山口真人。近年は、SNS上に拡散するイメージやVTuber、バーチャルアイドルなど、いわゆる「仮想現実」世界にリアリティを覚える感覚を「トランスリアリティ」と名付け、それをテーマに作品を制作している。
そして、これらの活動の裏テーマとなっているのが、仏教における「無常」や「空」という概念。山口は「トランスリアリティ」をテーマにした作品づくりのなかで、初期仏教の考え方に興味を持つようになったという。
そこで今回は、初期仏教の流れを受け継ぐスリランカ上座部仏教の長老、アルボムッレ・スマナサーラと山口の対談を実施。「自分なんてどこにも存在しない」「自分という存在があるとしたら一瞬だけ」、そんな過激ともいえる発言も飛び出した対談は、アートを超えて、この世の本質を突くスリリングな内容となった。
初期仏教が説く、アートの価値とはなにか?
―いきなりですが、お釈迦さまは人々の表現行為や芸術の美しさなどについて、なにか語られていらっしゃるのでしょうか?
スマナサーラ:語られていますよ。優秀な音楽家がお釈迦さまの前で演奏したときに、「あなたの曲と楽器の音はぴったり調和していますよ。楽器の音と歌声が互いに妨げなく調和を保っています」と褒め称えた言葉が残されています。
芸術といっても、ただ単に自分の感情を吐き出すというのは排泄物と同じ。それでは意味がないんです。
その表現に触れた人々が、活気や安らぎ、学びなど、良い影響を受けることができる。そこには意味があるとお釈迦さまはおっしゃっています。シェイクスピアの作品を読むと、いまだに学びがあるでしょう?
山口:スマナサーラさんは、アートをご覧になりますか?
スマナサーラ:岡本太郎の『座ることを拒否する椅子』という作品が、青山の岡本太郎記念館に展示されているのですが、あれは傑作ですね。椅子なのに座ることを拒否しているという(笑)。
あと、実物を見たことはないのですが、ミケランジェロの『ピエタ』も好きですね。処刑されたイエス・キリストを腕に抱く聖母マリア像という、キリスト教の代表的なモチーフです。
マリアの指先やキリストの肌が本物みたいな質感で、大理石でつくられていることにびっくりするんです。マリアの表情も、優しさと悲しさが入り混じったような、なんともいえない不思議な気持ちにさせられます。
スマナサーラ:マリアが生まれたばかりのキリストを抱いた「聖母像」という宗教画もヨーロッパでは昔から人気ですけれども、あれも「優しさ」や「慈しみ」を感じるでしょう?
宗教美術として、本当はいろんな意味があるのでしょうけれど、私は「存在というのは勝手に生まれるものではない」「誰かが優しく守って、育てあげなくちゃいけない」というメッセージを感じるんですね。それが私にとっての美なんです。
ただ一つ文句を言わせてもらうと、ああいうヨーロッパの女性像って、若い姿に描かれすぎなんですよね。『ピエタ』だって、キリストよりも聖母マリアのほうが若く見える(笑)。
男性も女性もですが、人々は「若さ」というものにあまりにも固執しすぎなのではと思います。「若さ」を楽しむのはいいことですが、年齢を重ねることによる良さも人間にはある。口が悪くてすいませんが(笑)。
山口:現代のインターネットの世界でも、SNSに自分を可愛く見せるためのフィルター機能がついていたり、アニメやCGと合成する機能が人気だったりします。「若さ」への憧れは、何百年も続く人間共通の文化なのかもしれませんね(笑)。
初期仏教とは「宗教」ではなく「科学」である
山口:今回、スマナサーラさんにお話しをうかがいたいと思ったのは、デジタルデータやインターネットなどの仮想世界における「存在」や「アイデンティティ」をテーマに作品をつくり続けるなかで、「空(世の中は因縁によって生じたものであり、実体はないこと)」や「無常(世の中は常に変化しており、永遠不変のものはないこと)」という仏教的な考え方に出会ったのがきっかけでした。
そこを掘り下げていくなかで、スマナサーラさんのような初期仏教にたどり着き、興味を持ったんです。
とはいえ、全然勉強不足なんですけど、もしよかったらスリランカ上座部仏教と日本における一般的な仏教との違いについて、少し教えていただけないでしょうか。
スマナサーラ:いいですよ。一般的に仏教は、インド北部で紀元前5世紀頃にはじまって、その後さまざまな宗派に分かれて現代まで伝わったとされています。
