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- 住 正徳
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神奈川県横浜市出身。執筆 / デザイン / 映像制作。月刊誌「ソトコト」でのオリジナル小説の連載、「マリクレール」でのコラム連載などを経て、人気サイト「デイリーポータルZ」にて執筆。最近では、ANA「翼の王国」でのコラム執筆など。映像作品は、NHK青山ワンセグ開発にて作・演出・出演のショートコメディ「MR.SUMI」「トラブリング」の2作品を発表。著書に「ロマンの木曜日」(彩文館出版)。個人サイト「すみましん」
ANAの機内誌『翼の王国』やWEBサイト『デイリーポータルZ』で執筆されているライター住さんによる連載。CINRA.JOBはクリエイティブ業界のお仕事を紹介するサイトですが、業界を問わず、どんな仕事にだってクリエイティブな部分はあるはず!そんな視点から、色々な仕事の方の職場に行って、「本来、クリエイティブとはどういうことなのか?」を紐解いて頂きます。
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理容師として60年のキャリアを誇る職人さんがいる。東京都世田谷区弦巻で「ヘアーサロン ナガクボ」を営む、ベテラン理容師の永久保さんだ。岸さん、福田さん、中曽根さん、宮澤さん、といった歴代総理から、力道山、北大路欣也さんなど。名だたる人物の髪を切ってきた人物だ。そんな60年の理容人生とはどのようなものだったのか。とても興味がある。
お話を伺いに「ヘアーサロン ナガクボ」を訪れた。
掃除が行き届いた清潔な店内には調髪剤の香りがほどよく漂っている。理容椅子は2脚だけ、それほど広いスペースではない。待ち合い場には週刊ジャンプが揃っているが、7年前のものだ。この空間だけ時間の進み方が少しだけ遅いのかもしれない。7年前のジャンプの背表紙を見ながら、軽いタイムスリップ感覚を味わう。子どもの頃、親に連れて行ってもらった理髪店と同じ匂い。髪を切り終えると、店主がフェリックスのガムをくれた。昭和の理髪店。
お昼時に訪れてしまったので、永久保さんは奥で食事をとっている。有線放送だろうか、店内には演歌のしらべが流れている。
写真と映像で綴る我が人生
7年前のジャンプを読みながら10分ほど待つと、仕事着に着替えた永久保さんが店内に登場した。事前の調査では、永久保さんは今年で80才になると聞いていた。しかし、目の前に立つ永久保さんはとても80才には見えない。ピンと伸びた背筋、ツヤツヤとした顔、ふさふさの髪の毛は黒々としている。
「永久保さんはおいくつから理容の道へ?」
永久保さんの理容人生に早速切り込んでみた。
「15才の時、出身地の福島県いわき市で年季奉公しました」
昭和26年、15才の永久保さんは住み込みで理容の修行を始めた。僕の世代の15才といったら、盗んだバイクで走り出しがちであったが、永久保さんはその年齢で既に人生の選択をしている。
そこから、どういう経緯で各界の名士の調髪を担当することになったのか。細かく話を伺おうとすると、永久保さんが
「DVDにまとめてあるから、これを観てもらった方が早い」
とDVDのパッケージを出してきた。パッケージには、「ナガクボ理容店 創業50周年記念 我が人生『写真と映像で綴る』」とある。
昨年、今の場所に理容店を構えて50周年を迎え、その記念に作成したDVDだという。最近流行の自分史を映像で作成するサービスを利用したのだろうか。
DVDが再生されると、僕は画面に釘付けになってしまった。これはお金を払って作ってもらった自分史ビデオではない。撮影から編集まで、すべて永久保さんご本人がやっているのだ。青い台紙の上に文章と写真を貼って撮影して繋ぎ、そこに好きな演歌をBGMとして載せている。オープニングはこんな感じだ。
DVDの内容は、大きく分けて以下3つのコンテンツに分かれている。
第一部:写真で見る少年時代より現在まで
第二部:スライドで見る名場面 理容生活満60周年祝賀会&感謝祭
第三部:8ミリビデオ・カメラ 理容生活満55周年祝賀会
隣で永久保さんに解説をしていただきながら、DVDを鑑賞した。以下、ダイジェストでタイトルと画面を並べていく。タイトルは永久保さん直筆のものをそのまま転記させていただいた。
「就職難の時代!! 職安で探した理容師を目指して弟子入り。徒弟制度のまだ続く、この業界に入る」
「苦難の年季奉公を勤め上げ理容師免許を携えて単身上京。若干20歳。なれない東京の生活に戸惑いの毎日だった」
