大学を中退してでも、私はここで技術を磨きたかった

プロフィール
野畑 友紀子

愛知県出身。1990年生まれ。立命館大学4年の時に大学院に合格するも、休学。在学中にエンジニアとしてBASEでインターンを開始。その後、大学を中退し、BASEに入社。主にAPIの開発を担当している。

「誰でも無料でECサイトが持てる」という新たな流れを生み出したネットショップ作成サービス『BASE(ベイス)』。野畑友紀子さんは、その運営会社であるBASE株式会社に勤めるエンジニアだ。社内唯一の女性エンジニアとして、今では第一線で活躍する彼女だが、大学に入学するまではプログラミングは何も知らなかった。なのに、大学2年の頃にはフリーランスのエンジニアとして活動していたという。そこから2度の挫折を経て、BASEと出会った。その過程には一体何があったのだろうか?

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大学時代、加速度的にハマったプログラミング

―現在、野畑さんはエンジニアとして『BASE』の開発に携わっているそうですが、小さい頃からプログラミングに興味があったのですか?

野畑:いいえ。幼少期からピアノを習っていたこともあって、ずっと音楽が好きで、小・中・高と吹奏楽部に所属していました。私が在籍していた高校はけっこう吹奏楽部が強くて、県代表の選考会まで進出したこともあります。その後、立命館大学の情報理工学部に進学したのですが、それも理系の科目の方が得意だっただけで。プログラミングを経験したのは大学の授業がはじめてです。それまでは知識も技術もゼロでした。そこから技術を磨いて、大学2年生の頃にはフリーランスで仕事を請けるようになっていました。

―1年足らずでフリーランスとして仕事を受諾するまでになるとはすごいですね。

野畑 友紀子

野畑:運もあったと思います。WEB制作会社でアルバイトしている友人がいて、繁忙期に仕事が回らなくなったときに声が掛かったんです。そこではアルバイトの時給やシフトを管理するシステムをゼロベースから開発しました。もちろん最初からうまくいったわけではなく、参考となるサイトを閲覧しながら、いろいろ試行錯誤しながらの作業でした。でも学べることが多く、とても良い経験になりましたね。そういう仕事をできたことで、自分の技術力の自信にもなりました。

—そういった経験を活かし、在学中には自分でサイトの立ち上げなども行ったそうですね?

野畑:大学3年生の頃、友人と2人で中小企業向けの求人サイトをオープンしました。ちょうど私自身も就活を始めたタイミングだったんですが、多くの求人サイトは大手企業向けで、費用も高く感じていたんですね。だから、中小企業がもっとリーズナブルに使えるものを目指してリリースしました。起業を考えていたこともあり、就活は結局ほとんどしませんでした。このサイトがうまく軌道に乗っていたら、大学院に通いながら運営をやろうかな、とも思っていて……。でも、2人ともエンジニアだったので、サービスの運営よりもサイトを作る過程の方に、楽しさを見出してしまっていたのかもしれません。SNSで宣伝するくらいで特に営業活動などをしたわけでもなかったので、集客がまったくできず、数ヶ月足らずで諦めてしまいました(笑)。

二度目の起業チャンスを失った挫折と、家入一真氏との出会い

―大学院への進学が決まっていながら休学したそうですが、なにか理由があったのですか?

野畑:もっとも大きかったのは大学が退屈だったことですね。多くの大学がそうだと思うんですけど、理系ってとにかく女性が少ないんですよ。私自身も例に漏れず周りはほぼ男性。しかもサークルにも所属していなかったから、女の子の友だちがほとんどいませんでした。そのうち通学することに張り合いが持てなくなってしまったんです。学校に行っても友人に会う楽しみもないし、つまんないなって。だから、大学院でMOT(Management of Technology)を勉強しようと思っていたのですが、一旦少し考える時間がほしくて休学を選びました。

―休学中には、かつて求人サイトを制作した友人と一緒に起業支援プログラムに挑戦したそうですね。

野畑 友紀子

野畑:はい。2012年の12月のことですね。六本木にある起業支援をする会社のプログラムに応募しました。求人サイトを軌道に乗せられなくて悔しかったこともあるし、新しいことをやりたいという気持ちもあったので、リベンジのつもりで。きちんと支援を受けられたら、自分たちのサービスも上手くいくのではないかと思っていたんです。そのときに応募したのは、アーティストの口コミを集めるサイトです。面接のために滋賀から東京へ向かいました。

―結果はどうだったのですか?

