第8回:世界最先端の電子国家「エストニア」に移住して、がらっと変わった仕事観

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岡徳之
岡徳之

編集者・ライター。株式会社Livit代表。慶應義塾大学経済学部を卒業後、PR会社に入社。2011年に独立し、ライターとしてのキャリアを歩み始める。得意分野は、ビジネス、テクノロジー、クリエイティブ、企業のオウンドメディアの企画制作にも従事。2013年にシンガポール、2015年にオランダへと拠点を拡大。現在はオランダを拠点に、欧州・アジア各国をまわりながらLivitの運営とコンテンツの企画制作を行う。これまで「東洋経済オンライン」や「NewsPicks」など有力メディア30媒体以上を担当。

欧州在住のライター・編集者陣が、各都市で活躍する在住日本人・現地クリエイターの「ワークスタイル」「クリエイティブのノウハウ」をお伝えします。日本人とは異なる彼らの「はたらく」ことに対する価値観、仕事術が、あなたの仕事のインスピレーションソースになるかもしれない!?

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世界最先端の電子国家で、起業家精神が欧州一旺盛な国でもある「エストニア」。海外で働きたいクリエイターなら、一度はこの国の名を聞いたことがあるかもしれない。

しかし、現地でしか感じられないダイナミズムや、電子国家での暮らしが人びとのマインドセットに与える影響について、これまでメディアを通して多くは語られてこなかった。

そこで今回は、翻訳家・ブロガーとして現地で活躍する大津陽子さんに、エストニアでの暮らしと、日々変化し続けるこの国の姿勢に感化されて変化した仕事観について話を聞いた。

国そのものがまるで「スタートアップ」

大津さんが暮らすエストニアは、国そのものが「デジタル・ネイティブ」。旧ソビエト連邦から独立した1991年には、すでにこの世にインターネットが存在していたのだ。

そんな国の成り立ちから、この国のリーダーたちは「インターネット・ベース」で国の設計図を描き、結果、世界最先端の電子国家、未来型国家と形容されるに至った。

ブロックチェーンなどの技術を駆使し、全行政サービスのうち99%が電子化済みでオンラインだけで完結する。紙の手続きが必要なのは「結婚、離婚、不動産の取引」のみ。

こうした先進的な取り組みに惹かれてエストニアへの移住を決断した大津さんだが、もう一つ特筆すべき電子国家ならではの取り組みがある。

それが、外国人の起業家を電子居住者として誘致する「e-レジデント」制度。2014年に開始され、エストニアが電子国家として外国で知られるきっかけを作った。

エストニアのIDカードサンプル

エストニアのIDカードサンプル

日本人もその対象で、エストニアを一度も訪れることなく起業に必要な手続きをすべて行える。場所問わず働ける「ロケーション・インディペンデント」な人たちにとっては有効な起業の手段だ。

そんな電子国家エストニアならではのダイナミズムを、大津さんは現地で暮らす中で、肌で感じているという。

「『e-レジデント』にしてもそうですが、エストニア政府は審議や法整備を長い期間かけて行うのではなく、革新的なことはまずはとにかくやってみようという姿勢です。トップダウンとトライアンドエラーで進化する姿はまるで『スタートアップ』のようです。」

起業と就職が同列、成熟した起業カルチャー

これだけテクノロジーに寛容で合理的に使いこなそうとするエストニアは、過去にはあの「Skype」を生み出した。

今年は世界経済フォーラムに「最も起業家精神が旺盛な国」として選出されたのだが、大津さんも成熟した起業文化を、コワーキングスペースや地元の大学などで感じるという。

例えば、どのコワーキングスペースでも毎週のようにハッカソンやネットワーキングのイベントが開催されており、開催後はSNSなどを利用し継続的に参加者がお互いにフォローし合ったりしている。

エストニア最大級のテックカンファレンス「Latitude59」の一場面

エストニア最大級のテックカンファレンス「Latitude59」の一場面

他にも、大学の掲示板にもハッカソンの告知ポスターなどが貼られ、大学の学部生や10代の若者であっても海外の起業家とコラボレーションできる機会はめずらしくない。

「わざわざ他の国にまで足を伸ばしてテックカンファレンスに参加する人も大勢おり、そうした環境が起業カルチャーの基盤となって、今ではエストニアの若者にとって、卒業後の選択肢としての「起業」の存在感は大きなものとなっていると言えます。」

日本人と似たエストニア人の「国民性」が住み心地を良くする

北欧で冬はたしかに暗く寒いのだが、寒さを避けて欧州の他の国へLCCや長距離バス、列車を使って移動することもその気になれば容易く、夏は爽やかで半袖で過ごせるけれど日本のように蒸し暑くないという気候も気に入っているそうだ。

国民性も日本人にとって暮らしやすいのではないかという。エストニア人は謙虚で自虐的だそう(笑)。移民である自分たち夫婦に対しても「なんでこんな寒くて暗い国にわざわざ来たの」と言って、自国の自慢をするようなことはあまりないのだとか。初対面ではシャイだが親切で、行列でもきちんと並び、道路や公共交通機関を清潔に保つエストニア人。たしかに日本人と似ているかもしれない。

ちなみにエストニアは過去にWHOに「世界一空気がきれいな国」としても認められた。日本だとPM2.5や光化学スモッグのリスクも地域によってはあるが、家族での移住者にとっても安心だ。

「エストニアはプログラミングが義務教育に組み込まれていて、基本教育レベルランキングでヨーロッパ一位になったこともあります。若者の英語力が非英語圏では北欧諸国に並ぶレベルと、英語教育にも定評があり、大学の学費も国民は無料、外国人であっても日本と比較すると低めです。子どもの教育という観点でも、エストニアは日本人にとって良い選択肢だと思います。」