「業界の方に紹介され、新規開店間もない店の責任理容師として働く事になり約3年近く勤務する。大田区下丸子町『バーバーナミ』」
「東京・世田谷区・深沢の高級住宅地のお屋敷町で約3年間 主任として勤務。格調高い技術取得」
「財界 政界 芸能界の著名人の来店する 超高級理容店。1960年3月22日オープンのホテル・ニュージャパンに開店する社員募集に願書提出。入社試験合格。東京オリンピック終了まで、主任理容師として勤務。最高の技術を取得する」
約30分に渡る第一部はここで完結している。
永久保さんの理容師としてのキャリアをまとめると、
15才で年季奉公に→理容師免許を取得して上京→戸越銀座、下丸子、桜新町でチーフとして勤務→ホテル・ニュージャパンで勤務→今の場所にヘアーサロンを開業。
という流れのようだ。各界の名士との出会いは主にホテル・ニュージャパン時代。その時の仕事が評価されて現在に至るのである。
ちなみに、この第一部には、
「悲恋 当時私21歳、彼女19歳。結婚を前提に数年交際、彼女の家の事情で結婚を断念」
という理容師人生とは関係のないエピソードも写真付きで盛り込まれていた。
手描きポップが溢れる店内
全編で約1時間におよんだDVDの鑑賞が終わり、永久保さんは「表現したい人」なんだと確信した。いや、「表現せずにはいられない人」である。自分の人生を自分で撮影して自分で編集、それをパッケージ化して配る。クリエイターの鑑だと思う。DVDから永久保さんの情熱がはみ出している。
そんな永久保さんは、理容に対してどんなこだわりを持っているのか?
聞いてみた。
「例えば、ポップは全部自分で描きます。その方が読んでくれるから」
確かに店内の至るところに、永久保さん直筆のポップがある。お店に入った時から気になっていたし、とても味わい深いと思っていた。時には文字だけでなく、ご自身がモデルとなって登場もしている。
「たまに字を間違えたりするけど、逆にその方が注目してくれたりして。自分で描くと楽しいよ」
このお店全体が永久保さんの作品なのだ。そして、今でも毎日のようにお客さんの頭を調髪し、永久保さんは新しい作品を生み出し続けている。
道具へのこだわり
自らプロデュースして撮影・編集までをこなした自分史ビデオ。工夫をこらした直筆ポップ。店を訪れてから永久保さんのクリエイティブをひしひしと感じているが、肝心の理容についてのこだわりをまだ聞けていない。
「道具に対するこだわりはありますか?」
と僕が聞くと、永久保さんの目がキラリと光ったのが分かった。
「これが今使っているハサミです」
と、ハサミのセットを持ってきてくれた。
一丁十万円はするという合金製のハサミだという。昔は鋼性のハサミを使用していたが、今は合金製を好んで使用しているのだとか。
「ハサミで大切なのは、刃の切れ味だけじゃなくて左右のバランスなんです」
バルサ材に絹を貼ったオリジナルの研磨道具を取り出す永久保さん。
研磨剤を使ってこの上でハサミの刃を数回擦って歯の切れ味を整える。更に、左右のバランスを整えるために、永久保さんはハンマーとノミを使用する。
「歯の外側にハンマーで切り込みを入れるんです」
確かにハサミの刃の外側を見ると、細かい傷のようなものが入っているのが分かる。それらは、左右の刃のバランスを整えるために、あえて入れているのだ。永久保さんはこの調整を、少なくとも月に1回は行っているという。
「自分の道具を自分で手入れ出来ないようでは、一人前とは言えません」
自分のハサミに語りかけるように、永久保さんはそう言った。
すべてはお客さんのために
「ヘアーサロン ナガクボ」では、ちょっと変わったサービスも実施している。「昭和の歌謡曲を聴きながら調髪ができる」というサービスだ。そういえば、永久保さんを待っている間も演歌が流れていたし、取材中もずっと流れている。
永久保さんはとても演歌が好きなのだ。常連のお客さんとカラオケ大会を開催したりもしている。
しかし、歌が好きだから、という理由だけでリクエストシステムを導入したり、カラオケ大会を実施したりしている訳ではない。それは、永久保さんの次の言葉からも明らかだ。
「今から新しいお客さんを増やすつもりはないんです。今みているお客さんが亡くなるまで髪の面倒をみる。それが私の目標です」
そう、すべてはお客さんのために。
これまでもこれからも、永久保さんの基本姿勢はずっと変わらないのだ。実直だけど遊び心満載な永久保さん。あと60年続けていただき、60年後に自分史ビデオの第2部を発表していただきたい。
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