1993年にデビューし「アシッドジャズムーブメントの担い手」として国内外で高い評価を獲得したバンド、MONDO GROSSOのリーダーにしてベーシストだった大沢伸一さん。その後バンドを解散しソロプロジェクトになってからもコンスタントに作品をリリースし続け、本人名義によるコンポーザー / DJ / プロデューサー活動と並行しながら、自身の「ライフワーク」として常に進化を遂げてきました。
そして今年、前作『NEXT WAVE』からおよそ14年ぶりとなるオリジナルアルバム『何度でも新しく生まれる』をリリース。birdやUAといった朋友たちに加え、満島ひかりや齋藤飛鳥(乃木坂46)など異色のボーカリストをフィーチャーし、「全曲日本語ボーカル」というキャリア史上初の試みを行なっています。さらにはMONDO GROSSOとして、『FUJI ROCK FESTIVAL '17』への出演も決定。20年以上のキャリアを持ち、今なお精力的に活動を続ける彼のモチベーションは一体どこにあるのでしょうか。都内某所のプライベートスタジオを訪ねてきました。
少年の頃から、バンドよりも「宅録が楽しかった」
滋賀県大津市出身の大沢伸一さん。1970~80年代に幼少期を過ごしたほとんどの人がそうだったように、テレビやラジオの歌番組などを見たり聴いたりしているうち、自然と音楽が好きになり、思春期を経て様々なジャンルの音楽に出会うようになっていきました。
大沢:僕らの世代はきっと、YMO(Yellow Magic Orchestra)の影響がすごく大きいんじゃないでしょうか。テクノミュージックの黎明期で、ゲームセンターの「スペースインベーダー」が大ブームになったり、町中で“ライディーン”(YMOの楽曲)が流れたりしているような時代ですから。ある意味、YMOは「現象」だったと思います。
大沢:自分で音楽をやるようになったきっかけは、家にあった父親のガットギター。それをチョロチョロ弾いているうちに、気がついたら年上の人たちに誘われてバンドを始めていました。担当楽器はベースで、ニューウェーブ系の音楽をやっていましたね。そこでいろんな音楽を教えてもらったんですけど、自分としては宅録をやっているほうが楽しかった。
当時はまだサンプラーなんて高額で手が届かなかったから、デジタルディレイの機能を利用して、サンプリングの真似事なんかをしていました。いろんなスタイルの音楽を、たくさん作りましたよ。今手元に残っていないのは残念ですが(笑)。
取材中、「ジャンル分けはしない」と繰り返した大沢を形成したもの
高校を卒業すると、昼間はアパレル店員として働きながら、夜はバンド活動というサイクルがしばらく続きました。いくつかのバンドをかけ持ちでやった後、ようやく自分のリーダーバンドを結成。それが後にMONDO GROSSOとなったそうです。
大沢:集まったセッションメンバーは、それまでのニューウェーブバンドと比べるとファンキーな要素が強くなっていたし、演奏の達者な人たちが多かったので、セッションでのグルーヴを重視するようなバンドへと徐々に変わっていきました。やる曲もファンクやジャズファンクなどで、それが当時盛り上がりつつあったアシッドジャズシーンに近くなっていくんです。
大沢:ただ、聴いている音楽はすごく雑多でした。ジャンルで分けて聴かないので、たとえばニューウェーブを聴いているなかでTalking Headsを知り、そこからアフリカ音楽を聴くようになってフェラ・クティに出会ったり、ジェームス・チャンスを聴いてジェームス・ブラウンに遡ったり、ニューウェーブのなかにあるラテンの要素に気づいてブラジル音楽を聴いたり……。
そもそもニューウェーブはジャンルではなくて精神性のようなもので。僕は、「ニューウェーブ」というフィルターを通していろんな音楽に出会うことができたんです。
海外での評価も「当たり前」と言い切る大沢の考え
同じ頃、KYOTO JAZZ MASSIVEを結成した沖野修也と出会った大沢さん。二人は意気投合し、様々なイベントを主催するようになります。一方、東京では松浦俊夫を中心に結成されたUnited Future Organization(UFO)が、ジャズファンクやボサノバなどを選曲したイベント『Jazzin'』を開催し、アシッドジャズシーンは東西二大勢力によって大きなムーブメントへと発展していきました。
大沢:確かに、東京への対抗心はあったし、「京都発」という意識もあったかもしれないです。ただ、ずっと京都にいるままでは何も起こらないこともわかっていた。なので、MONDO GROSSOでライブをやり始めてから、1年も経たないうちに東京を行き来するようになっていったんです。
沖野くんがMONDO GROSSOのマネージャーを買って出てくれ、そのうち様々なレーベルから声がかかるようになって。ただ、その頃のMONDO GROSSOにはフレンチアフリカンのB-BANDJというラッパーがメンバーにいたんですけど、当然ラップは英語じゃないですか。「このままの形でやらせてくれるというなら」という条件を出したところ、唯一手を挙げてくれたのが「FOR LIFE RECORDS」だったんです。
