- プロフィール
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- 石井 龍
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1988年生まれ。神奈川県川崎市出身。横浜市在住。法政大学日本文学部日本文学科卒業後、株式会社ANSWRに新卒入社。2011年に同社から分社化された株式会社ニーテンゴディーに異動する。現在は、プロジェクトマネージャーとして、企画、構成、ブッキング、司会などの番組制作、MVやジャケットの制作進行、インタビュー記事の編集業務など、多岐にわたる業務を担う。右投右打。
少年時代は、水泳、野球、サッカー、バドミントン。青春時代は、音楽、小説、バイト……。どれもそこそこ頑張ったけど、すべて長くは続かなかった。石井さんは「自分は色んなことから逃げてきた」と過去を振り返る。そんな彼が人生で初めて、この先も情熱を注いでいきたいと願う仕事がある。それが「ソーシャルTV局」。この前例のない業界を、同世代の仲間たちと切り開いていくために、考え、悩み、汗を流す。「将来なんて考えず、アバウトに生きてきたフツーの人」から、「やりたいことをすべてやれている自分」にまで成長した石井さんの道のりとは?
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正直、将来なんてわからない
―小さい頃から、インターネットには慣れ親しんできたんですか?
石井:職業柄そう思われがちなんですが、全くそんなことはなくて。家にもネットはなかったし、小さい頃はかなりのスポーツ少年でした。3〜4歳頃に始めた水泳ではジュニアオリンピックに、中学生の頃にやっていた野球のクラブチームは関東リーグで優勝したり。当時一緒にやっていた友達は、甲子園やオリンピック選手になっているくらいのレベルで、本格的にやっていたんです。この外見だから、意外だって、よく言われますけど(笑)。
—確かに意外です(笑)。それでスポーツはずっと続けてきたんですか?
石井:中学生まではハードな練習を続けていたけれど、やっぱり、この頃って遊びたいでしょう。もっと遊ぶ時間も欲しいし、もう少し勉強もしたいと思い始めて。それで高校に進学するのと同時に、スポーツは全部やめました。そこからは、ごく一般の高校生。僕ってとにかく飽き症で、何事も長続きしませんでした。この頃から、文学に興味が出て来たというのは大きいけれど、基本はひたすら遊んで、バイトして、ダラダラしてるような、めちゃくちゃフツーの生活でした。
―文学。なんとなく、今の仕事に繋がっていそうですが。
石井:漫画はもともと好きだったんですけどね。そもそも文学に興味を持ったのも、現実から逃げようとしていたからだと思います(笑)。それで高校生の頃には、漠然と「編集」や「撮影」に関わる仕事への憧れはあったものの、「絶対にこうなりたい!」という確固たる意志なんてなくて。正直、将来って、どうなるかわかんないじゃないですか。だから、すごいアバウトにしか考えていませんでした。今でもそうなんですが、基本的に、できれば楽がしたい性格なんです。将来のためとか、何かのために血眼になって無理をしたくない。親は僕の性格をわかっているので半分あきらめていて、好きなように生きればいいという感じで育てられましたが、おばあちゃんからはずっと心配されていました。
―確かに、石井さんは「ゆとり世代」と言われる世代……。
石井:そうなんですよ(笑)。ほんとに、僕のこれまでの人生って全部がエスカレーター式なんです。大学の付属校に中学から入ったので勉強もしなくてよかったし、ずっと「頑張ること」から逃げてきた。中学の時は野球の練習がキツくてキツくて、『天地無用! GXP』など、深夜アニメにも逃避していましたしね(笑)。試験という試験も、入社する時の面接しか受けたことがないし、大学生の時にゼミで書いていた小説は「豪華客船で旅に出る」という内容で。もう、根っから「逃げ姿勢」丸出しですね……(笑)。
フツーの大学生が、松本零士にインタビュー
―とはいえ、少しは頑張らないと、この業界に入るのは難しいと思うんですが?
石井:あ、はい(笑)。大学2年生の時、ANSWRがWEBに移行する前に発行していた『Public / image.magazine』というフリーペーパーをタワレコで見つけて。読んでみたらすごく面白くて、僕もフリーペーパーをつくってみようと思い立ったんです。それで、地元や大学の友人を誘ったり、都内近郊のギャラリーでやっていた展示会を廻り、そこで見つけた作家さんたちに声をかけて。
―自分でつくってみようと思うなんて、かなりの行動力ですよね。それはどういったフリーペーパーだったんですか?