野畑:自分たちが計画しているビジネスモデルについてプレゼンテーションをしたのですが、質疑応答がきちんとできなくてもうボロボロでしたね(笑)。自分たちとしては完璧に近い形で準備していたつもりだったんですが、やはり相手は起業支援のプロ。マネタイズや集客についてかなりシビアな意見を言われました。「どうやって収益化するの?」とか「そんなに利用頻度高くないんじゃない?」とか、想定外の質問に全然答えられなくて……。それで2人ともかなり落ち込んで、東京の雑踏の中で打ちひしがれました。すると、友人が「家入さんに会いたい!」と不意に言い出して、それをツイートして。そしたら偶然、家入さんが反応してくれて、そのまま六本木で会えることになったんです。

―家入さん、かなりフットワークが軽いですね(笑)。

野畑:そうですね(笑)。まさか本当に会えるとは思いませんでした。それで私と友人は、連続起業家の家入さんにアドバイスをもらうつもりで行ったのですが、そのときにBASEを紹介されたんです。当時、BASEはリリースして1ヵ月くらいの時期だったんですけど、すでにネット界隈では大きな話題になっていました。だから私も友人ももちろんサービスのことは知っていましたし、興味津々でしたね。それから1ヵ月後にオフィスを訪問したときには二人の中ではもうBASEに入る気満々で(笑)。関西に帰ってから身支度をして、すぐに東京に戻ってきました。とはいえ、BASEも設立してから間もない状態だったので、メンバーは代表の鶴岡に加え、エンジニア一人、インフラ担当一人、採用担当一人の計4人だけ。でも会社自体に可能性を感じたし、私に足りないものをたくさん学べる気がしたので、BASEに参加させてもらうことになりました。

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大学中退という選択と、スタートアップの可能性に賭けた想い

大学中退という選択と、スタートアップの可能性に賭けた想い

—昨年の9月には大学を退学したそうですね。残りあとわずかで卒業だったのに、どうして退学を決断したんですか?

野畑:もちろん大学に戻ることも考えたのですが、そうなると一時的にBASEを辞めなければいけませんでした。でも、新機能もどんどん実装してBASEが急成長している中で一旦離れるのはもったいないなと思ったんです。 そして何より、ここでの数ヶ月は、学校に通っていた数年間よりも成長できた実感があった。だったら、今さら大学に戻る必要はないんじゃないかという結論に至ったわけです。

—大学を辞めることについて、両親から反対はされなかったのですか?

野畑 友紀子

野畑:されましたね。でも、大学とBASEのどちらに戻れなくなるのが嫌かと考えたときに、大学に戻るという選択肢は選べなかったんです。だから、両親には自分の率直な想いをぶつけました。そしたら「そこまで言うんだったらやってみなさい」と理解してくれて、今では応援してくれています。

—BASEに参加してからはじめて担当した仕事を覚えていますか?

野畑:バグをひたすら修正していましたね。当時は毎朝メーラーを開けるとおびただしい数の修正依頼が届いていて、それをひとつずつ直していくことで1日が終わる感じでした。あるときは、ツイッターでユーザーから修正依頼を募って、数時間で対応していくという代表・鶴岡の思いつきイベントみたいなこともやりましたよ。ほぼ文化祭ノリですね(笑)。かなり無茶ぶりだなとも思いましたが、ユーザーからは概ね好評を得ることができたので、すごく楽しかったです。あとは、それと合わせてコードの整理もしていました。

—コードの整理、というのは?

