- プロフィール
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- 中 東生
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在外ジャーナリスト協会会員。東京芸術大学卒業後、ロータリー奨学生として渡欧。ヴェルディ音楽院、チューリッヒ音楽大学大学院、スイスオペラスタジオを経て、スイス連邦認定オペラ歌手の資格を取得。その後、声域の変化によりオペラ歌手廃業。女性誌編集部に10年間関わった経験を生かし、イタリア、スイスの環境政策に関する記事の伊文和訳、独文和訳を月刊誌に2年間掲載しながらジャーナリズムを学んだ後、現在は音楽専門誌、HP、コンサートプログラムを中心に複数のWEBマガジンにも寄稿。欧州からの文化、社会問題に関わる情報発信と共に、日欧文化交流に尽力すべく、数々のプロジェクトにも携わっている。
欧州在住のライター・編集者陣が、各都市で活躍する在住日本人・現地クリエイターの「ワークスタイル」「クリエイティブのノウハウ」をお伝えします。日本人とは異なる彼らの「はたらく」ことに対する価値観、仕事術が、あなたの仕事のインスピレーションソースになるかもしれない!?
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「クリエイティブ」という言葉は禁句
スイスは四国ほどの面積に4つの異なる言語圏が存在する特殊な国だ。この国で活躍するクリエイターの目指す方向には、「グローバル化が進む現代で勝ち残れるクリエイターの条件」が示唆されていると言えるかもしれない。
スイス経済の中心地であるチューリッヒの核となるベルビュー広場。そこに面するビル、ベルビューハウスの5階に居を構えるのが、広告代理店 Dr.Marc RutschmannAG(株式会社)。柔らかな日差しの取り入れ方と、チューリッヒ湖やアルプスまでも眺められる展望が来客を優しく迎えてくれる、居心地のよい事務所だ。スイス2大スーパーマーケットの1つであるCoopや、同国最大手の通信事業者Swisscom、日本でもお馴染みのUnilever(ユニリーヴァ)やNiveaのスイス支社など、スイス経済界のリーダー的存在のマーケティング戦略が、まさかここで生み出されているとは感じさせない温かさ。広告代理店特有の「とんがった」モダンさは皆無だ。
それもそのはず、社長のマルク・ルッチマン氏は「一般に浸透しているマーケティング概念はもう古い」という。
「広告業界といえば、長髪を後ろで結ぶヘアスタイルにモードな服装で、他とは違った風貌を売りにする人種が、流行のバーにたむろって、クリエイティブぶるような時代は過去のものです。私の事務所では『クリエイティブ』という言葉は禁句です(笑)。それは『他とは違ったもの』がクリエイティブと見做される傾向があるからです。目新しい広告が消費者の購買意欲をかきたてるという理論は現在では成り立たず、よりコミュニケーション力を持ったものが必要とされているのです。消費者が『この広告は何を言いたいのか』と考える必要のある『クリエイティブ』なものは、時代遅れです。そんな時間は現代の消費者にはないのです。それよりも、苦労せずに解るものが好まれます。」
その持論は、 全世界にグローバルな広告が発信される状況と、その中に吸収されることをよしとしないスイスの広告市場でどのようにローカライズさせるかという課題に直面した末の解決法なのかもしれない。
「現在、 最先端をいく多くの広告はNYやサンフランシスコから発信されています。残りの少数派には東京発のものもあるでしょう。ドイツで言えばハンブルグですし、それらが世界中を制覇しているような構造があります。スイスのような小さな市場で広告を担う場合、それは輸入元が顧客になることが多いわけですが、そのような構造の中で、スイスの消費者の購買欲を刺激するにはどのような戦略が必要か。そこで編み上げたのが『コミュニケーション・アクション・ドライブ』というメソッドです。イメージCMは今や意味のないことで、必要なのはダイレクトマーケティングのみだと思っています。」
このメソッドは日本の特許庁に商標登録もされている。
オーディエンスを知る頭脳派の技術
それは例えば次のように展開される。スーパーでコカ・コーラを買った女性に声をかけ、なぜコーラを買ったかについて調査したいと申し込む。後日再会した女性に、「なぜ」という質問をなるべくせず、購買という行為に至るまでの過程をなるべく詳細に思い出してもらうような刺激を与える。ここで特に効果的なのは「どこで」という状況説明だという。「コーラを買おうと思い立ったのはどこでしたか?」と振ると、多くの人は目線が右斜め上に泳ぐのだそうだ。これは、過去を思い出し始めた証拠。その過去の中には1回ではなく、数回「コーラを買おう」という刺激を受けているはずで、それらを思い出してもらううち、若い頃の嗜好まで遡り、2、3歳の頃の思い出にまで到達することもあるという。微笑みを浮かべながら、幼児期の事を語り始めたりするケースもある。