石井:まず、ひとつのテーマを決めて、ファッション、アート、漫画、写真、グラフィック、イラストなど、それぞれのジャンルからアプローチした作品をカタログ的に載せました。そこで僕が、人生で初めてインタビューをしたのが、松本零士さんだったんです。当時の記事を読み返したら、構成も文章も全然なってないし、これでよくやってたなぁって、恥ずかしくなりますけどね。
―でも初めてのインタビューが松本零士さんって、凄いですね。
石井:編集長とまで言えないけど、一応まとめ役として1年間かけて、制作から発行までをやり遂げました。そのリリースパーティーも、大学の先輩だったミュージシャンを招いて主催したり。こういうイベントやフリーペーパーの制作自体は楽しかったですが、制作費のための広告営業が全然だめだったんですよ。結局、費用が50〜60万円くらいかかってしまって……。
―予算面では厳しかったけど、無事、発行までやり遂げたと。
石井:そうですね。でも、このフリーペーパーが、今の道に進むきっかけになったと思います。完成したものをANSWRの代表に見てもらったことで、大学3年生の時に、インターンでWEBマガジン『PUBLIC-IMAGE.ORG』に携わることができたんです。自分自身のフリーペーパーづくりのきっかけになったものに、直接関われることになったというのは、本当に嬉しかったですね。
―なるほど。それで、自分の進む道を見出したと。
石井:大学4年生の時、はじめは周りの友人と同じように就活のガイダンスを受けたり、説明会にも行ったんですが、自分の進む道とはやっぱり違うなって感じて。その頃、ANSWRではインターンからアルバイトになり、WEBマガジンになった『PUBLIC-IMAGE.ORG』で、脚本家の佐藤大さん率いるStoryRidersさんの連載コンテンツを担当したり、アイドルやネットレーベル、ボカロPといったネット発のクリエイターなどのインタビューもしていましたね。それで、卒業と同時に入社させてもらいました。
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- 原動力は、ミーハーなまでのリスペクト感
原動力は、ミーハーなまでのリスペクト感
—そこから、2011年にANSWRが立ち上げたソーシャルTV局「2.5D
」に配属されるわけですね。
石井:2.5Dでの僕の肩書きはプロジェクトマネージャー。番組の進行管理や、企画、出演者のブッキング、台本制作、当日の司会進行に加えて、2.5DのWEB上のインタビュー記事の取材や編集業務等をしています。番組やWEBに留まらず、出演アーティストのCDジャケットやMVを制作することもあり、関わる仕事はなんでもやります。僕の場合、何もかもが行き当たりばったりで、ほんと経験ゼロからのスタート。ノウハウというものは、すべて現場で学びました。
—ゼロからのスタートでしたら、結構苦労もあったでしょうね。
石井:学生時代にインタビューの経験こそ少しだけあったけど、台本制作なんてやったこともない(笑)。番組終了後にプロの構成作家さんが置いていった台本を見て勉強したり、かつてスポーツからの逃げ道として読んでいた漫画からストーリーの組み立て方を参考にしてみたり、立ち上げ当時はとにかく必死でしたね。司会なんて、一発目は超ガチガチで、「マジかよ」って感じでしたよ(笑)。でも、数をこなしていくうちに、最近では少し余裕が出てきたように感じますが。
—「楽がしたい性分」と言っていましたが、聞いている限り、かなりストイックなのでは?
石井:そんなことないですよ(笑)。世の中で、クリエイターと呼ばれる人はみんな、無限の体力と無限のモチベーションを兼ね備えているという神話が僕の中にはあって。それに比べたら、僕なんかほんとにフツーだと思います。働きたくないときもあるし、逃げ出したいときも、もちろんある。いつも自分に何ができるのかわからなくて悩んでいるくらいですから(笑)。学生の頃から憧れていたこの業界に入ってみると、中で活躍している人たちは、どれだけ一緒にお仕事をして身近に接していても、やっぱりすごい。そのミーハーとも言えるリスペクト感が、ある種、原動力になっているかもしれませんね。
—それが、よいモチベーションを保っているんでしょうね。
石井:僕自身も最初にインターンとしてANSWRに入ってから早4年目。人生で、ひとつのことをこんなに長く続けたのは珍しくて(笑)。ソーシャルTVは、まだ世の中に浸透していないからこその難しさもあるけれど、だからこそのやりがいがあります。それに、ネット系で頑張っている人は同世代が多いので、一緒に盛り上げながら連携することで、今よりも、さらにシーンが面白くなるかと思っていて。
—同世代の仲間たちと、最先端のメディアの現場から、新しい時代をつくっていくという意識ですかね?