現地就職では賃金に要注意。ただし、エンジニア職は「例外」

エストニアへの移住を検討する際、注意したいのは「自分がどの立場で行くか」だそう。起業家あるいはフリーランス、専門職としていくのか、それとも現地企業に就職するのかで金銭面で差が生まれるからだ。

後者の場合、エストニアの平均賃金はおよそ1200〜1300ユーロ。家賃はおよそ東京の半額とその分リビングコストも安く生活には困らないが、まとまった貯金ができるほどの余裕はないだろう。

エストニアのスーパーマーケット。食材の価格も基本的には日本の3分の1程度と安い

エストニアのスーパーマーケット。食材の価格も基本的には日本の3分の1程度と安い

エストニアらしく、エンジニア職は例外。ある程度経験があれば日本の水準に近い給与も期待できる。必要な就労ビザもおりやすい。大津さんの周囲でも、多国籍なエンジニアが活躍している。

「エストニアは法人税も個人所得税も一律20%。日本は累進課税ですから、所得の低い人は日本の方が税金が安いということもあり得ます。これも注意ですね。」

将来は軸足をより海外へ、「日本への依存度」を下げていきたい

大津さんはエストニアの情報をブログで積極的に発信し、進出や移住に関心のある日本人をサポートしている。そんな彼女に「将来」について尋ねたところ、デジタル・ノマドらしい仕事観を聞けた。

まず、「日本への依存度」を下げていきたいという。これまで、そして今現在身を置いている「日本式」の意思決定の在り方、仕事の仕方から、よりスピーディで効率の高い方法に対応できるよう、働き方をシフトしていきたいのだそう。

また、日本でこれまで携わっていたリハビリテーション医療に関連した活動をやりたい想いはありつつも、ビジネスとしての構想が大きくなりすぎ、自分にとって時間・場所・スケジュールの制約が増えることは避けたいという。

エストニアで自身の仕事観に訪れた大きな変化

大津さんは1年前、マルタ、アメリカ、ポルトガルなども移住先候補として挙がる中、エストニアを選んだ。WEBマーケターであるフランス人の旦那さんと東京から首都タリンに引っ越してきたのだ。

実際に住んでみて、時代の変化に対応し続けるエストニアの姿勢に、大津さん自身とても刺激を受けていると言う。

1991年に独立を果たした新しい国であるエストニアは、効率を重視し、過去にとらわれることなく、未来に向かって前向きに挑戦し続けることで、旧ソ連構成国の一つから世界で最も進んだ電子国家といわれるまでの成長を遂げた。

電子政府の担当者は「われわれがテクノロジーの進化を牽引しているのではなく、むしろわれわれの側がテクノロジーの急速な発展についていけるよう、スピード感をもってさまざまな施策を推進している」のだと語る。

新しいアイデアを実行することに対し、リスクへの過大な懸念、そして利害関係の調整のために長い議論を行うことよりも、まずは挑戦することによる変化、そして成長を重視したスピード感あふれるエストニアの姿勢は、国家だけでなく個人の仕事観のレベルでも学ぶことが多いのではないかと感じている。

自身の仕事観に訪れた大きな変化が、「今は長期的なビジョンがこれまでほど有用とは言えない時代ではないのか」と気づいたことだと話す。

「時代とテクノロジーの激しい変化に合わせて日々柔軟に変わり続けることで人々を惹きつけようとするエストニアで暮らしていると、そう思いますね。」

長期的なビジョンに基づいて、全力投球で打ち込める仕事を見つけることが幸せという風潮を感じるけれど、この変化の激しい時代に果たして長期的なビジョンがどこまで通用するのかどうか、疑問を感じるという。

事実、国際結婚であるものの、結婚当初は日本に長期的に住む計画を立てており、1991年の旧ソ連からの独立回復後、IT先進国として急速に発展しているエストニアのことを知るまでは、まさか日本人とフランス人である自分たち夫婦がどちらの母国でもないエストニアに移住するだなんて考えもしなかった。

しかし、近年のテクノロジーの急速な進化、国際・国内情勢の変動など外部環境の変化に加えて、自分や家族の状況も刻々と変化するという不確定要素が多い中で、一度立てた長期的なビジョンに固執することがはたして最善と言えるのだろうか、と感じたという。

曖昧な未来からブレイクダウンされた計画としての今を過ごすよりも、フレキシブルに今この瞬間を楽しんだほうがよい。これが、大津さんが現時点で行き着いた仕事観だ。

「先のことを決めすぎると、たとえある日突然、目の前にエストニアに行けるという機会が現れても、身動きが取れずそれに反応できないですよね。」

漠然とした将来のイメージと自分を変化させられる柔軟性

長期的なビジョンを描けないことで、焦りや葛藤を感じてしまう気持ちは分かる。若い人ならなおさら仕方がないかもしれない。

エストニア中心部にある旧市街地

エストニア中心部にある旧市街地

しかし、焦りを感じている人は、自分を少なからず他人と比べてしまっているとも言える。それでは自分の幸福感を損ねてしまい、メンタルにとってそれこそ長期的には良くはない。

それに、たとえ長期的なビジョンを持っている人でも、結局上手くいくか、いかないかは日々の行動の積み重ねでしかない。

にも関わらず、「あの人はあんな大きなビジョンを描けてうらやましい」と、自分と他人とを比べてストレスを溜め込んでも、もっとも大切な日々の行動に支障をきたすだけだ。

「だったら、今できることに集中して『人事を尽くして天命を待つ』のが大事だと思います。」

未来のアウトラインを描きつつも、時代・環境の変化に合わせて自身を柔軟にスピード感を持って変化させていくーー。大津さんは、そんな今らしい仕事観をエストニアから学んでいる。

[取材・文]岡徳之(Livit



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