日本人にとって仏教とは、お寺にお坊さんがいて、お葬式で南無阿弥陀仏ととなえてくれる、というイメージだと思いますが、それらはだいたいインドから中国を経由して伝わってきた大乗仏教という流れを汲む宗派になります。浄土宗とか浄土真宗とかもそうですね。
いっぽうでスリランカ上座部仏教というのは、インドから東の中国や日本ではなく、南のスリランカに伝わっていった仏教の宗派で、古代インドの日常語に由来するパーリ語で書かれた最古の仏典の教えを守っているのが特徴です。
山口:だからこそ、お釈迦さまの本来の教えに近い教義が伝えられているわけですよね。
手塚治虫の漫画『ブッダ』を読んだとき、仏教はもともと宗教ではなく、自分自身と向き合うための心の科学や哲学のようなものだったことに驚きました。それに近い仏教の教えを受け継いでいるのがスリランカ上座部仏教なのかなと思ったんです。
スマナサーラ:そうですね。ただ、私は宗派の違いなんて気にしなくていいと思っています。経典とかセレモニーとか、違いはあるかもしれませんが、そんなのは箸で食べるかフォークで食べるかの差だから喧嘩しても仕方がない(笑)。だからどうでもいいんですよ、そんなの。違いがあったほうがいい。
山口:なるほど(笑)。ただここ数年、アメリカを中心にマインドフルネス(上座部仏教に伝わるヴィパッサナー瞑想がルーツだとされている)が大流行するなど、東洋的な価値観が世界的に見直されていると思います。そのあたりスマナサーラさんは、なにか変化を感じますか?
スマナサーラ:まぁ、マインドフルネスやヴィパッサナー瞑想というのは、「人間はどう生きるべきか?」という問いへの実践的なアプローチでもあるので、どんな時代、文化、国の人にも通じる普遍的なものだと思うんです。
欧米の方々は、これまで瞑想のことを、東洋的でスピリチュアルな神秘体験として捉えていたのかもしれませんが、もともとヴィパッサナー瞑想は神秘的なものではないですし、きわめて論理的なメソッドなんです。だから、いろんな文化の人々に伝わったのだと思います。
山口:そこ、すごく大事ですよね。宗教というと「人間を超越した力を持つ神様」と「そこに届かない多数の人々」みたいな話になりがちですが、初期仏教には、そういうところが感じられないので、親近感が湧きました。
「モノの価値なんて、すべて妄想なんです」
山口:私は、最近「トランスリアリティ」をテーマにアート作品をつくり続けています。日本語でいえば「(現実の)向こう側の現実」、もしくは「この世でもあの世でもない世界」みたいなものかもしれません。
山口:デジタルテクノロジーやインターネットの進化によって、AIアシスタントやロボット、VTuberやバーチャルアイドルなど、いわゆるバーチャルな人格と人々が接する時間が増えています。
こういった一見「バーチャル=虚像」とされるものは、本当に実在しないのでしょうか? それら虚像とされるものと接した際に沸き起こる人々の感情はなんなのでしょうか? 実際に恋愛対象としている人もいるわけです。
そうすると、なにかしらの実体にもとづいた価値や認識、存在感というのは、じつはたしかなモノではないのかもしれない。となると、そもそも私たち一人ひとりの存在もたしかなモノだと言い切れるのか?
私にはそういったずっと疑問があり、人々とデジタルデータ、物理空間とインターネット空間が溶け合う世界を肯定的に捉えたテーマとして、「トランスリアリティ」を打ち出すことにしたのです。
スマナサーラ:少し前にニュースで見ましたが、アメリカでデジタルデータだけのアート作品が高額で落札されたという。
山口:そうです。ビープルというアメリカ人アーティストのデジタルアート作品に約75億円の値段がつきました。
ブロックチェーン技術を使って、唯一無二のオリジナルデータであることを証明している作品です。スマナサーラさんは、デジタルデータでつくられた、実在しないアート作品の価値についてどのようにお考えですか?
スマナサーラ:宝石の価値ってなんだと思いますか? たとえば、ダイヤモンドを子どもに渡したらどうなると思います?
山口:価値はわからないですよね。キラキラして綺麗って思うかもしれないけど。
スマナサーラ:赤ちゃんだったら口に入れて大変なことになったり、どこかに捨てちゃったりとかね。となると、宝石の価値っていったい誰が決めているのでしょう?
山口:大勢の人たちが「欲しい」って思うから?
