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12年前にドイツへ渡り、現在は首都・ベルリンで暮らすフリーライターの久保田由希さん。これまで著書や雑誌を通して、ベルリンのライフスタイルを日本に向けて発信したり、ヨーロッパのヴィンテージ雑貨を紹介しているのだとか。そんな久保田さんに、ドイツのクリエイティブな職場と、そこで働く人々を紹介していただきます。日本との違いや共通点は、一体どんなところにあるのでしょう?
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30歳で決意した、ベルリンでの挑戦
ベルリンと聞くと、建築をイメージする人も多いのではないでしょうか。19世紀後半に建てられて今もまだ現役のアパートから、最新の技術を投入したモダンなビルまで、ベルリンでは各時代の様々な建築物が魅力を放っています。
そのベルリンで、建築士として活躍しているのが金田真聡さん。国際的な設計事務所に勤務するほか、フリーランスとしてベルリンのアパートの改修に関わったり、日本の大学や一般の人向けに、ドイツの建築に関する文章を寄稿するなど、マルチに活動されています。今回は金田さんに、建築家として働く視点からドイツと日本の違いについてお話を伺いました。
金田さんとヨーロッパ建築との出会いは、学生時代の建築旅行でした。その際に、日本とは異なる建築の魅力を感じたそうです。しかしそのまま海外留学という決断には至らず、2007年に日本の建設会社に入社し、一級建築士として数々のビルやマンションの設計を担当。しかし、日本の高層ビル中心の街づくりや、建物寿命の短さに疑問を持ったこと、さらに東日本大震災をきっかけに人にとっての建築の役割を改めて見つめ直すようになり、以前は憧れでしかなかったヨーロッパ行きを2011年に決意したのだそうです。そしてその1年後の2012年5月、金田さんはその願いを現実にしたのです。
「ベルリンに決めたのは、外国人が多くオープンな雰囲気で、建築物の環境への配慮も進んでいて、さらに東西ドイツ再統合後、発展の真っ只中の街で建築の仕事が多かったからです」
ベルリン行きを決めた当時の金田さんは、英語もドイツ語も話せませんでした。しかし、これまでの実績をまとめたポートフォリオや、面接で話したいことを翻訳するところから始め、さらに英会話カフェでの面接の練習を通して、目的を達成するために必要な英語力を短期間で習得したそうです。
こうした準備に半年を割いた後に、ドイツの会社に応募を開始。しかし、いくら書類を送っても、どこからも何の返事もありません。そこで見つけたのが、ドイツ人に海外でのインターン先を紹介する会社。「ドイツから海外へ人を紹介する会社なら、その逆もできるのでは」と考え、その会社に交渉したことで、現在勤務する設計事務所で面接を受けるチャンスを得たのです。
このとき、金田さんは既に30歳を過ぎていました。その年齢で外国語を学んで海外移住するなど、夢物語と思う人もいるかもしれません。しかし、それを実現した過程を聞くと、具体的な目標を持ち、それに向かって行動することこそが道を開くのだと、改めて感じます。
「無事面接はクリアしたものの、建築事務所との契約は社員としてではなく、半年間のインターンでした。日本での一級建築士としての仕事から一転、下積みのような仕事内容でしたが、何からでも学べることはあるという気持ちで取り組みました。仕事が終わったらドイツ語の勉強をしていました」
チャンスが訪れたのはその3ヵ月後でした。
「ベルリンの新築アパート建築プロジェクトチームに加わることになりました。偶然にも設計用のCADシステムが日本で使っていたものと同じだったので、ドイツ語が不自由でも日本での経験を生かすことができたのは大きかったです。同僚達にも支えられて、最終的にはインターン入社から半年後、社員としてその会社で契約を結んでもらうことができました。でも、ドイツの雇用契約は日本より厳しくて、私の契約も1年ごとに更新。ですから、常に緊張感を持って仕事をしています」
海外では、日本のような終身雇用制度は一般的ではありません。一定期間ごとに契約更新する働き方が、むしろ標準的といえるでしょう。
通勤ラッシュがない街、ベルリン
金田さんが働くベルリンのオフィスは、アトリエなどに使われていた建築を改装したモダンな内装。オフィスの中央にはゆったりとしたキッチンがあり、会社がコーヒーやフルーツを提供しています。コーヒーを淹れたり、ランチを取ったりと、キッチンは社員同士のコミュニケーションの場にもなっています。オフィスでの一人当たりの仕事スペースは、日本の2倍に相当する約20㎡とか。
「日本の建築業界では、数字上の効率を追求するのが最優先。限られたスペースに、どうやって最大限の床面積を確保するか、どれだけ狭いスペースに要素を詰め込むかが課題でした」