石井:僕自身にはその当事者意識はないですけどね。あくまでも時代をつくるのは、クリエイターやアーティスト。僕の仕事は、その人たちが飛翔するためのお手伝いだと思っています。このスタジオをロイター板にして、クリエイターやアーティストが将来ビッグになり、「あのとき、2.5Dに出てよかった」って言ってもらえると最高だなって思いますね。そして、僕らも共に成長していけたら、と。
新しいネットカルチャーに、僕らができること
—例えば、何も知らない人に「2.5Dとは何ですか?」と聞かれたらどう説明しています?
石井:「番組を制作して、ネットで生中継しています」と、答えることが多いのですが、実は、この説明がすごく難しい(笑)。「ソーシャルTV」という言葉が一番しっくりくるけれど、じゃあ、「ソーシャルTV」って何? ってなったりするので。基本的には、インターネット上で生まれた新世代のアーティストやポップカルチャーを、新しい日本の独自文化として、世界に発信しているネット上のTV局。そこに何故「ソーシャル」がつくかというと、スタジオでのライブを生配信すると同時に、視聴者の反応をTwitterのタイムラインで可視化したり、SNSと連動させることに重きをおいているんです。それで視聴者同士がリアルタイムで、それぞれの感想を共有できるというか。
—まさに現在のネット文化とリンクしていますよね。では、石井さんが仕事をする上で大切にしていることは?
石井:「好きになる」ことと「共感ポイントを見つける」ことですかね。僕自身がすべてのジャンルに精通しているわけではないので、正直よく知らなかった出演者さんもいらっしゃるんです。でも、能動的にアプローチしてみると、面白いと思える部分が見つかって、より楽しくなる。つまりは、いかにアーティストさんを「好き」になるか、どうか。そして、その上で「みんなが共感できることってなんだろう?」とは考えています。やっぱり、配信やイベントを通して、「共感」がポイントだと思うようになりました。例えば、かかる音楽のタイミングがきっちりハマったら、明らかにTwitterのタイムラインが盛り上がったりするんですよ。それを見つける大切さが身にしみてわかったというか。ポリシーというほど大げさではないけれど、この2つの姿勢は大切にしています。
—視聴者がいて成り立つものだからこそ、そういったコンテンツ作りは決して簡単なものではなさそうです。
石井:視聴数だけは如実に出ますからね。ただ、PV数だけで計ることもできないんです。例えば、全部で2000人しか見てないけれど、Twitterでの反響がすごく盛んになることもあるし、逆に10000人が見ていても2000人の時の勢いに負けることもある。そして出演者のラインナップで、ある程度の視聴数を期待していても、予想に反して目標を達成しないこともある。そこには、配信時間や裏番組、番組の構成など、色んな要素が絡むので一概に言えませんが、今後は、より施策を考えていく必要があると思ってます。
—何をするにも長続きしなかったと言っていましたが、今やネットカルチャーの今後を考える立場にいると。
石井:何をするにしても、良くも悪くも、僕たちはまだまだ若いんです。新しい業界で、若いチームだからと、いろんな人たちから応援してもらっていて。今は、こうした環境下で、みんなで切磋琢磨しながらスキルアップしている段階です。いや、したいです(笑)。フリーペーパーの時もそうですが、僕の場合、これまで逃げてきた先で出会ったもののおかげで、それをうまく活かして仕事をしている。結果論ですが、なんにも無駄なことはなかったんです(笑)。考えてみれば、今って、自分のやりたいことが全部できちゃってるんですよ。これって、いいことですよね?
—幸せですよ! 逃げに逃げてきた25年だったのに(笑)。
石井:だからもう、感謝しかないですよ。僕は結構、勝手をやらせていただいているんです。番組配信に関しても、配信チームがしっかりしてるからこそ、制作できる幅も広がるし、上司がしっかり方針を固めてくれるからこそ、現場では自由に動くことできる。経験も強みもない僕が、現場でこういうステップを踏めていることが、本当にありがたいです。まぁ普段は、照れくさくて、こんなこと言えないですけどね(笑)。
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