野畑:表向きからではわからないことなんですけれど、エンジニアとしてはやっぱりきれいなコードを書きたいんですよね。それまで自分でゼロからサイトを立ち上げることばかりだったので、BASEに入って既存のコードを直すとなったら、人の書いたコードを修正しなければならない。でも、他人の書いたコードが全然読めなくて(笑)。初期段階のBASEはスピード重視だったので、コードがごちゃごちゃしていてちょっと読みにくかったんです。「私だったらもっとキレイに書くのに!」と思いながら、少しずつ直していきました。WEBサービスの開発となれば、私の後からコードを見る開発者にとっても読みやすいものを書くべきだと思いましたし。

—WEBの受託制作をするのとは違ってWEBサービスは継続的に運営していく必要あると思います。その中で、先ほど野畑さんが言っていたようにバグの修正など作業も多いと思うのですが、やりがいを感じるのはどんなところでしょう?

野畑:やはりユーザーさんからいただく声ですね。「使いやすくなった」とか「改善してくれてありがとう」とか、ちょっとしたことでも喜んでくれる人がいるからこそ、頑張れるのだと思います。逆に自分のせいで不具合が起きたり、なかなか改善策が閃かないときなどはヘコみますね。最近だと、地元の高校の先輩からサービスを利用しているという話を聞いてとても嬉しかったです。もっと身近な人に使ってもらえるようなサービスにしようという活力になりましたね。

女性エンジニアならではの意見を、サービスに活かしたい

—2012年11月の立ち上げからもうすぐ2年が経とうとしていますが、BASEの現状についてはどのように感じていますか?

野畑:もちろんBASEもパワーアップし、個人で使う分には使い勝手はかなりよくなっていると思います。商品だけでなく自分の技術を売ったりと、これまでのECサイトにはなかったユニークな出店も数多くありますしね。ただ、新機能を追加するたびにユーザーさんから改善案をもらうこともあるので、そういったものをひとつずつ対応していく必要は未だにあります。あとは技術が常に進歩しているので、見た目のシンプルさをキープしながら、いかに使いやすいサイトにしていくかというのが課題になっていますね。

—メンバーの数も増えているんですよね?

野畑 友紀子

野畑:そうですね。現在は社員も30人ほどにまで増えて、マンパワー的にも技術的にもできることが多くなってきました。社内でもCTOを中心にエンジニア勉強会を開催したり、美しいコードを書く方法はもちろん、互いに開発技術の知識を持ち寄るようなシーンも増えています。それ以外では、私自身の心の持ちようも変わってきたのかなと思います。もともとすごく心配性なんですが、メンバーの中にはどんなことが起きてもまったくへこたれない人がいて(笑)。「うまくいくまで諦めずにやってみよう!」みたいな勢いで、なんでもやってみるというスタンスなんですよね。きっとスタートアップにはこういう人の存在が大事なんだと思います。なんでこんなにポジティブなんだろうって思う反面、自分もちょっとしたことでクヨクヨしてられないなっていう気持ちになってきました。

—今後どうしていきたいかは考えていますか?

野畑:女性エンジニアが活躍できる環境をきちんとつくっていきたいですね。どうしてもエンジニアというと男性の仕事というイメージの方が強いので。男性の視点と女性の視点、その両方があった方がサービス設計の観点でもより良いサービスを生み出せるようになるはずです。その第一歩としてまずはBASEに一緒にランチに行ける女性のエンジニアを見つけたいです(笑)。うちには女性社員はいるのですが、エンジニアとなると私だけ。女性らしい開発者の意見をもっと広げていきたいですね。

—もう起業は考えていないんですか?

野畑:それはまだわかりません。でも、エンジニアとしてずっとものづくりに携わっていきたいとは思っています。起業しなくても、BASEの中で何か新しいことを始められるかもしれませんし。あとは、今でも音楽は好きなので、アーティストを支援するようなサービスや、音楽をもっと楽しめるような企画もいつか実現できたらいいですね。



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