第2回:奇跡の創作ラーメンと寺山修司の巻

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住 正徳
住 正徳

神奈川県横浜市出身。執筆 / デザイン / 映像制作。月刊誌「ソトコト」でのオリジナル小説の連載、「マリクレール」でのコラム連載などを経て、人気サイト「デイリーポータルZ」にて執筆。最近では、ANA「翼の王国」でのコラム執筆など。映像作品は、NHK青山ワンセグ開発にて作・演出・出演のショートコメディ「MR.SUMI」「トラブリング」の2作品を発表。著書に「ロマンの木曜日」(彩文館出版)。個人サイト「すみましん

ANAの機内誌『翼の王国』やWEBサイト『デイリーポータルZ』で執筆されているライター住さんによる連載。CINRA.JOBはクリエイティブ業界のお仕事を紹介するサイトですが、業界を問わず、どんな仕事にだってクリエイティブな部分はあるはず!そんな視点から、色々な仕事の方の職場に行って、「本来、クリエイティブとはどういうことなのか?」を紐解いて頂きます。

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今までに味わったことのないラーメンを出すお店が世田谷区駒沢にある。

例えば「塩バターコーンラーメン」。

料理名だけ聞いたら、そんなの珍しくもなんともない! と思われることだろう。写真はこんな感じだ。

塩バターコーンラーメン

塩バターコーンラーメン

塩、バター、コーンが入っていて、確かに「塩バターコーンラーメン」で間違いない。しかし、これをただの「塩バターコーンラーメン」だと思って食べると、度肝を抜かれる。今まで知った風な顔をして「塩バターコーンラーメン」を食べてきたけど、今までのそれはそれじゃない。こんなにうまい「塩バターコーンラーメン」があったことを教えられ、漫然と生きてきたこれまでの人生を反省させられる。

例えば「ゴルゴンゾーラのエビ牛乳ラーメン」。

ラーメンにゴルゴンゾーラチーズ? そこに、牛乳とエビ? 罰ゲームを受けにやって来たわけじゃない、悪ふざけはよしてくれ! と憤る人もいるだろう。それくらい悪ふざけっぽい字面である。

騙されたと思って食べてみると、本当に騙される(いい意味で)。

ゴルゴンゾーラのエビ牛乳ラーメン

ゴルゴンゾーラのエビ牛乳ラーメン


奇跡の組み合わせ、と言っても過言ではない。モチモチっとした麺が濃厚なスープと絡み合い、情熱的な味を醸し出している。この器の中にダイブして小一時間泳ぎたい。

これらのラーメンを出すお店の名前は、「駒沢 ひろの亭」という。

紹介した2つの創作ラーメンは夜のメニューで、ランチタイムはノーマルなラーメンを出している。

お昼のメニュー

お昼のメニュー

大江戸ラーメン、大江戸つけめん、醤油ラーメン、みそラーメン。お昼のメニューはこの4つだけ。きわめてシンプルなラインナップだが、この4杯に固まるまでのプロセスやこだわりが実はある。その辺りのことは後半で説明するとして、まずはラーメンを作っている人を紹介しなければならない。

ラーメンを作っている人

ラーメンを作っている人

藤枝 博文さん。

夜の創作ラーメンも、昼間のベーシックなラーメンも、すべてこの人が作っている。どのような修行を積んだら、ああいうラーメンを作れるようになるのか。どんなことを考えてラーメンを作っているのか。藤枝さんからお話を伺った。

寺山修司から始まったラーメン人生

秋田県大館市出身の藤枝さんが上京したのは、今から45年前。1969年の4月だった。高校を卒業して仙台の税務署に就職したが、1週間で退職。東京にやって来たという。

寺山修司の『家出のすすめ』を読んで家出しました。東京に行けばなんとかなると思って」

おおっ! 社会人としてのスタートがいきなり家出から。しかも、本に影響を受けて!

「僕は軽率なんです。それは今も変わってない。後先考えないから周囲は迷惑してますが……」

えへへ、と笑う藤枝さんは少年のようだ。軽率、というとネガティブな印象を覚えるが、僕はそれを「行動力」と理解した。藤枝さんの行動力の凄さは家出の更に先にある。東京に家出をして、寺山修司さんが主宰する劇団「天井桟敷」の門を叩いたというのだ。

「家出をしてきました、って寺山さんに言って。『家出のすすめ』を書いてる手前、断れなかったのでしょう。劇団員の面接を受けることになりました」

面接の結果、寺山さんから役者にも裏方にも向いてないと言われた藤枝さん。どうしたのか? 

