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DENIM NINJAがファレルの目に止まるまで
日本人のデニムアーティストがオランダの首都アムステルダムにいる。彼の名は大橋俊之(しゅんじ)さん。現地で自らの会社「StudiOHA」を立ち上げ、フリーランスアーティスト「OHA」としても活動。さらに並行して、オランダのデニムブランド「G-STAR RAW」とも契約を結び、「DENIM NINJA(デニム忍者)」として働いている。
G-STAR RAWは近年、さまざまな文脈から世界的な注目を集めているデニムブランドである。最新の動向としては2016年2月、歌手、作曲家、プロデューサーと音楽にまつわる才能で知られる「ファレル・ウィリアムス」が共同オーナーに就任。彼は、実はファッション・アイコンでもあるのだ。デザインやプロモーションだけでなく、企業戦略にも携わっているという。
そんなファレルの共同オーナー就任案が浮上すると同時に、G-STAR RAWからの依頼で契約を結び、ファレルとの新しいデニムプロジェクトを「DENIM NINJA(デニム忍者)」としてまかされているのが、大橋さん。まさにプロジェクトを影から支える、“忍(しのび)” である。
ファレルと大橋さんがやりとりする一コマ、アムステルダムにあるG-STAR RAW本社の大橋さんのアトリエでのこと。アメリカのマイアミからフラッと訪れ、なぜか本社の中を自転車で走りまわって、そのアトリエへ。
「Hi! DENIM NINJA! いつもデニムをありがとう。愛用させてもらってるよ」
「いえいえ、どういたしまして。ところで、今日はなんで屋内で自転車に乗ってるの?」
「いや、だって、アムステルダムといえば自転車でしょう(笑)?」
「だよね(笑)。」
「彼とはこんなやりとりをいつも楽しんでいますよ」 と、大橋さんは笑いながら言う。
大橋さんは元々、ロンドン芸術大学の「Cordwainers」で靴の勉強をしていた。あのJimmy Chooも輩出した靴の名門校である。
大学を卒業し、「さあ、シューズデザイナーとして一歩踏み出すぞ」というとき、早くも苦境は訪れた。靴に関わる仕事を現地で探したが希望の職がなかなか見つからない。ヨーロッパ各地へ就職活動の範囲を広げようとバックパックを背負って就活旅行へ。しかし、その途中で事件は起きた。強盗からの恐喝に遭い、パスポートや学生ビザを含む持ち物すべてを盗まれ、日本に帰国せざるを得なくなってしまったのだ。
奇しくも、この帰国が大橋さんと「デニム」とを巡り合わせた。日本に帰国後、モノづくり業界で職探しをし、岡山県倉敷市児島が拠点のデニムブランド「KAPITAL」に就職。倉敷市児島と言えば、「デニムの聖地」。そこで「デニム」の面白さに気づき、日本のモノづくりの奥深さや職人たちの魂に触れたことが、海外への再挑戦の契機となった。
「世界のデザイナーに『デニムと言えばKOJIMA, KURASHIKI』と言われる倉敷市児島で7年間働いたことで、自分の中に眠っていた『日本の魅力を海外へ。そして、海外から日本への逆輸入』という熱が高まってきたんです。」
また同時期にアート関係の友人からの誘いで、オランダのデニム関係者と知り合い、デニムアーティスト「OHA」としてアムステルダムのデニムイベント「Amsterdam Denim Days」に招待される。すると、いろんな人から声をかけられるなど大きな手応えがあった。
イベントで確かな手応えを感じた大橋さんは、「DENIM NINJA」をキャッチコピーに2015年に渡蘭。ちなみに、「NINJA」は英語では「その道のエキスパート」の意。日本のデニムのスペシャリスト「DENIM NINJA」がG-STAR RAWの目に止まった。
イノベーションの国、オランダに根づく「とりあえず精神」
そんな大橋さんに「仕事観」について聞くと、オランダでもっとも刺激を受けたのは、この国の「とりあえずやってみる精神」だという。たしかに、オランダは不確実性に対する柔軟性が高く、同性婚、安楽死、大麻、売春・ドラッグ規制、ワークシェアリングなど、実験的な姿勢が社会に反映されている。
「今思うとオランダに来ることを決めたのも、僕がこの “とりあえず精神” と似たものを持っていたからなのかもしれませんね。G-STAR RAWは特にイノベーション力が強くて。『デニムはあくまでも生地、つまりマテリアル、材料。いろんなパターン、シルエットをデニムという無限の可能性があるマテリアルを使って表現しよう』という、何かと何か別のモノと組み合わせるハイブリッドイノベーションの発想が面白いですよ。『宇宙服とか作れないかな? 別に服じゃなくてもいいよね?』的な。実際にアートを作ってますし、建築の部署だってある。この会社は『服の会社』ではなく、デニムアートの会社っていうんですかね。だから、なんか面白そうなコラボレーションができそうって思って、一緒に仕事を始めたんです。」
そうした、一見突拍子もないアイデアはフラットな “会議” からも生まれる。会議と言っても、何気なくお茶をしているときに、「この前のデザインの話なんだけど」と突然話を振られ、そこで “適当” に話していたことが、後日、いきなり大きな会議で決まったりもするそうだ。
