- プロフィール
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- 飯間浩明
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1967年、香川県高松市生まれ。国語辞典編纂者。『三省堂国語辞典』編集委員。著書に『つまずきやすい日本語』(NHK出版)、『国語辞典のゆくえ』(同)、『ことばハンター』(ポプラ社・児童書)、『小説の言葉尻をとらえてみた』(光文社新書)、『辞書を編む』(同)、『四字熟語を知る辞典』(小学館)など。
https://twitter.com/IIMA_Hiroaki
私たちが普段何気なくつかっている「言葉」。編集者やコピーライターにとっては大切な商売道具ですが、そうでない人も、日常や仕事でつかい方に悩むことはたくさんあるのではないでしょうか。今回から始まる新連載「言葉の魅力、再発見」では、さまざまな分野で活躍する「言葉のプロフェッショナル」たちを訪ねます。第一回目のゲストは、辞書編纂者の飯間浩明さん。言葉に注ぐ並々ならぬ愛情から、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』にも出演し、Twitterでは日本語の語源、用法、新語などにまつわるツイートで親しまれています。知られざる辞書づくりの世界、そこで真摯に言葉と向き合う飯間さんが語る「言葉を扱ううえでいちばん大切なこと」とは?
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いろんな言葉を知っていれば「相手にとって易しい言葉」を選べる
飯間:「相手に伝えるためには、わかりやすく話したり書いたりしないといけない」と気づいたのは、もう大学生くらいのときじゃないかな。自分にしかわからない言葉ばかりをつかい、人づき合いがどんどん難しくなって、このままでは本を相手にひとりで生きていくしかなくなってしまうと。そのときに、「誰にでもわかる言葉をつかいたい」と思うようになったんです。
—ただ、「誰でもわかる言葉」をつかうときに、きっと「いろいろな言葉」を知っていることが役に立つのではないでしょうか。
飯間:たしかに、知識や語彙量がないとむしろ難しい文章になってしまいます。つかう言葉は、自分の知っているもののなかからしか選べないから。すると、相手の知らない言葉もつかわないといけない。硬い言葉と柔らかい言葉、難しい言葉と簡単な言葉……いろんな言葉を知っていると、文脈に合わせて「これがいちばん相手にとって易しいな」と選ぶことができるわけですね。
ただ、「易しく言わないと相手に伝わらない」と身にしみてわかっている人は、あまり多くないような気がしますね。私も10年前に本を書き始めた頃は、難しいことを書かないと、本屋さんに並ぶ資格がないんじゃないかと心配でした。
でも、文章を書く人と読者とでは、まず「脳内辞書」が決定的に違う。だからこそ、「当たり前のことを当たり前の言葉で」「自分にとっての当たり前は相手にとっての当たり前ではないと心得たうえで」書くことを心がけています。そして、書いた原稿はまず、家族や身近な人に見てもらっています。
辞書は「もしものときのご意見番」へ。面白い「読み方」とは?
—いまやインターネットでたくさんの情報が得られるなかで、これから辞書はどうなっていくのでしょうか。
飯間:昔と違って、毎日引くものではなくなったと思います。漢字の書き方を忘れても、いまはパソコンやスマホで変換すればすぐに出てくる。言葉の意味についても、簡単なものならインターネットで解決できるので、辞書の出番はないですね。
ただ、1週間、あるいは1か月に一度、「この言葉のつかい方は果たして一般的だろうか」「きちんと伝わるだろうか」と考えることがあるのではないでしょうか。そんなときは、「Google」より「Yahoo!知恵袋」より、ぜひ辞書をひいてほしい。これからの辞書は、そんな「もしものときのご意見番」になっていくのではないでしょうか。
国語辞典は、それぞれの言葉について、多くの用例や歴史的背景を調べたうえでつくられています。ときには辞書によって「誤用」「誤用とはいえない」などと判断が分かれることもあるでしょう。さまざまな辞書の判断を仰いでみることによって、その言葉に対する自分なりの理解が深まっていくと思います。
—インターネット検索ではない「辞書を引く面白さ」って、どんなところにあると思われますか?