その象徴が、80年代から始まった都心のオフィスビルブームや昨今の高層マンションブームだそうです。そしてそれ以前から、オフィスと生活の場を分けることが効率的な街づくりとされ、郊外のベッドタウンから都心のオフィスへ通勤するというライフスタイルが誕生しました。しかしそれは、満員電車での長時間通勤を生み出す結果に……。
「日本の状況とは異なり、ドイツでは、オフィスだけが一ヵ所に集中していることは少なく、働く場と住まいが同じエリア内に混在している場合が一般的です。ですから、通勤時間は比較的短く、極端なラッシュアワーもありません」
職住近接の暮らしや、ゆったりしたベルリンのオフィス・住宅で過ごすなかで、気持ちのゆとりがうまれ、働きやすさや暮らしやすさを追求したライフスタイルには数値化できない効果があることを知った金田さんは、「建築家は本来、数値化できない空間の心地良さや快適さも扱う仕事である」と考えるに至りました。
さらに、金田さんが勤務するオフィスのモダンでゆったりとした空間は、社員が気持ちよく仕事をできるという効果だけでなく、自分たち自身をプレゼンテーションする役割も果たしている、ということを発見したそうです。
「確かに仕事をするだけなら、もっと狭いスペースでも可能だと思います。しかし、設計事務所は、空間をデザインするのが仕事。オフィスは、自分たちの仕事を表現する場でもあります。この会社はクライアントに対して、自分たちをどう見せるかというセルフブランディング意識が非常に高いですね」
ドイツではゆったりとしたオフィス作りが、建築関係に限らずどの業界も重視されていると、私もこれまでの取材を通して感じています。
むやみに建物を建てられないから、よりよい建築をつくることができる
金田さんが現在関わるプロジェクトは、入社時から担当している、ベルリンの新築アパート建設。この仕事を通して、ヨーロッパでは一つの建築物に対して、日本の約3倍の時間・労働力・費用を投資することを知ったそうです。
ドイツと日本は、共に第二次世界大戦での敗戦国。両国とも戦後は貧しく、経済効率重視の建築物が造られました。ところが、現在でも新築を追求する日本に対し、ドイツでは90年代から政策が変換され、新築優先から既存建築の改修重視へとシフトしたのでした。
具体的には、新規建築物を造る数を人口動態に合わせて適切に制限し、その分の費用を既存の建築物の改修に投資するよう、ドイツ政府がコントロール。ドイツでは、日本の約1/15相当の新規建築物しか造れず、新築を建築する際は、よりよい品質が求められるようになったそうです。
すると新築・改修を問わず、一つの建築物に対する予算が増え、質が向上するために、建物を長期間使う方向へと変化しました。ドイツでは、100年経っても建物の価値が下がらないどころか、きちんと手入れをされた古い建築物は、新築よりも価値があると見なされます。建物を長く使うので、投資回収期間も長く設定でき、日本の3倍もの時間・労働力・費用をかけることが可能になります。そうした付加価値の高い仕事をすることは、最終的に私たちがもっとゆったりと働き、生きられる社会につながっていくのではないでしょうか。それは、短命な建物を建てては壊していくスクラップ&ビルドの社会とは対照的と言えるでしょう。
私はこれまで、日本では地震があるために、古い建築物を残せないのだと思っていました。しかし地震や木造に由来する文化だからということではなく、戦後、新築優先で、建築物を残す文化を育てなかったこと、短期間での建て替えを前提に、長期使用を想定していないことも、その一因なのだと知りました。常に新築を造ることを前提に経済がまわっている社会では、建物を長持ちさせる必要はなく、建物自体の価値も低くなります。つまり、建物も薄利多売の商品となってしまい、仕事量だけは増えていくという悪循環が生まれるのです。
築100年の建物を改修して、住まいやオフィスとして使用するのは、ドイツでは一般的。むしろ、そうした建物の方が年月による趣きもあり、人気があります。写真の金田さんの自宅も、築100年程度のアパートです。また、広い敷地にある元工場などの大規模な建物が、イベントスペースやホテルとして生まれ変わることも珍しくありません。
金田さんは、ドイツの自宅やオフィスで19世紀後半の建築に触れることで、異なる時代の建築物が混在することによる街の魅力を実感しました。日本でも良質の建築がもたらす価値を理解できれば、残す努力をするかもしれない。そうでなくても、高齢化を迎える日本で、これまでとは異なる価値観が建築分野でも必要だと金田さんは考えます。
「15〜20年後には、日本もドイツのような社会に変わるのではないでしょうか。契約期間の短さやドイツ語の壁、外国人として働く難しさなど厳しい環境ですが、その時を目指して、いま仕事をしています」
将来、建築分野で日独の掛け橋になるべく、活動をしている金田さん。その姿勢は、建築分野のみならず、日本人の働き方・生き方にもつながるように思います。
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