そしてどこで、コーラに関する良い思い出を得て、またどこで苦い思いをしたのか、といったケースが浮かび上がってくる。それを一本の線で表にし、その線を増やしていくことで、購買につながる刺激を意図的に創り出すことができ、同じような状況を作り出すことによって、消費者にその商品を購入させることができるという。これはルッチマン氏が編み出したKaufprozessforschung(購買に至る過程調査)である。
その他、ある広告を見る時の視線の動きを記録する機械も駆使するという。
このメソッドは、ルッチマン氏の経験に基づいているという。高校生の頃から既に経済の道に進みたいという気持ちを固めていた彼は、チューリッヒ郊外の家から出て生活してみたいと考え、チューリッヒ大学ではなく、経済学が有名なザンクトガレン大学経済学部で学ぶ。卒業後、自分の広告代理店を興す基礎を作りながら、最初に就職したのがスイスミシンメーカーの最大手ベルニナだった。
「自分の事務所から店舗の入り口を毎日見ていると、ショーウィンドウを覗いていく人達はいても、なかなか中に入る勇気がないようでした。。しかし、一度入ってくれると、その場で2000フランほどの現金をポンと出し、ミシンを買ってくれるお客様も少なからずいることに驚きました。そこで、その敷居の高さを取り払うため、誰もが参加できる『ボタン穴のかかり縫い競走』を企画し、優勝者には金の卵を進呈すると謳って、不特定多数の潜在客を店に引き入れることに成功しました。そして、自社のミシンに直接触ってもらうことで、その良さを実感してもらい、購入に結び付けたのです。」
この体験から得たルッチマン氏のポリシーが前述の通り、「成功する広告はクリエイティブなものではない。消費者に好かれ、評判を得なさい。そしてフォーカスを絞って才気溢れるアイディアを注ぎなさい。必要なのはクリエイティブであることではなく、脳みそだ」ということなのだ。それがなければスイス広告界の首都チューリッヒでナンバーワンを誇る広告代理店を続けていくことは到底できないという。
グローバル広告制作の現場で大切なこと
単一言語の日本人には想像するのも難しいが、多言語国家に生まれ育った彼にとって、多言語を想定した広告を作らなければならないということは、どのようなプレッシャーがあるのだろうか。
「私達の仕事において、言語の翻訳は日常的な事柄であり、とりたてて意識することはありません。コンセプトを考える時は、チューリッヒの言語であるドイツ語で考え、それを全てフランス語に、一部を除いてはイタリア語にも翻訳します。それをフランス語圏、イタリア語圏に送り、顧客がチェックするというスタンスで問題はありません。唯一考えなければならないのはグラフィックの視点です。ドイツ語に比べてイタリア語は多少長くなり、フランス語はそれより長く、20〜25%ほども行数が増えるので、それを考慮してスペースを取り置いたり、全く違う言葉でも長さが同じような別の言葉に置き換えたりします。
このように、同じスイスでありながら別の言語圏と仕事するよりも、同じドイツ語を使う異国のドイツやオーストリアと仕事する方が同じ感覚で楽に共同作業が出来ることは確かです。もちろん、スイス方言を母国語とする私達のドイツ語を、標準ドイツ語に直して作った文章で違和感がないか、ドイツ人にチェックしてもらうことは欠かしません。そのほか、その国の背景にある歴史から、コンセプトを微調整することはあります。
例えば、スイスでは『何名様に何が当たる!』といった広告を出し、『応募』という行動を引き出すことがあります。しかしドイツではそれが効きません。『どうせ当たらない』と思うようなので、ドイツ人を惹き付けるには『無料贈呈』という見せ方に替えたりします。それでも同国の別言語圏より、異国の同言語国の方が広告を作り易いのは事実です。」
一流広告マンのマインドフルネス習慣
ルッチマン氏のメソッドは少年の頃から読み漁った多くの書物から編み上げたものでもある。現在は広告、マーケティングの本は古すぎて読む価値がないという。若い頃から興味を持っていた動物生態学や心理学、行動生物学などに加え、最近富みに興味深い分野が神経生物学だという。それらのカテゴリーで信頼のおける本を読みながら自身のセオリーに磨きをかけ、そのセオリーを広めていけるよう執筆にも精を出している。現在3冊の著書があるが、2冊目の『Abschied vom Branding』は英訳もされている(End of Branding)。新聞への寄稿もこなし、ドイツの新聞社からも取材され注目を浴びている。
週5日のオフィスワークの他、日曜日は執筆の日と決め1日中机に向かうこともあるという。そしてこのメソッドを若者にも広めるため、ザンクトガレン大学経済学部修士課程で週4時間教鞭も執っている。このカリキュラムは10年間学部での講義だったが、受講希望者が多過ぎるため5年前から修士課程限定となった。各企業のトップ達にも非常に注目されるメソッドとなり、行く末は講演会などでより周知させたいという。
趣味は金曜日の定期会員券を2種類も契約しているオペラ観劇と、運動不足を感じた時にはチューリッヒ湖水浴やジョギング、自宅での機械運動で体を鍛えること。そうすることで脳がリラックスし、また研ぎすまされて、新たなアイディアが浮かんでくるのだという。これこそ、自然との共存を果たしているスイスでの、進化したインテリジェントなクリエイターの姿であろう。
(編集:岡徳之)
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