スマナサーラ:そう。だから価値というのは、実態とイコールではない。人々の頭のなかにだけある「妄想」なんです、昔から。アート作品というのも、物質的にはただの絵の具や大理石の固まりだったりするわけでしょう?
山口:そうです。
スマナサーラ:それで、同じ妄想を持つ人々が集まったときに「価値」というものが生まれるんですね。でも、その妄想を共有できない人から見れば価値はない。
それは物質であってもデジタルデータであっても同じです。そもそもお釈迦さまは「現象は因縁によって一時的に生じて滅するものである」といって、ものごとには一つも意味も価値もないとおっしゃっていますしね。
山口:なるほど(笑)。
スマナサーラ:誤解してほしくないのは、「価値がない」というのは、ネガティブなことではないんです。
あなたのようなアーティストだって、絵の具でも、彫刻でも、デジタルデータでも、なにかしらを使って作品をつくらないと、自分の表現を他人に伝えることができなくなってしまうでしょう?
その表現をとおして、良い影響を他の人に与えられたらいいわけです。だから「デジタルアートの価値」なんて、そもそも気にすることはないんですよ(笑)。
世の中は、すべて「錯覚」みたいなもの
山口:実体に紐付いて価値が生まれるのではない。価値とは人の頭のなかにだけある妄想である、というのはすごく腑に落ちました。
AIアシスタントやバーチャルアイドルでも、現実世界に存在しているモノでも、それを認識している人の頭のなかにだけ価値が生まれる。
スマナサーラ:そうです。さらに言うと、そもそも人が「なにかを認識する」ということ自体、一時的に起こる錯覚にすぎないんですよ。
山口:え? どういうことでしょうか?
スマナサーラ:たとえば、私がいま「長い」と言ったら、その意味を理解して、イメージすることができますか?
山口:はい。でも、どのくらいの長さなのかはわからないですね。
スマナサーラ:でしょう? 「長い」と聞けば、具体的な長さはわからなくても、頭のなかではわかったような気がする。
それはあなたの頭のなかに「短い」というイメージがあって、それを基準に比較したから「長い」をなんとなく認識できたんです。
山口:なるほど。
スマナサーラ:たとえば、私がいま「この部屋」「この建物」と言えば、あなたはそれがなにを指しているのかわかると思いますが、それは「ほかの部屋」や「ほかの建物」と区別することによってなんとなく理解している。
あなたは男性ですが、女性がいるから「男性」だといえる。女性がこの世に一人もいなければ、どうやって男性を区別して認識すればいいのでしょう?
山口真人さんだということも、他の人と区別しているから認識できる。アーティストじゃない人々がたくさんいるから、あなたはアーティストだと認識してもらえる。
すべての事象は、頭のなかに比較できるイメージがあるからこそなんとなく認識できる。そして、その「頭のなか=自分」もどんどん変化しているので、たしかなモノではないわけです。
科学的に見ても、古い細胞が新しい細胞にどんどん置き換わっているわけでしょう? 脳にある古い記憶も新しい記憶に上書きされていくわけです。10年前のあなたといまのあなたがまったく同じなんてありえない。
山口:つまり、人の認識というのは「曖昧なもの」を、その瞬間の自分の頭のなかにある概念と照らし合わせて、「ある」と思い込んでいるということですか?
いま見えている世界はあるようで、ないようで、というか。それって「空」や「無常」の話につながると思うのですが、そこをもう少し詳しくおうかがいしたいです。
「空」というのは「世の中のすべては因縁によって生じたものであり、実体はない」という考え方で、「無常」というのは「すべての事象は常に変化していく」という考え方だと思うのですが、つまり「人が意識した瞬間だけ、存在が生まれる」ということですか?
スマナサーラ:そうです。だからすべての事象はあるといっても、人間の認識によって一時的に成り立つだけ。そして、その人間自体も常に変化していて、一時的に存在している。すべては一時的だから、あるって言えないでしょ。
山口:あぁ、なるほど……!