1993年、1stアルバム『MONDO GROSSO』でメジャーデビュー。作品は海外でもリリースされ高評価を獲得します。2ndアルバム『Born Free』(1995年)を発表後はヨーロッパツアーも敢行するなど、海外に視野を向けた活動が印象的でした。
大沢:当時は海外でレコーディングをしたり、ツアーに出たりしたことで、日本での評価も上がりましたし、僕らも素直に嬉しかったけど、今考えると当たり前のことかと。そもそも僕らインストバンドなので、言語の壁もないわけですから。
なんというか、考え方次第のような気がします。何でもそうですけど、「ハードルが高い」と思えば思うほど高くなっていく。でも、視野を広く持ち、遠くを見ていれば、「飛べない」と思っていたところが割とあっさり飛べることってあると思うんです。
大沢伸一が「自分の代弁者」とまで語ったbirdというシンガー
1996年以降、MONDO GROSSOは大沢さんのソロプロジェクトとなり、楽曲によって様々なアーティストを起用する「コラボレーションユニット」としての性格を強めていきます。同時に、他のアーティストへの楽曲提供やプロデュース、リミックスなどを積極的に行うようになりました。1999年には自身のレーベル「REALEYES」を設立し、第1号アーティストとしてbirdをプロデュースすることに。
大沢:他のアーティストへの楽曲提供やプロデュースに関しては、あまり意識して入っていったわけではなくて。自分のそれまでのキャリアが認められ、少しずつオファーが増えていったという感じなんです。
そんななかでも、birdやMonday満ちる、wyolicaといったアーティストたちとは、まとまった仕事をする機会も多くて、「こういう見せ方をしたらいいんじゃないか?」っていうのは的確に理解していたつもりです。なかでもbirdに関しては、自分で見つけてきたアーティストという意識が強いかもしれないですね。「自分のメッセージを伝える代弁者」とも思っていました。それだけ思い入れも強いです。
大沢:ディーヴァを見出す能力ですか? そんなのないです(笑)。たまたまなんですよ。能力というか……やっぱり僕自身の強い思い入れじゃないかな。僕の「代わりの声」みたいな思いでプロデュースしていますからね。
2003年からはMONDO GROSSOとしての活動を一旦休止し、エイベックス移籍後はSHINICHI OSAWA名義でのリリースやDJ活動を中心に行うように。海外でも精力的に活動するようになっていきます。
大沢:個人名義になってからのほうが、海外での活動に対して意識的になったかもしれないです。そういう意味では、自分のキャリアのなかでもターニングポイントでしたね。
ただ、東京に出てきたときと一緒で、「野望」みたいなものはあまりないんですよ。自分で作ったリミックスやエディットをウェブに上げたりしているうちにネットで話題になって、いろんな人からリミックスのオファーをもらうようになったり、そのうち「KITSUNE」(フランスのインディーレコードレーベル)と付き合いができたり。好きでやっていたことが、たまたま評価されたという感じ。そういう偶然がいろいろ重なったことで、海外での活動が軌道に乗り出したんですよね。
KORG「volca kick」を試奏する大沢(商品詳細)
「売れるために自分のやりたい音楽を捻じ曲げるな」
さらに、安室奈美恵、浜崎あゆみ、m-floとのコラボ、布袋寅泰、CHEMISTRYの楽曲プロデュース、小林武史とBradberry Orchestraという新ユニットを結成、最近ではアイドル私立恵比寿中学のプロデュースなど、非常に多岐にわたるジャンルの人たちとのコラボレーションを積極的に行っています。
大沢:birdのときのように「自分自身の代弁者」という意識はないですけど、自分の引き出しのなかにあるものを使うという意味では、やっていることは何も変わらないんですよ。そこは安室奈美恵ちゃんも、birdも同じ。一方でコマーシャルなことをやったつもりもなければ、もう一方でアンダーグラウンドなことをやったつもりもないです。僕がやりたい音楽をやっているだけ。
やったことの結果がたまたま「大衆音楽」、言い換えれば「ポップス」として受け入れられたというだけの話であって。だから、Massive Attackだろうが、FKA twigsだろうが、乃木坂46だろうが、大衆に受け入れられれば、ポップスだと僕は思う。そうじゃないと、話がおかしくなっていくんですよ。「曲調がポップだからポップス」ということではないと思うんですね。
背もたれに説明書をつけたままなのは、大沢のこだわりなのだとか