「『その場で生まれる』みたいなものを大切にする感じがします。日本は、直感で感じたものは不確かなものとし、時間をかけてそれが確かなものになるまで研究を重ねる。文化、国民性の違いだと思います。でも、真逆のタイプ同士が集まることも面白いと思いますね。オランダでももちろんプレゼンはあるけど、基本はみんなでブレインストーミング。社長もインターンの子も同じテーブルを囲んで、『はい、このデザインについてどう思う?』って始まる。そこに上下関係みたいなものは、一切ないです。あとオランダの文化は、日本語で言うところの『歯に衣を着せぬ物言い』の文化です。かなりの直球勝負。僕はそのダイレクトな物言いが好きです。たまに傷つくこともありますけど、お互いがはっきりとモノを言い合える関係って後腐れがなくていい。『好きか嫌いか』だけですからね。そして、とにかく話しまくりますね。お互い納得がいくまで。」
なぜオランダには、その「とりあえず精神」が根づいているのだろうか。
「オランダってデニム発祥の地でもないんですよ。フランスみたいにファッションに関するルーツも特にない。『オランダがデニム?なんで(笑)?』と言われてしまうほど。ストーリーがないとダメだと思いますけど、でもとりあえずやって、ストーリーもくっつけようとする姿勢、0から生み出すパワーはすごいですよ。そして、なんでもトライしてみようという精神ですね。」
どうしてオランダはそうなったのか。
「悪い風に言うつもりはないけど、オランダって正直取り柄がないんです。オランダ語は世界共通語でもないし、国土も大きくないので、資源も少ない。人口が多いわけでもない。だから、海外とビジネスをするしかなかった。それで、貿易マインドが育まれて、英語も上手い。新しいものを取り入れようとするときに恐れがないんでしょうね。」
恐れず、新しいものを取り入れようとする。だから、G-STAR RAWも大橋さんのような「デニム忍者」としての感性を欲しがり、受け入れられたのかもしれない。
「日本が嫌で海外に出るんじゃない、日本に染まれば染まるほどいい」
大橋さんいわく、クリエイターとして海外で活躍する上では「ジャパンスコープ」が武器になると言う。「日本人ならではの視点」を指すが、それはどのような見方だろうか。
日本人はディテールにこだわりたくなる職人気質だそうだ。会議にしても意思決定のプロセスを大切にし、綿密に準備をする。『そういう日本の文化が肌に合わなくて』と海外に飛び出す人もいるが、大橋さんは、「ちゃんとジャパンスコープを持ってないとダメだと思う」と言い切る。
「『日本ってめんどくさいから、海外ではそんなスコープかけない』とかなっちゃいけない。その視点を持っていると意外と重宝するんです。むしろ、それを持っていなかったら、海外へ行っても意味がないですね。自分の強みを知って、しっかりと売り込める人が海外でも楽しく活動できるんじゃないですかね?」
しかし、日本のクリエイティブ、特にアートやファッション業界にいる若い人の間では、その貴重な感性が失われつつあるという。
「今って世界のいろんなものがかなり早いスピードで流行って、廃れて、その繰り返し。日本人でもみんなが『ヨーロッパスコープ』や『アメリカスコープ』なんかをかけているような状況じゃないですか。」
それを象徴するエピソードを教えてくれた。
「『FRUiTS』(1996年創刊、昨年末に発刊終了)の創刊編集長で、ファッションスナップの権威であるフォトグラファーの青木正一さんが、『もう原宿に面白い人いなくなったからストリートスナップやめるわ』と。昔は街に『青木待ち』みたいな若者がたくさんいたのに。実は僕も昔、ロンドンに住んでいるころに『STREET』のフォトグラファーとして青木さんのところでお世話になっていたんです。青木さんのその言葉を聞くと、感慨深いですね。」
そこで大橋さんが注目しているのが『地方』だ。例えば、デニムなら岡山県の倉敷市児島、メガネなら福井県の鯖江市というように、特色ある職人がたくさんいて、日本に一時帰国した際には各地をまわり、そこでインスピレーションを湧かせる。クリエイターは日本にいるうちに、いろんな「良いモノ」に触れるべきだと。
「今は『地方』が面白いですね。ワクワクします。いろんなものが眠っていますよね。地方を訪れるのは、ジャパンスコープを探す旅でもあります。それが楽しいんですよね。次の旅はどこに行こうかなあ。」
地方と言えば、大橋さんは福島県で生まれ育った。東日本大震災が発生したときはちょうど児島に住んでいて、震災のことは仕事中にラジオで知った。「今でもあのときのことは鮮明に覚えています。家族や友人たちが被災しました。忘れたくない。忘れてはいけない。。東日本大震災を風化させてはいけない」という思いが強いと言う。だからこそ、いまヨーロッパで活動しているのだとも。
「今後は、福島とも一緒にプロジェクトをやっていきたいんですよね。やっぱり風評被害があって、福島の人たちも大変な思いをして、元通りの生活をしようとして、一生懸命に生きているんですよ。自分たちに何ができるだろうかーー自分なりに考えて、行動に移すことが復興への一歩につながる。僕の将来の目標の一つは、『福島と世界をつなぐ、大きな架け橋』になることなんです。苗字が『大橋』だけにね(笑)。」
と、冗談を交えながらも、その目は真剣だった。
[取材・文] 岡徳之(Livit)
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