スマナサーラ:たとえば、目の前でろうそくが燃えています。「ろうそくの炎がある」と言ってもいいですが、これはただ空気が燃焼している状態でもあるわけです。風が吹いたり、蝋が溶けてなくなったりしたら、周囲と同じ空気の状態に戻る。
だから、すべての事象は「Temporary Existing(一時的に存在している)」ってことなんです。初期仏教では「Exist(存在する)」という言葉は絶対に使いません。
「自分というものがあるとしたら、その瞬間、その空間だけで、成り立つんです」
山口:つまり、いまぼくがスマナサーラさんを見て、お話をさせていただいているいまこの瞬間も、それは「Temporary Existing」なんですね。
スマナサーラ:そうそう。この場も、私も、あなたの人格も「Temporary Existing」なんです。このインタビューが終わって、この部屋から外に出たら別の人間になるんです。
もし、そこの道ですごくタイプの女性に話しかけられたら、あなたいまの話を忘れて、すぐに付いていくと思うんですよ。
山口:そうですね(笑)。
スマナサーラ:そうすると別人になる。
山口:別人ですね(笑)。なるほど。
スマナサーラ:だから、私は名刺も持っていませんし、こういうものですと自己紹介することもありません。
山口:自分というのは定義されないものだから。
スマナサーラ:自分というものがあるとしたら、その瞬間、その空間だけで、成り立つんです。
山口:その考えでいくと、名刺や肩書なんて本当に必要ないですね。いまの話でいうと動いてない。
スマナサーラ:「自分自身」という絶対的なモノがあると考えて、そこに固執して生きるのはとても危険です。年齢、職業、役職など、社会的な肩書に固執していると最悪です(笑)。
「たしかな自分」があると思っているから、そこにそぐわないことが起こると、怒り、嫉妬、憎しみなどが生まれる。
だから、私はどんな人に対しても、お互いに「人間」として対応するようにしています。そのほうが精神的に自由になれるしラクなんです。
山口:私自身も、その認識も、すべては錯覚ということですね。うわぁ……そこです。そこにたどり着きたかった。この話は、今日本当にうかがいたかったことです。
結局、私が「仮想世界」にリアリティを覚える感覚を「トランスリアリティ」と名付けて、作品を制作しているのも、たぶんそこをなんとなく確認したいと思っていて。
昨年、LEDを使った作品を目黒雅叙園で展示したのですが、光の点滅を使いたかったのも、まさにそういう一瞬の存在、認識を表現したかったのかもしれません。
スマナサーラ:「無常」っておもしろいでしょう?
山口:はい(笑)。
スマナサーラ:すべては無常だから、完全に存在するものはないんですよ。だから存在とは無常なんです。だけど、無常でなければ音楽という芸術は生まれないでしょう?
山口:変化しているからこそ音楽ですもんね。「Static(静止している)」なものは、この世にないんですね。
スマナサーラ:「Static」なものはないですね。本当の意味で「Sustainable(持続可能)」なものなんてこの世にないんです。
山口:ちょっと最後にすごく熱いお話を聞かせていただいて。
スマナサーラ:人に進化があるとすれば、無常に逆らわないことです。同じところに居座り続けるのは退化です。現状維持というのはとても不自然で危険な行為なんです。
でも、日本人は現状維持が大好きなんですよね(笑)。物事を大胆に変えたくはないんです。だから仕事を探すときも安定した大企業が人気で。
大学で研究している若い人たちも、教授の古い考え方には反対なのになにも言わず、教授のご機嫌を取って学内のポジションを確保することだけが仕事になっていて。もっと大胆に研究しろよ! って言いたくなります(笑)。
一同:(笑)
- イベント情報
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- 『TRANSREALITYSHOW 0.2: FOR THE PLACE FUZZY AND NEW』
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2021年3月26日(金)~3月28日(日)
参加アーティスト:
ヒロ杉山
山口真人
ナカミツキ
岸祐真
テレポ - ダイヤル
本宮曜
料金:無料
- プロフィール
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- 山口 真人 (やまぐち まさと)
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1980年東京都出身、法政大学経済学部卒業後、アート&デザインスタジオIDEASKETCH,INCを設立。主な個展に『"MADE IN TOKYO』(Gallery Onetwentyeight / NYC 2016)、2019『トランスリアリティ序章』(H.P.FRANCE MARUNOUCHI / Tokyo 2019)等、2019年「INDEPENDENT TOKYO」にてグランプリを獲得。2021年より自身がオーガナイズ・キュレーションするイベント『TRANSREALITYSHOW』をスタート。
- アルボムッレ・スマナサーラ
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スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。1945年生まれ。13歳で出家となる。1980年に国費留学生として来日。現在は、日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道、ヴィパッサナーの指導などに従事。2020年からはYouTubeを通じた説法や対話にも力を入れている。『ブッダが教える心の仕組み』(誠文堂新光社)、『ブッダに学ぶ ほんとうの禅語』(アルタープレス)、『Freedom from Anger』(英文, WISDOM PUBLICATIONS)など著書多数。
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