飯間:世間には「辞書マニア」と呼ばれる方々もいらっしゃいます。ぼくの知っているなかには、何百冊、何千冊という古今の辞書を自宅に揃えている方も。
楽しみ方は人それぞれだと思いますが、辞書に載っている言葉の説明そのものを、作品として読んでくださる方がいるのは嬉しいですね。あたかも小説を読むように、「なかなか味のある説明だな」とか。それはたしかに、辞書の面白い読み方の一つだと思います。
「思わぬ出会い」を大切に。質のよいインプットのコツ
—読書の大切さについてたくさんお話しいただきましたが、読む本の選び方にコツはありますか。
飯間:ぼくがよくやっているのは、妻や知り合いと一緒に本屋を巡ることです。そして相手に、面白そうと思った本を聞く。自分の好みではなく、人に選んでもらって読むのもいいのではないでしょうか。
—思わぬ出会いがあって、刺激になりそうですね。
飯間:自分が知っていること、常識と思っていることだけで文章を書いていくと、行き詰まってしまいますからね。あとは、名著といわれるものを読むのも大事。いまの人では考えつかないことを、昔の人が書いていたりするんですよ。
—さまざまな表現に触れることで、基礎が身につき、それによって「自分らしさ」という応用ができるようになっていくのかもしれません。
飯間:ぼくも最近スマホばっかり見てしまうから、もっと本を読まないとなと思っているんです。辞書編纂者も含めて、クリエイティブなアウトプットのためには、質のよいインプットが必要ですからね。みなさんにもぜひ、おすすめしたいです。
よくある言葉の「誤用」問題。「単純に『誤り』と断罪できない」
—飯間さんの最近の著書『つまずきやすい日本語』には、「せいぜい」という言葉のとらえ方の違いによって、失言騒動になった首相のエピソードが書かれていましたね。
飯間:2008年、当時の福田康夫首相にまつわる話ですね。『北京オリンピック』を控えた日本選手団への激励として「せいぜい頑張ってください」と挨拶したら、批判が起こってしまった。
—たしかに、「せいぜい」には「あまり期待していない」という否定的なニュアンスが含まれるように思います。
飯間:辞書の項目にも、一つ目にはそのような意味が書いてあります。しかし二つ目には、「じゅうぶんに」と載せている。少し古風な言い方ですが、この意味もたしかにあるのです。発した人と受け取った人、解釈の違いによって誤解が生じてしまいましたが、本来、どちらが誤りということはないんです。
ほかにも、たとえば「確信犯」という言葉を「悪いとわかっていながら罪を犯すこと」という意味でつかうと、「誤用だ」という人がいますね。「確信犯とは『政治的に正しいと確信して行う犯罪のこと』だ」と。
辞書によっては前者を「誤り」とするものもありますが、『三省堂国語辞典』では、あくまで「俗用」とだけ記しています。その言葉をつかうかどうかは、辞書を引いた人に自分で選んでほしいから。ぼくは、「誤用」「俗用」とされる言葉にも、それぞれ生まれてきた意味があると思うんです。
誤解のない文章を書くために。まずは「多くの例文に接する」こと
—編集者やコピーライターなど、「言葉」を仕事にする人のなかには「適切な言葉づかいをしたい」と考える人も多いのではと思います。「誤用」だと単純に決められないとなると、「適切かどうか」は、どう判断すればよいのでしょうか。
飯間:もっとも大切なのは、読む人に誤解を与えないことだとぼくは思います。たとえば「確信犯」という言葉を、俗用の意味でつかおうとしたときに、もう一方の意味と取られる恐れがあるか。その恐れがない文脈で、よりよくニュアンスを表現できるなら、たとえ誤用とされる言葉でも堂々とつかえばいいと思います。
—その意味では、先ほどの「せいぜい」は注意するべきだったケースなのかもしれないですね。
飯間:決定的ないさかいのタネになりうる場合には、よほど慎重に言葉を選ぶことですね。人によって受け取り方が違うだろうということに、気づく言語感覚がないといけない。
—必要なのは、自分の書いたものを俯瞰的に見て、人の立場に立ったらどう見えるかを考えることでしょうか。
飯間:それも大切ですが、もっと以前に必要なのは、普段からたくさんの「例文」に接していることです。読書をしていれば、たとえば「どうも古い本だと『せいぜい』をこういう意味でつかっているな」とわかる。一方でTwitterの言葉を見てみると、「いまの若い人は『せいぜい』に否定的な意味を込めるんだな」と気づく。そうすれば、「多面的な意味があるので、自分がつかうときは気をつけよう」と対処できるわけですね。
「言葉とは厄介なもの」。伝わらないもどかしさを感じた少年時代
—飯間さんが、日本語に興味を持たれたきっかけは何だったのですか。
飯間:昔から、本が好きな少年でした。本を読むと、自分が普段つかっているのとは違う、知らない言葉に出会える。それが非常に面白かったんですね。中学生の頃は、ユーモアに長けた小説家の北杜夫が好きだったんですが、彼はたとえば「なぜか」「どういうわけか」という意味のところを、「どういうわけのわけがらか」とか書くんですよ。知らない言葉だと思いながら、真似してつかっていました。
—知らない言葉をつかってみると、まるで自分が新しい人になったような、世界が広がったような気分になりますね。
飯間:ただ悪い面もあって、本で知った言葉を友達に向かってつかっても、通じないことがある。だけど当時はあまり気づかないまま、本を読めば読むほど変な言葉づかいをするようになっていきました。
子どもの頃から、自分の言葉が家族や友達に伝わらないと感じることはよくあったんです。あるときおばあちゃんがお土産を買ってきてくれて、嬉しかったにもかかわらず「いらんのに」と言ったことがありました。それは、母がお客さんから手土産をいただいたときに、「あら、結構ですのに」と言うのを見ていたから。しかし母には「せっかく買ってきてもらったのに」と怒られまして。
これは一例ですが、人と人とのトラブルってほとんどが言葉で起こるでしょう。だから、非常に取扱注意なものだと思っていました。
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- いろんな言葉を知っていれば「相手にとって易しい言葉」を選べる
本にテレビ、街なかの看板。世界はさまざまな「言葉」であふれている
—本がたくさんあるお部屋ですね。普段、どんなものを読まれるのですか?