大沢:だからこそ、若いクリエーターに言いたいのは、「売れるために自分のやりたい音楽を捻じ曲げるな」ということ。たとえば音楽をやっていて、食えなくなっていったとき、一番好きな音楽に対する付き合い方が汚れていくくらいだったら、プロでやっていくことなんてやめたほうがいい。要は、「『芸術家』になる覚悟を持つ」ということなんですよ。仕事で受けたものに対しても、自分のラインは譲らない。だから、ときにはクライアントと揉めることもあります(笑)。
僕は「ええ格好しい」なんだと思います。大事なものを犠牲にして、お金の話をするのって格好が悪くて嫌なんですよ。もちろんお金は大事だし、生きていくために必要だし、背に腹はかえられぬときも多々あります。でも、肝心なところは絶対に譲らない。ちょっとしたミリ単位のことではあるんですよ、「あ、これは危ないな」と思うことは。そこで自分を曲げないようにしてきたからこそ、今の僕があるとも思う。妥協してしまうと、何より、リスナーにあっさり悟られるんですよ。
「個性」とは、変えようとしても消えないもの
さて、そんな大沢さんがMONDO GROSSOとして約14年ぶりに作り上げた最新アルバム『何度でも新しく生まれる』は、全曲日本語ボーカル曲。満島ひかりや齋藤飛鳥(乃木坂46)をフィーチャリングするなど、意外な人選が話題となっています。
MONDO GROSSO『何度でも新しく生まれる』ジャケット(Amazonで見る)
大沢:実は、今回の人選に関して僕からの提案はほとんどなくて。大抵はスタッフのリクエストなんですよ。というのも、MONDO GROSSOの歴史がこれだけ長くなってくると、スタッフそれぞれの思い入れも強くて(笑)。今回は、そういう提案やリクエストを全て受け入れるというところから始めてみたんです。
そういうやり方をして思ったのですが、結局、「個性」みたいなものって残そうとして残るものではなく、むしろ変えようとしても消えないもの、変わらないものなのだと思うんです。「ボーカリストのセレクトなんて、最も大事な部分を人任せにしてしまって、『MONDO GROSSOらしさ』なんて残っているのだろうか?」と思う方もいるかもしれない。でも、それでも消えないものがあるのだとしたら、それが僕の個性だと思うし、本作にもそれはちゃんとあると思っています。
さらに『FUJI ROCK FESTIVAL '17』への参加も決定したMONDO GROSSO。本作の世界観を、苗場でどう再現するのでしょうか。
大沢:どういうセットにするかまだ何も決めてないんですよ……ライブならではの醍醐味を出すとなると、アルバムをそのまま再現するわけにはいかないじゃないですか。まさかゲストボーカル全員を苗場に呼ぶわけにはいかないし(笑)。同期なども含めたバンド編成にはなると思いますけどね。どういう仕組みで、どんなふうに音を出すのかこれから考えなければ。とにかく、無事に終わることを祈っています(笑)。
プライベートスタジオで大沢ワークスの秘密を垣間見せる
都内某所にある大沢さんのプライベートスタジオ。今からおよそ10年前に設立し、以来、作詞作曲アレンジはもちろん、レコーディングからミックスダウンまでほぼ全ての作業をここで行なっているそうです。ゲストボーカリストを呼んで、仮歌や本テイクのレコーディングを行うのはもちろん、ときには弦楽器を録ることも。今作『何度でも新しく生まれる』に収録された“ラビリンス”のストリングスも、このスタジオで録ったそうです。
お気に入りの機材1:KORG「MS-20 Kit」
KORG「MS-20 Kit」(現行ラインナップ)
アナログシンセの音色が大好きだという大沢さん。1980年代にはオリジナルのMS-20を所有していたそうです。手放したのは随分前で、「そろそろ買い直そうかな」と思っていたタイミングでMS-20 Kitが発売されたため、すぐに購入を決めました。
大沢:当初はライブで使おうと思って買ったんですけど、今そのバンドは休止しているので、最近はちょっとご無沙汰です。使い方としては、そんなに複雑な音を出すのではなく基本的な音色が多い。
セミモジュラーなので、パッチングでいろいろできるんですけど僕はシンプルにオシレーターを1つか2つ使って、ノイズを足したりすることが多いかな。アブストラクトな音色を出せるところも気に入っていますね。モノシンセなので、何をどう操作しても間違いにならない。そこがモノシンセの強みではないでしょうか。
お気に入りの機材2:Ableton Live
大沢さんのスタジオの中枢がこのDAWソフト。以前は実機のシーケンサーとドラムマシン、サンプラーでトラックを作っていましたが、DAWシステムに移行してから10年以上経った今も、ずっとLiveを使い続けています。
大沢:Ableton Liveは「アクシデントが起きやすい」という点が気に入っています。長く音楽をやっていると、自分で思いついたことなんて、音楽を作るうえでごく限られた可能性でしかないというところに行き着くんです。いろんな可能性を試して、偶然生まれたものも採用していかないと広がっていかない。