「当時、寺山さんの事務所は渋谷の並木橋にあったんですけど、その向かいにあったサッポロラーメンの店を紹介してくれて、そこで住み込みで働くことになりました。それが、僕のラーメン人生の始まりです」

藤枝さんにラーメンの道をすすめたのは、あの寺山修司だったのだ。「家出のすすめ」から「ラーメンのすすめ」へ。寺山さんのお陰で、僕は今、あの奇跡の創作ラーメンを食べられる訳だ。寺山さんが生きていたら、「あなたのお陰でこんなに美味しいラーメンを食べられています」と一言お礼を伝えたい。

「寺山さんの23回忌があった時、当時の仲間に聞いてみたんです。僕の他にラーメン屋をすすめられた人はいたか? って。そしたら、誰もすすめられてなくて。寺山さんには人の力を見抜く能力みたいなものがあったんです。僕がラーメン屋で働き始めた頃、役者志望だった奴がいたんです。でも彼、寺山さんから役者には向いてないから裏方をやるべきだと言われて。彼は言われた通り裏方になったんですが、結果的にそれが大成功で今も活躍しています」

寺山修司に人事の才能があっただなんて想像すらしていなかった。しかし、藤枝さんのラーメンがはっきりとそれを証明している。

「その頃、サッポロラーメンが流行していたんですけど、それまではラーメンって中華屋のメニューの一つでしかなかったんです。サッポロラーメンの登場によって、初めて単品としてラーメンが独立した訳です。寺山さんのすすめでそのサッポロラーメンの味を勉強出来た。そういう訳です」

その後、ラーメン屋さんで修行を続けた藤枝さん。42才の時にラーメン人生の転機を迎える。

「42才の時、ラーメンを一旦離れて居酒屋で働くことにしたんです。居酒屋の料理について勉強したくて」

これもきっと、本人の言い方を借りれば「軽率」な行動だったのだろう。周囲は迷惑したのかもしれない。とにかく藤枝さんはラーメン屋から居酒屋へと勉強の場を移した。

「居酒屋では5年働きました。それで、大体居酒屋の料理が分かったから自分の居酒屋を出しました

駒沢に居酒屋を開業したのが、今から15年前。居酒屋を5年続けた後、今の場所に「ひろの亭」をオープンして、昼はラーメン、夜は居酒屋というスタイルに定着した。奇跡の創作ラーメンは、夜の居酒屋メニューの1つである。

奇跡の創作ラーメンはこの寸胴から生まれている。

奇跡の創作ラーメンはこの寸胴から生まれている。

100分の1の奇跡

ここまで、ざっくりと藤枝さんの人生を語ってしまったが、42才で居酒屋で働くまでの間も、藤枝さんの経歴はちょっと変わっている。

「30代の頃、ラーメン屋で働きながら、『冒険小説協会』というところで会報誌の編集をしてました。大沢在昌とか北方謙三とか、その辺の作家を世に出した協会です。本や映画が好きでしたから、そういう表現に関わることが楽しかったんですね。そこで文章を書いたりイラストを描いたり。10年間、やりました」

そうだった。藤枝さんの人生は一冊の本をきっかけに動き出していたのだった。ラーメンを作りながら本作りにも関わる。やはりそれも「軽率」な行動だったのだろうか。

話は藤枝さんのラーメン論へと移る。

「今のラーメンは、これ見よがしに攻めてくるようなラーメンが多いでしょ。文章化しやすいラーメンと言うか。そういうの、僕はあまり好きじゃないんです」

冒頭で藤枝さんの創作ラーメンを一生懸命文章化してみたが、どうやらそれは徒労だったようだ。そう、藤枝さんのラーメンは文章化できないうまさなのだ。

「だから、昼間のラーメンメニューはインパクトのないラーメン、毎日食べても飽きないラーメンを出しているんです」

大江戸ラーメン、大江戸つけめん、醤油ラーメン、みそラーメンという4つのラインナップには、藤枝さんのそんなこだわりが表れている。さりげなく、自己主張し過ぎないように、1960年代の味を意識しているという。

「駒沢の辺りは割りと高齢の人たちが多いんです。だから、その人たちに受け入れられるように、60年代を感じさせつつ今の味も入れるようにしています。1つの手法として、大江戸ラーメンには京都の煎酒(いりざけ)を使ったりしているんです」

煎酒とは江戸時代から伝わる伝統調味料で、梅干しと花かつおを基調としたものだ。

「料理って99%は他人の土台の上に乗っかってると思うんです。だって、人が食べるものだから。人からの評価がないと成り立たないでしょ。その99%の部分に作り手の個性はいらないと思っています。99%の基本があった上で、残りの1%で遊ぶ。それが、僕にとっては夜の創作ラーメンだったりします」

基本があった上でのアレンジ。ピカソだって卓越したデッサン力があった上で抽象画を描いている。あの創作ラーメンの味は100分の1の奇跡だった訳だ。ありがたや、ありがたや、と思わず拝んでしまいそうだ。

藤枝さんの創作ラーメンは、これまでに50種類以上も生まれているという。基本的に1度作ったものは2度はやらない。だから、「塩バターコーンラーメン」や「ゴルゴンゾーラのエビ牛乳ラーメン」を今後味わうことは出来ないのだ。

次の創作ラーメンの構想は? と藤枝さんに聞いてみた。

「まだ、分からない。アイデアが浮かんだらすぐに作るっていう軽率なスタイルだから」

藤枝さんに次のアイデアが降りてくるまで、しばらく待たないといけないようだ。

鬼才・藤枝博文さん

鬼才・藤枝博文さん



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