飯間:いろいろ読みます。日本語の専門書もですが、ベストセラーとか、古本屋で見つけた昔の小説とか、とにかくいろいろな文章を読むことが楽しみでして。それに、辞書編纂者として言葉の「用例採集」をするのに、本は大切な情報源でもあるんですよ。
—「用例採集」とは、なんでしょうか……?
飯間:たとえばですね、このあいだ『わたし、定時で帰ります。』という本を読んでいたときに「燃える案件」という言葉が出てきました。そこで、「いまの会社ではこういう言葉をつかうんだな」「こういう状態を『燃える』と言うんだな」と学んだわけです。こんなふうにいろいろな言葉の「用例」を集めるのが「用例採集」です。
私は『三省堂国語辞典』の編集委員として、辞書をよりよくバージョンアップしていくことを仕事にしています。初版は1960年につくられ、その後改訂を重ねていますが、時代が変われば言葉も変わる。新しい言葉が増えたり、つかわれない言葉が出てきたり。言葉の説明についても、より適切なものへと改善しています。
—辞書に載せるべき言葉を見定めたり、言葉の説明をアップデートしたりするのに、「用例採集」が役立つんですね。
飯間:そうですね。読書をするときは、初めて出会う単語や用法、普通と異なる漢字表記など、書いてある「言葉」に注目しながら読んでいきます。一冊を読み終えると、60、70くらいの言葉は採集できる。すると1か月で400、500、1年で数千くらいになります。
もちろん、本だけではなく、テレビ、あるいは街なかの看板なんかも見ながら採集します。すると、本にはない言葉がテレビに、テレビにはない言葉が街なかに出てくる。こうしていろんなタイプの言葉を手に入れるんです。
言葉だけで、「右」の意味をどう説明する?
—言葉の説明文も書かれるとのことですが、「言葉で言葉を説明する」って、考えただけで大変そうです。
飯間:おっしゃるとおり、すごく難しいですね。辞書づくりの文脈でよく例に出されるのは、「右」という言葉。どんなふうに説明してあるか、ぜひ辞書を引いてみてください。それ以外でも、たとえば「厳重」なんて言葉、「説明してください」といわれたらどうでしょう。
—正しくつかえるつもりでも、説明するとなると……。
飯間:『三省堂国語辞典』は、一つ目の意味として、「万一のことがないように、きびしく念入りにするようす」と書いています。「厳重に警戒する」などというときですね。
そして二つ目の意味が、「いいかげんなことでは許さないようす」。「厳重に抗議する」「厳重注意」というときの「厳重」ですね。一つ目のように「念入りに」と置き換えてみても、意味が通らないケースです。
一つ前の版には「少しも隙を見せず、また手加減もしないようす」と書いてありました。しかし、たとえばボクシングの試合で「隙を見せない」選手に対して、「あいつ厳重だな」とは言わないですよね。それでいろいろ考えて、書き直したんです。
人はみんな、それぞれ違った「脳内辞書」を持っている
—最初は一つの意味だったところ、二つの意味に分けたんですね。
飯間:そうですね。意味のまとめ方を考えるにあたっては、「採集」したもののなかから「厳重」という言葉をつかった例文を見ます。意味や用法を一つひとつ見極めていくんです。それで、ほとんど「念入り」とイコールの意味の場合と、そうじゃない場合とがあると気づいたわけです。
本来は言葉って、一回つかわれるごとに意味が違うんですね。100の例文があれば、そこに込められた100の意味がある。でも、それを忠実に辞書に書いてしまっては、どんどん分厚くなってしまいます。だからなんとか整理する。これをすべての言葉についてやっています。
—お話を聞くだけで大変そうです……。
飯間:だんだん夢中になってくると、一日中「厳重」のことだけ考えていたりします。ちょっと頭がおかしくなりそうでしょう(笑)。
ただそういう作業をしていると、言葉の意味なんていうのは、人によって本当にさまざまにとらえているということがわかるんです。一つひとつの単語のとらえ方は、すべての人で異なる。人はみんな、それぞれ違った「脳内辞書」を持っていると気づくんです。
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