他のDAWは、頭のなかで鳴っている音を再現しやすい。でもLiveは、開発者が意図したのかどうかは別として、自分ではイメージしていなかった音、予想もしていなかった音が生まれるんです。そこを僕は評価しているんですよね。
お気に入りの機材3:Fender「Telecaster Bass」
90年代にロンドンで購入したFenderのテレキャスターベース。実は、大沢さんは楽器に対するこだわりがほとんどなく、MONDO GROSSOの楽曲で使用されたエレキベースはほとんどこれなのだとか。
大沢:もちろん、楽器にこだわるというのも1つの考え方だと思うし、徹底的にこだわるのも、それはそれで素晴らしいと思う。でも僕自身は、「素材があれば、どうにでも加工できる」っていう考え方なんですよね。少なくとも、「素材の良さをそのまま活かしたサウンド」っていうやり方ではないので。だから、ギターもベースももう10年くらい同じものをずっと使っています。
お気に入りの機材4:Epiphone「Emperor J」
楽器や機材に対して特別なこだわりを持たないという大沢さん。こちらのフルアコースティックギターも、偶然見つけて安価で手に入れたそうです。
大沢:もう20年前ですかね、何かの用事で福生に遊びに行ったとき、たまたま立ち寄った中古家具屋に売っていたギターなんですよ(笑)。米軍の払い下げの品がたくさんあって、そのなかに混じっていたのだと思います。3万円くらいだったかな。これを買ってから、ずっと使い続けています。
アコギのようなキレイな音から、歪んだハードなサウンドまで、『The One』(2007年に発表された大沢伸一名義の1作目)の“Star Guitar”とか“Our Song”もそう。もちろん、今作のギターも全てこれを弾いています。
楽器や機材にこだわらず、作品のなかに偶然性やアクシデントを積極的に取り入れ、人選をスタッフ任せにしても、大沢さんらしさやMONDO GROSSOらしさはなくならず、「むしろ、恐ろしいまでの『自分らしさ』が出てしまう」と話してくれた大沢さん。
「自分の考えているところよりもとんでもなく遠いところから始めないと、可能性って広がらないでしょう」。そう言い切れるのは、揺るがない自信があるからではないでしょうか。これからもきっと、我々の予想をあっさりと裏切るような作品を作ってくれることでしょう。
- リリース情報
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- MONDO GROSSO
『何度でも新しく生まれる』(CD+DVD) -
2017年6月7日(水)発売
価格:3,564円(税込)
CTCR-40387/B[CD]
1. TIME
2. 春はトワに目覚める(Ver.2)
3. ラビリンス(Album Mix)
4. 迷子のアストゥルナウタ
5. 惑星タントラ
6. SOLITARY
7. ERASER
8. SEE YOU AGAIN
9. late night blue
10. GOLD
11. 応答せよ
[DVD]
・ラビリンス
・惑星タントラ
・SEE YOU AGAIN
・TIME
- MONDO GROSSO
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- MONDO GROSSO
『何度でも新しく生まれる』(CD) -
2017年6月7日(水)発売
価格:3,024円(税込)
CTCR-403881. TIME
2. 春はトワに目覚める(Ver.2)
3. ラビリンス(Album Mix)
4. 迷子のアストゥルナウタ
5. 惑星タントラ
6. SOLITARY
7. ERASER
8. SEE YOU AGAIN
9. late night blue
10. GOLD
11. 応答せよ
- MONDO GROSSO
- プロフィール
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- 大沢伸一 (おおさわ しんいち)
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1993年のデビュー以来、MONDO GROSSO、ソロ活動を通じて、革新的な作品をリリースし続けている音楽家、DJ、プロデューサー。1990年代はUA、Chara、birdなど数多くのディーヴァを手掛け、近年も安室奈美恵、JUJU、AFTERSHOOLなどにそれぞれの新境地となるようなプロデュース楽曲を提供している。また、トヨタ・オーリスやユニクロなど多数のCM音楽を手掛けるほか、アナログレコードに特化したミュージックバーをプロデュースするなど音楽を主軸として多方面に活躍。2017年6月、MONDO GROSSOとしての14年ぶりのアルバム『何度でも新しく生まれる』を発表した。
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